2006/01/25

懐かしの テツヤさん

 80年代末に東京の日本語学校で、日本語教師養成講座を受けていた。その講座はとってもインチキで、土曜日しか講義がな行くくせに、授業料だけは高く、一週間の土曜日以外は、がむしゃらに働かなければならなかった。土曜日以外の一週間を無駄にしたくなければ、どこかまっとうな会社のOLとなって定収入を得る道もあったのだが、土曜日一回やってることと一週間ずっとやっていることを比べたら「本格的」になる恐れがあるのはOLの方じゃないだろうか。
 そして、会社で知り合った誰かと早々と結婚をして、夢は諦めて主婦の世界に突入してしまう、安易そうな道もあるかもしれない。私は世間に流されやすいし、道を外しやすいので、OLになったらきっと日本語教師の道は捨てる日が来るのではないかと思った。

 だから、日本語教師の次になりたかった「司書」の道に近づくために本屋さんのバイトを見つけた。本屋さんは当時自給340円だった。正社員と同じように朝10時から午後7時まで毎日働いた。9階建ての渋谷の本屋で、わたしはずっと6階の婦人書と語学書売り場だった。エレベーターはボロでしょっちゅう止まっていたし、そんな危ないエレベーターは客専用ということになっていたので、私は一日中重い本を抱えて階段の上り下りをした。
 本屋のバイトは本を30%引きで買うことができたし、新刊に詳しくなったし、語学書の見本をもらえたし、とっても気に入っていた。でも、そこのお給料だけでは生きていけなかった。

 本屋の側にドーナツ屋さんがあったので、そこで夜勤をすることにした。駅が同じだから定期券を使えるので、自宅からは遠かったけれども、そこで働くことにした。ドーナツ屋さんでは夜の9時から翌朝の8時までが勤務時間だった。売り子ではなくて、店を閉めてから開店までのお掃除と片付けと、翌朝のドーナツを並べる仕事だった。自給480円で朝食の500円がもらえた。ドーナツ屋も本屋も週に2回の休みを取れたので、やりくりして「一日中寝ていられる日」というものもあった。それで「寝だめ」をして、多くの日は午前10時から午後7時まで本屋で働き、家に帰って食べて、着替えて、30分寝て、夜9時から翌朝の8時までドーナツ屋で働いた。「一日中寝ていられる日」を迎えるために、帰りの山手線に乗ると気が抜けて、電車で眠ってしまい山手線を3周ぐらいしたこともあった。

 昨日翻訳の仕事が入って、48時間で15ページぐらいを訳せと言われた。内容が簡単そうだったので受けたはいいけれど甘かった。しかも今や私には家庭というものがあるし、バイト時代から20年近く経とうとしているので、自由に使える時間と体力が足りない。

 徹夜一日目で、もう死にそうだ。

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