2005/09/23

ゾエも かくらん

    ゾエが風邪気味だ。鼻水がずるずる。幼稚園でも流行っているので、仕方がないといえば仕方ない。

  お昼寝の時にゾエの隣で寝ているマリーヌちゃんが、今週ずっとひどかった。でも、両親共働きなので、先生にいやな顔をされても、幼稚園に連れて来てしまう。

  私は、マリーヌちゃんの様子を見ながら「こりゃあ、次はうちだよなあ」と思って、今週はことあるごとに「ゾエちゃん、幼稚園に行かなくていいから、うちでママンと遊ぼう」と言っても、どーしても幼稚園に行くと言って聞かなかった。

ほら、ごらん。

  明日は土曜日で、幼稚園に来る子も少ない。マリーヌちゃんも来ないと言っているし、ね、明日こそはうちでじっとしていようよ。

「マリーヌが来ないなら、先生独り占めできるチャンスじゃん」ああ、ノエミ、それを言っっちゃあ、おしまいだ。

  ゾエは、鼻水をずるずるさせながら、明日はマリーヌガ居ないから、先生を独り占めできると言って、張り切っている。そのうち先生も、鼻水ずるずるで、クラスじゅうが風邪を引くだろう。

いよいよ、秋が来た。このまま鼻水ずるずるの冬に突入して、春までみんなでずるずるだろう。

  朝晩たいへん冷え込むようになった。うちはJPが屋根裏を寝室にすると言って、天井に穴をあけたので、すきま風というか、、、なんともまあー激しく吹き抜けている。

  冬を迎えられるのか不安だ。

公園でリスを見た。ノエミによると「冬支度」らしい。

2005/09/22

しごと

    今週、めずらしく実務翻訳の仕事が入った。パリの某有名レストラン(おそらく四つ星)の秋のメニューだ。これまでそこのメニューを春のメニュー、夏のメニューと2回訳したので、今後も定期でもらえるのかもしれない!?

  行ったこともないレストランの、食べたこともないメニューを訳すのは無謀だ。

『キノコのタルト』だったらまーだいたいわかるが、『きのこの森』というようなロマンチックな名前がついていると、その料理が一体どんなものなのかわからないので、『煮た』も『焼いた』も使えない。キノコがただの飾りなのか、キノコソースなのか、そこのところを知りたい。よだれを抑えながら時間ばかりが過ぎる。

  数ヶ月前から、プロの翻訳家さんのお手伝いで、唐の時代の女帝のことを細かく調べている。この本はとっても面白いので、出来上がったらみなさんにも紹介させていただくことにする。

  唐の時代は写真もなかったし、資料と言ったら漢文を読んだりしなければならず、大変時間が掛かっている。宇宙科学や自然科学よりは、最新情報が少ないので、インターネットでの検索も限界がある。それに、行ったことも、見たこともない女帝の宮殿での私生活なんて、四つ星レストランのメニューと同じくらい無謀ではないだろうか。翻訳家さんというのは、想像力も豊かではないといけないようだ

  先ほど商工会議所から電話で、通訳を頼まれた。日本のとある歴史地理の研究者ご夫妻のお伴をして、アルビにあるラペルーズ博物館で通訳をして欲しい、とのことだった。

 私にとって通訳というのはメニューよりも更に無謀だ。でも、ラペルーズさんという日本のオホーツク海を通過した、アルビ生まれの冒険家の博物館なので、前から興味を持ってはいたのだ。

  とりあえずは、下調べのために、土曜日に一人で博物館見学をすることに決めた。いつもパソコンと辞書に向かっている生活なので、息抜きにもなるだろう。

ちょっと勉強しておけば、私だって人間相手の通訳ができるかも、しれない。

日本のみなさんにラペルーズのことも紹介できるかもしれない、という記者魂。 しごと。しごと。。。。

2005/09/21

ヴァイオリンのある風景

 ノエミがぐちゃぐちゃのベッド周りを片付けた。雑巾がけまでやっている。ベッドの枕元にある棚に、ヴァイオリンを置くためだ。

  今日の午後『カルモー音楽のともの会』で、ヴァイオリンを貸してもらった。年間使用料が65ユーロだそうだが、65ユーロもお財布に入っていなかったので、2週間後に払うことになった。

保証金として1500ユーロの小切手を渡したが、その小切手は1年後に戻って来ることになっている。ノエミが、ヴァイオリンを壊さなければ、だ。

  工場生産のものだったら、3000ユーロか5000ユーロで買えるのではないだろうか。でも、靴と同じで、ヴァイオリンは身体に合わせて買い替えなければならないので、当分は借り物でよい。

  チェロはカルモーにはなくて、アルビまで行くようにと言われたので、ちょっと面倒くさくなった。ただ、今借りている、先生のご主人のチェロは、月に24ユーロのレンタル料なので、『ともの会』で借りた方がずっとお得だ。でも本当は、このチェロに愛着を感じ始めているので、手放したくない。

   私は今日、ただレッスンの2回目に行っていた。3つの音があったら、2、3曲は弾ける。でも弓はまだ握らせてもらえなくて、弦をはじくだけだ。先生の伴奏つきで演奏した。繊細な楽器だから壊す心配と、難しい指使いのために、大人の初心者はしかめっ面をしていることが多いそうだ。私みたいに、にやけた顔でやる者は少ないらしい。だって嬉しくてたまらないのだ。それに、もともとにやけているので、どうしようもない。

   今度の日曜日に、近くの小さな教会で、先生とお友だちのトリオ・コンサート(無料)があるそうなので、ノエミを連れて聴きに行くつもりだ。

   ゾエは、太鼓を首からぶら下げている。右手にバチ、左手にカスタネットを持ち、何やらオンガクしている。音楽に飽きたら、私の『キラキラ星』に合わせて踊っている。

   危ないので、ちょっと足元も片付けないとだめだ。なによりも、ぐちゃぐちゃな部屋には、ヴァイオリンもチェロも全然似合わない、と気づいた。

2005/09/20

PTA役員

     昔から『児童会』やら『子供会』にはよく参加したものだ。これはPTA役員や、商工会役員や、お見合い(させるの方)が大好きな母の血だろうか。頼まれたら断れないというか、頼まれたら「こんな私でも信頼されてるのかな」と思って、有頂天になってしまうのだ。

  新学期の親の会があると連絡があったので、行ってみた。JPとじゃんけんして負けたので、私が行くことになった。実際には転校したばかりで、教師陣の顔も知らないし、学校の中に入ったこともなかったので、二人で行きたかったのだが、子どもを連れて行くわけにはいかない。

  でも、全350名ほどの生徒数を誇る学校でありながら、集まった親は21名だった。男性は1名。この男性の妻だったら、私は自慢できたのに。そしてJPはハーレム気分を味わえたのに。

  遅刻をしないで会議室に座っていたのは、私だけだった。日にちを間違ったのかと思って不安になった。集まって来た人たちは、クラス別の役人さんたちがほとんどで、「新入り」は私を含めて三人だけだった。でも私以外の二人は堂々としていて、本当に新入りなのかなあと疑いたくなった。役員だから来たというか、今年も役員になりたいから来た、という人たちばかりだった。

  けっきょく教師陣には会えなかった。校長先生と園長先生が新学期の挨拶をすると、五分間だけお話があり、「じゃああとは会長さんに任せます」と言ってさっさと帰ってしまった。

  この学校ではママさんパワーがすごそうだ。20時から始まった会議は23時半に終わった。無駄話も、甘ったれたことを言う人間も居ない、白熱した会議だった。21人全部がなんらかの役員に振り分けられたので、私まで幼稚園の2年生のクラス役員になってしまった。

  前の学校では、役員でも1年に2回しか会議がなかったが、ここは毎月会議があって、毎月何かしら、母親主宰の催しや、学校行事の引率もボランティア参加もあるらしい。こわい。

  ただ、そういう積極的な人たちは、『ガイジン』にも結構オープンというか、興味津々というか、私にも声をかけてくれる。これから挨拶してくれる人も、増えるかもしれない。あとは、お茶に誘われないことだけを祈る。

  私は自由業だから、まさか夜中に働いているとは思われていない。昼間に疲れるようなことをしたくないし、昼間はいつも寝ぼけているので、あまり誘われるのも困るのだ。

  これだから、トモダチ、というものもできないのかもしれない。

2005/09/19

おやつ

    子どもたちは学校におやつを持って行く。休み時間に食べてもいいことになっている。おやつはできるだけ自分たちで作らせる。今日も1週間分のクッキーを作った。

  子どもの時の台所、というのは嫌な思い出しかない。ハイミーをこぼして母に怒鳴られたこととか、料理の手伝いをしなかったんだから洗い物、というわけで、湯沸かし器もないのに、皿洗いをさせられた記憶。

 袖と前を濡らした、冷たい思い出。今でも洗い物は嫌いだ。

  フランスの台所にはハイミーはないが、うちには湯沸かし器はあるので、台所に子どもを呼ぶことができる。子どもたちはお菓子づくりが大好きだ。

  ただ、ちょっと面倒なのは、なんでもできると思って、言い出したら力づくでもとことんやる3歳と、なんでも知っていると思って、へらず口を叩き始めたら、耳が聞こえなくなる8歳が相手だ、ということ。

台所が戦場と化するのも時間の問題だ。

  ホトケの私であるから、最初は余裕を見せて、冷静にお手伝いを差し上げているが、言うことは聞かないし、言ったことはやらないし、汚すし、喧嘩するし、ああ、腹が立つ。。。

オーブンにお菓子を入れて、怒鳴り始めたら、子どもたちが消えてしまった。

  この前、母に「子どもたちを、ガミガミ叱ってはいけない」と言われた。

まーさか、あの母に、そう言われるとは思ってもいなかった。

彼女は歳とともに小さくなり、おそらく丸くもなったのだろう。

  子どもたちが作ったハートのクッキーを、食べさせてあげたいなあ。

2005/09/18

ポニー・クラブ

    いよいよ乗馬の無料体験レッスンの日だ。数日前からうるさい子どもたちを、なんとか午後まで待たせて出掛けた。住所を見たら、番号もないような田舎なので、1時間ぐらいは掛かるかと思っていたら、うちから5分だった。

 そういえば、うちも田舎なのだった。。。

  馬やポニーが30頭以上もいて、ぐるぐる走らせる運動場や、飛んだり跳ねたりさせる障害物広場もある。見渡す限り続く草原で、立っているだけで気持ちよかった。広いので臭くない。

  ゾエもロバぐらいだったら乗せてもらえるかと思っていたら、ちゃんと鞍のついたポニーに乗せてもらった。漫画の主人公の「タンタン」という名前だ。ここにはロバなんかいない。名前まで「ポニー・クラブ」だもの。

  夏休み中に2週間の乗馬キャンプを体験したノエミはプロ気取りで、「ゾエ」という名前のポニーにまたがった。本物の馬はもっと大きくなってからだそうだ。(じゃあ、ポニーは馬のニセモノか?)

  高校生ぐらいのお姉ちゃんたちが手綱を取って、敷地内を散歩させてくれた。ちょっと走らせてもらって、ゾエはきゃあきゃあ大喜びだった。メリーゴーランドよりスリルがあるのは確かだ。ノエミなんか手を離したりして、見ているわたしはちょっとこわい。

  ノエミの入会は間違いないだろう。クラブの部長さんが「3歳から教えている」というので、JPの目が光った。家族ではまったら、そのうち馬を買わされるハメになるであろうことが、予測できていないようだ。馬は車1台分のお値段もするが、お買い物にも行けないじゃないの。JPだったら行くか?馬でお買い物?

  うちの近所では、広い庭を持っている人は、草むしりの手間を省くために、庭にヒツジ、ヤギ、馬、ロバなどを放し飼いにしている人が多い。でも、馬はさすがに運動させなければならない、大きな動物なので、広大な庭が必要となる。馬を飼うのは、まず広い庭のある家に買い替えてからだなあ。

  「このクラブでは持ち馬を預かることもできますよ。」とクラブの人。月極の駐車料金(1馬力四輪駆動車?)を払って、馬を預かってもらえるらしい。またもやJPの目がきらっと輝いた。

彼も習いたいのかもしれない。

2005/09/17

ヴァイオリニスト 誕生 !!

    ノエミのヴァイオリンの無料体験レッスン第1回目、だった。

朝9時からだったので、7時半に起きて、徒歩で行った。

先生が学校の棚から選んで、大人の4分の1サイズのヴァイオリンを出した。

小さくてとてもかわいい。

 ノエミは姿勢が悪いので、そこのところを注意してくださいっ、と母らしきことを言い、あとは、静かに見守ったのであった。

 先生に、筋が良いとか、問題なくできると、太鼓判を押されて、得意になって帰った。

私としたことが「あまり褒めないでください」というのを忘れてしまった。

ノエミは褒められると、とことんやってしまう。そして、得意になって家で威張り散らす。家族にとっては、どーも鼻持ちならない人間だ。

 見ていて「こいつ、筋がいいぞ」とは思いながらも、なにかにつけてチェックを入れてしまって、意地が悪い。わたしって、妬いているんだろうか?子どもの飲み込みの速さには勝てない。

 いつかいっしょに演奏できたら、楽しいだろうなあ。

ゾエが自分も何かやりたいというので、太鼓を与えた。木製で動物の皮が張られた、和太鼓だ。

これは私が子どもの時のお気に入りだった。ゾエが生まれた時に、姉がフランスまで持って来てくれた。

 私は何にでも自分の名前を書く子どもだった。

太鼓の皮には墨で「えんどうせいじろうのむすめみのり」と入っている。

昔は名字がすごく長かったのだ。

 明日は乗馬クラブの無料体験の日。ゾエもロバに乗せてもらえるかもしれない。

2005/09/16

よくある一日

     朝市に行ってから、学校を休んでしまったノエミを医者に連れて行って、医者と薬屋でいやな目に遭い、気晴らしに家の掃除をして、退屈しているノエミを怒鳴りまくった。

  寝不足でふらふらだったので、インチキな夕食を作り、ちょっとチェロに触って、早く寝た。

すみません、こんな日記で。

天下のわたしにも、こんな日がいっぱいある。

2005/09/15

ノエミ の 霍乱(かくらん、と読む)

     この時期は、商工会議所の語学部門でも、無料体験レッスンなどがあって、教師はただ働きで、生徒を集めなければならない。日本語はマイナーな言語だ。今年は宣伝効果もあって、中国語とロシア語に、体験入学者が殺到、テレビの取材まで来た!というが、日本語はどうだろうか。

  この日に行くことは、前から決まっていたので、子どもは授業のあと、学童(みたいなもの)に預ける予定だったが、そういう日に限って、いつも幼稚園イノチのゾエが「行きたくなーい」と泣くし、ノエミが風邪気味で吐くし。困った。

   核家族共働き家庭や、バツイチはこういう時に困る。「じゃあうちに居ていいよ」と言えない時に限って、こういうことが起こる。近所には誰も頼める人がいない。

   体験レッスンは30分から1時間の予定だったので、ノエミは仕事に連れて行って、帰りに医者に寄ることにした。ゾエは、入園以来全然泣いていなくて、保母さんに「天使のような子」と言われていたので、今日ぐらい少々泣いてもどうってことない、というわけで、泣いてもらうことにした。先生に「あら、ゾエちゃんも泣くのね」と言われている。よろしくお願いします。

   日本語のクラスには12人の見学者があって、その場で3人の申し込みが済まされた。申し込みが済んでいる人で、体験レッスンには来ていない人もいるらしいので、今年度は最低週2クラスぐらいはもらえそうだ。契約書にサインをした。

   体験レッスンで、ノエミはサクラとなり、授業に参加して元気が出て来た。学校の授業よりも、母のレッスンの方が楽しかったそうだ。今まで「仕事に行って来る」と言っても信じていない様子があったが、これで私がどんなふうにノエミのお小遣いを得ているか、理解できたと思う。

  昼間に走り回っているせいで、翻訳の仕事は夜中にやっていて、毎晩遅くまで起きている。さすがに4日間の3時就寝7時起床がたたって、今日は崩れそうだ。週末は寝て過ごすつもり。

日本は連休ですね。

2005/09/14

カレの名は。。。

     まるで、恋に落ちてしまった、ようだ。溺れるかもしれない。

  彼を見た瞬間に、口があんぐりと広がって、思わずわあと声が出てしまった。それほどまでに、彼は美しかった。胸がドキドキした。そしてどうしても触れてみたくなった。

  そおっと触れると、その光る肌は滑らかで、温かかった。私の手のぬくもりを吸い込んでいくようだ。なのにぬくもりは返ってくる。はじくと恥ずかしそうに震えてみせる。かわいいっ。背中をなでると、彼の生まれた森の風景が見えた。ニスの匂いに混ざって、風の香りも感じられた。

  両膝でしっかり包んで、胸骨で抱きとめた。抱きしめると、私の腕の中にすっぽりおさまる。愛おしくて、もう離したくないっ、と思った。

  彼との約束に遅れそうだったので、猛スピードで走って来た。帰りは彼を載せていたので、傷つけないようにゆっくりと走った。そうしたら、来る時に見えなかったものが沢山見えた。制限速度の標識も、道路脇のヒツジの群れも、家々の手入れされた花壇も見えた。鼻から唄まで出た。100回も聴いたカザルスだった。

  彼のことを考えると、気持ちが弾み、心が和む。頭の中は彼のことでいっぱいだ。ずっと触れていたい。抱きしめていたい。いっしょに歌ってくれるだろうか。私に優しくしてくれるだろうか。いつまでも仲良く過ごしていけるだろうか。私を見捨てたりしないだろうか。不安だ。

  見ているだけでうっとりする。彼の声を聴くとメロメロだ。今夜は眠れない。

  ああ、彼の名は。。。。。チェロ

  行ってまいりました!!無料体験レッスン第1回目。(来週あと一回ただ)

私の身体に合わせて、3/4サイズという小さなチェロでした。でもちゃんと4弦あります。

病み付きになりそうです。癒されます。

 いろんなことが剣道に通じるので、先生の話を聞いているだけで、血が湧くどころか、肉まで踊ってしまいました。(今日の私は筋肉痛です。)

    昼間に有閑マダムをやるために、夜中に働いています。寝不足でへろへろです。先生のキノコは、虫がいっぱいついていて、私の悲鳴とともに、コンポストに放り込まれました。

2005/09/13

剣道に行って、キノコをもらう

     私の剣道の先生はドレイさんという名前で、垂れに「道霊」なんて書いている。先生は道場の隣の物置に住んでいる。書き間違いではない。自宅の物置を改造して、道場にしたのではなく、道場の物置に住んでいるのだ。

  アルビ市の武道館という集合スポーツ施設には、柔道、空手、カンフー、太極拳、銃術、ヨガ、テコンドー、(なぜか)ダンスなどのできる、畳と木の床の道場が全部で四つある。剣道と居合道はダンスの部屋で稽古している。大きな鏡があるから嬉しい。

  今年は剣道はやめようかなーと思っていたのだが、夏休みの終わりに先生が「いつ来るの?」と電話をかけてきた。「いつ来ても居るけど、今度の土曜日は稽古をしないよ、釣りに行くから」がははと笑う。

  先生は数年前に肺がんを告知されて、抗がん剤を打ったりもしていたが、まだ生きているということは、癌は治ったのかもしれない。きいていない。今年のお正月にお姉さんが、癌で亡くなった時に「家系だから、次は自分の番だな」と言っていた。

  道霊先生は父と同い年で、言うことややることが似ている。家族がなくて(離婚とかいろいろ深い事情)道場の脇の物置に、二段ベッドを置いて、その上段に全財産を積んで、一人暮らしをしている姿も、みすぼらしくてちょっと悲しいので、私はときどき日本食を差し入れする。本人はその、「手の届く所に全財産があって、死ぬ時はアトカタもなく何も残さないで済む」という人生に満足しているらしい。

   「剣道が一日中できるから便利。通勤時間もゼロだし」なるほど。

  剣道バカだと思っていたら、去年から釣りと、狩猟まではじめた。「剣道ばっかりやってるとバカみたいだからさあ。銃を買ったから見においで」と言われて、それが「新しい釣り竿を買ったから見ろ」と自慢する父に似ていたものだから、ついあとについて、全財産で埋もれた、小さな部屋に足を踏み入れた。テレビはもちろんない。小型冷蔵庫に、釣った魚と撃った鳥が入っている。

  雑誌や、食料や、剣道着や釣り道具の下から、立派なケースが出て来て、そこから散弾銃を持ち出した。

ちょっと危ない。

お孫さんの写真があって、ノエミちゃんだというので、深い縁を感じた。

キノコをもらった。スーパーでも市場でも売っていないキノコだったので、食べ方も教えてもらった。

  いちおう剣道もやった。さし面というのを習った。難しい。

ゾエ、幼稚園いのち

   「早く幼稚園に行きたい」とずっと言っていた。夏休みの間まいにち門まで行った。新学期の二日前から、リュックを背負ったまま生活した。

 毎朝、さっと起きる。朝ぐずぐずしないで、早く連れて行けとうるさい。ノエミが「私が連れて行くから、ママンは寝てていいよ」と言うが、そうもいかない。

 幼稚園には乗り物がいっぱいある。等身大の台所セットもある。トイレは小さなオマルの水洗トイレだ。昼寝する子は、ぬいぐるみを連れて行ってもいいことになっている。

 教室に入るとゾエは振り向かずに、真直ぐトラクターか、オートバイにまたがる。さっさと帰って、昼に迎えに来てね、と言う。

 小さい組さんは、午後は無理して行かなくてもいいことになっているのに、行くと言ってきかない。11時半から13時半まで、眠い目をこすりながら、我慢して門が開くのを待っている。

 早く寝ないと幼稚園に遅れるよ、とか、いうこときかない子は幼稚園に連れて行かないよ、とか、オドシに使っている。なかなか使える。

 今日、ちょうど休み時間に幼稚園の前を通った。ゾエが緑のオートバイに乗って、元気よく走りまわっていた。友達とぶつかりあいっこをしている。加減しながらぶつけて笑っている。そうか、ボボに自転車をぶつけて喜んでいるのは、この遊びだったのか。かわいそうなボボ。

 「ゾエー」と叫んで手を振ったが、先生たちに見られただけで、娘には無視された。うちでもあんなに遊んでやってるのに、そんなに幼稚園の方がいいのだろうか

 ゾエはこのごろ歌って踊る女になった。「クルマ」も描けるようになった。そういうことも習っているのだろう。  

2005/09/11

あの、9月11日

  9月11日という記憶に焼き付いた日がある。フランスでは11・9 オンズ・セプタンブルという。あの日、私は商工会議所の会議に出ていた。語学教師が朝から集まって、その年の言語クラスの準備をした。

  お昼にはランゲージセンターからの招待で、アメリカ人とイギリス人の英語教師数名をはじめ、ロシア語、アラビア語、クロアチア語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語などなどの教師たちといっしょに、日本語教師の私も楽しく食事した。

  午後解散して、車のラジオをつけたらWorld Trade Center とPentagoneに飛行機が突っ込んだところで、「もう1機が行方不明」と言い始めたところだった。家につく間に、そのもう1機がどこか田舎に落ちたと報道していた。ラジオのアナウンサーが「これは冗談じゃありません」と叫んでいたと思う。1メートルごとにスピードが上がっていた。早くうちに帰り着きたかった。

 「世界大戦になったら日本に帰れなくなる」と思った。フランスにもいられなくなって、家族と引き離されるかもしれないと思った。私はフランス人と結婚しているが、日本国籍のままなので。

  その日うちにはJPの海軍の友達が遊びに来ていた。私が泣きながら帰って来たのを見て、「うそだろう?」と言いながら三人でテレビを見た。そうしている間に友達の携帯に電話が入って、すぐに地中海基地のトゥーロンから軍艦を出すので、いますぐ基地に帰って来い、という知らせだった。

   JPは、その前の年に、海軍を定年退職していた。15年勤めて契約が切れたためだ。ノエミが生まれたころは1年に6ヶ月以上は、海の上にいた。どこにいるのかわからないことがよくあった。いきなり電話して来て「先週はシェラレオネ沖で、難民に食べ物と毛布を配っていた」などと言っていた。「シェラレオネってどこ?」平々凡々に生きている人間は、そんな場所など知らない。

 今は毎日顔を見られるので平和だ。そう思っていて、その夜に帰って来なかったら、辛いだろうな、とは思う。

 広い意味で、JPが軍人でなくなってほっとしている。

2005/09/10

地中海を見に行く

    JPの両親は現在、ナルボンヌ*という地中海に面した町のそばに住んでいる。ナルボンヌは地図で見ると、モンペリエと、スペインとの国境のペルピニャンの間。日本の奈良のような町で、地面を掘ったらローマ時代の遺跡が、わんさか出てくるような所だ。

 せっかく2時間半も掛けて、カルモーから来たのだから、なんといっても海を見に行きたい。

サン・ピエール海岸に行った。ここは夏休みには人口が10倍ぐらいになる。夏だけの貸別荘が、水際から山のてっぺんまで広がっている、夏だけ観光客が集まる所。冬に来たら誰もいないが、今はまだ人が沢山いて、レストランやブティックも開いていた。

 子どもたちと海へ。風が強く水は冷たい。岩場で釣りをしている人がいた。JPはゾエと貝殻拾いをした。ノエミはカルカッソンヌの城壁*みたいなのを建てると言って、1メートル四方の穴を掘り始めた。みるみる壁ができて行く。中世のお城のことなら、まかせて。ちゃんとお堀も、跳ね橋もある。

 魚の頭を発見!口が針のように長くて、頭の細い魚のようだ。頭しかないのでわからない。ゾエといっしょにしゃがんで見ていたら、通りかかったおじさんが「オーフィーだ。針魚ともいうんだよ」と言って、魚の頭を置いた所から、指で砂に魚の身体の形を描いてくれた。「こーんなに細長い魚で、長さはこれぐらい」

こんなふうに泳ぐ、と言って見せたくれた動きは、ウミヘビみたいだった。

 海と釣り人を見ると、思い出す人は一人しかいない。

地中海を見に行く

    JPの両親は現在、ナルボンヌ*という地中海に面した町のそばに住んでいる。ナルボンヌは地図で見ると、モンペリエと、スペインとの国境のペルピニャンの間。日本の奈良のような町で、地面を掘ったらローマ時代の遺跡が、わんさか出てくるような所だ。

 せっかく2時間半も掛けて、カルモーから来たのだから、なんといっても海を見に行きたい。

サン・ピエール海岸に行った。ここは夏休みには人口が10倍ぐらいになる。夏だけの貸別荘が、水際から山のてっぺんまで広がっている、夏だけ観光客が集まる所。冬に来たら誰もいないが、今はまだ人が沢山いて、レストランやブティックも開いていた。

 子どもたちと海へ。風が強く水は冷たい。岩場で釣りをしている人がいた。JPはゾエと貝殻拾いをした。ノエミはカルカッソンヌの城壁*みたいなのを建てると言って、1メートル四方の穴を掘り始めた。みるみる壁ができて行く。中世のお城のことなら、まかせて。ちゃんとお堀も、跳ね橋もある。

 魚の頭を発見!口が針のように長くて、頭の細い魚のようだ。頭しかないのでわからない。ゾエといっしょにしゃがんで見ていたら、通りかかったおじさんが「オーフィーだ。針魚ともいうんだよ」と言って、魚の頭を置いた所から、指で砂に魚の身体の形を描いてくれた。「こーんなに細長い魚で、長さはこれぐらい」

こんなふうに泳ぐ、と言って見せたくれた動きは、ウミヘビみたいだった。

 海と釣り人を見ると、思い出す人は一人しかいない。

2005/09/08

国立音楽学校 私の番

     チェロはカルモーでは教えていないので、コルドという町まで行かなければならない。新学期の説明会があるというので、顔を出すことにした。

 先日カルモーの音楽学校で、おジョウさまやら有閑マダムに刺激された私は、ノエミのアドバイスにより、運動靴をサンダルに履き替えた。そしてひらひらのスカートを履いてみたが、市場で2ユーロで買った生地で、手作りしたゴム入りのスカートだから、いまいちチェロ奏者の雰囲気が出ていない。でも、JPのスルドイ指摘により、まだチェロ奏者にもなっていないので、主婦スタイルで迫ることにした。

 崩れかけた建物、窓は立て付けが悪いし、壁にはペンキも塗っていない。木の階段は帰る時にもまだそこにあってくれるのか、不安になりそうな代物だった。

埃アレルギーでなくてよかった。

   集まった生徒は老若男女約10名ぐらい。男性はほとんどみんなTシャツに運動靴。女性はほとんどがノーメークで、中にはビーチサンダルの人までいた。親子で習っている人が沢山いた。

 ゾエという名前の子どもが二人いた。ゾエ1のお母さんはギター、ゾエ2のお父さんはチェロ。ゾエ3の母である私もチェロ希望者。これはなにかの縁ではないかと言われて、あとに引けなくなった、ような。。。縁や運という言葉には弱い。

 会議も楽しかった。壊れた窓から、コルドの丘が見えているのも素敵だった。プロの演奏者である先生は、ピンクのズボンに緑のベルトをしていて、ちゃんと運動靴まで履いているような、私好みのチェロ奏者だった。気に入った!

 コルドまで20キロ、冬は道路が凍結するかもしれない。通えるだろうか?

とりあえず水曜日にお試し無料レッスンを受ける。

国立音楽学校に行く

  先日電話した音楽学校で、新学期の説明会があるというので行ってみた。

ノエミはドキドキしている。おめかしをしている。着替えまでしちゃってる。オードトワレまでいじったらしい。どうしたんだ、この子ったら。。。。

 「やっぱりヴァイオリンって言ったら、お嬢様らしくしなくっちゃ」

 おジョウさま、おボッちゃまみたいなお子様が30名ばかり来ていた。

そこに控える主婦連も、有閑マダムぞろいだ。そんな所に運動靴で入ってしまった私も、けっこう勇敢なマダムだ。

   先生はちょっと期待はずれな、ちょっとビール腹で、程よいお年頃の、普通のお兄さんだった。ちょっと安心。

楽器も貸してもらえるし、数が少ないので時間的なわがままも言える。 

 9月の間なら無料体験できるらしいので、2回分予約してきた。ノエミ、ヴァイオリンを極めるか!?音痴だけど大丈夫かなあ?

 「音痴は血筋。努力に勝る天才はないのよ。ふっ」

言ってくれる。

2005/09/07

ストレスの溜まらない散歩

  二日続いた大雨の間に、身体がさびたような気がする。ボボも子どもたちもあまりにも退屈している。本日は水曜日、学校はお休みなので、歩いて1分の公園へ。いつもの晴れた朝同様、ボボ同伴のお散歩に行く。

(じつは、私たちがボボのお伴)

 ジャン・ジョレス公園といって、労働者のために闘った、カルモー生まれの政治家の名前がついている。公園の目の前の幼稚園と学校も、彼の名前がついている。

 ペタンク場5コートと、遊具のある児童公園のほかに、森・林・花壇・芝生・壊れた噴水と崩れそうな藤棚がある。レンゲソウの首飾りが沢山作れる場所もある。ボボ専用トイレもある。動物トイレ用砂場に用を足す芸のある犬は、うちのボボだけだからこう呼んでいる。橋もある。ベンチが30個ぐらいはある。戦争被害者の慰霊塔もあって、そこではたまに、アラブ人の若者がヴァイオリンを膝に立てて弾いている。居たらゾエが踊る。頭でっかちのジョレス氏の胸像もある。すれ違う人が居ないのは、広いせいではないだろう。田舎の人は自宅に大きな庭があるから、公園を歩いたりはしないのだ。うちの庭は小さく、テレビもないから散歩に出る。

 ダニエル家の庭と呼ぼう。

   子どもたちは公園を一周する間に、松や杉の木に登っている。木の付け根に開いた穴に、頭を突っ込んでいる。キノコを発見して騒ぐ。泥にはまって泣く。大きなどんぐり発見。「リスの二日分の食料だ」と言って穴を掘りはじめる。拾った小枝を振り回す。後ろ向きで歩く。ボボの足を踏む。ボボが暴れて私が転ぶ。転んだ私が叫ぶ。キツツキ・カラス・ハト・リスが四方からやって来て、八方へ飛んで行く

 リスは格納穴のどんぐりに気づかなかった。

「しまった、葉っぱかぶせすぎ」ノエミが焦る。

 ゾエは陰陽のまが玉みたいな、茶色と白のまだら模様の栗を拾った。「病気なんじゃないの?捨てなさい」といやな顔をすると、ノエミが来て「まだ成長段階で、色が出来上がっていない」などと難しいことを述べ、どんな栗の木になるのかなこれ、と言ってポケットに入れる。鳥の羽は気持ち悪くて、自分では拾いたくないので、ゾエにうまいこと言って拾わせている。

 ゾエはカタツムリの前から動かない。エサはないか、エサはないか。

 公園の入り口でブルドーザーが穴を掘っていたので救われた。ゾエはブルドザーに目がない。カタツムリはあっさり見捨てたが、今度はブルドーザーから離れられない。しまった、エサを間違えた。

 公園の前は避ける。あの柵内はブラックホールだ。一度入ったら出られない。子どもたちが吸い込まれてしまう前に、先手を打って「あっちにきれいな花が咲いていたよ」などと言う。お花畑もまだまだエサに使える。

「ママンがバック転をやって見せるよ」もエサになる。

 母は芸がなけりゃあやってられない。

 自宅から往復2分の公園に行ったはずが、往復2時間も掛かってしまった。時間と気持ちの余裕がない日は、家のドアを開ける時にみんな泣いている。叫んで叱って、へとへとで、引きずられて尻を叩かれて、恥ずかしくて、暑くて寒くて、足にまめができて、トイレに行きたくて、などなど。。。

 今日のお散歩では、ストレスは溜まらなかった。

ひと安心

  時差があるので、電話できる時間がやって来るのを待っている間、心配な気持ちで過ごしたが、電話に出た母は、元気そうだった。

 父の作業場のガラクタは、台風が来るずっと前に、専門のガラクタ屋さんに片付けさせたらしいので、飛んで行ったものは街灯のかさぐらいだったらしい。人の頭に落ちずに、畑に落ちた。

 「あんたには信じられないでしょうけど、うちの前からガラクタが消えてるんだよ」と言われた。そりゃあ、信じられない。

   「仏壇の裏も雨漏りしなかったよ。ひと晩中見てたけど。あーでも、恐かったよー」と言ってガハハと笑っているので、そりゃあよっぽど恐かったんだろうなあ、と思った。これまで台風が恐いという言葉は、我が家では聞いたことがなかったので。台風が近づくと興奮して、つい海を見に行ってしまうような父子だった。

 県内各地でも、東京でも被害が出ているそうですね。みなさん気をつけてくださいね。釣り人はくれぐれも、台風の前とあとにも注意してください。

 うちの買ったばかりの家は、築100年のボロ家なので、二日間の大雨で玄関の郵便受けから雨が吹き込んだり、窓枠の周りから雨がしみ込んだりしてきた。

でも今日は青空が広がっている。

 ノエミが台風を予報するよりは、意地の悪い台風が起こらないようにするにはどうしたらいいのか、頭をひねっている。ノエミが空に勝てる日が来るのだろうか。。。

台風

  日本のみなさん、台風お見舞い申し上げます

 九州外の友人知人が、「ご実家は大丈夫でしたか」と訊ねてくださるので、そんなに深刻な台風だと思っていなかった私は、いきなり焦り始めた。

 フランスには台風が来ないので、台風の恐さなどは忘れていたし、考えもしなくなっていたが、去年日本に帰った時に、10月の終わりにも関わらず、台風に遭遇した。

 去年は、8月にも台風で、滋賀県の姉が帰郷の際にひどい目に遭った覚えがあるので、少なくとも2ヶ月間は台風の被害を受け続けたということか。

   子どもたちは去年初めて日本に行って、10月の台風を初体験した。「ばあちゃんの家はおんぼろだから、3匹の子ブタの家みたいに吹っ飛ぶかもね」と言いながら過ごした。

 びくともしなかった。じいちゃんが自分の工場を造るついでに、隣接の自宅にも鉄骨を突っ込んだ家なので。 庭のガラクタは飛んだけど。

 母はゆうべ心細くなかっただろうかと、ちょっと心配。去年の台風の頃には「私はストレスを感じない人間なのよー」とか言っていたけど。1年でいろいろ事情が変わった。

 あした日本に電話してみよう。

2005/09/06

サインお願いしまーす!

   鹿児島と同じ、暴風雨だった。

ノエミが稲光のたびに「1、2、3」と数えるので、ゾエが3までわかるようになった。

 ノエミが自分が会長のクラブ員、第1号にしてあげるから、サインしろと言う。

クラブの名前は「エコロヴェール」ecolovert 

ecoloは ecologie エコロジーで、vertは「緑」つまり「自然」ということ。

 サインする前に、会員の決まりは?会費はいくら?と訊いたら、ママンは特別にタダでいいよ。その代わり決まりを守ってよねと、命令された。

 タダより高いものはない。

エコロヴェール会員の決まりとは。。。

1 物をむやみに捨てない。再利用する。

2 水を出しっぱなしにしない。

3 野菜くずなどは庭のコンポストに入れる。

4 食べ残したらボボにやる。

5 雨水を利用する。

6 車を使わない。 

7 電気をつけっぱなしにしない。

  などしっかり紙に書いて来て見せられた。横に漢字でサインした。

 「エコロな生活は貯金もできるよ」JPみたいなことまで言う。

 JPが数年前からエコロな生活に走っている。先日は「水を使わないトイレをつける」といい出したので、家出しようかと思った。トイレだけは明るく水洗にして欲しい。  エコロヴェール入会希望者はご連絡を。

2005/09/05

ラクダは楽だ?

ラクダは楽だ?
 道路の脇に、ラクダが、いた。

ヒトコブラクダだった。

 フランス語ではヒトコブラクダのことをdromadaire(実はもっと難しい発音ですが、私はドロマデーと言ってます)、フタコブラクダのことを chameau(シャモー)という。

コブ1個の違いで、単語がすっかり変わる上に、chameau の方は複数形で s をつけない chameauxとなるので、フランス語を学習するものには頭が痛い。

 フランス語学習者の単語暗記に、ちっとも楽じゃないそのラクダが、道路の脇にいた。

真っ赤なテントの脇にいたので、町にサーカスが来ている、ということがわかった

 セネガルにはヒトコブラクダが沢山いる。荷物を運んだりヒトを載せたりして、のっしのっしと歩いていた。

ヒトコブラクダの背中に乗って砂漠を往くのは結構大変だ。

 膝を折ってしゃがんでもらって、よいしょと勢いをつけて上る。鞍(くら)はコブに被せるヘルメットみたいな形をしていて、そのてっぺんにキリンの角みたいなハンドルがある。これでは舵はとらない。落ちないように捕まるだけ。

 この前も高速道路の脇で、いきなり象を見た。仕事に遅れそうで150キロぐらいで飛ばしていたので「目の錯覚だったの?」と思っていたが、象の後ろに赤いテントがあった気がする。

 「あれもサーカスだったに違いない」と、道路脇にはためく、赤いテント前のラクダを見ながら思った。

 トラックに乗って来たのだろうか。人を載せて来るわけはないだろう。

 ラクダも楽じゃない。

2005/09/03

はんどん

   フランスの小学校では,地域によって週四日制を導入している学校がある。

つまり、水曜日と土曜日、日曜日は学校に行かない。

 カルモーの小学校は週四日半だ。水曜日と日曜日は完全なお休みで、土曜日は半日、けれども、三週間に一回は週四日があり、土曜日も完全な休みとなる。

 金曜日から新しい学年が始まって、土曜日は半日だった。

朝8時半から11時半まで、算数と国語の授業があった。

 ノエミは帰宅後,宿題の詩の暗唱をして、前に住んでいたグローイエの友達の誕生会に行った。車で45分掛かった。

2005/09/02

続・天気予報

 雲の様子から,本日は晴れとしたノエミ予報は大当たりだった。

「さすがの気象庁も、ノエミには負けたね。雷マークなんか出してさ。」

と鼻で笑っていたら、お昼の12時5分にドーンという雷とともに、ザーと雨が降った。

窓に走りよるノエミは「でも、私の午前中の予報は当った」と負けない。そして「やっぱり本格的な観測用の箱を、造らなければだめだ」とつぶやいているノエミ。

 稲光が見えると「いち、に、さん。。。」と数えて、「雷は四キロ先にいる。ニナのうちに落ちていないかな」と友達の心配をしている。

  ゾエは、昨日からリュックを背負って生活している。明日から行く、幼稚園のリュックだ。

 入園式も制服もないので、お姉ちゃんのお下がりのリュックで喜んでいる。家の中で靴を履いて、雨が上がるのを待ち遠しそうにしている。晴れ間にリュックを背負ったまま飛び出し、幼稚園の門が,本当に今日はまだ閉まっているのかを、確かめに行った。

  朝から三回目。

明日からの新学期は「なんとなく晴れ」

これはJPの予報。

私は下駄を投げて「雨」と出た。

2005/09/01

天気予報

  きのうノエミは図書館で天気予報の本を借りました。その本には天気予報の仕方、雨量の測定、気温の記録などについて、専門的なことが沢山書かれています。そして子どもでもできる、簡単な観測の方法を教えています。

 寝る前に雨戸を閉めながら雲を見て、「明日は晴れだよ」と予報が出ました。部屋には勝手な天気図まで描いて貼り出しています。

 雲を観察するだけでは物足りないので、中庭に雨量と気温の観測所を作りたいと言い出しました。こまったなあ。軒下に温度計を置くだけじゃだめ?

 トゥールーズにはフランスで一番重要な気象観測所があります。(メテオ フランス)

ここから中継で全国のお天気を予報する、ラジオのコラドさんという人は、ちょっとトゥールーズの訛りがあって、とても身近な人のような気がします。

「メテオ フランス」のサイトをインターネットでみることができますよ。

http://www.meteofrance.com/FR/index.jsp  ノエミを疑っていたわけではないけれども、このサイトを紹介するために、ちょっと今日のお天気を見てみたら、9月1日は晴れのち曇り、夜は雨かもしれないそうです。雷のマークもついていましたが、どうなることやら?

体内時計をまき直す

   7月の初めからはじまった夏休みが、ようやく終わろうとしています。

二ヶ月は長いですね。生活のリズムを元に戻すのが大変です。

 JPはアルビ市で働いています。春に引っ越してからは電車通勤。自宅から駅まで5分歩いて、カルモーからアルビまでひと駅、アルビから職場までは歩いて1分です。朝6時半に起きて7時15分の電車に乗ります。

 学校も幼稚園も歩いて1分のところですが、1時間前には起きて支度をさせます

 子どもたちは7時10分にJPが家を出る時に起こして、「おはよう」と「いってらっしゃい」を言ってから着替えて朝ご飯です。学校は8時30分に始まります。

 今日はがんばったけれども、8時半まで起き上がることができませんでした。そのあと着替えて、ボボの散歩に行ってそのまま公園で遊んで、パンを買いに行って戻ったらもう11時でした。

 午後は3人で図書館へ。夏休みの間ずっと閉まっていたので、待ちに待った開館日でした。借りたものは、乃恵海と想愛と私がそれぞれ、本5冊、雑誌2冊、CD-ROM1枚、CD3枚、特製布バッグで2袋分です。