2007/12/23

年末の香り

 水曜日ーヴァイオリンの発表会。ノエミ、先週行われた最後の先生とのレッスンで、さんざん叱られた。「練習しなかったのか?」と先生が腹を立てたように言ったので、わたしが横から「練習したけど、悪いところを指摘しても直そうとはせず、悪いままで何度も繰り返し続けた」と、チクってやった。悪いけど、チクった。
 「お母さんはヴァイオリンについてはよく知らないかもしれないけれども、ピアノやフルートをやって、悪い音ぐらいはわかるんだから、指摘されたら聞かないとだめだよ。おうちの人が一番の観客なんだよ。聴かれてることを意識したら、コンサートでも上がらないよ」「聴いて、指摘してくれるおうちの人には感謝しなきゃだめだよ」と、先生が言ってくれたので、わたしは思わず拝んでしまった。

 当日。かなり緊張している。まず、なにを着て行くかで悩んでいる。大したものは持ってない。「かわいくして目立つなら、ちゃんと演奏できないと恥ずかしいよ」と言ったら、いきなり復習を始めた。

 ノエミの番の15分前まで、先生の姿が見えず、リハーサルもできなかった。トイレにこもって練習するノエミ。かなり上がってるなあ。恥ずかしさというのは、年とともに強烈になるものだろうか?

 先生からは、「素晴らしいできだった。よく勉強した成果が出たね。」と、褒められた。先生から「ありがとう」と言われて、「ノエミ、先生にお礼言いなさい」と言ってしまった。

 コンサートに行くといつも、演奏する子どもたちが観客にも、伴奏してくれる先生にも、お辞儀や挨拶をしないことに、いらつく。素晴らしい演奏ができた時に、支えてくれた家族や、教えてくれた先生に、感謝の言葉さえ言えないことに、腹が立つ。そういう気持ち、音に出てるな〜と思う子どももいっぱいいる。つまらなそうに演奏する子どもをみると、「親に無理やりやらされてるのかなあ」と心配になる。

 とりあえず、ノエミは不満足ながらも、先生には褒められるような、力の出た演奏ができたらしい。よかったよかった。

2007/12/18

成績についての話し合い

 1学期が終わったので、成績や学校生活について、個人面談が行われた。

17時ーSVT Sciences Vie et Terre 生物学。。。みたいなもん。「ノエミおしゃべりを控えて」という注意。tres bon

17時5分ー地理。学級担任。学校の建物も知らないのに、1番目の先生と2番目の間に5分しかないというのは、なんてことだ。。。先生との約束を取り付けたノエミを恨みつつ、校内を走る。Excellente

17時15分ーフランス語・オキシタン。えこひいきをする先生。が、ノエミは好かれているらしい。「こんな子だったらクラスに50人居ても平気」と褒められる。「ところで木曜日の引率頼みますよ」と頼まれる。わたしも好かれているらしいが、褒められすぎて気持ち悪い。

17時25分ー数学。先生の前に座った途端に「何も言うことない」と言われる。が、構内走り回ってるわたしはちょっと座り込みたい。字が汚くても、まあ、読めれば許すそうだ。TB(トレビアン=とても良いという意味)ノエミの大好きな先生。わたしは数学が苦手だから、数学の宿題は全然見てあげられない、と言ったら、「ノエミは一人で大丈夫」と言われてしまった。だろうな。数学は「血」には関係ないんですね、と先生に言われた。

17時35分ー体育。「ノエミ、いい子だけど、バレーボールがどうもねえ」ほら来たね。ノエミの平均点を下げている教科。体育は「血」に関係あるのだ。「転びませんか?脚がひん曲がってるので」と訊いたが、先生はノエミの脚に気づいていなかった。どこに目を付けてるんだろう?

18時5分ー美術。暗くて一番ぼろい校舎に人影はなく、先生はだれも待っていない様子で暗がりに座っていた。じつはこの先生に会いたいと思っていた。ノエミが書いた大きな瞳に、最高点をつけてくれた先生だ。いろんな世間話をして、ノエミの内面や、わたしの心の奥深くにあるものを、いろいろと読まれていた。さすがは芸術家だ。フランス語や数学の先生にどんなに褒められても、ちっともうれしくなかったのだが、美術の先生に「この子はまだまだ魅力を隠している。まだまだこれから花咲きますよ。」と言われたからには、安心だ。バランスの取れた、素直でいい子なんだそうだ。お母さんも、今まで通りでいいと言われた。

18時10分ースペイン語。ちょいミスが多い。熱心で、情熱を持って勉強しているのに、テストになると読み忘れや、書き漏れが多い。本当に実力が点数に現れていない、とのこと。

18時35分ーテクノロジー。パソコンとか科学みたいなことをやっているらしい。ほめちぎり。トレビアン

 どの先生も、ノエミを褒める。どこに行っても、他人には褒められる子だ。昔から。「何も言うことない」と言われるのには、すっかり慣れた。「お母さんはもっとこうした方がいいですよ」と言ってもらいたいんだけど、みんな「今のままでよろしい」と言う。
 
 今のままーーーガミガミ怒鳴る。しつこく愚痴る。うるさく言って無理やりやらせる。口答えをすると容赦しない。ナイガシロにされてるぞと思うと、つい攻撃してしまう。エラそーなことを言われたなと思うと、あげ脚を取る。鼻をくじくチャンスを狙っている。宿題などは勝手にやっていただく。わたしは恐ろしい母だなあ。

 来年の目標ーーー穏やかな人間になる。娘に優しくしてあげる。

 さて、クリスマス休暇目前。24時間態勢で家人と接するかーと思うと、ちょっと恐ろしい。感謝の心を忘れずにやろうっと。
なんで身内にはこんなにたやすくキレるんだろう。あ〜ア

2007/12/17

ニューカレドニア情報、草間美香さん




 フランス海外領土、ニューカレドニアのヌメア市で、89年から94年まで、日本語を教えていた。
わたしが学生の時に、人気女優主演の映画の舞台になったから、森村桂さんの『天国に一番近い島』の同名文庫本よりも、映画の映像の方が有名で、「ニューカレドニアに住んでた」というと、「ああ、きれいなところですよねえ。映画で観ました。」と言われることが多い。

 あんな美しい所では生活はのんびりとしていて、人はみんな優しく、みんなお友だちで、食べるものにも困らず、時間に負われることもなく、お金の問題なども起こらず、交通事故もなく、みんな長生きできて。。。そんなことを想像してしまうかもしれないけれども、そんな『楽園』は、ソーソーない、と思う。

 わたしはイルデパンという島のホテルに泊まり込んで、従業員に一ヶ月日本語を教えたことがある。1993年の年末だったと思う。当時のニューカレドニアはハワイ、オーストラリアに継いで、新婚旅行者の多いところだった。だから、ホテル、空港、船会社、ダイビングクラブ、お土産屋、免税店、銀行、病院の人までもが、日本語を習ってくれていて、日本人は大した苦労もなく観光を楽しめる島だったと思う。
 93年のクリスマスとお正月を挟む一ヶ月、わたしはよく海岸に座って夕日を見ていた。フィリピンの火山が噴火したあとで、太平洋には広い範囲で雲が掛かっていた時期だ。空は時間とともにオレンジから紫のグラデーションをなし、夕日は溶けて行くパッションフルーツ味のアイスクリームみたいにおいしそうだった。あれほどおいしそうなものを生み出せるのは、自然の力ぐらいしかないと思う。

 2002年にはもうフランスに来ていたけれども、友人や親戚が「あなたの住んでいたニューカレドニアで、すごい事件があったよ」と教えられた。「夢みたいな島だと思っていたけど、危ないところだったのねえ」と言われ、なんだなんだ?とびっくりした。

 その事件の裁判がこのほど現地で行われ、容疑者には15年の禁固刑が言い渡された。
けれども、まだまだナゾが残っている事件のようだ。

 ナゾのひとつ、2002年5月2日に、美香さんとイルデパンにいた、日本人観光客の行方を、関係者は必死に追っている。このほど、その行方探しの目的も含めて、もっと美香さんの事件を知ってもらうために、考えてもらうために、呼びかける報道番組が、日本で放送されることになった。

 21日の16h55〜17h20、テレビ放送(東京テレビ)の「速ホゥ!」という番組だそうだ。

日本の人、ぜひ見てください。そして、2005年5月2日にイルデパンに居た観光客は、ぜひ連絡してあげてください。美香さんの事件には目撃者や、証拠物件が少なく、わからないことが多いので、ほんの少しでも美香さんとすれ違った人は、連絡して欲しいのです。


「草間美香さん」で検索すると、このような記事が出てくる。

【シドニー13日時事】南太平洋のフランス領ニューカレドニアで2002年に旅行中だった千葉県出身の草間美香さん=当時(28)=が殺害された事件の判決公判が12日、ヌーメアの重罪裁判所であり、アントワーヌ・コニュ被告(42)に禁固15年(求刑禁固20年)が言い渡された。現地メディアは、同被告が上訴するとの見通しを伝えている。
 事件は02年5月6日、リゾート地イルデパン(パン島)の岩場で草間さんの遺体が発見され、警察はコニュ被告とその兄を逮捕した。しかし、物的証拠が乏しく、2人とも事件への関与を否定したため、裁判は開始が遅れ、今年11月下旬にようやく始まった。判決では、兄は殺害に関与していないとして無罪となった。

現地で行われた裁判の模様について、証言の内容などなどについて、現地新聞の翻訳はこちらのサイトから。
http://newcaledonia.x10hosting.com/index_jp.html

 日本のみなさん、よろしくお願いします。

カモ

 先週、JPは二週間連続でパリに行った。
「パリの弟たちのところに泊まってくれば?(そうすれば、わたしたちはルーズでクールな暮らしができるから)」と提案したのに、パリが大嫌いなJPは、一週目は夜行で行って、昼間の研修が終わったら、そのまま夜行に飛び乗って帰ってきた。
 二週目は、朝4時に家を出て、パリでお昼ごろに試験を受け、夕方ちょっと弟の家に寄って、夜行で次の朝早く帰ってきた。
 JPが留守の日にわたしは丸1日運転手の仕事をして疲れていたので、それを言い訳にして、わたしたちはピザ屋でピザを買った。もう少しで「テレビの前で、ピザ食べようか」と言ってしまいそうになったけど、母の理性と嫌な予感のために、その提案は口に出さなかった。
 ゾエは自ら「パパには内緒にしなきゃ」と言ったくせに、パパが帰ってきた途端に「ねえ、聞いて聞いて、ゆうべはお店で買ったピザを食べたんだよ〜。」と自慢してしまった。いつもは生地から手作りのピザだから、お店のピザというのはビッグニュースなのだ。

 遊びに来た友人に、「この前JPは、パリに行っていたんだよオー」と自慢していたら(上京というのはすごいことなのだ、田舎もんにとっては)JPが、「ア、そういえば、この前の試験に合格しちゃったよ」と思い出したように言った。3日前には結果をもらっていたそうだ。いきなり思い出すもの?
 「で?その試験に合格したら、どうなるの?パリ転勤?」
家人はいっせいに目を輝かせるのである。
 「どうって。。。どうも。。。1月から給料上がる、かも?」
「かも?」って。。。アンタ。。。カモ食べながら。。。。
試験受ける前に、試験に受かったらどうなるかぐらい、問い合わせたら?

とっちめようと思ったら、いきなりノエミがクイズを出した。
 「緑で、丸くて、上に行ったり、下に行ったりするもの、な〜んだ?」
答え「エレベーターに乗ったグリンピース」

 やっと食卓が静かになった。

冷たい空気をものともせず、ノエミが続ける。
「サンタクロースは、どうして赤と白の服を着ているのでしょうかあ?」
答え「コカ・コーラの回し者だから。いいおじさんのふりをして、赤と白のコンビネーションを、消費者の脳裏に刻み付けようとしているんだよ」
 中学のクラスメートの中に、こんなオンナが居たら、絶対に好きになれなかっただろう。

 「ああ、このグラトンおいしいねえ〜。なんでグラトンはグラトンっていうの?」
ゾエが話をそらす。
「グラトンはグラ。。。つまり、カモの脂身だよ。ゲゲ〜。そんなもんがよく食べれるね、アンタ」
ノエミは言いながら吐きそう。
その割には、豚肉のパテなんぞをパンに塗りまくっている。
「豚のパテはちょっとフォアグラに似てるから大好き」
似てませんってば。ぜんぜん。

 「コーラの好きなアメリカ人は、フォアグラっていうのは動物愛護に反するから、そんなものを食べるフランス人に抗議しているんだよ。」
 「おばあちゃんは、ウサギや子鹿やカエルやカタツムリを食べるのには反対だけど、フォアグラには賛成だから、きっとクリスマスにはフォアグラを出してくれるよ。」
 この前義父母が来た時に、5食分、わざとベジタリアン・メニューで責めたら、「お肉も出さないなんて、食費までケチっちゃって、生活苦しいのかしら?」と言われたらしい。

 クリスマスには、ナルボンヌのJPの実家に行くカモしれない。カモじゃなくって、きっと絶対に、なんとしてでも行くだろう。

 あそこには食器洗い器があるし、コーラも飲めるし、フォアグラも食べられるので、行くのがとってもうれしいー。(と念仏を唱える)

 年末で楽しいのは、食べ物のことを考える時だけだにゃあ〜。

2007/12/11

呪われていた。

  わたしは水に呪われている。

ので、どうにかしなければと、常日頃思っていたら、友人《か》が、《水》にありがとうと言ったらいいよと教えてくれた。
「人間の身体は水で出来ているんだから、水を飲まなきゃだめだよ。飲む時に感謝の言葉をささやいたらいいよ」
ふむふむ。わたしはこのような怪し気なシューキョーに弱い。

 わたしは、じつは1日のうちに《水》をほとんど飲まない人間だ。
1リットルの瓶をテーブルの上に出しておいても、水面が腐るまでに底に到達できない。
《水》を飲んだら、トイレに行きたくなる。
《トイレ》というところが、あまり好きじゃない。

先の友人《か》はまた、こんなことも言う。
「願い事を唱え、感謝の気持ちでおトイレのお掃除したら、ツキが回ってくる」と。

それで、この頃のわたしは夕食のとき「お水の神様、今日も元気に過ごさせてくれてありがとう」と言いながら、コップの水を一気飲みしている。JPがびっくりしている。子どもたちもまたあまり水を飲まないので、興味を引くためにはちょっと儀式っぽくしようと思い、コップに入れた水を、頭の上に掲げて、台所の電気がコップの底できらきら光るのを見ながら、「お水様ありがとう」と大きな声で唱えてから、一気飲みしている。
 ノエミが「お水、ありがとう」と言いながら飲む。
 ゾエもまた、「ありがと」と言いながら、半分飲む。
よしよし。

 そして、わたしたちは、ふだんよりもトイレに行く回数が増えた。トイレと縁が深くなったので、「おんくろだろう、うんじゃくそわか」と唱えながら、おトイレのお掃除もまじめにやっている。

 9歳までおねしょをしていたので、「水を飲むな」と言われて大きくなった。どこに行ってもまず非常口の前にトイレを探す。おねしょをしていたのには、わけがあると思っている。幼い頃に住んでいた家は外に便所があって、夜にそこに行くのは本当に怖かった。

 あの頃住んでいた家は、本当にぼろくて、雨漏りもした。だから、大きくなったら、わたしは、ぜったいに、水洗トイレのある、雨漏りのしない家に住むぞと硬く心に決めていた。

 先週の週末、カーモーで暴風雨だった。風の向きのせいだろうか、屋根裏に雨が吹き込んだらしい。
夜中に暗い部屋で、「ポタッ・ポタッ」と悲しい音がした。
最初なんだかよくわからなかった。
 耳を済ますと、やっぱり何やら部屋の隅に「動く」ものがある。
JPが起き上がる。水滴は、キーボードの上に落ちていた。キーボードを持ち上げたら《ちゃぷちゃぷ》音を立てた。

 水滴の拷問というのがある。それは拘束された人の頭に1時間に1滴ずつの水を垂らすというもので、何時間でも何日でもそれをやると、捕らえられている人は、その水滴のことしか考えられなくなって、いつか気が狂ってしまうのだそうだ。。。。とっても恐ろしい拷問。でも、《雨漏りの刑》はもっと怖い。《一時間に一滴》どころではないんだから。1分に5滴ぐらい?疲れ果てて爆睡するまで、ずっと《ポタッ・ポタッ》と悲しげに響き渡る水滴の音。

 落ちて来る水滴を見ながら、最初は惨めな気持ちになって、自分がこんなみすぼらしい家に住んでいることを情けなく思った。風が強かったので、吹き込んだのだと数人に言われたし、その週末にわたしのような目に遭った人がご近所に何人もいた。

 恨めしかったけど、いちおう《お水の神様ありがとう》と唱えてみた。ちっともありがたくなかったのだが、お礼を口に出して言うと気分は軽くなる。そして「雨漏りのおかげで気分が良くなった」となる。
 きらきら輝く雨の粒がどんどん大きくなって、ついには重力に勝てなくなり、地球の真ん中に向かって降りて行く瞬間。粒が一本の線になってまっすぐ目的地にたどり着く瞬間。粒が床に落ちて割れて弾ける瞬間。大きな粒が割れて、小さな粒を四方八方に飛ばす瞬間。を、わたしは見た。
 家の中に居ながらにして、雨の観察ができるとは、感謝感激だ。
呪いは自分で解くものなのかな。
「感謝の大地に花が咲き、不平の嵐に花が散る」と、うちの美香ばあちゃんが言っていた。
《みのり》の《み》は美香ばあちゃんの《み》なので、わたしは家訓も受け継いで行かねばなのであるのである。



 「便所ののろい」 について描かれた、おもしろいアニメーションを見つけた。20分ぐらい。
とっても懐かしい思いになった。

http://www.dailymotion.com/video/x3k9u1_hanada-shounen-shi-episode-01_fun

2007/12/07

あっ!がんばれ。それっ、そうそう、えらいえらい。

 数週間前から、ちょっと緊張した気持ちで、この日を待っていた。
東京からパリに出張中のある百貨店の某氏が、夏に日本に同行させていただいた、チョコレート職人のミーさんに会いにいらっしゃるとのこと。その日ミーさんはパリに出張。チョコレート屋さんの人たちは総出で大忙し。1年の25%の売り上げを掛けたクリスマス商戦を前に、みんな休みなしで働いているため、空港までのお出迎えとお見送りはわたしにやってもらえないか、と指名された。(わたしだって別にヒマってわけじゃないんですけどお)
 
 「うちのレストランでお昼。みのりさんも、もちろんご招待」
ミーさんはお友だちのコックさんと、ひとつ星のレストランを共同経営している。
「ええ〜、わたしもデスかあ。ミーさんって優しいっ!」と叫ぶわたしに、
「わたしはおまえさんには、いっつも優しいじゃあないか?」
えーえー、そうでしょうとも。

 当日はJPが、パリ出張につき留守のため、子どもたちを朝8時20分から16時30分まで丸1日学校に預け、夕方はいつ帰って来れるかわからないので、モーガンに迎えに行ったあと、夜まで預かってくれるように頼んだ。助かるよ。

 アルビのレンタカー屋さんを9時には出なければ、空港に10時に着くことはできない。
でも、子ども二人を別々な学校に送り、犬の散歩をして餌をやり、そのうえ、家を出る時に乗った自家用車の調子が悪いとあっては焦るしかない。

 車は走り出したものの、大雨の中、ついにワイパーが壊れた。高速道路でいきなり前方が見えなくなってしまった。こんなことでレンタカー屋さんまでたどり着けるんだろーか。ワイパーは2、3回左右に動いた後、いきなり動かなくなる。何度も車を降りて、ワイパーをいじった。
「何キロ先にバス停留所があるからいったん駐車できる」とか、「あそこまで行けたら、だれかに頼めるかも?」などなど頭を働かせようとするものの、焦っているので集中力なし。
 ああ、せっかく化粧までしたのに、雨に濡れてすでにドロドロ。

9時過ぎにやっとレンタカー屋さんに到着。借りたのはルノーの《セニック》
 マニュアル車なんだけど、車内のいろんな仕掛けが自動化されていて、わけわからん。ミラーも窓もいちいち《ジー》という音を立てて勝手に動く。ミラーをちょうどいい角度に調節するのに、5分も費やしてしまった。焦る。
 なんと《カギ》なんてものはなくてカード。スタートボタンひとつで発進。サイドブレーキはナシ。「勝手にブレーキが掛かるから」と言われて安心したものの、ブレーキを解除する方法がナゾで、車が動かず。メーター類は全部デジタルで緑の光が目に痛い。ディーゼル車特有の《ゴロゴロー》という低い音も気にくわん!
 ワイパーを見てると眠くなるわたしは、ワイパーを止めたいんだけど、雨が強くて止めるわけにはいかず。
デジタル電光計と、雨と、ワイパーのせいで、目が痛くなってきた。が、しかし、老眼鏡をコートのポケットに入れてたら、さっき座った瞬間にまっ二つに壊れた。しまったあ〜。
 
 10時5分に空港到着。パリからの便は遅れていて、24分に到着との表示なので、ほっと一息お手洗いへ。
《お掃除中につき、立ち入り禁止》
もうひとつのお手洗いを求めて、空港内を横断した。
なんでトイレが空港の端と端にしかないんだ?
気づいたらもう時間が来ていたので、空港内を走る。
ゆっくり入ってる暇なんてなかったぞ。ぶーぶー

 お客様ご到着。ラフな格好。しかもほぼ手ぶら。
なんだ〜。緊張して化粧してソンした。(でも、もう化粧のけの字も残ってない)
ひとりは夏にも日本でお会いした方だった。なのに、相手にはすっかり忘れられていた。その代わり、会ったこともないもう一人の方には「東京でお会いしましたよね」などと言ってしまい、「いえ、わたしはずっとパリ駐在で」のお返事。どっちもどっち。
 
 アルビには11時半ごろ着いた。パリから帰って来るミーさんを待つ間、チョコレート屋さんの店内と、アトリエ見学。クリスマス準備真っ盛りの、華やかな忙しさの中、もうわたしにはここへ来ると恒例の、お楽しみ《試食会》
「これは、みのりさんは食べたことがないよ」
といって出されたものがあった。今週はまだ非売品なので、秘密。
   はああ〜〜おいしかったあ〜〜〜
チョコレートは精神安定剤。たちまち疲労回復。

 いよいよレストランでお食事の時間。お店からレストランへの移動で、道路と、駐車場の出入り口も間違ってしまい、アルビの町をお客さんづれでうろうろしてしまった。なのに《お客様は神様》お優しい

 お料理はゆっくり出て来るので、デザートまで食べている時間がなくなってしまった。みなさんはワイン通だから、ワインが飲めさえすれば幸せそう。でもわたしはデザートだけが生き甲斐だからショック。
しかもミーさんから「みのりさんは飲んだらだめだよ、運転するんだから」と言われた。
みなさんワインを飲むのが楽しそう。飲み方も、さすが、様になっていた。こんなに上手にかっこ良くワインを飲む日本人はそうはいない。ワインについてのお話も弾んだ。無念だ。仕事のお話は一切ナシ。
 パリ駐在員の方は、空港駐車場での第一声が「マニュアル車を運転できるなんてすごいですね〜」で、こんなわたしにいたく感心してくださっていた。実際には乗り馴れないレンタカーで、わたしが窓の開け閉めに戸惑ったり、たまにエンストしたり、キューブレーキを掛けたり、サイドブレーキの扱いがわからなかったり、料金所で手が届かなかったり、地下駐車場で隣の車すれすれだったり、パーキングで自分の車がどこにあるのか忘れたりするたびに、「大丈夫ですよ」などと励ましてくださった。
 地下駐車場などでは、
「あっ。がんばれえ〜。それ、そこだ。よいしょ。そうそう。。。」
などの遠慮がちなかけ声で、後ろの席からわたしを応援してくださっていた。

 パリの百貨店は、日本人観光客の駆け込み寺となっているそうだ。デパートの受付嬢に「パスポートなくなったんですけどお〜」とか「お金貸してください」とか「医者に連れて行ってください」などと申し出る観光客に、優しい笑顔で応対しているそうだ。偉いなあ。
 ミーさんが「みのりさんの運転は怖くないか」と訊いた時に「目を閉じてます」と正直に応えていらした。怖かったのねえ〜やっぱり。いつもはもっと速く走るんだよお。

 さて、帰り。引き続き大雨。しかも暗くなってしまった。自分の車のワイパーが壊れていることを考えて、自宅にはレンタカーで帰ることにした。
 子どもたちは「ママンが新しい車を買った」と言って、大喜び。
カードをピッと押すと、ライトがきらきらっと光って全部のドアにカギがかかる。ピッと押すと車が「ぴっ」と鳴くのも面白がっている。
 JPがいないので、今日は宴会。なななんと、夕食代わりにピザと、ケチャップたっぷりのフライドポテトと、コーラを買った。こんな夕食は、はじめてだ。「パパには内緒だよ」とゾエが言っている。「空き缶を隠さなきゃ」とノエミが言っている。ついでにノエミは「コーラは科学者が実験を間違ってできた、危ない飲み物」などと言って母の神経を逆撫ですることに成功し、自分は成分表を読みながら、缶入りの甘いお茶を飲んでいた。(ああ苛つく)

 ほとほと疲れた。「今日も1日事故らず帰宅できました。感謝します」と唱えながら、水を飲んで寝る。

2007/12/05

Sans clope je suis au top !

ノエミが学校から帰るなり、
「1年に3000人ぐらいの人が亡くなっている、ひとつの大きな原因はなんでしょう?」
とクイズを始めた。
「なんだろう?お風呂での水死事故?」
応えは
「他人が吸っている煙草の煙のせいで亡くなる人の数だよ」
そりゃあ大変だ。

 全国で「タバコを吸わない、吸わせない運動」熱が高まる中、ノエミの通うヴィクトル・ユーゴー中学校でも《煙草撲滅》宣言を行うことになったそうだ。先日高校の前を通った時に、《学校から煙草を追放しましょう》というのぼりが上がっているのを見て、「なんだ、ここでもか」と思ったけれども、まさか中学校でも《撲滅運動》だなんて。。。

 ノエミがもらってきたチラシによると、
中学校に上がる11歳というのは「新しい冒険をやってみたいお年頃」なのだそうだ。恋愛、海外旅行、一人旅、飲酒のほかに、危険なこと。。。つまり運転、麻薬、喫煙などなど。。。「ちょっと試してみたい」お年頃なのだそうだ。
 そういう時期に、家庭でどのようにバックアップしたら良いのか。アルコールや喫煙の依存症になってしまう前に、「体験」が「習慣」に変わる恐れと防止について、大人の注意をあおぐ内容だった。

 注目すべき記事2点
1)14歳から15歳の女子中学生のうち10%、男子中学生のうち9%が、毎日タバコを吸っているとのアンケート結果。
2)この時期に煙草に手をつけなかった若者の多くは、20歳以降も煙草に触れることはないというアンケート結果。反対に、中学生で煙草に依存している人は、20歳以降もやめられない人が多い。やめられなくなってしまうことが多い、とのことだろうか。

「おうちの方へ」という欄にはこんなことが書いてある。
健康について、有害な煙のない環境について、家庭で話し合ってください。子どもに健康の大切さや、ニコチンの危険(吸う人だけではなく、吸わない周囲の人に対してのリスク)について、身体に有害な物質に依存することの危険について、など話し合ってください。それを教えてあげるためには、大人もそのことについてもっと真剣に考えて、実践してください。見本を見せてください。

 このキャンペーンの企画で、ノエミのクラスではヨーロッパ規模のコンクールに参加することになった。
「クラス全員が、タバコを吸わないように、また、吸っている人には協力してやめさせてあげること。煙草をやめられない人は、吸う本数を減らすように呼びかけ、協力すること。」
 6ヶ月後に報告書が提出される。規定を守って煙草撲滅、あるいは減少に貢献したクラスは、アソシエーション《喫煙者のいないクラス》主催のアムステルダム観光旅行が、クラス全員に贈呈される。

(そこまでやらなきゃだめなんだろうか?という気もするけどねえ)

 以前は煙草を吸わない人のほうが、小さくなって煙を避けていたけれども、この頃ではどこに行っても喫煙者のほうに厳しい社会になってきている。喫煙者の中には、タバコを吸うことを「依存症」だとは考えず、「たしなみ、楽しみ、精神安定」などというちゃんとした理由を掲げている人もいる。
 わたしがチョコレートをやめられずに「これは精神安定剤」といってるのと同じかな。隠れてチョコレートを食べなきゃならない時代が来たら悲しすぎる。

 夏休みに我が家に泊まったお客さんがヘビースモーカーだった。行く先々で喫煙者のためのテラスでお茶することになり、彼女は自分の子どもに煙が流れないことにはとても気を遣っていたけれども、わたしの子どもたちには煙が流れて来ていたから、腹がたった。うちの子たちは匂いを嗅いだだけで気分が悪くなる。
 食事の後は必ず「ちょっとタバコ吸ってくる」といって外に出るので、片付けや洗い物を手伝ってくれることなどなかったし、さあ出掛けようと言うと「タバコを吸い終わるまで待って」と言われて、駐車場で煙草が減っていくのを待たされたりもした。
「人に迷惑かけないでタバコ吸ってる」と言われても、あまり納得できなかった。わたしはタバコを吸ったことがないので、気持ちがわからず、偏見を持っているだけなのかもしれない。

 「きれいな空気プロジェクト」を実践しようとしている友人は、「タバコを吸える場所」をもっと詳しく案内できるように、自分の意志で煙草をたしなむことや、その行為に癒しを求めている人などにとっても、同じく優しい社会になるように、と心を砕いた企画を立てている。
 「ボクメツ・ボクメツ」と言ってるわたしとは違う視点があるんだな。「吸う人、吸わない人」のいる世界で、かたっぽだけの肩を持つのは釣り合い取れないのかな?と、わたしもちょっと反省してみた。

 「男女平等」とか、「世界はみなひとつ」とか、「弱いものを救おう」とか、まあ、いろいろ叫ぶ前に、足して2で割った対策も肝心なのだろう。フランスではこの1年、やめたいと思っている人のために、煙草の専門家に相談する費用や、治療に必要な薬の割引保証なども率先して行われていた。禁煙席を設けるという規定を守らないカフェやレストランへの罰金。禁煙席を設けるための工事費用援助なども。

 タバコを吸い続けようが個人の勝手だけど、きれいな空気には賛成。

 《喫煙者のいないクラス》運動 のオフィシャルページはこちら
http://www.classesnonfumeurs.org/concours_krea/concours_krea.asp

《煙草撲滅》を叫んでいる人の、肩の力を抜くゲームはこちら。フランス語がわからなくても遊べます。
http://www.classesnonfumeurs.org/jeux/smoke_invaders.asp

センセイもどきもやっぱり走る 師走



カランドリエ・ダヴァン を出した。クリスマスを待つカレンダー
我が家のカランドリエは、JPのお母さんが刺繍で作りはじめて、わたしが仕上げたもの。
1から24の数字があり、そこには小さな金の輪っかがぶら下がっている。赤と緑のビロードの袋には、キャンディーやチョコレートを詰めて、数字のところに引っ掛ける。子どもたちは毎日毎日日付の数字の袋を開く。
あっという間にクリスマスがやってくる。

 カランドリエ・ダヴァンは11月の間に用意しておかねばならなかったのに、すうっかり忘れていた。
12月5日の本日はノエミの11回目の誕生日で、この前の週末には義父母がお祝いに駆けつけていた。12月1日に義父母がやって来たが、11月の最後の週からずうっとわたしはドタバタしていたので、例年は12月1日から出すツリーの用意も、まだできていなかった。お掃除もしてないのにツリーを出すと、大掃除もできないままに年を越して、1月の終わりまでツリーが埃かぶってウロウロすることになる。
 ツリーは3日に出してみたものの、子どもたちもわたしも忙しくて、5日の今日までまだ出来上がっていない。親のクリスマスに対するテンションが低いせいか、子どもたちのノリもイマイチだ。
 隣のアラブ人家庭が、玄関の目立つところに派手なリースを下げて、ご近所で「アラブ人のくせに」と陰口を叩かれている。でも、クリスマスは子供がいる家庭ではどこも派手にやるんじゃないだろうか。我が家を除いて。

 ノエミが腰が痛いというので、わたしは数年前に矯正器具まで強制された、脚のゆがみのせいで、とうとう腰にやって来たのかな〜と考えた。医者に連れて行くと、腰はどうもないとのこと。けれども、左足外側のみに集中する靴底の消耗と、極端な内股歩きを見て、マスリ先生は「こりゃ〜変な脚だ」と言った。いろんな所に電話して、専門家だの、教授だのと敬称のついた人たちと話をした後、ノエミの腰から下のレントゲンとスキャナーを取り直すように言われた。2004年に撮った写真は、もと外科医のマスリ先生にも、専門過ぎてチンプンカンプンだというので、知ってる先生に取り直してもらって、自分で意見を聞きたいと言った。

 昨日、レントゲンに連れて行くと、マスリ先生が予約を取ってくれた骨の専門家は、予定変更で別な病院にいるという。また車に戻って、違う病院に移動した。16時45分の約束で、自宅に帰ってきたのは19時だった。JPがゾエにオムレツを用意しているところだった。
 結果をマスリ先生に持って行き、意見を聞く。 
 おそらく、モンペリエの大学病院にいる、有名な先生のもとへ送られるだろう。身体に異常はないのだそうだ。もしかしたら、将来的に腰の骨に影響を及ぼすかもしれないけれど。
 それにしても「脚のバランスの美しさがちょっと。。。」という理由で、手術やたいへんな治療や、ものものしい強制器具をつけろと言われたら、どんな返事をしたらいいのだろうかと、悩んでいる。
 「美しくなるには、苦しまなくてはならない」と義母などは言うけれども、子どもが苦しむくらいなら、べつに、特別美しくなくても良いのじゃないかと思ってしまう。いつも着物を着せて、ぽっくりで歩かせたらどうだろう。

 ノエミは11歳になった。今朝も子どもが犠牲となった事件のニュースを聴きながら、そして、20代後半まで元気に成長しておきながら、両親にさようならも言えないまま殺されてしまった美香さんの、ニューカレドニアでの裁判のことを思いながら、「ノエミ、よく11年も生き延びてくれた。」と胸をなでおろす。

 その割には今朝もはよからキレて、「おまえはもおー!」と怒鳴り散らしてしまった。わたしもよく脳内爆発などせず、11年も生き延びたなーと思う。

 さて、本日も走る。シュー

2007/11/29

ぽろりん

 数ヶ月前に、ある友だちが教えてくれたCDのバックで、「びよよ〜〜ん」と鳴る弦楽器に心を惹かれた。
その「びよよ〜〜ん」という音は、コマーシャルなどでは、よく、ババクールな人がヨガか座禅をやっているようなシーンで、登場するような音。聴いたら「その音、わかる」という人もいるに違いないけれども、わたしは数ヶ月の調査でなお、その楽器の名前を見つけられずにいる。

 アフリカの《べんべん楽器》なるものを持っている。これは確かにアフリカで見たことがあるので、アフリカのものだと思うが、わたしのはJPがフランスのどこかの「エコロジー市」で手に入れた。アフリカでは、ひょうたんみたいな植物の固い実を二つに割って使っていた。わたしが個人的に《べんべん楽器》と呼んでいるソレは、イワシの缶詰の空き缶と、そこら辺で拾った板きれと、ヘアピンみたいな金属の棒でできていて、その金属の棒を「べんべん」と指で弾いて鳴らし、歌のバックに参加させる。「音階はテキトーだから、主役にはなれないけどごめんね」と言われてプレゼントされたが、わたしはその金属の棒の長さを調節して、テキトーな音階を作ることに成功した。だから、「アフリカのものとおぼしき、缶詰で作られたべんべん楽器」で、「サクラサクラ」と「キラキラ星」辺りは演奏できるようになった。

 オーストラリアの原住民・作と思われる、キッチンペーパーの芯で作ったらしき、《ぐわんぐわん筒》もある。《ぐわんぐわん筒》は、その名の通り(わたしだけがこう呼んでいるのだけど)内側にくっついているぐるぐる巻きの針金を床に向けて垂らし、筒を縦に持って、南半球でお風呂の水が地球の真ん中に吸い込まれていく方向に《ぐるんぐるん》とゆっくり回すと、びろびろの針金が筒の中で《ぐわんぐわん》と音を立てる。これは、「嵐の前触れを表現したい時」や、「家族が恐怖映画の前で息を呑んでいる時」などのBGMに最適。

 JPは、なにかっていうと、わたしに楽器をプレゼントしてくれる。

 イタリア製のオカリナだって持っている。この前トトロの映画会のあと、子どもたちがさつきとめいの演奏している楽器のことを知らなかったので、オカリナを持って行って「こんなんだよ」と見せてあげた。穴を全部指で塞いで、一番低いところで「ホーホホー」と吹いてあげたら、わたしはフクロウの物真似のつもりだったのに、みんなは「ハト」と言った。ううう〜ん。
フクロウはHoHOooで 、ハトはRourouou だと思うんですけど。。。

 そういえば、子どものころは小さな大正琴と、漆のはがれかけた木琴が遊び道具だった。狸の皮(?)を貼った和太鼓も持っていた。その和太鼓の皮には「遠藤清二郎のむすめ、みのり」と墨でサインまで残してあって、今でも手元にある。

 クリスマスが近づくと鉄琴を引っ張りだしてきて、「きよし この夜」や「ジングルベル」などを演奏すると、気分が出て来る。ゾエのために鉄琴を買ったその年のクリスマスに、わたしとJPは、JPの下の弟に「海」をプレゼントした。大きめのタンバリンみたいな、太鼓みたいな、木の輪っかの両面に動物の皮が張られた物体。その中に砂あるいは豆状の物が入っていて、木の輪っかをゆっくりと左右に振ると、「ザザーン。ザザーン」と波が打ち寄せては引いていくような音が出る。目を閉じてそれをやると、海岸に座っているような気分になる「癒し」の楽器だった。弟にプレゼントしてしまってから、自分のために確保しなかったことを後悔した。あの弟のことだから、今ごろはインターネット・オークションにて高く売りさばいてしまっていることだろう。しまったなあ。

 わたしのヤマハのキーボードは子どもたちに人気がある。ヘリコプターのプロペラ音がドレミを奏でたり、「小鳥のぴよぴよ」声とか「波のさわさわ」音で、演奏することもできる優れものだ。ピアノの中にはアメリカ人のDJも住んでいて、子どもたちが鍵盤を押すとYes! Comme on ! Let's Go !などと叫んだり、あるいは、レコードをキュッキュと鳴らす音まで出る。


 きのう図書館でSTING ・ SONGS FROM THE LABYINTH というCDを借りてきた。《スティング》だったのでつい借りてしまった。

 ある友人が、二月に東京ドームの《ポリス》のコンサートに行くというので、わたしはとおってもクヤシイー。
東京ドームの《スティング》のコンサートならば、行ったことがある!メシを抜いて大変な思いをして買った7000円のチケットで、豆つぶスティングを見た。ふんっ。
 それをいうと、周囲には「やっぱり《スティング》じゃなくて《ポリス》じゃなきゃあ」というような、センモンカみたいな友だちばかりなので、自慢にもならない。

 《スティング》だった から 借りてしまったCDだったのだけど、これは全然スティングじゃなかった。けっこうな拾い物をした。
1500年代に生まれた作曲家の音楽を、EDIN KARAMAZOVといっしょにアレンジしたもので、弦楽器《アーチ・リュット》なるものが奏でられる。《リュット》というのは、ヨーロッパの琵琶みたいなものかな?《ぽろりん》と泣けるのだなあ。。。うれしいなあ。
 つい先日、クラシックを取り入れたジャズというのを体験したけれども、中世の《ぽろりん》はポップのハシリだったんだなあと思った。中世はヨーロッパ史でも日本史でも大好きな時代。石のお城でスティングが《ぽろりん》やってる図を想像すると血が騒いでしまうのだあ〜。Fine knacks for ladies(訳/ご婦人用の見事な細工物)は踊りたくなった。じつはフランスではKnacksというソーセージがあるので、「女性のためのおいしいソーセージ」かと思ってしまった。わたしって一体。

 詳しくは、視聴もできるこのサイトで。
http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/sting/index.html

 
《食欲の秋》と《読書の秋》に押されて《音楽の秋》を忘れていたので、本日は音楽に浸っている。
《みのりの秋》も明らかに終わり。こんばん雪が降るかも〜〜。
さて、電気節約のため、そろそろ就寝。

ああ〜、明日の朝にはJPが帰ってくるう〜〜。あっという間の2日間だった。
 ダンナは元気でたまには留守 がいいなあ〜〜。ぶぶぶ

2007/11/28

ツキを呼ぶことのは

 おもしろいブログに出逢った。言葉と、出会いと、シンプルなこと、健康に関して、食べること、暮らすこと、そして読書のことなどなど。。。わたしの興味あることがいっぱい詰まったブログだ。教えてもらってから、食いつくように読んでいる。わたしの日記もけっこう文字が多いのだけど、この人のブログも文章が長い。そして、文章が美しい。たまに涙が出そうになる。

http://kansya385.blogspot.com/

 このブログ、やってるのは、昔いっしょに学校に通ったお友だち。当時は彼にこんな文才があるとは知らなかった。同級生男子にしては珍しく、ほっぺたが赤くなるぐらい、優しい励ましをくれたりもする。彼のブログは、ためになるちょっとしたおまじないのほかに、物の味方を変える方針、違う角度からものを見る方法、気分を変える術、報道されない真実などなど、興味深い内容が盛りだくさんで、本日のわたしは、おトイレを掃除するときに唱えるべき言葉を習った。
 昔から「便所を掃除する子は美人になるよ」と言われて、「美人、美人」と唱えながら、お掃除していたが、この頃は美人であることにもうほとほとあきらめがついた。美人でなくてもいいから幸福でありたいと。。まあ、そっちの方に関心が移行してしまった。
 さて、友だちのブログで、「トイレの神様うすしま明王様を大事にしたら、つまりトイレ掃除をしたらいいことが起こる」と書いてあったので、わたしゃあ〜、なびいてしまった。すっかりその気だ。
 さあ、明日の朝は、これを唱えながらトイレをお掃除するのだ!
 「うすしま明王様ありがとう。おんくろだろう、うんじゃくそわか」
 

 そのブログの彼が、「NPO法人きれない空気プロジェクト」っていうのを運営しようとしているらしい。いろいろ話を聞くと、我がダニエル家が目指す《地球に優しい暮らし》にとっても身近な精神がいっぱいつまったグループとお見受けした。
 わたしは有名人じゃないので、PRにはあまり協力できそうにないけど、いちおううちの公開日記でもご紹介させていただく。個人無料会員としては、とりあえず、「パーフェクトノースモーキング」のステッカーを貼って、フランスからの禁煙事情などなどの情報を提供するってことで、小さな協力を惜しまないことを決意した。興味のある方は、わたくしまでご連絡ください。

 さらに、同級生にしてアーティストの、朝隈としお氏によるイメージキャラクターも近々創作されるとのこと。これは楽しい。
彼のいつもの作品はこちら。
http://clayanimals.net/gallery.html

 そのほかにイメージ・ソング、イメージ・ポスター、イメージ・紙芝居、イメージ・人形劇、イメージ漫才、イメージ交響楽団などなど。。。頼まれていないけれども、わたしが勝手に募集する。どうぞよろしく。

 さて、電気節約のため、このわたくしメも、ついに夜更かしをやめるという。。。ヘビースモーカーが禁煙を決意するような、とっても大変な決意をしてみた。縄跳びと腹筋も続いているから、こちらも続けられるだろう。これも資源節約と、電気代削減のため。なにより早寝早起きをして、普通の人間と同じ時間帯に人間らしく暮らしてみましょうか、との気持ち。なんて前向き。
ニンゲン、日々成長しなくちゃあね〜。

 JPは、職場の労働組合役員となり、賃金交渉と定年退職後の保証制度改善に関する会議のため、先ほど夜行列車で首都パリに出発した。明日の昼間会議、夜はまた夜行で帰ってくる。おとといは中学校の役員会で教師陣を前に、4時間以上の食事抜き会議にも参加して、帰りが遅かったというのに。
 お父さん、がんばってる。

 さて、電気を消す。0時半に寝るとは、記録的な早寝である。まずまずの出だし。
おやすみなさい。

2007/11/27

ふぅ〜



ノエミによる20点満点のうちの19点をもらった、記念すべき《抽象画》の宿題。
テーマはREGARD (日本語にすると見ること、視線、まなざし、注視 だろうか?)


 火曜日は買い出し日。
 自然食料雑貨の店に行かなければならなかったので、ちょっと遠出する。自然にも身体にも優しいものを購入するために、などと偉そーなことを言って、わざわざ自動車でそこまで行くのは、この頃ちょっと億劫になってきている。
でも「豆腐」があったから幸せ。

  さて、場所を変えて、普通のスーパーへ。先ほどの店ではあまりにも高いものや、揃わないものが多いので、空しい気持ちではしごする。スーパーではクリスマスの飾りが華やかで、「3つでいくら」とか「ひとつ買うともうひとつはプレゼント」などのセールで、消費を煽っている。煽られて、バカさ加減に腹を立てながらスーパーを出ると、交差点に《あのお兄さん》がいた。
 
 《このお兄さん》は、夏にも同じ格好でここにいた。黒いコートに、背中には重そうなリュックサック。
《このような人たち》は、冬に凍死しないために、夏でも冬ものを持ち歩かなくてはならないのだ。おそらくSDFと呼ばれる人たち。サン・ドミシル・フィクス(住所不定の人々)ということ。夏にどんなに暑くても、持っているすべての服を身につけている。ボロボロのリュックに全財産を詰めて背負っている。夏に汗だくで身にまとっていたそのコートは、夏には「分厚いコート」に見えたのに、寒空の下で見ると、なんと薄いコートだったのだろう。交差点の信号が青に代わった。お兄さんがわたしの二台前の車窓を叩いている最中に、わたしの後ろの人がクラクションを鳴らした。

 過大消費を煽る巨大スーパーを出て、滅入っているところに、高級車のクラクションに後ろから煽られ、寒そうな「あのお兄さん」をバックミラーで見ながら、「来るぞ、来るぞ」とつぶやいていたらやっぱり来た。
ドドーッと涙がやってきた。
 月末が来て、年末も来る。そして反省や後悔や、いろんなものもやってくる。この時期が大嫌いだ。クリスマスのイルミネーションを見ると悲しくなる。

 買い物に出掛けた午前9時に1リットル1.39ユーロだったガソリンが、1時間半の間に1.59ユーロになっていた。

 来る時にはまだ通れた高速道路が、たくさんのパトカーと青バイに封鎖されていて、物々しい雰囲気だった。ラジオで「大型トラックと観光バス正面衝突を想定した、救急演習です」と報道しているので、ちょっとだけホッとした。

 お昼のニュース。パリ郊外で、2日前に警察のパトカーとの交通事故で亡くなった二人の少年の件をやっていた。交通事故で亡くなったと発表されたものの、捜査結果に納得できない少年たちの友人知人や、《その他大勢》が警察を相手に「暴動」を起こしている。このような郊外の事件にありがちな、《関連者》よりも《便乗組》の数がどんどん増えているというような状況。なぜか、なにゆえか、図書館や幼稚園が燃やされ、市民の自動車が焼かれ、商店街は壊され、盗まれ、市民はおびえて外に出れず、警察署も襲撃された。


 さて、気分転換にフルートの練習でもしようっと。優雅だなあ。。。

2007/11/22

エスカルゴ



Le soleil est parti et la neige arrive
おひさまは行っちゃって、雪さんがやって来る

 ゾエのクラスでは、エスカルゴ(カタツムリ)を育てている。
秋に子どもたちが集めたカタツムリを、水槽の中で飼っている。苔や木の皮、レタスの葉っぱや果物など、「食べるかな?喜んでくれるかな?」と思ったものを持参して、水槽に入れてあげる。。。という観察から始まった。
 それが「カタツムリに捧げるポエム」「カタツムリの歌」の練習。「カタツムリの身体」「カタツムリの活動」の観察に続いて、「カタツムリと書く練習」「カタツムリの表情をとらえて描く」「カタツムリの色を見る」「カタツムリの種類について調べる」さらに、「カタツムリの愛とは?」などなどなどのお勉強の対象になっている。
 「気持ち悪いけどお友だちになったら案外かわいいヤツ」など、友情のお勉強にも役立っている。さらに「ゆっくりながらも、確かに生きる」の人生勉強、「こんなつまらなそうなヤツも、必死に生きてるのさ」の哲学などなどなど。先生も、なかなかおもしろい題材を見つけたものだなあ〜。

 この前トトロの映画会に呼んでもらった。
 映画のあとで、また幼稚園に呼ばれて、映画の中で見た「お弁当箱」「ランドセル」「お茶碗」「おはし」「うちわ」「浴衣」などを見せ、日本の暮らしについてちょっとお話しさせてもらった。
 明日もまたほかのクラスのために呼ばれている。

ランドセルは従姉のみっちゃんにもらったお下がり。みっちゃんは物を大事にする子なので、とってもちゃんとしたランドセルだ。ノエミも、ものは大事にする子なので、きれいなまま残っている。
 持っているものは直ちに使うという方針のゾエは、ノエミが大事に隠してあったランドセルを引っ張りだしてきて、幼稚園のみんなに見せびらかしたあとは、ちゃんと毎日ランドセルで行っている。ご近所の人には変な目で見られるけど、トトロの映画で見た日本のカバンだから、幼稚園の子どもたちはみんなうれしそうにゾエを見守っている。

 今週は、ダンスの鑑賞会があり、月が変わると、クリスマス・パーティーがいくつも待っている。幼稚園には去年と同じサンタさんがやって来て、プレゼントをくれるそうだ。

 フランスの11月は、例年通り、全国でいろんなストをやっている。
鉄道はすでに一週間以上停止したまま。あるいは数を大幅に減らして運行。新幹線などは700便のうち300便は走っているらしいけど。
火曜日は公務員がストだったので、我が家はまたも、平日にして家人がゴロゴロしていた。JPは午後になってからデモ行進に出掛けていった。アルビでは8000人のデモ行進だったらしい。ノエミの学校の先生方も参加していたそうだ。

 年末が近づいている〜〜という雰囲気。
わたしは日本語レッスンが始まって、お出かけも多くなった。
ガソリンが1ヶ月前は1リットル1.26ユーロぐらいだったのに、今週は1.39ユーロになった。剣道に行くのもちょっと気が引ける今日この頃。でも、練習のある火曜日と木曜日は、音楽学校とレッスンの日なので、入会金払ったのに行けなくなってしまった。しかたないから、木刀で素振りをやっている。

 この年末はエスカルゴの人生訓でのんびりやる。ついでに冬眠も。

2007/11/20

きらきら輝く星

 ミシュランというガイドブックがある。それはレストランの評価ガイドブックとでもいうようなもので、フランスでも買っている人はいっぱいいる。たぶん、旅行のときのガイドブックと同じようなもので、「ちょっとぜいたくして、おめかしして、レストランでも行こうかね、という時に役立つ、ホシ早見表付き」ということになっている。

 今年三ツ星、二ツ星(星が多いほど良いという評価)に昇格したレストランの発表を見たら、この前帰国した時に入ったお店の名前があった。
 銀座の資生堂が経営している、ブルーノ・メナー シェフの 《ロオジェ》というレストラン。9月のこの日記で「40席の室内に、45人のサービス係が居る」と書いたレストランだ。奇遇にもブルーノさんは、9月に日本まで同行したチョコレート屋・ミーさんの、古いお友だちだった。
 もう一カ所、ミーさんのお友だちのレストランで《ジョエル・ロビュション》という名前のレストランもあるのだが、こちらはちょっと堅苦しいからと言って行かなかった。その代わりにミーさんのおごりで、同じロビュションさんの経営する《アトリエ》という店に行った。六本木ヒルズの、お金持っていそうな、若くて美しい人がカウンターでおしゃれにワインを飲むお店だった。わたしたちは当日の朝、ミーさんがフランスのロビュションさんに電話して、ロビュションさんから日本に電話してもらって、きゅうきょ用意してもらったテーブルを5人で囲み、どんちゃん騒いだ。
《ジョエル・ロビュション》は3ツ星で、《アトリエ》は2ツ星だったらしい。

 それから、12貫で3万円もするお寿司《神の手》と呼ばれる次郎さんのお店は、《すきや橋 次郎》というお店だが、そこはわたしは外されて、ミーさんとアーさんだけイイ思いをしたところ。(わたしは自由時間がもらえてユッピーだった)
 次郎さんは、ふだんはお店の隅にちょこんと座っていて、握りたい時にすっと立ち上がって、さらっと握って去っていくようなお人とお聞きした。ミーさんが「素材が新鮮で、お米の握り具合が抜群で、素晴らしいお寿司だった」と言っていたので、間違いないだろう。でも、あの80歳を過ぎた職人さんの次郎さんも、星に関心あるとはちょっと思えないような。

 あとで聞いたところによると、ミーさんと過ごしたレストラン三昧の日々、4-5人で入ると、一カ所で15万円から20万円の支払いだったらしい。実は毎昼、毎晩、《そんな》店で食べさせていただいていた。
 まあ、そんなことを前もって聞いていたからと言って、遠慮するわたしじゃないけど、確かに「通訳の方は食べる暇なんかないでしょうから、みんなと同じように注文するのはちょっと勿体ないかも」などと言われてはいたのだが、ところがどっこい、わたしはきれいに食べていた。どこに行っても。無駄にしてはいけないのだ。もとはしっかり取った。ふふふ

 「有名なレストランだから、話のネタに行ってみたい」ってことは、まあ〜、ない。そんなお金ないしイ〜。でも、連れて行ってくれるっていうなら、どこにでも行く。なんでも食べる。試食は怖くない。
 わたしはアフリカでだって、今そこで殺したばかりの羊を、住民と同じ鍋で、手づかみで食べてた女デス。食べる人間はどこででも生き延びていける。中国人をみよ。中華料理店はどんな田舎にでもあるでしょう。あれぞ、中国人が世界中に根を広げるテクに違いない。

 ちょっと、話がそれた。

 連れて行ってもらえる。しかも、お代はそちら持ちということで、わたしはまあ、本当によく食べた。ただ食べるのではなく、行く先々で、よそとの違いを教えられ、素材の見分け方や、調理の方法を習った。どのワインがどの料理に合うか。いま口に含んだワインは、どんな形容詞で表現されなければならないのかを教えてもらった。

 メナーさんも、《アトリエ》のシェフも、雇われシェフだから、星争いにはほかからのプレッシャーの方が大きかったと思う。でも、白衣で現れ、長いこと我々のテーブルの横でおしゃべりをしていったメナーさんの、繊細さと優しさと、まじめさと食に対する情熱と、美的感覚とインスピレーションは料理に現れていて、彼の料理が、もっともっと多くの人に味わってもらえたら、どんなに素晴らしいだろうと思った。でも、もう一度一人で行こうと思っても、ちょおっと手がでないのが残念だ。星が3つになって、来年はもっと料理の値段が上がってしまうのだろうか。ミーさんをそそのかして、《お友だち》の顔でテーブルを取ってもらえたとしても、《割引》は許されないだろうなあ〜。
 
 ガイドブックを見て、「話の種」にやって来る日本人で溢れかえるであろう、40席の小さなレストランのことを思った。
9月に行った時、宝石と高価な衣服に身を包み、お肌にもヘアースタイルにもお金と時間を掛けた美しい女性が、優雅にワインを飲んでいた。わたしみたいに一日中走り回ったせいで、ヨレヨレになってる服を着て、疲れた顔には隈ができており、髪は乱れて化粧の落ちた、変なオンナはいなかった。
 ただし、わたしは食の専門家たちと《食べに》行ったので、マナーを知らない割にかなりリラックス。「使いたいフォークを使えばいいし、嫌いなら残してもいい、好きならばわたしの分もわけてあげよう、チーズのお代わりはいくらでもどうぞ。それを食べた感想は、どうだね?」
実に貴重なひとときを過ごせたと思っている。

 3ツ星だから、2ツ星だから、あそこに行けよと奨めたりはしない。けれども、わたし自身はいつか機会があったら、ぜひまたメナーさんのお料理を食べてみたいなあ。もう一人《アトリエ》のシェフは、名前を忘れたけれども、あの《フォアグラのリゾット》は長く忘れられない味だ。日本であんな素晴らしいフランス料理が食べられるなら、わざわざフランスまで《美食の旅》なんて言って来て、パリのオペラ座近辺の日本料理店に入るとか、マクドに寄るとか、シノワで我慢するとか。。。そういう必要もなくなるというもの。日本人にとっては《フランス高級料理》を知る大きなチャンスだと思う。
 ただし、《フランス庶民料理》とか《フランス田舎料理》《家庭料理》《斬新な研究中料理》などと、自分にとっての《良いレストラン》だったら、20万円も払わなくたって開拓できる。お皿の中に季節があって、自然の素材が生きていて、雰囲気と味が自分にぴったりで、好みについてのわがままを言わせてもらえて、楽しく笑ったりお喋りすることが許されていて、子どもがいても迷惑がられないレストラン。それがわたしにとってのよいレストラン基準かな?そんな所だったら、予算オーバーでも、たまにはいいかと後悔しないかも。見つけられなければ、自分ちでいいよね〜。

 とりあえず公の場で《評価》されたことに対して、メナーさんたちに心からおめでとうを。

2007/11/15

少数派




ゾエが描いた、ユニコーンです。翼を広げて、空を飛んでます。
なんだか、夢がいっぱいでしょ?

 先日の個人面談のときに、廊下で並んで順番を待つ間、子どもたちは廊下や校庭を走り回っていた。
ノエミの小学校からは99%が《ビクトル・ユーゴー中学校》に入学したが、ほかに5つの小学校からも合流しているので、中学に入ってから仲良くなった友だちが何人もいる。

 「この前から話してた、プリシラを紹介するよ。」ノエミが張り切っている。
うわさのプリシラかア、どれどれ。

「プリシラ」という名前が怖い。昔、少女コミックで連載していた恐怖漫画で、プリシラというかわいい女の子が、大人をたぶらかして、切り刻むというのを読んでから、「プリシラ」という名前にはトラウマがある。
 
 ちなみに操り人形も怖い。
小学生の頃に、5歳上の姉が、毎晩「ツルコウ」っていうお笑いスター(?)のラジオ放送を聴いていて、《恐怖特集》で、操り人形が人間を滅多切りにするというお話があって、それを狭い子供部屋(というよりも子供用の離れ。親とは違う棟)のコタツでじっと聞き入ったシチュエーションを、今でも忘れない。そして、物語も忘れない。そのうえ《操り人形》の恐ろしさも、忘れない。

 子どもにそんなの読ませたり聴かせたら、いけないのだ。でも、うちの親はそんなの「読ませたり、聴かせたり」したのでない。「やめろっていわれても読みたい聴きたい」のが、子供ゴゴロってヤツなのだ。

 ノエミがプリシラを連れてくる。ノエミと身長は同じぐらいなので「小さい」方だろう。
「だからね、ほら、この子がうわさのプリシラ。この子は生まれたときから6本指だったんだよ」
はいはい、うわさには聞いておりましたが、ノエミの「たわごと」と思っておりましたんです。それにしても、本人の前でそんな紹介しちゃって、どんなことを言えばいいやらわからない。
 「ゴホン(咳き込む)ハハ。。。(ひきつる)まあ、ほかの人が5本ってところを6本もらえたんなら、なんてラッキー!神様も気前がいいってもんだよね」(ノエミを突っつきながら、目をそらす)
 言ったあとで「バカバカバカバカバカバカ」と心の中で唱えつつ、表現力の乏しさに深く反省。

「コンチハ。そうなの、うちはおばあちゃんも、お母さんも6本指で、従兄にもそういう人がいるよ」
いやあ〜明るいなあ。この子は。
「ほら」
おいおい、見せなくってもいいよ。

 思わず目を疑ってしまった。
「指が6本あったけど、赤ちゃんの時に、ここのところ切っちゃったんだよ。触ってみて」
なんか、信じられないぐらい明るいな、この子は。
ノエミが、プリシラの手の甲をなでなでしながら「ほらママンも触って」と言って、友だちの手を引っ張ってくる。
ノエミ〜、遠慮しろよ〜〜。目で合図してんのがわからんのか。

 プリシラの手の甲には、ブラックジャックのような切り傷がいっぱいいっぱいついていた。
一本分ぐらいの距離を残して、中指と薬指の間にちょっと隙間があるものの、顔を引きつらせつつも「なんだ、5本指じゃん」と、いちおうは言える。でも、じつに奇妙。
触ると、そこのところにちょん切られた6本目の指の骨があって、ちょっと恐怖だ。
 「ほらこっちも。それに両足の指も六本あったのを切ったんだよ」
いばるか?いやあ〜、それにしても明るいなあ。

 家に帰ってから、ノエミとプリシラについて話した。先祖に何人もそんな人がいるから、プリシラの親戚はけっこう平気らしい。だったら、生まれた子の指を数えた時の、親のショックも小さかったんだろうか?いや、ショックなどなく「あら、わたしと同じっ」て、嬉しかったんだろうか。
 JPが「おまえ、クラスのみんなにお尻の蒙古斑(もうこはん)見せたの?プリシラみたいに自慢できるのに」
蒙古斑は、白人には現れない。だからJPは、子どもたちが赤ちゃんのころは、お客さんが来るたびに、「お宅の子にはこんなのないだろう」と言って、ノエミのスカートをめくり見せびらかしていたものだ。
 産院でノエミのお尻の上に広がる大きな青あざ見て、看護士に厳しい目で見つめられた。彼はそのあざをみた瞬間に息を呑み、冷たくわたしを見て、走って医者を呼びに行った。そして「あの母親は生まれたばかりの赤ちゃんに体罰を与えている」とチクった。
 でもさすが小児科医。笑い飛ばして「アジア人だからしょうがない」と言ってくれた。

 ゾエは産院で「黄疸がひどい」と言われ、なんだか特別な部屋の、紫外線オーブンみたいなのに突っ込まれた。日本から来ていた姉は「日本人なんだから黄色いのは当たり前でしょう。うちの子たちはもっとまっ黄っ黄だったよ」と言ってくれたので、わたしにはプレッシャーはなかったけれども、産院では「黄疸。黄疸」としつこく言われた。

 いや、でも、それにしても、プリシラの場合はちょっと違うじゃないか。
ノエミたちの蒙古斑のような現象でもないし、ほかの人並に、手が器用に折り曲げられないのはハンディじゃないんだろうか。手術が必要だし、手術しても大きな跡が残る。新しい環境に入ると、必ずしばらくは陰口を言われたり、いじめられたりするそうだ。
 うちの子が6本指で生まれたら、そりゃあ、、、これまでそんな子どもを見たことも聞いたこともないし、、、やっぱりショックだと思う。心の準備はどうしたってできないだろうし、生まれた瞬間から子どもの人生を憂えて、誕生が暗い事実になってしまうかもしれない。見えないハンディだったらまだいい?そんな問題でもないよ。
 歩けない子だったら、泣かない子だったら、病気ばかりしてる子だったら、わたしはどんな母親でいられたんだろう。

 なのに、なに?この、プリシラの明るさと素直さは?
「ちゃんと字も書けるし、体育もできるし、指が6本のままだったら、ピアノも人より上手に弾けたかもしれない。でも、既製品の手袋買えないなあ〜ハハハ。」
 ちょっと動転していたので、忘れてしまったけれども、お母さんを紹介してもらえばよかった。どんな教育をしているのか、親の顔が見たいっ!

 従兄には、6本目の指を切らずに成長した人もいるそうだ。でも、その真ん中の指には骨がなく、ノエミの表現によると
「中指と薬指の間に、ソーセージみたいなお肉がぶらぶら下がってる」
あまり、想像したくないけど、それだったら、むかし近所にそういう少年が居たのを覚えている。指は5本で、小指がウインナみたいだった。とても元気で陽気な少年で、ご両親もとっても明るい商売人だった。少年が大きくなって、そのソーセージ部分を『処分』したとしても、日本で小指のない男性だったら、みんな道をあけてくれるだろう。いじめたりしないさ。わたしがその子の親だったら、ソーセージのような小指を維持して、堂々と生きていけというのか、自分もその一因となっているソーセージの存在を嫌って、いじめられる前に小指を処分して、道をあけてもらえと言うか。。。わからない。

 両足がないのに剣道をやってるアメリカ人を見たことがある。
「なんでわざわざ剣道を選んだんだろう。切手収集とか、写真や絵画。スポーツなら弓道とかオートマチック自動車のレースとか、そんなんでもよかったのでは?」
と思ってしまった。でも、彼は両足で立っている人に勇敢に向かって行くし、相手を近づけなかった。すごい試合だった。

 逆境をものともしない人は、いるんだなあ。。。
少数派だから《逆境》だと思ってしまうけれども、世界の中で恵まれているわたしのような人間の方が、《少数派》であることを考えさせられるビデオを観た。世界では、大多数の人々が、少数派の恵まれた人に『逆境』を強いられている。

 
 友だちから紹介された、このサイト、ぜひ見てください。
http://event.yahoo.co.jp/voluntarylife/moshimo/index.html
この内容は、《本》としても出版されています。
フランスでは子どもの本の書棚に並んでいます。

2007/11/14

会議 La reunion avec un S

J'ai ete convoquee au college. Noemie a fait sa belle rentree, le resultat d'examen au debut de 6 eme n'a aucun problemes. Comme d'habitude, quoi. Le professeur de matemathique m'a fait attendre derriere grande file d'attente pendant 2 heures et il m'a recu finalement 2 minutes a peine, " Bien... j'ai rien a dire..." a-t-il dit.
Le professeur de francais, avait un grand sourir , " je pourrai avoir 150 Noemie dans ma classe avec plaisir." Elle a ajoute que Noemie est tres ordonnee, reflechie, sage et calme, meme les garcons les plus agitees de l'ecole, ils l'ecoutent quand Noemie fait " Chut, les gars "
Tien ! c'est bizarre, ma fille a peut-etre deux visages? Je fais que lui crier et gronder... Suis-je trop exigeante?
En tout cas elle a l'air d'etre adoree au moins par ce professeur, tant mieux. Noémie est la deleguee de classe pour 4 eme fois dans sa vie, le conseil d'enfant la represantante a la mairie.... Elle pense tout le temps a ameliorer la vie des enfants. c'est bien.

En rentrant du college, je suis retourner a l'ecole pour une autre reunion de parents d'eleve. Nous avons parle encore et encore de probleme a la cantine, une autre comission se fera invitee surprise.

Un autre theme c'etait celui pour la fete du Houx le 23 decembre a Carmaux. Quant a moi, j'ai propose a faire du Maki-zushi pour les vendre. Je les ai fait gouter avec les rouleaux de printems crus, ils ont l'air d'aimer. On va en refaire avec les autres mamans, on va les vendre au marche pour la benefice de l'ecole.


 中学校で成績に関する個人面談が行われた。
時間も決められておらず、椅子もない廊下に行列を作って、わたしなどは家を出てから帰り着くまで、2時間半も掛かってしまった。
 フランス語の先生は、わたしの顔を見ると、素晴らしい笑顔で握手を求め、「お会いしたいとずっと思っていました」と、まるで映画スターのように丁寧な扱いを受けた。
 「ノエミみたいな子どもだったら、クラスに150人ぐらいいても平気。ノエミほど冷静で、物事を深く考え、クラスの問題が丸くおさまることを常に思い、クラスのまとめ役で、みんなに信頼されている子どもは珍しい。机の上はいつも片付けられ、ノートは美しく整理されている。素晴らしい集中力で、よく授業を聴き、質問には華やかな文章力でよくまとめたわかりやすい応えを提示できる。なんと豊富な語彙力!遅れてついてくるクラスメートを助け、何ごとにも熱心で諦めず、いつも笑顔で礼儀正しい子どもですね。親御さんはお幸せなこと。」

 じつは、毎年、個人面談では、ほとんど同じことを言われている。ノエミのことはもちろん褒める。本人はいつも口では「自分はだめだ」と言っているから、やれることをやれば充分と褒めてあげる。手伝ってあげたらもっと伸びるのかもしれないとも思いつつ。ここでよその優しいお母さんだったら「成績が良かったお祝いに」と何か買ってあげるらしい。でもうちはノエミの方がリッチだから、そういうのはナシ。そこで先生が「親御さんの教育がしっかりしてらっしゃる」とか言ってくれたら、まあ、素直に喜ぶけれども、はっきりいって、娘には申し訳ないけど、わたしは(たぶんJPも)けっこう不機嫌になる。そしてJPとわたしは
 「あいつは二重人格じゃないだろうか?」と見つめあう。

 学校で良い子にしているストレスを、自宅で発散しているか、自宅でのストレスは学校に行けば解放されていると見える。学校というところが居心地の良い所で、のびのびやれる所なんだったら、それでいいけど。確かにノエミの家は、父親は厳しく、母親は小言しか言わないんだから、おもしろくないだろうなあ〜。

 面談の前日にも「ノエミは諦めが早く、小言しかいわず、集中力はゼロで、考えは浅く、泣いて謝ればすむと思っている。ノートを上手にまとめることを知らず、メモ帳には書き漏れが多く、机の上は日々台風一過状態で、片付けるという単語を知らない。妹への思いやりはみじんもなく、父親には横柄で、母親のことを女中と思っており、『わたしはなんでも知っている』と考える傲慢なヤツで、信用するたびに親を裏切り、うそつきで、のろまでグズでおっちょこちょいで、字も超汚い!」
と言っていたところ。ノエミのことを叱りながら、「なんだ。まるで自分」と思い、「ああ、先行きが思いやられる」と嘆いていたところだった。

 宿題はほとんど手伝わない。復習もやってるのかどうかあやしい。数学の先生からは「復習をやらずにあれだけできれば、すごいけど、ノエミだったらあり得ます。学校でよく聴いているから。」復習はやっていないと思う。でも、本を読むのは好きだから、教科書を読むのも好きだ。目の前にあればなんでも読むんだから、来年度分のや再来年度分の教科書だって、置いておけば半日で読んでしまうだろう。でもそのせいで学校で退屈されたり、先生に偉そうなことを言っては困る。どうせろくな返事のできない母に「手伝って」と言うのは、彼女のプライドが許さないから、勝手にやっている。

 手がかからない子、なんだとは思う。

 ゾエは、ノエミの同年代のころよりかなり進んでいる。身体もきっとノエミより大きくなるだろう。プライドの強い二人のオンナの先行き(と、わたしの存在)が、ちょっと心配。あっという間に手に負えなくなるだろう。

2007/11/10

食べるのを減らせって言われてもお〜。

 わたしのこれまでの人生で、いま、一番、からだが重い。
確かに2度ほど妊婦だったこともあるので、もっと重かった時期もあった。

 ゾエを妊娠中、身長が148センチしかないのに、おへその周りが130センチもあったことがある。体重計の文字はお腹に妨害されて見えなかったので、発表できず。。。あまりのショックで、それ以降はメジャーをしまい込んだので、130センチプラスいくらまで記録を更新したのかは、なぞ。

 日本に帰った時に、同級生女子のほっそり若々しい身体に、うっとり。
「しじゅう」にもなって、あの少女みたいな体型は、一体、なに?じつは2月にまた日本に帰れそうなので、この前帰った時のように実家に到着した瞬間に「肥えたね」と言われないように、と、思っている今日この頃
「痩せてる」と言われたこともないけど、「肥えてる」もなかった。昔は

 毎朝のボボのお散歩。行って帰って来るばかりではなく、15分掛かる所まで歩くということにしてみた。帰り15分だから、30分歩いてしまうことになるではないか。よしよし。
 秋の枯れ葉が舞い散る公園。紅葉を眺めながら、さわやかなお散歩ができた。これからはどんどん寒くなるので、長続きできるかなあ。ボボの散歩は義務なんだから、ちょっと遠くまで行くのみ。

 「今晩は剣道に行くぞ」と決心してみる。
夜出掛けるには、昼間に家事を張り切らねばならぬ。パソコンの前に座っていてはいけない。掃除機を出す。二階にも持って行く。雑巾も掛ける。家事もテキパキ。あ、冷蔵庫が空っぽ。自転車を出す。自転車でお買い物。
シュシューっ。スーパーまではひたすら下り坂。らくちんらくちん。だが、帰りが怖い。ひたすら上りで、一気に疲れる。

 「剣道、今日は、休もうかな〜」
午後にはもうこんなことだ。あ〜あ。
本日剣道に行くには、剣道連盟の年間登録のために、健康診断書を出さねばならない。マスリ先生の診療所はきっと人がいっぱいで、今日診てもらえるかどうかわからない。たぶん無理。
「よし、見てもらえなくて、診断書を書いてもらえなければ、剣道は休み」
この段階では、ほぼ確実「剣道は休むことになるな」と思っていた。
診療所に電話。
「4時が空いてます。今日来てください」
おお〜なんてこと。子どもたちの急を要する診察の時には、いつも待たされるというのに!

時間通りにマスリ先生に診てもらえた。
「捻挫以来ですね。剣道やっても、危なくないのかな?とりあえず内診を。ちょっと動いてみて、息切れするかどうか。ほお〜なかなかスポーティーだねえ。心拍も上がらないなあ。血圧も正常。」
「あの〜。痩せたいんですけどお〜。栄養士とか、鍼師に会うには、紹介書が必要ですか?針で25キロ痩せたって人、知ってるんですよお。」
先生は、いきなり眼鏡をはずして、チロっとわたしを見る。
「25キロも痩せたら、あんた、どうなるね?」
「いや、25キロは痩せなくていいんです。でもあと5キロぐらいはねえ。」
先生はわたしの身長と体重を量り、なにか表みたいなものを見比べて、「太り過ぎラインには到達してないよ」と言う。
「これまでに痩せてたことあるの?あんたの体重、一気に増えたの?」
そんなにじろじろ見なくてもいいでしょう。ありませんよ。痩せてたことなんて
「おやつ食べるでしょ? 毎日の食事の量も多いんじゃ?」
確かに、食べます。食べるのがわたしの趣味ともいえます。そうですとも、食べる量が減らせないんですよお
「あとは、2.3キロ減らすぞ!という強い意識を持って、運動をすれば、ノーマルラインの真ん中ぐらいには来れますよ」
「健康でいられれば、痩せなくても大丈夫です。痩せてたことないんでしょ?」
確かに痩せてたことはありませんってば。そんなに何度も言わなくたって。

 というわけで、健康診断書を書いてやるからちゃんと登録して、剣道に行きなさいと言われた。

野菜たっぷりのスープを食べて、元気に剣道へ。
車で1時間ぐらい掛かる。道は混んでおらず、霧も出ていなかった。
けれども、ロデツの町で近道をしようと思ったら道に迷ってしまい、稽古に1時間も遅れてしまった。
でも、みんなに「たどり着かないよりも、遅れてでも来る方がマシ」と言われ、1時間みっちりお稽古に励んだ。

気持ちよかったのだあ〜。
帰りの車の中、鼻歌を歌いながら、かんろアメを食べてしまった。
ガリガリかじってる途中で「ア、しまった。せっかく減らしたカロリーを。。。」と気づいたときには、もう遅かりし。
ポケットにアメを忍ばせておくという癖をどうにかしなければ。ダイエットの前に戸棚とポケットの大掃除だあ〜〜。

日本に帰った時の《食いだめ》のために、がんばるぞお〜〜。

2007/11/05

ちょっとナルボンヌまで

 JPの両親が、7年前まで住んでいて、数年前から物置のようになってしまっていた、ウヴェイヤンの大きな家を処分するらしい。ナルボンヌとベジエの間にある小さな村だ。初めてフランスに来た時にもこの大きな家に泊まったし、ノエミが生まれた頃JPは船乗りだったから、JPが居ない時にはこの家で過ごしていた。

 わたしたちはこの村の小さな役場で結婚した。その結婚式の時には、奈良の従姉妹たちや指宿の友人たちが、わざわざフランスまで来てくれて、みんなこの家に泊まってもらった。家の裏庭にはミラベルとイチジクがたわわに実り、玄関には藤の花が咲き乱れる。冬はなかなか暖まらない天井の高い石の家だったので、大きな暖炉に火を入れて、きしむ革のソファーに並んで座り、8時50分からテレビで映画を見るのが、毎晩のお義母さんとの習慣だった。
 客室の脇についている浴槽は、昔の人サイズのまま、小さいバスタブで、シャワーのお湯はいつもぬるかった。台所の脇の食料庫には、夏の間にお義母さんが作るトマトソースの瓶が山と積み上げられていて、それをもらって帰るのが楽しみだった。石のらせん階段を下から見上げると、天井にはまん丸いガラス窓がついていて、暗い家の中心に光を注いでいた。階段の一番下には、ガラスでできた大きな玉がついていて、その玉のなかには色とりどりの泡が浮かんでいた。壁紙やカーテンは、お義母さんの大好きなブルーが基調になっていて、家のあちらこちらには、目を見張るようなブルーで塗られた椅子がぽつん、ぽつんと置かれていた。ノエミが初めての自転車で走り回った広い廊下の奥に、大きな木製の柱時計があって、クリスマスには柱時計の横に、天井に届くほどの大きなモミの木が置かれ、毎年みんなで飾り付けをした。柱時計は1年に2回、クリスマスの晩と大みそかの晩に、お義父さんがねじを巻いて、鐘が12回鳴るとみんなで抱き合って、ほっぺたにキスをしあった。
 台所は昔の人サイズの、低いシンクがあり、黄色っぽい電気がついていた。電球の脇にはニンニクが入ったカゴがぶら下がっていた。シンクの左にガス台と、そのまた左に冷蔵庫があった。大きな物入れの、どこに何が入っているか、わたしは知り尽くしていた。二段目の引き出しにはお義母さんが婦人雑誌から集めたレシピの山があって、たまにわたしはそこからレシピを拝借した。

 この家は、わたしにとっても思い出が詰まった家だ。真っ暗でホコリだらけで、ほとんどの家具はすでに移動していて、あんなにいっぱいいた猫も犬も居ない。台所は冷たく、ベッドにシーツは掛かっていない。イチジクの木もミラベルの木も枯れた裏庭から、だれの笑い声もしないこの家に入るのは、とっても辛かった。その家をあとにするのはもっと辛かった。

 わたしたちは、残っている家具や、JPと弟たちの思い出の品の中から、カーモーの家に持って帰れそうな物をリストアップして、一室に集めた。大きな家具やテーブル、椅子などを《予約》したので、近いうちにJPがレンタカー屋さんでトラックを借りて、家具を取りに戻るそうだ。ほとんどが組み立て式なので、お義父さんと二人で大丈夫だと言っている。
 本当はもらっても仕方のない物もいっぱいあった。でも、このまま置いて行くと、捨てるか売るか、次に入る人にあげるかだというので、じつは《物を捨てられない》お義父さんは、ガラクタでもなんでも、とにかく子どもと孫たちに持って帰ってもらいたいようだった。JPが冷たく「要らない」という物を、ノエミとわたしはJPの目を盗んで、手分けして箱詰めした。

 ずっと前から欲しいからちょうだいと言っていたのに、「亡くなったお父さん(JPのおじいさん)の物だから」と言って絶対にくれなかったアコーデオンとまな板も、「持って行ってくれ」と言われた。ついでに、古〜〜〜い、ピアノとヴァイオリンとフルートの楽譜が山のように出てきたので、それももらってきた。アコーデオンはちょっと修理をすれば元気になると思う。いつか、お義父さんの前でアコーデオンを弾いてあげようと思う。

2007/11/03

ジャズのコンサート

Nous sommes alles au concert de Jazz a Monestiers.
C'est le professeur de Violon de Noemie Monsieur Clavere et Le professeur de flute Monsieur Cazals qui organisent des concerts dans la chapelle Saint-Jacques, tous les premiers vendredi du mois. Ce soir un pianiste et une contravassiste ont ete invites de Toulouse. A la fin, une dame a chante All for you, c'etait manifique !


ノエミのヴァイオリンの先生とわたしのフルートの先生は、まだ30代前半ぐらいだと思う。二人でよくコンビを組んで、県内各地の小さなホールで、チャリティーコンサートを行っている。一昨年から何回か聴きに行ったが、とってもおもしろいコンビだ。たまに有料のコンサートもあるが、だいたい5ユーロから10ユーロぐらいで、子どもはいつもタダ。そして、子どもはほとんどの場合、うちの子たちぐらいしか来ていない。

 毎月第一金曜日には、我が家から車で15分ぐらいのモネスティエという村のチャペル(礼拝堂)で、有料のコンサートを行っている。フルートとヴァイオリンに、いつもプラスで、毎回違う楽器を招待しているらしい。先月はバラライカだった。聴きに行きたかったけど、行けなかった。あちこちで好評を耳にしたので、とっても悔しかった。

 ところで、このモネスティエという小さな村、《フランスで最も美しい村のひとつ》に選ばれている。前に《ロバ祭り》の日記で紹介したことがある。 シャペル・サン・ジャック には、世界でもとっても有名なお宝がある。
それは、キリストが張り付けになり、息耐えたあとに、お墓に納める儀式を描いた、15世紀に造られた等身大の像が、今もきれいに残っている。繊細な巻き毛や、服のシワも見事、色も鮮やかな、とても15世紀の彫刻作品とは思えないお宝だ。

 きれいな写真のサイトがあったのでご紹介
http://www.flickr.com/photos/9320052@N05/
Mise au tombeau というのが、モネスティエのチャペル内正面に置かれた、悲しみにくれるマリアやマドレーヌたちに囲まれるキリストの埋葬シーン。
Musee de Carmaux ミュゼ・ドゥ・カーモー は、カーモー(わたしたちが住んでいる町)のガラス博物館の写真

 この小さはチャペルで、本日は、フルートとヴァイオリンに加えて、コンタラバスとピアノのジャズコンサートが開かれた。ちょうど秋休みだから、行こうと思っていたら、フルートの先生から無料チケットをいただいたので、ラッキーだった。
 
 暖房のない小さな礼拝堂では、40人ぐらいの人たちが集まっていた。ときおりバッハや、シューベルトが乱入するジャズ。ピアニストは、ときどきピアニカを吹く。フルートの先生は、自分で改造した様々なフルートを持ち出す。フルートなのにオーボエみたいな低い音が出るのやら、ピッコロみたいでピッコロじゃない笛吹き童子の笛みたいなフルートもあった。金色に輝く、長ーーーいフルートは、前にも見たことがあった。いつも使っている銀のフルートも出て来るが、じつは、このフルート、市販のフルートと違う穴が閉じたり閉じなかったりする仕掛けで、この先生にしか吹けないのを、わたしは知っている。

 先生に挨拶をした時JPを紹介したが、約束通り、わたしがフルートを習っていることは黙っていてくれた。びっくりさせるのは、もうちょっと練習してから。でも、ヴァカンスの間は、JPがずっと家にいるのでちっとも練習ができない。この前は、JPがボボの散歩に行ってる隙に、おお急ぎでフルートの練習をしたが、いつ帰ってくるか窓から見ながら、落ち着かないお稽古をした。

 うちの娘たちは、代わる代わるおトイレに行きたがるので、わたしは2曲終わるごとに席を立ち、1曲は外で聴き。。。の繰り返しだった。教会の中は寒かったから、こういうこともあろうかと、ちゃんと通路側に陣取っていてよかった。

 後半は知っている曲のオンパレードだった。一番前の席に座っていた黒人の女性が、いきなり立ち上がって、生の演奏で『 All for you』 (すべてはあなたのために)を歌った。素晴らしい声だった。
『枯れ葉』も『サマータイム』もあった。(この寒いのに。。。)どれもアレンジされていて、クラッシックのような不思議なジャズだった。

 ゾエは大好きなジャズを生で聴けて、大喜び。ノエミとわたしはお互いのレッスン中には見せてもらえない、先生方の素晴らしいテクニックに感動して帰ってきた。やっぱりこの先生たち、すごい。ノエミと二人で、「こんな人たちに教えてもらえるなんて幸せだね」と言っている。

 来月はギターと、別な楽器だそうなので、また出掛けようと思う。

2007/11/01

ハロウィン



 うちの子どもたちは、テレビをほとんど見ないし、雑誌も買わないし、町を歩くこともないので、ハロウィンが近づいていたことを知らなかった。フランスは、イギリスやアメリカのようなハロウィンのお祭りの「本場」ではない。この単語を知らないお年寄りも多いし、玄関やテラスに飾り付けをしている家はとっても少ない。田舎だから、だろうか??

 11月1日はトゥッサン(万聖節)という祝日で、明日は「万霊節」つまり「死人のためのお祭り」だそうだ。フランスではお墓参りの習慣がある。学生は10月27日から11月8日まで秋休み。このヴァカンス期間中は、一年で一番交通事故の死亡者が多い休みだそうだ。死人に呼ばれるんだろうか?
 ダニエル家では、何もやらない。ダニエル家のお墓はないし、親戚付き合いもないので、楽だ。ハロウィンも、やらない。クリスマスだって大したことをやらないほど。ハロウィンのようなアメリカナイズな商戦?が、JPは大嫌い。

 でも、子どもたちは、ハロウィンの仮装行列が好きだ。

 うちには数年前にわたしが作ったフクロウの仮装用品一式と、お店でおばあちゃんが買ってくれたとおぼしき、魔女用品一式がある。
午後、シネグテ(映画のお金を払って子供用のアニメを見たあと、無料でおやつを振る舞ってもらえる水曜日の行事)に出掛け、映画館を出てから町を歩いていたら、魔女や吸血鬼や、悪魔や怪物にすれ違った。
それを見て、ノエミが「今日はハロウィンだ!仮装しなくちゃ」と叫び、いきなりゾエも目覚めて、自宅に到着そうそう、娘たちはフクロウと魔女に変身した。

 魔女はいきなりカエルやコウモリやキツネを鍋で煮はじめ、呪文を唱える声が家に響き渡る。フクロウは、ホコリや羽を飛ばしながら、あっちチョロチョロ、こっちチョロチョロ飛び跳ねる。吸血鬼がやって来て、我が家のドアベルを鳴らした時のために、玄関にニンニクをぶら下げる母。。。魔女は「ホウキはどこ?」などと言っている。フクロウは「アメを用意したの?」と叫んでいる。そして、吸血鬼や、悪魔や、怪物が、我が家のベルを鳴らすのを待った。来たら、アメの1個でもあげようと思って待っていたのに、誰も来なかった。子どもが少ない区域の、道路沿いの家だからねえ。。。日本人の家ではハロウィンなんて知らないだろう、とでも思ったか?

 化粧を落とし、パジャマに着替え、ベッドに入る9時頃、いきなりドアベルが鳴った。一瞬、なにが起こったのかわからず、わたしたちは身体を硬くして、ベルが鳴ったのは夢じゃなかったのかと、顔を見合わせた。
 「ハロウィンの続きだー!!」
ノエミが気づいて、いきなりパジャマの上から魔女の服をかぶり、階段を駆け下りて行く。
わたしはノエミを追いかけながら、「いくらなんでも子どもがこんな時間に出歩かないでしょ。どっかそこらのチンピラに違いないから、ドアを開けたらだめよ!」と叫んだ。でも、やっぱり、吸血鬼が来てるのかどうか、気になる。

 誰がドアを開けるかでもめているうちに、ドアの向こうから人の気配が消えた。
ドアを開けて、通りに顔を出したが、だれもいなかった。道路はしんとしていた。
 「なんだ、もうお隣に行っちゃったんだね」
ノエミが寂しそうな顔をしている。

 「おばけだったんじゃないの?」
ゾエの言葉を合図に、わたしたちは顔を見合わせた。
「ぎゃああああ〜〜〜〜〜〜」
急いでドアにカギを掛けて、廊下を走り回る。
 
 暗い階段の上で、JPが、冷たくわたしたちを見下ろしていた。
「ぎゃあ〜〜、ドラキュラ〜〜〜」

2007/10/28

冬時間

 夏時間と冬時間がやって来るたびに、いちおうこれを日記ネタにしているので、おなじみの人は「またか」と思ってしまうだろう。
   また だ!
 冬時間が来てしまった。朝9時半に目が覚めた。
じつは散歩に行きたくってしょーがないボボの叫びに起こされた。時計なんか読めないボボにとっては、腹時計が助け。
「9時半まで寝やがって!メシはどーしたんだよおー。早くおしっこ連れて行っておくれよお〜」の叫びだった。
9時半まで寝ちゃったなーと反省しながら台所に行くと、電子レンジの時計が8時半だった。でも、台所の時計は9時半。廊下の時計は8時半で、入り口に投げ出してある、わたしの腕時計は9時半。でも、JPの腕時計は8時半。
 もーわけわかんないので、ラジオをつける。

「アーシュ・ド・ゾエ」というアソシエーションが、ダルフールの孤児たち100人をフランスに連れて来ようとした一連の事件について、まだ報道していた。先日から、かなり気になっている事件だ。
 「アーシュ・ド・ノエ」と言えば、「ノアの方舟」ということで、この「ゾエの方舟」と名付けられたアソシエーションは、戦争や紛争で孤児となった子どもたちを助けるんでっす!というキャッチフレーズのONGなのだそうだ。パリの空港で「ステイ先」あるいは「養子先」となる予定のフランス人カップルや、家族が待ち構える様子をテレビで見た。
「2000ユーロ払ったんだから、子どもを早く渡して欲しい」とか、「恵まれない子どもを養子にして、自分の子どもと一緒に平等に育てている。養子には慣れてる」というような人たちのインタビューを聞いた。でもチャド政府は、その100人の子どもたちのほとんどに、肉親がおり、たとえ両親はなくても「孤児」ではないことや、養子縁組の手続きや、政府への報告がなされていないなど、「大量誘拐だ」として、「ゾエの方舟」の現地責任者などが逮捕されたらしい。たくさんの人がうさんくさいアソシエーションだと言っている一方で、「紛争で苦しんでいる子ども、食べるものもなく、面倒を見る大人もないんだから、自分たちが引き取って世話して、なにが悪い。見放せない!」と叫ぶ人たちもいる。でも、2000ユーロ払えば、だれでも引き取れるとなったら、犯罪のために売られる子どももいるかもしれないと思うじゃないの、そんなこと、考えるだけでも恐ろしい。

 その他、土曜日から秋休みだというのに、空港ではスチュワーデスやパイロットがストをやっているらしい。この時期に飛行機が飛ばなかったり、大幅に遅れたりというのは、大変だろうなあ。

 サッカーの試合、お天気。。。そして時刻は。。。

なんだ、そうだったのか、冬時間になったのだ。
もっと寝ればよかった。
でも、ボボの腹時計は、電子レンジのタイマーのようにはいかない。
そして、子どもたちも11時には「お腹減った〜」と言って台所に降りてくる。
今日の11時は昨日までの12時なんだから仕方ない。

 お昼は早く食べて秋空のもとへ、レッツ・ゴー。わたしはサイクリング、ノエミはローラースケート、ゾエも二輪車に乗れるようになった。日本から送った船便の小包が一ヶ月以上たってやっと届いたので、その中に入っていたお菓子を食べたり、おもちゃを組み立てたりしていたら、暗くなってきた。夕飯を作らねば。。。
 と、思ったらまだ5時。
昨日の6時は今日の5時なんだから、外が暗いのも仕方ない。でも、ノエミが学校から戻る時間は真っ暗になるというわけだ。
今週は秋休みなので、冬時間に身体を慣れさせるように、ちゃんと時計通りに暮らさねばならない。

 子どもたちは8時には目をしょぼしょぼさせていた。いつも苦労して9時に寝かせるけど、今日の9時は昨日の10時だから、その時間まで起きていられないんじゃないかな〜と期待していたのに、「明日学校はないんだから〜」とノエミがしつこく言って、ゾエの目を冷ますようなことを率先してやり、日本から届いた、音の出る平仮名練習帳で、しつこく平仮名のお勉強に取り組み、ちゃんと今日の時間の9時に寝た。ノエミの目覚まし時計はまだ針を合わせていないので、10時になっている。

 明日は「時計の針を合わせたよ」と言って嘘をついて、昨日までの時間にしておこうかな?「ほら、もう9時だよ」と言って時計を見せて、8時には寝てもらうという魂胆。
 が、しかし、5歳には通用しても、10歳には通用しないのだア〜〜。
理論のわかる歳になると、困るよねえ〜。

 あしたの朝もまた、ボボに1時間早く起こされるに決まっているので、早く寝ようっと。。。

2007/10/24

高校メーカー

 ミクシィというソーシャルなんとかというサイトに参加している。
「みの」さんで。
そこでも日記や写真を公開している。
ミクシィで《マイミク》さんのおぼうさまから、「高校メーカー」なるものを紹介されたので、さっそく行ってみた。
寒いので家でヒマしてる。

《名前を入れただけで性格判断》とか《血液で性格がわかる》とか、そういうのはインチキくさいと思ってるのだけれども、気になって行ってみた。
これ
http://maker.usoko.net/koukou/

自分の名前を入力すると、自分の名前の高校が出来上がる。

ーーーーーーーーーー
《遠藤みのり高校》
<校訓>  人情・惜敗・快感
<生徒数> 男子242名 女子207名 計449名
<データ> 偏差値40
<出身者職業ベスト3> 刑事・プログラマー・作詞家
<主な留学先> キリバス・モザンビーク・マルタ
進路 <昨年度>
大学進学率7.1% 就職率86.4%
大学32名(四年制24名 短期8名)
専修・各種学校17名
民間就職364名  公務員24名 家事・その他12名
校歌
糖尿病のこと忘れて 学問の香りかぐわしく 
スカイブルーのYシャツ 鬼より怖い校長夫人 
水はけ悪い教室で 心の狭い人になれ 
朝からずっと 遠藤みのり高校
朝からずっと 遠藤みのり高校 

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ふと思い直し、これ
《ダニエル遠藤みのり高校》

<校訓> 純愛・短期・夜食
<生徒数> 男子84名 女子281名 計365名
<データ> 偏差値54
<出身者職業ベスト3> 主夫・政治家・客室乗務員
<主な留学先> インド・シエラレオネ・タンザニア
進路 <昨年度>
大学進学率22.7% 就職率27.9%
大学83名(四年制60名 短期23名)
専修・各種学校99名
民間就職8名  公務員94名 家事・その他81名
校歌
変な笑顔の人になれ 「風林火山」の帆を下げろ 
カレーの匂いのこの校舎 マゾヒストの誇り忘れず 
一皮むける夏休み 青春一瞬また来週 
なんとなく ダニエル遠藤みのり高校
どーなってるの? ダニエル遠藤みのり高校

個人的に、今のわたしには《ダニエル遠藤みのり高校》がぴったりの気がする。
ダニエルになった途端に偏差値が上がるのは気に食わないなあ。
なにを隠そう《変な笑顔》と《風林火山》はわたしの戦略モットーだったのだけど。
《下げろ》と言われてしまったかア。ふふふ

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さらに、ちょっと気になったので、母校の《指宿高校》やってみた。

<校訓> 中吉・工面・横領
<生徒数> 男子229名 女子127名 計356名
<データ> 偏差値45
<出身者職業ベスト3> 通信士・野球選手・詩人
<主な留学先> トンガ・キューバ・ニジェール
進路 <昨年度>
大学進学率7% 就職率84.3%
大学25名(四年制2名 短期23名)
専修・各種学校31名
民間就職240名  公務員60名 家事・その他0名
校歌
季節感から逃げないで 堂々と「サバ」が好きだと声高に 
青春実習また自習 頭の弱さが命取り 
死に損ないの教師に恋をして セクハラすれすれ身体測定 
ゴー & ゲット たとえ夢だとしても
ゴー & ゲット 指宿高校 

指宿高校で、トンガ辺りに留学したいなあ、と思うような生徒は一人しか知らない。(自分か!?)

2007/10/22

今朝の気温は1度

 「寒いですね〜」が合い言葉になっているが、もう口もききたくないほど、寒くってしょーがない。この時期、いきなり寒くなると、肩もガリガリ音を立てる。身体が固まってる。寒いけど、空は澄み切っていて高く、並木は黄金色で、食べるものはなんでも、嗚呼、おいしい。
 月曜日。今週の金曜日から秋休み。

 週末は栗拾いにもってこいの行楽日和だったが、月曜日からずうっとやってて終わらなかった翻訳のシゴトのせいで、どこにも行けなかった。栗拾いもしなかった。
 ひまだな〜ひまだな〜と言っていると、シゴトはいきなりやってくる。しかも、嵐のようにやってくる。常に「ひまだな〜ひまだな〜」と言い続けていたら、シゴトもちゃんと入ってくるのかもしれない。
 シゴトがドドーッと入っている時に限って、学校の行事も重なる。会議も続く。そして、家のあれやこれや「今やらなくてもいいのに」ということを、いきなり片付けたくなる。そしておまけに、急にエコロジーな人間となる。
 
 「今週は絶対に車を使わない」と決めた月曜日の午後に、いきなりシゴトがドドーと入った。宣言してしまった以上は、歩かねばならない。買い物も、その他の雑用も、車を使わずにやり通した。時間が掛かる上に、すでに寝不足の身体には辛いのだけど、パソコンの前から離れて歩くことや、荷物を持つことが運動となって、これはちょっと病みつきになりそうな宣言となった。体重も少し減った。(が、その分お腹が空くので困る)

 シゴトというのは、翻訳の方で、今週もらっていたのは《ビタミン製剤》に関する「公開特許公報」の仏訳だった。ので、とっても難しかった。仏訳は、提出する前に必ずJPにどうにかしてもらわないと、どうにもならない。自分の本のあとがきと、次の本の準備と、剣道のボランティア翻訳もやらなきゃいけないし、溜まったメールに返事も書きたい。今週から日本語レッスンも始まる。

 日本で一緒に仕事をしたビジネスマン、《あー》さんから、メールが来た。
みーさんとわたしを時速9キロで走り回らせた、まじめなコンサルタントさん。
《みー》さんとの仕事で人生観が変わった、とのお話。
この頃は、時間に余裕を持って動くこと。仕事の合間に休んでお茶を飲んだりすること。無理に仕事を詰めすぎないこと。
かなりのんびりになったはずなのに、仕事にはさして支障もなく、仕事量も減っていないらしい。もちろん業績にも関わっていない。
約束の余裕を持つことで、気持ちにも余裕が出て、良い仕事ができるというようなお話だった。
 あの、超スピードビジネスマンのあーさんから、そんなうれしいお話が聴けるとは。「この人過労で先行きは長くないんじゃ??」と心配していたので。

 月曜日。わたしも午前9時に無事納品した。6ページの書類を提出した。ゆうべは3時まで。。。やらなかった。ちゃんと日付が変わる前に床に入った。あーさんのまねをしようと思って。おかげでもうひとつの仕事は片付かなかったけど、こちらはあと1日ぐらい待ってもらえるから。
 今週はビタミンをたっぷり取って、秋休みが来る前に一人でできることを、あれこれ楽しみながらやるつもり。剣道にも行こうっと。

ひと休み〜ひと休み〜と一休さんも言っていたなあ。(テレビで)

2007/10/19

Visite surprise a la cantine 学校の食堂事情

(同じ記事を別な日記でも公開しました)

 学校の食堂について、ひどいうわさが立っている。PTAの母親グループが、抜き打ちびっくり食堂訪問をすることになった。わたしもレポーターの一人として、レポートを提出した。(下のフランス語、まとめたのはナタリー)

 食堂の建物自体、規格外。子どもたちの声がこだまするうるさい食堂で、「頭が痛い」と出て行く子供もいる。多い時には150人が3グループに分かれて食べる。給仕をする大人は人グループに月2人。30分程度の食事時間中、給仕のおばさんは黙々と無駄なく立ち働いている働いているのに、手が回らず子供たちは冷たい食事を食べている。
「水が欲しい、パンがなくなった。」子供たちは常に叫んでいる。

 「全部食べなさい」という大人がいないし、確かにおいしくないし(老人ホームと同じ給食センターなので、老人と同じメニュー)、あるグループでは37人中26人が食べ残していました。ゴミの山。パンは食べ放題なので、パンだけむしゃついている子供が多い。「ボクはパンしか食べない」と言っている子供もいた。(まるで中学時代のわたし)

 ロッカーがないので、食べている子供の横で、ほうきや雑巾が転がっている。ゴミ袋はサイズが小さく、詰まってくると音を立てて、崩れ落ちる。わたしたちがいなければ、パン屑が空を飛ぶこともあるらしいし、デシベルはかなり上がるだろう。

 今週火曜日に行われた市役所職員との会議で、食堂の運営見直しを申し出た。でも、すでに3年前から同じことを言っているので、どうなることやら。


Le vendredi 12 octobre, avec deux autres mamans actives nous avons fait une visite surprise a la cantine comme representantes de l'association des parents d'eleves.

Voici le rapport que nous avons etabli et remis a l'association , je vous presente qulques ligne parmi les autres :

Organisation generale :

Avant d’entrer dans la cantine, un adulte verifie le lavage des mains puis place les enfants en fonction de leur comportement du jour.
Une personne pointe les eleves presents a l’aide d’une liste fournie par la mairie (10 minutes)
Le refectoire est constitue de 2 salles separees par la cuisine. Chaque salle dispose de son entree.
La sortie de secours se situe dans la deuxieme salle (la plus grande)
Les salles sont lumineuses et propres mais tres mal insonorisees, le bruit est insupportable, surtout dans la grande salle.


11h30 : premier service (65 eleves)

- Dans la petite salle ou dejeunent les eleves de CE2 : 6 tables de 6 26 enfants presents

- Dans la plus grande salle, les eleves de CM1 et CM2 sont 39. La salle est composee de 10 tables de 6 places dont 2 petites tables.

Les enfants sont places en fonction de leur comportement et agitation du jour.

5 personnes au service + la personne en cuisine qui aide au service (essayer d'etre present 3 dans chaque salle)
Pas d’encadrement. Les dames de la cantine n’ont pas d’autorite sur les enfants.

L’eau et le pain sont sur les tables, les enfants mangent beaucoup de pain. Une serviette en papier est fournie.
Apres le plat, les enfants rangent leurs couverts sur la table.
La premiere salle sort en premier.
Avant de pouvoir sortir, les enfants doivent respecter quelques minutes de calme et les tables sont liberees une par une sur la decision d’un adulte.
Sortie de la premiere salle a 12h10.

Suite aux discussions avec les enfants et personnel de service : Le repas est bruyant (plus encore que nous avons pu le constater car notre presence intriguait les eleves plus calmes pour l’occasion) provoquant des maux de tete a repetition.
Il est quasi impossible d’obtenir le silence complet et il est evident que le personnel eprouve des difficultes a obtenir le calme.


12h30 : second service ( eleves)

- 33 eleves de CP et CE1 dejeunent dans la petite salle.
- 37 maternelles dans la deuxieme salle.

Avant le repas, les maternelles sont pris en charge a 11h30 par un animateur du CLAE accompagne de 3 personnes mises a disposition par la mairie. Ces 4 personnes accompagnent les maternelles jusque dans la cantine, aident au placement des enfants et 2 des 3 personnes mises a disposition par la mairie restent pour aider au service.

Dans la premiere salle, 2 personnes au service aidees de la personne en cuisine.

Avec les maternelles, dans la plus grande salle, 5 personnes sont au service et aident les enfants.
Les maternelles sont servis en pain et en eau au debut du repas et resservis en eau une fois le plat servi.

26 enfants sur 37 ont laisse leur repas ( macedoine, gratin de choux ) sur l'ssiette pour qu'on jete a la poubelle.


La cuisine

Un seul four de taille insuffisante : les plats sont entasses au-dela de sa capacite et la situation s’aggrave si les plats en entree doivent etre servis chauds. Il faut un four plus grand ou un four supplementaire.

Le refrigerateur : les plats y sont entasses de la meme maniere que dans le four et ne permet pas la preparation des entrees et desserts a l’assiette.

Une seule table propre pas dimensionnee au besoin de la cuisine. Il faudrait une salle propre et une salle pour le sale (la cuisine est un couloir reamenage, le refrigerateur est place devant une porte condamnee)

Pas de placards a balai, les serpilleres sechent sur les radiateurs.

2007/10/15

週のまとめ

 10日の日記で書いた、伊勢エビとナポレオン(魚)の大量虐殺については、ニューカレドニアのテレビで「スキャンダル」として取り上げられた。インターネットでテレビのニュースを見ることが出来たので、犯人が処分を受けることもこの目で確認できた。
 ナポレオンも伊勢エビも捕ることは禁止されてはいないし、規制のキロ数にギリギリのところだったようだ。けれども、ニューカレドニアは世界第二位の規模を持つレシーフ(珊瑚礁)を誇っていて、それを世界遺産に登録しようという運動を広めているので、現地の役人がこのような無意味な自然破壊をすることに、世間の人々の批判が集まったようだ。

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 水曜日の午後、ノエミの耳の検査に行った。
何やらいろんな器具を使った難しい検査をしてもらった。耳にはまったく異常がなく、「ちゃんと聞こえている」と言われた。
 そんなこと、わたしにはわかっていた。聞こえないのは、自分にとって都合の悪いことだけなんだから。
昔となりに住んでいた《ツルのばあちゃん》も、耳が遠いくせに、悪口だけはよく聞こえていたもの。
 以前「骨折してるわけない」と思いながらも、ブーブー言いながら医者に連れて行って、じつは骨折していた経験があるので、学校から帰ってきて「医者に連れて行け」と言われると、やっぱり心配でとにかくブーブー言いながらも連れて行っている。今のところ連れて行ったことで、ちゃんと安心できているのだから、用心に越したことはないといわれれば、「はいそうですね」と言うしかない。
 ただ、先日はただの突き指なんぞで救急病院にまで行ってしまった。医者が「大事を取って」二週間の体育時間欠席まで言い渡した。おまけに「毎日テーピングをすること」などと言ってくれちゃったので、ノエミはふだん元気なくせに、都合が悪くなると「ああ、痛い、手が痛い」などと泣き声を上げる。もう青アザさえなくなったのに。ああ、腹が立つ。

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 木曜日、剣道。
気持ちいい。
近道を教えてもらったので、次回は1時間ぐらいで行けるかも。

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 金曜日。ノエミが学級委員に選ばれた。大丈夫なんだろうか?
そのうえ、市議会に子供代表として参加する《生徒代表》にもなった。
これは夏休み前に小学校のクラスで学年に二人選ばれていたもので、新年度が明けてから中学の代表として、市議会に参加することになった。今週は第1回目の会議。ノエミは学校周辺の交通安全について、いろんな提案を考えている。《学校周辺》と言うと、我が家が含まれるので、かなり私情もはさまれているんだけど。。。

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 土曜日、ダニエル一同、森へ栗拾いに出掛けた。4人で3キロぐらい拾った。じつは、幼稚園と小学校では、今年も去年に引き続き、クリスマス直前のクリスマス市に参加することになった。去年は母親たち手作りのクリスマス用品や、子どもたちが作成したカードなどを販売して、大きな収益を上げた。今年は焼き栗を売ろうということになり、今からちょっとずつ栗を拾って、冷凍しておく、ということが、この前の会議で決まったのだ。それで、我が家でも、ビニール袋に二つ分、冷凍して、あとは自分たちで焼きぐりなどにして食べている。
 2005年の秋には、JPが大量のくりクリームを作ったのだが、大変な苦労だったので、今年はまだ乗り気になれないようだ。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nozomidaniel/view/200510

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さて、新しい一週間が始まる。
今朝は、霜が降りていた。

2007/10/10

Qu'est ce qu'ils vont faire tous ces pauvres crevettes?



J'ai recu quelques photos de Nouvelle-Caledonie ou j'ai vecu pendant 5 ans et demi. Un message y etait ajoute : Les Pilleurs. A DIFFUSER LE PLUS LARGEMENT POSSIBLE

Je montre ces 13 photos ,une par une, a mes deux filles de 5 ans et 10 ans.
Il y a des hommes souriants, ils sont fiers d'avoir peche ces langoustes et aussi Napoleon le poissoin.
C'est vrai, moi aussi, dans ma jeunesse, j'ai fait une croisiere prive, peche de petit Napoleon ,manger en Sashimi, il est delicieux. Mais Gros comme ceci ne devrait pas si gouteux et beau comme il est, Napoleon est sans doute protege.
Faire les photos avec Napoleon , c'est beau !

Zoe dit soudainement : Oh, mon pauvre poisson. Il est si beau !

Quand elle a vu cette derniere photo des " Crevettes " : des kilos et des kilos, un tapis de grosses Langoustes, " Mais que vont ils faire tous ces betes, ils ne peuvent pas tous manger, ils vont juter ou quoi ! ? " a-t-elle dit l'air fachee.

" Peut-etre ils sont pecheurs professionnels et qu'ils vont vendre au marche? "
Noemie tente de justifier l'acte des adultes. Mais je sais qu'au moins un de ces hommes sur la photo est un politicien a Noumea. Et c'est d'ailleur le mail difuse a ete signe par un autre politicien local.

J'hesitais un instant pour la difusion totale de ces photos, puisque je ne suis pas fiere d'etre Japonaise moi non plus depuis que j'ai vu la viande de Baleine au supermache de Tokyo il y a un mois.
Je croyais qu'on a fini et commence a crriger nos betises.


友だちから「出来るだけ多くの人に送ってほしい」というメッセージ入りの写真が、送られてきた。
全部で13枚、5人の男性がクルージングで釣った魚(ナポレオンという魚)と、大量の伊勢エビの「戦利品」を見せびらかしている写真だった。

子どもたちに一枚一枚見せて行くと、5歳のゾエが、「アーこんなにきれいなお魚、食べるの?かわいそうに」とつぶやいた。
最後に、並べられたエビの写真を見て、「こんなにたくさん、5人じゃ食べきれないよねえ。捨てるのかな?こんなに捕らなくてもよかったのに。ガスピエ !(無闇に無駄にしている、ということ)」と言った。

ノエミが「猟師さんじゃないの?朝市で売るんじゃないの?」と言っている。
猟師じゃない。この中の最低一人は政治家で有名人だし。プライベート・クルーザーを持ってるお金持ちだから、市場になんか行きもしないだろう。恐ろしい世の中。

 でも、わたしも偉そうなことを言えない。
一ヶ月前、日本のデパートの地下食品売り場で、クジラの肉を見た時、ショックで倒れそうになった。
まだ、こんなものが平気でデパートの地下に並んでいるなんて。
 日本人ももっと成長した方がいい。すくなくとも5歳ぐらいの人生経験があれば、いろんなことがわかるんだから。

プレイモビル 子どもサイズ

遊ぶ時間が欲しい〜



 子どもたちの大好きな、プレイモビルのおもちゃ。本物のプレイモビルは子どもの小指ぐらいの大きさだけど、これはお祭りの時に来ていた、等身大サイズ。ゾエちゃんは大喜び。ノエミはうれし恥ずかし。
ふだんはエコロな暮らしを目指すわたしたちなのに、プレイモビルだけは、どうしても好き。わたしはわたしの分だって持ってる。

 でも、この頃、ゾエ以外のわたしたちには、あまり遊んでいる時間がない。

 今晩は、PTAの会議に行っていた。来週、市役所の責任者や、教職員を交えての会議があるので、その準備と、学校からも商品を出す、クリスマスバザーの話し合いだった。

 A la reunion de l'association des parents d'eleves, nous avons encore et encore evoque le probleme a la cantine. Il y a trop d'enfants pour peu d'adultes. Faute de moyen, il n'y a meme pas de savon pour se laver avant de passer a table. Et la-bas, il n'y a pas assez d'adultes pour leur servir le repas chaud. Beaucoup ne mange pas tres bien, et d'autre a mal a la tete puisqu'il y a trop de bruit. Nous allons faire une visite surprise a la cantine pour voir ce qui se passe a la cantine et rapporter par la suite.

学校食堂で、150人ぐらいの子どもたちがお昼を食べる。食堂で働く大人は3人、時に2人。子どもたちはじっと座っている事も、静かに食べる事も出来ない。配膳にも時間が掛かるし、好き嫌いが多いのに、誰も何も言わないから、食べたくない時には(ほとんど?)食べずに勝手に外に出て行くらしい。

 一体どうなっているのか、子どもたちが言ってる事は事実なのか?知るためにはお昼の時間に食堂へ乗り込むしかない!という事になった。わたしもその一人。

 このほか、会議では、学校周辺の道路の安全対策と、下校時間に門での、子ども引き渡しの件について話し合われた。子どもたちには許可のない限り、門から出てはいけないという事になっているのに、許可を与えるべき大人が門には立っていないからだ。子どもは勝手に外に出て行く事が出来るし、《誰でも》迎えに行って、誰にも知られずに、勝手にどこかに連れて行く事が出来る。

 クリスマス前の町のお祭りに参加して、そこで去年のように工作の時間に作ったクリスマスの飾りなどを販売する話し合いも行われた。早く準備をしなければ、あっという間にクリスマスになってしまう。

 今月の終わりには、ハローウィンのお祭りがやって来る。フランスではトゥッサンといって、言うなれば《お盆》みたいなもの。
里帰りをしてお墓参りをする人も多い。うちは、うちでじっとしていると思う。クリスマス用品を試作して、休み前の会議で発表する事になった。

 明日は学校が休みなので、図書館で工作の本を借りて来ようと思う。

ノエミを耳の医者に連れて行く。母親の言う事だけ聞こえないのも、やはり病気だろうか?

2007/10/07

ヴァイオリンの修理完了



http://pws.prserv.net/jpinet.okeiji/2002fra-cord.htm


 新学期になって、久しぶりに会う人たちから「ノエミ、大きくなったね〜」と言われる。そして必ず「お母さんを追い越すのも時間の問題だね」と付け足される。ノエミが中学生になったら、越えられるのは覚悟していたが、時間の問題となると、かなり焦る。

 ヴァイオリンの先生が、ヴァイオリンのサイズを1ランク上げたいと言って、音楽学校の棚から、3/4というヴァイオリンを出してくれた。今までは1/2というのを使っていた。先生が出してきたヴァイオリンは、何年も壊れたまま放置されていたので、修理が必要とのこと。音楽学校の費用で修理をしてもらうことになった
 
 一昨年、Cordes-sur ciel コルド・シュル・シエルという町で、わたしはチェロを習っていた。(*)コルドは『弦楽器の弦』という意味なので、これを直訳すると『空の上の弦』というようなことになる。チェロの先生のご主人は、その町でLuthierリュチエ、つまり、『弦楽器を作る職人』さんだ。なんともうまい組み合わせだなあ。

 彼が、素晴らしく優美で、当然のごとく高価なヴァイオリンを作る、世界的に有名な弦楽器職人さんだとは知っていた。音楽学校のぼろいヴァイオリンなんか修理してもらえるだろうか?チェロを習っていた時に、何度か電話で話をして、素敵な人だと感じていたので、勇気を出して電話してみた。

 コルドはその名の通り、小高い丘のてっぺんにある城塞の町で、車が一台しか通れないような細い石畳が、45度ぐらいの坂道になっていて、どんどん登っていかなければならない。観光客は、『地上』の有料駐車場に車を置き、延々30分ほど、身体を前屈みにして徒歩で登り続ける。てっぺんのホテル(写真)の辺りがほんのちょっと平らになっているだけで、そこを過ぎると、今度は45度ぐらいの下り坂になる。それで、町を通り抜ける。

 職人さんのお宅は、車が入る事を許可されている城塞の外側だから、車で来てもいいと言われた。ギアはずっと1か2のまま、わたしは道をどんどん登っていった。途中住人らしきお年寄りに、四回ほど道を尋ねたが、みんなに「車で行くの?運転に自信があるの?」と言われた。登っていくうちに道はもっと細くなって、最後の道はさすがに勇気が出なかった。世界遺産にもなれそうな重要文化財に車をぶつけて崩すか、あるいはJPが先週川に突っ込んでも壊れなかった車を、ついにこの手で廃車にするか。もちろん道には駐車スペースもなかったけれども、誰も来ないからいいやと、石畳の真ん中に停めて、アトリエまで入って行った。

 中世の石の家が、そのままそこにあった。玄関のドアも家具も、きっと何百年もそこにあったものだと思う。ありとあらゆる弦楽器が、さまざまな様子で、立てかけてあったり、ぶら下げてあったり、棚に寝かされたりしていた。古いピアノや楽譜立てや、壁に掛けられた職人さんの道具が、なんともいえない温かさに包まれていた。石畳の向こう、東の方の山を臨む場所に、コケの生えた低い石塀があって、草花が揺れていた。石塀の向こうには低い雲が立ちこめていて、向かいにあるはずの山も谷も見えない。
そういえば、この町は「空の上」にあるのだった。

 職人さんはじっくりとヴァイオリンを見て、「全部きれいにするために180ユーロぐらい掛かりそうです。いろいろな部品を取り替えるので。」と静かに言った。
 町の楽器屋さんで、去年から売りに出されている中古のヴァイオリンに、150ユーロの値札が下がっていた。でも、3/4サイズのヴァイオリンというのは、成長期の子どものサイズなので、一年ぐらい使って古くなる前に売りに出すことになるが、なかなか売れないタイプ。音楽学校のヴァイオリンをしっかり修理して、成長期の子どもたちに交代で使ってもらった方がいいというもの。

 じつは、音楽学校の会計係りはわたしなので、わたしが音楽学校の小切手帳を牛耳っている。ヴァイオリンの先生から、「なにもかも取り替えて、掃除して、新しいヴァイオリンみたいにしてもらったら、とても高くつくだろう」と言われていたので、覚悟はしていたけど、お店で買うヴァイオリンよりも高くつくとは、ちょっとショックだった。
 でも、結局、ノエミに3/4のヴァイオリンを買ってあげられないし、無理して買っても、きっと来年には使えなくなるので、学校のものをちゃんと修理をしてもらうことにした。

 金曜日、修理完了のヴァイオリンを取りに行った。

 夕方、ノエミにそのヴァイオリンを見せるのを楽しみにしていたら、学校で指を怪我したのでレントゲンを撮りに連れて行くようにと言われた。結局バレーボールでやった突き指だったので、大したことはなかった。

 いつもは毎日30分練習をさせるために、うるさくお尻を叩かないといけないのに、新しくなったヴァイオリン、サイズも1ランクで音も全然違うので、触りたくてたまらないらしい。木曜日に先生に見てもらう前に、どうしてもちゃんと構えられるようになりたいようだ。指を2本しか使わずに弾ける曲だけが載っている、一昨年の簡単な楽譜、練習帳第1巻を出して来て、自主的に『復習』を始めた。

 この前の木曜日に練習帳は第4巻になった。第1巻を復習しながら、「なんだ、すごく簡単」と言っている。この第1巻をやったころは、指が届かなかったり、ギーコギーコとへんな音しか出せなくて、よく泣いていた。

 ノエミ、成長したね〜と思わず褒めまくる単純な母親。。。わたしもフルートのお稽古に励まねば。。。

          (*)http://www.geocities.jp/nozomidaniel/kimamanikki.html(2005年9月14日の日記)

2007/10/04

気球




 しばらく前の写真。

 ある日曜日、いつも早起きで、毎日大した感動もなく目を覚ますJPが、一人で勝手に朝ご飯を食べて、雨戸を開けた瞬間に、家の真ん前をたくさんの気球が飛んでいくのを発見。

「みぬ!外を見ろ!」と言って雨戸を開けられた。

この日、民家の屋根すれすれを、10ぐらいの気球が、飛んでいった。近くのサッカー場から出発したのだろう、というのがJPの見解。
カゴの中でおしゃべりをしている人たちや、ガスが噴き出す音も聞こえた。
感動している間に小さくなってしまった。

2007/10/03

習いごと

 今年の水曜日は、今までの水曜日とはリズムが変わってしまった。

 幼稚園と小学校は、水曜日がお休みで、土曜日が半日の授業だが、中学校は水曜日の午前中に授業があって、午後はお休み。そのかわり、土曜日は一日中お休み。昨年度は二人とも同じだったから、水曜日はみんなで朝寝坊もできた。午前中は図書館に行き、午後はノエミを乗馬に連れて行くのが、いつものパターンだった。

 でも、今年はノエミが、朝学校に行くので、わたしとゾエはセリーヌの家に行くことが多くなった。わたしがセリーヌに日本語を教えて、セリーヌはダニエル一家の髪を切ってくれる。大人がわいわいやっている間、子どもたちは子供部屋で遊ぶ。
 セリーヌは22歳でまだとっても若いのだけど、トム(1歳ぐらい)とマリーヌ(4歳)の二人のお母さんで、しかも美容師さんだから、とっても忙しい。水曜日は子どもたちの学校が休みだからお休みを取っていて、午前中には日本語のレッスンをやることになっている。お昼、ノエミが学校から戻るころに、わたしたちもセリーヌのお宅をお邪魔する。たまにゾエが居座ったり、マリーヌがうちに来たりする。ご主人のステファンはミーさんのケーキ屋さんで働いていて、午前中はお留守。午後早い時間に帰ってくる。

 去年水曜日の朝やっていた「農場の無農薬野菜の受け取り」は、今年から金曜日の夜で、受け取りにいかなくても、届けてもらえることになった。一人ずつ車で受け取りにいくのは不経済で、しかも車の使用をできるだけ少なくしようと運動している人たちのグループだから、信念に反するので。 毎週、一番遠い人がうちの前を通る時に、野菜を置いていってくれる。そのような人たちには月に一回、農場でのピクニックがある時に、お礼を言ったり、おいしい物を持って行ったりする。
 この前わたしは《ベジタリアン巻きずし》を作って持たせて、喜んでもらえた。(わたしは風邪を引いていて寝込んでいたのでいけなかった)。

 図書館では、毎月一回ずつ、プロによる読み聴かせと図画工作教室が催される。どちらも予約少人数制ながら無料。去年も一昨年もゾエを連れて行きたかったのに、5歳になっていなかったので参加できなかった。
 先週は友だちのアントワンくんと一緒に、読み聴かせに連れて行き、今週は二人を図画工作教室に参加させた。アントワンくんの家には、赤ちゃんがいるので、お母さんがいつも水曜日になにをさせようかと悩んでいる。ちょうど今週は一緒に連れ歩くことができてよかった。読み聴かせと工作教室の間の1時間半ぐらいは、ノエミは図書館で本を読んでいる。ノエミは一日中でも同じ椅子に座って本を読み続けていられる子なので、図書館の人も「用事があるなら行って来ていいよ。子どもたちを見ているから。」と言ってくれる。

 今年はちょっとノエミに乗馬を休んでもらうことにした。ゾエにもいろいろ習い事をさせたり、催しに参加させたいというのが理由のひとつ。
 ノエミは新学期に、音楽(ヴァイオリンとソルフェージュ)と乗馬とどちらを取るか?と訊ねたら、「乗馬をする元気がない」と自分で言った。ノエミが乗馬をやめたいというなんて、あまりにも意外だったので、いちおう予約だけはしてあった。けれども、水曜日も毎週、宿題がとても多く遅くまで終わらないし、それに毎日とっても疲れているみたいなので、水曜日の午後はゆっくり家で過ごしたり、図書館で本を読んだりさせることにした。

 乗馬がとっても好きなので、とても残念がっている。余裕ができたら行かせるつもり。
それにしても、私立のスポーツのクラブって、じつはお金も掛かるのだ。それに成長期なので、靴やズボンもどんどん買い替えなければならない。なんでもよいというものではない。幸い今までに何度も、友だちが譲ってくれたので助かっていたのだが、今年はまだ着れないものが多いので、どっちみち買いそろえなければならないものがあれこれある。

 ところで、かく言うわたし。じつは新学期からフルートを習っている。フルートは小学校のころから高校のころまでやっていて、自分のフルートを持っていたのだ。母がヌメアに送ってくれた時に、その小包がヌメアの郵便局に到着したあと行方不明となったので、フルートとは二度と再会できなかった。毎週火曜日、とっても楽しい先生について習っている。

 そして、じつはわたし、剣道も再開したのだ。アルボのドレイ先生はトゥールーズに引っ越してしまって、アルビのクラブはほぼ解散状態になった。私立の道場なので、年会費が300ユーロを越えるので、わたしには到底支払えない。しかも、一週間に1回行けるかどうかわからない稽古のために。それで、もとアルビのクラブのみんなと、別な田舎の小さな道場に通っている。自宅から1時間以上掛かるので、稽古の日は夜の7時に家を出て、11時半ごろ戻って来る。

 ゾエは「柔道を習おうかな〜」と言っている。ほんとうにその気があるのかなあ?剣道もやりたがっているけど、夜の稽古に連れて行けないので残念。

2007/09/30

9月も終わります

 気づいたら、9月の最後の日。あっという間だったなあ〜。

 フランスに戻って来たのが8日の土曜日だった。その週から子どもたちの新学期が始まってしまっていて、中学に上がってしまったノエミの授業のリズムや、カバンの重さ(丸一日分が10キロ近くになる!)や、宿題の多さと難しさに戸惑った。日本の大学のように教室を移動するのは生徒の方で、毎週始業時間と終業時間、お昼休みの時間も変わる。わたしたちはしばしパニック状態だった。

 帰って来たばかりだが、日本からのお客様の接待が続く。
 うちの子どもたちはブーブー言ってる。せっかく帰ってきた母親はまた朝から晩まで出歩いていて、そのうえ夜にはレストランでお食事しているのに、自分たちは簡単なものを食べさせられる。夜に絵本を読んでほしいのに、宿題を見てもらいたいのに。。。とぼやいていた。かわいそうに。
 昼間にお客様のお相手をするので、学校の食堂で食べさせ、学校のあとは託児所で過ごさせたりもした。この辺で、「外で働くバリバリの母」でいることに、精神的について行けなくなってきた。1年のほんの数日間とはいえ、「自分を必要としてくれている人は、まずここにいるんだから」と思ったら、家庭が基本であることを実感した。

 9月の3週目は、いよいよ活動開始。
 幼稚園の会議、中学校の会議、幼稚園の催しの引率。音楽学校の会議。音楽学校、自分のためのレッスン。ヴァイオリンの修理。ノエミのヴァイオリンのレッスン。ノエミのソルフェージュのレッスン。宿題。学校の送り迎え。家事一般ちゃんと前の通り。子どもの服を買いに行く。医者に連れて行く。いろんな支払い。郵便局へ。市役所へ。ボボの世話。家の改修工事の続き。書類の整理。仕事の面接。
朝市。スーパー。子どもたちとお散歩。いろんな人に電話。いろんな人から電話。メールへの返信。《フランスだより》を書く。ひたすら書く。いろんな物を読む。翻訳・推敲完了、そして納品。挿絵画家決定につき資料集め。図書館通い。などなどなど。

 9月の最終週は、フランスで一日中気温が上がらず10度前後の日が続く。
 そんな中、柔道の見学会、子どもの童話読み聴かせ会へ。
会計士に会うためトゥールーズへ。高速道路がトゥールーズ入口の料金所に降りるところで、ピレネー山脈がきれいに見える。
ピレネーの山々に雪が積もっているのが見えた。
 帰宅後、ついにノックダウン。
JPが、ついに、暖房をつけた。
9月に暖房をオンにしたのは、初めて。フランスには今年は夏らしい夏もなかった。わたしは一昨年買ったワンピースも、去年のソルドで買ったワンピースも、着てない。家は湿っぽいまま、秋を迎えてしまった。この冬を越せるのか。。。と考えただけで心配だ。ただし、去年から今年にかけての冬は、あまり寒くはなかった。
 
 地球はおかしいながらも、やっぱり周り続ける。
さあ、明日から10月。

2007/09/27

9月8日 フランスへ

 《やっさん》が、タクシーでホテルまで送ってくれた。
「7時に起きて、タクシーを呼んでもらって、成田エキスプレスの乗り場まで連れて行ってもらって。。。」
何からなにまで説明してくれた上に、紙にも書いてくれて、《やっさん》は朝帰りのまま、今度は接待ゴルフに出て行った。
 あとから、「コースで寝てた。あの日はスコアが。。。て、2時間で帰って来れるところを5時間かけて帰ってきたよ」とメールあり。ご苦労さんです。

 朝日が昇った。居眠りどころではない。荷造りをしなければ。。。でも、もうなにがなんだかわからない。クマさんにもらったカレ作のお人形は、絶対に忘れてはならない。ゴミがいっぱい出た。日本のかわいい包み紙、チラシ、新聞、箱、全部もって帰りたいけど、そんなことは言ってられない。荷物は20キロまでなんだから。

 タクシーを拾った。どんな時間でもタクシーが走り回っているのはとっても便利だ。フランスには流しのタクシーっていうはないと思う。
「午前中の飛行機ですか?ヨーロッパにでも行かれるのかな?」
タクシーの運転手さんが話しかけて来た。
「フランスに帰るんです」
「ほほ〜、フランスですかあ。憧れますねえ。お仕事ですか」
日本語のしゃべりおさめだと思って、運転手さんの質問にどんどん応えていたら、彼は、かつて料理人で、ホテル・オークラなどでも働いたことがあると言うではないか!?それで、わたしは、今回行ったレストランやお菓子屋さんの話をして、運転手さんも「知ってる」とか「そこはいいレストランだ」とか、話が弾んだ。
 駅に着いたら「もっと話したいですね」というので、一瞬「じゃあ、成田まで送って行ってよ」と言いたかったのだが、駅には友だちが待っていてくれることになっていたので、ちゃんと料金を払って降りた。

 フミとラルは、わたしの成田エキスプレスのチケットを買って、待っていてくれた。
二人も、疲れているはず。悪いねえ。
「いいの、いいの。あとで昼寝して、夕方から遊ぶから。。」
いいな〜。

 成田エキスプレスでは爆睡。
電車を降りて少し歩いたときに、たしか電車の中ではお財布を手に持っていた、ことを思い出す。
げ、ないっ!?
頭の中はぐちゃぐちゃだったが、よく考えたら、やっぱり手に持っていたはずのお財布がない。
駅員さんに訊くと、「ここは成田エキスプレスじゃないですよ」と言われて、別な駅員さんを捜す。
 自分のお財布の特徴をあれこれ言っていたら
「なんだ、じゃあ、これ?」
わたしのお財布だった。
「さっき降りたお客さんが、落ちていたと言って届けてくれましたよ」
さすが日本だなあ。お財布も持たずに海外まで行ってしまうところでした。

空港内は工事中とか、団体旅行客で、かなり混雑していた。
ホテルから送ってあった荷物を受け取りに行ったり、自分の搭乗手続きの場所を探したりしている間に、時間が過ぎて行く。おまけに搭乗手続きのときに、荷物が重すぎると言わた。でも係りの人ったら「超過料金の計算ができない」と頭を抱えていて、「少々お待ちください」などと言って電話したり、人を呼びに行ったり、なんだかあわてている。後ろに並んでいる人も、わたしに、ブーブー文句を言っている。結局20キロのところ29キロで、5キロはサービスできるけど4キロ分払ってくださいと言われ、3万5千円請求された。カードで払おうと思ったら、なんかコンピューターであれこれやって「少々お待ちください」ばかり言っちゃって、はかどってない。
「みのく〜〜ん、本当にもう時間ないよー」
と、フミが心配そうにしているので、フミのところに行って
「ちょっと、5千円貸して」
お財布には3万円しか入っていなかったので。
 カードを奪い取り、現金を叩き付けて、その場を離れ、走った、走った。
「お茶飲む時間、ないの?」「おまけに借金したまま?」
「い〜から、い〜から。どうせまた帰ってくるでしょ?」
友だちが「本当に遅れるよ」と言っているので、仕方なく出発ロビーに入ったけれども、実際には自分の飛行機が、何時何分に飛び立つのか思い出せないので、とりあえず走った。

 だから、免税店でのショッピングも夢と終わり、最後の日に「なにかすごいものを」と思っていたJPのお土産も買えなかった。

 飛行機の前まで来た時、出発時間を二分ほど過ぎていたけれども、わたしの後ろにあと二・三人走ってる人がいたので、「あんたのせいで飛行機が遅れた」とは言われなかった。もう、どろどろだ。ファーストクラスの優雅な座席を通過しながら、「わたしって、こんなところでなにをしてるんだろう」と思った。
 それにしても、友だち二人が居て、一緒に場所や通路を探してくれたり、荷物を見張ってくれたので、どうにかなった。しかもお金まで借りて。このご恩は次回返そう。ゆるしておくれ〜〜〜。

 飛行機内では爆睡。食事の時間を過ぎていて、目が覚めたら前の座席に「起きたら呼んで」の張り紙があった。お好みのメニューはもう当然残っていなかった。
 たまに目が覚めると、映画を見た。
『そのときは彼によろしく』と『眉山』を観て、ぼろぼろに泣いた。なんか、飛行機のなかで涙に暮れているのは自分だけのようだった。泣いたせいで、目がしばしば、トイレのかがみで見たら赤く晴れ上がっていて、みっともない。
 映画の合間にまた爆睡。飛行機はたまに大きく揺れて、叫び声もあがっていたが、「もう、ど〜なってもいい」と思った。
帰りの飛行機は、座席が高く、床に脚が届かなくてぶらぶらした。だから、とってもつらい旅だった。
 朝が来るころにまた爆睡。朝食を食いっぱぐれた。「目が覚めたら呼んで」の張り紙があって、スチュワーデスさんを呼んだら「ずいぶんお疲れですね」と言われた。そうですとも。

 日本に行くときには日付が変わったけど、フランスには同じ日に帰り着いた。7時間の時差をどんなふうに縮めてたどり着けたのか、脳みそが機能していいなくて、考えられなかった。

 パリで乗り換え。みんなきれいな格好をしているのに、わたしはぼろぼろ。飛行機の中で着替えるのも面倒くさかった。第一、飛行機の荷物入れはあまりにも高すぎて、いったん入れた荷物を降ろそうと思ったら人に頼むか、シートに上って目立たねばならず、
「もう、ど〜でもいい」と思ったら、どうでもよくなった。

 パリからトゥールーズの飛行機では、もう頭がガンガンして、目はしばしば、開けていられなくなった。スチュワートさんに薬をもらって、ちょっと寝た。

 トゥールーズの空港に到着。
JPはアイロンの掛かっていないTシャツを着て、リュックを背負っている。散髪にもずっと行ってないからアフロ。
子どもたちは上下の色がちぐはぐで、しわしわなスカートとシャツの組み合わせに、結んでる髪がチグハグ。
主婦が家を空けるというのは、こういうことか。。。ああ、帰って自宅のドアを開けるのが怖い。

 飛行機の到着が夕食の時間なので、さっと帰りたいママと、さっと食べたい子どもたちの希望を知っているJPは、リュックサックの中にピクニック用品を納めて来ていた。わたしたちは空港のそばの公園に行き、夜が来る前に最後のお出かけをしている小鳥たちの、忙しいさえずりを聴きながら、そして、犬や子どもたちを連れてのんびり歩くトゥールーズ郊外の人々を眺めながら、ペタンクをやってるおじさんたちや、たむろして笑い合ってる若者たちを眺めながら、バゲットパンのサンドイッチを食べた。農場の野菜で作ったサラダと、懐かしい朝市のチーズと果物もある。水筒にはカーモーのなま水も入ってる。そういえば、日本のレストランではしょっちゅうミネラルウォーターを飲んでいた。エヴィアンだとか。なま水を飲んだのは、指宿でだけだったような気がする。

 「ああ〜、帰ってきた〜」

2007/09/25

9月7日の夜 続・最終日

 日本でもメールチェックをしようと思っていたけど、そんな時間は全然なかった。
毎日の諸雑用をクリアするのが精一杯で、メールを受け取って読んだり、書いたりする気持ちの余裕もなかったし、なんといってもポータブルパソコンがないから、使えるパソコンを探すことから始めなければならない。母の携帯を借りていたので、電話はどこからでもできた。東京についてから、母の携帯でもメールが使えるということがわかったので、急に便利になったけれども、人が一緒にいる所で、携帯のボタンをチャカチャカやるのは、あまり好きじゃない。お喋りしている相手が、そこには居ない誰かにメールを送ったりすると、はり倒したくなる。

 が、携帯をチャカチャカやる姿が、日本の風景となっていた。だれもかれも、おじさんやおばさんまでもが携帯をいじっている。駅のホームで、電車の中で、みんな片手を胸の前に出して、うつむいている。小さな画面と向かい合っている。

 そんなこんなで(どんな?)メールチェックをしなかったので、武蔵境の佐藤さんちでは、わたしが本当にやって来るのか、やきもきされていたことであろう。電話ぐらいすればよかったのだ。(でも、携帯に慣れていないので、携帯を切ったままだったり、存在を忘れていることが多かったのです)

 約束の時間はとっくに過ぎて、暗くなってしまった。
不親切なホテルの受付嬢に、いらつきながらも、4時にいよいよ部屋に行ってもいいと言われた。が、しかし、部屋の電気のつけ方がわからん!ホテルの部屋に、電源というものがない!
 「これは絶対になにかし掛けがあるに違いない」と思ったので、ロビーに電話した。電話の使い方がわからないので、説明書を読んだりしている間に、貴重な最終日が刻一刻と過ぎて行く。
 「部屋の電気のつけ方がわからないんですけど。。。」
いちおう控えめな声で言ったつもり。フランスなまりで言えばよかった。
ロビーの不親切なお姉さんは、
「バッカじゃないの、こいつ。何てまぬけなの」とのどの奥で言っていた。確かに言っていた。
「カギがついてる棒を、入り口の穴に突っ込むんですよ」
突っ込んだら電気がついた。部屋を出るとき、カギを持ったら自然に電気も消えるというわけやね。頭いいなあ。日本人は。
 まーさーかーーー、こんな仕組みになっていようとは。

「駅はどこですか」
まるで、日本語初級テキスト「みんなの日本語初級本冊1」第3課の例文じゃあないですか。
そこで、正しい日本語を使うならば、
「駅はホテルを出て、右にあります」
と言って欲しかった。受付嬢らしく。
が、しかし、ホテルの不親切なお姉さんは「はあ?」とすっとぼけてる。
「ホテルを出たら見えてるんだから、出りゃあいいだろう」と言ったね、あんた、今、言ったよね。
もう、わたしはかなりいらついていた。帝国ホテルのボーイさんに慣れ親しんだマダム・エンドーに、世間の風は冷たかった。

 品川から、新宿を通過して、武蔵境まで行く間に、とっぷりと日が暮れてしまった。
 電車に乗るまでには、苦しい戦いと、冷たい風と、人の波と、迷路でのうろうろがあり、《住所不定無職》みたいな駅に座り込んでる若者だけが、わたしの味方だった。

 佐藤さんちのテーさんは、この数日間ずっとメールを送ってくださっていたらしい。迎えに行く時のことや、待ち合わせの時間、乗り換えの電車のことなども、詳しく教えてくださっていたのに、わたしがそれを見ていないばかりに、世間の荒波にひとり投げ捨てられたかのような、錯覚に陥らなければならなかった。テーさんの顔見れたら、もううれしくて崩れそうだった。

 佐藤先生のお宅は、桜が咲き乱れるであろう公園の、すぐ横に、昔のままたっていた。父が他界したその年に、佐藤先生もみんなを置いて逝ってしまった。あんなに可愛がってくださった奥さまも、もういらっしゃらない。もう絶対に桜堤には来ないだろうと思っていたのに、佐藤先生にそっくりな息子様と奥さま、お嬢さんのテー様が、わたしを待っていてくださった。
 もらい物で申し訳なかったけれども、《大吟醸》は佐藤先生しか思い浮かばなかったので、お仏壇に上げていただいた。あとでテー様がみなさんに振る舞ってくださるだろう。
 佐藤先生と奥さまの最後を見届けてくださった、お嫁さん。どんなにお会いしたかったことか。
「ごはんがおいしいんだよねえ」といつも褒めていらしたあのお嫁さんとも、いよいよご対面できた。思っていた以上に、さわやかで頼もしい方だった。佐藤先生のお写真の前で、先生のお声を聴いた。
 「おお、みのりちゃん。来たね。」とおっしゃっていた。
その後ろで、「ねえ、みのりちゃん」と、先生と同じ声をしている息子様が、お茶に誘ってくださる。
道場は、主をなくしてなんだか寂しげだった。
 息子様はわたしに佐藤先生の遺品を預けてくださり、その中には「白雲悠々」などの手ぬぐいや、先生ご愛用の鹿革と漆の小物入れもあった。その赤い袋をよく覚えている。
 わたしたちは写真を見ながらいろんなことを語り合った。またきっと桜堤に戻って来れるだろう。
「先生、じゃあ、また来ますので。」
最後に会った時と、同じ言葉をつぶやいた。よし、フランスに帰ったら、また剣道やるぞ。

 さ〜、いよいよ待ちに待った《呑ん方》である。
指宿時代の友人たちが、恵比寿で待っている。約束には二時間ぐらい遅れてしまった。
インターネットで見た地図では、駅の前には二軒しか建物がなく、駅から二軒目の建物だったので、すぐにわかると思ったら、恵比寿の駅前には大小様々な建物がどどーんと並んでいて、人もわんさか居て、倒れそうになった。
 「こんなに暗いのに、どうしよう。。。」
そうだ、現代の神器! 携帯で宴会場にいる友だちを呼び、駅まで迎えに来てもらった。
一人は指宿でも会った人で、指宿から東京まで見送りに来てくれた女子。
もう一人は高校卒業以来、実に22年ぶりの再開を果たした《ヤッさん》である。
まじめなアーさんは居ないし、感動の場面だから許されるということで、思わずヤッさんと抱き合ってしまったじゃあないのっ。
うれしかった〜〜。涙出ちゃったよお。やっと自分の居場所にたどり着いたって感じだった。

 会場では、お鍋がぐつぐつ音を立てていて、「エンドー食べなさい、食べなさい」と言って座らせられる。その間、わたしがフランスから持ち帰った、「タクちゃんと一緒に舞台に立った、思い出の結婚ワルツ」(幼稚園)の写真やら、「持久走大会 ジャージ姿」(中学)の写真やら、高校卒業記念写真、ならびに、高校の遠足などなどの昔懐かしい写真を、みんなで回し見てもらった。
 「エンドー、今指宿から来たみたいっ」って、みんな言ってる。そーですか。そーですか。あんたたちはアカ抜けてますって。
 リッキー氏には、ちゃんと指宿から持参したカセットを、そしてピース・くぼた氏にはかの君のために彼が捧げた思い出のカセットを、しっかりお届けした。ムートンも、タナカも、「そのまんま」でうれしい。従兄の子どもの有希ちゃんも、安コーチ嬢も、ちゃんと東京で生き延びている。カンゾン君には仕事を頼み、ほかの女の子ちゃんたちとは再会を誓った。

 二次会は、沖縄料理店へ。アーティストのクマさんが合流し、ずいぶん長いこと鹿児島弁で語り合った。始発が出る時間まで、嫌がるみんなの背中を強引に押して、エンドー念願の「みそラーメン」を食べに行ってからお開きとなった。友だちと見る朝日は、ひっさしぶりだった。駅で別れる時、「じゃ、また来週ね〜」という雰囲気で別れた。

 なんだかもう、フランスに帰りたくないなあ〜。

2007/09/24

9月7日 最終日〜〜〜

 最後の日は、さすがのミーさんも文句を言わずに起きて来た。レストランの入り口で、日本語の新聞をどっさりもらっている。ミーさんのお店で働く日本人の女の子たちに持って帰るらしい。わたしにも、どこに行っても日本語の新聞と雑誌をもらってくれと言っていたので、部屋には束で溜まっている。

 旅の恥はかきすて。かなりプライドの高いミーさんも、借金までしてナアナアの仲になったマダム・エンドーには、プライドを捨てていると見える。帝国ホテル最上階レストランから、皇居の森や国会議事堂などの写真なんか撮っちゃって。

 「台風来なかったね。やっぱり、アンタのうそだったよ」
ええ〜そんなあ。ゆうべ、暴風雨だったじゃ〜ん。
 「わたしの部屋はびくともしなかった」
そうですとも、そうですとも。天下の帝国ホテルざます。風の音さえ聞こえなかった。わたしが叫んでも聞こえまい。

 「ちょっと、スーツケースに入らない荷物や持って帰りたくないものがあるんだけどさあ」
ミーさんは、エコノミークラスのわたしと違って、ビジネスクラスだから、お預かりの荷物量が40キロもある。うらやましい。だから、持って帰っていただきたいものが、山のようにあるのは、こっちのほう。
 ゆうべ、てんぷら屋でプレゼントされた刺身包丁はさっさとスーツケースにしまったらしいが、名古屋一宮の大吟醸は「アンタにやるよ」と言われてしまった。でも、わたしはスーツケースを成田空港あてに送ってしまったので、手荷物として持ち込む予定の小さなバッグに、「大吟醸」なんぞを入れたら、税関で取られてしまう。ど〜しよう。

 空港にはアーさんの車で出発した。アーさんの車もかっこいいカーナビ装備で、高速道路を通過するときにも、料金所で止まらずに突っ切れるシステムを備えていた。
 あれは怖かった。。。
 遮断機が降りてるのに、アーさんはいつもと変わらない真面目な顔をしてそこにまっしぐらに突っ込んでいった。寸でのところで遮断機がガバア〜と持ち上がるので、わたしとミーさんははじめ「ぎゃあー」と叫んでしまった。

 余談だけど、トイレの蓋が自動で開くのも、あれも恐ろしかった。しかも、男子と女子の違いを察知されてしまうとは、手強い奴め。下から青い手が出て来るんじゃないかと思って恐怖におののいた。ふわっと開いて来るふたを、思わず手で塞いでしまったので、壊れたかも。。。へへへ。。。

 ミーさんはタクシーの自動ドアに触れて、叱られた経験があるらしく、日本に着いたその日から、タクシーが止まるとホールドアップされたかのように両手を上に向けて、運転手さんに両手を見せながらフランス語で「触ってませ〜〜ん」と言っていた。降りてからも「閉めるの?勝手に閉まるよね?閉めなくていいんでしょ?」としつこく訊いていたが、実はわたしもよくわからなかったので、なにか言われるまで、手はホールドアップ状態にしておいた。

 さて、成田空港。
朝っぱらから出掛けて行くのは、ヨーロッパ辺りまで行く人に決まっている。若い人とかお金持っていそうな人が多い。韓国とか香港だったら、余裕の午後出発。そしてみなさん服が派手。ミーさんはドイツ経由で帰ることになっている。この日、国内線はまだダイヤが乱れ、陸も空も欠航になったり遅れたりした交通手段が多かったのに、ルフトハンザは定刻通りの出発予定だった。
「ほらね、台風はここにも来てないし。」
結局、ミーさんが寝ている間に行ってしまった台風のおかげで、わたしは最後まで「うそつき」だ。
ううう、今度来たときには地震を呼んでやるう〜〜〜。

 わたしとミーさんは機内持ち込み用にする、小さなスーツケースを買った。ミーさんは最後に手にしていた紙袋をがばっと詰め、わたしは空のまま持ち歩いた。わたしには本日の午後、「ショッピング〜」の予定があるので。。。うほほ。
 日本に着いて一番に飲んだのも、最後に飲んだのも、一番日本らしい飲み物だった。
それはアイスコーヒー。
フランス人はアメリカンコーヒーはあまり飲まない。どちらかというとエスプレッソで、とっても濃いコーヒー。
コーヒーにチョコレートを添えて飲むのだけど、日本ではどこに行ってもチョコレートは添えられなかった。
アイスコーヒーなる飲み物も、ミーさんにとっては新しい発見だったようだ 

 最後にお別れするときに、ミーさんに握手をしようと思ったら、
「マダム・エンドーは半分フランス人だから、フランス式ね」
と言って、肩をつかんで、両方のほっぺたに軽いキスをしてくれた。フランスではご近所で、朝夕、家族とも、同性の友だちとも、こんな挨拶が習慣なので、わたしたちにとってはショッキングなことは、なーにもない。
 が、しかし、まじめな日本人ビジネスマンのアーさんが、《停止》状態で硬直して、わたしたちを見つめていた。

フランスに帰ってきてからミーさんに再会したとき、
「帰りの日、空港でミーさんがフランス式挨拶をしたでしょう。あれはアーさんにはちょっとショーゲキだったみたいです。空港から都内に戻って来る自動車の中で、アーさんが盛んに『フランス人で日本にレストランなんかを開いてる連中は、みんな日本人の愛人がいるんですよねえ〜』とか、まあ、そんな話をしてましたよ。」
と言ったら、ミーさんはガハハと大笑いをして、
「アーさんはまじめだから、ビビらせてやろうと思ったんじゃあ〜。わははあ〜〜」
と、大爆笑だった。アーさんは笑わせるなあ。

 さて、空港から都内まで送ってくれたアーさん。お別れかなあ?と思っていたら、最後にお昼をご一緒してお別れしましょうと言う。なんでも好きなものをごちそうしてくれるというので、もうわたしは、アーさんジュテームと心の中で叫んでしまっていた。
「でも、あの、《すきやばし 次郎》の三万円の寿司なんて、言わないでね」
とまじめに言ってるアーさんが、かわいい。
 連れて行っていただいたのは、銀座のアーさんのオフィス近くのうどん屋さん。きつねうどんを注文した。

「ええ?エンドーさん。日本で最後の日なのに、そんな安上がりなものでいいんですか?」
「てんぷらうどんとか、肉うどんは、自分でも作れるけど、この厚揚げがねえ〜」
「本当にいいんですかあ〜」
「よすぎますう〜〜」

アーさんも、かなりリラックスしている。今日は時速8キロで歩かずともよいのだろうか?できればわたしは、さっさと食べて、ホテルでひと風呂浴びて、武蔵境に行きたいんですけどお。
「外国暮らしの長い女性って、ちょっと威張ってて、きつくて、なんか、つきあいきれないんですよねえ」
ががーん。いきなりそんなことを言うなんて、ショック。
「一緒に仕事してても、主張が多くてねえ。やりにくいったらありゃあしない。」
ズッキーン。
「でも、エンドーさんは、さっき鹿児島から出て来たって感じですよね」
ええ〜、それって、なにい?褒め言葉あ?

と、いうわけで、アーさんはニコニコ、品川のホテルまで送ってくださった。一緒にロブションさんのレストランに行った奥さまから、子どもたちへとお土産もいただいた。感謝感謝だ。
ああ、仕事が終わった。長かった。夢のようだ。ドロドロだ。本当に武蔵境くんだりまで行けるんだろうか。

ホテルのロビーに入ると、まず「お名前は?」と訊かれる。
「遠藤みのりです」
「そのような名前でのご予約はありません」
「ええと、、、じゃ予約してくれたフミナカ・ミチヨかな?」
「ありません」
「DANIEL MINORI?」
「いいえ。。。」
わたしはだれ?ここはどこ?
「ミノリ・ダニエル さま?で、しょーか?」
気が利かんなあ〜。やっぱ帝国ホテルとは違うなあ。。。
 マダム・エンドーにとっては、ビジネスホテルは一気に格下げ感が出た。うれしはずかしバック・トゥー・ザ・庶民だ。ロビー横にあるのは格式のあるラウンジではなく、自動販売機のあるパイプ椅子の待合所だった。ま、いっか。夢にまで見たカルピスでも飲もう。
 4時にならなければ部屋に入れないそうなので、あと1時間待たねばならない。あと1時間ショッピングに出歩けるはずだったけど、もうそんな力は残っていない。アーさんとオフィスのマーさんが「お土産なら浅草で」「合羽橋のお道具屋は面白いですよ」と親切に行き方も教えてくれたのになあ。武蔵境には5時半のお約束。遅れるなあ。

 最終日の午後は、非常に長かったので、この続きは明日書く。
日がどっちから昇るやら、もうさっぱりわからん。
早く、誰か、知ってる顔に会いたい。。。。

2007/09/23

9月6日 嵐のような一日

 嵐になりそう。台風来てるんだから、当然だけど。
テレビでは小笠原諸島の被害がひっきりなしに報道されている。朝から雨がじゃんじゃん降っている。
「お願いですから」とお願いし、ホテル9時半出発のところ10時にしてもらっていた。
でも、疲れきっているミーさんがあまりにも気の毒だったので、9時まで起こさなかった。
荒れ狂う皇居の森を、びくともしない国会議事堂を眺めながら、だまーって朝食をとった。本日は電車で横浜に行かなければならない。
 10時10分にロビーに降りていくと、3秒おきに腕を持ち上げて、時計を見る貿易会社の社長さんが、靴を鳴らしていらついているのが見えた。10分の遅刻。

(中略)

横浜シェラトンまで鉄板焼を食べに行った。港の素晴らしい眺め。
「ほら、台風がそこまで」などと言って笑った。(まだ余裕)

 大急ぎで食事して、電車で都内にUターン、10分ぐらい某百貨店内を通過した。ミーさんのフランスのアトリエで修行をしていたパティシエがお店を出していて、ミーさんは大喜びだった。彼には修行中に、アルビでお会いしたことがある。まじめな方だったのをよく覚えている。その時に一緒に修行していた二人の日本人も、立派になっているのだろうか?

(中略)

 きゅうきょ予定を繰り上げて、16時に訪問予定だった京橋の《イデミ・スギノ》さんのお店に向かわせていただくことになった。
 スギノさんは世界チャンピオンにもなったことのあるケーキ屋さんで、数年前にテレビに「出てしまって」からというもの、午前中の開店と同時に、お店じゅうのケーキが売れてしまい、一日中「陳列棚に何もない」お店になってしまった。
 ケーキ屋さんの横にある喫茶室では、「店内写真お断り」などと張り紙もあるのに、若い女性がいっぱいの店内では、美しいケーキの姿を平気で写真に撮っている。おしゃれだから、トレンドだから、話の種に来ているという感じもある。滅多に姿を現さないスギノさんが、ミーさんのためにキープしておいてくれた、全種類のケーキがプレートに載せられて運ばれて来た時、店内は騒然となった。多分「全種類が並んでいるプレート」を見ることのできるお客さんというのは、開店前に並んで一番に入るお客さんぐらいなのだ。お店では一人のお客さんに売ることのできる数を制限をしていて、できるだけ多くの人に味わってもらいたいと考えているけれども、大量生産だけは避けたいのだというスギノさんの思いは一貫していて、一日に350個しか作られない。

 スギノさんは、わたしにも「どうぞ、食べてみてください」とプレートを差し出してくださった。
わたしは、シンプルなレモン・タルトと、チョコレートケーキを選んだ。
 スギノさんがにっこり笑って「そのチョコレートケーキで、わたしは世界チャンピオンになったんですよ」とおっしゃった。
 そのチョコレートの外見は、実は、わたしの誕生日に、ミーさんがプレゼントしてくださった、三種類のチョコレートのケーキとそっくりだった。この外見のケーキはほかのお店でも見かけたので、《モンブラン》とか《オペラ》とか特別な名前を持ったケーキの部類なのだろうと思う。誰でも作るケーキだからこそ、誰にもまねのできない味を出さなければならない、基本で素朴なケーキだ。
 レモン・タルトは、レモンクリームとタルトの間に、特殊な《加工》があって、タルト生地が湿っぽくなかった。わたしがそれをいうと、スギノさんは大満足だった。いままでにもレモンタルトは自分で作ったり、買って食べたりしたことが何度もあるが、クリームが乗っている面が、かりっとしているタルトに出会ったことは、いまだかつてなかったのではないかと思う。そんなこと考えたこともなかった。クリームが乗っているんだから、その面が湿っぽくて当然だと思っていた。でも、かりっとしたままだと、そのタルト生地の香ばしさが残って、クリームのすっぱい感じとぴったり波長が合う。
 わたしは、フランスに帰ってきてから、カリッとして湿っぽくならないタルトの面の作り方を、ミーさんに指導してもらった。

 チョコレートケーキは、もう、わたしの形容詞と表現力では、表すことのできないおいしさだった。種類の違ういくつかのチョコレートの、それぞれの味がはっきり表現されているのに、それが食べながら、お口の中で混ざり合って行く、そのタイミングと調和が素晴らしい。声が出ない。チョコレートがのどの奥にひっかったりしない。甘すぎたり苦すぎるチョコレートは、喉が渇く。のど元がいたくなることもある。数多く口に入れることができない。でも、スギノさんのチョコレートケーキは軽くて、いくつでも食べられそうだ。
 ミーさんは、グレープフルーツ味の軽いケーキだった。わたしはチョコレートを食べたあとだったので、フルーツ味のケーキは遠慮した。もう味が感じられないから。ミーさんは、ちゃっかりわたしのチョコレートケーキも横取りして食べた。
 スギノさんのアトリエも見学した。これまで日本で見たどんなアトリエよりも、広く清潔だった。これからもっともっとおいしいケーキが作られる、期待のアトリエだ。
 スギノさんのお店に行列を作る人たちが、雨の日も風の日もこんなにおいしいケーキのためなら、遠くからやって来る気持ちもわかる。でも、どうぞ、味わって、大切に食べてほしいなあと思った。

 ちょっと時間に余裕ができた。前を歩いていたアーさんがわたしとミーさんを振り返り、「さて、時速4キロぐらいに落としましょうか」と笑った。ミーさん待望の《浅草》にやって来た。ミーさんは26人の従業員さんと、娘さんと奥さんへのお土産を買いたい、買いたいと言い続けていたのだ。到着してから2日間、銀行にも連れて行ってもらうことができず、日本円を持っていなかったので、絵はがきや、キティーちゃんのTシャツや、切手を買う時に、
「マダム・エンドー。すまないがお金を借りてもいいかね?」と恥ずかしそうに言っていた。
 大金持ちのミーさんに、わたしが高利貸しできるとは、大歓迎だ。ここでいっちょ恩をきせておこう(?)とおもって、わたしは行く先々でミーさんのために小銭を出してあげていた。5000円のワインも代わりに買ってあげたんだから。
 「このご恩は一生分のチョコレートで」 ミーさん、そろそろわたしの喜ばせ方がわかってきたね。よしよし
 
 おとといお金を両替したミーさんは、わたしにたっぷり利子を付けて返済し、ついでに昨日行った料理の道具屋さんで、桜餅を作るための道明寺粉と、梅の形のゼリー形と、卵豆腐の型の支払いを代わってやってくれた。わたしにプレゼントするのがすごく得意そうだった。お金を借りるのが、そんなに恥ずかしいことだったのだろうか?太っ腹になったミーさんは、最終日になっていよいよお土産も買いたくなったのだ。

 浅草の雷門で、記念撮影でもするのかと思ったら、雨が降っていたので、走るしかなかった。
「ここには来たことがあるから、写真は要らない」と言っている。
エーでもお〜わたしは始めてなんですけどオ。。。
「マダム・エンドーは、仕事で来てるんだから。ほら、アーさんが行ってしまう」

 台風が近づいて、店じまいを始めている。看板やシートや、風鈴やいろんな物がバタバタ音を立て、ときどき何かが落ちたり壊れたりしている盛大な音もする。お土産なんか買ってる場合か??
 アーさんは《一番》とか《武士道》と書かれている、いかにもガイジンが好きそうなTシャツを大量に買い、浮世絵の版画と、七福神の中から《健康》と《成功》を司る2体だけ買った。(そんなことができるのは外人しか居ない)そのスキにわたしはネクトゥーさんに頼まれていた甚平と、子どもたちが大好きなコンペイ糖を買った。JPにはもっといいものをプレゼントしたいので、《いかにもガイジン》って感じのTシャツだけはごめんなのだ。

 台風接近の雰囲気に呑まれ、足取りも早くなる。いったんタクシーでホテルに戻り、荷物を置いて、百貨店代表お二人と会食する予定の丸の内ホテル内《てんぷら 大島》へと向かった。タクシーを降りるとホテルの入り口まで濡れながら走った。

 目の前で揚げられるてんぷら、時間を掛けて端正に彫られたニンジンやキュウリで作られた松竹梅と鶴と亀。実に感動的な夜だった。百貨店代表のお二人は、その夜電車で帰らなければならなかったので、ちょっと不安だった。

 ずいぶん遅くなってしまった。でも、《てんぷら》のあとに予定されていた、《バー》行きが中止になったので、予定よりも早く、ホテルに着いた。助かった。。。

 ミーさんは「最後の夜だから、乾杯をしよう」といい、ホテルのラウンジでわたしにシャンペンをごちそうしてくれた。ミーさんは、大好きな葉巻をふかす。そしてわたしたちは、仕事の反省と、これからいっしょに仕事をすることになる、日本人のビジネスマンたちについて話し合い、契約のことや書類の事について話した。わたしは意見や感想や、印象を求められ、ミーさんはすべてについて黙ってうなづいた。
 そして、仕事が終わる最後の夜に、やっと家族のことを質問された。ミーさんは娘さんや奥さまのことを話してくれて、わたしの子どもたちやJPのことを尋ねた。仕事は仕事、と分けている人だから、仕事中に個人的なことを訊いてはいけないと思ったのだそうだ。もちろんわたしも仕事中には家のことは話さず、忘れたふりをし、思い出さないようにし、感情的にならないようにがんばっていたのだが、ミーさんも同じだったのだろう。

 「これから荷造りだ」
 「でも、ミーさん。明日の朝、飛行機出ないかも」
 「またか、おまえさんのウソは信じないよ」

 台風は夜中の2時頃東京に上陸の予定だ。



 
 

2007/09/22

9月5日 食べ歩き

 ミーさんは、朝起きるのがつらそうだ。夜中に目が覚めるので、睡眠薬まで飲んでいるらしい。かわいそうに。
わたしもつらいけど、ホテルに泊まっているというシチュエーションも、時間刻みで予定表が決まっているという生活も《別世界》過ぎて、もうわたしは《キャリアウーマン》化しているのであるのである。化粧もいちおうせねば、だし、台風が気になって仕方がないので、ちゃんと早起きをしてテレビをガンガンに掛けて、目はギンギンだ。
 お仕事でご一緒していただいている、ヨーロッパ・チョコレート担当のムーさんも、毎朝わたしの寝坊を心配して、電話をかけてきてくださるので、寝とぼけてはいられない。

 ムーさんにも「台風、来ますよ」と言われる。テレビの天気図から見ると、まあ、避けられない東京直撃コースらしい。数年前に東京を襲った台風の、大被害のもっともひどい映像ばかりが報道され、視聴者の緊張感が高まる。テレビって、どうしてこう人を怖がらせるような映像しか送れないんだろう。ミーさんが見てなきゃいいなあ。。。と思った。

 「台風、来ますよ」とミーさんをビビらせる魂胆で言ってみた。(イケズだなあ)
 わたしの意地悪な視線をちらっと見て、窓の外に目を向けるミーさんは、ホテルのレストランからよく見える皇居の森を指差して、「風も全然強くないし、雨も降ってないし、それはまた、おまえさんのウソにきまってる」と言う。台風のない国から来る人は、かなりクールだねえ。わたしのウソってなに?
 「でも、ものすごい風で、恐ろしい被害が出るんですよ。台風は怖いんですよ。まっすぐこっちに向かっているんですよ。」
わたしもけっこう意地悪だ。
 ミーさんはフンと鼻を鳴らして、寝起きは悪いくせに、朝食をがばがば食べながら、国会議事堂の固そうな建物を指差す。
「まあ、あれは動かんだろう。アメリカから爆弾をぶっ込まれても大丈夫そうだな」

 お迎えのアーさんは10時ぴったりに、車づけに待っていた。
「アーさんは、まじめだなあ。今日はもっとスローペースで行こうって、言ってくれないか」
でも、本日のアーさんの予定表がビッチリつまっていることを承知しているわたしは、そんなことは通訳できなかった。
「ミーさん、とっても疲れていらっしゃいます。朝寝坊して大変だったんです」
控えめな日本人女性を通訳に雇うから、こういうことになるのだ。ごめんね。

10時ーホテル 出発
10時半ー都内某百貨店 視察。
銀座に立ち寄る。(中略)
12時ー荻窪の「ル・クール・ピュール」訪問。(中略)ランチ。
14時半ー自由が丘(中略)の「オリジンカカオ」
さらに某人気ケーキ店訪問。ここは寄るだけのつもりだったのに、ミーさんがチョコレートをたくさん買って味見したいと言いだしたので、チョコレート選びが始まった。その間に、店員さんが店長さんを呼びに行ってしまい(?)フランス語がペラペラなシェフ登場。ミーさんと共通のフランス人の友だちの話題で花が咲く。シェフがぜひアトリエを見ていただきたいというので、アーさんが「予定が狂うんですけど。。。」と言っているのに、ミーさんは「いいじゃないの」と言っている。わたしに「アーさんが困ってるよ。ひひひ」とささやく。おもしろがってるね、このお人は。百貨店の視察よりも、個人のチョコレートのアトリエの方に興味をそそられるのも当然のこと。ここで暗くなるまで過ごした。
 雨が降り出した。ホテルで傘を借りておいてよかった。
 青山。表参道周辺。アーさんが《時速9キロ》で颯爽と歩く。わたしとミーさんは、フランス語で文句を言いながら、後ろから追いかけた。
ミーさん「ちょっとアーさんに、ひとこと言ってくれないか」
わたし「アーさんに追いつけたらね」

 夕方、ミーさんの個人的なお友だちの「どうしても」とのお誘いで、某寿司屋で、アペリティフ代わりにお寿司を食べることになった。わたしは外されて、三十分だけ本屋さんに走ることを許された。

(以下都合により本文抹消)

 その高級フランス料理店には、外国人と一緒に来ている日本人女性も何人かいて、ワインを飲む仕草がパリジャンヌみたいでカッコ良かった。

 よく考えたら、わたしだっていつも外国人と食事している日本人女性だけど、なんでこんなに違うんだろう?
JPは、日本人男性化している。しかも、薩摩隼人化していて、けっこうマッチョだ。普通のフランス人男性のように甘い言葉も知らないし、優しい仕草もできないし、ワインのことを教えようとか、気取ったフランス料理店に連れて行こうとか、そういうところが、ない。ラーメンだって音を立てて食べれるし。
 ミーさんに言うと「それはアンタが悪い。ワインを飲まんじゃないか」と言われた。
 「オトコは晩酌につきあってくれる、楽しいオンナが好きなのだ。」
あら、そうざんすか。

 行く先々で、わたしはミーさんに、グラスの持ち方やら、フォークの使い方を習った。ワインの入ったグラスをどんなふうに回すのか、などなど。数日後、フランスでミーさんに再会した時に「まだまだ修行が足りんな」と言われたので、JPに「いいオンナになる練習のため、ミーさんのひとつ星レストランに連れてって〜〜」とお願いしている。(ちょっと違うような?)ミーさんは、何百種類ものワインが常備されている蔵のある、素敵なレストランの経営者でもあるのだ。

 この高級レストランでも、至れり尽くせりのサービスを受けた。フランス語をちゃんと話せるボーイさんとガールさんがいっぱいいて、ワインのことを訊いてもちゃんと答えられた。この日は日本人のスー・シェフの料理だった。わたしは、フォアグラの乗ったリゾットを注文した。
 「マダム・エンドー、それって、お昼にも食べたでしょ?」
ミーさんはさすがによくわかっていらっしゃる。
「はい、お昼にもしっかり食べました。でも、味を食べ較べたいので。」
ミーさんは、あきれた顔をした。実は、チョコレートやケーキの試食でも、わたしはいつも同じものを食べている。一番シンプルで、誰でも作っているものを較べたら、シェフの違いもわかると思っているから。もちろん、誰も作ってないものを作っている人(というのは少ない。みんな似ている)のチョコレートは、かならず味わってみることにしている。そのことをミーさんは気づいていらして、よく感想を訊かれた。わたしの食べているものを横からつついたり、よく、自分と同じものをわたしに食べさせて、日本人としての意見と、フランス人としての意見を訊かれた。「マダム・エンドーは半分フランス人だからな」と言われた。
 
 ミーさんは、自分のチョコレートに確固とした自信を持っている。フランスでフランス人に愛されていることも自覚している。でも、それを日本でもちゃんと売っていけるかどうかは、いくら貿易会社の人が「売りますよ。売れるに決まっていますよ」と言っても、自分のなにが日本人にも受け入れられるのか、わからないと言う。できるだけ多くのチョコレートを売って、大量生産に繋げて、日本で一旗揚げようとは思っていないのだ。数は少なくても、一生つきあってくれるお客さんを求めているのだ。わたしはそういう姿勢に共感をしているので、この仕事が来るずっと前から数年来のファンとして、ミーさんに協力したいと思っているのだ。
 ミーさんのチョコレートが大量生産になって、質が落ちたら、わたしは彼を軽蔑してしまうだろうし、彼は名前が知られる代わりに、悪い評判が広がることなんか望んではいない。
 ミーさんがチョコレートを作る人でよかった。だからこそ、日本での仕事はとっても楽しい。ワインだったら、わたしは意見を言えないし、試飲もそんなにできないし、つまらなかったと思う。

 レストランでは、とっても楽しく過ごした。
「お昼のリゾットのお米は柔らかく、とろけるようだったけど、こちらのお米は固いんですね。でも、こちらの方がおいしんですけど?」とミーさんに言ったら、満足そうにうなずいて「合格だ」と言われた。リゾットのお米は、おかゆのようにどろどろではいけないのだそうだ。
 わたしは、ミーさんがフランス人のお友だちとしゃべっている間に、キッチンで立ち働いていた日本人のシェフに、リゾットがとってもおいしかったお礼を言った。ついでに、リゾットの上に乗っていた、とろけるようなフォアグラの焼き具合について質問した。
 シェフは親切に教えてくれたけど、秘密。。。むふふ。。。

確実に、絶対に、台風が来そうだ。
でもミーさんは「アンタはうそつきだ。わたしを怖がらせようと思って。」と言っている。
百聞は一見にしかず。明日のミーさんの反応が、楽しみイ〜〜。(イケズだなあ)

なか休み




拝啓、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 東京での、ハードなお仕事報告書は、まだまだ続きます。

が、ちょっとここで一休み〜〜。

新学期、大きい組さんになった、ゾエがとっても素晴らしい絵を描いたので、ご覧くださいまし。

プリンセスとユニコーンの絵です。
ユニコーンは、自分のお人形がモデルで、隅々までよく観察し時間を掛けて描きました。
右上に、9月に入ってから幼稚園で習っているとおぼしき《筆記体》が書かれています。
右下には、ノエミに習った《壊れたハート》の絵もあります。
大好きなエリオットが飛び級して、彼は今年から小学1年生のクラスに行ってしまいました。
それで、ハートがずたずたなゾエちゃんであります。

ノエミは中学生になったとたん、カバンが9キロぐらいあって、しかも、徒歩1分の小学校とは違い、中学まで20分以上歩かねばなりません。身体も小さく体重も30キロ弱です。わたし自身よく「カバンが歩いてる」とか「傘に脚が生えてる」とか言われたものですが、あんなに大好きだった乗馬も「行く気力がない」というほどで、ちょっと心配です。

ヴァイオリンは今年も続けています。音楽は癒されますね。わたしもフルートを始めました。
一緒にデュオができたらいいな〜〜

 先週の週末から今週にかけて、学校の会議や返事するメールや、もちろんたまりにたまった家事もたくさんあって、このわたしもついにへばっております。もっと睡眠時間を増やさねばなりません。
朝7-8度の日が続き、昼間はさわやかで過ごしやすくなりました。

 読書の秋、食欲の秋です。そして、みのりの秋〜〜〜。

それでは、また〜〜

                    みのり

2007/09/19

9月4日 A Tokyo

9時45分ーチェックアウト 本日も大変早起きをした。夜中に翻訳をやっていたので、ほとんど寝ていない。
10時10分ー名古屋発の「のぞみ124号」にて、一路東京へ。
途中、車掌さんに「富士山はいつごろですか」と尋ねると細かい数字を教えてくれた(11時8分頃とか、そんな具合にかなり正確)。でも曇っているから見えないかもね、と言われた。

 わたしは富士山を見たことがない。もう何度も何度もその麓を新幹線で通り抜け、飛行機で上空を飛んでいるのに、いつもいつも雨か曇りだ。ミーさんはカメラを構えて待っている。
 富士山はいきなり現れた。雲がかかって見えなかったのに、ちょうど一番近くを通る時に、雲がさっと晴れて、上の方まで見えた。なんだかとっても大きな壁が、どこまでもどこまでも続いているという感じ。麓には建物が多いんだなあ。富士さんのイメージがちょっと崩れた。「ああ、近くで見るんじゃなかったよ」とひとりごちた。遠くから見てこそ、美しかったのかあ〜。

11時53分には東京駅に到着。
ホテルにチェックインして、お昼はイタリアンだった。
 フランスでもイタリアンはよく食べる。スパゲティーと言えば、赤と白のテーブルクロスを敷いたぐらつくテラスのテーブルで、隣の人に肘が当たらないように小さくなって食べるものという印象だ。そうして、汚い前掛け(エプロンともいう)をした、イタリア人みたいにおしゃべりなお兄ちゃんが、お皿を掲げて身体をくねらせながら、テーブルの隙間をすり抜けて歩き回る、というようなイメージ。
 こーんな窓もない「高級レストラン」風のイタリアンははじめてだった。しかも、スパゲティーを食べるのに、スプーンがないので、とっても食べにくかった。うちではスパゲティーはスプーンとフォークで食べるので。ミーさんにそのことを言ったら、「イタリアから遠いんだから、そんなこと言っちゃいけない」と言われた。わたしたちはたまに、二人でこそこそ、日本人の陰口を叩いた。

 ミーさんはタクシーに乗るたびに、カーナビ完備で、バックもらくちんな車内にて「日本ではだれでもタクシー運転手になれるな」とか「白手袋に帽子とは、行儀がいいな」とか、いちいちコメントをつけていた。
 あるとき、道路脇に止まっていた休憩中のタクシーに「乗せてください」と頼んだ。運転手さんはタバコを吸っている最中だったのだが、嫌な顔をせずに姿勢を正して、いきなり走り出した。「あれ?どこ行くの?」と見ていたら、200メートル先の自動販売機の所まで、タバコの吸い殻を捨てに行った。その辺の植木の足元や歩道に、投げ捨てるなんてことはしないらしい。ミーさんはもちろん感激して、またも大爆笑だった。(じつはわたしも驚いた)

 ランチのあと、午後は東京都内を走り回り、菓子店(フランス人の有名ケーキ屋さんとかMeijiのチョコレートバーなどなどなど)を視察、挨拶して回った。わたしとミーさんは「ここはどこ?わたしは誰?」と言いながら(本当に)、案内してくれる関係者、カバンを持って前を小走りにしている人(一体だれ?)、近道だとか言って地下駐車場をつきって行く別な人、なにがなんだかわからないまま、小走りで追いかけた。

 貿易会社側の人たちも、場所と時間の関係で菓子小売店視察組と、百貨店挨拶組に別れて、時差攻撃でわたしたちをさらいに来る。歩行時速約8キロだよと言われた。駅でわたしたちは引き渡されたり、引き取られたりした。タクシーで行くと、行った先で人が待っている。

 夜は銀座の某フランス料理店でお食事。「このような接待の会食では、通訳は食べる暇がないと思いますヨ。」と言われていたのに、いやあ〜、申し訳ないけど、わたしゃ食べましたぜ。
 このレストランは40席しかないのに、ボーイさんが45人もいて、至れり尽くせり。マリオットホテルのボーイさんのように、小さなことまでよく見ていて、立ち上がろうとすると、さっと椅子が引かれ、ナプキンを落とすと拾われ、代わりに新しいものがもう届けられている。プロだねえ。
 きっとわたしのフォークの使い方や、グラスの握り方まで見られているに違いない。おお恥。

 お仕事の会食とはいえ、百貨店の方々はワインや、フランス食文化に詳しく、ミーさんと楽しい会話がはずんだ。ここのフランス人シェフとミーさんはお知り合いだったので、シェフもテーブルにやって来ておしゃべりが弾んだ。シェフのブルーノ・メナールさんは、お酢の開発もしていて、とても興味深いお話が聴けた。料理は素晴らしかった。サービス係の中にはフランス語がペラペラな人や、もちろんフランス人もいて、その人たちもテーブルにやって来る。一人はカーモーのご近所出身だった。

 いちおう予定表には「22時ホテルに帰る」と記録されていたが、もっと遅くなっていたと思う。
ホテルのテレビで、台風が接近しているというニュースをやっていた。わたしの部屋は二方を壁に囲まれていて、風が吹いているのか、空はどうなのか、よくわからなかった。窓から見える視界に、風に吹かれそうな木々はない。

 わたしの持ち物を心配した東京都内の友だちが、シックなワンピースと、手提げのカゴなどをホテルあてに送ってくれていた。みんなわたしがいつも汚い格好をしているのをよく知っているので、ジーンズで仕事してるんじゃないかと心配してくれているのだ。鹿児島で買ったヒールが少々高くなっている靴を、もうずっと履いている。骨折と捻挫で痛めたことのある左足首は、すっかり腫れている。でも、夜はどんなに遅くても、ゆっくりオフロに入ってマッサージをしている。
 毎日夜が遅くて、頭はぼーっとしている。疲れすぎて寝付きが悪い。朝は疲れきっているのに、遅刻が怖いので、がばっと起き上がる。目覚ましが鳴る何時間も前に目が覚めて、「まだか。まだか」と寝たり起きたりしながら、時間が来るのを待つこともある。そして約束の時間よりもずいぶん前に起き上がって、部屋の中を動き回っている。

 明日は一日中時速9キロで歩きますよ、と言われているので、歩きやすい靴を履こうかなあ。
 

9月3日 Nagoya illumination



        自分で撮った写真がないので、絵はがきの写真を拝借

 7時半ごろ起床。8時半にミーさんを起こす約束になっている。電話をすると「つらい。起きられない」と言っている。でも9時半にはホテルに迎えが来てしまう。二人で向かい合って朝食を食べながら、今日はどんなことをするのか話し合った。夕べ、予定表を全部フランス語に訳したので、それをお渡しする。

 10時半からお昼まで商談。

 (昼食の場所に着いては秘密のため、本文から抹消)

 午後、名古屋市内見学。名古屋城へ。
 お昼に料亭でゆっくり食べすぎたので、名古屋城へは入場できず、お堀を散策した。大きな錦鯉がたくさん泳いでいた。「錦鯉はとっても高価なのよ」と話したら、「でも、さっと釣って簡単に盗めるじゃないか」と言う。「でも、釣りをしてる人、いないね」と話していたら、
ちょっと先に「お堀で釣りをしないでください」の標識が立っていて、ミーさんはバカうけしていた。
「日本人は標識をよく守るんだねえ」写真まで撮っていた。

 (中略)

 名古屋最後の日なので、お土産と絵はがきを買いたいと盛んに言っているミーさんを連れて、百貨店内をひとまわりした。(中略) ミーさんはお嬢さんのために、ハローキティーのシャツや動物の形をしたペンケースを買った。案内してくださった貿易会社のスーさんは、金のしゃちにまたがっている、名古屋限定キティーちゃんのキーホルダーをプレゼントしていた。(わたしも買った)

 夜、貿易会社のみなさんと、ホテルオークラの《桃花林》にて本格中華。
ミーさん、いきなり出た《クラゲ》にビビっていたが、名古屋の夜景を見下ろすレストランで、これでもかこれでもかと登場する、おいしい料理に舌鼓。とっても楽しい夕食だった。

 夜中、急ぎの翻訳の仕事をしなくてはならず、2時間ぐらいしか眠ることができなかった。
そういえば、わたしは仕事で来ているのだった。。。とほほ

2007/09/18

Nagoya Chateau et Hotel



J'ai dormi dans une chambre de cet hotel , a 21 eme etage.
Chateau de Nagoya, sa fierte est ses poissoins en or massif sur le toit.

ホテルでもらった絵はがきです。
合成写真のようでもあったり、なかったり?

Nagoya ville et chateau



Nagoya a ete tout brule pendant la guerre.
On a refait la ville entiere, le chateau a ete reconstruit dans un grand espace vert.
La ville possede de plusieurs grands boulevards, les batiments sont bien ranges.
Mon client Monsieur M etait surpris de voir les autoroutes qui sont en deux etages et sureleves qui traversent Nagoya.

9月2日

7時半ーホテル出発
8時半ーセントレア空港集合
8時55分ーフランス人の職人ミーさん、セントレアにご到着 なかなか出て来ないので心配した
10時から11時ー移動 ホテルへ
11時半ーホテルにチェックイン。ロビー横ラウンジでアイスコーヒーなど飲んでくつろぐ。
お昼は日本酒の飲み比べをしながら、お寿司。

(午後の模様は中略)

 ミーさんはタフだ。「ちょっとホテルでお休みしませんか?」と言っても、このまま夜まで歩き回ると言って聞かない。
フランスと日本の時差は七時間。お昼に到着すると、午後は大変辛い思いをしなければならない。お宅を出てから丸一日、眠らないことになる。でも、ここで負けてしまうと、5日間の滞在中に、時差ぼけのまま、何もできなくなってしまうので、がんばってもらわなければならない。

 ミーさんは東京には何度も来たことがあるが、名古屋ははじめて。海に浮かぶセントレア空港から自然がいっぱい見える高速道路を走って、名古屋に来るあいだ、建物や風景や外車の多さに驚いていた。

 日本の百貨店は面白い。わたしたちは食品売り場を歩き回った。お寿司屋さんで「なんだ?」と訊かれたレンコンが、生で売られていたので、ミーさんは写真を撮っていた。洋菓子が専門の人だが、和菓子の美しさにも素直に感動していた。会長さんのお宅で出していただいた季節の和菓子を喜んで食べていた。職人さんらしく、4種類のどれも食べてみたいというので、みんなで切り分けて、意見交換をしながら味わった。
 一緒にお仕事をするアーさんが、「日本酒にもいろいろあるんですよ」と言って、格の違う三種類を飲ませていた。ミーさんはさすが、安いのはおいしくないと言い当てた。お寿司屋さんではフランスでは見たこともない魚がでたので、お魚辞典を持って来てもらってみんなで眺めた。包丁の使い方や、ごはんの握り方に、目が離せないようだ。

 (中略)

 さあ、いよいよ本格的なお仕事は明日から。

 ミーさんは、45階のお部屋。なんだかそわそわしているみたいだ。
フランスではとても忙しい人で、一日中電話が鳴りっ放し。走り回っていて、会おうと思ってもなかなか会えない。日本に来てやっとゆっくりお話ができた。ダニエル一家の数年来のあこがれ職人さんと、この数日間一緒に過ごせるかと思うと、わたしもわくわくしていた。どこに行っても食品や料理、ワインの話をしている。これから数日間、じつに楽しみ。

彦根城 



Chateau de Hikone au bord du lac Biwa au centre du Japon.
Cette fois-ci, je n'ai pas eu le temps de visiter. La photo a ete prise il y a trois ans lors de voyage en famille.
Noemie avait 7 ans.

9月1日 


          民家のお庭で見た 彦根城の模型

 マンション11階のテラスに出ると、ラジオ体操のメロディーが聴こえてきた。
思わず腕が動き、両腕を大きく広げて深呼吸をはじめながら、「ああ、我も日本人なり、身体は覚えていたんだねえ〜」と深い感動に包まれた。でも、《ラジオ体操第一》の最後まで覚えていなかった。ショック。
 
 《ラジオ体操第二》が始まる前に、携帯にメッセージがどっさり入っていることに気づく。すっかり忘れていたけど、今晩から仕事。そのために日本に帰ってきたのだった。

 朝から姉と姪と三人で彦根市内を歩き回った。お土産屋さんは、昨日駅からマンションに戻って来る前にすませた。今日は本屋さん。
欲しい本はいっぱいある。読んでみたい本もいっぱいある。でも本は重い。料理関連の本と日本語関連の本をたくさん見つけた。JPと子どもたちが好きな、科学の本やふろくつきの雑誌も。わたしは友だちに紹介されていた『太閤の手紙』という文庫を買った。
 
 そのあと、おもちゃ屋さんを一周し、雑貨屋さんを一周し、母と同じく「仕事はちゃんとした服で」などと心配する姉に連れられて、また洋服屋さんにも行った。お昼は念願のお好み焼き屋さんへ。

 新幹線の時間まで、ちょっと昼寝をした。爆睡したら、気分が良くなった。

 姉と二人の姪が駅まで送ってくれた。別れはやっぱり辛い。子どもたちもずいぶん大きくなって、姉を助けてくれているが、この姉こそ、実家から遠い所で、若い時から一人でがんばってきたのだ。苦労をしていると思う。わたしも《遠い所》に住んではいるけれど、《言葉がわからない》とか《習慣が違う》などと、外国人であることを武器にして、すっとぼけていればすむこともある。フランス人と対等に仕事をしているわけではない。日本語を習いに来る人たちや、剣道を一緒にやっている人たちはみんな親日家で、日本人女性には甘く優しい。わたしはどこに行っても可愛がられている。
 でも姉は、看護婦という難しい仕事をしていて、風習がちょっと違う実家からは遠い町で、日本人としての厳しい習慣はあり、なまりは違っても言葉は共通な場所で、《よそから来た人》として苦労したはずだ。仕事をしながら子どももしっかり育てている。二人とも健康で健全で、お母さん思いのとってもいい子たちだ。偉いなあ。

 さて、名古屋。
 再び、名古屋駅からマリオットホテルの15階ロビーに上がる。ガールさんとボーイさんが、わたしの荷物めがけてすっ飛んで来る。ロビーでは、この上もない優美な敬語でご挨拶され、21階のお部屋まで荷物は届けられた。
 この、ホテルに着いてから、夜の約束の場所まで、一体なにをしたのか、すっかり記憶がない。
多分荷物を開いて、お風呂に入って、化粧をして、2階の車寄せホールまで降りたのではないかと思う。

 車寄せで、これから数日間一緒にお仕事させていただく、アさんとムさんに再会。お二方とは春にもアルビでお会いしている。名古屋人で、わたしの雇い主であるスさんの車に乗り、名古屋の夜へ出発〜〜。
 いきなり会議かと思って緊張していたら、《名古屋で一番おいしい焼き鳥の店》に連れて行かれた。いやあ〜おいしかった。
食事のあと場所をかえて、ホテルの喫茶室みたいな所で、夜の9時頃から仕事の打ち合わせを行った。スケジュールがびっしり。「遠藤さんの力量が出る部分」や「これは偉い人」などに印もついていて、ドキドキ。
わたしの力量ですかあ?もう消費しきりましたケド。。。
 途中携帯が鳴ったけれども、ブチッと切った。

 ホテルに帰り、先ほどの電話に返事を出す。名古屋版同窓会メンバーは、6時半からすでに飲み会を始めていて、わたしが合流するのを待ち構えていた。「会議は1時間ほど」とのことだったので、すぐに合流するつもりだったのに、焼き鳥屋と喫茶店のはしご、けっこうまじめな会議にて遅くなってしまった。みんなはホテルのわたしの部屋まで会いに来てくれると言う。ヒロタンなどは「最終に乗れるかな?」と言っている。一人は泊まるので大丈夫。もう一人は自動車で来ているので、帰る。
 ちょっとしゃべって、写真を撮って、「帰る」組が帰った。あっという間だった。
一日も、あっという間だった。

 21階から見下ろす夜景にドキドキしながら、明日の朝ちゃんと起きられるように目覚ましを掛けた。

 日はどっちから昇るんだろう?朝日の方向がわからないというのはやけに不安だ。

 

2007/09/17

8月31日



人生は水もの?《水物》までたどり着けず、心残りに終わった 綴り箱弁当。ううう

L'aeroport international de nagoya est sur une ile. Avec le train rapide, j'arrive au centre de Nagoya. La gare, un grand magasin et un hotel sont sur le meme batiment, j'ai pris deux randez-vous dans cet hotel.
Prendre Shinkansen-TGV japonais-pour aller chez ma soeur a Hikone.
Le soir , j'ai fait du kendo avec ma niece, aller au bain publique, manger dans un restaurant de Sushi tornant.

Le travail commence demain, mais je suis deja bien epuisee, je ne veux plus bouger.

 午前9時頃名古屋に向かう飛行機に乗るには、指宿を7時には出なければならない。
従兄二人が、母も一緒に空港に連れて行ってくれると申し出てくれた。空港でお茶して、従兄のお嫁さんがお土産を買いに走り、あっという間に時間が来てしまった。飛行機の中から、お見送り団の4人が、写真を撮ったり手を振ったりしている姿が見えていた。わたしも手を振っていたのだが、見えていたのかな?

 名古屋には11時頃到着したが、12時半には、仕事のために、名古屋市内で人に会うことになっている。とても忙しい方で、会う約束をやっと取り付けることができた。でも林さんは1時半の新幹線に乗らなければならなかったために、12時半に名古屋駅の上にあるマリオットホテルのレストランで、お食事をいただきながら、1時間だけお話をさせていただくことになっていた。
 ホテルは駅の上だからすぐにわかると聞いていたけれども、名古屋駅は2つあった。海上に浮かぶ中部国際空港《セントレア》から、名鉄名古屋駅に向かう電車は、オートマチック化された素晴らしい特急で、《オートマチック》の苦手なわたしは、切符の買い方やら、電車の乗り方がわからず、うろたえてしまった。駅に駅員さんがいない。あ〜〜〜
 わたしはどこかに行くと、必ず迷う。でも、あまり長い時間迷ったりせず、《係りの人》を取っ捕まえて、すぐに質問する。本屋さんでは書店員を、レコード屋さんでは販売員を、道ではおまわりさんや通行人を呼び止めて、直ちにその場の《専門家》の意見を聞くように心がけている。でも、駅に駅員さんというものがいなくちゃあ〜、困るよなあ。
 
 スーツケースは重い。バッグもお土産もある。仕事用の革のカバンも袈裟がけにしてある。ぜーぜー。空港にはキャリーというものがあるのに、駅にはそんなものがないばかりか、変なスロープや数段の階段まである。人々はまっしぐらに進み、道を開けるということを知らず、左側通行、一列に並んでいるお行儀よさは大したものだが、そこを突っ切ろうとしている《外国帰り》には冷たい。こんなに黒いのに《外人》に見えない《変な日本人の女》にはもっと冷たい。道を聞いても教えてくれない。どこに行っても親切な標識があるのだから、迷うのがバカなんだけど。反射神経が日本人のそれにはもうついていけない体質になってしまったのだろうか。なんでみんなこんなに歩くスピードが速いんだろう?待ってくれ〜い。

 名古屋駅の上はデパートになっているらしい。目指すホテルのロビーは15階にあった。そのあたりで、ちょっと場違いなところに足を踏み入れてしまったことに気づく。
 15階のロビーに到着すると、かっこいい制服を着たボーイさんとガールさんが、四方から一斉に「荷物をお持ちしましょうか」と走りよってきた。なんだこのスピードは。まるでわたしが訪れるのがわかっていたみたいだ。汗まみれのわたしは、イヤーありがたいとばかりに荷物を持ってもらう。スーツケースは壊れかけていて、走りが悪く「コツがあるんですよお」と教えながら、その15階の光り輝くロビーには、汗みどろの変なオンナも、壊れかけたスーツケースなんぞを転がしているオバンもいないことに、気づく。なのに、ボーイさんは平等に美しい微笑みで、なんでも許してもらえる女王様に対してのごとく言葉遣いまで腰が低い。この親切ていねいさに、心癒されてしまった。20キロを超えるスーツケースを持ってもらうのが申し訳なくって、見ているだけでストレスがたまる。こんなとこ、来るんじゃなかったよ

 マリオットホテルの上の階の料亭で約束がある、と言うと、荷物だけ預かってもらえた。コインロッカーを探す手間が省けた。急いで約束の料亭に行くと、林さんはまだいらしておらず、ちょいと化粧直しをする時間が持てた。でも、汗臭い。なんで日本はこんなに暑いんだろう。どこに行っても冷房は効いていない。節約しているのはとてもよいことだ。なのに、どうしてトイレは電化されたままなんだろう?なんか変。
 そしていよいよ緊張の林さん登場。そして綴り箱弁当が次々に運び込まれた。その数29品。でも、食べたのは多分5品ほど。。。
仕事のお話で夢中になり、林さんは新幹線に乗り遅れてしまったのではなかろうかと思われる。

 林さんをエレベーターまでお見送りすると、エレベーターの前の椅子に、大阪の出版社の編集者さんが、ちょこんと座って待っていてくださった。4月にお会いしている。《知った顔》がそこにあり、わたしは崩れそうになるほど安心した。雲の上の最上階。まっ昼間っからピアノとフルートのデュオが奏でられる、シックな喫茶店(多分コーヒーは地上の5杯くらいの値段?)で、来年出版される予定の、わたしたちの本について語り合った。多分編集者さんも、落ち着かない場所であったのではないかと思う。彼には地上での祭り太鼓と盆踊りが似合う。

 編集者さんは大阪へ、わたしは彦根に向かうことになっていたので、3時頃新幹線の駅に向かった。米原まであっという間だった。彼がいてくれたおかげで、無事に米原で降りることができた。でも米原の駅は工事中につき、合計30キロほどの荷物を移動させるのは、大変だった。しかもそれを持つ本人も、日本到着とともに一気に体重増加で、身体が重い。

 米原から彦根へ。姉の家に泊まる予定。
 夜は姪と剣道の稽古をした。練習不足と疲労と体重増加に苦しみつつも、稽古をはじめると疲れも忘れるあたり単純。
銭湯に行ってサウナや岩風呂を体験し、回転ずしでたらふく食べて、マンション11階にて布団になだれ込む。
 途中姉が「あ、地震だ。揺れてる」と言っていたが、「もーどーなってもいい」と思った。母から借りた携帯が鳴って、メッセージが来ていたけど「もーどーでもいい」と思った。以降は遠くで電車の走り去る音を聞きながら爆睡。

 明日の夜から名古屋で仕事なのに、こんなに疲れていて大丈夫なんでしょーか。