2006/09/29

風邪

 ゾエとわたしが風邪を引いている。
ゾエなどは耳が痛いというので、マスリ先生の診療所まで行った。
先生の顔を見て、ボンボンをもらったとたんに元気のでたゾエは、先生が調べても耳に異常が見られなかった。
 「本当に痛かったの?」と訊くと、
「クラスメートが騒がしいから、耳が痛かった」などと言っている。
中耳炎じゃなくてよかったけど。

 せっかくのなので、わたしも診察してもらった。
耳がつまってる見たいと言ったら、耳がつまってると言われた。
この前の冬も同じようなことがあって、耳のお掃除をさせられた。もしかしたらあの時につまっていたものが取れていなかったのかも。

 そのよる、先生に言われた通り、耳の中を洗い流すのをやっていたら、もう完璧に耳がつまってしまった。何も聴こえないし、耳鳴りまでする。
耳がつまっているので、鼻とのどの調子もおかしい。

 翌日耳鼻科に電話したが、週末は医院がお休みなので、月曜日まで待ってくださいと言われた。

土、日、月曜日の午前中まで、苦しみに苦しんだ。
このまま難聴になってしまうんじゃないか、鼻ものどもつまって月曜日の午後までに、窒息するんじゃないかと思った。

 月曜日に医者に行って、先生がつまっているのを取ってくれた。
なんとものすごい塊がつまっていた。
綿棒で耳の掃除をしてはいけないと言われた。
これからは日本式の耳かきでやろう。

 耳栓を抜いたとたんに、鼻の通りもよくなった。なんといっても小さな物音までよく聴こえる。
ずいぶん難聴に近づいていたのだ。
危ないところだった。

 シラミにしても、耳栓にしても、ちょっとした毎日の気遣いで、ずいぶん違うものなのだ。
もう少しお風呂場でゆっくり過ごせるように心がけようと思った。

 風邪はあまりよくならない。
太陽に当たり足りないのかな?

2006/09/26

シラミつぶしに、探すって、なにを?

 こーんな時代に、こーんなことが起こってしまうとは。
しかも我が家に!!
恥ずかしいったらありゃしない。
とんでもない、ああ、とんでもない。

 ノエミというやつは、サルみたいだ。
気がつけば身体をぼりぼり引っ掻いている。
一日中暇さえあれば本を読んでいる子だが、本を読みながらやっていることといえば、
爪を噛む。足の指をいじる(姿勢が非常に悪い)。頭を引っ掻く。鼻までほじっているじゃあないの。ああ、やだねえ。
 本をベッドの上に広げて、両足でページを抑え、両手で頭をかきむしったりもしている。

 そこまでやるか!?

 いまは、骨折のためギプスをしているので、わたしが責任を持って身体を洗って差し上げている。だから、普段よりも臭くない(ような気がする)
わたしが洗ってあげてるんだから、洗ったそばからそんな髪の毛かきむしらなくてもいいじゃあないの。怒っていたら、頭の上を何かが走り去って行った。

 なに今の?なんだったの?

ちょっとここに座んなさい。
鏡の前で、ノエミが矯正器具のついた不気味な前歯を磨いている時に、頭の検査。
座ってもらわないと、ノエミの頭のてっぺんが見れなくなってしまった。子どもに背丈を超えられる日も近い。

 フケ?いやちょっと違うような。。。
また、何かがぞろぞろ歩いて行った。
ぞろぞろ?

 ノエミの短く切った髪の毛を束にしてつかんだまま、
「ミヌー!!」
叫ぶとJPがすっ飛んで来た。
そして、JPは冷酷に判定を下す。
「シラミ」

 ノエミが喜びの雄叫びをあげながら、歯ブラシを起きっぱなしにして、顕微鏡を取りに行く。サンタクロースにもらったまま、使い道のなかった新品同様の顕微鏡。
「いつかこんなこともあろうかと思って出しっぱなしだった」などと言っている。
(たまに爪の垢などを研究していらっしゃる) 

 10倍に拡大すると、そりゃあもう信じられないような怪物だった。
「シラミ」なんて生まれてはじめて生で見た。

 薬屋で、シラミ退治の頭用スプレー《パラプー》と、シラミ洗い流しシャンプー《パラドゥー》と、家じゅうに撒くシラミ駆除のスプレーを購入。お買い得セットになっていて、子ども2人のためにおまけまでついている。子どもたちは大喜びだ。
 こんなに楽しい《お楽しみセット》が待っているとは。シラミさん、ありがとう。

 薬局の人は「恥ずかしいことは何もありませんよ。学校では一年中はやっていて、この薬はみんな使ってます。」と励ましてくれたので、店に入った時よりも心が軽くなった(?)
薬局の人が「60度で洗ってください」というので、頭のことかと思ってぎょっとしていたら「衣類ですよ、衣類」と言われた。わたしも気が動転していたのだ。

 その夜、顕微鏡を片手に、家族四人のシラミ退治が始まった。
お天気が悪いので、洗濯物も乾きにくいが、ありとあらゆる衣類を片っ端から洗濯機に入れて、60度で洗った。スプレーを撒いたので家じゅうが臭い。

 翌日あれだけやった親のプライドで、「もうシラミは居ないって言ってるでしょー」と何度も言ってるのに、子どもたちは頭をかきむしっている。くせになったんだろうか。あるいはまだまだいるんだろうか。。。

 《お楽しみセット》の中に入っていた細い目の櫛で、毎日毎日髪を梳いてやる。
友人・知人の頭まで気になってしまう今日この頃だ。

2006/09/25

やる気は、あるんです。

 今年の始めに、訳したいなーと思う本があった。知人を通してその本が日本語に訳されているか、どこの出版社の取り扱いか、問い合わせてもらった。
 訳したいと思ったその本は、実はすでに契約済で、翻訳中とのことでがっかりしたのだが、問い合わせを行なった大阪の出版社の人から、
「あなたが前に訳された『サトウキビ畑のカニア』を読ませていただいております。良い本でした」と言っていただけた。それで、フランスで面白い本を見つけたら《レジュメ》を書いて紹介してください、との「社交辞令」を真に受けて、ひたすら素直に、いい本探しに努めたつもり。

 あらすじと、感想と作者の紹介など、まとめたものを《レジュメ》という。
《レジュメ》の中でも《あらすじ》は訳そうと思っている本の雰囲気がよくわかるよう《試訳》のつもりで、とのアドバイスをくれる友人もいて、彼が何度も読んでは意見を述べてくれた。結局5度以上も書き直した。どんなものでも書いたものを読み直すと、必ず書き直したくなる部分が出てくる。
 何度も書き直して、あまり代わり映えがしなくなったので、そろそろ提出しようか、ということになった。そして、本日、大阪の出版社に送らせていただいた。

 友人が間に入り、その出版社と関わりのある人を通して、《紹介》していただいた形ではある。とはいえ、メールだけのやり取りで、いきなりフランスに住んでいる、見ず知らずの者が送りつけたものに、「確かにお受け取りしました。検討させていただきます」と丁寧なお返事をくださる。日本に住んでいたら、出版社に何度も脚を運び、ちゃんとお会いして頭を下げ、世間話をしながら相手を探り、わたしは「検査」されるところではないか。
 こんなに簡単に(当人に取っては長い道のりだったのですが)企画を読んでもらった上に、いい返事が来たら、それはもう本当にすごいことだと思う。
 「この本はよい。子どもたちの読ませたい。そして売れるに違いない」と判断できるものであったか。。。企画を出してからまた悩む。もっともっといい本はたくさんある。読ませたい本もある。でも老舗の本屋さんが倒産する時代だ。

 時差と、ファイルが開けないなどの事情で「ちゃんと読めました。熱意を感じました。検討させてください」とのお返事いただけるまでにずいぶん時間が掛かってしまった。こんなことで信頼していただけるのだろうか。

 祈る気持ち。

2006/09/24

馬祭り

 馬から落ちた本人は、あまり懲りていない。
秋の日曜日ともなれば、各地で催しがあるが、どこに行きたいかと言えば
「やっぱり、馬祭りでしょ」
この前《ロバ祭り》のあった、もネスティエという小さな町へ。

 JPの同僚のご主人で、馬車を持っている人がいる。二頭立ての馬車で、六人ぐらいを乗せることができる。速く走る、美しくは知る、障害物を除けながら走る。乗ってる人が馬車の上からものを取ったり、片付けたりする競技などなど。。。いろいろやっているスポーツマンだ。馬車を農業で使っている、というようなわけではなく、ただ、天気のよい日曜日の昼下がりに、奥さんを馬車に乗せて自然を走ることを生き甲斐としている人だ。
 
 彼のおくさん、つまりJPの同僚のジュヌヴィエーブは、JPと同じ年代の息子が約二人いる。でもなかなか結婚しないし、なかなか孫を連れて来ない。だからジュヌヴィエーヴはゾエとノエミに、なにかと言えばプレゼントをくれる。子どもたちが馬が好きだと分かった時には大喜びだった。催しがあるたびに、「馬車に乗せてあげる」と言って誘ってくれる。

 馬祭りは馬のコンクールなどもあり、発表までの待ち時間に観客に遊んでもらうために、馬車を持っている人たちはボランティアで集まって来た。子どもたちは先を争って、その馬車の席を取る。でも、ノエミとゾエ(わたしも)はジュヌヴィエーヴのおかげで優先してもらえた。子どもたちは5台の馬車に全部で7回も乗った。

 古い石畳の町を、馬車で走り回るのは、とてもお尻が痛い。石橋や林の中を通り抜けるのが、とても気持ちよかった。でも、普段こんな町中を馬車で走り回れるわけがない。けれども、馬車のおじさんは、
「たまに、道路も走ってるよ」と言っていて、ノエミがやっぱり車を売って馬車を買おうよ、と目を輝かせた。馬に乗って障害物競走で落馬されるよりは、馬車を買ってお買い物にも便利。。。という方がいいかなあ、とちらりと思ってしまった。

 それにしても、あの《クロタン(糞)》がねえ。。。わたしたちが毎日どこを通って通勤しているとか、どこで何をやってるか、町中の人にバレてしまう。それに匂いとか。。。町の人から苦情が出るだろうねえ。。。

2006/09/20

ギプスを半分にしてもらう

 ノエミが怪我をしてから一週間が経った。
予定どおり病院に行き、先週とは違う先生が、先週撮ったレントゲン写真を見て、
「このくらいの骨折だったら、今週からはもうひじからの固定は必要ない」
と判断した。

 ギプスを半分切ってもらうことになった。
あの、のこぎりというのは凄まじい音がする。
男性二人掛かりで、始まった。
わたしが逃げ腰でいるので、「このノコギリ波柔らかいものは切らないから」と言って歯を触って見せる。
いや、知ってます。わたしもやったことあるんで。。。
でも、やっぱり恐い。
のこぎりが今日に限って柔らかいものも切ろうと決心していたら???

ノエミのひじが自由に動かせるようになった。
一週間で腕がやけに細くなっている。
ひじは楽になり、脱ぎ着がちょっとは楽になったが、それでもシャワーも宿題も、お皿の上の物をナイフで切ることなども自分ではできないので、私にとってはたいした変化はなし。

 今日は商工会議所で、インターネットをいかにして授業で活用するか、なるテーマの研修があったのだが、行くことができなかった。仕方がないから自分で研究する。
(でも生徒が集まらないので、レッスンが開始されない。余裕ある。)

2006/09/17

突っ走る

 さてさて、まだまだ突っ走るのである。

9月11日 音楽学校の会議。新年度のプログラム発表。ノエミは水曜日の夕方、音楽の理論とコーラスの授業。土曜日の午後3時からヴァイオリン。夏休みもキャンプに行った3週間以外は毎日練習したので、今度の土曜日が楽しみ。ゾエもヴァイオリンをやりたがっているので、土曜日の10時半に予約を取った。先生が小さい子用の小さなヴァイオリンに触らせてくださるそうだ。

9月12日 幼稚園の会議。担任との顔合わせと、教室の案内。幼稚園で今年習うことの簡単な説明が行なわれた。

9月13日 午後、ノエミを乗馬に連れて行く。午前中にアントワンを預かっていたので、午後はモーガンがゾエを預かってくれることになった。アルビへ買い物に行く。乗馬クラブにノエミを迎えに行くと、ノエミが額から血を流して、手首を包むようにしている。「また、落ちた」
見学の父兄と、クラブの先生から「痛み止めのクリームをぬって、大事にしなさい」と言われて帰る。あまり痛がってはいないけれども、「見た目より痛い」と本人が言うので、夜か明日になっていたくなったら困るので、一応医者に連れて行った。受付で「また来たの?」と言われる。
 結局、右手首骨折にて、二の腕から指までの豪勢なギプスをされてしまった。今年二月にひじを怪我してギプス経験ありの我が子は、「慣れているから」と、着替えも食事も手助け不要などという。こーんなことで慣れても困るんだよなあ。右利きで、ただでさえミミズの這ったような字なのに。あーあ

9月14日 大雨。いきなり最悪。急に寒くなってしまい、前日まで来ていた半袖が着れなくなった。ギプスが通る袖の服を探して大わらわ。雨合羽には腕が通らない。前が閉められない。風が強くて片手では傘がさせない。ゾエは雨靴を履いているので、水たまりを選んで歩く。わたしはノエミの重いかばんを肩代わりである。子どもたち学食の日。ゾエは大喜び。ノエミは不機嫌。

 午後商工会議所の体験授業へ。大雨で、最強にしたワイパーの効き目がないような午後だったので、体験入学者の数も例年に比べると大幅に少なかった。去年の学生2人が来てくれていたが、あとはスペイン語の先生と中国語の先生が、サクラで来てくれたのと、スペイン語の体験を終えた人が、お情けで日本語に残ってくれたので、頭数が揃って、レッスン開始。今年も2クラスもらえるかどうか、際どいところ。商工会議所では、少々レベルが違おうとも、できるかぎりひとつのクラスにまとめて、わたしのレッスン料を抑えたいのだ。毎年「少々」とは言えないレベルを混ぜてくれるので、たいへん苦労している。

矢の如し

 先週は31度だったのに、本日は日中16度だった。寒い。

ここのところやけに忙しかったので、さあ、まとめて日記でも書こうと思ったが、時計を見たらもう2時だ。

新学期だったので忙しかったのだ。
9月4日 新しい学年度始まる。ノエミ仲良しの子といっしょになれて幸せそう。ゾエは全部で24人の大きい組に6人だけ入れられてしまった《中ぐらい組み》の一人。前のクラスから顔見知りは2人セシルとイネスのみ。どちらとも仲良しなのでよかった。イネスは教室の入り口で大泣きして、お母さんが困っていた。
=======
9月5日 前日人が多すぎて支払えなかった、給食の費用を払うために、再び市役所へ。給食代金は親の納税状況によって異なるので、納税を証明する書類を持って行かなければならなかった。そーんなことすっかり忘れていたので、手ぶらで行ってしまった。「ご主人様の税金は?」と訊かれたがJPの給料がいくらかも知らないのに、税金払っているかどうかも知る由もなし。出直してください、と言われた。

9月6日 野菜を購入している農場で、月一回のピクニックがある日。ベジタリアンな人たちのために、野菜だけのちらし寿司を作って準備した。夕方からアントワンくんを預かっていたが、モーガンが遅刻したために、ピクニックに出掛ける時間を過ぎてしまった。仕方ないから、私とノエミだけで農場に野菜を取りに行く。

9月7日 商工会議所での、新学期会議
来週一日体験日というのがあるので、その話し合い。新しい中国語の先生が加わっていた。
英語、スペイン語は顔見知り。イタリア語やロシア語は数年前から交代。アラブ語の先生とは顔見知り。わたしは一番古株。(そして一番よいお給料をもらっている。。。だろうかねえ)
子どもたちは学校の食堂に行かせる。ゾエは大喜び。ノエミは不機嫌。

9月8日 午前中の早い時間に、JPの両親到着。3人で朝市へ。両親も買い物に参加。義父が荷物を持ってくれた。夜、義母の65歳の誕生日をとりおこなう。
ノエミは木箱に金色のペンキを塗り、おはじきやビーズ、ボタンなどで飾ったきらびやかな宝石箱をプレゼント。JPは竹で作った洗濯物干をプレゼント。木製の洗濯バサミがぶら下がっている。
あまりにも美しい洗濯物干なので、義母はシャンデリアのようにお部屋に飾ると言っている。
 この人にしては上出来な褒め言葉であった。

9月9日 ノエミ、友達のお誕生会に招待されている。前に住んでいたところの友達で、かなり遠い。仕方ないので、義父母とわたしたちは、ノエミを送って行ったついでに、そのそばのレストランで食事することになった。その近辺を散策。パステル博物館に行って、パステルと呼ばれる《藍》のような染料についての講義を聴いた。面白かった。

9月10日 近所で行なわれていた、ローカルな蚤の市に行った。昔小学校で使われていた、木と鉄でできた小さな机が出ていた。机の表面にインクつぼをはめ込む穴のついた、机の部分とイスの部分がくっついてセットになっているものだ。15ユーロとは安い。その村の学校に寄付されるそうだ。欲しかったのだが、車に積めないし、家のどこに置こうかということになって、結局買わなかった。わたしは正時ごとに12羽の異なる鳥の声で時を刻む時計というのを1ユーロで買った。電池式のちゃちなもの。それに正時の五分前に鳴るし、7.8.16時以外の鳥は啼かない。

 義父母が帰る直前になって、ノエミのわがままから、嫁と姑の争いとなった。いつものことながらわたしがキレて、姑を追い出すわけにも参らず、嫁のわたしが自宅を飛び出した。夕方遅くなって、義父母がナルボンヌに帰ったころに、わたしものんびり帰宅した。

矢のように過ぎ去った一週間。丸く終わらずツンツンで、こりゃあいかん。
 不平の大地に花が散る。。。。

2006/09/16

音楽の日

 ノエミ、新学期はじめてのヴァイオリンのレッスン日。
夏休みもできるかぎり練習をした。
先週の会議では、去年同時期に始めたマリオンが「今年はヴァイオリンはやらない。夏休みもぜんぜんやらなかったから、すっかり忘れてしまった」と言っていて、半分がっかり、けれども生き残ったという《勝利》の笑みもちらり。
 「もっとやる気ある子かと思ったけど。。。」などと言っている。おいおい

 やる気があっても腕がギプスにおおわれていては証明できない。
先生もきっとがっかりするだろう。
会議の時に、ゾエにも試しにやらせてみたい、と申し出て、ちゃんと時間をとってくれたので、あさ2人を連れて音楽学校に向かった。

 ノエミがまたもや怪我をしてしまったので、先生もあきれていた。でも「乗馬をやめればいいのに」などとは言わないのがさすがだ。
 さて、ゾエちゃん。
わたしのお尻に張り付いている。
朝からあんなに張り切っていたし、なにより、去年度一年間、ずっと「わたしもヴァイオリンをやる!」と言い続けていたのに。。。
ぐずぐずしている間に、先生にお客さんがあった。ちょっとお話をして戻って来た先生はかなり不機嫌だった。ぐずぐずしているゾエにもいらだちを見せ始めた。
 先生はきっと、「こんな小さい子。お母さんがやれと言ったに違いない」と思っただろう。

フランスでは三歳ごろから音楽をやらせたりするのは一般的ではない。ゾエのクラスでなにか習い事をやってる子はほんとうに少ないと思う。ノエミがヴァイオリンをやってるといっても、「小さいのに、たいへんじゃないの?」と言われる。
 でも、この先生は「小さい時から始めたらいい」と言ってくれていたのだ。
結局ゾエは泣き出して、楽器に触ろうともしなかった。残念。
「ノエミが治ったら、いっしょに連れて来たらいい。ヴァイオリンに触らせてあげるから」と言ってもらえた。そうですかあ。

 あとでゾエは、「知らないおじちゃんだった。恐かった」と言っていたが、前にも会ったことはある。でも、たしかにちょっと不機嫌ではあった。子どもはそういう雰囲気を敏感に感じるものだろうか。

 その晩、近所の田舎の小さな教会で、フルートとヴァイオリンのコンサートがあったので、家族で出掛けていった。
 ヴァイオリンはノエミの先生、フルートも顔は見たことのある、音楽学校の先生だった。
息のあったコンビ。マイナーな作曲家を中心に、どんどん新しい曲に移っていく。とても楽しいコンサートだった。わたしは小学校の四年生から高校生ごろまでフルートをやっていた。

 この週末はヨーロッパ中で「文化遺産の日」というのが催されていて、普段開放されない文化財が無料で観覧できたり、博物館、コンサートなどが無料だった。このミニコンサートもその行事のひとつで、無料だった。でも田舎の小さい教会なのでお年寄りばかり30人ほどのコンサート。

 最後に、《文化財》のマリア像に捧げられた『アヴェ・マリア』がとても素晴らしく心に響いた。子どもたちも大喜び。ゾエも、ヴァイオリンの先生が面白いおじちゃんだというのが分かって、よかった。

2006/09/15

滑る

 午前中、婦人科の検診。
行っている婦人科は女医さん。とてもよい人で、よく話を聞いてくれる。

 数週間前に「いやらしいジェラシー」のタイトルで書いた日記に、JPの同僚のシルビーのことを書いた。金髪で痩せてて、できるキャリアウーマンだ。彼女が、夏休みの最後の金曜日に、乳がんが見つかって、緊急入院のあと、直ちに摘出手術を行なった。現在化学薬品を使った治療を行なっているそうだ。それはとっても厳しい治療で、髪の毛が束で落ちたり、食べてないのに吐いたりする、とても体力を消耗する治療だそうだ。離婚して、引っ越したばかりで、子どもたちは新学期から新しい学校に通う。一体どうしているんだろうと思う。

 シルビーのことを考えたら、わたしも胸が痛んで来て、いきなり癌のことが不安になったので、婦人科での検診でも訊いてみた。40歳からは、乳がんの検診を勧めていると言って、レントゲン技師への紹介状を書いてくれた。あなたは大丈夫だと思うので、年が明けてからでもいいと思うけどと言ってくれた。

 帰りがけに、スーパーによろうと思って、高速を途中で降りた。市道に繋がるカーブをおりている途中に、一瞬《目玉》を忘れて来たような気分になった。
《目玉》はその場所に止まって、脳みそだけがぐらっと左に動いた気がした。
車が滑っているんだということはわかった。
車がくるくる回った。後ろから来る緑色の車がよく見え、「気をつけてー」と声にならない声を掛けていた。運転手が口を半開きにして急ブレーキを掛けたが、スリップはせずに、わずかなところで止まった。中央分離帯にも乗り上げなかった。
 
 後ろからあと5台ぐらい続いているのも、よく見えた。カーブだから、誰かがどこかに追突するんじゃないかと思って、滑りながら遠くまで、後ろの方を見ていた。(ような気がする)
追突も対向車への被害もなく、車が止まった。
 急いで発進させようと思ったが、方向感覚がなくなっていた。ハンドブレーキを掛けていないので、車がずるずると滑っていく。誰もクラクションを鳴らさない。後ろの人たちが、自分のことを心配して見守っているのがわかった。両手で顔をぬぐって、大きく息をして、そのまま進んだ。

 スーパーの駐車場で休んで、落ちついて来たのでスーパーを歩き、夕食用の魚を2尾手にとったら、ぐずぐずしないで帰りたくなった。

 駐車場で車をバックさせていたら、窓を叩く女性がいた。
「さっきの車、あなただったでしょ?」と言われた。はじめ、なんのことかわからずにぼっとしていたら、指でぐるぐると円を描くので、カーブで滑って車をぐるぐる滑らせた、自分のことだと気づいた。
 その人はすぐ後ろではなくて、数台先の車に乗っていたらしい。古いプジョーに乗っていたのがアジア人だったから、わたしのことがわかったのだろう。
 「危ないところだったねー。大丈夫?恐かったでしょう?」
というので、当時の状況がよみがえリ、頭がくらくらして来た。
「あら、なにやってんの?と思っていたら、その瞬間ぐるぐるってまわったわよ。道路に油でもあったのかな?スピードも出してなかったのにね」と言われた。

 いや、それにしても、事故に至らずよかった。追突事故でわたしの後ろにいた人たちが怪我でもしていたら、どうしようもないところだった。それにしてもいま考えると、気分が悪くなってハンドルを切り損なったのか、滑ったから方向感覚だか、平衡感覚だかがなくなって頭がふらふらしたのか、よくわからない。とにかく、事故というのはあっという間に起こるのだ。

 そのカーブには、黒い人型のパネルが立っている。その場所で、少なくとも一人の人が亡くなっているという意味だ。実はいつもこのパネルがカーブから見えて来るその瞬間に「どきっ」としてしまうのだ。気をつけていたはずなのに。。。これからはもっと自覚しよう。

2006/09/04

新年度

 今日から新学期。新しい学年のスタートだ。
先週になってやっと学用品を買い揃えた。6月に学級編成の表が張り出されるので、9月の新学期の担任とクラスメートの顔ぶりは知らされていた。まいとし、学年が変わるごとにお買い物リストが配られ、買いそろえるべき学用品が指示される。みんなだいたい同じものを揃えることになる。子どもたちは連絡帳や、バインダー、ペンケースなどで、おしゃれに差をつけようとがんばる。

 数年前までは学生のかばんが重いことがずいぶん問題になった。10年ぐらい前の小学生は、みんなハードカバーの重い教科書を、リュックサックに詰め込んでいて、体重の半分以上もあるものすごいかばんを背負っているような子どもも居た。最近の小学生のかばんには教科書はごく少なく、宿題も、教室でも、コピーが多く出回っている。教科書や参考書、副読本などは学校に置いてあって、みんなで貸し借りをしながら読むことも多い。

 2年ぐらい前にノエミは、かばんが重すぎて立ち上がれないことや、後ろにひくり換えるというようなことがあった。それで、JPの母がキャリーのついた旅行ケースみたいな、いま流行のかばんを買ってくれた。まっすぐな道路や、平らな廊下を転がすには都合がよくて、ノエミはかばんになんでも詰め込むようになった。石ころも、ゴミも。。。

 けれども、自宅は2階建てで子供部屋は2階であるし、歩道にはいつも路上駐車の車が半分乗り上げているために、学校にたどり着くまでに何度も歩道から道路に下りたり、道路から歩道に戻ったりしなくてはならないので、転がすというよりも、持ち歩くことになる。
 学校は2階建てで、エレベーターもエスカレーターも当然なく、母も居ないので、子どもは自分のかばんは自分で持たなくてはならない。だから、キャリー付きの超重量リュックは、危険だ。
キャリーがあるという安心感から、リュックサックよりもたくさん詰めてしまっているので、そんなかばんを階段の途中で転がしたり、仲間の脚の上を轢いたり、その巨大なスーツケースが教室で邪魔になったりするのがいやで、私はそのかばんを学校に持って行くことを禁じてきた。一年間毎日注意して、どんな時にも替わりに持ってやることはせず、邪魔になったりすると叱ってきたが、だめだった。ころころ転がして歩くスタイルが、スチュワーデスみたいでかっこいいのだ。

 学用品を揃えたら、かばんがパンパンになった。JPが何を言って説明したのかわからないが、ノエミは前に使っていた肩掛け用のリュックを出してきて、膨らんだかばんを背負って出掛けた。今日持って行く学用品のほとんどは、先生が確認したあと、教室の棚に保管されるので、帰りはだいぶ減っている予定だ。
 
 ゾエの持ち物は、私用のものはほとんどなく、名前を付けずにクラスみんなで分け合って使うことになる、紙のティッシュと濡れティッシュのケース、サインペンのセットなど。お絵描き用のエプロンは去年の使い古しだから汚いまま持たせた。室内履きはお隣のメリオッサンのお下がりをもらったので、ちょっと拭いて持たせた。お昼寝用の大きなバスタオルはうちにあったものだけど新しいものにした。連絡用に使われるとおぼしき、真っ白な封筒5枚も、リストにあったので持たせた。

 新学期はきれいな服を着ている子どもが多い。でもうちの子たちは夏の名残、日本の友人などのお下がりなどで出て行った。朝涼しかったので、長袖で出て行ったのだが、お昼に帰ってきて、靴下も長袖もズボンも脱いだ。まだまだ夏の名残で大丈夫そうだ。

 新しい学年が始まって、私もやる気が出てきたが、とりあえずはこの静けさを味わう。。。
(といいつつ大掃除が待っているのだあ) 

 
 

2006/09/01

夏の終わり

隣家に挟まれた壁のすきまの、我が家の小さな中庭から、真っ青な空が見上げられる。
《中庭》と称されている小さなスペースの、更に小さな地面の土に、緑が映えてきている。
トマトはそろそろ終わりだ。オシロイバナが満開で、その他にも『日本の芝生セット』という種の袋をばらまいたあたりに、日本の河原の土手に咲いているような小さな草花がにょきにょき生えてきて、雑草化している。しめしめ

 ああ、9月になってしまった。
夏休みが終わる。夏はとっくに終わってしまった気配だ。

 ゾエが蚊に刺されたらしい。夏も終わって、今年初めて蚊に刺された。
右目のまぶたなんか、刺されちゃって痛々しい。
あまりにもお岩さんを連想させるので、朝食のテーブルで、いきなり『番町皿屋敷』の物語を語ってきかせてしまった。朝っぱらから。。。

 夕べちょっと膨れていたので、うちにあったクリームを塗ってやったら、今朝は《お岩さん》で、まぶたが開かないので、午前中にマスリ先生の診療所に連れて行った。
待合室で、なにやらせっせと書いていると思ったら、マスリ先生にプレゼントする絵だった。
いつも出掛ける時にはペンと紙と、雑誌などを持ち歩く。

 どんなヤブ医者でも間違えようのない、ただの虫さされでしかなかったので、虫さされの薬を処方してもらい、薬屋に直行した。朝市にはJPとノエミに行ってもらった。

 JPは屋根裏部屋に天窓を取り付ける作業で一週間が過ぎた。
わたしは、サロンの残っていたペンキはがしをやったりしている。
子どもたちは学校が始まるのが待ち遠しそうだ。退屈している。