2009/12/31

大晦日の午後

 メゾン・ド・ヴィックの、持ち寄りパーティーに招待されたので、にわかに年越しの準備が始まった我が家。

 尻の重いノエミを脅迫して(?)、台所に立たせる。
JPの得意技《タルト・タタン》指導中。

 

できあがり



わたしの巻き寿司



作ったはいいけど、ちょっと悩む。。。わたしの図。

大晦日

 静かな年末だ。

 クリスマスに義母が持って来たフォアグラのせいで、JPとノエミが熱を出した。お腹の調子が悪く、クリスマスの残り物はぜんぶわたしが片付けた。台の上に置いてあったフォアグラの残り物を、ちゃっかり盗んだドロボー・ボボも、お腹を下して調子悪そうにしていたが、一番心配していたゾエは無事だった。ゾエはフォアグラをあまり食べなかったからだろう。それにしても、わたしはあんなにがつがつ食べたのに平気だった。フォアグラのせいじゃなかったのかもしれない。

 たまに思い出したように大掃除をしている。31日になってやっとノエミが自分の部屋の窓だけを拭いた。わたしはあと残りの五カ所の窓ふきと、台所の掃除と、廊下の掃除が待っている。そして、午後には巻き寿司を作る。

 おととい、ナディンに会った。ナディンは45歳ぐらいの独身女性で、文化センターで高給取りの所長をしていたのに、この春いきなりやめて、テントひとつ持って旅に出た。今はアヴィニョンのそばの小さな町の文化センターを運営している。その町のセンターは市役所の管轄ではなく、小さなアソシエーションの運営なので、《所長》とは名ばかりで、働いている人はみんな給料も同じ、権利も権威も同じなんだそうだ。だからとっても楽しくやっているし、やりたいことがあれば市役所にお願いせずに、自分たちだけでどんどんやっているらしく、ナディンは生き生きしている。
 そのセンターは家庭内暴力を受けた女性の避難所でもあるし、アラブ系の女性たちに文字を教えたり、彼女たちが持っている《人権》について指導したりする。精神的にも肉体的にも行くところのない子どもたちを、一時期預かって第二の家族を捜してあげたり、キャンプに連れて行ったりするのだそうだ。

 31日に何もしないと言ったら、ナディンに「メゾン・ド・ヴィックに来ないか」と誘われた。ヴィックという村にある施設で、そこは恵まれない人たちや、家族のない人たちの交流の場となっているらしいのだ。たとえば科学技術に関する仕事をしていた人が、仕事をやめてボランティアでそこの人たちのお世話をしているだとか、財産を投げ出して、その家の修理をしてあげてる人だとか、信じられない人たちがいっぱいいるよ、おもしろいよとのこと。アマチュア音楽家がいっぱい来るから、即興でコンサートをやろうよとか、子どもたちにはがらくたや、ぼろ切れや、仮装行列の衣装やサーカスの道具を置いておけば、即興で演劇もやるよ。
とのこと。何やらおもしろそうなのである。

 とにかく、家族のいない人たちや行くところのない人たちが集まって、新しい年を歌いながら迎えようっていう日だよというので、これはわたしにぴったりと思う。お食事は持ち寄りで、地べたに座って食べるんだよ。おしゃれもしなくていいよと言うので、これもまたわたしにピッタリッだなあと思っている。
さあ、どんな大晦日の晩になることやら。

 
 2010年も、健康で平穏な一年になりました。感謝します。

2009年も、ありがとうございました。これからもずっとよろしくお願いいたします。

2009/12/22

忘年会



 クリスマスパーティーなんてものにはうんざりしているのだが、忘年会だったら許せるな〜と思っていた。でも、わたしにはハデな忘年会をやるような《職場の仲間》もいなければ、親戚もいない。日本に帰れば親戚はたくさんいるんだがな〜。さびしいなあ〜。

 先日剣道クラブの仲間から、
「今年最後の稽古と、そのあとお食事があるのでおいで」と電話があったのだが、子どもたちは風邪を引いていたし、JPはまだ病欠だったので、忘年会には行けなかった。

 「年内に出します」と約束していた翻訳の原稿を、先ほど出した。
夜の七時、まだ会社で仕事をしていた編集部の《さ》さんから、「年内に届きました〜」とうれしそうにとろけそうな声で、電話をいただいた。わたしの《仕事仲間》から、「今年もありがとう。来年もよろしく」と、生のご挨拶をいただいて、涙出るほどうれしかった。
 もしわたしが大阪に行けたら、いっしょに焼き肉忘年会ができたかもしれないのになあ。残念。

今年もありがとうございました。
来年もよろしく。

 今日から、来るJPの両親との楽しいクリスマスパーティー(???)に向けて、わたしは忙しくなる。
 
 

2009/12/21

報告

中国語の変なメッセージが来るので、とりあえず、コメントが書けないようにしました。ちょっと様子を見てから、これまでの設定にもどします。marcさん、いつも応援ありがとう。

復活の日

 JPが仕事に復帰した。
18日から学校はクリスマス休暇に入り、それにあわせて休暇を取る大人も多いので、事務所には人なんか居ないんじゃないかと思う。JPは、朝《キネ》に行って、マッサージや体操をしてから仕事に向かった。数日前に義母から電話があり、
「JPは遠くまで歩いちゃ行けないんだから、駅まで車で送るんでしょ?」
と、当然のように聞かれたのだが、
「そんなこと提案もできない。歩いて行くに決まってる」
と、当然のように答えた。JPは、誰かに世話になるということが大嫌いだし、弱音を吐いたり、泣き言を言ったりすることは嫌いだし、少々どこか具合が悪いところがあっても、あんまり《痛い》とか、《心配》とか、そういう感情のない人間なので、
「寒いから車で送ってあげようか」などと言った日にゃ〜、
「きみはおれの母親じゃない」
と、当然のことを当然のように言われる。

 歩いて出て行った。医者にできるだけ歩くようにと言われているんだから、そうした方がいいのだ。
ただし、医者には「20分以上続けて椅子に座って仕事をしてはいけない」と言われていたのに、2ヶ月も仕事を休んでいた彼の机には仕事が山積みになっていたらしく、だから「一日中座っていた」らしいのだ。それはよくない。

 24日まで仕事をするんだそうだ。24日の夕方には両親と、パリの弟がやってくる。3人は24日の夜にはアルビのホテルに泊まるんだそうだ。うちにだって泊まるところはあるのに、うちのベッドは寝心地がよくないんだそうだ。一応これでも遠慮しているのだ。シーツ洗ったり、お掃除したりしなきゃいけないので。でも、土曜日からうちには食器洗い機があるので、らくちん。
 JPは、仕事の帰りに、クリスマスケーキを注文して来たらしい。らくちん、らくちん。

 うちから病人がいなくなったので、大掃除を始めた。台所の壁はがしもまた再開した。
子どもたちといっしょに要らないものをいろいろ整理している。でも、子どもたちは遠藤とダニエル両方の血を受け継いでいるので、何も捨てられない。朝から晩まで怒鳴っているのに、家の中は全然片付かない。
 子どもたちが見ていない間に、わたしはゴミ袋を二つ作った。はっはっは。

去年の秋に家族で帰った時に、子どもたちといっしょに持ち帰ったドングリを、従兄が育ててくれていた。
《みのりのドングリ》
の写真が届いた。実家の前の小さな畑にドングリの木を植え替えてくれたそうだ。
どこにあるか、わかるかな?(わたしにはわかるよん)

2009/12/19

ああ、雪。大雪。


家の中でぬくぬく、ボボ


洗面所で。


雪のカーモー市役所

 雪が降る降る。。。。とラジオの予報でずっと言っていたので、木曜日から楽しみにしていたら、金曜日の朝カーモーでもちゃんと降った。
 雪は金曜日の朝4時頃に降り出して、登校時間にはずいぶん積もっていた。子どもたちのクリスマス休暇が金曜日の夜からだったので、最後の日に雪が降って、子どもたちも親たちも興奮していた。朝はまだ踏みしめる雪もきれいで、さくさくと気持ちよかったが、昼頃にはびちゃびちゃになって、事故もあちこちで起こり、午前中にニコニコしていた人々も、夕方にはうんざりという顔になっていた。

 この日は学校の食堂でクリスマスの特別な料理やプレゼントが出されることにもなっていたし、これまで勉強したノートや工作をもって帰ってくることになっていたので、ゾエはどうしても学校に行くのだと言った。学校に行けなかった子どもが半分以上はいたはずだが、ゾエは歩いて一分なので便利。
 一週間、風邪で学校を休んだノエミも、火曜日からはいやいや学校に行かせた。行かせると言っても、ものすごく寒いし暗いので冬は車で送ってあげる。
 金曜日には車が出せないから、どうする?と言うと、「ぜったいに行く!」と張り切る。最後の日なので、クラスでパーティーがあるらしいのだった。サンタクロースの赤い帽子をかぶって学校に出て行った。

 金曜日は朝市の日なので、わたしとJPは買い物かごを下げて、朝市の出る広場に9時頃向かった。4時前には支度をして出て来た、遠方の肉屋さんや魚屋さんの大きなトラックは来ていたけれども、近くの町から来る花屋さんやコーヒー豆屋さんは、出発の時間にはもう雪がずいぶん積もっていたのだろう、トラックを出せなかったらしい。市場には出店がずいぶん少なかった。お客もとっても少なかった。電気の消えている商店も多かった。

 ここのところ気温が低いので、いつもは外で暮らしているボボも、家の中に入れてあげている。
八百屋のおばさんが、冷蔵庫の中よりも、お店の方が寒かった。と言っていた。今朝はマイナス7度だったらしい。

 今年の1月の初めに日本からテレビ撮影隊が来たとき、「この辺では一年に一回しか雪なんか降らないんですよ〜。そんな日に来ちゃいましたね〜」と言ったものだったが、一年経たないうちにもう一回降った。雪の中でサントセシル大聖堂の写真を撮ったのは、ずっと前の冬だったような気がする。あの日、薬局の電光掲示板はマイナス5度だった。靴にもカイロをつめて仕事したのだ。

 子どもたちがクリスマス休暇に入った。
金曜日に予定されていた、音楽学校のクリスマス・コンサートは大雪のため無期延期になってしまった。ノエミといっしょに、チャイコフスキーの《くるみ割り人形》をずいぶん練習したので、拍子抜けした。

 わたしは台所を片付けたり、翻訳の原稿を読み直したり、朝隈くんの動物たちの写真を撮ったりしている。
JPが食器洗い器を買ってくれたので、ちょっとだけ時間の節約ができて、書いたり読んだりする時間が増えそうだ。
木曜日から合気柔術っていうのも始めた。このはなしはまた。

2009/12/15

 自宅二階の窓から。


 子どもたちが風邪を引いているので、ここのところ学校を休ませている。大したことはない。熱も二日で下がったし、もらった薬も飲み終わったので、月曜日の今日は学校に行かせるつもりだったのだが、日曜日の朝にまた咳がひどくなり、けっきょくまた休ませた。

 なので、親子で10時まで寝ていた。平日に家族四人で、超朝型のJPまでもが10時まで寝ていたとは、すごい。
10時半頃、台所でうだうだ朝食をとっていると、雪が降り始めた。どんどん降り始めた。ずっと降っていた。びっくりした。12月に雪が降ることはカーモーでは珍しい。三日前に初霜だったのに。。。

 お昼すぎに日本から小包が届いた。
朝隈俊男氏の作品がたくさん届いた。送ってくださったのは、《楽天》などで朝隈くんの作品を販売してくださっている(株)周プランズワークという会社の方だ。頼まなかったものまで、どっさり入っていた。丁寧に一個一個、包んでくださっていて、みんな無事に届いた。うれしい〜〜。
http://www.shu.co.jp/

 朝隈くんは、中学と高校の時の同級生で、中学の時にはいっしょに剣道部だったけれども、男子と女子がとけ込めないお年頃だったし、わたしは野球部方向ばかりを見ていたし、などなど。。。あまり接点はなかった。わたしは部活動がいっしょだったせいか、記憶力がよろしいからか、おとなしい彼のこともよく覚えていたが、高校の同級生女子の多くは「だれ、それ?」というような彼であった。でもわたしが「卒業アルバムの寄せ書きで三年一組の担任の似顔絵を描いた人だよ」と言うと、みんなが「あ〜」という。あれはインパクトのある似顔絵だった。

 三年一組というのは三年生でただひとクラスだけ、別な校舎にあったし、数学の得意でキレそうな男子ばかりのクラスだったし、三年一組の男子は美人しか受け付けないような人たちばかりであったので、あの辺りはわたしにとっては立ち入り禁止地区であった。なので、朝隈くんともしゃべった覚えもすれ違った覚えもがない。

 朝隈くんのことをただ一人「彼はちょっと変わっていて、素敵」と言ってる少女が、友人女子の中に約一名いた。わたしはその子といっしょに上京したので、社会人になっても、東京に行ってまで、しつこくいつまでも友人が「朝隈くん♥」のことをそばでよく語ってくれたために、朝隈くんのことは忘れるどころではなかった。彼女の好みはTMネットワークの小室さんとプリンスだったのに、なんでそこで『朝隈くんも素敵♥』なのか、わたしにはよくわからなかった。

 彼女のパワーかなんだろう?東京・渋谷の、今はなき大盛堂書店、地下一階から八階まで本屋さんっていう、鹿児島じゃ考えられない書店でバイトしていた時に、6階でレジを打っていたら「えんどーさんっ!?」と声を掛けられた。朝隈くんだった。びっくりしたけど、いっしょに上京した友人女子にはすでに、小室さんそっくりな彼ができていて前ほど会わなくなっていたし、わたしはビンボー暇なしで友達も居なかったから、朝隈くんでも、すごくうれしかった。(でも?)

 朝隈くんがわたしのことを覚えているとは驚きであった。彼はひょうひょうとしていて、女子の名前などはどーでもいいような人だったように思っていたし、わたしは控え目で目だたない少女であったし(さえないオンナと言え?)、朝隈くんとわたしの間に接点って。。。なんだろう?

 同じ中学の剣道部で、あの頃には近づけなかった同級生男子と、この前里帰りした時に話しをした。(彼こそ昔から美人好きだったので、わたしは話したこともなかった。歳を取ると丸くなるものなのだ。声をかけてもらえた。)「エンドーさんって、一人だけ剣道着が白だったよね。朝隈と二人で『すげ〜』って言ってたんだよ」と言われた。そんなことはわたしも忘れていた。剣道着が白だったので、朝隈くんも覚えていたのだろうか。ってことは、彼らは首から下は一応見てたんでしょーか?

 わたしが日本を出たのは1989年。東京を出てから朝隈くんとは15年ぐらい音信不通になっていたのだが、数年前に再会を果たした。スティングがポリスの再編成コンサートをした日にも会った。東京公演の日にちょうどわたしは東京にいて、公演のあと飲み会に加わった朝隈くんとピース久保田から自慢話を聞いた。

 わたしは家を飾ったりする物や、ただ置いて眺めるだけっていうような物には、これまであまり感心がなかった。これまでの人生で、そんなものに浪費する経済的な余裕はあったためしがないし、「ただ見ていて幸せになれるから、無理してでも買う」というようなもので、かつ自分でも買えそうなものに出逢ったためしがないので、そんな贅沢はしたことがない。

 ほぼ20年ぶりぐらいに朝隈くんと再会した時に、「今こんなの作ってるんだよ」と言って、腕組みをしているブルテリアと地べたに座り込んでくつろいでいる象をもらった。ニッと笑った顔の動物たちが、朝隈くんらしくておもしろかった。『朝隈くんらしい』と、どうしてわたしなんかにそう言えるのかわからないけど、こんな素敵な作品が作れるならば、彼は素敵な大人になったのだろうと思えてうれしかった。東京で自分が苦労している時に、思いがけず再会した同級生だったので、そのあとも「どうしているかなあ」とずっと気になっていたのだ。アーティストなんて誰にでもなれるわけじゃないもの。ずっと怪獣を作っているのかもしれないと思っていた、じつは。

 朝隈くんの作品に触れてから、ずっとずっと朝隈くんの作品が欲しくて欲しくてたまらなくなった。そして去年の冬はじめて、彼の干支シリーズの中から『丑』を手に入れることができた。帰国している間に実家に送っていただいたのに、こっちに戻るまでに届かなかったので「来年もまた帰国すると思うから」と言って実家に置いたまま。とうぶん日本には帰れそうもないので、『丑』はもうしばらく母に預けたままだろう。
『寅』はフランスに直接送ってもらう。楽しみ〜。

 フランスでも個展をやってもらえないかと思って、今いろんな人に声を掛けているところ。
朝隈くんがハデなアロハシャツに、変な帽子をかぶって、猫と同じショッキング・オレンジ色の携帯を手に、にへらと笑ってフランスに来てくれる日を楽しみにしている。

http://clayanimals.net/gallery.html

 雪が降って外が静かなので、窓辺にいすを置いて、「これはジャズだな〜」と言いながら、ジャズを聴いてるところに小包が届いた。ジャズを聴きながら、朝隈くんの動物たちを何時間も何時間も眺めて過ごした。


 うまく撮れなかったけど、ハーモニカを吹いているんだよ。
 右足でリズム取ってるの。

2009/12/13


 毎週金曜日に、無農薬野菜を作っている農家から野菜が届く。
一ヶ月に一回、そこで野菜を買っている人たちといっしょに、持ち寄りの食事会をする。
JPは、滅多に出歩かない人だが、このグループの集まりには、なにがなんでも出て行きたい。
水曜日の夜から、子どもたちが急に熱を出した。世界中で流行っているらしきインフルエンザではなく、ちょっとした風邪らしい。予防注射もしてないので、具合悪いなと思ったその日のうちに医者に連れて行った。
 そういうわけで、金曜日のお食事会には出て行けないと思ったけれども、JPが友達に会いたそうにしているし、農場のみんなもJPのことをずいぶん心配してくれていたので、巻き寿司を作って持たせた。
 JPは歩いて出かけた。

 帰宅したJPが、書斎で仕事しているわたしのところにまっすぐやって来る。
「ちょっとパソコン貸して。天気予報を見たいから。リッシャーが今晩から霜が降りるっていうんだけど、昨日も今日もわりと温かかったから、変じゃないかな?」
 天気予報では、土曜日の夜と日曜日に霜が降りると予報を出していた。

 土曜日の朝、霜が降りて真っ白だった。天気予報よりも、リッシャーの方が正しかった。

もうすぐクリスマスなのだが、今年のわたしは全然つらくない。
 両親が病室に来ていた時に、先生の回診があって、
「退院してからも、一ヶ月は自動車での旅行はできませんよ。20分以上続けて座っているのもダメです」
と言ってくれたのだ。なので、わたしはクリスマス休暇にナルボンヌに行かなくてすむ。今年は例年通りのクリスマスをやらない。
なにがなんでも、どうしても、なんでもいいから、とにかくなんらかのプレゼントをだれにもかれにも買って、ど〜してもプレゼント交換をしなきゃならないっていう、あの、クリスマスをやらなくてすむ。
 そう決めてからというもの、わたしはクリスマスのショッピングでにぎわう巨大スーパーに脚を運ばない。わたしは年末の巨大スーパーの前で、毎年毎年空しい気持になるのだが、もうこのごろは巨大スーパーで買い物をしない。

 子どもたちとのんびり、ゲームをしたり、マンガや本を読んだり、音楽を聴いたり、クマさんの《猫の生活》などのコレクションを眺めたりしながら、昼寝をして過ごすつもり。自然に出て、本物の《ナンテン》探しをするのもいい。

 子どもたちにとっては今年最後の週が始まる。18日には学校にサンタも来る。
JPは、一応21日から仕事に復帰する予定。でも、20分以上続けて椅子に腰掛けていてはいけないので、仕事中に立ったり座ったり、廊下をうろうろ歩いたりしなければならないだろう。21日には、JPの職場のクリスマスパーティーがあり、カストルという町のパーティー会場にサンタクロースがプレゼントを持ってやってくることになっている。夏にカタログが来たので、親がプレゼントを注文してある。

 でも、JPは車に乗ってはいけないのだし、わたしは、サンタクロースにはうんざりしているので、あまり行きたくないのだ。でも、ノエミから「ゾエがサンタクロースを信じているので、クリスマスパーティーをやろうよ」と言われている。
 ノエミは12月5日に13歳になった。ずいぶん前からサンタクロースが誰なのかを知っている。それにしても、秘密だよというとつい言いたくなるくせに、サンタクロースに関しては、とことん隠していられるあたり、けっこうエラいなあと思う。