2010/09/29

あふれるようなエネルギー

 たしかに、まだエネルギーはある。
なので、今日から居合道のお稽古にも行って来た。
じつは、剣道よりも居合道の方がずっと好きなのだ。でも、剣道よりももっともっと難しいし、よい先生につきたかったので、これまでもう15年以上も居合刀を振っていなかったのだ。わたしの居合刀は佐藤先生からのプレゼントで、先生が測って買ってくださった短い刀。身体にとっても合っている。そして、フランスじゃあ、あんまり見かけない、赤い鞘で、鶴が羽を広げた素敵な鍔がついている。

 剣道のお稽古が始まった時に、居合刀も持って行った。刀の仕組みと使い方がわかれば、竹刀の握り方や礼法に関する様々な事が、言わなくてもわかるようになるから。そうして、若い人たちは、《バンブーブレード》などのマンガのファンでいきなり刀を振り回せると思って剣道クラブに入ってくるので、刀をちらつかせると目が輝く。まるで一週間のお試しレッスンのあとには刀を振り回されるかのように洗脳。。。しないけれども、うんちくには役立つ。

 剣道と居合道は全然違う。でも、剣道をやった事もない人が、刀を振り回したいためだけに居合道をやっているのを見ると、《全然わかってない》と思う。剣道をやっている人は、居合道や抜刀道をやった方が絶対にいいと思う。目付や刃筋の理解に役立つので。

 剣道は一週間に二回の稽古で、わたしとJP以外はみんな初心者だ。だから、この四回の稽古で、わたしは一度も防具をつけていない。五回目の明日は防具を持って行って、面を打たせてあげるつもり。四回でやっと正面うちができるようになったので。

 パリで何十人という生徒を相手に教えている女友達が、そのクラブに代々伝わっているという、ある日本人の先生が書いて残された『年間指導計画表』というのをコピーして送ってくれた。そんな立派なものがあるのに、彼女は日本語がわからないので、役に立てていないという。もったいない。頼みもしないのにコピーして送ってくれた。だから、頼まれてないけど翻訳して送った。情報交換をできる相手がいるというのはとてもありがたい。これからも指導について助けてもらったり、応援しあったりしたい。

 ミクシーを通じて、剣道部の後輩二人からメールが来た。びっくりしたけれどもうれしかった〜。うちひとりのマコちゃんの方はお嬢ちゃんといっしょに剣道を再開したらしいので、なんともうれしく思った。出産して、歳もとり、何年ものブランクがあって、忙しい仕事と育児の合間に稽古に出ていっているとはなんとも頼もしい。学生時代とはすっかり身体の働きが変わっているはずなのに、学生の時に動き回った人は、どんな風に学生剣道を抜け出たらいいのか、はじめわからない。学生時代のように動けなくてイライラしたり、学生みたいに走り回って体力がもたなかったりもする。わたしもまったく同じだ。だからこんな感じでやったらいいよと、意見交換をする。

 トゥールーズに美恵子さんという剣道の友だちがいて、彼女も学生剣道をどうやって抜け出したらいいのかと苦戦している。歳もほとんど同じで、経験も、実績も同じようなものだ。なので意見を交換し合う。
 滋賀県に住んでいる姉も、おばさんになってから剣道を再開して、ハマりにハマっている。今度ゾエも剣道を始めたと言ったら、姪っ子たちのお古をいっぱい送ってくれたそうだ。姉とも意見交換をする。

 フランス人と結婚している日本人の友達の中には、二十代で日本を離れて四十代で茶道を始めた友達や、通信教育で書道を習い始めた友だちがいる。みんなに感想を聞くのが楽しい。みんな自分の中の日本を探しているような気がするし、自分の中の意外な日本を発見しておもしろがっているような気がする。剣道や居合道は、おそらく身体を使って汗をかくから、この歳になってもやってると言うと『すごいね、えらいね、体力あるね』と言われるのだが、わたしは茶道や書道のほうがずっと、精神力や集中力を使い身体を動かす事でごまかしたりしないので、剣道よりも身体は動かなくても、終わったあとふっと心地よい疲れのようなものがあるんじゃないかと思う。あの張りつめた緊張感の中に何時間も座ってジッとして修行をするのは、わたしにはできない、とってもすごいことだと思う。

 剣道と居合道のおかげで、夜テレビやパソコンの前にぼーっとしている暇がなくなった。

 さて、試験に合格したので、料理の専門学校に入学が決まった。来週の月曜日から来年の五月までの研修。来週からわたしは専門学校の学生になる。昼間も暇がなくなったので、来週からは買い物はJPがやってくれるそうだ。アイロン掛けもやってくれないかな〜〜と思う。剣道に行く体力はあるけど、アイロンの山を片付ける元気はちっともない。学校のはなしはまた今度。

2010/09/19

白悠会の初稽古

 いよいよ、JPとわたしの剣道クラブがスタートした。
前もって予定していた人たちは全員出席で、いきなり来てくれた人を加えて、全部で14人の稽古となった。田舎の道場で、初日からいきなり十人を超えるのは珍しいと、多くの友達に褒めてもらった。
 寒い冬が来て、年末年始が来て、中学生がみんな卒業試験で忙しくなる頃。。。一体どれだけ残ってくれるか、楽しみだ。

 一番うれしいのは十年間やめていたJPと、ゾエが、わたしといっしょに剣道をしてくれると言ってくれたことだ。
14人みんなが来なくなっても、わたし一人取り残されることはない。
 わたしたちが三人で夜出かけるので、ノエミは家で一人。。。「自由でうれしい〜〜」のだそうだ。簡単な夕食を用意して出かける。

 10月2日には、遠くからもたくさんの友達を招待して、お披露目の会を行う。パリやモンペリエからも、わざわざ来てくれる。
クラブを創立するにあたって協力してくれた、たくさんの剣友たちに、感謝の気持ちでいっぱい。恥ずかしくないようにちゃんとやろう。

 さあ、これからますます楽しみだ〜。

 ネクトゥーさんの家に行って、いっしょにお経を読み、ネクトゥーさんの家をお掃除しして来た。あそこに行くと、おトイレと仏壇のお掃除が待っていて、ネクトゥーさんが作ってくれた天ぷらを食べ終わり、ホッと一息つくと、とても気持ちが洗われる。ネクトゥーさんは、お披露目の会には出て来れないようなので、とっても残念。誘ったのは申し訳なかったかもしれない。


 ネクトゥーさんと佐藤先生が見守ってくださっているので、がんばれる。


道場の写真はこちら。
http://hakuyukai.blogspot.com/

2010/09/09

秋そろそろ

 夏休みの話題はほかにもあるのだけれども、いろいろ書いている暇が、ない。あちこちでいろんなブログをやっているので忙しいという言い訳もあるし、夏の剣道合宿で知り合った剣道の友だちとfacebookなどで写真のやり取りや剣道に関する意見交換をするのが楽しいということもあった。書いたらすぐに返事が来るので、またすぐに返事を書いてしまい、そうするとその場でまた新しい返事が届くので。。。もう、やめられないとまらない。

 8月の終わりから今週に掛けて、ずっと剣道のことで忙しくしていた。7月に設立した剣道のためのアソシエーション『白悠会』が、いよいよ9月16日からスタートする。JPとわたしの二人しかいないので不便があったのだけれども、いきなりもう一人が加わることになって、進みが早くなった。夏の剣道合宿で寝食を共にした、もとフランス・ナショナルチーム・キャプテンのチュヴィ先生が、『白悠会』の専任指導者として名前を貸してくださったので、予定通り9月16日からクラブを始めることができることになった。

『白悠会』のブログはこちら。とりあえず、生徒がみんなフランス人なので、フランス語のサイト。剣道の写真をたまに載せている。

http://hakuyukai.blogspot.com/


 今のところ高校生女子一名、中学生男子四名、四十代男女が一人ずつの申し込みがあって、これにゾエとJPが加わるので、とりあえず稽古もどきが始められそう。剣道協会から『指導者資格の許可』を出してもらえたので、普段はわたしが教える。剣道は最初の半年から一年、防具をつけるに至るまでがとても長いので、一年続けられるかどうかがミソだ。最初の一年で楽しみがわかる人は少ない。防具をつけていなければ、剣道らしい剣道もできないので、わたし一人が防具をつけて見せても、ちっともおもしろくないだろう。特に若い人たちはマンガの主人公みたいに、刀を振り回すことを期待してやってくるのだから。そういうわけで、チュヴィ先生の提案で『一日お試し会』というのを催すことになった。10月2日に道場を開放する。

 チュヴィ先生は全国各地で講習会などをされる。そのような先生がうちに来てくださって、おまけに少数のわたしたちに特別レッスンをしてくださるというのだから、これはありがたい。『道場開放』の日には、地元の人たちが見学したり、剣道をやってみたり、防具に触ったりするのが目的なのだが、まあ、カーモーでこれをやっても見に来る一般人はほとんどいないと思う。それで、全国の剣道仲間たちにメールを書いて「チュヴィ先生の講習会がタダで受けられますよ」と誘ったところ、全国から剣道仲間が集まってくれることになった。
これで、防具をつけていない人たちの基本の稽古の、稽古台(元立ち、とても難しい役目)になってくれる有段者たちと、防具をつけてやる普段の剣道の稽古を、我がクラブの初心者たちに見せてあげることができる。見取り稽古はとっても大切。

 といっても、わたしたちの道場は45平方メートルしかないので、あまりたくさん来られても困るんだけど。。。

 チュヴィ先生の名前のおかげと、「日本人女性が道場を始めるんだって〜?」という好奇心で、メールのやり取りでしか知らなかった剣道の友だちに、カーモーで会えることになった。こんなにうれしいことはない。みんなにJPも紹介できる。いつも、一人で出歩いて、一人で勝手なことをやっているので、結婚してないんじゃないかと言われることもある。JPもいっしょに剣道を再開したいというので、とってもうれしい。

 今年は剣道の指導者資格試験の準備講座を受ける。指圧は理論で点数が足りなくて12月に再試があるのだが、もし12月に合格しても2年目の受講は来年の9月からなので、それまでちょっと時間がある。それと、わたし、9月の終わりから高校に入学する。だから、今年は商工会議所でのレッスンを断った。この話はまたいつか。

 昨日は歯を抜かれて、ちょっとがっかり。ずっと痛かった。でも、歯痛のせいで悩み悩んでいた頭痛がなくなり頭はすっきり。新学期なので、いろんな新しいことに挑戦しようと思って、わくわくしている。

 まあ、このようないろいろなことのせいで、今朝は運命とか人生について考えていた。今朝、友達がやっている美容院に行ってきた。新学期なので。数年前に生徒にプレゼントされ、数年間使っていなかった香水を振りかけて出かけた。そうしたら美容院で、その香水をわたしにプレゼントしてくれた、古い日本語の生徒クリスティンさんに、数年ぶりにば〜ったり会った。その香水の瓶にはもう1-2年も触れておらず、ホコリをかぶっていたので、「クリスティンさんごめんなさいね。どうしてますか?」とつぶやきながら、香水を振りかけて出かけたところだった。

 クリスティンさんは商工会議所のレッスンが終わってからも、コツコツ一人で日本語を勉強したらしく、とても上手になっているようだった。びっくりした。クリスティンさんは占い師なので、わたしがここに来ることがわかったのかしらと思った。再会もあるのが、新学期のおもしろいところ。そういえば、おとといは久しぶりに懐かしい幼なじみからメールが来て、昨日はミクシーでもすごく懐かしい人を発見した。振り返りながら少しずつ前に進んでいる。つもり。

2010/09/06

パリでの夏休み 五日目 最終日

 天気が悪いまま、最終日。
パリで着ようと思っていたワンピースも、寒くて全然着れなかった。靴も湿っぽい。サンダルはも荷物になっただけだった。ゾエなんか長ズボンを持っていっていなかったので、二日目からずっと、ノエミのズボンを履いている。

 さて、最終日、お部屋をきれいに片付けて、この日はじめて朝食を用意してくれた奥さまが、朝の元気な会話に加わる。これまでずっと朝はご主人にしか会えなかったのだけれども、最終日なのでがんばって起きてくれたんだろう。銀の食器でいただく朝食もこれで最後。

 荷物を持って駅に向かう。駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、オステーリッツ駅のすぐそばのミューゼアム・ヒストワー・ナチュレルに行くことになっている。(歴史自然博物館?)ここの骨の博物館と、生きた動物の動物園にも行きたかったのだけど、今回は時間が足りなくて無理。剥製の動物の博物館にあまり並ばずに入った。夏休み中に恐竜展もやっているので子どもが多い。



 中に入るとまずクジラの骨がぶら下がっていて、圧倒される。まずは海の生き物の展示を見て、中二階に上がると、そこには動物たちの行列。ノエミは気に入った動物を一頭ずつデッサンしている。すべての動物が剥製なのだが、じつに表情が豊か。こんなそばでハイエナやライオンを見ることができるなんて。。。子どもたちは感動している。動物たちは動かないし、たとえばトラと子鹿が並んで歩いている姿を写真に撮ることなんて普通じゃできないから、思わず写真を撮ってしまう。



 とても暗い博物館だ。そして、フラッシュは絶対に禁止。ベルサイユ宮殿でも、ルーブル博物館でも、「フラッシュはダメ」と言われながらも、あちこちで光っていた。人が多すぎていちいち注意もしてられないという感じだった。でも、この博物館ではフラッシュが光るとガードマンがだだーっと走ってやって来て注意をされる。光る辺りをチェックして、少しずつ光らせている人に近づき、三回目ぐらいになると注意されるという感じだった。わたしたちはフラッシュには十分注意していたので、あまりいい写真は撮れなかった。その代わり、ノエミがたくさんのデッサンをした。

 ノエミは今回の旅行ではほんとうに、行く先々でいろんなことに興味を示し、じっくり見学し、文句を言わずによく歩き、進んで写真を撮ったり絵を描いたりしていた。博物館ではあまりにも熱心で、みんなからどんどん遅れ、迷子になってこっぴどく叱られるシーンもあったが、それは単に親が心配しすぎてキレただけで、本人は迷ったという意識も、親が心配してるという気持ちも、一人で心細いとか、どうしたらいいんだろうという不安も、はっきり言ってなかったんじゃないかと思う。ノエミはパリに来る直前、ローマにも行って来た。今年は学校の旅行でスペインにも行って来た。スペインで I ♥ Spain, ローマでは I ♥ Roma のTシャツを買って来て、喜んで着ている。ミーハーだ。ローマではROMA ROMA ROMA ROMAとびっしり書かれたトートバッグを買って来ていて、それに絵の道具をいっぱい入れて持ち歩いている。パリでは PARIS PARIS PARIS PARIS と書かれたバッグを持って歩く若いアメリカ人やイギリス人をたくさん見た。若者はどこも同じか?

 日本人だけが違う。夏休みにパリなんぞに来ている子連れの日本人一家と言ったら、お金持ちに決まっている!お嬢様みたいな日本人の子どもを行く先々で見た。みんな自分だけのデジカメを持ち、お母さんのまねしてルイ・ヴィトンのバッグなんか下げてる。お母さんは夏の靴に靴下はいてるし、お父さんは日本の会社には絶対に着ていけないようなラフな麻のスーツを着ている。パリでは韓国人と中国人の団体さんもたくさん見かけた。わたしが東京で日本語を教えていた中国人と韓国人は、その地方のど田舎から出てきた労働者のおじさんばっかりだったので、中国人と韓国人と言ったら《そういう》イメージをずっと持っていたのだけど、このごろの韓国人は、まるで日本人そっくりだ。髪を染めてるし、ブランドものを下げてるし、ファッションも日本人みたいだ。一度だけ、セーヌの河畔を浴衣で歩いている女性二人組を見た。あれはなんかやっぱり変だった。本人たちも恥ずかしそうで。。。パリの教会で白いスーツを来た男性と、白いウエディングドレスを着たカップルが、結婚式の写真を撮っていた。ただ写真を撮ってるだけで、教会でお式をやっていたのではなさそうだった。いかにも日本人顔でヨーロッパのハンサムな男性のふりしてポーズ撮ってる姿が、ちょっとかわいそうだった。

 みんな、旅先ですれ違った人と、二度と会うことはないと思っているに違いない。

 最後の日なので、ノエミの希望を聞いて、《中古マンガ屋》に行った。わたしはそこでブラック・ジャックを買った。ほんとうはもっと大きなブックオフにでも行きたかったのだけど、もう元気がなかったので、五日目にしてもうすっかりなじみの出てきたこの界隈で、最後の食事をすることにした。Ecole Polytechnique のすぐそば。

 その前に、フィリップさんが教えてくれた、パリの人も知る人ぞ知る《闘牛場》を見に行くことにした。今では屋外演劇場として使われているそうだ。1860年頃、街の工事中に発見されたらしいのだが、じつは紀元一世紀の屋外競技場だったというわけ。パリの建物の真ん中にポッツリ残っている。《インターネットゾーン》という看板があって、石段でパソコンをやっている若い人が何人もいた。大学のそばのカルチエラタンと呼ばれる地域だ。



 JPが出張に行く時に乗る《夜行》に乗ってみたいというので、子どもたちを夜行に乗せた。興奮して眠りにつくまでが大変だったけれども、思っていたよりもよく眠れたらしい。夜の11時頃出発して、次の朝の7時にはトゥールーズに着いた。

2010/09/01

パリでの夏休み 四日目

 四日目は、地下鉄でルーブル美術館に出かけた。
ここでも、前もってチケットを先取り購入してあったおかげで、土砂降りの中、ガラスのピラミッド前の行列に並ばずに済んだ。わたしたちは地下鉄の通路から出るとすぐの屋根のある場所から、濡れる暇もなく時間通り入場できた。
 ルーブル美術館に朝一番に入る人たちの目的は何かと言うと、モナリザと正面から向かい合うこと。

 わたしたちははや足で。でも、たくさんの人たちが走って、まっしぐらにモナリザが展示されている部屋に向かう。モナリザが飾られている所のすぐそばに、まずは、サモトラケのニケの像があるので、つい、人びとの足が鈍る。写真も撮ってしまう。サモトラケのニケの像は、入り口を入って角を曲がった所に突然あらわれる大階段の上に、羽を広げている。ルーブル美術館で朝一番に、《目標》であるはずのモナリザに向かう通路に立ちはだかっていて、かなり衝撃的だ。

 朝一番に来たおかげで、モナリザをじっくり鑑賞することができた。真っ正面で見た。モナリザは今、レオナルド・ダビンチの《最後の晩餐》と向かい合っている。前に来た時には《最後の晩餐の謎に迫る!》と題された展示をやっていて、最後の晩餐に関する絵だけを集めた大広間に、《最後の晩餐》と、《最後の晩餐の実物大レントゲン写真》が向かい合って展示されていた。どうやら、ルーブル美術館は、日々変化を遂げているらしい。モナリザの絵も前よりいっそう頑丈な箱みたいな額に入っていて、薄暗くてよく見えない。
 「観光客の後ろ姿が写っていない、真っ正面のモナリザの写真撮っておいてね」ってJPに頼んでおいたのに、「そんなミーハーなことができるか!」と言って、写真を撮ってもらえなかった。くやし〜。

 今回わたしたちは、ルーブル時術館でモナリザ以外の絵を無視した。ルーブル美術館は、丸一日掛けても、ほんの一部しか見ることができない。1995年に従姉妹たちが来た時、そして2006年に従兄の家族が来た時、「ルーブルの有名な作品を三時間で見尽くそう!」とかいうような、すごいガイドブックを持っていて、従兄たちはやり遂げたらしいのだが、今回のわたしの目標は、《古代エジプト展をじっくり見る》だったので、どこから見たらいいのかわからないと迷っている家族をひっぱって、《古代エジプト展》をやっている棟に連れ込んだ。

 じつは、《ジジのエジプト旅行》という楽しい本を訳した。今年の年末までには出版される予定。そのせいで、《古代エジプト展》に深い思い入れがあったのだ。ミイラやマスタバや、そして《四匹のヒヒ》などを、この目で見てみたかった。

 ノエミがあまりにも熱心で、なかなか前に進まず苦労した。また連れて行くしかないな〜。
JPがいたために、ルーブル美術館の、楽しいお土産屋さんにも入れなかった。JPと迷ったふりをしてちょっとのぞいたら、絵画の有名人がつけていたのとそっくりな真珠のネックレスとか、古代エジプトの品のニセモノとか、そのようなおもしろいものがいっぱい並んでいて、おねだりしようと思っていたら、JPに見つかり「行くぞ」とあっさり言われてしまった。ちぇっ!

また行くぞー!今度はオルセー美術館にも行くぞー!(と、ノエミが言っている)

    地下の逆ピラミッド