2006/10/31

JP抜き

 JPが「行ってやれば?」というので、寄ることにした。JP抜きでは死んでも嫌だと思っていたけど、よく考えたら、ご近所には私の剣道の友達も引っ越して来ているので、そこに遊びに行ったら時間が潰せる。
 と、いう訳で、トゥーロンに行く前にナルボンヌに寄ることにした。午後着くように行って、泊まるだけ。。。と思っていたのに、JPとお義母さんの話し合いで、私たちはお昼に一緒に食事することになっていた。でも、家を出るのが遅くなった上に、高速道路でだらだら休憩していたら、ナルボンヌに着くのがとっても遅くなってしまった。

 途中、「もうこんな時間!!」という訳で、高速の休憩所のサンドイッチまで買って食べた。結局、この土曜日から日曜日の夜の間に、夏時間から冬時間となり、先週の12時は今日の11時だった。お義母さんの家に到着したのは2時頃だと思っていたら、まだ1時で、義父母は食事をせずに待っていてくれた。私たちはサンドイッチのせいでお腹いっぱいだったのに、またお昼をもらって食べた。

 お昼から、子供たちを預けて、友達の家へ行った。パリに住んでいた友達は(といってもずいぶん年上の大先輩)定年退職となって、南フランスに家を建てて移ってきた。ぐうぜん義父母の家から5分の所だった。これからはナルボンヌに来るたびに、友達を訪ねることができるので、うれしい限り。彼は自宅に仏壇や、本物のみずやたんすや、障子や畳、兜や槍などを置いている。もちろんに本当、真剣、鎖ガマやヌンチャクなどというものは至る所にある。この人は居合道のフランスで最高段を持っている人なので、もっちろん自宅に道場と石と砂で造った庭がある。日本人より和風な家に住んでいる。亡くなった佐藤先生が《弟》と呼んでいた人なので、私も習うことがいっぱいある。私服で会うことは今まで滅多になかった。彼ははかま姿がよく似合う。

 名残惜しかったのだが、冬時間になったせいで先週の17時は今日の16時だ。この前まで「まだ明るい時間」だったのに、もう薄暗い。急ぎの買い物をして、義父母の家に戻ると、子供たちが魔女に変装して、お隣の家の前でキャンディーをおねだりしている。住宅街には、吸血鬼とガイコツ
も歩き回っていた。
 《ハローウィン》だから。。。
 義父母は訪ねてくる子供たちのために、安売りで買ったまずい色付きキャンディーをテーブルの上に山と積んでいる。子供たちは魔女の変装で、キャンディーを食べ続けている。
 
 JPに電話するが、いくら鳴らしても出ない。
屋根裏部屋の工事をすると言っていたから、屋根裏部屋にいるんだと思って、暗くなってからまた電話した。出ない。屋根裏部屋の階段から落ちたんじゃないだろうかと思って、さすがに心配になった。

 夜遅くなってからまた電話したら、JPがにやけているような声で返事をする。
「電話したんでしょ?居なかったでしょ?」
「電話したよ、居なかったね。どこか行ってたの?それとも気絶してたの?」
「映画観に行ってた」
なるほど。。。
自分たちだけ旅行に出て、申し訳ないなあと思っていたので、JPが屋根裏部屋を放ったらかしにして、映画観に行ってたと聞いて、うれしかった。レストランも行けばよかったのに。
「なに食べたの?」
「スープ」
家を出るとき、冷蔵庫にはナーーーンにもなかった。
「自分で好きなものを買いに行くから」と言っていたから、放っておいた。うちには保存食というものはない。
「何のスープ?」
去年のコンポストから、勝手に生えてきたカボチャをスープにして食べたらしい。
さすが。。。

2006/10/27

翻訳開始

 大阪の出版社から、いきなり電話が来た!!
前に《その方向で》と言われていた翻訳の件で、オーケーが出たそうだ。
数日前に、メールが使えず、インターネット状況がおかしかった時に、メールをくださっていたらしい。「返事がないから電話しました」ということで、恥ずかしいやら、申し訳ないやら。

 2年後までには出版されていること、という契約をとっているらしく、翻訳は一年で、その後校正や、挿絵、印刷などに時間が取られるとのこと。1年ぐらいで全部訳してくださいと言われた。
そんなにかかるもの?と思われるかもしれない。
 実際、実務翻訳などはA4びっしり100ページを1週間以内。。。とかあるので、400字詰めで160枚というのは、1年もあれば楽そう?
とーんでもない。
 あらすじを3枚書くのだけで半年ぐらい掛けたので、どんどんやらなければ終われない。

 けれども24日から子供たち秋休みに突入して、なあんにもできない。
25日はシネグテなるものに行った。映画を観ておやつをもらった。
今度の土曜日にはいよいよ公開される『風の谷のナウシカ』もある。
来週にはノエミの里帰りのため、トゥーロンという街に行く。


 とりあえず、原作者に会って話がしたいと思って、メールを書こうと思う。フランスに住んでいるというのは、その点がとっても便利だ。この原作者と長くおつきあいできたらすばらしいと思っている。

2006/10/24

ビズ・ファミーユ

 ビズ・ファミーユという雑誌がある。
この雑誌は、フランスに住んでいる日仏家庭や、日日家庭や、日本人学生などを応援する雑誌で、日本でも購読することができる。

ホームページはこちら。
http://www.bisoupfj.com/

 半年以上前に購読を始めた。バイリンガル問題の特集があったのでそれを予約した。
編集長さんは、日本人の私と同年代ぐらいの女性で、パリに住んでいる。
その人が雑誌や個人のホームページで剣道について書かれていたので、私もフランスで剣道やってるんですよー、とメールを書いた。

 この雑誌のホームページで、《フランスの地方都市》というコーナーがあって、そこでは地方特派員を常時募集しているというので、アルビのことを書かせてもらった。
アルビに住んでいる訳ではないけれども、いきなりカーモーを書いたって、地名を知ってる人さえいないだろうからねえ。。。次回はカーモーも書くつもり。

 今回のアルビの写真は、従兄の了解を得て、従兄がフランスに来た時に撮った写真を使わせてもらった。きれいに撮れていたので。
アルビでジュエリーショップをしている友人のお店も紹介できたので、これでお客さんが増えたらいいなあ、と密かに思っている。

 フランスの生の情報を、読んでください。

2006/10/23

Operation Minori-te

「みのりです」と自己紹介すると、「どうやって書くの?」と言われるので、 MINORITE の Minori と書いて、「みのり」と発音してください、と言うとすぐに覚えてもらえる。「ミノリテ」というのはフランス語で「少数派」という意味。ラテン語でMINO MINOR というのは「少し」とか「小さい」という意味だそうなので、まさにそれって感じだ。

《オペラシオン みのり・テ》というのをやっている。《少数派のみのりがやってるキャンペーン》というようなものでしょーか。
実は、マダガスカルというところで、合気道をやっている友人がいて、その友人はマダガスカルという貧しい島で、長く続く開発を手助けするというような、とっても大変なアソシエーションの会長さんだ。
 マダガスカルという島は、アフリカ大陸から取り残されたように、モザンビーク共和国の沖、インド洋に浮かんでいる、大きな島国で、正確にはマダガスカル共和過酷という。
 彼のやっているアソシエーションで、ボランティアの翻訳者を募集していたので応募した。でも実際にはフランス語に訳す方の訳者を求めているので、あまり役には立てそうもない。
 マダガスカルの友人に、クリスマスに何か送ってあげたいなあと思っていたら、「中古の、子供用の柔道着がないか?」と言われた。合気道クラブでは今20人ぐらいの子供が熱心に習っているけれども、クラブ活動費を払える子供はほんのわずか。先生はボランティアで時間を割いて教えている上に、子供の稽古着を買ってやったり、体育館のレンタル費用を自腹でまかなっている。
 
 合気道も有段者になれば袴をつけたりすることになるが、子供のうちは柔道着でも空手着でも、何でもよろしい。柔道着は丈夫だから。。。とのこと。

 剣道をやっている大人の中には、若い頃に空手や柔道をやってたという人がとっても多い。だから、剣道クラブのディスカッションのサイトで、《柔道着をください》という呼びかけを行ったのだ。いくつかの質問メールが、ブリュクセルやタヒチからも届いた。私が柔道着を集めて、恵まれない子供たちにプレゼントする、専門家だと思われたらしい。それはどこの《基金》ですか?とか、どうやったら送ってもらえるんですか?などなど、質問が殺到した。

 個人でできる範囲でできることって、とっても少ない。今、私は定期収入がないから、マダガスカルに小包を送る日が来たら、「JPお金ちょうだい」と言わねばならない。なんてすばらしい身分だこと!小包を送る時にはJPの名前も書こう。理解ある夫で助かります。
 アフリカの子供たちの本当の《貧しさ》というのは、その目で見た者にしかきっと、わからないと思う。「うちにはお金ない」と、私はいつも言っているし、「お金ありすぎて困ってる」という人は、わたしの周りには一人もいない。だけど、アフリカの子供たちの生活というのは、健康も、屋根もない。未来も見えない。現代の人たちはテレビでも映像を見て、情報が得られるから、気になっている人は多いと思う。

 私はきっと健康で不自由なく平和に暮らしているから、そーんな遠くのことまで気になるんだろうと思う。なんて幸せなんだろう。

 呼びかけに応えてくれたのは今のところ一人。柔道着と空手着を送ってくれることになっている。楽しみだ。

  

2006/10/22

キノコ狩り

 去年はJPに作らせた栗クリームだったが、今回は私が挑戦した。
先週の週末に拾った3キロの栗を一個一個むいて、そりゃあ大変だった。
だから今週また森に行こうと言われたけど、「栗はなしね」とお願いした。

 森へ

ボボは車に弱くて、数キロで吐く。前はトランクに載せていたけど、トランクでは閉所恐怖症も伴って、1キロも走ってないのにげろげろやる。それで、ここ数回車に乗せるたびに助手席に載せて、頭をなでてやったら、なんとなく吐くのを防げるようだ、ということがわかってきた。気のせいかもしれないけど。

 家族で出かけるときには、たいていJPが運転するが、ボボが助手席に乗るとなったら、やっぱりジャンケンだ。一回目は「自分が助手席に乗ったらボボの場所がないから」などと言われてあっさり引き下がったけれども、足下にゲロやられてからは、やっぱりジャンケンにしてもらうことにした。

 今回は、「森に行く」というのも、「ボボ同伴」というのもJPの提案だったので、文句なしで私が運転席を獲得した。ボボはご主人様に頭をなでられて、よだれの量も心なしか少ないような?

 森に着くと、基本的にはボボは放し飼いだ。
 でも先週来た時にどんどん勝手に先に行ってしまい、けもの道を谷の方に降りてしまったという前科がある。

 「ボボーこっち来いー」と叫ぶとこだまのせいで、どうやら私たちが向こうの山にいると思ったらしい。JPは、女こどもを森の真ん中に置き去りにして、けもの道を降りて行ってしまった。日が暮れ始めて、一時はどうしようかと不安におののいた。JPという人は黙っていていきなり倒れたりする前科も持っているし、ボボは森で行方不明になって、真っ赤な他人(わたし)に拾われたという過去がある。

 谷の下の道を歩いている人に向かって、「オーイ。オーイ」と叫んだら、こだまが跳ね返る方角をいろいろ見回して、山の斜面に座り込んでいる私たちをとらえた。
「犬と40歳ぐらいの男性見ませんでしたかああー?」こだましている。
「その人なら無事に谷を降りて、犬を捕まえてましたよおおお」
谷を降りて、上ってくるかもしれないJPとすれ違うか、駐車場に向かって、谷の底から戻ってくるかもしれないボボを待つか。。。悩みに悩んだ。子供たちはおやつを食べ尽くして、寒がっている。

 駐車場に向かって歩き始めたら、谷の底から口笛が聞こえた。JPがボボをつないで手を振っていた。ノエミが「駐車場まで競争だよー」とこだまを飛ばした。めでたし、めでたしだった。

 さて、今週はお天気もとってもよいので、お散歩の人が多かった。すれ違う人があっちに猟銃を持った人がいるから気をつけてね」と言った。先週から狩猟解禁。そこへ子鹿が走り去って行った。目の前3メートルぐらいのところを、ダダーと走って行った。「あれよ」という間だった。

 セップ茸はもうあまりなくて、今回はちょっとトランペットの形をした黄色いジロル茸を、10個ぐらい採った。
 夜炒めて食べた。おいしかったー。

2006/10/19

フリーマーケット

 PTAの会議の日。
 もうすぐ、市役所関係者と、教師陣との合同会議が行なわれるので、その時に質問すべきことや、確認することを書き出すための会議。
 一番問題になったのはまたもや『食堂』問題だ。
学校食堂は、食べたい子どもだけが食べる。親が共働きの子どもなどが多いが、うちみたいに『お母さんにも自由な時間を』などと言ってしまえる親も、子どもを食堂に任せている。
全校生徒350人ぐらいの学校だが、食堂では幼稚園の児童も含めて125人ぐらいが常時食べる。そして、子どもたちはセルフサービスではないのだが、サービスをしてくれる大人、食事の時間に食堂内にいる大人は、なんと4人だけだ。食事時の騒ぎは容易に想像できる。そして好き嫌いのある子、油断してデザートなどを盗まれる子など、子どもの多くがパンしか食べないとか、残飯の量が異常に多いという状況も報告されている。
 食費は親が市役所に行って前払いし、子どもはカードを渡されている。カードにお金が入っていない子どもでも、食べることは出来るので、油断しているとカードはどんどんマイナスになっていて、市役所からの知らせもないので、数ヶ月後に払っていないことに気づいた親が、まとめ払いをすることもある。
 市役所の『食堂』係の管理は悪く、一週間に二日しか開いていないので、その日に払いに行けない親もいたり、行ったのに閉まっていたり、行列ができていたり。。。市役所の対応の悪さは毎回の会議で繰り返し報告されている。市役所の『食堂係』は市長の娘だそうなので、市長の評判まで落ちている。

 先日食費を払いに行ったら、『カードにまだ現金が残っていると、思いますよ。』と言われた。けれども、子どものカードをマシーンに入れると『カードにお金が入っていません』と言われる。
子どもからは『ママン、食費払ってよ』と催促される。
でも、確かに前払いしたのよ!!
どうしたことだ。
また市役所に戻ってみると、確かに前払いの記録が残っていた。
「でも、この窓口で払っても、役所の会計係にお金が払い込まれるのは三週間後ですから。。。」と言われた。特に小切手での支払いなどは、引き落とされるまでに何週間もかかる。

 九月の新学期、はじめての日、ノエミたちは食堂で食べなかった。この日、食堂に行かせなくてよかった。この日食堂のカードに入金の記録が残っていなかった子どもたちは、食事を与えられなかったのだ。払いの悪い親たちへ《みせしめのために》子どもたちは食堂のテーブルにつくことは許されたものの、食事は与えられず、小さなチップスの袋だけが配られた。普段パンしか食べない子どもたちだから、チップスには大喜びだったに違いない。それにしても。。。お昼に自分の子どもがチップスしか与えられなかったと知った親たちの気持ちは?
 私みたいに前払いしたのに、入金の記録が残っていなかったという人もいるし、払いに行ったのに窓口が閉まっていたという人もいる。確かに払いの悪い親たちには、いい反省の機会になったと思う。でも、子どもたちが人質になってよいはずはない。
 今度の会議では市役所の人たちは痛い目に遭うだろう。

もうひとつ、会議のテーマは、4年生と5年生のスキー旅行の、費用をどうやって集めるか。
親は四回払いで120ユーロ支払う。けっこう痛い出費だ。教育委員会からの補助や、今年の始めに行なったロト収益金もある。でも、まだ足りない。
 私は子どもたちにクリスマスカードやしおり、クリスマスの飾りなどを作らせて、売ったらどうか?という案と、本屋おもちゃなど、子ども用品を中心としたフリーマーケットを提案してみた。
思っていたよりも、いい反応だった。
 フリーマーケットを行なう方針で、具体的な意見が交換されて、場所の掛け合いや法律などのことを調べる係も任命された。

 フリーマーケットはどんな小さな村でも行なわれていて、自分が要らなくなったものを安くで売って、他の人の役に立つなら、こんなにいいことはない。リサイクルのためにもたいへんよいと思う。子どもたちが自分たちで《お金を得ることの大切さ》を実感できるかもしれない。実現したらいいなあ、と思う。
 

2006/10/16

忙しい一週間でした

16日 月曜日 ノエミ、学校のみんなと校外のホールで観劇。このごろ文化的な催しが多い。季節だからねえ。

17日 火曜日 ゾエ、幼稚園のみんなと映画鑑賞。町の映画館で、チャップリンなど無声映画を四本見た。私は学校から依頼されたので、子どもたちの引率としていっしょに映画を見に行った。

18日 水曜日 農場の野菜を取りに行く。トピナンブール(キクイモ)といって、スーパーなどでは決して売られていない昔の野菜が入っていた。
午後は、図書館で読み聞かせがあって、ゾエと2人でお話をききに行った。

19日 木曜日 centre social (日本語では社会福祉センターでしょうか?)で、フランス語のレッスン。今回はじめて参加。イギリス人初級の人が2人、チュニジア人1人と私だった。私はフランス語圏の国での暮らしが長いので、フランス語はいちおう『初級』ではない。私は出来るだけ口を開かず黙っていたのだが、練習問題が易しすぎて先生の方が困っていた。初級から勉強のやり直しをしたいと思っていたので、私はうれしかったのだが、行ったらみんなの勉強の邪魔になるかも?という雰囲気が感じられた。夜遅く、学校の会議。

20日 金曜日 朝市の日、午後はインターネットでメール返信に忙しい。いまoperation minori-te というのをやっている。学校の会議で自分で提案したことが、みんなの賛成を受けてしまったので、忙しくなった。

21日 土曜日 ノエミ、ヴァイオリンレッスン再開。誉められて帰って来た。新しい曲を三曲もらって来る。 夕方、電話があって剣道に呼ばれた。カストルという小さなクラブで教えている、元アルビの部員が、カストルで教えている若い子たちを連れて、稽古に来るというので、出来るだけ参加するようにとのこと。久しぶりに汗をかいて、とても気持ちよかった。ノエミにも手が掛からなくなったことだし、今年はチェロもやっていないので、剣道を本格的に再開すべきかなーと思う。

22日 日曜日 森に栗拾いと、キノコ狩りに出掛けた。先週の日曜日はセップ茸を3つと、栗を3キロとって、くりクリームにして食べた。

2006/10/14

マジシャン

 ノエミが骨折していた時に、ヴァイオリンも乗馬もお預けになって、ひどく退屈していたので、町の文化センターで《マジックの講習会》があるとわかった時に、迷わず申し込んだ。
《マジックペン》ではなくて《手品》のことです。

 でも申し込んでから「片手でも出来るのかな?」と不安になったが、講習会の2日前にギプスが取れる予定ではあったので《いちかばちか》でいちおう予約だけ入れた。そうすると親は入場料がただになる。うほほ


 いよいよ当日。
2時から4時まで《マジシャンになるための講習会》が催された。
2時間でマジシャンに慣れるとは、すごいなあ。

終わった頃に迎えに行くと、子どもたちはみんなプロのマジシャンからもらったカードセットなるものを手に、文化センターから出てきた。
ノエミは家族を相手に習った手品を披露したくてたまらない。ちょっとうるさくなって来た。
「いまネタを見せられたら、あとで面白くないじゃないの」って言ってるのに、全部やりたいらしい。
 カードの手品は、大きな仕掛けというよりも、数学的な計算と記憶力がものをいうのだそうで、ノエミの得意分野だ。でも、カードを《らしく》切ったりするその器用さがないので、手元からバラバラと落としたりしている。やり直し。やり直し。なかなか熱心だ。

 夕方遅くに、おめかしした子どもたちと、大人が集まった。
講習会参加の子どもは10人までという規定だったので、10人分の家族が集まるだけだと思っていたら、入場料を払って見に来た人たちが大勢いて、会場には50人ぐらいの人が集まった。子どもが多くて、ものすごい騒ぎだった。

 10人のミニ・マジシャンのショーが始まった。
一番最初の子どもはロープを使ったもの。切ったはずなのに最後に手の平から長い一本のロープが出ると言うもの。会場からは《助手》が選ばれる。大人もけっこう喜んで参加している。
私もマッチ箱の手品の助手となった。
カードの手品シリーズが始まって、ノエミのクラスメートのテオが会場の隅に隠れるように座っていた市長さんを《助手》に指名した。テオのお母さんの顔が真っ赤になっていた。
 市長さんはカードを選ばされた。カードは会場のみんなによく見えるようにぐるっと一周し、束の中に戻される。
 最後に「あなたが選んだカードはこれですね!」と、自慢げに一枚のカードを掲げたテオ。
でも、そのカードは間違いだった。
「うっぷす」(おっとしまった、という時の口から出る音)
困っている市長さんと、口元に手をあてて、そこからはみ出た大きな目で市長さんに助けを求めるテオ。会場は一瞬水を打ったような静けさとなり、そのあと大爆笑が怒った。

 ノエミのカードゲームは「これですね?」と言って掲げるカードが実は間違いで、その間違って掲げたカードの番号の数だけ降り出していくと、本物のカードが飛び出すというゲーム。間違ったふりをして、その次にちゃんと指定のカードが出るという仕掛けだった。なかなか手が混んでいる。

 子どもたちのショーのあとはプロのマジシャンの出番だった。音楽も照明もあって、とても素敵なショーだった。
 

2006/10/12

心配しすぎ

 ノエミが怪我をしてから、40日ぐらいが経った。いよいよギプスが取れる日。
ギプスをつけてくれた救急センターに行って、ギプスを切ってもらい、そのあとレントゲン室に行きレントゲンを撮ってもらう。そのあと医師の検査を受ける。
 この日しかない、というので、学校の授業のある木曜日に、教室を抜けてもらって午後3時ごろ病院に向かった。レントゲン室で時間が掛かり、大慌てで診察室の待合室に行くと、ずいぶん混んでいた。このままでは4時半までに戻れない。困った。

 4時半にはゾエを幼稚園に迎えに行かなければならない。遅刻すれば自動的に学童(みたいなところ。centre des loisir という)に送られる。子どもだって《心の準備》というものがあるし、そこに行く時にはおやつを持たせる決まりがあるのに、ゾエはかばんにおやつは入っていない。医師との約束が3時半だったので、余裕で迎えに行けると思っていたからだ。
 4時15分になったので幼稚園と、モーガンの家に交互に公衆電話から電話したが、どちらも返事がない。幼稚園の電話は受話器が外れているようだ。モーガンの携帯に電話しようと思っても、番号を持っていなかった。JPは電車に乗っている時間帯で、こちらも捕まらない。誰も迎えに行けない。あちこち掛けてる間に小銭もなくなった。(留守電が返事するので、小銭が落ちる)ゾエはおやつなしで「ママンが迎えに来てくれなかった」と泣きながら、学童に運ばれるのだ。申し分けなくて涙が出そうになった。

 結局、先生の顔を見たのは5時半だった。
先ほど撮ったレントゲンをちらっと見て、「くっついてるね」とひとこと言って、ハイさようなら。こおんなに待たされてー!!と悔しくなったので、体育の授業をしばらく休むための証明書を書いてもらった。ついでに、何か質問はないかなーと考えたあげくに、
「うちの子、小学校に入って3回も骨折したんですけど、骨が弱いんでしょうか」と訊いてみた。
そうしたら先生は、「骨折した子どものお母さんは、みんなそういうことを訊きます。食べ物が悪いんじゃないかと心配するね」と笑われた。いや、しますとも。
 「馬から落ちたり鉄棒から落ちたら、そりゃあ骨折もしますよ。階段から落ちて怪我をしないで済んだら、それはラッキーというものです。本当に骨が弱くて、なんとかいう(医者は知ってるけど私は忘れた)病名がついている子どもたちというのは、一年に60回も骨折するんですよ。じっとしてるのにぼきっと折れたりするの。だから、人生で3回骨折したぐらいじゃあ大丈夫です。まだ余裕あります」と、太鼓判を押されてしまった。
 心配して損した。でも、カルシウムを摂るに越したことはない。

 ゾエを迎えに行くと、学童の子どもたちと楽しそうに遊んでいた。おやつもちゃんともらったそうだ。忘れて来る子もいるので用意してあるのだそうだ。大好きなおねえさんと工作などして、とっても面白かったのだそうだ。「ママンに忘れられた」とかそういうことはみじんにも思っていなかったらしい。
 心配して損した。

乗馬はお預けだが、ヴァイオリンはリハビリのために今すぐにでもやんなさいと言われた。
子どもは骨折のあと、大人みたいなリハビリはしないそうだ。
私は骨折期間よりもリハビリ期間が長くて、その時の方が辛かったので、リハビリがないとはよかった。お風呂も宿題ももう手伝わなくていいから、よかったー。
 

2006/10/10

依存症

 毎日パソコンの前に座っている。
もちろん仕事で使っているし、テレビの代わりにビデオを見たり、友達と喋ったり、討論に参加したり、連絡事項のやり取りや、カタログ検索、辞書代わり、読み物、書き物、予定表、日記、ニュースを見る、聴く、読む などなどなど。。。
 日本の家族や親戚、友人、フランス以外の国に住んでいる友人たちとの近況報告の場でもある。

今や、電話よりも、テレビよりも、大事な情報通信手段となっている。

 引っ越した家に付録でついていた、食器洗い機は先日壊れたけど、買い替える気はなし。 
 冷蔵庫は独身者用の小さなもので、結婚当初から使っているけれども、家族が四人になっても、子どもが大きくなっても、中に入っているものの量は変わりない。(つまりいつもほとんど空っぽ状態)だから買い替える気もない。
 ステレオも20年ものだかで、ぼろくなってきたけど、音楽もニュースもパソコンで聞けるから、買い替えなくてもいい。
 車は、ホンットーにおんボロで、冷房もないし、ラジオも時計も窓もロックも、時々電流が流れなくなっている。ミラーは両方とも壊れているし、車体も傷だらけだけど。。。「こんど買い替える時には《馬》」と私以外の家人は考えているので、もうちょっとがんばって乗る。汚染物質が路上駐車しているのと同じだけど、まあ、要るときゃ要るので捨てるに捨てられない。エコロなJPに遠慮しーしー乗り回している。

 でも、パソコンが壊れたら、本当に泣きたくなってしまうのである。
ビンボーなJPに向かって「ねー新しい、私だけのパソコンを買ってちょうだあああいー」と遠慮しらずに叫んでしまいたいのである。(普段はあまりおねだりしない方)
 さて、ちょおっと調子悪い日が二日ほど続いたものだから、こちらも何かと不便をして、いらついて、ストレスがたまったのである。これは危ない。依存症だろうか?

 「この頃(10月10日前後)にメール書いたのに、返事くれないでひどいワー」
と思っている方があったら、改めてご連絡ください。
確かに届いたはずなのに、いつの間にか行方不明になったメールなどもあって、腹立ちます。

2006/10/07

本の展示即売会

 ブックセールっていうんだろうか?本を展示して、その場で作家にサインしてもらったりする催しがあった。毎年ガヤックという町で行なわれる「本の見本市」に行った。子どもの本と、タルン県の作家の作品が多く紹介される見本市だ。

 バンドデシネという、フランス風マンガのコーナーには、30代以上の男性が多い。うれしそうにサインをしてもらっている。お父さんはそういう所で勝手にうろうろしているので(JPも)、お母さんは子どもたちを連れて、児童書コーナーに群れている。児童書コーナーのそばにはきれいな写真集や、お料理の本などが並んでいる。

 児童書コーナーに入った所で、折り紙の本を売っている女性がいた。その人が編集した本らしい。私の顔を見て「日本人ですか?折り紙できる?」っていうから、その人が折っているものを見ながら、「あんたより巧くできるよ」と思ったけど、「まあ、できます」と遠慮がちに言った。
 その人の折り紙の本はとっても簡単な、幼児向けとも言えるもので、3回か4回折ったら猫とか、船ができるというような作品が多かった。ちょうどわたしたちが訪れた時に『羽根が動く鳥』を折っているところだった。それを見たノエミが「私、つる折れる」といって、女性に紙をもらい、それがただのコピー用紙だったので、ちゃんと折り紙用の正方形に切りそろえて、折り始めた。
「ヘエー慣れてるのねえ」と感心している。
 「あなたも何かできるものがあったら、どうぞ」と言って、テーブルを開けようとしてくれたが、テーブルにはもう場所がなかったので、私は空中で折れるからテーブルは要らないと言って、子どもたちに場所を譲った。
 おばさんがノエミの折る鶴と、ゾエの折る《猫》に見とれている間、私は空中で折り紙をやっていた。見てないふりをして、実は横目でちらちらと私の指先をスパイしているおばさんである。でも、すぐに行方不明になったらしい。「裏返したところからわからなくなった」などと言っている。ノエミが鶴のお腹を膨らませている間、私もカタツムリの背中を膨らませた。机に置いて「エスカルゴだよ」と言ったら、感動していた。どんなもんだい。おばさんがそのカタツムリをちょうだい、研究するから、と言いたそうで言えない感じだったので、「持ってけドロボー、おつりは要らない」というようなえばった顔をして「あげます」と言った。横柄な日本人である。
 その場を去ろうと振り返ったら、見物人がわんさと後ろに並んでいて、何人かにお褒めのお言葉をいただいた。でも、そのおばさんの本にはカタツムリは出ていないので、おばさんの顔を潰してしまったかもしれない。大いに反省した。私のカタツムリを研究して、次回の本に載せていただきたいものだ。

 そのそばに大きな鶴の墨絵が見えた。とっても日本っぽい墨絵だった。
そこではHIROSHIMAというタイトルの絵本が売られていた。
 女の子がおばあちゃんに原爆体験を訊く、というストーリーで、墨絵と水彩画を上手に使ったきれいな絵本だった。原爆のせいで苦しい思いをした、というような絵本ではなくて、原爆が落ちる前の鶴と桜の思い出話だ。
 女の子がおばあさんの前で手を合わせて、挨拶しているページがあったので、これはきっと作家は日本人じゃないな、と思ったら、やっぱりフランス人だった。このポーズはタイ人かインド人かじゃないんでしょうか。日本人は「ゴメーン」とか「オネガーイ」というような時に手を合わせることがあっても、「おはようございます」と言いながら手を合わせないだろう。

 水彩画のページの右上には、各ページに新聞の紙面に載ったと思われる古い写真と解説もある。例えば「日本軍は真珠湾を闇討ちし、多くのアメリカ人を殺した」とか「日本はナチスドイツと手を組んだのだ」など。

 その作家は「あなたは日本人ですか」と訊いて、私の反応が恐ろしいかのような目で見たけれども、私が「このような本は珍しいから、子どもたちに買ってあげたい」と言ったら、目を細めてノエミを見た。そして、墨を使って絵本の中表紙にノエミの似顔絵を描いてくれた。目の辺りがとってもアジアティックで、主人公の女の子によく似ている。

2006/10/06

ポリーヌのおばあさん

 去年、商工会議所の日本語クラスで勉強し、高校卒業試験の日本語で20点満点の17.5点を取ったポリーヌさんは、8月15日から福岡女学院という高校に留学している。

あ、今気づいたけど、《女学院》だから女だけか。大丈夫かねえ。
あこがれの制服も着て居るらしいので、ぜひ写真を見てみたいものだ。

 たまにメールが来る。便利な世の中になった。

 ポリーヌさんのホスト・ファミリーはご両親共働き(どちらも教授と教師)一人っ子の中学生の居る家庭だ。おばあさんという人は茶の湯の先生でいらっしゃる。とてもよい家庭だという話。

 ポリーヌさんは学校のクラブ活動で、前にわたしに宣言した通り、剣道クラブに入った。
とても難しくて、でもとっても面白いですううううう、とメールにあった。

 毎年夏には、福岡で『玉龍旗』という剣道の高校全国大会がある。日本ではサッカーやベースボールは毎日やってるのに、剣道をテレビで見ることなんて滅多にない。でも、玉龍旗はテレビでやる。ポリーヌさんは来年の夏に本場の福岡で、本物を見れるんだ。ああ、うらやましい。

 フランスの新学期は9月だったので、ポリーヌさんは2学期から留学となった。このまま高校2年生のクラスで春まで勉強する。そのあとは、3年生に進級。その時にホストファミリーも交代して、来年度には子どもが5人居る家庭で暮らすことになる。お父さんがお医者さんで、お母さんは専業主婦だそうだ。へえ。おもしろそう。
 ポリーヌさんは小さい時にお母さんを亡くしているので、専業主婦で、いつも子どもといっしょに過ごすお母さんと触れ合うことができるのを、それはそれは楽しみにしていた。お母さんの居ないポリーヌさんが、日本に2人のお母さんを持てるなんて、よかった。よかった。

 ポリーヌさんにお母さんが居ないことは知っていた。でも、よくおばあさんと過ごしていると、ことあるごとに耳にしていた。ポリーヌさんと2人でよく旅行などしているおばあさんだ。ポリーヌさんが日本に行ってしまって、どんなに淋しくしているだろうと思って、ポリーヌさんから日本の近況を知らせるメールが届いた時に、ポリーヌさんのおばあさんあてに、わたしからメールを書いた。春休みにポリーヌさんがおばあさんのパソコンからメールをよこしたことがあったので、アドレスが残っていたのだ。

 本日、ポリーヌさんのおばあさんから電話をいただいた。世間話をいっぱいした。ポリーヌさんが母親を亡くしたのは《小さいころ》ではなくて11歳だったと知った。まだ若いのに癌だったそうだ。ほんの数年前のことだったなんて。。。ポリーヌさんの明るさからは想像もできなかったし、わたしはそういう家庭の事情など訊きもしなかった。おばあさんは
 「あの子は母親のことを語りたがらないの。あなたがとやかく訊かないから、だから、あなたのことも好きだったんでしょう」と言っていた。
 たくさんの後悔とともに去っていった人のことは、語れないものなんだ。語りたくなった時に聴いてくれる人がいたら、いいんだ。

 おばあさんは、ポリーヌさんが日本に行ったことをとても喜んでいた。昔からの夢だったし、日本でいろんな体験をするのはいいことだと言っていた。寂しがっては居ないようなので、ずいぶん安心した。

 「でも、退屈してるから、どうぞ遊びに来てよ」と言っていただけたので、子連れで遊びに行くつもり。わたしにも、フランスで新しいお母さんができた。うれしい。

たまには仕事

 月曜日に耳鼻科に行き、耳がつまってるのをどうにかしてもらったが、どうもよくならず、きのう、木曜日にマスリ先生のところに出直して、抗生物質をもらってきた。

 マスリ先生のところには手ぶらで行く。医者や薬局に行くのに、お金は要らない。高い保険料を払っている(らしい)ので、ある一部の治療を覗いて全額払い戻されるような仕組みになっている。出産の時にも一銭も払わなかった。その仕組みはよくわからないけれども、マスリ先生のところに行くのにお金は要らない、ということはわかる。普通ジェネラリストと言って、とにかく「どっか悪いなー」と思ったら行く医者、というのがいて、それがうちではマスリ先生ということになっている。そこでマスリ先生が簡単に診断して「耳鼻科に行きなさい」とか「レントゲンを撮りなさい」とか言われ、専門医に送ってくれる。ジェネラリストは毎回の診察料が21ユーロだが、この前行った婦人科は28ユーロで、月曜日の耳鼻科は33ユーロだった。とにかく、《現場》でその金額を払い、保険の会社に書類を送ったら、払い戻される。この頃はパソコンでマスリ先生がなにやら操作したら、《払った、払い戻された》が自動的に行なわれるそうなので、「お金は要りません」と言われる。
 お金を払わないで済むと思ったら、具合悪い時にいつでも先生のところに走って行けるので便利だ。薬局でも同じ。ただし、薬によっては保険の利かないものもあり、そういう時に「手ぶらで気ました」と言ったらツケにしてもらえる。病気の時にお金がないからって薬を買えないのは困る。薬局でツケがきくとわかってからは、遠慮をしないことにした。悪い時には直ちに行く。

 でも、具合は悪いのである。ひたすら辛いのである。
耳も鼻も、どこもかしこもつまっている。それで、ほお骨の辺りや奥歯、目の回りも頭も痛い。首も背中も痛い。

 なのに、ひっさしぶりに仕事が来た。
潰れかけた会社に投資して、新しい会社に建物を賃貸し、潰れかけてる会社の従業員を、新しい会社では優先で雇う、というような、、、今流行らしい企業再建に関する合意書だった。
 頭が回らない上に、こんな書類は訳したことがないし、経済にはとんと疎いので、《投資》のこともわからない。投資の書類とはいえ、買い取る工場の面積などもでて来るものだから、それが《建築面積》なのか《建築延べ床面積》なのか、そういうことを調べるために、建築専門家の友人にまでSOSを送る始末。翻訳の仲間たちは、常にパソコンの前に居るので、返事が早く、適切なアドバイスをくれる。救われた。

 さっさとやって、ちょっとは寝たい。でも、書式に自信がないので、納品期日までひたすら調べものをする。夜更かしをする。だから具合悪いままだ。あーあ

2006/10/02

ちょっとうれしいご報告

 先日提出した翻訳の企画書の返事が来た。

「この本は内容的にも素晴らしいので、あなたの翻訳で出せるように検討して参りましょう」とのことだった。
 これから版権や著作権を正式に調べて、原書の雰囲気や、ページ数などの確認などあり、いろいろな問題がなければ、やっと契約に結びつくことになるだろう。
だからいまは、まだ決まったわけではない。

 大阪の出版社で、編集の係の方は、こちらがコンタクトを取ろうとした時から、対応が素早く、メールはいつも親切丁寧だ。 
 メールのやり取りだけで、「じゃあ、あなたと仕事しましょう」と言っていただける。その信用は、書く力だけに頼らなければならない。お互いに信用が生まれるのは、インスピレーションの力もあるだろう。そして、わたしの対応力や表現力は、そんなやり取りの中で、観察されているのかもしれない。

 わたしの外界とのつながりはほとんどがメールになってしまっている。もちろん友人の中にはいまだにアナログな人もいて、メールよりも文書の方が安心するという人もいる。自分も、字がもっときれいならば、手書きの手紙をいまよりもっと書くと思う。この公開日記を始めたのも、文を書く練習、人に読んでもらう練習のつもりだった。

 出版社に提出した企画書は、《あらすじ》《感想》《作者紹介》など。特にあらすじは、友人に何度も読んでもらって意見を訊いた。まだまだ一人っきりでは不安だ。《あらすじ》は試訳のつもりで物語の雰囲気が出るように気をつけた。とにかく読んでみようかと思わせること。読んで内容が分かることを考えた。

 とりあえず、「この方向で」と言われて、方向が見えて来たので、ずいぶん元気が出た。
風邪なんか引いてる場合ではない。押して行こう。

2006/10/01

ターミネーター

 シラミ絶滅作戦、第二弾。
 先週駆除した、はず、のシラミの卵が、まだまだ居そうなので、この一週間毎日毎日気をつけてきた。もう死んでいるのだが、卵が残っていたらよくないと言われたので、見つけたら撃退!!を目指して、暇さえあれば子どもたちの頭をまさぐる。

 サルの親子みたい。

夜になって、まーた先週と同じ《パラプー》と《パラドゥー》のお出ましとなった。

 わたしは風邪で具合が悪い。
耳が痛くて仕方がない。
でも医者は週末はやっていないので、月曜日を待たねばならない。
シラミ退治なんかやってる間に、寝ていたい。
あー