2008/05/27

デビュー

 小学校高学年のとき、丸くて房のついた華やかなバトンを上手に操っている友人がいて、わたしもバトントワリング部に行ってみた。体育祭のパレードで、先頭を飾るバトントワリングの女の子に、憧れていた少女時代。
 プールの脇にあった木造の校舎の中に、器楽部とバトン部があって、そこに行った日のことを、いまでも覚えている。
まっすぐな棒の両端に白いゴムのついた、一番簡単なバトンを持たされて、ちょっと回してごらんよと言われるのでやってみたが、腕の長さが足りないために、バトンの端が脇の下を通過できず《失格》となった。ショーゲキの挫折を味わった。

 部屋を移って、器楽部に行ってみる。素敵な上級生が、キラキラ輝く楽器を優雅に吹いている。木管楽器のくせに金属でできたフルートなる代物だった。やがて、器楽合奏部でフルートとヴァイオリンの募集があって、どちらも3万円の破格で買えるとのことだった。我が家の家計には相当響く値段だった、と、今ならわかる。
 うちにはすでに身分不相応のかなりよく(家計に)響いているピアノがあった。しかも、遠くからやって来る生徒までいるような、人気の高い先生のところに、月謝5千円を払って通っていたので、家計に鳴り響いていたと思う。

 ピアノのレッスンは大嫌いだった。でも、母はかなり熱心だった。なぜあのように自宅レッスンもせずして、恥ずかしげもなく、毎週熱心に先生の家に通っていたかというと、先生のお宅の「待合室」とも言える居間には『ブラックジャック』と『サザエさん』の漫画が全巻揃っていたからだ。ピアノは5歳から15歳までやって、全然うまくならず、先生から「そろそろ進路を考えないとね。ピアノは向いてないと思うよ」と言われ、ようやく母に諦めてもらえた。

 『ブラックジャック』と『サザエさん』を丸暗記するぐらい読み終えて、『いじわるばあさん』に移ったころ、親にフルートを買わせて、器楽合奏部に入った。その時ナオちゃんはヴァイオリンを選び、ヤスコはチェロを選んだ。ナオちゃんがヴァイオリンのケースを持って登下校する様子を見ながら、「あっちにすれば良かった」と思ったこともあった。母は、「ヴァイオリンのほうがいいのに。。。」と言っていたのに、どうしてもそのときにはフルートのほうがかっこ良く見えたのだ。

 フルートは、だから、小学校の高学年から高校の一年ぐらいまでやった。ニューカレドニアに居た時に母に送らせたら、小包が行方不明となり、そこに入っていたフルートは、一生ものですよと言われて買って、学生の時に大好きだった、コバルトブルーの布カバーの、国文学大全集『万葉集』とともに消えた。下から五番めの穴の裏側に、器楽部の引き戸のレールにぶつけてつけたへこみのあるわたしのフルートは、太平洋のどっかそこらで消えた。

 ノエミは3年前からヴァイオリンを始めた。(*)その年に、わたしはチェロを習った。チェロは抱きしめるような格好で演奏するので、大好きだった。ノエミはずっとヴァイオリンを続けている。ずいぶん上手になった。わたしは9月からフルートを習っている。『フルート』という楽器を買って、手元に置いておきたい。そうしたら、いつでもどこでもフルートが吹ける。今のフルートは音楽学校のレンタルで、夏休みの前に返却する予定。そして、来年は、フランス語の学校に行くつもりなので、音楽学校はやめるつもりだ。

 最初で最後なので、思い切ってコンサートに参加させてもらうことにした。ノエミとデュエットをやらせてもらおうと思って。
でも決心したのが遅く、デュエットは完璧と言えなかった。一週間前に「やっぱり二人別々にソロで」ということになり、まずはソロ・デビューとなった。人前で演奏するのは、高校一年のとき以来だ。文化祭の舞台でフルートを吹いたのだ。(と同級生の誰も覚えてないけど。。。)

 5月19日。音楽学校の先生たちのピアノとヴァイオリンの演奏をバックに、ノエミは完璧な演奏をした。5年前からやってる高校生よりも難しい楽譜を、上手に演奏した。母としては鼻が高かった。そのノエミの直後に、「ノエミのお母さんです。今年初級からスタートしました。みなさんも家族で音楽を楽しみましょう!」と紹介されて、いよいよデビューとなった。
 
 友人『か』に教わったあがらない秘術を実践していたので、あまり緊張しなかったけれども、でも、音は震えていた。JPは、「いつもはもっと上手に吹けるのに」と言った。でもまあ、こんなもんだろうと思う。なにせ、練習が足りないのだから。。。先生が「今年、初級から始めた」と紹介してくれたおかげで(先生は本当は知ってるくせに宣伝のためにこう言ってくれた)、みんなに褒めてもらった。昔何年もやってたことがバレたら、笑われるだろう。

 6月の終わりに、今年最後のコンサートがある。その時には、絶対にデュエットを決めるのだ!できたらいつか自分のためにフルートを買いたい!夏に翻訳の本が出版されたら、ノエミにはヴァイオリンを買ってあげるつもり。ゲラがあがって来たので、本当にもうすぐだ。

(*)ダニエルさんちのフランスいなか便り http://www.geocities.jp/nozomidaniel/kimamanikki.html 
チェロとヴァイオリンとの出会いについては、2005年9月12.14.21日その他に書いています。

2008/05/22

え?もらっていいんですか?

 5月1日(木)は、メーデーで、全国一斉に例年通り休日だった。国を挙げて労働組合の人たちが拳を振り上げ、デモ行進をやっていた。
 5月8日(木)は、1945年の終戦の日だったので、フランスのために闘って亡くなった人たちのために、パレード行進をやった。こんな所に日本人が立っていていいんだろうか?と思ったりもした。もちろん石は投げられなかった。
 5月15日(木)は、教育関係の人たちのストで、学校職員や学生たちが、学校にもっと職員を増やして欲しい、もっと学校のためにお金をくださいと、大声を張り上げて行進した。
 5月22日(木)の本日は、公務員のストだったので、JPは仕事に行く代わりにデモ行進に参加していた。

と、いうわけで、5月の木曜日は、一度も学校に行かなかったのである。

 ガソリンが急激な値上がり(1リットル1.5ユーロを切ったところもある)を見せ、運送業界・漁協組合・タクシー協会が、ガソリンは商売道具なので、援助をして欲しいことなどを訴えるストが各地で行われ、石油基地などが乗っ取られた。そうして町からガソリンがなくなった。
 テレビやラジオでは中国の大地震の模様と、ミャンマーの台風の映像が盛んに報道された。各地のテロリストも至るところで爆弾を爆破させていて、イングリット・ベタンクーはいまだに解放されていない。世界はなにやらとっても不穏なのに、フランスのカンヌでは盛大な映画祭をやっていて、じつに華やか。

 年末にガソリンの値上と、過大消費に心痛めながら、スーパーを出ると、そこに薄いジャンパーを着た、若いホームレスのお兄さんがいた。。。ということをこの公開日記にも書いた。

 さて先週の水曜日の朝、ゾエと二人でショッピング。スーパーを出ると、例のお兄さんがそこにいた。年末には薄くてペラペラに見えたジャンパーが、いきなり夏日となった空の下では、見るだけで汗が吹き出るような、うっとうしい分厚いコートに見えた。冬の間に見かけなかったので、「あのジャンパーでは生き延びれなかったのかも?」と思っていたら、ちゃんと、同じ姿でそこにいたので、ちょっと安心と言うか、気の毒だった。このお兄さんは、ヒゲが伸び、前以上に痩せて、ますますイエス・キリストに似てくる。背中に背負っている荷物は相変わらず重そうだ。夏に向かって「毛布は要らなそう」と思うんだが、ホームレスのお兄さんには毛布を片付ける場所がないんだろう。

 信号は赤で、お兄さんが近づいてくる。手には缶詰を改造したカップを持っていて、お兄さんは中の小銭をじゃらじゃら言わせながら、車のそばを通り過ぎる。わたしは、後ろに座っているゾエに、小銭を持たせた。
「お兄さんが来たら、窓から手を出して、カップに入れてあげるんだよ。」

 お兄さんは、窓から出た小さな手に、近づいてもいいのかどうか戸惑った。そうして、わたしに向かって「もらってもいいんですか?」と丁寧に訊いた。ゾエの小銭がカップに落ちるチャリンという音を聞きながら、わたしは泣きたくなった。子供にそんなことをさせてよかったのかどうか、あとから悩んだ。

 わたしは、人にこんな風に、お金を上げるのが嫌いだ。どうせ、いつも、お財布には大した金額が入っていない。それに、管理が悪いせいでいつもお金には困っているので、人に恵んであげてる場合じゃない。。。と、これがたいていの場合の正直な気持ち。
 今週も収入はなかった。ガソリンを使って走り回ったのに、収入には繋がらなかった。相手は何百ユーロの話をしているのに、わたしはお金を払って子供を預けて、収入にもならないことで走り回った上に、地球まで汚している。ホームレスらしき人の中には「この人は1日に、自分よりも多くの小銭を稼いでいるんじゃないだろうか?」と思いたくなる人もいる。

 たとえばカーモーの郵便局前に座っているおじさん。
彼は、いつもお酒の臭いをさせている。郵便局の前に座っている時には、冬でも裸足でいるが、実は別な日に、いい靴を履いて、ビールの缶がたくさん詰まった買い物袋を提げた彼が、銀行のATMの機械で、お金をごっそり下ろしているのを、この目で見た。それ以来、わたしはとってもシビアになったのだ。

 離婚した友だちが、新しい家で、古い思い出に触れたくないと言って、前のダンナさんの前で着ていた服や、前の家で履いていた靴をどっさり持って来て、わたしにくれた。ちょうどジョギングシューズを買おうと思っていたので、彼女の真新しいピンクのシューズを見た時「ラッキー」と言ってはみたものの、その横に置かれた、彼女がウェディングドレスに合わせて買った、パールピンクのハイヒールを見た時に、不吉な気分になってしまった。昔からお下がりには慣れているので、いつも人がくれるというものは喜んでもらっているのだが、こればかりはちょっと履く気になれなかった。

 五月が終わろうとしている。

剣道クラブでは、一年の締めくくりの飲み会が行われ、飲み会の前にはちゃんと剣道もやった。

本日は、ノエミはヴァイオリン、わたしはフルートで、音楽学校のコンサートに出演する。デュオの予定だったのだが、決心するのがちょっと遅くなり、デュオを完成させるには時間が足りなかった。ノエミとのデュエットは6がつのコンサートで。

30日は、長年お世話になった商工会議所のナディンが定年退職する。

さあ、一年の締めくくりの、六月がやって来ようとしている。
 

2008/05/15

地球に優しい市




 毎年恒例のビオシベルという市(いち)に出掛けた。
 自然食品、無農薬野菜、無農薬農家で育った動物の、ミルク・チーズ・卵・食肉の販売。合成繊維を使わない衣類、寝具、装飾品、鞄や靴の展示即売。国産の木材を使った家具や家庭用品。などの楽しいスタンドが並ぶ。
http://pagesperso-orange.fr/nptarn/

 また、子供も大人も混ざって、参加できる無料の講演会や講習会が、広い公園内の各所で行われている。
 その場で麦を粉にし、雑穀がいっぱい入ったパンを作って、土の釜で焼くパン作り教室。
無農薬農場の作り方実践。薬草から虫除けを作る方法の講習会。
てんとう虫の卵売り場と、普通の種屋では買えない、古代の野菜のタネや苗の販売。
《牛の心臓》という名前のついた、実が厚くて種が少ないジューシーな巨大トマトの苗が飛ぶように売れていた。フランスではこれまで知られていなかったSHISOの苗もあった。
麦わらで造る家。建築作業に飛び入り参加できる。半日でちゃんとした小屋ができていた。
http://www.compaillons.fr/  (わらの家の作り方)
布製おんぶ紐・布おむつ・布製生理用品の、作り方と使い方講習会。
 太陽光線や風力を使った、発電機の使用説明と販売。
ガスや電気の要らない、太陽光線だけで煮物のできる鍋の販売。
水を使わないトイレが並んでいて、人々は物珍しそうに並んでいる。「臭くないね。面白いね」と言ってる。
 昔ながらの製法で作った野菜や果物のジュース。レモネード。お菓子、アイスクリーム屋さんが並ぶ。
お昼は無農薬野菜を使ったメニューだけが並ぶ青空レストランへ。春風の吹く、さわやかな松の木陰で、ときどき飛んで来る葉っぱや花びらをお皿の中から拾い上げながら、林の音楽を聴く。フライドポテトのジャガイモは、いびつな形をしていて、皮までついてる。ゾエが「マクドのポテトと全然違うね」と言って喜んでいる。ケチャップは、なし。
 ノエミのピザは、木炭の臭いがする。
 子どもたちは午後、無料の、青空陶芸教室のテントに座り込んだので、JPとわたしは子どもたちをテントに置き去りにして、勝手に歩き回った。JPは、100%綿のズボンと《花の名前」という本を買ったようだった。去年は靴と麻のシャツを買った。どちらも丈夫で一年経った今でも気に入って使っている。子どもたちは陶芸教室を終わったら、今度はサーカス小屋に行って、綱渡りや玉乗りをやっていた。遠くから監視しながらも、放ったらかしにしていた。
 去年は革のサンダルを買ったのだが、今年は《衣・住》コーナーにはこれといったものが見当たらず、《食》のコーナーに入り浸った。そして、小さな女の子の売る《うちの雌鳥が生んだ卵》と、ドクダミ草・昆布・麻の種をミックスして作った、ふりかけみたいなものを買った。おじさんは「サラダにふりかけたらいい」と言ったのだが、わたしはご飯にもふりかけている。

 JPは、ずっとうちの屋根裏を改修しているが、今は、石の壁に木材を貼付けようという段階に来ている。その木材は、国産の松を県外から注文して買った。その木材の表面に塗る、虫やカビ、ヒビなどを防ぐための液体を、こういう市で調べて買った。ニスや染料ではなく、塩みたいなのを水に溶かして刷毛で何重にも塗っている。瓦の下には、従来のガラスの入った綿ではなくて、大麻を綿みたいにしたものを入れた。屋根裏部屋には、大麻の香りが漂っている。この大麻の断熱材も、この市で知ったお店で注文して買った。光熱費節約のために、いつか、太陽光発電のパネルをつけたり、前の住人が穴を塞いでしまった暖炉を、再燃させようかと思っているので、そのような発電や断熱に関するスタンドはじっくり見た。
 この時期になると出回るイチゴや、サクランボウが今年は全然なかった。仕方ないから、子供たちには綿菓子を買ってあげた。
とっても楽しい1日だった。いろいろと勉強にもなった。

 従兄が参加している指宿市の《てんちの杜》に太陽光発電をつける計画があると聞いた。
「170万円位かかりそうなので、お金の工面が大変。寄付や助成金などを、探している。現在120万円位は、目途が付いたので何とかなりそう。太陽光発電で、子供達に環境の事、地球温暖化のことなどが、伝えられたら良いなーと思う。」と、従兄がメールに書いていた。素晴らしい計画だと思う。あと50万円か〜。そんなにお金が掛かるものとは知らなかった。

 興味のある人は、《てんちの杜》のサイトを見てください。
http://tenchi.at.webry.info/
寄付もよろしく。

2008/05/14

目玉には自信があります




 脳みそと、肌のキメには、ぜ〜んぜん、自信がない。
 その代わり、内臓と骨と、そして、目玉には自信がある。

 献血に行ったら、腎臓バンクや骨髄バンクへの申し込み案内がいっぱいあり、かなり本気で《その気》になった
じつは、高校の終わりだか、短大の終わりだか忘れたが、まだ相当若かった頃に、アイバンクに申し込んだ。目玉にはかなり自信があったのだ。これだけは絶対に社会に貢献できると思った。ただし、「その時」が来たら身内に連絡してもらわなければならないので、身内の了解を得なければならない。

 いつ何時も、どんなことも、[身内の了解を得る]ということがいかに難しいかは、若い時分からよおくわかっていた。そして、身内に了解を得られなくても、尻拭いしてくれる家族のことなど考えられずに突っ走ってしまうのが、わたしだった。当時は、人工心臓や臓器移植について、今よりずっと人の関心も理解もなかったので、我が身内を了解させるのは、並大抵のことじゃあなかった。まあ、そうだろう。脳死問題は今だって片が付かないのだから。もしもの時にアイバンクに電話する係りは、看護婦をやってる姉に押し付けて、アイバンクに登録した。

 義母は、フランス人にはよっぽど珍しい、仏教徒のような考え方を持っている人だ。死ぬときゃ死ぬんだから、じたばた移植なんかしないで、お迎えが来たら逝っちゃえ。。。みたいな、そういうところがある。ただ、お隣のテオくんが4歳で白血病になって、辛い入院をして、大変な家族の様子を毎日見ていたころ、「やっぱり子供とか若い人が、もっと生きたいと言うなら、助けてあげたい」と、わたしは、思った。助ける方法があるなら。

 お通夜の席に、いきなり医者が来て、目玉を持って行かれたら、身内はショックだろう。後に残された人たちというのは、だいたい後片付けに負われる。先に逝くほうは勝手に逝って、一体どこで何やってるか、知れたものじゃあないが、後に残されたほうは、たいていいろんな意味で、何かと大変な思いをする。ただでさえそうなのに、了解もなしに、ソウイウコトになっていたら気の毒だろうと思って、わたしは未成年ではないけれども、いちおう「身内の了解」を得てから申し込もうと考え、夕食の時間にそういうバンクがあるんだというようなことを、家族に話した。

 なんでも知ってるはずのノエミが、「ええー」と言ってる。母が「目玉をもらってください」と自分の脚で病院に出て行って、杖をついて戻って来るのか?と思ったらしい。
「目玉あげたら、見えなくなるじゃん。」
「ものを見る必要がなくなったら、目も要らないから、欲しい人にあげるんだよ。目玉を取ってできた穴にはちゃんと詰め物もしてくれるって言うし」
JPが「食事時に、またそんな話題を。。。」と呆れている。
JPには「もし、そうなったら、ど〜しよ〜〜」などと言っても、仕方がない。明日には明日の風しか吹かないとか、まだ見ぬ未来を不安がってどーするよ、という人だ。

 わたしは、ちびまる子ちゃんと同じで、1999年に世界沈没が起こって、地球全滅の日が来るとかなり強く信じていたので、1999年頃は実に精一杯生きていたのだ。あの辺りで燃え尽きたかもしれない。近所に《ノストラ》な〜んていう(不吉な)名前の少女がいて、ノエミがその子と友だちになったら嫌だなとか、本気で思っていた。ノストラはノストラという名前をもらいたくてもらったわけでもないし、《ウサマ》という名前の人がみんなテロリストだとは限らない。それはわたしが《シノワ》とののしられて石を投げられるようなものだ。(実は先週ののしられた)

 恐がりのくせに見たがりなもので、つい、中国の地震の模様をテレビで見てしまった。これはやばい。人の不幸を見ると、「明日は我が身、明日は我が身」と不安になってしまう性質。

 なんだ、そうだったのか、テレビのせいで、目玉まで登録したくなってしまったのか。。。これだから、影響受けやすい人間は。。。

 結局、ノエミには衝撃が強すぎたようなので、このテのことに関しては、もうちょっとあとになってから、改めて了解をもらい直すとする。ちょっと無神経だったかな。子どもを怖がらせてしまっただけ。(ゾエは留守)
 とりあえずは、「もしもの時が来たらよろしく」などという、準備よさそうで、実はとっても不吉な、そーいうーネガティブな考え方はやめようと思った。健康に気をつけて、いつでも世のため人のために動ける、生身の健康体を維持しようと、新たな決意をする。

 ここのところ身体の血行が悪くて、あちこち調子が悪いので医者に行った。「体重減らしたら、ずいぶん心も身体も軽くなりますよ」とか、ついでに「3キロ減らせればね〜」などと言われた。帰宅して台所に立ち、そこにある牛乳のボトル3本や、お米の袋が、自分の腰の辺りにぶら下がっている図を想像して、いきなり倒れそうになった。決意も新たに(って1年でたぶん3回ぐらい新年が来る)がんばることにした。まずは腹七分ぐらい?健康第一、この頃のわたしは、じつに快調だ。
 「世のため人のため」と言ってる間に、自分のためにとことん元気で、使い古してもとを取るまで(って、何のもとよ?)長生きするのだ。長い息を吸って吐こう!

 友人《か》が「長生きは長い息だ」と彼のブログで書いていて、そこで語られていた呼吸法が、まさに、3月に受けた剣道の講習で習った呼吸法そのものだったので、思い出しながらたまにやっている。赤ちゃんはオギャ〜と息を吐きながら誕生し、人間はやがてその息を引き取るのだそうだ。なるほど〜。赤ちゃんに息を吹き込むのは誰なんだろう?

 考えてみると、41年のわたしの人生で、こんなに長続きしていること、息の長いことは、ほかにはないだろう。生まれてこの方絶え間なく続けている《息を吐いて吸う、吸っては吐く》という行為。いつもほとんど意識しないで呼吸している。自分がどんな息をしているかさえ、関心を持たないでいるので、もっと大切にしなきゃと思った。そうそう、この前自分の呼吸のリズムが乱れているのをはたと感じたからこそ、医者に行ったんだった。病気になったり不安になったり、悩んだりすると、呼吸が乱れたり、ため息が出たりして、自分の身体を巡っている気のことに、気づかされる。

 毎日そばに居て、同じ空気を吸って吐いている家族。気を遣うことも忘れてしまうほどに身近で、毎日そこにいる家族。呼吸と同じかもしれない。
 
 そうだそうだ、世のため人のためより、まずこの辺りから極めようか。
 

2008/05/05

連休は自転車



 去年の母の日のプレゼントだった。
 子供サイズの自転車だけど、軽いしかわいいので気に入ってる。

 春休みが終わって、やっと家人から解放された、と思ったら、今度はゴールデンなウイークなのだ。
5月は、連休続き。
今週は、いつもの休校日の水曜日から始まり、5月1日(木)はメーデーでお休み。JPは労働組合の人たちとデモ行進に行った。
土、日曜日は公務員も学校もお休みなので、間に挟まった金曜日も「休みます」ということになった。こういうのを「ポンPont(橋)」と言って、飛び石に橋を架けるように、祝日と休日に挟まった平日を、休みにしてしまう。
全国的に、どこもかしこもこれをやる。だから、水曜日から日曜日まで人通りも少ない。行楽地は大にぎわいだろう。カーモーは観光するような場所がないので、がらんとしてる。

 そして今週はと言うと、木曜日が終戦記念日。次の日曜日が「聖霊降臨の大祝日」だかなんだか、カトリックの祝日で、その振替休日があるので、月曜が休み。またもや大型連休がやってくる。

 春休みの半分以上はお天気が悪く、寒かったので、たいしたことができなかった分、この連休は、子どもたちとずいぶん遊んだ。

ゾエが自転車に乗れるようになった。
これまでは車に自転車を載せ、安全な場所まで行き、わたしは横を走っていたのだが、この連休に、人通りが少ないのを見て、自宅から近所の公園まで自転車で行かせてみた。最初は、ブレーキがうまくかけられなかったので、わたしはゾエの横を走って公園まで行った。
 その日の帰りには、ブレーキの掛け方がずいぶん上手になって来たので、次の日にはわたしも自転車を出して、揃って公園まで。何度か危ない目に遭ったけれども、道路のどんな所が危ないか、だんだんわかってきた。
 次の日は、坂道を上れるようになった。交差点でのブレーキも、下り坂での徐行も、ずいぶん板について来たので、びゅんびゅん走るノエミも連れて、三人で公園の外も走ってみた。
 毎日、毎日、自転車で走り回る。ちょっとずつ距離を伸ばす。
車の走るところも通ってみた。ゾエに「止まりなさい」と言ってあげるタイミングも掴めてきた。ゾエはハンドルに着いたベルを鳴らすことを覚えたし、なんと言ってもゾエの背中に自信がみなぎっている。

 今日は、JPも自転車を出した。4人で、ゾエと行ってるいつもの公園を突っ切って、ご近所の人に見守られるなか丘を下り、駐車場を抜け、川のほとりを走り、アヒルが泳いでいるのを見て、自転車一台分の幅の橋を渡り、釣り人を横目に、公園で休憩ついでにジャングルジムに昇り、草っ原の真ん中を苦心して走り、土手では自転車を押して歩き、市役所の前の大通りを突っ切って、長い長い坂道を歩かずに上り、噴水のあるもうひとつのスクエアに行って、水浴びをし、ズボンをびしょびしょに濡らし、大通りを通って老人ホームまで行き、Uターンして、危ない坂をゆっくりゆっくり下り、大通りを通って自宅に戻って来た。

 お昼にノエミが作ったお菓子と、麦茶がおいしく、ごはんの前にシャワーを浴びた。
ごはんがとってもおいしく、おしゃべりも弾んだ。

さて、明日から学校。水曜日まで。明日から雨だそうで。