2008/06/24

近日発売

二年ぐらい前から準備を続けていた、わたしの二冊目の翻訳本が、いよいよ出版の運びとなりました。

文研出版
「わたしは忘れない」というタイトルになりました。


http://www.shinko-bunken.com/bunken/search/detail/detail.php?DN=978-4-580-82037-1_C8397

 原作は、Un grand-pere tombe du ciel という本で、ヤエル・ハッサンさんというパリに住むユダヤ人の女性が書いた物語です。

 本屋さんに並ぶのは7月の終わりごろになりますが、今から予約のできるところもあるそうです。
原作は、とても素晴らしいので、小さい子供から大人まで、幅広い人に読んでもらいたいと思います。

 すでに全国の公共図書館から1000冊の注文があったと連絡ありましたので、みなさんの家のそばの図書館でも借りることができるかもしれません。
 
 翻訳にあたって、出版にあたって、力とアイディアを貸してくださったみなさん。応援してくれた友人知人のみなさん、本当にありがとうございました。

2008/06/23

一日中学教師

 中学の国語教師免許を持っているが、国家試験には受からなかったので、中学で教えたのは教育実習の夏目漱石のみに終わった。

教育実習の受け持ち3年5組の教室に、3組の女の子たちが、わたしを迎えに来た。
 「これ、先生のじゃないの?」
と見せられたのは、わたしが中学3年3組の時に使っていた椅子だった。
 たぶん体育祭か文化祭の時だろう、教室から椅子を運び出す際に、背もたれの後ろに各自名前を書いたのに違いない。
「遠藤」は当時指宿には一軒しかなかったし、「みのり」という名前で知っている他人は、丹波小学校の図書館の先生ぐらいだった。わたしにしか書けない、いかにも性格が不安定と思われる人間に特徴のある文字。まぎれもなくわたしの椅子だった。その椅子は、当時のまま「遠藤みのり」のシールを貼付けて、当時のまま3年3組でわたしを待っていた。どっと泣けた。

 ノエミのクラスは《シージェム・アン》と言って、6eme1と書く。《シージェム》というのは、中学の第一年目クラス1のことだ。9月からは中学2年生になり、5emeに進級する。自分の子が中学生とは、なんとも不思議。

 フランス語の授業でポエムをやっているとは聞いていた。フランス語の先生が無謀にもHAIKUに挑んでいると聞き、いたく感心していたところ。
うちに与謝野蕪村と良寛と、俳句じゃないけど和泉式部もあったので、授業の参考にしてくださいと、ノエミに持たせた。

 どんな授業をしているんだろうと気になっていたら、このわたくしめもご招待を受けた。俳句について論じて欲しいというので、とんでもないと思いつつも、そこはそれ、目立ちたがりやなわたし。しかも、俳句が語れなくても、「日本語レッスンやってくればいいや〜。それだったら専門だっし〜。」と開き直って出掛けた。いちおう、一週間ぐらい前からせっせと俳句についてお勉強した。

 中学生というのはいきなり授業とは関係のない質問する人種なので、いちおう《フランスから日本までの距離12000キロメートル》とか、《フランスの人口は6447314人だけど、日本の人口は12743611人》とか、《人口密度は一平方メートルにつき339人が日本で、93.59人がフランス》などなどをちゃんと紙に書いて持参した。

 「俳句の一番の特徴は、5-7-5の音節で作る、世界で一番短い定型詩です。」と辞書に書いてある通りに言っても、《日本語の音節》がわからないので、やっぱり日本語レッスンからだ。
 まずは知っている日本語の単語を挙げてもらう。
 JUDO・KARATEはやってる子供が多いので、すぐに出る。HONDA・TOYOTA・SUZUKIは「世界の。。。」だからみんな知ってる。SAKURA・NARUTO・HARUは、漫画の主人公だから。SAKURAは《桜》、NARUTOは《鳴門》、HARUは《春》だと説明すると、みんなびっくりしている。発音は怪しいが《コニシワ》(こんにちは)と《サヨナハ》(さようなら)を知ってる子もいた。ノエミは最前列にいてうずうずしているようだったが、黙っていてもらった。

 こういう単語を並べると、子音と母音の繰り返しでできる日本語の単語の特徴や、音節の簡単な数え方もわかる。1音節から3音節の単語はどんどん出て来る。とすると、形容詞や動詞を付け足したとしても「17音節ぐらいの文章を作るのはそんなに難しくないね」と、つい思ってしまう。
    ところがどっこい。

 季語も入れなきゃならないし、まがりなりにもポエムなので《自然の風景》や《感情》も入れたい。《発句》だとか《切れ字》だとかもあるけど《〜かな》や《〜なり》の説明とともに、本日はパス。

 次に《四季》を表現する言葉を探すように言った。その際、《春》とか《夏》と言わずして季節を感じる言葉を探すことが条件。
《桃》や《ウグイス》がどの季節かわからない子どももいたが、夏だとやっぱり《海》とか《入道雲》が出る。《プール》という生徒もいたが、「ロマンチックじゃないし、《自然》の水溜まりじゃないから、もっと素敵なのを探そうよ」と言うと、その子は、《小川》と言った。ほっ。
 
 続いて《感情》を表す言葉を探すことにした。
《涙》《叫び》には悲しみだけではなく喜びも表現できること。《赤い顔》は、恥じらいのほかに、怒りも表せるということ。《鼓動》には速さの違いがあること。髪を振り乱したり、うろうろ歩き回るなど、みんなが教室で見せる《表情》や《動作》には、きっと意味があると言うこと。改めてそういう感情表現を言葉にしてみる、クラスで話し合ってみると、今まで考えもしなかったことに気づく。

 このクラスには、《手に負えない》男の子が4人いて、クラスをかき乱していることは、以前から聞き知っていた。授業中に歩き回り、大声を出し、授業ができないと先生がたは嘆いていらっしゃる。なので、フランス語の先生も、「こんなクラスで申し訳ないです。どんな事態になるかわからないので、校長先生もお呼びしました」と言われていたが、校長先生は都合により本日は欠席。
 普段多くても7人ぐらいまでの、大人の日本語レッスンにはなれているけれども、ひとクラス40人を受け持ったのが、20年前に一度きり。うるさ盛り25人のクラスをまとめられるのか、とっても不安だった。

 子どもたちは誰ひとり席を立たなかった。大声を出したり、無駄話をしたりする生徒もいなかった。ふだんから暴れん坊とうわさを聞いていたアレクシは、ノートに何も書こうとしなかったが、ちゃんと前見て、にこにこして、わたしの話をきいていた。ギヨムは、最前列で目を輝かせていた。モーガンは、たくさん質問してくれた。そして、先生もノエミもいちばん心配していたマキシムが、ついに手を挙げた。どきっ。

 「Merci は、日本語でなんて言うんですか?」
わたしはホワイトボードに大きく書いてみせた。
《ありがとう》読み方はARIGATOOだよ。
「マキシム、これを朝から晩まで唱えたら、あなた、とっても幸せになれるよ。これ、魔法の言葉なんだよ。」

 俳句の例文の移る前に、俳句に使われている5-7-5音節の、5と7という数字が、アジア人にとって意味のある数字であるという研究を発表したフランス人の話で締めくくることにした。
 七福について。五常の徳は難しけど、五行はみんな知ってる。そして五濁を封じる五力について。。。
このようなうんちくを述べると、みんなの目が輝くので面白い。そうしてアジア人はみんな哲学者か儒教者だと思ってもらえる。ノエミのママンは仏のようだと言われているかもしれぬ。
 「仁・義・礼・智・信」 が《思いやり》《正しい行い》《豊かな心》《ただしい判断》《周りからの信頼》であるとか、「五力」つまり、《信じること》《努力すること》《思慮深いこと》《心を統一すること》《 明らかな智慧を持つこと》を持ってすれば、 いろんな難しいことに立ち向かえるんだそうです。。。などと話すと、生徒よりも先生が感動する。
予習して行ってよかった。

 「さて、じゃあ俳句の例文を。。。」
と言ったところで、ベルが鳴る。あら、もうこんな時間?
 例文は明日に持ち込み。本日の宿題は《ヴァカンス》に関するポエムを作るための「風景、感情」を表すことばを探してくることとなった。明日は先生が引き続きやってくれるそうだ。「明日も来ていいですか?」と本当は言いたかった。
 
 「はい、これで終わります」と言うと、みんな立ち上がり拍手が起こった。
子どもたちは教室を出て行きながら習ったばかりの「ありがと〜!ありがと〜!」を口々に言ってくれた。

 とっても楽しい一時間だった。

2008/06/22

学校のお祭り

 一年の締めくくりは、やはり、お祭り。
二年連続大好評だった、折り紙スタンドは今年はお休みした。
マンネリ化を避けるため。
今年わたしは、ロランスと二人で、折り紙の風車作りスタンドを開いた。

用意したもの
 中華料理店からもらった割り箸
 ワインのコルク栓
 去年の残りの折り紙
 みんなから回収したビーズ
 つまようじ
 小さく切ったストロー

 余談だが、「つまようじ」というのは、長いこと「妻に用事」のことかと思っていた。妻が作ったお料理が歯に詰まって、「ねえちょっと、おくさん、詰まっちゃったよ」と妻を呼ぶので「妻用事」なんだとばかり思っていたら、じつは「爪楊枝」だった。パソコンで文章を書くと、自動変換という便利なものがあるので、助かるなあ。。。

 さて、準備したこと。
1)コルク栓を縦にして、栓をワインボトルから抜いた時にできた穴に、割り箸を突っ込む。
2)つまようじの片方にビーズをはめ込んで、いわゆる「待ち針」のようなものを作る。

 余談だが「まちばり」の「まち」が「待ち針」だとは、知らなかった。大発見だが、大納得なネーミング!

折り紙で、三角を二回折り、できた四本の線をそれぞれ三分の二ずつ切る。
羽を寄せ集めて、ビーズ待ち針で止め、風車の中と外2箇所、ビーズまちばりの軸になっているつまようじにストローを通し、その先をコルク栓に突っ込む。

あ〜ラ、簡単。風車の出来上がり。
 お金も掛からず、エコロで楽しい風車の出来上がり〜〜。
子どもたち、とっても喜んでいた。
はじめ回らない風車が、風を見つけてくるくる回り出すと、子どもたちの口がふわっと開いて、目が輝く。

 お祭り当日は、日中30℃の夏日となった。その前の前の日までは、ずうっと15度を超えない日が続いていて、お祭りの前日から急に30℃になった。2・3日で倍の飛躍というのは、身体によろしくない。でも、雨が降らなかったので、夜中まで学校の校庭はにぎやかだった。
 夜は、前もって申し込んだ人たちのみのお食事会。サラダ・パエリヤ・チーズ・リンゴのタルト・コーヒーのフルコースだった。赤ワインとロゼワインもついていた。うちの冷凍庫を貸して売ったアイスクリームも、大好評、飛ぶように売れた。

 今年度も、もうすぐ終わり。
中学校は来週の火曜日から夏休みに入る。 


 

2008/06/16

とぷとぷと平和

 ゾエが、ちょっとだけ開けた冷蔵庫のドアの前で、じっとしている。なにをしてるのかと思ったら、
「中が暗い冷蔵庫って、見たことある?」
いたずらっぽい目をして言う。
 冷蔵庫を開けて、暗かったら、それは危ない。

 ゾエと二人で、ほんの少しだけ開けたり閉めたりしながら、電気がついたり消えたりする境目を研究した。
これ以上開けたら、電気がついちゃう。というその加減が難しい。
あまり閉めたら中は覗けない。暗い冷蔵庫の中で、輝かない瓶詰めや光らない魚の目を見てみたいのだから。
「ふふ、おもしろいね」
たしかに、冷蔵庫を考えた人は、すごいなあ。開けるたびにちゃんと明るいというのは便利。

 ゾエはよく家の中で隠れる。この頃の流行は台所のテーブルの下か、ソファーの向こう側か、パソコンの下か、ベッドの下。ベッドの下に隠れると、ベッドの正面に置いたタンスに張り付いている鏡に映るので、丸見えなんだけど。

「パパにコチョコチョをして笑わせよう」
それはいい案だねえ。JPでも笑うかもしれないよ、と思って、ゾエがテーブルの下に隠れている間、わたしは台所のドアの後ろに隠れた。JPは、台所に入ってくるなり、容赦なくわたしをぺしゃんこにした。
そのとき、潰れたわたしが吐いた「げ〜」という音がおかしかったらしい。子供たちが「ちびる〜」と言いながら笑い転げる。

 コチコチョ攻撃に失敗して、反撃に合い、笑いすぎておしっこちびった経験もある。(これはわたしじゃないよ、ノエミ)
JPを笑わせようとは。。。まだまだ修行が足りないのだ。腕の長さも足りないし。
わたしでさえ何度も闇討ちの抜き打ちをやってんのに、すばやい袈裟切りで片付けられる。
 反撃は、床に頭をぶつけて転がる羽目になってしまう、恐怖のJPギリ(フランスではコチョコチョのことをギリギリと言う)JPはびっくりしたり、コチコチョに反応することはめったにない。おっもしろくねーパパである。いつも「あんた、そんなじゃ、娘たちに嫌われるよ」と言ってアドバイスしてるんだが、自然の法則には勝てないようなのである。これでも、いちおー、彼なりに努力はしているのである。

 JPに笑ってもらいたい時には、ボボ・ネタに限る。ボボはいつも笑いを振りまいてくれる。
例えば先日のこと。
 朝のお散歩途中。なにやら、意味不明な音が聞こえた。公園には携帯電話の受信音のような声で鳴く鳥もいるし、一度靴の裏のゴムがキュッキュなった経験もあるので、わたしはとりあえず空を見上げ、靴の裏を見た。ちがう。
 わたしが歩くとその音が聞こえ、止まると数秒遅れてその音も止まる。「着けられてるのか?」推理小説が好きなわたしなので、つい、FBIな気分になって、辺りを見回す。余談だが、林を歩く時にはいつも、死体が転がってないか、気に掛けている。

 歩くと鳴り、止まるとやむ。
しばらく経ってから、「わたしが」歩くと音がするのではなくて、それはどうやら「ボボの」歩調に関係があるような気がしてくる。

 歩く、止まる、歩く、耳を済ます、止まって耳を済ます、ボボを見る、歩く、止まる、ボボを見る、ええ〜、なんだろう??

 続いて、音の分析に移る。
ざくざく。。。じゃない
どぶどぶ。。。でもない。
ちゃぷちゃぷ?とくとく?ぷくぷく?じゃぶじゃぶ?
歩く、とぷとぷ、止まる、とぷっ。。。ええ〜、なんでえ〜?

 ボボのお腹がちゃぷちゃぷいっているのだった。
ミネラルウォーターのボトルに入った850ccぐらいの水が、横にしたボトルの中で、底とキャップを往復しながら、「とぷとぷん」といってる、あれだ、あれ。

 ぎゃははああ〜〜〜

 林に、わたしのバカ笑いが広がる。ああ、JPを連れてくればよかった。きっと笑ってくれたのに。

その日の朝、散歩の直前に、ボボはゆうべの残りのスープをがぶ飲みしていたのだった。

 子供たちだけでなく、JPも大いに笑った。
モーガンと一緒に大量生産した春巻きを、半年ぶりに無農薬農場から届いた大きな葉っぱのパリパリなレタスと、ミントの葉っぱにくるんで食べた、楽しい週末の食卓だった。(大量に作りすぎた、春巻きとサモサと、餃子とワンタンを、4食続けて食べる羽目になったんだけど、、、。そして体重も戻っちゃったんだけど。。。)

 明日はまた、ボボを連れて、走る。晴れるかなあ〜。そろそろ日中15度から脱したい。

2008/06/11

出しゃばり 出てばかり〜

 ノエミは今年、学級委員と市役所子供代表をやっているので、会議に出てばかりいる。

 そしてわたしも幼稚園と中学のそれぞれのクラスの役員をしているので、出掛けてばかりいる。(なる人いないと泣きつかれてしまってこの始末)月曜日は成績会議のため、中学へ。PTAの代表がわたししか出席していなかったので、レポートを書く羽目になった。どうしよう。会議から帰って用意してあった夕飯を食べ、今度はJPが中学に出て行った。JPは、クラス役員ではなくて、学校全体の役員をしているので(わたしが泣きつかれて、JPに分担した)また別の話し合い。
JPは夜の11時に帰って来た。
翌日は公務員のストだから、余裕ということで。

 火曜日はとおってもハードだった。午前中に冷蔵庫の中味補給をし、幼稚園の全児童がサーカス鑑賞とのことで、午後は泣き落としをくらってまたまた引率。徒歩20分のホールへ。おお騒ぎのサーカスをバックに、豪快に寝てしまった。疲労回復を目指す。
 そのあとダッシュでフルートのレッスン〜。練習不足でおお恥〜〜。
JPが、公務員のデモ行進に出て行ったので、ゾエは迎えに行って、自宅にいったん連れ戻って、そのあとモーガンに預けた。ごはん食べさせて泊めてくれるというので大喜び。わたしは今晩またもお出かけなので。

 夜、浴衣を着て劇場へ。「ヒーさんが捕まらなかった」と、まるでうそっぱちな言い訳を理由に、《武道館》年末演舞会の余興のために、お習字をやってちょうだいと泣きつかれた。困ったけど、6メートルの垂れ幕は諦めてくれたらしく、幕間に、なんでも適当に書いてくれたらそれでよいと言う。適当ね。適当にしか書けない人間にはうれしいお言葉。土曜日には予行演習まで行って来た。子連れで。

 《武道館》には、柔道・空手・剣道などのほかに、ボクシング・太極拳・そして、ダンスのクラブなどなどなどがある。柔術・杖道・クンフー・テコンドー・フランスのボクシング・タイのボクシング・居合道・合気道もある。日本人だってあまり見たことがないんじゃないかと思う。6月は年度末。もうすぐ3学期も終わり、夏休みに入ると、これらのクラブもお休みになる。それで、このようなクラブでは《発表会》とか《反省会》などの《会》があちこちで行われる。

 《武道館》というのは、クリスチャンという元柔道チャンピオンが経営している、いくつかのタタミの部屋と木の床の部屋を持つ、私立の武道場。女性柔道家と乱取りをするのが大好きといって、にやけている彼なので、わたしはあまり信用してない。クラブの年間費は、公立の体育館でボランティア先生がやっているようなクラブに較べると2倍の額で、わたしにはとてもとてもなので、わたしは今年、この《武道館》には通わず、教師歴1年足らずでわたしよりも経験の浅い先生ひきいる若いクラブの、タタミの上で剣道をやってる。信用できる人ばかりなので、派手な発表会はないけど充分満足している。

 さて、問題の発表会。アルビのゴージャスな劇場を貸し切って、照明・音楽・演出までもがプロ顔負けのセッティング。いやはやびっくり。そこで、わたしは、タタミを移動させる幕間の3分の間に、笛吹き童子に変装した柔道家(もちろん吹いてる真似)の隣に座り、《友情》とか《平和》とか《愛》などの、まあ、そういった、フランス人が入れ墨にしたがるような漢字を、次から次に思いつくままに書き散らした。

 浴衣のそでにたすきを掛けて、達筆に(しっちゃかめっちゃかに?)、芸術家のような筆さばきで、墨を飛ばしながら、実は何度も同じ単語を書いたりもしてたんだけど、どーせ誰にもわからないし〜と思い、また「《武》という字には右上に点があったかなあ?」などと考えたりもしながら、ざんざか書いた。
 柔道衣を身にまとった乱取りにぴったりな美人ダンサーたちが、わたしのお習字を少年柔道家たちに配って歩いた。3分の間には少年柔道家全員には書いてあげられず、「もらってません」と舞台に上がってくる少年までいて、笑いを巻いた。

 あとで、サインしてと言われたりもして、帰れなくなった。。。。そのうち、「小松が泣〜くよ〜 ほいほい」などの歌詞が楽しい、西日本方面の民謡かと思われるような曲に乗って、《まじめな顔で太極拳もどきを披露する、中国風の服を着たもろヨーロッパ人》が現れ、もう、こうなったら最後までおつきあいいたしましょうと腹をくくった。

 ドレイ先生率いる剣士たちが、気合いの声を張り上げて立ち会いをするのを見て、わたしの隣に座っていた女の人が、劇場を渦巻くような「ブブブー」を吹き出し、やがて「ギャハハ」が自分でも止められなくなり浮いていた。「ひとこと言ったろか」と思っていたら、舞台では居合道のデモンストレーションに移っている。《介錯》の技(かいしゃく、切腹のあとにすっきり死ねるように頭を落としてあげる技)で、いきなり「ギャ〜」と叫んで死んだふりをしたドレイ先生に、隣の女性がビビっていて、「ドレイ先生得意の抜き打ちですね」と、一人ほくそ笑むわたしだった。
 浴衣を褒められたりもしたが、数年前のように若い男性が近づいてくるようなことはなく、「着物姿が樽みたいだとやっぱりなあ〜」と寂しさに包まれた。実は浴衣の着方も適当。

 結局、最後まで残ってしまい、夜中の12時に帰って来た。家人にわたしの浴衣姿を褒めてもらおうと思ってダッシュで帰って来たのに、途中でハリネズミに遭って、「かわいいね」と言われる前に、びしゃっとひき逃げをしてしまい、テンションが一気に下がった。家の玄関を開けると、我が家はひっそり闇に包まれており、家人はもうすっかり夢の中だった。

 1時から成績会議のレポートを書いた。

 先日、ニューヨーク辺りのマンション35階にいて、マンションごと津波に呑み込まれるという夢を見た。波がじわじわと迫ってくる、しかも地響きも風圧も肌で感じる、すごい迫力だった。
「ママン、そんな夢見たら、おねしょするよ」とゾエに言われて、この頃不眠症だ。

 けれどもまだまだ終わらない一週間〜〜。 

2008/06/09

その瞬間

  数年前のこと。
 JPが、わたしの居合刀を修理している最中に、カッターで指を切った。その様子を見ていた。切った瞬間に、JPは息を呑んでそのまま指を口に突っ込んだ。わたしの「大丈夫?」に目玉だけで相づちを打ってから、立ち上がって台所に行った。指の血を洗い流すつもりだったのだと思う。指を口から引っこ抜いた途端に、血がシューと弧を描いて台所の壁に飛び散った。口に突っ込んでいた指から、どんどん血が流れていたらしく、吐いた血がシンクの中で真っ赤に広がっていた。
 そのあと両手でシンクをつかんだJPの頭が、グラッグラッと二回転したかと思ったら、狭い台所で1メートル85センチの大男が、どさーっと倒れた。JPの眼鏡が2時の方角に飛び去り、頭が2回タイルの床にバウンドした。ボールみたいだった。
 
  
  数ヶ月前のこと。
 雨の日の道路で、運転していた自動車がスリップして、大きなカーブで、ぐるんぐるんと2回転ぐらいして止まった。タイヤがつるっと滑った瞬間、両方の目玉をこの場所に置いたまま、脳みそが、左のほうにずるっとずれたような気分がして、なんとも気持ち悪かった。車が止まってからも、目玉が、なかなか自分の所に戻って来なかったので、一体自分がどこで何をしているのか、よくわからなかった。
 後ろには5.6台の車がクラクションも鳴らさず、じっとして動かず、わたしが走り出すのを辛抱強く待っていてくれた。真後ろの女性は、たぶん10センチぐらいの所にいたんじゃないかと思う。ブレーキをかけるのが上手な人でよかった。
  
  昨日のこと。
 交差点で信号が青に変わる瞬間を、この目で見ていた。前方から県外ナンバーの車が右折(相手にとっての左折)しようとしているのがわかった。ほんとうは前進するこちらが優先なので「こんにゃろ」と思いながらも、思いやり運転を心がけているわたしであるからして、譲る覚悟はできていた。けれども、寸でのところまでビビらしたろと思って、ゆっくり前進を続けた。相手は、とことん優先を守らない気だというのが見て取れ、「ゆるせんっ」と思った瞬間、わたしと同じように前進しようと、まっしぐらに出て来たバイクが、県外ナンバーに突っ込まれて、すっ飛んだ。バイクのお尻が、ぐしゃっと音を立てて踏みつぶされる、その瞬間を見た。乗っていた中学生ぐらいの少女がどうなったのかは、わたしからは見えなかった。

 第一目撃者のわたしは、真っ先に降りて行って、少女を助け起こさなければならなかったのかもしないのだが、赤信号で、バイクが踏んづけられるのを目の前で見た、向こう側の道路の人たちが、どやどやと降りて来て、少女とバイクと県外ナンバーを、道路脇に移動させた。わたしはただあんぐり口を開いて呆然と一連の騒ぎを眺めるばかりで、何もできなかった。

 そこはカーモーでも一番人通りの多い交差点で、そこにはカフェもあるので、テラスにいた人たちもわんさと集まって来た。少女は、飛んだ靴を自分で拾いに行って履き、ポケットから携帯電話を出して、誰かに電話した。県外ナンバーの男性は、信じられないぐらい冷静で、もしかしたら顔色が白くなっていたのかもしれないけど、もともと色の薄い白い肌に金髪の人だったので、顔色がいいのか悪いのかはわからなかった。
 男性の白い顔を見ながら、黒人の人たちって「顔色が悪いですね」とか「黄疸がでてますよ」とか言われることは、ないんだろうか?などと考えていた。

 とりあえず、少女が自分の脚で立ち上がったのを見て、交差点に集まっている野次馬たちが、自分の代わりに目撃者になってくれると思ったので、そのまま交差点を前進してうちに帰って来た。

 
 何かが目の前で起こる瞬間。そこに居る自分の分身が現れて、違う高さから自分を見ているんじゃないかと思う。どうでもいい些細な
風景を、結構覚えているような気がする。 
 JPは、そんな危ない瞬間があってもなくても、関係なく、もう一人の冷静な目を持った自分を持っている、ような気がする。ここ数週間、悩んでいたことが、彼のひとことできれいさっぱり解決した。いつも彼は、ひとことしか言わない。
 言われたその瞬間に、平和な顔をした自分が向こうに居るのが見えた。

2008/06/01

五輪書(ごりんのしょ)宮本武蔵著




 剣道のドレイ先生からいきなり電話が来た。「こんにちは」のあと、「ちょっと待ちなさい、あんたと話したいって人がいるから」と言われて、知らない女の人の声に変わった。その女の人は、アルビの武道館の人で、近々6月の武道館年度末発表会があるのだが、会場に飾る6メートルの垂れ幕に、お習字でなにか書いてもらいたい、というのだ。

 いくら恥知らずなわたしでも、そんな迷惑なことはできない。
わたしは確かに日本で少女時代を過ごし、れっきとした日本人で、いちおう学校も出ている上に、外国人の前では日本語教師なんぞとエバッて、居ることはいるのだが、信じられないぐらい字が汚い。
 「字は体をあらわす」と言われるのが事実で、そんなことを真に受けて
「よ〜おしみのりさん、ここになんか書いてみなさい。あなたがどんな人か当ててみますから」
と言うような人が目の前に現れたら、わたしはダッシュで逃げる。一目散に駆ける。穴があったら入る。
「あなたは精神不安定で、無知で、脳みそは空っぽで、心はどん底まで濁っていて、インチキ臭いヤツで、ろくでなしで、いい加減で、忘れっぽく、辞書を見るのが嫌いで、コツコツ練習するのも嫌いで、「丁寧」って言葉を知らず、思いやりがなく、人の迷惑はどーでもいいんだね」などなど。。。が、ことごとくバレバレになってしまうような、字を書く。
 JPのほうがずっと字がうまい。(その上知ってる漢字の量も、彼が上)

 「ええと。。。お習字道具を持ってないし、とにかく、お習字ってものが大嫌いで、恥をかきたくないのでできません」とお断りしたら、「でも、日本人、なんでしょ?」と言ってくれる。
「いちおう。でも、日本人がみんなお習字上手かと思ったら大間違いなんですよ」 
「上手に書いてるかなんて誰にもわからないんだし」
「そうは言われても、こっちは恥ずかしいんですよ。とんでもなく汚い字なんですから」
「困ったなあ、素敵な装飾になると思ったのになあ」
がっかりさせて申し訳ない。「素敵な装飾」を目指していらしたなら、なおさらだ。
最後の手段なので、こう言う。
「わたしは書道の《黒帯》じゃないので、人前で下手なのを披露できないんですよ」
「そりゃあ、そうだわねえ〜」
柔道やってる人だったら、有段者じゃないから人前に出れないと言えば、とりあえずピンと来る。

 代わりに、ものすごく高い授業料を取って、ひらがなも教えずにいきなりお習字をやらせている、ヒーさんという書道の黒帯選手の電話番号を教えてあげた。ヒーさんは(そうは見えないけど)れっきとした日本人で、おまけに書道は師範級だっていう(本人からの)うわさ。まあ、書道を教えてるんだったら、自信はあるでしょう。
 ヒーさんだったら、遠慮せずに「じゃ、1メートルにつき40ユーロもらいますので」とはっきり言える人なので、大丈夫だろう。わたしにはとてもとても。
 「ちょっとよろしく」と頼まれたときに、「わたしはお習字のプロなのでお金もらいますよ」と言える人のほうが、絶対にいい仕事ができると思う。

 木曜日の晩に、剣道に行った。
フランス・ナショナルチームのメンバーだった、チュヴィさんがミヨーという町から来ていて、一緒に稽古した。60歳ぐらいの人で、この人がナショナル・チームのメンバーだったころは、まだまだとっても平和だった。日本人の先生(たいていおじいさん先生)との交流も深く、日本人の先生たちは勝つことよりも、剣道とともに生きることについて教えてくれていた時代。だから、ドレイ先生やチュヴィさんと話していると、恩師の佐藤先生を思い出す。相手に勝つ前に自分に勝つということや、二段技・三段技なんかをバシバシやって、数打ちゃ当たるの剣道よりも、溜めて引き寄せてから、相手がこらえなくなったところに、大きく美しい面を一本決めるという、夢のような剣道を目指しましょうよと教えてくれる。
 
 週末。武蔵の書いた『五輪書』を読み直した。
心惹かれるくだりがある。

ーーーーーー

 大将は大工の棟梁として、天下のかね(天下を治める法)をわきまへ、其の国のかねをただし、其の家のかねを知ること、棟梁の道なり。大工の棟梁は堂塔伽藍のすみがねを覚え、空殿楼閣のさしづを知り、人々をつかひ、家々を取り立つる事、大工の棟梁も武家の棟梁も同じ事なり。家を立つるに木配りをすること、。。。。(略)。。。。よく吟味してつかふにおいては、其の家久しく敷くづれがたし。。。。(略)。。。。果敢(はか)の行き、手ぎわよきといふ所、物毎をゆるさざる事(細心の注意を払うこと)、たいゆう知る事(使いどころを知ること)、気の上中下を知る事(やる気があるかどうか)、いさみを付くるという事(勢いを付ける)、むたいを知るといふ事(限界を知る)、かやうの事ども、棟梁の心持ちにある事なり。 

ーーーーー

 大工さんの言う「木配り」というのは、適材を適所に配する事だとあるが、「気配り」と繋がっているんだなあ〜と思って、いたく感動した。わたしは人を遣う「大将」ではないけど、自分を遣う自分の大将なので、学ぶことがある。周りには「立派な棟梁」と思ってエバっている人もいるので、そういう人を見ながら、「コイツには勝てる」と思ったり、してみる。

 「棟梁」に置き換えられた「大将」の次に、「大工」としての役割を持つ「士卒」の項目があって、こちらは、道具を揃えて、お手入れをちゃんとやり、いつもきちんとお道具箱に入れて持ち歩く。。。というようなこと。大工の技をしっかり学んで修行を積めば、いつかは棟梁みたいに立派な人になれるんだぞお〜、というような事が書かれている。

 刀を持たず、人を切らずに、相手の前に自分に勝つことができたら楽しいなあ。と思って、こんな本なんか読んじゃってる。さて、しっかり読んで、次回の稽古に備えよう。実際には呼吸乱れ、錆び付いた身体がきしむ音は聴こえても、美しい一本の決まる瞬間は、なかなか見えないのであるなあ〜。先は長いなあ。

 チュヴィさんが、「とっても素晴らしい出ばな面を取られた〜」とおっしゃったので、とっても嬉しかった。「出ばな面」というのは、相手が飛び出してくる瞬間を捕らえて、相手よりも先に面を決めるもので、トロくて腕が短いわたしにとっては、もっとも難しい技のひとつなのだ。ふふふ。まだ捨てたもんじゃあないねえ〜。

 さて、再来週もがんばろう。(来週は剣道に行く暇がないので)