2009/07/08

20世紀が終わった

 特にいまファンっていうわけじゃあないけど、やはり思い出の人である。

 マイケル・ジャクソンが亡くなってからこの一週間ずっとラジオで彼のことを言っている。
おとといの晩、夜の7時から、生放送で追悼番組があるとさかんに報道されていたけれども、その時間帯は夕食の支度と夕食の時間だから、主婦がテレビの前に座っていられるわけがない。

 みんなが食べ終わって、片付けを済ませて、テレビをつけたら、スティービーワンダーが唄っているところだった。

 追悼コンサートがあると報道された時に、スティービー・ワンダーとライオネル・リッチーは当然歌いに来るんだろうと思っていたけれども、もしかしたら、We are the world をいっしょに唄った、あの頃の大スターたちが、こぞってコンサートに参加するのではなかろうかと期待して、この追悼コンサートを楽しみにしていたのだ。あのなかでもシンディー・ローパーが飛び跳ねながら唄うシーンが、なぜか好きだったなあ。
  http://www.youtube.com/watch?v=WmxT21uFRwM

 わたしもともと、映画や小説の分野ではスリラーが好きだ。血みどろの切り裂きXXとか、ジュルジュルとなにやらが垂れ流れるゾンビとか、吸血鬼とか、精神異常者にしつこく追いかけ回されるのとか、殴り合いと切り合いたっぷりのやくざとギャングの映画が。。。映画だったら、好きだ。

 MTVで《スリラー》を見たとき、このアルバムを買おうと思った。アルバムを買ったはいいけど、ジャケットはちっともスリラーじゃなかったし、アルバムで音楽は聴けてもクリップの映像が見れるわけではないので、ちょっと残念。でも、あの頃の多くの若い人たちのように、わたしだってなんどもなんどもこのアルバムを回した。
http://www.youtube.com/watch?v=cIqj0xD7VCY


 テレビの生中継追悼コンサートが終わったので、シャワーを浴びて、いつものようにテレビを見ながらアイロンをかけようとサロンに戻った。夜中の12時頃、予告も無しにマイケル・ジャクソンのライブが始まった。あまりにもいきなりだったので、びっくりした。
 1992年のDangerousというツアーで、ルーマニアのブカレストでの、約2時間半ほどのライブをノーカットで見ることができた。
http://www.youtube.com/watch?v=vOqY18Nzr1A
http://www.youtube.com/watch?v=CXl-4kyP2LU

 夜中に一人、テレビに釘付けになった。腕を振り上げたり、マイケルジャクソンの「ひゅ〜」をやってみたりする。変な主婦。
《スリラー》を毎日聴いていたあの時期が過ぎたら、もうわたしの中でマイケルジャクソンは終わっていたと思っていたのだが、どうやら、コマーシャルとかラジオで彼の音楽はずっと耳にしていたらしく、歌われる曲のどれもを、なんとなく知っていた。

 1992年の元気なマイケル・ジャクソンのライブを見ながら、今どきのラップやテクノやテクトニックが、ここから発進されていたのだということを感じた。彼のダンスやファッションやメロディーが、2009年の今日、古くさく感じられないのは、つまり、今の新しい音楽やダンスのどこかに、彼のそれが引き継がれているからなんだと気づいた。
 おそらく何万人もの中から選ばれる、最高のダンサーやコーラスがバックについているのだと思うが、どのダンサーよりも動きにメリハリがあり、どんなに激しい動きのあとにも、声はぶれず、息切れをしている様子も見られない、すばらしいパフォーマンスだ。どうやったら身体があんな風に動くんだろう。

 ライブの間、人々がバタバタと倒れて、運ばれて行く映像が映った。みんな叫んでいるから、ライブの会場にいる人たちは、彼の声を聴けなかったのではないかと思う。でも、いっしょに唄うことができて幸せだろう。男性も泣いてた。

 ライブの最後で、マイケル・ジャクソンは宇宙服を着て、NASAで使われているマシーンを背負い、一人空に飛んで行った。(絶対に本人じゃないと思うけど)《未来》を意識した最先端の技術が駆使された、派手なライブだった。

 追悼番組の最後で、マイケル・ジャクソンの個人的な友人であるクリスチャンなんとかという男性が、
「彼がいなくなり、これで完全にわたしたちの20世紀が終わった」
とつぶやいていた。

 音楽カンケ−の仕事をしている友人Sと、MJについて話したとき
「残念ながら、ビートルズをリアルタイムで体験は出来なかったけど、僕らにはマイケルがいたんだよなあ。」
とSが言ったのも、じつに感慨深かった。

 ぼくらにはマイケルがいたんだねえ。

2009/07/07

アトランティス


         ノエミ〜〜!端っこはやめろと言ったろ〜が!



         とりあえず、着水〜〜

 アルビにあるアトランティスというプールに行った。
夏休みにプールや海岸に行くのは嫌い。
日光も、日焼け止めクリームも嫌い。
サングラスも水着も似合わない。
でも、友だちが誘ってくれ、その友だちは入場料を払うと言い、それをきいて子供たちはすでに歓声をあげており、わたしが「い〜や行かない」と言ったらテンションは下がるうえに、友情にもひびが入るなあと思ったので、一年間ずっと断り続けて来たアトランティスだったが、行くことにした。

 そこは、想像通り《芋の洗い場》と化していた。
わたしは壊れた筋肉を癒す注射を肩にうったばっかりだったので、やけに不機嫌だったのだが、とりあえず子供たちは泳げるし、走って転んで病院にも行ったことがあるうちのこたちはプールでは走らない。監視の人たちもたくさんいて、かなり厳しいようだったので、お任せすることにして、わたしはかってに友だちの下の子を遊ばせる小さなプールで、お風呂みたいに胸あたりまで浸かって、そこに座り込んだ。たまに、泡が吹き出るジャグジーのプールに行って、マッサージを楽しみ、恋人たちがいちゃいちゃ始めるまで、泡のプールでうとうとした。

 滑り台は二度としないと決めていたのに、誘惑と欲望のおもむくまま、ついつい室内のトンネル型滑り台を体験してしまった。
いっや〜死ぬかと思った。
 屋外の滑り台は、見ただけでめまいがした。
ゾエとノエミは30回ぐらい。。。滑ってはのぼりを繰り返していた。
ゾエには「どーか、お願いだから、滑り台の両端はやめなさい」と頼んだ。子供たちが滑り落ちるたびに、両端からつるんと外に放り出されるんじゃなかろうかと思って、ヒヤヒヤした。

 誰も放り出されず、誰も骨折せず、水着のお尻も破れることなく。。。五体満足で帰って来た。
ずいぶん楽しかったらしく「また行こう。また行こう」コールが連呼している。
行かなきゃよかったヨ。あ〜あ



 

2009/07/06

まだ、だけど

 さあっ夏休みだっ!
 最後の週は子供たちがとっても少なく、もう教師陣にもすっかり気力は残っていないので、ゲームなどをやるのが慣例となっている。「最後の日に学校におやつを持って行きますが、よいでしょうか」と提案したら、先生は大喜びだった。
じつは、ゾエの誕生日が7月25日で、夏休み中にお誕生会をしても人が集まらないし、なにしろ本人は、海のそばに住んでいる祖父母の家に行くつもりでいるので、今年もお誕生会はお預けになる。だったら、6月のうちに学校でお祝いをしてしまおうと、そうすれば、友だちを家に呼ばなくても済むなあと、母は考えたのである。

 ノエミの幼稚園時代から数えて、すでに4回目か5回目の、定番お誕生ケーキは。。。
じゃじゃ〜〜ん。お菓子の家なのだ。



 前日はピクニックとプールと医者に行っていたため、昼間に時間がなかったので、《即席お菓子の家》になった。今までで一番みっともない形になってしまったが、そこはそれ、前もって買っておいた《フルーツの形をしたボンボン》を。ゾエが派手にあしらって、見た目よだれが出そうなおかしの家に変身させた。ゾエは眠い目をこすって、夜遅くまで手伝ってくれた。
「わたしのケーキだもの。わたしがみんなを招待するんだもの」
と言って、妥協を許さない態勢だった。


 前回作った時には、量が多すぎて、一週間ぐらい職員室に置きっぱなしだった。。。などというジンクスもあるので、今回は、もとになったクッキー生地の出来も悪かったことから、先生には「余ったら捨ててください」と言って預けた。

 ジュースとコップとお皿とスプーンも持参して、先生にはカメラも預けた。ほんとうは、クラスのみんなと撮って欲しかったのだけど。。。 


 その日の放課後は、わたしは医者に行っていたためにゾエを迎えに行けなかった。ケーキがどうだったのか先生に訊いたり、一年お世話になったお礼を言ったりできなかった。
 翌日、ゾエがカメラを学校に忘れて来ていることに気づき、夏休みにカメラがないとは残念だと思っていたら、先生が家まで届けてくれた。先生によると「みんな大喜びで、一気に食べた。学校中で分けてみんなで全部食べた。」とのこと。無駄が出なくてよかった。
 「ゾエちゃんは、三年生といっしょのミックスクラスに入れといたので、来年は沢山勉強してね」と言ってゾエの頭をなでて帰った。ゾエは毎あさ夏休みの練習帳をせっせとやっている。
 「もうすぐ7歳だもの」
と、ことあるごとに言っている。
もうすぐ7歳かあ〜。

おひろめ

 ノエミはずいぶんヴァイオリンの腕を上げたと思う。

 春にアルビで、国立音楽学校の試験を受けた。
4年間のプログラムを終了して、来年は今までのグループよりひとランク上がる予定なので、そのための試験だった。
プロのピアニストの伴奏、恐い顔をした知らない先生たちの前で実技の試験を受けた。試験前にリハーサルまであった。
演奏したのはRussian Fantasia No. 3 : Leo Portnoff



 三人の試験官からとても褒められ、カーモーの学校の先生にはお礼まで言われた。
「よく勉強してくれて、ありがとう」
「こんな鍋みたいな楽器で、よくあそこまで演奏できたね」
音楽学校で借りているヴァイオリンは、「なべ」と言われている。
弓も真っ黒に汚れていて、ガリガリと弦をこする。
一度ヴァイオリンが壊れた時に、修理をしてくれた人からは、
「よくまあ、こんな鍋みたいな楽器を、お金を出してまで借りてるね」
と言われた。その時に、彼のアトリエに中古の安いのがありますよと言われたのだが、その手作りのヴァイオリンは、《お買い得》ながらも、なんと3000ユーロ!とのことだった。わたしが一年ぐらい掛かってやっと翻訳した本が、もし運良く出版されたらもらえるかもしれないお金では。。。足りないぐらいだ。ちょっとやそっとじゃあ手が届かない。

 試験に合格した翌週のレッスンで、先生はわたしの顔をちろちろ見ながらノエミに言う。
「ノエミもいよいよ大人サイズのヴァイオリンが持てる体格になったね。そろそろ自分のを買ってもらってもいいんじゃないか」
先生は、わたしがヴァイオリンを買ってあげたがっていることは充分承知。毎週ついていって、レッスンを聴いているせいか?熱心な親だと思われている。

 2分の1サイズ、4分の3サイズと、身体に合わせて少しずつヴァイオリンの大きさを換えながら、4年間レンタルで習わせた。いっしょに習いはじめた友だちは、成長に合わせてなんども買い替えてもらっていたけれども、ノエミはいちばん大きいサイズのヴァイオリンが、自分の身体に合う時になってから考えようよと言って、おねだりはしなかった。ほかのイヤイヤやってるような子たちが、自分の楽器を持って習いに来るのを見て、わたしはまじめに練習するノエミにこそ、無理をしてでも良い楽器を持たせるべきなのではないかと思い続けてきた。じっさいには「下手な職人は道具に文句をつけるんだよ。楽器が悪くても上達できる」などと言って、ノエミよりも自分を励ましていたかもしれない。買ってあげられないことは情けなかった。いくら私だって音の悪さはよく実感していたし、借りているヴァイオリンの修理にお金を掛けるのもいやだった。
 
 「ヴァイオリンを買っ؁てあげたはいいが、それ以外には無関心の親がいっぱいいる。高いヴァイオリンをおねだりして、続けないこどももいっぱいいる。ようすをみましょう。ノエミがずっと続けることに決めたら、その時にちゃんとした大人サイズのヴァイオリンを買ってあげればいいんですよ。身体も成長段階だから、まだいい楽器を選ぶ余裕はありますよ」
と先生は言い、4年の間《鍋みたいな》ヴァイオリンでよく指導してくださった。そして今は、
 「鍋みたいな楽器でよくここまで続けて来れたね。応援してくれたお母さんに感謝しないとね。ノエミのヴァイオリンが上手に唄えるように、もっとがんばらないとね」
と、ノエミに言ってくださる。

 ノエミがヴァイオリンを始めたころの日記は、2005年の9月頃にいっぱい書いた。あの年にいっしょに始めた、同い年の4人の子どもたちは、みんなやめてしまった。わたしもチェロを続けられなかった。

 学年末のコンサートでは、最上級生として小さい子とデュエットをしたり、試験で弾いた難しい曲を披露した。先生は、みんなに紹介する時に「うちの学校の希望の星、一番よく練習する子です」と言った。そして、先生の期待通りに、拍手喝采でコンサートのフィナーレを飾った。

 今年始めた女の子たちは「ノエミみたいになりたい」とか「ノエミに憧れている」と言ってノエミお姉さんを取り巻いた。わたしは、その子たちのお母さんたちに囲まれて、どうやって毎日練習させてるんだなどと質問された。じつは、毎日怒鳴りつけたり、脅迫しながら、とりあえず30分はやらせている。《やらせる》のはとっても大変だ。でも「来年も続ける。ずっと続ける」と本人が言うからには、好きなんだろうと思いたい。音楽が、ノエミの中で、なにか大切なものになりつつあるんじゃないだろうか、それはいいことなんじゃないだろうかと思う。

 わたしとJPは、毎日どうやったら30分稽古させるかに頭を悩ませている。ノエミが平気な顔をして「あ、忘れた」などととぼけるようなときにJPは、ノエミが本当はヴァイオリンは好きではなくて、いやいややっていると疑う。わたし自身はピアノを10年ぐらい習ったが、自宅でのレッスンは延べ1ヶ月分ぐらいじゃないか。レッスンは大嫌いだったけれども、コンサートで舞台に上がるのはけっこう好きだった。
 小さい時に音楽をやってよかったと思っている。これまでスポーツでも、家事育児をするのでも、音楽は何かにつけてけっこう役に立ってくれたと思うし、音楽はやはり癒しによいと思う。ピアノをしていたおかげでいま、ノエミに合わせて簡単な伴奏だってできる。娘と一緒に唄えるのはとっても楽しい。

 あいかわらず定収入はないけれど、臨時収入が入ったので、JPがなんといってもいま買ってやらなきゃと思った。そのせいでちょっとケンカもした。
 そして今日、ようやくお金を払い終わった。
先生がコンサートで使った思い出のヴァイオリンで、新品同様の中古ながらも、修理の跡があるためにお店では売れないとのこと。修理した部分に職人さんのサインが入った特徴のあるヴァイオリンで、先生の口添えで6000ユーロぐらいのを600ユーロにしていただいた。一ヶ月の間、試しに使っていい。お金がある時に、少しずつ払ってくれればいいと、貸してくださっていた。 

  JPには「ノエミが今より学校が忙しくなったり、社会人になったりして、ヴァイオリンをやめる日が来たら、高く売ればいいよ。ちゃんとしたヴァイオリンなんだから、いいねだんになるよ」と言って説得したが、じつは、そのときにはわたしがやればいいやと思っている。じつはノエミがいない時に、こっそりいじっている。
 一人で音符も読めるようになったので、これからはあまりノエミの後ろに立ってガミガミ《指導》するのはやめようと思う。「すごいねえ。楽しいねえ。すばらしいねえ。気持ちいいねえ」と毎日言ってあげようと思っている。



             先生のピアノ伴奏で

             今年始めた小学生のルイ君と

こうやってノエミがたのしそうに笑える音楽に、悪いことなんかぜったいない。
                

2009/06/29

つかれている

 わたしの内臓と頭はすこぶる元気だ。
疲れているのはパソコンだ。
いきなり漢字が書けなくなる。
なので、仕事に差し支える。

 仕事といっても、翻訳の方はまあまあ進んでいる。

 内臓と頭は元気だけど、肉体はがたがた。
この前ちょっと剣道やったら、そりゃも〜大変だった。
なので、いまだに指圧に通っている。
 指圧でもよくならない部分が約二カ所あるもので、指圧師のJMG氏を裏切って、スポーツDr.なる医者のところに行く決心をした。
柔道でぼろぼろに怪我をした知り合いのヤンさんが、めでたく畳に復帰したときいたので、ヤンさんを奇跡的に治した医者の名前を教えてもらって、紹介状もないくせに「今日行ってもいいですか」と割り込み、その日のうちに診てもらった。レントゲンとエコグラフィーを撮って出直すように言われたので、あさって出直す。7年前と2年前に怪我をした時のレントゲン持参で。

 ノエミは夏休みに入った。中学では今週、4年生の卒業試験があるので、卒業試験を受けないこどもたちは、先週の木曜日から休みに入った。小学校はなぜか7月2日、木曜日の夕方から夏休みとなる。金曜日でもない。30日でもない。なんかよくわからないけど7月2日木曜日から夏休み。なんかわからない日付なので、わかりやすい30日頃から、自主的に夏休みに突入する家庭も多いに決まっている。とにもかくにも、新学期は、これまたわかりにくい9月3日木曜日から。どうして?しかも、なにゆえに、こんなに長いんだろう。

 ゾエの成績表はすばらしかった。進級決定。仲良しのアリアンとマリも同じクラスに上がる。新しいクラスはすでにはり出されていて、教師に「XXちゃんと同じクラスにしないでください」などと申し出る親が続出している。ゾエの新しい先生は、(たぶん)中国人なので、またまた「何かアジアティックなことをやりましょう」と言われるに決まっている。でもじつは、今年PTAにはほとんど参加しなかった。わたしが参加しなくっても、ちゃんと運営されていたので、来年もわたしなんぞが参加しなくてもちゃんとやっていけるさと、ちらり思っている。

 来年度は、もっとちゃんと剣道やりたいな〜、調理師の勉強したいな〜、指圧の研修受けたいな〜、仕事バリバリやりたいな〜、と。。。自己中心な目標がいっぱいなのだ。このごろ子どもたちはとおっても成長してしまって、こんな母なんぞがバックでうろちょろしなくても、なんでも上手にできるので、わたしはわたしの好きなことをやろうかな。。。など思ってしまう。そうしたら、ストレスもたまらず、平和で明るい家庭が保証されるんではないだろうか。子どもたちにぎゃーぎゃー言うのをどうにかしてやめたいと思っているのだけど、ど〜も、子離れができない。

 今だってけっこう好きなことをやり放題では、ある。
夏休みには、ノエミがキャンプ、ゾエがナルボンヌに行き、JPは仕事というので、わたしはひとりでうちから5時間もかかるBOURGESという所に、四泊五日の剣道合宿に行く。身体はがたがたなんだけど、やる気はいっぱいなので、いちおう行ってみる。朝から晩まで剣道づくしとは!筋肉モリモリになるのは確実。最後に夏に剣道やったのはいつのこと?体力、大丈夫だろうか。
 いちおう有段者なので。。。授業を3時間ほど行うことになった。わたしなんかが講師とは、これはろくな合宿にならないだろう。テーマはすでに決まっているものの、原稿を書かねばならないので、パソコンが疲れて動きたがらないのは、非常に困る。

 と、ここまでこんなにうだうだ書いたのに、パソコンが最後まで壊れなかった。不思議だ。「仕事しろ」ってことだろうか?

 JPがパリに出張なので、つい夜更かしになってしまった。JPは、組合の会議のためと言って、しょっちゅうパリに行っている。しかも、お昼は持ち寄りということになっているので、「何か作って」と言いつつ、本当は「巻きずし作って」と言っていると同じなので、ちゃんとまきずしをつくってもたせた。

 あ、ほら、かんじがかけなくなった。
わたし、もう、ねる。

2009/06/23

学年末のお祭り


大好評だったいれずみ。。。
    ゾエのは従姉の名前。 

 もうすぐ夏休み。
学年末のお祭りが行われた。
今年は、PTAの役員会をさぼってばかりいたので、折り紙のスタンドを外された。
暑かったせいか、集まった人の数が例年よりも少なかった。

夜は、校庭にテーブルを出して、食事会となった。
ノエミが大きな顔をした小さな子にキレて、さんざん追っかけ回した上に泣かせた。
困ったもんだ。

翌日、その大きな顔をした小さな子のお母さんに電話したら、自分ちの子はじぶんのいうことをきかないので、よその人が叱ってくれたら、助かる「ありがとう」と言われた。
いまどきめずらしいなあ。

 

にほんごクラブ展示発表会






 6月2日から8日まで、中学校の図書館内一角で、にほんごクラブ部員による発表展示会が行われた。
外部からのお客様、教師陣、全校生徒の注目を集め、大好評のうちに幕を閉じた。
校長先生からの電話で、「わたしも日本語を習いたくなった」との感想をいただいたが、クラブの子供たちからはブーイングが出ていた。中学校は4年生の卒業試験の期間に入るため、1年生から3年生までは、6月26日の夜からいよいよ長い夏休みに突入する。
にほんごクラブも、6月22日のおやつ会を最後に終了した。全員が、来年度もクラブ参加を希望している。楽しみ。