2006/02/28

おかえりなさいませ

 みんなが帰って来た。
途中で、頼んであった買い物もして来てくれたので、家の中に人口と食料が増えた。残り野菜でスープは作ってあったので、家の中の温度も一気に上昇した。

 子どもたちはナルボンヌで、ヴェニスの商人に変装して行ったカーニバルでの話や、アグドという港町で、魚は食べずにステーキ・フリット(ミンチのステーキとフライドポテト)を食べた話をしていた。博物館にも行ったらしい。

 私が留守中に造った、残り木の物入れと、障子紙を貼って造ったランプを見て、感動している。物入れには箱に入っているゲームやおもちゃを並べて片付けたのだ。そこに「しゃべる人形」のフュオビーも片付けてしまった。ランプは思ったよりきれいにできたので今度写真を撮ろうと思っている。

 今日で二月も終わり。あっという間だった。

2006/02/27

久しぶり

 日記が26日から止まったままだったので、みなさまにはご心配をおかけしました。「10年に1度」とも言える(?)大きな仕事が入ったので、毎日睡眠時間が3時間という生活をしていたのです。3月15日午前3時頃。。。無事納品を済ませ、昨日はたくさん寝て、今日はもう3月16日ですが、2月27日からの日記をまとめて書いていくことにします。

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 海外に出て、独身だった時期が6年以上はあったので、役所まわりでも日曜大工でもほとんど自分でやっていたものだ。結婚してからもJPが船に乗っていて、一年の半分は独りだった時期もまた長かったので、私はけっこう何でも一人でできるオンナだ、と思っていた。けれども、何でも一人でやってしまうと、若奥様の可愛げもないし、ダンナはどんどん「妻まかせ」になるので、できることでも「ちょっとやってよ」と言ってみることにしたのだ。

 子供もそうだ。なんでもやってあげていると、母親を小間使いのように思ってしまうらしいので、私は子供がその辺に落としたものも拾わないし、子供の食器は片付けないし、宿題も見ない。(難しいから無理だけど)母がナーンでもやってしまうと、あっという間に片付くことはいっぱいあるのだが、私は私の受け持ち範囲を決めて、そこからさきはイライラしながら見守る努力をしている。

 そうして無関心を装っているうちに、この頃はJPの敷地内(書斎、道具箱、倉庫、屋根裏)でいったい何が起こっているのか、さっぱりわからなくなっている。だから敷地内にある「湯沸かし器」については知ろうともしなかった。

 独身生活というのは寒々しいなあーと思っていたら、夜になって室内温度が一気に下がった。私は寒がりなので気のせいだろうと思って我慢をしていたが、暖房器具が冷たい。
 JPから電話が来たので、家の中が寒いと言ったら「寂しいんだろ?」と言って不気味に笑っている。温度計を見たら20度の表示になっているので「家の温度が高ければ暖房の湯沸かし器は点火しない仕組み。寒がりはおまえのせいだから我慢しろ」みたいなことを言われて電話を切った。
 でも、おかしい。夜遅くになっても暖房は冷たいままで、手足が凍えて、息が白くなって来たが暖房コントロール器の温度計は20度のままだ。迷ったあげくにまたJPに電話して、義母に「淋しいんだったら来ればよかったのに」と不気味に笑われながら、JPの声に変わった。

 状況から推測して、暖房は故障している。それで、私はコードレスの電話を持って、JPの暗い敷地内に入って行った。実況中継とともに湯沸かし器のいろんなボタンを設定し直して、湯沸かし器に「ボッ」と火が点いた時には、マッチ売りの少女よりも幸せな気持ちになった。ああ、電話の向こうにJPが居てくれてよかった。夜中の2時ごろにシャワーを浴びて、いきなり湯沸かし器が故障していることに気づいたのでなくてよかった。。。

 暖かくなり始めた暖房に、お尻をすりつけながら、早くみんなが帰って来ないかなーと思った。

2006/02/26

華の独身

 日曜日。独身なんだからおもいっきり朝寝坊をすると思ったら、大間違いだ。独り身のお天気のよい日曜日には、ぜったいに早起きをするつもりだった。しっかり目覚ましをかけて、まあ、それでもいつもよりはゆっくりの時間ということにする。でも、目覚ましが鳴らないうちにボボに起こされた。

 ボボはJPが居ないことを察しているらしく、昨日もみんなが出て行ってからずっとぐずぐずいったり吠えたり、ドアをガリガリやったりしている。困ったものだ。ボボのせいで(おかげで)私だけ留守番をすることになった(アリガトー)というのに、恩というものを感じていないやつ。

 ご主人様が居なくて、犬まんまが底をついたので、仕方ないから、ボボのために台所に立ち、ご飯とひき肉で犬まんまを作って差し上げた。独身だと思ったらボボ様がいらっしゃったのだ。

 日曜日のお散歩はJPの役目なのに、ひとりなので私が散歩に連れて行かねばならない。それなのに帰って来たら「足りない」と言って吠えている。ノエミが使わない乗馬の鞭を、ボボの鼻先でひゅんひゅん鳴らして、低い声でどなっても、バッカにされている。こいつううう
 JPから電話が掛かって来たので、「ちょっと、ボボのこと叱ってよ」とお願いして、電話を犬小屋に持って行った。ボボのピラピラの耳をつまんで持ち上げ、受話器を耳に近づけた。JPが大きな声でボボを怒っているのが聞こえている。ボボは尻尾を巻いて犬小屋の奥に入った。私のこと、なんだと思ってる。ゆるせん!

 日曜日はとてもよいお天気だった。一日中「日曜大工」をした。家じゅうに転がっている「犬小屋のあまり」や「本棚の残り」「床板の余分」の木材で、60X70X170の大きな棚を作った。ただし、壁とタンスの隙間に入れる棚で、そのスペースにはパイプがあって、L字型のスペースにぴったり入る棚にしたかったので、設計図を書いて、計ったり木材を切ったりしているうちに、時間はどんどん過ぎて行った。

 組み立てが終わったのは夜の8時ごろになっていた。シャワーを浴びて、昨日買った「ネム」を電子レンジで温めた。白いご飯も炊いた。パソコンの前に食べ物を並べる。ポリーヌさんから借りた『もののけ姫』のDVDを見ながら、夕食を食べた。アメリカ人みたいだ。全部見たらもう1時ごろになっていたのだが、消す操作をしていたら『日本語バージョン』もあることがわかり、もう一度最初から日本語で見た。今度は前から準備をしていた《ランプ》を作りながら見た。映画が終わるまでにランプづくりは終わらず、明日に持ち越しとなった。

 火曜日提出の翻訳の仕事を金曜日の朝に終わらせておいたのに、訂正があって、書き直さなければならなくなった。それも食事の支度や、子供のシャワーに中断されることなく、あっという間に終わってしまった。独身だと仕事も速いのか?

 一日がいつもに比べてもっと《あっという間》だ。
華の独身生活も残すところあと二日となってしまった。
 そういえば今日は日本のお友達のミオちゃんの結婚式だった。別な友だちが《226事件》だよと教えてくれたので、この日を楽しみにしていた。同級生の花嫁さんはなんとも久しぶりだ。
 私は今年結婚11年目。そしてたまには「独身」を夢見る主婦、二児の母になってしまった。

 電気と音楽をつけっぱなしにする。一人静かに。。。というのはけっこう淋しいなあ。

2006/02/25

独身貴族

 JPと子どもたちが、JPの両親の家に旅だって行った。ああ、3泊4日の独身貴族生活が待っている。さて、何をしよう。まずは、図書館でCDーROMと雑誌を借りた。そしてお買い物。

 家に自分だけとなって何をしたいかというとやはり「家事をしない。時計を見ない」ということを「したい」。それから、ひとりでこっそり食べたいと心に描いていたものを、おもいっきり食べたい。「食べたいもの」とはいったい何か?スーパーを一周して、「エビ」と「ネム」と「あられ」と「ピエモンテーズ・サラダ」を買った。

 「エビ」はJPがエビ・アレルギーなので食卓に出すのが禁止されている。出してもいいんだけど、自分の食べる分があっても、ほかの人が食べる分をどうせ作らなければならないので、自分は我慢してみんなで食べるものを出すことにしている。私はエビが大好きで、いつもいつも「ああ、エビが食べたい」と思っている。

 「あられ」は「日本風クラッカー」という名前で売られているもので、スーパーを歩き回っていたら、こーんな思いがけないものがあったので、感動して思わず手が出てしまった。「衝動買い」も禁止されている我が家であるから、この辺でおもいっきり羽を伸ばす。

 「ネム」というのはベトナム風春巻きで、私は普段時間を掛けて自分で作っている。ネムも大好物で、時間を掛けても作るものだが、「一人分だけ」作るということはまずない。肉屋さんのお惣菜のコーナーにも売っているのだが、いつもは「自分で作れるものをお店で買うなんて」という気持ちがあるので、出来上がりを買って食卓に出したことはない。自分で作ることはない「エビ入り」にした。

 「ピエモンテーズ・サラダ」というのは、日本でいうとソーセージ入りのマヨネーズで和えた「ポテトサラダ」だろうか。我が家では市販のマヨネーズは約二名のうるさい奴らから「気持ち悪い」と言われているために、工場で作ったマヨネーズで和えた大量生産のサラダなんて。といわれるのを恐れて食卓に出したことはない。でも、よくこのピエモンテーズは、ひとりの昼食の時などは隠れて買って食べているのだ。

 こんばんは、夕べの残り物を片付けてしまう。お楽しみは明日。日曜日はどこも閉まってしまうから食料確保せねば。それにしても、生活の基本である「食」の部分で、私は普段からけっこう我慢しているとみえるなあ。好きなものや食べたいものが家族のほかのメンバーとは異なるので、我慢しているのだ。これじゃあ、ストレスたまるはずだ。でもこのメニューを見たら、「ただインチキしたいだけ」という気もする。

 さっさとシャワーを浴びて、思う存分インターネット・サーフをして、たくさんの人にメールを書いて、夜中になってから本棚に行って本を8冊選んで来た。その中の5冊を、斜め読みだけど一気に読んだ。ちょっと気がすんだ。ベッドのところに図書館で借りた雑誌とスーパーで買った雑誌も積み上げた。いちおう全部見た。

 音楽をがんがんにかけて、パソコンの前とベッドの中でも「あられ」を食べた。こんなことを子供の前ではできない。
午前3時ごろ、電気と音楽をつけっぱなしのまま、雑誌を閉じた。もうこのまま寝るつもり。

 なかなか「独身貴族」らしくなって来た。午後、ひとこともしゃべらなかった。
(誰もどならずにすんだということか。ふむふむ)

2006/02/24

はりきる

 今週「ビズ・ファミーユ」という雑誌を知った。
サイトはこちら http://www.bisoupfj.com/
「フランスで学び、働き、住む日本人を応援する雑誌」とある。
このバックナンバー3号が「バイリンガルについて考える」というテーマなのだが、インターネットでバイリンガルのことを調べていたら、このサイトにたどり着いてしまったのだ。

 「ビズ・ファミーユ」で地方特派員を募集していたので、さっそく編集長さんにメールを書いてみた。トゥールーズの特派員はお友達だった。彼女の名前をこんなところで発見するとは思っていなかった。そういうわけでトゥールーズには特派員がいるのに、カーモーにもアルビにも居ないことがわかったので、この近辺の特派員を申し出てみたのだ。ボランティアだけど、昔新聞記者に憧れていたので、つい「特派員」と聞いて黙っていられなくなった。

 お返事はすぐにいただけて、特派員としての規定とか義務とか責任も、そんなに重々しくないので、私にでもきるのではないかしらと思っている。ただしカーモーには日本人に喜ばれそうな面白いものはないので、仕事をしているアルビ市のことでも書こうかと思っている。

 まずは一度通訳をして、専門家並みの(?)物知りになった「ラペルーズ博物館」だろうか?あるいは、日本人観光客もよく訪れている「トゥールーズ=ロートレック美術館」だろうか。知名度としては後者かな。

 とりあえず雑誌を注文して、ほかの特派員がどんな物を書いているのか、探りを入れなければ。

それにしても、こんな雑誌ができるほど、フランスに住んでいる日本人が居るとは驚きだ。

 昨日いっしょに映画を見に行った友達が、「アンパンマンといっしょに平仮名を覚えよう」という面白い子供用の電池で動く教具を貸してくれた。二人がせっせと平仮名の練習をしている。

 今日は、パリに来ているはずの従妹に電話しようと思っていたら、夕方から夜遅くまで、子どもたちは喧嘩ばかり、泣いたり喚いたり、こっちはどなったり吠えたり。。。そうしている間に「その団体様は、もう日本にお帰りになりましたよ」の時間になっていた。とっても残念だった。

 従妹は楽しいヨーロッパ旅行ができたんでしょうか。
また来たいと思ってくれたかな?また来てくれるかな?

2006/02/23

かくれんぼ

 友達とCache cache (カシュカシュ・かくれんぼ)という映画を観に行った。Yves Caumonという若い監督の作品で、この日は「シネグテ(映画のあとおやつが出る)の日」だったのだが、監督さんも放映に参加していて、映画のあとおしゃべりすることができた。

 子どもたちがうるさかったので、監督さんに近づくことができなかったが、帰って来てから感想を書いてメールを送った。とても興味深い映画だった。

 まず真っ暗闇に「瞳」が出て来る。
こわい!! ゾエが泣くんじゃないかと思った。
その「目」は家の中から、外を伺い見るレーモンの目だ。
古い田舎の一軒家、ずっと前から売りに出されていたその家に、いよいよ買い手がつく。辺りに散乱している古い家財道具を、粗大ゴミとして片付けて行く。改装工事、引っ越し、、、その慌ただしい人の流れの合間を、ドアの後ろから草むらへ、犬小屋から木の陰へ。ちょこちょこと走り回って、こちらを伺っている「目」がある。人がいる。誰にも見えない。(映画を見ている人には見えている。汚いレーモンおじさん。映画中ひとことも話さない。)

 家の中に居られなくなったレーモンは、古井戸の中に隠れて暮らすようになる。夏。子供のプールで服を洗ったり、合鍵で台所に入って誕生ケーキの残りを盗んだりする。子供が井戸に落としてしまった風船を、さて、どうしよう。。。子供が探しに来てはまずいので、考えたすえ、勢いよく投げて、風船を井戸の外に送り出す。子どもたちは大喜び。井戸にお化けが居ると言って、井戸の中に靴やおもちゃやいろんなものを落とす。レーモンおじさんは、降って来るいろんなものを、少しずつ家の中に返しに行くのだが、靴がランプにブラ下がっていたり、ぬいぐるみが木の上に座っていたり、なかなかユーモアがある。子どもたちにバカウケだった。

 子供は「この家にお化けが居る」と言って面白がっている。見つけて友達になりたいと思っている。大人はだんだんおかしいことがわかると「お化けが居る」と信じたくなくて、ヒステリーになる。

 毎日その家の前を通過して「この家は何かおかしい。誰か居る」と感じていた郵便配達の女性が「レーモンには優しくしてあげないといけない。優しくしてあげたら、悪さはしないはずだから」という。村では、レーモンはとっくの昔に死んだと思われている、この家のまえの所有者だった。

 レーモンは日本の座敷童みたいだ。

 私は小さい時から、半開きのドアや暗い「隣の部屋」が大嫌いだ。置かれてある人形や写真が動くような気がする。 いつも誰かに見られている気がして、便器のふたでも、電子レンジのドアでも、タンスの引き出しでも、開けっ放しにできない。吸い込まれそうで恐い。誰かが出てきそうで恐い。誰かに見られているような気がしていやだ。

 でも、カシュカシュの映画を見て、「こんなおじさん」だったら家に居てくれたら面白いだろうと思った。家神を恐いと思うのはまちがっていたのかもしれない。

 家神が逃げて行かないような、おだやかな家にしなければと思った。

2006/02/22

あと2週間

 ノエミの怪我から一週間経ち、検査のために病院へ行った。

 先週帰る時に、レントゲン技師を予約して、レントゲンを撮ってから医者のところへ、と言われていた。今日病院の3階にレントゲンを撮りに行くと、ギプスを外してもらってからレントゲンを撮りに来いと言われるので、1階の医者のところに戻った。そうしたら、レントゲンを撮って確認してから、ギプスを外すかどうか決めたいから、まずレントゲンを撮って来いと言われ、まーたエレベーターに乗った。

 レントゲンでは、先週ずれて見えた骨は、元に戻っていなかったのだが、先週よりもひどくなっていたわけではないし、たった一週間では治るわけがないので、「ずれたままだけどしかたない」と言われた。ただし、手術するかどうかの心配はなくなった。成長に影響は及ばさないでしょう、とのことで安心した。

 その代わりあと2週間ギプスのまま。ノエミは今日外してもらえると思っていたので(期待しちゃだめとは言ったのに)あと2週間と言われて、ショックを受けていた。
すでにギプスの中が痒い。なんだか臭い。手首の所が当って、すれて来ている。

 来週の水曜日は矯正歯科医の所。
再来週はまた病院で検査。
結局冬休みは台無しだった。

 でも、私としては、手術しなくていいと言われたし、本格的な固いギプスをはめられなかったので、軽かったのだと思ってほっとしている。まだ「アンタはドジだから」で笑い飛ばせる範囲内だ。頭を打っていたり、顔がぐちゃぐちゃに潰れたりしたら、もっとたいへんだったと思うし、一生車いすとか、目に見えない内臓が悪いとかだったら、家族みんな大変だと思う。

 私が怪我をした時に、伯母と親友から「アンタいつも動き回りすぎだから、ここらで休みなさいというお達しだったんじゃないの?」と笑われた。ただの骨折だったし、夏休みに子供と遊んでいて怪我をしたので、元気になってから笑い話になった。

 いつもひとりで何でもできると信じているノエミが、かなり痛い目に遭っている。割れなかった頭で、一応いろんなものごとを考えてくれているだろうか。

 冬休みの1週間もあっという間に過ぎようとしている。休みはあと1週間。そのあと学校が再開して1週間。2週間はきっとあっという間だと思う。
  

2006/02/21

誉められちゃったよーーん

 ゴマ豆腐を作ろうと思って、30パーセント引きのくずを買った。海苔入りごま塩とにがりも手に入れたが、キッコーマンのお醤油はなかった。味噌と梅干しはあるので買わなかった。紅ショウガがあって「オオッ」と思ったが、実は紅ショウガは嫌い。山川漬けがあったらうれしいのが、そんなローカルな漬け物はない。

 JPとノエミは食卓に出ている食品のラベルを、食事の間中じっと見つめるのが癖だ。そして読み上げるのが悪い癖だ。最初はいちいちうるさいと思っていたが、ノエミが「赤いのは着色料で、保存料が入ってる」などと読み上げると、食欲が失せるどころか、母親として恥ずかしくなってしまうので、安心ラベルのついたものだけを売っているお店に通うようになった。

 そのお店に置いてあるのは安全な食品だけだ。例えば小麦粉や砂糖などは自分でスコップで欲しいだけとって、紙袋に入れてレジで計ってもらう。だから自宅に帰った時には読もうと思ってもラベルがない。我が家では小麦粉、米、スムール、ポレンタの粉、ポップコーン用のトウモロコシ、豆類、砂糖、塩、ごま、片栗粉、ベーキングパウダー、お菓子の材料や調味料。。。スコップですくって買ったものなので、台所の棚には私がラベルを貼った瓶が並んでいる。これで誰もラベルを読み上げる者がいなくなった。
 このような事情があるので、一週間に一回、遠くの「このお店」まで買い物に行くことになっている。今週は子どもたちがいるので、遠くまでわざわざ出掛けるのはやめようかとも思ったのだが、春のような陽気だったので、ドライブのつもりで出掛けることにした。車の中ではコートは要らなかった。

 でも、子供と出掛けると落ちついて買い物はできない。物をひっくり返さないか気になって仕方がない。神経質に見張っていてもひっくり返すから、それを元に戻したり、喧嘩をはじめた二人を引き離したりと疲れてしまう。よその子供を見ていると我が家の子どもたちは「まだましな方」とも思えなくもないのだが、それでも「静かにして」「じっとしてて」などと言い続けているので空しくなる。「細かいことを気にしすぎ。子供はこれくらい普通」との意見もたびたびあり。

 車の中で「アンタたちを買い物に連れて行った私がバカだった」とかぐちぐち言いながら、もう一軒行くつもりだったお店には行くのをやめて、帰途につく。「ほらほら」とせかしながら自宅前に到着。玄関の脇の歩道に自転車を止めていた男性が居て、その人は自転車にまたがる前に、手袋をはめているところだった。

 すれ違いざまに娘たちが「こんにちは。失礼しまーす。」と大きな声で言った。60代ぐらいの男性が、胸を抑えて、目に涙を浮かべ、
「なんて行儀の良いお嬢さんたちなんでしょう!今どきこんな子どもたちは珍しい!」と天に向かって腕を広げながら、大きな声で言った。

 そして、子どもたちに「お母さんはいいしつけをしてるねえ」私に向き直って「この調子で頑張りなさい」と言った。

 私のほうこそ涙が出そうになった。
自分の親のしつけが良かったんだろう、と思った。
誉められて元気になった私は、家の中に入ってから「ほらみなさい。いつも厳しくしてるママンのおかげで誉められたじゃないの」と威張り散らすのであった。。。2006年02月21日 火曜日

 ノエミは「私たちが行儀よかったおかげで、誉められてよかったね」などと言っている。こいつってやつは。。。
 ゾエは舌を出して「カカ・プート」と叫んだ。解説すると舌を出したのは、あまり意味はなくて、今ちょっと癖になっている仕草。それから「カカ」はうんちのことで「プート」はおならの音のつもり。要するに意味がないのだが、幼稚園で今「カカ(うんち)」とか「ピピ(おしっこ」と叫び合うのが流行っているらしく、どこに行っても誰にでも「カカ・ピピ」を意味なく連発する。

 「こら行儀悪い」と言って、追いかけ回しながら、みんなで笑った。
笑う門には福が来ると言うし。。。
がんばっていこー!

2006/02/20

しらーんぷり できない しれーん

 我が家のあるカルビニャック通り近辺、ジャン・ジョレス地区一帯、うちから半径約2キロか3キロ(たぶんもっと)の地域住民は、きっと一睡もできなかっただろう。

 日曜日の夕方6時ごろ、台所でラジオをつけた。鳥カゼ菌のニュース、そのあとコンサート情報を聞いていると、バックで耳障りな音が鳴り続けていることに、ふと、気づいた。何が耳障りなのかわからないのだが、イライラして来て、じわじわと神経逆なでられて行くのがわかった。

 昔「ポケモン」などのアニメを見ていて、肉眼では見えない映像を、定期的、瞬時に流して、子どもたちの脳波に異常をきたした。。。というような電波障害があったとおもう。そういうのかな?と思ったので、慌ててラジオのスイッチを切った。

 ところがその不愉快な音は、ラジオから来ていたのではなかった。

 我が家は三叉路がぶつかる地点、T路の縦棒が横棒に交差する地点にあり、台所からジャン・ジョレス公園の入り口まで一直線に見渡すことができる。その道路のほうから、「シレーン」が鳴り響いているようだった。「シレーン」というのは「サイレン」のことだ。
 
 最近では「シレーン」を搭載している自動車が多いので、路上駐車の車かな?と思って、玄関ドアを開けてみた。でも自動車用のシレーンとは音が違うみたい。
 それから、その道路は大きな家が6軒ぐらい並んでいるので、冬休みの留守宅に泥棒が入ったのかな?と思った。その6軒のうちの1軒は、数週間前に奥さんを亡くした老人が一人暮らしなので、走って行ってみようかと思った。

 玄関前で耳を澄ませて、音の出所を探っていると、前の道路から車が来た。10軒以上先のほうに住んでいる人だったが、うるさいので来てみたと言っている。警察を呼んだ方がいいと言われたので、二階のJPに「警察に電話してよ」と叫んだ。

 私が叫んでいるので、やあっとシレーンが聞こえたJPが降りて来て、警察に電話する前にちょっと出てくると言い、マイペースで靴のヒモを結んで、ちゃんと傘をさして出掛けた。道路を行ったり来たりしている。しばらくして音の出所を突き止めたらしく、立ち止まってうちから二軒先のお宅の玄関ボタンを押していた。

 そのお宅には家人がちゃんと居て、玄関の灯りの下でJPとなにやら話している。

 結局、我が家からは警察には電話しなかった。何かの間違いで家の警報を鳴らしてしまったのだが、止まらなくなってしまったらしい。警報機は屋根の上の、更に上の煙突のてっぺんについており、今や独自のバッテリーで自動的に鳴っているわけで、家の人には手のつけようがないらしい。「コンセント抜く」とかできないらしい。誰にでも簡単に電源を切れたら、役立たず警報ということ。

 警報機を取り付けた警備の会社に電話したけど、泥棒じゃなかったので警察には連絡されない。(ご近所がみんな電話したとは思うけど)修理の人は夜には来ない。雨が降っていて危ないし、とっても高いところなので、普通のはしごでも無理。なんで消防自動車は来てくれなかったんだろう。警察でも消防でもどうしようもないものなんだろうか?

 と、いうわけで、18時ごろ鳴り始めたと思われる警報機は、一晩中鳴り続けた。いっやあー参った。ゾエは「恐い、恐い」と言ってうるさいし、ノエミは「うるさい。うるさい、気が変になりそう、ああ。うるさい!!」と言ってうるさい。「ピーピーピーピー」と一秒間隔で、月曜日の8時過ぎまで鳴り続けた。

     続・「しずくの拷問」

 我が家はガラスが防音二重サッシで、泊まりに来た人が「外を走る車の音とか、全然聞こえないねー」というようなご立派な窓で、雨戸も閉めているが、シレーンはやっぱりシレーンなので、ちゃあんと聞こえた。一晩中同じメロディーが一秒間隔というのは「神経逆なでる」の問題外だった。

 子どもたちでさえ、ほとんど眠れなかった。我が家で寝ていたのはJPだけ。やっぱり。。。

 月曜日の今日、どんなに寝不足でも、みなさんお仕事に出て行かれる。わたしはJPを送り出すために7時に起き、目覚ましを掛けて8時半まで寝ていた。でも、シレーンがいきなり、ぷつっと鳴り止んだのは8時ごろだったので、結局寝不足は取り戻せなかった。

 あのお宅は次回こんなことが遭ったら、JP以外は誰も助けに行かないんじゃあないかしら、と思った。シレーンが鳴らないことを祈る。

2006/02/19

鳥カゼ菌

 暖かい、冬休みの日曜日。みんな家にいる。ノンちゃんみたいに朝寝をして、8時半に起きた。子どもたちに着替えをさせるともう9時半まえ。
 台所でトーストを食べていたら、9時半のニュースで「フランスにも鳥カゼ菌上陸」という話題だった。先週イタリアに上陸した時に、「こりゃあ来るわなあ」と思ってはいた。

 冬に鳥が風邪を引いたり、寒さで死んだりすることはよくあることなので、落ちている鳥をみたからと言ってパニックにならないように、とのことだった。そして、飛んでる鳥をみたら撃ち殺してしまえ、というような考え方もいけません。。。などと言っているが、一応言わなきゃやる人が沢山いる。

 数年前の夏に、ゾエが生まれたラボーという町で、教会周辺にハトが集まりすぎて、駐車場の車や教会周辺が汚れるので、鉄砲を持っている人はみんな集まりなさいというお達しが出て、鉄砲を持っている人が町中のハトを撃ち殺して歩いた。車がハトの血だらけになって、ヒステリーになっている人をテレビで見た。(その頃はテレビがあったので、そういう恐ろしい光景もみていた)

 今朝のラジオでは、野鳥の集まる池のそばに住んでいる人が電話相談をして来ていて、野鳥が庭に遊びに来るのでエサをやってるというので、そういうことは今後はやっちゃいけませんか。。。という相談だった。
 鳥と言えば何でもかんでも風邪菌を持っているわけではないので、神経質にならなくてもいいですけど、『野鳥』にエサやったらいけませんよ、と注意されていた。いやあほんとだよ。
 野鳥はそうってしておいてあげたらいいのだ。
フランスではよく鴨やアヒルなどを食べる。よその国で鳥菌が騒がれ始めてからも、消費量が減ってしまったが、『フランス上陸』で業界は苦境に立たされている。牛肉の次はとり肉か。。。
でもうちではとり肉を買い続けるつもり。(そういえばこの頃食べていないけど)

 フランス海外領土のレユニオン島では、蚊に刺されてかかる病気が大流行しているらしい。

 自然の威力はすごいけれども、自然を人工的に操っている人間が、原因を握っているのではないかなあ、と思う。人間が代償を払わされているのでは?

 死んだ鳥たちが発見されたり、『怪しい』として検査中の15羽の鳥が発見された地域から、半径40キロでは、憲兵が一ヶ月の完全防備をするらしい。鳥を捕まえて予防接種をうけさせるとのお話。注射のついでに番号札も打たれるに違いない。野生の鳥がいなくなるねえ。

2006/02/18

バカロレアのお勉強

 とてもいいお天気で、暖かい一日だった。

 やる気が出て来た。JPは屋根裏に入って、床板を磨き始めた。誕生日に両親から、窓をプレゼントしてもらえるというので喜んでいたJPであったが、私の反対に遭い、ムっとしながら床掃除を始めた。別に喜んでいる人間をいじめて、ムっとさせるのが趣味というわけではないのだが、オンナゴコロとは不思議なものなのだ。
 チョコレートを食べて、剣道に行き、叫んで来たほうが身のためかもしれない。

 午後、バカロレアのお勉強のためにポリーヌさんが来た。アルビから電車で来たのだが、駅に迎えに行くのをすっかり忘れてしまって、駅から電話が掛かって来た。走って迎えに行く。

 今日のテキストは『ノンちゃん雲に乗る』を選んだ。ノンちゃんが二日つづきのお休みに、朝寝のあと味を楽しんでいるところ。布団の中でゴロゴロして、お勝手から聞こえる『トントン』とダイコンを切る音に耳を澄ます。まな板の上に盛り上がる真っ白い、細い棒の山を想像して、なんとはなしにぷうっと胸がふくらんでいく。「おかあさんがおみおつけを作ってる」
 新聞がカサガサいう「おとうさん?」こんないいお天気のお休みの、こんな時間にお父さんがまだ釣りに出掛けていない、というのはとっても珍しいこと。

 私の小さいころの日曜日みたいだ。迷ったのだが、ポリーヌさんとお母さんのことを語り合えるかもしれないと思って、このテキストを選んだ。ポリーヌさんはお父さんの再婚でお義母さんとなったオカーさんと暮らしている。迎えに来た、少女の血のつながらないオカーさんと立ち話をして、自分や、自分の母や、自分の義母や、ポリーヌさんのオカーさんたちのことなどなどを考えた。

 私はできるだけ死なないように、家出をしないように、子供を見捨てないように、JPが子どもたちの義母を連れて来ることがないように、自分の家で自分の手で子どもたちを育てられるように、努力しようと思う。
けっこう辛抱しているつもりだが、まーだまだ努力が足りない。

さて、子どもたちと遊ぼうか。

2006/02/17

最後の日

 冬休み前 最後の授業の日、算数の試験がある。
 ノエミのひじはギプスで固定されているので、あまり痛くはないらしい。
夕べ先生が寄ってくださった時に、「明日はテストもあるし、来た方がいいんだけど」と小さな声でおっしゃっていた。ノエミはたぶん、ギプスをみんなに見せたかったことや、大好きな算数のテストを受けたかったことや、みんなに「どうだったの?」などと訊かれーーーたかったんじゃないかなあ、と思う。張り切って出掛けた。

 母のほうは、朝から着替えもひと仕事だったし、夕べはノエミが眠れなくて、三時にごそごそ起きだしたりもしていたので、肉体的に疲労がたまっている。できたら学校の送り迎えはしたくないんだけどなあ。。。

 乗馬とヴァイオリンには「当分休み」の電話をした。祖父母もこんどの火曜日に来る予定だったのだが、こんどの水曜日には改めてレントゲン検査のために医者に連れて行かなければならないし、その次の水曜日は歯医者なので、「来ないでください」の電話をしなければならなくなった。とても残念がっている。

 算数のテストはまあまあだったらしい。フランス語だったらもっとたいへんだったと思うが、数字だったから良かった。右手でも、ミミズが歩いたような字を書くので、いま左手で書く練習をしているのを見ると、左手で書くほうが上手だ。
 
 こんな時に限って、はさみやノリを使う工作や、ゲームボーイがしたくなるらしい。挑戦しては「できない」と言っている。いつも「自分は何でもできる」と言っているオンナなので、「できない」と言ってみたいのかも、しれない。

 いつもはやらない台所でのお手伝いも、わざわざやって来て、片手でやってみせて、「自分はけが人なのに、こんなに偉い」などと言っている。私も骨折した時に、こんなだったかもしれない。
 あの時に、あまり恩をきせすぎたのかなあ。。。

2006/02/16

困ったなあ

2006年02月16日
困ったなあ
 11時15分ごろ電話が鳴った。保険の勧誘か、銀行から「引き落とし分が足りませんよ」の電話か、誰かおしゃべりな人からの電話か、急ぎの仕事か。。。とにかくこの時間帯に電話をとって、いいことだった試しはない。20分になったら子どもたちを迎えに行くために、コートを着なければならないので、「もしXXだったら、すぐに切る」と決心して電話を取る。

 「校長ですが、ノエミがけがをしたので、迎えに来て緊急に運んでレントゲンを撮ってください。保険の紙を作るので学校が終わってからもう一度来てください」と言う。

 ノエミは平行棒から墜落して、腕が逆さまにねじれて、ぎゃあぎゃあ泣いたので、授業も中断となったらしい。セーターをまくり上げて、ひじをしっかり包んでいるのは、体育の先生の応急処置だった。今日は学生アシスタントが二名見学に来ていたので、応急処置と、興奮している生徒の取り扱い説明も実践できてラッキーであった。

 ノエミは蒼白で(普段からほかの子に比べて黄色いので、具合悪い時には緑色に見える)泣きはらした顔を歪めている。歩くのも辛そう。幼稚園が終わる時間だったので、泣いているノエミを幼稚園の門の前で待たせて、ゾエを迎えに行き、そこから1分の我が家に戻って、かばんやカギや、食べる物をつかんで、救急病院に向かった。

 すぐにレントゲンを撮ったけれども、コメントを書いてくれるレントゲン技師が昼食に行ってしまっていて、若いドクターが自信なさそうに「一応レントゲン技師の意見を訊きたい」というので、泣く子を連れて自宅に戻った。シートベルトも締められない。

 ハムとご飯にふりかけを食べさせていると、近所に住んでいる担任の先生が寄ってくださった。授業中に怪我をさせたのは始めてだとおっしゃって、ひどく心配してくださっている。ノエミは体育専門の教師の目の前で、勝手に落ちたので、担任の先生には責任はないのに。夕方ノエミのかばんを持ってまた寄ってくださるとのこと。

 食事の後病院から呼び出しの電話が来ないので、こちらから催促して出掛けた。レントゲン技師のコメントでは「骨は折れていない。ヒビもなし」ということだったが、ちょうどアルビの大きな病院から骨の専門家が来ていて、その医者が「ひじの突き出たところにある塊がちょっとずれている」というので、ギプスをすることになった。今日はまだ腫れているので、やわらか目の簡易ギプスで、来週出直し、改めて診察してから、どうするか考えるとのこと。

 明日で学校も終わり、もうすぐ春を呼ぶカーニバルもあるのに。。。
ヴァイオリンと乗馬もお預けで、本人はとってもしょげている。
けがをして、世話が大変だし、診察もあるので祖父母のところに行かせるのもどうかな。。と言っているところ。
「世話が大変だし、せわがたいへんだし、セワガタイヘンダシ。。。」
誰がけが人の世話をするんだろう。

 痛みさえなくなれば、けっこう元気。口は達者。細かいことはできないくせにおおざっぱにやって失敗はできるので、何かとじゃま。けが人に向かって「あっち行け」とか言ってるあたり。。。人間性を疑われる。こんな時ぐらい、お子様にやさしくしてさしあげなければ。
あああああ
とにかく軽くてよかった。
 今までは学校の登下校が心配だったが、校内も安心できなくなってしまった。

2006/02/15

水曜日

2006年02月15日 水曜日
水曜日
 ノエミの抗生物質が、あまり効いていないように思う。薬は一応今日で終わりなのに、全然良くなっているという気がしない。それでも一応、歌のお稽古には連れて行った。そのあとすぐに図書館での読み聞かせに連れて行った。歌を交えての朗読で、とても面白かったけれども、時間的に私とゾエは眠くなるときだったので、居眠りをしそうになってしまった。

 ゾエはこの頃毎朝3時か4時ごろに目を覚まして、私のベッドに入って来る。それで、動き回るので眠れないから、トイレに連れて行って、ゾエのベッドに連れて行って、しばらくいっしょに横になってあげている。寝静まったら自分のベッドに戻るが、うとうとした頃にまた起こしに来る。
 昼間、眠い。

 図書館で本を借りて、自宅に戻ると乗馬に行く時間だった。でも、今朝予想した通り、ノエミは一日中咳が止まらず、大量の鼻水を垂れているので、容赦なく「連れて行かない」と言い切った。可愛そうだったのだが、冬休みに入ったら祖父母の家に行くことになっているし、ここでしっかり治しておきたかったのだ。もう「抗生物質」はごめんだし。

 ノエミが乗馬に行かないとなったら、ちょっとはゆっくりできる。ゾエと私はちょっと昼寝をした。なんだか自分の昼寝のためにノエミを乗馬に連れて行かなかったような、気もした。行かなければ行かないで、ノエミは静かに本を読んでいる。

 早く冬休みが来ないかなあ。と思ったり思わなかったり。。。
やりたいことは山ほどあるが、子供を「片付ける」には祖父母に会って預けなければならない。子供といっしょにやりたいことも山のようにあるので、ずっと預けるのはさびしかったりもする。

 冬休みの計画はなかなか立たない。たぶん何もしない。

2006/02/14

フランス語がわかりますか?

 2006年02月14日
フランス語がわかりますか?
 まき寿司とリンゴのクランブルを作って出掛けた。
夜は商工会議所のレッスンで、そのあとはまたしても「母親の会」に行かねばならない。

 レッスンのあと急いで「母親の会」に向かう。今日は市役所の代表者と教師陣も参加しての、全体会議だ。
私がいつものように遅れて行って腰掛けると、市役所代表に質問の嵐が吹き荒れているところだった。先日「母親だけの会」に出席して、今日の会議でどんな質問がぶつけられるのかはわかっていたし、この会議に市役所代表が来ていることはわかっていたのだが、思わず手を挙げて言ってしまいたくなった。

 「あなたは誰?何しに来てるんですか」と。

質問には、いちいちミミズのような声で応えている。
「応えている」というのはうそで、返事は何も応えになっておらず、「善処します」とか「反省します」とかそのような単語さえ知らぬと思われた。
言い訳と、口ごもりと「わかりません」「知りません」「さあて。。。」「私は係ではありません」「それはきいておりません」などなどのような返事しかないので、せっかくのバレンタインデーを棒にふって、コーンな会議に出て来てしまったことを、「母親の会」皆の者が大後悔しているような雰囲気だった。「記録して市長に伝えます」ぐらい言ったらいいのに。

 ああ、選挙権が欲しい、とまた思ってしまった。

 市役所代表を交えた会議は一応お開きとなり、続いて、小学校と幼稚園に別れて、それぞれの校舎でそれぞれの話し合いが持たれた。幼稚園は30年ぐらいペンキも塗り替えられていないし、窓の立て付けも悪い。建て増しで校舎は複雑な形になっていて、いざとなって廊下を走る場合には、きっといろんな所にぶつかるだろう。幼稚園は平屋で、一応どの教室からも外に向かって逃げることはできる。

 話し合いの中に、ガス漏れ、ガス爆発や、近所での大災害があった場合にどうするか。。。ということがあった。数年前にトゥールーズで危険な薬品を扱っている工場が大爆発をして、70キロも離れた我が家でも爆音を聞いたような事故があったが、それ以来学校でも『災害』のことが話し合われるようになった。南西フランスは地理的に台風も地震もない。それで『ガス漏れ』とか『化学薬品を積んだトラックが、近所で事故に遭った場合』などを想定して、救急用品を用意しているところだそうだ。

 「日本は自然災害がとても多いところなんですけど、学校には連絡網というのがあって、それは普段からとても役に立つんですよ」と提案してみた。フランスは個人主義なので電話番号はおろか、住所も、名前さえも公表されない場合が多い。クラスの集合写真を嫌う家庭もあるし、学校の写真撮影の時にはかならず許可を受ける。だから名簿も連絡網もないことは、私もわかっているので、言っても無駄だと思ったけれども、市役所代表の『なにも言いません』主義にけっこう腹が立っていたので、言わずにはおられなかったのだ。

 「名簿!それはいい考えだ」拍手喝采だった。
今ごろ「あの人、フランス語ちょっとは話せたんだねえ」と言われているだろう。
そのあとおしゃべりをしに来てくれた人に、こんどの「母親の会」の恒例食事会にご主人と二人でいらっしゃいよ、と誘われた。歌あり踊りありのにぎやかなパーティーだそうだ。
 「。。だったら、遠慮します」と返事した。まず子供を預けるところがないし、それに「夫はしゃべらないので」と言ったら、「ご主人フランス語が話せないの?」と言われた。
 JPがフランス語を話せるのかどうかは、このごろでは私にもわからない。

2006/02/13

日本、その姿と心

 日鉄技術情報センターというところが『日本、その姿と心』という本を出していて、この本にはCD-ROM版とビデオ版もある。
 昔この本と、ビデオシリーズの中で『日本の家庭生活』と『日本の現代社会』というのを持っていたが、引っ越しの都合で今手許にない。

 今日商工会議所に行ったら、日本語の生徒も増えて来たことだし、もう少し面白そうな教材を買ってあげようかと言われた。うれしいなあ。「買ってもらえる教材」を探さなければならなくなった。欲しいものは山のようにある。

 日鉄技術情報センターに問い合わせたら、DVDはないそうで残念。CD-ROMは商工会議所のパソコンで対応できるのか不安だ。
 それにしても「今どき」ビデオなんかかって大丈夫だろうか。家庭でもDVDの時代なのに、数年後にビデオデッキが壊れて、修理も買い換えもできなくなったらどうしよう。悩むなあ。

 参考までにこのビデオシリーズの一覧。
1 伝統演芸に見る日本の心と美--歌舞伎、能、文楽
 (外務大臣賞受賞作)
2 日本のビジネスマン--集団の中での「ガンバリ」の心
3 日本の家庭生活--大都会のサラリーマン世帯 
4 日本の味--その伝統ともてなしの心 
5 日本の技術--そのルーツと今日
6 日本の現代社会--東京の暮らし、地方の暮らし
7 日本の習慣とマナー--日本社会を織りなす心 
8 日本人と自然--暮らしの中の自然観 
9 日本の企業経営--起業家たちの根底に流れるもの 
10 日本の教育--子供たちとその夢 
11 働く女性たち--生きがいを求めて 
12 年中行事と冠婚葬祭--日本人の信仰心

昔持っていた 3の『日本の家庭生活』のまとめ
( )内は私のコメント 
豊富な統計データを基に、大都会の平均的なサラリーマン世帯の日常生活をありのままに紹介。
 家族の対話(がない)、子女教育(がおそろしい)、夫婦の役割分担(があるのは若いカップルだけ、中年妻はまるで女中)、昼間の主婦の行動実態(若奥様はアエロビクス、中年妻はやることなくってメロドラマの前でお茶飲んでる)、住宅問題(狭い、高い)、若い女性の結婚観等の本質にリアルに迫り(いやあ、ほんとリアル)、モノは豊かになっても心のゆとりを持ちにくい日本人の喜怒哀楽が浮き彫りにされます。(中年妻の哀愁にご注目『怒』と『哀』のみ。若いカップルがトーストに玉子とハムの朝食はいいのだが、ハムをお箸で食べている辺りが泣かせる。ご主人が奥さんに給料袋をそっくり渡して、その中から奥さんが小遣いをあげるシーン。みんなが「ええー?」と言ったものだ。)

 昔持っていて好きだった3と6が欲しい。そして今の学生たちに喜ばれそうなのは1と4と8かなと考えている。ビデオばかり買うと予算オーバーになり、「カタカナ・カルタ」や「日本語学習すごろく」や『日本語能力検定試験問題集』の注文ができなくなってしまうので、もうちょっと考えてみる。。。「欲しい物を買ってやる」と言われたのは超ヒサビサなので、かなり緊張している。

2006/02/12

14ひきのさむいふゆ

 ポリーヌさんが高校卒業試験の点数稼ぎのため、日本語の試験を受けると言っている。
高校卒業試験は「バカロレア」という名前で、フランスではBACと省略形で呼ばれている。

 幼稚園はおむつが取れていて、母親が仕事をしているとか、兄弟がいるなどの理由があり、もちろん空きがあったら、二歳半から入れる。小学校は五年制、中学は四年制。飛び級も落第もあるので、日本みたいに「X歳です」と言ったら「ああ、じゃあX年生だね」とは言えない。中学卒業試験もあるし、校風に合わない子供はさっさとやめさせられる。入った高校を出るのは卒業試験で点数が取れてから。みんな怖がっている。

 中学と高校で、ドイツ語やスペイン語などの「外国語」の授業に「中国語」や「日本語」を取り入れている公立の学校も増えて来た。ポリーヌさんは私と3年(といっても1年に30-40時間)勉強したことになっているが、中学と高校で日本語を290時間ぐらい勉強した生徒たちと同じような試験を受けなければならない。だいたい253字の漢字も知っていることになっているが、ポリーヌさんの場合は筆記試験がないので、テキストの中の漢字を読めれば認めてもらえるらしい。確かに漢字は読むのより書くほうが難しいと思うので、筆記試験がなくてよかった。

 面白そうなテキストを練習して、ちゃんと読んで、テキストについて解説をしたり、意見を言ったり、テキストに関係ある問題や関係ない問題や、試験官のいろんな質問に答えなければならない。

 本人は英語はもう完璧にできるし、スペイン語かなにかもやっている。「バスク語」と「日本語」の試験はほとんど「趣味」で受けるので、けっこう落ちついている。(ように見える)

 私はポリーヌさんの試験のことをかなり心配している。数年前に2点取れるかな?と思って送り出した別な生徒が、12点も取って私は神様と呼ばれたぐらいなので、ポリーヌさんだったら大丈夫だろうと思っているが、試験会場の様子が想像できないので、個人的にとっても不安だ。

 今はありとあらゆる本の中から、面白そうな文章を800字から1000字以内で区切って、読む練習をさせている。読ませる練習問題を探したり、切り貼りしたり、書き直すために、私自身たくさんの文章を読んでいるところだ。

 「何字以内の文章」とか「漢字リスト内で読めるもの」とか、「ポリーヌさんが興味のある分野で、あとで上手にコメントのできる内容」と目標を持ってさがす。今まで開いたことのなかった本を本棚から引っぱりだしている。いつもはタイトルを読んでビビッと来るものを手に取って読むのだが、人に読んで面白がらせるのは、けっこう難しい。しかも語彙数がまだまだ少ない生徒なので、練習の際にこちらがちゃんとフランス語で説明してあげられるかどうか考えたら、小学生の低学年向きでよさそうかな。。。と思ったりしてしまう。

 いわむらかずおさんの『14ひきのさむいふゆ』は800字ぐらいでとても短い絵本なのだが、季節の言葉や、日本の田舎の家族の暮らしが見える、とてもゆかいな絵本だと思って気に入った。
 絵を見ながら平仮名で練習して、ちゃんと気持ちよく読めるようになったら、紙に漢字入りの『文章』として打ってあげた原稿を練習し直して、会場に持たせようと思っている。会場には全部で合計4000字ぐらいになるテキストを用意して持参することになっていて、私は800字ぐらいの文章を五つか六つ持たせようと考えている。

 絵本や、小学校低学年の本、民話を読みながら、大人は子供の本をもっと読んだ方がいいなあ、と思った。季節や自然の色や物音を感じると言うこと。小さな生き物の目の高さになること、地面を這い回って汚れることや、チョウチョが鼻の頭に止まってくれるような『静』が、必要なのではないかなあ、と思った。恐ろしい試験準備の合間に、子供の本に再会できてよかった。

2006/02/11

抗生物質

 2006年02月11日
抗生物質
 ノエミの咳が止まらないので、マスリ先生のところに連れて行くことにした。
「しっかり治してしまいましょう」と言われて、抗生物質の処方箋をいただいた。

 「抗生物質」ときくと、何かとんでもなくひどい病気のような気がして、どっと疲れる。化学の教科書にでも出てきそうな、2つの単語を組み合わせて4つにして、難しい単語にしてしまう、あのテクだ。そして、それを読む人間を脅かしてしまう。教科書に出ていた時分も、このような恐ろしい四字熟語や合成語にはアレルギー反応を起こしたものだが、娘に出された薬が「抗生物質」だと、まるで娘が教科書の中の「生体実験」にあった「遺伝子組換」と言われたような気がして恐ろしくなって来る。あ、これは5文字だ。オソロシや。

 冬が来る前にもっと予防に励んでおけばよかった。「予防接種」これも恐ろしい4字熟語だなあ。。。。ゾエはついて行っただけなのに、マスリ先生にボンボンを貰っていた。2個。ノエミが欲しそうにしているのにあげない。先生が「お姉ちゃんにもあげなさい」と言ってボンボンの入っている容器の蓋を取ったので、ノエミがボンボンに飛びついていた。「合成着色」のこれまた恐ろしいボンボンだ。「2コもらってもいいですか」などと遠慮知らずなことを言っている。

 「言いたいことははっきり言いなさい」といつも教えているものだから、言いたいことははっきり言う子供で。。。たまにちょっと恥ずかしい。

 診療所を出てから、子どもたちは家でじっとしていた。私も、なんだか頭が痛いので、じっとして過ごした。図書館にも行かなかった。明日は、延期になっていたマラソン大会だというので休ませることにした。寒い中応援に行くのもちょっと、ナニだったので。。。ノエミがちょうど風邪を引いてくれて助かった!?

 素晴らしい青空が広がっていたので、マラソン大会も気持ちよかっただろう。

2006/02/10

パリ伝統美展

2006年02月10日
パリ伝統美展
 トゥーロンに住んでいる日本人の友達から「南日本新聞見た?」とメールが来た。いやあー「朝日コム」はたまーに読んでますけど、「南日本新聞」まで、インターネットで読めるとは、考えてもいなかった。この時代新聞もインターネットで読んでしまえる。カラフルだし、音が出て映像が動いたりもするので、とっても便利だ。今や「新聞配達の少年」なんて、存在しなくなってしまったのだろうか?

 「誰でもテレビを持ってる時代」だが、私は東京で一人暮らしをしていた時に、始めの頃テレビがなかった。だから、ラジオの周波数を合わせて、テレビの番組を「聴いていた」。
 一度夕方遅くに「NHKの集金の人」が来て、インターフォンで「受信料を払ってください」と言われたので、「テレビがないんですけど」と言ったら、インターフォンのバックでテレビのクイズ番組が派手に聞こえていたので、集金の人にひどく叱られてしまった。

 「新聞配達の少年」と「受信料の集金の人」はとっても日本らしい、そして、懐かしい存在なので、なくなって欲しくないなあ、と思いながら「南日本新聞」を読みに行ってみた。

 「パリで薩摩焼の展示会が開かれる」と書いてあった。それで、「何かお手伝いはできませんか?」と鹿児島県陶業協同組合にメールを書いてみた。そうしたらすぐに返事が来て、係は県庁の観光課で「金曜日に会議がありますよ」と教えていただいたのだが、そのメールを受け取ってから時計を見たら「会議は終わりましたよ」の時間になっていた。フランスよりも日本のほうが8時間時間が進んでいる。

 「薩摩焼フランス伝統美展」フランスでも薩摩焼がうけるだろうか。通訳に雇ってもらえないだろうか。フランス語と鹿児島弁の通訳ってけっこう珍しいと思う。

2006/02/09

剣道談義

 トゥールーズの剣道クラブ『ムサシ』からメールが届いた。4月に『上段』をテーマに講習会が開かれるとのこと。

 フランス剣道連盟には、日本剣道連盟から毎年七段以上の先生が派遣されてくる。半年以上フランスに滞在して、全国各地の剣道クラブで講習を開き、またパリではナショナルチームを集めての特訓もある。フランスからは毎年たくさんの選手が日本の大学や、一般の道場で稽古を積んで戻って来るし、京都では毎年夏に外国人を集めての盛大な研修と、高段者も受けられる昇段試験が行われる。

 4月にトゥールーズで『上段』の講習をするのは、日本剣道連盟からの派遣ではなく、クラブの招待でいらっしゃるのだと思う。日本に住んでいるフランス人のラヴィーニュ先生という方だ。日本語もペラペラだ。剣道着で道場に立っていると日本人かと思うぐらい、剣道着がとってもよく似合う先生だ。今ここで『先生』というが、別に剣道で生計を立てているのではなくて、ほかにお仕事を持っていらっしゃる。『七段教士』ときくと、「え?そんなに若いのに?」と思うぐらいまだ若い。

 実は日本で剣道をやっていた時に、上段で試合に臨んだ人間を見たことがない。高校生では上段も突きもやらない人が多かったから、試合会場でもそういう人を見たことがなかったのだと思う。
だいたい日本で、この若さで(38歳)上段なんかやったら「冗談はやめてしっかり中段に構える練習を積みなさいよ」と叱られる。

 日本では剣道対なぎなたの試合も、鎖がまと真剣の試合も、新影流の演武も、上段同士の試合も、「狐のかまえ」なるものも、二刀流の試合も見たことがなかった。全部、フランスに来て初めて見た。(特別な剣道のフェスティバルでのこと。普段はこんなのやらない)

 こんどその「上段」の講習に行って、フランス人の先生から「上段」を真っ向から倒す技、というのを習ってくるつもりだ。そのためには、ちゃんと普段から道場に通って、稽古しなけりゃあなあ。。。と思っているが、もうずっと行っていない。

  、、、と思っていたら、アルビのクラブから「冬休みも道場は開いてます」という知らせが来た。いつも指導している道霊先生は留守なので、稽古がいっぱいできて、汗までかいてしまうかもしれない。先生はとってもよくしゃべるので、聞いてるほうは寒い

 そういえば、剣道に行って汗をかかないどころか、暖房のある道場でブルブル震えた。。。という経験は日本ではなかった。フランス人の先生は、解説を求める生徒のせいでとにかくよくしゃべる。説明がこと細かい。
 日本ではお稽古ごとは何でも「「しゃべってる間に汗を流せ」であった。理屈も理由もわからず、ただひたすらに汗をかかされた。そうして、フランス人に「どうして」と言われてもわからない有段者になってしまった。ちょっと情けない。
 フランス人といっしょにいちから習い直している。

2006/02/08

サルも木から落ちるっていうし。。。

 ノエミが「片足でどのくらい立っていられるか」に挑戦しているらしい。だから、片足でぴょこぴょこ跳ね回っていて、うるさい。1階は全部タイル張りだが、2階は風呂場以外の全部の部屋と階段が板張りなので、どしんどしんとうるさい。

 最初は、また看護婦さんごっこをやっていて、脚が痛いフリをしていると信じていたので、1階の台所から「うるさいからやめて」と叫び続けていたら、記録を計っているのだというが、「だったらいいよ」の理由でもない。

 どうしてこんなに物音を立てるのが好きなんだろうか。

 5時半になり、やあっと乗馬の時間が来た。寒いので、ここしばらくはJPに送り迎えをさせている。ゾエも寝てるし静かになった。

 7時半に帰って来た娘は、脚を引きづっている。腰の辺りを抑えている。
「ポニーから落ちた」と言った。
あー嫌だなあ。
馬から落ちてお尻や腰を痛めた大人をたくさん知っているので、ノエミにもやめて欲しくなった。
そんなこといちいち言っていたら、何もできないんだけど。
 
 ずいぶん恐い思いをしたかなあ、と思っていたが、本人は痛いの以外は別に恐くはなかったらしい。クリスマスにちゃんとしたヘルメットを買ってあげたのでよかったが、最近では防弾チョッキみたいな詰め物の入ったベストも売られていると言うし、それも揃えた方がいいのだろうか?

 「なんで落ちたの」と訊くと、障害物をやったり、すごく速く走ったりするからだという。ほお、たった20回以下の練習で、そんなことまでできるのか。(できないから落ちた?)
私が寒い寒いと言って家に居る間に、そんなことをやってるとは頼もしい。

 でも、鼻水垂れてるのでいやだ。冬ぐらい休んでくれたらいいのになあ。

 今週、いよいよ風邪と落馬で医者行きだなあ。
先週は矯正歯科医に連れて行き、神経質そうな先生から「こりゃあ、やりがいがありますな」と言われた。きっと矯正器具に苦労するだろう。ノエミの場合は、矯正器具なんか着けずに全部抜いていちから植え直した方がみんなの平和だと思う。

2006/02/07

反省会

 心配していた、例の「恋人同士」がレッスンに来る日。
「教室でいちゃいちゃする生徒を見るのに慣れていないし、日本語のレッスンでは考えられない状況なので、やめて欲しい」と言ったら、女の子の方は、素直に「わかりました。気をつけます」とは言ってくれていた。あとは男の子の様子が気になっていた。

 今週は、その子が早く来ていつもの席に座り、彼が来る前にクラスメートの一人に「彼のいつもの席に座ってちょうだい」とお願いしていた。だから、彼が教室に入って来た時に、彼との間に別なクラスメートが入っていて、最初はやいのやいのとやっていたが、悪くない雰囲気だった。

 「アンタのせいでしゃべっちゃうから」とか「えー隣に座りたいのにー」とか喧嘩みたいにやっているし、クラスメートもはやし立てているが、でも彼の方も怒っている様子はなく、ほかの子たちも「毎週席替えしよう」とおもしろがっていた。

 「席替え」はなかなかよい案だったのだ。早くやればよかった。でも、私が怒ってやらせたのではなかったので、雰囲気も悪くならなかったのだと思う。とにかくよかった。

 レッスンが8時半に終わってから、私はそのまま「母親の会」の「ロト反省会」に直行した。
「新年ロト」の収益金は3000ユーロを軽く越えており、幼稚園と小学校に振り分けてプレゼントすることになっている。幼稚園の方は新学期から、「やりたいこと」がすでに発表されているので、お金もすぐに渡されるが、小学校の方は「用途」がはっきりしないのでまだ渡されない。

 「母親の会」がそんな決定権まで持っているとは驚いた。「教師陣がちゃんと買いたいものリストを提出するまではお金はやらない」と言っている。えらい!!

 そして、年度末に行われる学校のお祭りについて論点が移ったが、12時まで白熱した会議となった。小学校と幼稚園部門でそれぞれ5つずつのスタンドが立ち、ゲームをさせたり、バザーや持ち寄りの食事会もあるらしい。ゲームコーナーにはゾエが大好きな「アヒル釣り」ゲームもあるので、楽しみ。釣ってプレゼントをもらうというもの。

 何か代わり映えのあるものがしたいねえ、と言っていたので、「折り紙やろうか?」と申し出てしまった。折り紙はけっこう得意よ。日本語教師は折り紙ができなければいけないのだ。
 ツルとかカブトじゃなくって、「ダビデの星」も「3Dのカタツムリ」もできる。サンタクロースとトナカイだってできる。教室では、たいていみんな「不器用」なので、カブトや金魚やコップや船を折らせるが、やり始めると絶対に「もっとやってコール」が出るので、いろんなものを作って見せる。子どもたちにも折らせないといけないので、もっと馴染みのある動植物なども稽古して行くつもり。お習字や、福笑いや「あやとり」をやってもいいなあ。。。と思っている。

 日本人って、フツーの人でもけっこう芸があるんだねえ。着物着て来てって言われているが、着物の着方がわからない。剣道の稽古着を着て、居合い刀をさして行くか。ついでにデモンストレーションをやって。そこまで目立ってどうするヨ。

 「母親の会」は12時半にお開きとなった。みんな元気だなあ。。。

2006/02/06

温かくなりました

 雪の写真ができたので、あちこちの友達に「寒中見舞い」を送った。
そうしたら、指宿市の開聞に住んでいる友達から、菜の花咲き乱れる故郷の写真が送られて来た。涙が出るほど嬉しかったので、寒中見舞いにその写真を添えて、たくさんの人に送った。

 みんなに「心が温かくなったわあ」と言われた。キョーコちゃんありがとう。

 1月の最後の週末に降った雪は、まだ溶けない。
除雪車が来て道路脇に集めた雪が、がちがちに固まってしまった。
 2月になり駐車の位置も変わったので、先月車が止まっていなかった方の除雪を先月中に行なって、1日になり駐車位置が変わったら、残り片側がやっと除雪された道路も多かった。

 それでも、至る所に雪の塊が残っている。直径一メートルぐらいの岩が、ごろごろ転がっている状態なので、とても危ない。
 じわじわ溶けて水がしみ出たところが、今度は凍ってアイススケート場になっている。

 たくさん降っていた時点ではわからなかったけれども、この頃では、雪の重みでつぶれたビニールハウスや、折れた木の枝、倒れた垣根の様子が目に見えるようになって来た。車の脇に固まった雪の玉を片付けようと思って持ち上げようとしたら、とても重くてむりだった。
 
 ああ、だから、無理して屋根に上った人たちが居たのか。それでスーパーの屋根などがつぶれてしまったのか。。。ということがはっきり理解できて、いまさらながら恐くなった。

 雪が降って以来はじめて日本語レッスンに出掛けたが、アルビまでの道のりが、素晴らしい雪景色だったので感動してしまった。そして、雪が降った日や、その2、3日後にどうしても仕事に行かなければならなかった人たちの苦労と、慣れない除雪をした市の職員たちのことを思った。

 学校のアスファルトを塗られた校庭の真ん中に、どーんと大きい雪だるまが今やガチガチに凍って立ちすくんでいる。じわじわ溶けているのでその辺りはよく滑るため、立ち入り禁止にはなっているが、子どもたちがどうしても残していたいと言うので、「記念に」残されたままになっているようだ。

 こんな大きな雪だるまを作ったのは、とっても珍しいことだったのだ。

まだまだ寒いけれども、朝晩の日がずいぶん長くなった。
春に近づいているようだ。

2006/02/05

行事

 日本式の節分もすっかり忘れていたが、この週末はフランスではクレープを食べることになっていたのに、クレープを作らなかった。
 
 いまさらながら辞書で調べたら、2月2日は《聖母清めの祝日》なのだ。そして《主の奉献の祝日のクレープ》を食べる日だそうだ。
 なーんだ、もう三日も過ぎてたのか。。。どうりで一ヶ月ぐらい前から、町でよく小麦粉セールや、フライパン・セールをやっていると思った。。。

 フランス人は家にみんな特製のクレープ機を持っている。電気式であったり、火にかける特製のフライパンみたいなクレープ・パンだったりする。
うちにもちゃんと特製のクレープ・パンがある。でも作るのは下手。

 フランス人はそば粉で作ったクレープで、シーフードや肉や野菜を巻き、ソースを掛けて食べる人もいる。これはメインの食事にもなる。
 私はクレープでハムとかホウレンソウを巻いて、グラタンにするのが好き。

 子どもたちは薄力粉と玉子と牛乳で作った甘いクレープが好きで、ココアの粉や、粉砂糖を直接ふりかけて、細く巻いて、手でつかんで食べるのが好き。これはおやつ。

 一度《クレープ専門レストラン》に行ったことがある。剣道のクラブに日本から先生方が指導にいらした時のことだった。「クレープ屋に連れて行く」というので、日本人の年寄りにうけるかなあと思ったが、せっかくフランスに来ているんだから、フランスでの普通の家庭生活もみてもらいたいというのが、みんなの意見だった。前菜も、メインも、デザートも全部クレープ仕立てで、甘いか辛いかの差だけだったので、先生たちが胸焼けになりそうな顔をしていた。

 先生たちにとっては居心地の悪いレストランだったようだ。おしゃべりができない先生方が、食事の出て来る合間にタバコを出し始めたので、ぎょっとした。

 その剣道クラブの食事会では、クラブ員が20名ぐらいいて、それぞれの同伴者(妻や夫や子供)もいっしょだったので30名以上のフランス人がいたが、誰もタバコを吸う人がいなかった。もともと剣道やっている人でタバコを吸う人は少ないと思う。それまでクラブの集まりで、タバコの匂いなどを感じたことは1度もなかった。

 先生方が一斉にタバコを出して、灰皿を探してきょろきょろしていた時に、私の横にいた部員の奥さんが「食事中のレストランでは、タバコを吸わないでくださいと、通訳しなさい」と言った。
 私は、どんなふうに言ったらいいのか、先生たちに外で吸ってくださいと言ってもいいのか、ちょっと迷ってしまった。剣道をやっているみんなも「みのり困っているな」というのがわかっていたが、剣道をやっていない人には、いくら偉い先生でもただのおっさんなので、私の気持ちはわからなかった。

 私は勇気を出して「レストランではタバコを吸ってはいけないことになっているんですけど」とぼそぼそ言ってみた。そうしている間に、レストランの人が灰皿を持って来ていて、日を点ける寸前だったので、先生の一人に「灰皿もちゃんとあるじゃないの」と怒ったように言われた。

 私が困っていると、部員の奥さんが「灰皿はタバコを消すためにあるんですよ」と言った。
なるほど。そのせいだけではないだろうが、その時の先生方は、二度とこのクラブには来てくださらなかったけれども、まあ、ちょうどよかった。

 どんなレベルでも、習慣の違いを学ぶ姿勢が大切だ。

2006/02/04

赤ずきんちゃん

 私の住んでいる町はCarmauxといって、日本式でカタカナにすると「カルモー」になってしまうのですが、どうも馴染めないので、これからは「カーモー」にさせていただきます
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 先週の週末、カーモーの唯一の映画館《リド》で、ジブリ映画の『ポンポコ』が上映されていたので、観に行きたかったのだが、大雪だったのでお預けとなった。
一週間前に降った雪は、いまだに積もっている。(《のぞみの関心事》に雪の写真公開)

 映画館に行ってみたら、今週は『赤ずきんちゃん』をやっていた。コンピュータグラフィックの、今風な赤ずきんちゃんだ。赤ずきんちゃんは空手が得意で、おばあちゃんはスケートボードやマウンテンバイクがプロ級の腕前。オオカミが赤ずきんちゃんを食べる前に、警察が来てしまって取り調べが行なわれる。。。そのオオカミと言ったら、タクシーで先回りをし、スパイセットで赤ずきんちゃんの会話をキャッチする。

 面白かったけど、途中で寝てしまったのでこれ以上語れない。すみません。

 ノエミが「私は赤ずきんちゃんなんか見たくない」と言ってだだをこね、むりやり連れて行ったのに、自分は寝てしまった。でも、ノエミは「面白かった」と言っていたのでよしとしよう。

 ヴァイオリンの先生が、来週コンサートに誘ってくださった。フルートといっしょに先生自身も演奏される。私はこれでも、若い頃に器楽部でフルートをやっていたことがあるので、大変興味があり、ぜひ行きたい。フルートは小学校の頃からやっていて、 高校の文化祭でソロ演奏したことだってある。でも、あの頃のフルートは日本から海外に送ってもらった時に、なくなってしまったのでとても残念だ。

 ノエミはちょっと「練習」や「繰り返し」や「少々は辛くても、自分で決めたことなんだからやらなきゃ」や「上手になるためにはお稽古すべし」などということがわかって来た。そして、人の言っていることや、人の出す音に耳を傾けようとする姿勢も、すこしできて来たような気がする。ヴァイオリンもけっこう上手になってきた。今週は40小節もあるワルツを一人で練習して来るように言われた。私はどんどん差をつけられている。おまけに台所で左指を切ってしまったので、今週はちっとも練習ができない。

 コンサートに行って、自分の先生の演奏を聴けたら、どんなによい勉強になるだろうと思っているが、コンサートのある今度の水曜日はコーラスも乗馬もあるので大忙しだ。

 夏休みの乗馬キャンプカタログの中から、ノエミは自分で「3週間」のコースを選んだ。夏休みまでまだ5ヶ月近くもあるが、そろそろ申し込みをしなければならない。去年は2週間のコースだった。その前の年までは、毎年祖父母の家に行き、午前中はテレビ、午後はちょっとだけプールで遊んで、昼寝とゲーム三昧だった。

 子供がどんどん大きくなる。赤ずきんちゃんのように、学校帰りに悪い人に連れて行かれないように、といつも心配しているが、本人は一人で勝手に帰ってくる。今は自転車を買ってくれと言われていて、学校でも自転車の授業があるので買ってやらなければならないのだが、自転車なんかで一人で勝手に遠くに行くようになったら、本当に心配だなあ。

 自分は毎日3キロ以上の田舎道を徒歩で中学へ、高校はもっと遠くに自転車で通っていたし、短大の時にはスクーターで、山のてっぺんのホテルにバイトにも行っていた。やりたい放題やっていたのだが、親はこーんなに心配していたんだろうか?

2006/02/03

私にはこの道しかなさそう。

 ユーロのロトくじというのがあるらしい。朝からラジオではこのニュースばかり。
当選者がない場合には、金額が次回に繰越しとなるシステムを、日本では「キャリーオーバー」と呼んでいるらしいのだが、そのシステムのおかげで、ユーロのロトくじは 11週間も当選者がいないために、今週の金曜日には、たまりにたまった繰越金額が、なんと1億4千6百万ユーロにも上るそうだ。世界広しといえども、そんなお金見たことのない人間の方が多いだろう。

 ラジオで盛んに「146ミリオン」と言っていた。よく売れる本のことを「ミリオンセラー」とか、「大金持ち」のことを「ミリオネー(ル)」と呼ぶのは知っているが、「ミリオン」って数字にしたらいくらなんだろう。。。と思って辞書を引いたら「ミリオン」は「百万」と出ていた。ほおおお。

 1億4千6百万ユーロは、数人に分配されるらしい。多すぎるからだろうか?仕組みがイマイチよくわからない。10人か、100人で分けてもけっこうな金額だ。

 ラジオで、「こんなすごいクジはよく、生まれてはじめて挑戦した人が当るんですよねえ」などと言っていたので、買ってみようかしらんと思った。

 以前ロトクジとはちょっと違うが、カードをこすって星の数がいくつでいくらもらえるという、簡単なカードを買ったことがある。《ミリオネー(ル)百万長者?》という名前のカードだった。
 友達の誕生日に買ったプレゼントがあまりにも貧弱で、「こんなプレゼント、渡すのは気がひけるなあ」と思っていた時に、絵はがきを買うために入った知らない町のタバコ屋で、そのカードのクジを売っていて、試しにカードを1枚か2枚買った。買ったけど、どうやってゲームに参加するのかもわからず、店の人に訊いたぐらいだ。

 それで、その貧弱なプレゼントにクジのカードをつけて渡した。「あーら、アンタまたこんなものに無駄遣いしたわね」なんて言われながら「お茶目でしょ」とごまかしつつ《ちょっとしたプレゼント》を渡した。

 なかなか、お茶目な案であった。

 実はそのクジ券は大当たりで、相手が目に涙を浮かべるほど喜ばしい金額だった。そして、私が悔し泣きするほどの金額だった。いくらだったのかは忘れた。彼が億万長者になったという噂は聞いていないので、人にポンとあげるにはまあまあな額でも、贅沢三昧のバカンスを過ごせるような金額ではなかったのだ。

 今朝、朝市で「ハンディーキャップ子供の会にご協力を」と言われ、ヨーロッパとフランスの国旗が付録についているボンボンを、10ユーロ札で買った。おつりが2ユーロ硬貨1個だったのでびっくりした。こーんなボンボン8ユーロもしない。コカコーラだって1.5ユーロだ。それに、あとで買ったボンボンを見たら、《ハンディーキャップ子供の会》のために、確かにそのお金が使われるという証明は、どこにも見当たらなかった。またやられた。。。
 いいことをしようと思って出したお金だから、「返してちょうだい」という勇気もなく、ボンボンを握って我が家へ向かった。ヨーロッパの旗ももらえたし。。。ううう

 手には2ユーロ。近所のお店でロトくじでも買うかと思って入ったら、1億4千6百万ユーロのかかっているロトくじは売っておらず、私がいつか当たりを出して、友人に抱きしめられた《百万長者》のカードが売られていた。よし、この2ユーロでクジを買ってみよう。

 じゃじゃーん。インチキ募金のあまり2ユーロで買った百万長者のカードくじで、当ったのは2ユーロだった。

「まっとうに生きよ。おつりは要らねえ。持ってけドロボー」などなどという言葉が頭の中を駆け巡り、私はもう寄り道をせずに静かに帰宅した。私には真直ぐカエルの道しかなかった。

 2ユーロはカエルの貯金箱に貯金した。カエルの貯金箱はお坊さまの横に置いてある。お坊さまにごめんなさいと言いながら、手を合わせ、ちゃりんとお金が落ちたその瞬間に、ほっとした。
1億ユーロも当って、テレビの取材陣が我が家の玄関先に集まったら、困るしねえ。

2006/02/02

言論の自由

 イスラム教の予言者ムハンマドを風刺したマンガが新聞に掲載されて、イスラム教徒の怒りをかっている。キリスト教の司教たちも「イスラム教信者の痛みがわかる」と行き過ぎの「自由」に批判の声。
 けれどもフランスの内務大臣サルコジ氏は「行き過ぎた検閲より、行き過ぎた風刺の方が望ましい」と言ったらしい。これ以上煽るのもどうかねえ。

 ヨーロッパ各地で建物や国旗が燃え始めた。

 「風刺」に関しては、日本よりもずっと盛んで、政治家をマリオネットにして笑うニュースもあるし、ラジオで政治家の悪口を言っても、首になったり左遷になったりすることもない。
 
 でも、報道がいくら自由だからと言っても「行き過ぎ」はよくないと思う。

 実は数日前から11歳の少女の誘拐が盛んに報道された。幸い子供は生きていて、容疑者も逮捕された。容疑者には逃げ道はない。少女の勇敢な証言とDNA鑑定その他の動かしがたい証拠で追い込まれたのだから。ほかにも犯罪を起こしていないか、取調中。少女が通っていた小学校のクラスメートたちが「私もされた」と手を挙げるのではないか。私は内心ヒヤヒヤしている。

 うちにはテレビもないのに、誘拐された少女や犯人の特徴、それぞれの本名と双方の家族構成、犯人が子供をどんな手口で誘拐し、どんなふうに犯し、どんなひどい言葉で脅迫をしてから、どこに置き去りにたのか。私たち視聴者は実に細かいことまで知らされている。ラジオを聴いているだけで、現場の様子や、犯人像までがありありと想像できてしまう。報道陣というのは「表現力」を売りにするだけあって、信じたくないことまで、耳から離れなくなってしまう。
 毎日報道されている少女の名前が、偽名ではないことも、木曜日から通常通り学校に通学していることまで知っている。

 家族の痛みと本人の勇気を思わずにはいられない。そして、犯人の妻と子供は一体どうなるのだろうか。

 言論の自由のおかげで、こんな個人的な日記まで公開してしまっているが、もうちょっとましなことを書こうと反省している。

「読まない」「影響を受けない」という自由もあるので、情報を受ける側にも期待したいところ。
日記を読んでの意見をお寄せくださいますように。
例えば2003年の猛暑の死者数、間違っていたので書き直しておきました。ご確認を。

2006/02/01

奴隷を思い出す日

 1月30日、ジャック・シラク大統領が「5月10日を奴隷制度と解放について顧みる日」とする発表を行なった。(正式な日本語訳は不明。勝手に私がこう訳しました)何日にするかの候補は沢山あったらしいのだが、2001年のトービラ法によって「奴隷制度は人権を尊重しない悪い制度であり、一人の人間を奴隷のように扱った場合は法的に厳しく罰せられる」とフランスでもはっきり文書で書き表された日、なのだそうだ。

 フランスは1677年に、セネガルのゴレ島という奴隷を集めて船に積み込む島を、イギリス・オランダに続いて占領し、最盛期の1786年には2083人もの人をアフリカ全土から集め、アメリカに送っていた歴史がある。奴隷制度は1815年に中止になっているので、2001年になってなぜ今さら「奴隷が人権損害である」と文書に記される必要があったのか。

 身近なところでは、近年でも大都市を中心に、移民などを家政婦や庭師などと称して自宅に招き、300年前の奴隷のようにこき使っている人々が、今でも存在していることが、次々に報道されたという背景もあるかもしれない。奴隷の存在は完全になくなってはいないのだ。それは一人の人間を奴隷と考える人間が、現代でも存在するということだ。

 また、移民問題が深刻化しているが、その移民たちの多くは、かつての植民地であった国々や、フランスの海外領土として今も残る本土からははるか遠くの島々から、フランス本国に移民して来た人たちだ。
 過去にフランスがして来たことをどう受け取るか。植民地から来た移民と、その子孫たちの人権を守らないばかりか、差別をするということがあっていいのか。もっと反省して欲しい、考えて欲しい。そんな願いを込めてたくさんの人たちがこのような「日」を設けることを願い続け、そして実現した。

 私が「奴隷」「移民」という言葉に敏感になったのは『サトウキビ畑のカニア』を翻訳した時からだ。この本はグアドループという、カリブ海にあるフランス領の小さな島で暮らす、フランス国籍の男性が書いた子供のための本だ。子供の友情のほかに、土地に根ざした様々な形の差別や、人種の問題が取り上げられている。
 グアドループという島は、砂糖やラム酒を作るサトウキビと、バナナ・パイナップルの生産が盛んだ。奴隷制度が終わってからも、低賃金労働者と名前が変わっただけの、奴隷と変わらない生活を強いられた、インドや中国やアフリカからの移民が多く、その子どもたちが生まれ育った島だ。

 その島の出身者であるマリーズ・コンデ(『生命の樹』の原作者)も、この5月10日という日付を決める委員会に加わっている。
日付は決まった。じゃあ、何かあるだろうか。
 一年に一回、奴隷の歴史や侵略の歴史を思い出す日。学ぶ日。虐待や虐殺の反省をする日。子孫の今を振り返る日、というのができたのは、ある面では好ましいと、私は思っている。

 でも、委員会に加わっている知識人、歴史学者などの討論を聞いていると『政治的な面』だけでこの日が設けられたと考えられなくもない。フランスのように植民地を持った歴史のある国では「発見して開拓した」のか「侵略され虐殺された」のか『したもの』と『されたもの』の間で討論が尽きない。
 政治的に表面上「私たちだってね。反省はしてるんですよ。昔のことは忘れましょーや」というためだけに『顧みる日』を設けたのだったら、あまり意味はないし、国民には定着しないだろうという、歴史家や子孫たちの懸念はわからなくもない。また、子孫たちは「昔はこうだったから自分たちはかわいそうな子孫だ」と訴えたいのではなく、「昔はこうだったが今はこんなに人間らしく生き、未来に向かって努力しているのだ」と見てもらいたいというようなことを言っていた。

 政治家の発表ではないので祝日でもないが、数年前から「おばあちゃんの日」や「婦人の日」などが盛んになった。その日にちなんでおばあちゃんへの贈り物キャンペーンや、婦人をいたわる催しなどがあり、デパートや花屋ではクリスマスやバレンタインデー並の「稼ぎ時」のようだ。

 「奴隷の日」では、商売にはならないだろう。

 日本では「侵略した国に謝る日」はそろそろ設定されたんだろうか?「侵略したところ1」「侵略したところ2」たくさんの侵略記念日ができるだろう。
 アメリカには「虐殺した原住民を想う日」も「奴隷制度を反省する日」もないが「キング牧師の日」というのがある。奴隷解放に命をかけた人だ。

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アフリカの人々が奴隷としてアメリカ大陸に送られた基地である、セネガルはゴレ島の写真、その他セネガルで見た動物の写真を「NOZOMIの関心事」で公開しています。