2010/08/31

パリでの夏休み 三日目

 すでにヘトヘトで、朝がつらい。
けれども、子どもたちは、JPがヴェルサイユ市生まれなので、ど〜〜してもヴェルサイユ宮殿に行きたいという。JPが生まれたのはヴェルサイユ市の病院なのになあ〜。宮殿じゃないんだけど〜。

 ここでもまた、準備万端な父JPのおかげで、並ばずに入場できる特別ご優待チケットを、あらかじめインターネットにて購入済みだった。今度こそ、ヴェルサイユ宮殿の角から角まで見られる、本物のご優待券だぞ〜。



 一番目の宮殿で、鏡の回廊とか、マリーアントワネットの寝室とか、代々の偉い人の彫刻など眺めた。わたしは特に天井画にほれぼれし、ついイヤホンから流れるガイドの解説も聞かずに、写真を撮りまくっていた。天井画だったら観光客の背中と頭が写らないので、「これはなかなかいい写真になるぞ」と思ったのだが、フラッシュ禁止なのでけっこう難しい。


 宮殿を出て、庭園を散策中にJPの弟フロランから電話が入り、「合流する」とのこと。フロランはいつも三つ揃いの高価なスーツーを着ている義母の自慢の息子だ。それにしても、運動靴にリュックサックの観光客しかいないヴェルサイユ宮殿に、まさか《いつもの格好》では来るまいと思っていたが、やはり、高価な三つ揃いのスーツで来た。ちょっと場違い?庭園をまっすぐにこちらに向かってくる義弟を見ながらも、《ヴェルサイユ宮殿にお勤めのガイドさん》かと思って、まさか義弟とは気づかなかった。案の定、わたしたちの所にたどり着く前に、観光客に道を訊かれている。困っている様子で義弟だとわかった。


 庭園奥で道に迷ってしまったような人たちも、何だか、わたしたちのあとを着いて来ていたみたい。この背広のお方のことを、リュックサックに運動靴だけど優待券を持っているわたくしたちの、専用ガイドと思ったのかもしれない。明らかに観光客にしか見えないわたしたちの前を、革靴で颯爽とを歩く背広のおじさんは、ガイドと思われても仕方ない。が、じつは、わたしたちも庭園内で迷ってうろうろしていたのだった〜〜。





 庭園の一番奥の、マリーアントワネットの農場には、ぜひ、子どもたちを連れて行きたいと思っていた。
ここには、93年のクリスマスにJPと一緒に来た。真冬で、庭園の一番奥まで来るような果敢な人(物好きな人)はあまりいなくて、ひっそりしていたものだ。たしかに歯がガチガチなるほど寒かった。ヴェルサイユ宮殿じゅうの池は凍り付いていて、すべての彫刻に霜よけのカバーがかかっていた。マリーアントワネットの農場の、小さな農家の凍った池の前でJPと撮った写真を両親に送った。その時はじめて「この人とおつきあいしております」と手紙に書いた。

 今回は夏なので、ここまで来る人もとても多かった。そして、冬の閑散期にはなかったボートで宮殿の川下りとか、馬車やバス、それから電気自動車や自転車で、宮殿内を自由に走り回る人たちもいて、ロマンチックなマリーアントワネットの農場にも、人がたくさんいた。





 この日は一日中弟と過ごして、JPも子どもたちもとっても楽しんでいた。昼は宮殿の講演でサンドイッチを食べ、農場を廻ったあとに、ヴェルサイユ宮殿内のカフェでお茶した。夜はいっしょにごはんを食べて、JPがパリに来るたびに弟と一緒に通っているビストロに、わたしと子どもたちも連れて行ってもらった。ビストロの仲間たちは、「いつ会えるかと心待ちにしていた」と言ってわたしたちを歓迎してくれ、男どもはビールを飲み、わたしはモヒートを飲んだ。

 ものすごーく長い一日だった。

2010/08/30

パリでの夏休み 二日目

 「パリと言えばエッフェル塔」
もう、旅行前から子どもたちは何かの宣伝カーみたいに、そればっかり言っていたもので、親バカなJPは、いつの間にかちゃんとインターネットでエッフェル塔のチケットを買っていた。わたしは「あ〜ア」と思った。じつは。
 エッフェル塔は、夜、遠くから見るのが美しい。金色に輝くエッフェル塔が、パリのエッフェル塔のイメージなのだ。子どもたちにとっては。




 真っ白い歯のハンサムな紳士フィリップさんが、朝食を出してくれながら、パリにはバトー・ムーシュと呼ばれる観光船のほかに、ガイドアナウンスもなく、一方通行だけど安価なバト−・ビュス(船のバス)っていうのが運航されていると教えてくれた。地元の人はこのような安いルートや、観光客を避ける技や、近道や穴場を知っているものだ。それで、わたしたちは、バトー・ビュスの一日ファミリーチケット、乗り降り自由券を買って、船でエッフェル塔に行くことにした。

 エッフェル塔に着くのが10時を過ぎていたので、すでにものすごい数の人たちが並んでいた。トイレに行きたくなって、トイレに並んでいる間に、ずいぶん時間が過ぎた。JPはインターネットで買ったチケットを持っていたので、あまり長い時間並ぶことなく、思ったよりもずっと早くエレベーターに乗ることができた。前売り券を持っている人だけの優先通路があって、そこを歩きながら、《特別ご優待客》みたいな気分を味わえた。エレベーターでまず二階に上がる。とりあえず上がる。ただ高いだけ。別に感動もなく。とりあえず、エッフェル塔の360度の風景を写真に撮る。
     ナポレオンが眠るアンバリッド

    



三階に上がるために、エレベーターを待たなければならない。並ぶ、並ぶ、ぞろぞろ進む。そして、三階に上がるエレベーターの所にたどり着いたとき、
「このチケットでは三階まで上がれません」
と言われてしまったJP。わたしは「だったらもういいじゃん」と内心思ったのだけど、子どもたちが夢見たエッフェル塔の最上階だったので、プライドが許さない。わたしたちはエレベーターの脇で待ちに待った。もうこのままこの人ごみの中で、JPには再会できないんじゃないだろうかと思うぐらい人が多かった。外国語が飛びかっていて、風は吹き荒れていて、人は叫び合っていて、みんな疲れていて、みんなよそ者でどこか心細そうだ。
 JPが新しいチケットを買い直して、エレベーターの入り口にたどりつく。三階に上がる。ただ高いだけ。建物が見えるだけ。道路が並んでるだけ。山も谷もない。わたし、完璧にシラケております。熱心なのはノエミ。

       オルセー美術館やルーブル美術館が見えてる。



        凱旋門(がいせんもん)


 ところで、ゾエはうちの母に似ている。どこかに行くと、まずトイレを探し求める。エッフェル塔の最上階でトイレを探す、ゾエ。あるわけないじゃんと思ったら、あった、あった。公衆電話のボックスみたいな、痩せてないと窮屈というようなトイレがあった。みんな「あるわけないじゃん」と思うらしく、ここのトイレには、行列というものがなかった。地上で何十分もかけてトイレに並んだわたしは、馬鹿みたい。ゾエのおかげで、エッフェル塔の最上階でも、トイレに入ってしまったダニエル家のみんな。エレベーターを下りるとき、ノエミが、鉄骨の間を走るパイプを指さしながら、「ふふふ、このパイプを、急速度で流れ行くのは。。。?」とほくそ微笑んでいた。



 エッフェル塔の真下で写真を撮っていたら、ノエミが、「そこだったら三十センチぐらい真ん中から外れてる」とか言ってうるさい。ちょっと離れた所から写真を撮っていたら、ノエミが脇に来て、「最上階って言っても、最上階じゃないよね、てっぺんにはアンテナがあって、アンテナの所までは行けないんだからさ。」と。。。「娘たちに《最上階》の夢を叶えさせてやるんだ」と命を張った父JPを、真っ向からがっかりさせるノエミ。エッフェル塔の周りで売られているお土産物にもケチを付けている。そのかわり、どこに行っても何を見てもかなり熱心。楽しんでないようで、じつはものすごく楽しんでいるらしい。






 バトー・ビュスでノートルダム寺院に行こうと思ったら、一方通行なので、グルうっと廻らなければならなかった。バトー・ビュスはけっこう時間が掛かった。しかもノートルダム寺院でも、トイレに並んでいるものすごい行列にあった。もうほんとうにどうしようかと思った。みんなイライラしてて怖かった。これが食べ物をもらう配給の行列だったら、凄まじい争いになるんだろうか。。。など想像した。トイレ行列のあと、ノエミはどうしてもノートルダム寺院に入るのだと言い、一人で並んで、一人で寺院を一周して出口にあるシャールマーニュの馬のしっぽの所で、本を読みながら待っていた。
 わたしたちは、セーヌ川のほとりに出ている本屋さんをのぞき、ゾエが希望していたので、お土産屋さんで金色のエッフェル塔を買った。自分のおこづかいだったので、机に飾る金のエッフェル塔のほかに、かばんにぶら下げる銀色のエッフェル塔と、学校で見せびらかすための、文字盤にエッフェル塔の絵が描かれた腕時計を買っていた。ずいぶん奮発。JPはmade in china 商品に反発している人間なので、ゾエのために気持ちを抑えているらしい。ゾエのエッフェル塔の夢がまだまだ続くように、命かけてる父JP。

      ノートルダム寺院



   セーヌ川河畔の本屋さん、絵画も売ってる

      

 夕方はモンパルナスのサクレクール寺院に行った。ゾエは寺院の前で踊るカスタネット・ナポレオンに一目惚れし、そこを動こうとしないので、ノエミとJPのみ、サクレクール寺院の最上階に上っていった。普段エネルギー消費、とくに体内エネルギー消費には断固反対しているノエミが、一体どうしちゃったんでしょーというような快気。JPによると、「パパよりわたしの方が若くて元気」と言って、駆け上がったらしい。いつもパパと張り合ってるノエミ。


         カスタネットで踊るナポレオン(まさか〜?)



         サクレクール寺院。高い丘の上にある。



 帰りはバスでフィリップさんちまで。ノエミとJPの足の裏に指圧を施してあげたわたしであった。

長い一日だったなあ〜。

2010/08/24

パリでの夏休み

 去年からJPがよくパリに出張している。
そして、わたしも2009年の十月から受けていた指圧の研修や試験のために、何度かパリを訪れた。
そのせいで、子どもたちが「いつになったら、わたしたちも連れて行ってもらえるの?」と言い続けるので、この夏休みは、パリ観光をすることになった。
決心するのがちょっと遅かったので、都内の安いホテルを見つけるのはただならぬことだったし、安いホテルのふわふわなベッドでは寝ることのできないJPの希望で、一泊、一人150ユーロもするシャンブルドットに泊まることになった。

http://www.uncielaparis.fr/presentation.html

 シャンブルドットChambre d'hôte というのは、他人を泊めるための特別な部屋と、風呂場などが取り付けてある、見た目は一般家庭と変わらない普通の人に普通の家。でも有料宿泊施設として認められた家で、民宿協会みたいなところにちゃんと登録されていて、施設に応じた料金表もある。毎日新しいタオルが出してもらえて、部屋の掃除もしてもらえるし、豪勢な朝食に、頼めば夕食も作ってもらえる。そこの家族のお客さんではなくて、お金を払って泊まる宿泊客なので、いっしょに食べるのではない。
 わたしたちはこれまでにも、各地を観光する際に、地元の風土料理や、訪れる地方の特徴のある民家での、自分たちの地方とは違う暮らしを体験したいので、シャンブルドットに泊まることが多かったのだが、パリの市街地では、狭いアパートが多いので、まさかパリでもそんなシステムを利用できるとは、思ってもいなかった。

 かなり高級なアパート。セキュリティー・システムも頑丈なアパルトマンのドアを押した。玄関に六つも錠がついていた。
 真っ白な歯が輝くハンサムな紳士が、ドアを開けて、いそいそとわたしたちのリュックサックを部屋に運び入れてくれた。すばらしい真珠のネックレスに、手入れの行き届いた髪型。指の先まで美しい、自分ちでもハイヒールとワンピースを着ている優雅な奥さまに出迎えられた。もうかなり緊張してしまって、自分の運動靴しか目に入らない。
 ルイ何世だかの調度品に囲まれた、パリの普通のお宅のサロンに通された時には、はっきり言って緊張した。「パリだと《普通》なの?これ?」と心の中で叫ぶ。ゾエは「この人たち、誰?」と言っていた。「大声出すんじゃないよ」と母に小突かれる。パパの知り合いをちょっと訪ねただけと思ったらしい。
「このお宅に泊まるんだよ」と言うと、一気に緊張の色が顔にあらわれたのは、ノエミ。
「ママン、ドレス来て、ハイヒール履いて来るべきだったんじゃ?」
リュックサックに運動靴で、こんなお宅にお邪魔するのは、わたしぐらいでしょうか。。。。
JPなんて、Tシャツだし。ゾエの頭はヤマアラシだし。。。

 ご主人の定年退職を機に、独立した子どもたちの部屋を改造して、ふた部屋だけを観光客に提供している。部屋の入り口にホテルみたいな値段表や約束事が書いてあって、その部分だけが「わたしたちはこの人たちの友達じゃないんだ〜」と思わせる。アパルトマンのほかの部分は、ルイ何世のサロンも、中世からあるみたいなピアノも、勝手に使ってよいらしい。滞在中、自分たちの部屋以外はわたしたちは手を振れることもしなかったのだけど。。。子どもたちが割ったらいけないと思って、洗面所の割れ物は全部棚の一番上に載せた。
「アンタたち、口をゆすぐ時にはコップは使わずに、手で水をすくってうがいやンなさいよ。」
と言ってる自分が悲しい。ああ、もっと子どもを優雅に育てていれば。。。
 
 朝早くから出かけて、一日中遊び歩き、夜遅くに戻って来て寝るだけだったので、二人部屋が一つで150ユーロなんて。。。ちょっと、高価すぎたんじゃないかと思った。わたしは、ヴァカンスから戻ったら、雑炊グラシを強いられるんじゃないかとヒヤヒヤした。
 「パリでは費用節約のために、毎日昼はサンドイッチだ〜」と心に誓っていたわたしだったのに、JPは、昼も夜もちゃんとしたレストランに連れて行ってくれ、午後はサロン・ド・テやカフェでケーキとお茶をごちそうしてくれ、夕方になるとパリのビストロにまで案内してくれた。パリで入ったレストランは、イラン料理、ポーランド料理、中央高地のフランス料理、イタリア料理、韓国料理、ロシア料理。わたしは日本料理を食べようと思っていたのに、JPは「我が家以外の日本料理は全部ニセモノだ」と言って、日本料理店には絶対に入らない主義。困ったヤツだ。韓国料理の鍋はおいしかった。日本人のくせにはじめて韓国料理を食べた。

 パリでの写真はこちらから。たくさんありすぎるので、これからも少しずつアップしていく予定。
とりあえず、初日に宿泊したパンテオン近辺と、二日目に訪ねたヴェルサイユ宮殿。宮殿奥の、マリーアントワネットのお庭が大好き。
パリの夏や、どこもものすごい観光客の群れで、ゾエにはちょっときつかった。でも、ノエミは、宮殿も美術館も、興味を持って歩き回っていた。
 
 http://www.facebook.com/album.php?aid=31497&id=100000112720171&l=15303e9d1a

2010/08/08

マリオネット・フェスティバル

 数年前に家族で訪れて、とってもよい思い出になっていた、Mirepoixという町のマリオネット・フェスティバルに、今回はゾエの従兄のコランといっしょに行った。ノエミはローマへ旅行中。

 去年から運営の方針が変わったとかで、五年前には四日間の間、一日中町のあちこちで繰り広げられていた路上の大道芸は、今年はずいぶん数が少なかった。それがお目当てだったのに。
 路上に突然あらわれる人形劇や、マジックや、サーカスは、予告なしでおこなわれる『オフOFF』というもので、地面にポンと置かれた帽子に、好きなだけお金を投げ込むという仕組みになっている。安くで、しかも一日中飽きることなく、いろんな芸を楽しむことができた。もちろん気に入った芸には、帽子に投げ込むお金も弾んであげたし、出演者と談話することもできた。路上で行われるから、おもしろくなければお客はどんどんいなくなる。でも、たいていの芸には、人が集まって来て、大喝采のあと、隣近所に座り込んでいる見ず知らずの人たちと、木立の下などでビールなど飲みながら芸についての意見を交わしたものだ。それが気に入ったので、今年はJPの弟一家を誘ったのだが、残念ながらその路上でのオフがとても少なく、どの劇場も並んでかなり高額の前売り券を買わなければならなかった。初日の早朝を外したら、もう手に入らないチケットが多かったし、劇から劇の待ち時間に何もすることがなくて、ぶらぶら歩き回ったり、カフェに座り込んだりしなければならなかった。

 残念な面があったとはいえ、チケットを手に入れることのできた屋内での人形劇などは、とても質のよいものだったし、週末には路上でのオフもいくつか現れたので、土曜日の夜はずいぶんにぎやかだった。初日の閑散とした様子に呆れて、週末には戻って来なかった観光客も多かったと思うが、わたしたちは泊まっていたホテルもよかったし、四日間滞在したおかげで、初日のがっかりのあとは、最終日にかけてけっこう満足して帰ってきた。

 JPの弟の奥さんと、お母さんが冷戦状態なので、今年は両親の家で過ごさないというのが、弟一家の今年の夏休みの目標だったのに、マリオネット・フェスティバルの最中に、義父母が、ホテルのレストランで朝食をとっている最中にいきなり現れたために、お義母さんとソフィーの火花が飛び、わたしたちの週末が台無しになりかけた。このような迷惑なオフも、あちこちで行われるのが、夏のフェスティバルの習わしなのかもしれない。

 夏休みの予定はまだまだあるぞ〜〜。





 
 

2010/08/05

夏休み後半、いよいよ

 七月は、革命記念日の連休もとらずに仕事をしていたJPだったが、八月にはいよいよ休みを取った。わたしが剣道合宿に行っている間に大工さんが来て、屋根裏部屋の工事もずいぶん進んだので、自分でやれることは自分でやるんだと言って、屋根裏でトンカチを使っている。
おかげさまで、腰は何ごともなく、健康に日曜大工もこなす、今日この頃のJPである。

 明日からちょっと四泊いつかの旅行をするので、冷蔵庫にあるものを食べ尽くした。ゴミも出した。ボボのお散歩をして、餌もあげてくれるヘルパーさんにも、すでに前金を払った。ノエミの金魚(サビーヌという名前)は夏休みに入ってすぐの猛暑のある日、急に死んだので、魚の餌やりと水換えを心配しないですむのは、ちょっと助かる。水着とピクニック用品も準備したが、この数日の予報は雨らしい。

 久しぶりの家族旅行なので(ノエミはいないけど)ドキドキしていて、眠れない。じつは、日本から翻訳の仕事も来ていたので、さっきまでやっていたところ。眠れないからちょうどよかった。

 フランスのラジオで日本の話題が語られることは滅多にないが、先日日本は猛暑で死者続発なる報道を耳にしたので、今日は母に電話した。

 マンゴーを売るアルバイトをしているらしい。うちの母は、仕事の話をするときは、とても元気だ。猛暑なんだったら身体にこたえるんじゃないかと思って、心配もするのだが、人と関わったり、売り上げアップの策を練ったり、友達と出かけたり、、、まあ元気そう。
「ミイラで発見されたら、娘のわたしたちが後ろ指を指されるんだから、黙って一人でミイラになったらダメだよ」などと言って二人大笑いする。

 隣のお兄ちゃんやシュンイチにーちゃんが薮の草を刈ってくれただの、ヨシミおじちゃんたちがそうめんのセットやらいろんな食べ物を置いて行ってくれただの、美恵子ねーちゃんやその他大勢が、珍しい食べ物を持ってきてくれただの、「アンタが家庭を犠牲にして剣道の合宿に行ってたことぐらい知っているよ」というような対応を聞くと(言わないけど)、それはサダユキにーちゃんがわたしのブログコピーをせっせと運んでくれているからなんだなあとわかる。小学校や中学校の友達とスポーツをしたり、旅行に行ったりもしているらしい。みなさんのおかげで、「ひとり淋しくミイラになってる母」は想像に難い。それに、この人が家から一歩も出なくなったら、とりあえず誰かが気づいてくれるはず。それはわたしではないだろう。
 みなさんよろしくお願いいたします。


 「今日はマンゴーを5万円分も売ったよ」と自慢していたので、
「それで、日当はどのくらいもらえるの?」と訊けば、
「へ〜、そんなの訊いてないよ。もらえるんでしょうね?」
などとわたしに訊かれても困る。大丈夫かな〜。
「でも、帰りにマンゴーもらえるし。」って、アンタ。。。マンゴーとそうめんで生きていけるのか。

 じつは、この前ミーさんに呼ばれて、仕事しに行った。そして、「今日書いてもらう手紙に、いくら払えばいいですか?」とミーさんに訊かれて、「マカロンください」と言ったわたしは、じつに母そっくり。

 お盆には中学の同窓会もある。父の法要もある。でも、今年の夏も帰れなかった。暑い夏に一日中働いている母には申し訳ないけれども、さて、わたしは家族旅行に出かけるのだ。お土産と絵はがき待っててね〜〜。
母にいつかフランスの涼しい夏も体験してもらいたいもの。

 ノエミはローマ旅行中。出発以来、連絡途絶える。大丈夫かな〜。
かわいい子なので旅をさせてる。わたしはいつも旅をさせてもらっていた。(今でも旅をし続けている〜〜)