2009/08/31

なつやすみ 8/18〜 8/23

 ロッシュフォールから戻ってきて、翌日には、今度はJPの弟たちがやってきた。弟たちは今年のお正月にパリを引きあげ、今は、ナルボンヌのそばの田舎に住んでいる。わたしたちが結婚式を挙げた、ウヴェイヤンというド田舎で、むかしJPの両親たちが住んでいた大きな家に、パリから引っ越してきた。

 弟はパリでの仕事がとても気に入っていたのだけれども、奥さんのソフィーは、どうしても田舎で、しかもアパートじゃない大きな家で、大自然の中で子供を育てたいという希望が強くあった。弟はコンピューターで会社に仕事を送って、パリには一週間に2日出社するという仕事の体勢に変えて、田舎に引っ越してきた。

 でも、見ていると、彼らは、自転車で田舎を走ったり、川沿いをゆっくり散歩したりするのが嫌いだし、バーに行ったり映画館に行ったりするのも、どうもやめられないので、かなり退屈している。海岸までそんなに遠くないのに、わざわざ両親の家に行って、プールで遊び、両親の家で食事して帰ってくるパターンが多く、バーや映画館に行くために、よく子供を両親に預けている。人ごととは言え、田舎でやっていけるのかなあ、と心配になるのだが、こうやって、お休みには私たちの住んでいる田舎にやってきて、けっこう楽しんで帰る。

 ソフィーがたばこをやめてくれて、本当にうれしい。ソフィーがたばこを吸っていたころは、お食事のあとにすぐに外に行ってしまうので、かたづけなど手伝ってくれたことがなかった。どこに行ってもたばこを吸う場所を求めて、席を選ばなければならなかったし、たばこを吸い終わるまで待っていてあげなければならないことが多かった。外でたばこを吸っているといっても、家の中に入ってくると煙の臭いがしていて、子どもたちはとても不愉快がっていたし、家の中のゴミ箱にいくらきれいに捨ててあっても、においは消せなかった。なんで、こんなに頭のよい人が、たばこがどんなに身体によくないものか、気づいてくれないんだろうと思っていた。一日に二箱も吸っていたソフィーが、自主的に煙草をやめて、彼女の肌は輝いているし、よく子供たちに抱きつかれているし、常に台所にいてわたしを手伝ってくれるし、とってもうれしい。たばこを買わなくなった分、貯金しているというので、本当に喜ばしい限り。前は「お金ないから」と彼女が言うたびに、たばこを買うお金はあるのにね、と喉まで出かかっていたのだ。。。。

 わたしたちのお気に入りの場所に案内した。森の中を10分ぐらい歩いていく、ダドゥー川の上流だ。小さな滝と、≪プール≫と呼んでる水たまりがあって、子どもたちのお気に入りの場所なのだ。水はとってもとっても冷たく、15分も浸かっていられなかった。





 家に帰ってくると、ラジオで、
「今年一番暑い一日でした。最高気温はアルビで39度、トゥールーズで37度でした。」
と言っていた。でも、わたしたちは、一日中涼しい木陰の冷たい水の中で過ごした。
水面にトンボが舞っていた。

夏休み 8月12日〜16日

 スタンとサンドリンに会うのは、一年ぶりだ。
去年は、ダーバス一家がカーモーに来てくれたので、今年はダニエル一家が、ロッシュフォーにお邪魔することになった。
 ロッシュフォーというのは、大西洋岸の港町で、フランス海軍の船を造っていた歴史のあるところだ。
《コードリー・ロワイヤル》という、船の綱を編むとても細長い特殊な建物がある。最近まで、ゾディヤックというゴムのボートも造っていたのだが、不景気でその工場は閉鎖され、しかも、海軍の軍艦もほかの場所で造られることになったので、巨大ながらも寂れた建物が町の中にいっぱいある。



 ここには何度も来たことがあるけれども、スタンたちが5年前に買った家にはまだ来たことがなかった。でも、その家は、前に住んでいた家の目の前だったので、迷わずに行くことができた。

 ダーバス一家には、12歳と14歳の少年がいる。去年会った時には5年ぐらいぶりだったので、少年たちが長髪をかき上げる姿に、ちょっとドキドキしたものだ。2人ともボーイソプラノで、お母さんの後を追いかけまわしていて、とっても可愛かった。わたしがどんな食べ物を出してもよく食べてくれたし、うちの少女たちともよく遊んだ。
 久しぶりに会う大きく成長した少年たちが、いったいどんなものを好むのかわからなかったので、ノエミの友達のお母さんたちに、少年向けのビデオやゲームを借り、少年の好む食品のリストをもらい、「少年たちが退屈したら、遊びにやってもいいかしら」と予約しておいたほど緊張したものだったが、今年は免疫ができているとおもっていたので、「あの子たちなら大丈夫」と思って、あまり緊張せずにお邪魔した。

 ところがどっこい。
 少年たちは、声変わりしかけていて、上の子などは3オクターブを使いこなしていた。長髪じゃないけれども、半分だけ顔が隠れている変なヘアスタイルで、左下方向から右上方向にかけて、一日中頭をふり上げている。パソコンの前でイヤホンをつけて、インターネットでエッチな青春ドラマを平気で見る。たまに、カノジョとチャットでおしゃべり。外を歩くときには、常に左手で携帯をいじりまわしながら、ついでに、派手なハードロックまでガンガン鳴らす。いっしょにあるきたくな〜〜い。
 母親のことはお手伝いさんかなんかのように命令するし、父親のことは透明人間のように無視するし、しかも腹立ったのは、テーブルに出すもののすべてが嫌い!なので、わたしたちは毎日トマトかパスタを食べなければならないのだった。

 サンドリンは中学のフランス語の先生なので、一年中朝から晩まで「こんなやつら」とお付き合いしており、さんざん疲れきっている。それなのに、夏休みにはまた、「こんなやつら」が家でウロウロしているので、もう、本当に疲れ果てている。
 なので、毎日トマトでも、毎日パスタでも、わたしたちはせっせと台所に協力して、できるだけもう子供たちは放っておこうよということにした。

 最初の日、少年少女4人は、居間の4隅に散らばって、それぞれの持っているニンテンドーのゲームを、それぞれ勝手にやっていた。
 二日目には、ゲームを使って、電波で友達のゲーム機に割り込み、対戦したりメールを送ったりできるということに気づいたので、それをやっていたらしい。「いっしょにあそんだ」のだそうだ。
 三日目になり、車で遠出してピクニックをしたのだが、その時にもこっちの車の中から、あっちの車の中へ、メール交換をやっている。な〜んか腹立ってきたので、ゲーム機を取り上げた。
 結局、動物園は、ゲーム機なしでも十分楽しめたので、平和な1日となった。動物園から帰ってきた夜には、ゲーム機使用禁止だったために、昔ながらの双六みたいなゲームやじんせいゲーム、チェスやトランプなどをやっていた。だから、居間から、子供たちの叫び声や笑い声が聞こえてきて、サンドリンが、「ああ、なんだか、子どものいる家庭って感じ」とつぶやいていた。

 海のそばだと思っていたが、この辺の海は地中海とは違って、引き潮の時には海がなくなってしまう。波は遠くはるかかなたに見えるのだが、引き潮で浮かび上がった海岸は、どろどろとした沼地になっていて、勇敢にもそこに入り込むと1メートルも歩かないうちに、膝まで泥に埋まってしまう。なので、わたしたちはインターネットで探して、≪アンティル諸島≫という面白い名前の付いたマリンスポーツ施設に行くことにした。丸1日遊べるチケットを買って、丸1日遊んだ。波の出るプールや、アンティル諸島みたいな白い砂浜。プラスティックのバナナと、ココナツの木の下で昼寝をし、泡の出るプールで肩のコリをほぐし、ゾエなどは、滑り台のプールで、おしりが擦り切れるまで飛びこみ続けた。

 最後の日までには、子どもたちもすっかり(人らしく)なかよくなり、よく遊ぶようになっていたのだが、帰る日はあっという間に来てしまった。ゾエは3オクターブのお兄ちゃんが大好きになってしまい、帰りたくないといって泣いた。

 スタンとサンドリンとは、もう20年近くのお付き合いだ。JPのたった一人のむかしからの友達なので、やっぱり私たちもお別れがつらい。またすぐに会えますように。

 
           

2009/08/26

夏休み 8月8日〜12日ごろ

 JPが休みに入ったので、8日にナルボンヌまで子供たちを迎えに行き、12日から16日まで、JPの世界でただ一人と言っても過言ではない友だちスタンに会うために、大西洋岸のロッシュフォーまで旅行する予定だった。
 JPは、高速道路とひとごみが嫌いなので、森や林を抜け、山と谷を越え、川を渡って、湖のほとりでピクニックをし、途中、木の実を味わいながら、自然の中でトイレ休憩を行い、地図にも載ってない道を求めてさまよいつつ、たまに道を間違ってUターンしながら、4時間ぐらいで行ける筈の街に、丸一日かけてたどり着いた。
 
 何時間もの間、まっすぐな道や、どこまでも続く畑や、水色がかった灰色をしている首の長いサギや、タヌキのような生き物や、ウサギやハリネズミや、くずれた農家や、牛やヤギ以外には、数えるほどしか車にすれ違わなかった。
 「夏休みでどこもひとでいっぱい。全国併せて数百キロの渋滞です」
とラジオではつたえていたので、出発前から、「クーラーもないのに嫌だなあ」と思っていたけれども、JPが選んだ道は、森や林を抜ける田舎道だったので、ぜんぜん暑くなかった。 
 こんなに長い間、道路で誰にも会わないでいると、けっこう不安になるものだ。田舎でのんびりしているよりも、人ごみの中にいる方が、《ヴァカンス気分》を感じられるとは、不思議な感覚だ。

 友だちの住むロッシュフォーが近づいて来て、国道に出たら、車が四車線の上に遠くまで並んでいる。びゅんびゅん軽やかに、南へと向かう、ベルギーナンバーのキャンピングカーや、自転車を積んでるドイツナンバーの丈夫な自動車とすれ違い始めると、自分たちが海に向かっていることに気づく。

 さあ、もうすぐだ。どきどき。


           ひまわりとブドウ畑


           ワインを作るブドウの畑。


           どこまでも まっすぐ 

2009/08/07

わりと簡単なこと

 商売人の母からは、「ニコニコしていなさい」といつも言われて育った。そして、お世辞を言ったり、嘘をついたりすることも、人生を上手に渡り歩くには必要な場合が多く、そういったことが相手への思いやりの心から自然にできれば、人にも自分にも役に立つことが多いのだと、よく言われた。

 いつもニコニコしていることや、上手にお世辞を言ったり、相手のために嘘をついたりすることは、そんなに簡単にだれにでもできることじゃない。個人の持って生まれた性格と、ちょっとした才能も必要になって来ると思う。

 わたしは、自分の子らに、親から教えられたことの中から、最も大切な、こういうことを常に常に言っている。
おはよう、ありがとう、ごめんなさい を言える人間であること。
これは、「そんな気」がなくてもとにかく言え! と言っている。

 毎日いっしょに過ごす人はもちろん、ただその朝にすれ違う人でさえも、とにかく「おはよう」と言って一日を始めること。一日の終わりの挨拶と別れの挨拶は、あまりにも形が多すぎて、しかもとっても複雑だ。でも、一日の始まりはまあ、だいたい「おはよう」ですむのだから、会った人にはとりあえず「おはよう」と言っちゃえ!と思っている。そうすれば、気分のいい人は気分のいい挨拶を返してくれるし、機嫌の悪い人には、こちらから元気な声を掛けてあげることで、元気を分けてあげられるかもしれないし、悩みを分けてもらえるかもしれないのだから。

 「ありがとう」と「ごめんなさい」は、人間としての基本だから、説明しなくても6歳の子供だってその大切さを知っている。ただ、そんな気持ちがなくて声に出して言えないことや《忘れる》なんてこともある。
人間だもの。虫の居所は日々異なる。

 その言葉に気持ちを込めることは、ときとして難しいけれども、「おはよう、ありがとう、ごめんなさい」と《とりあえず言う》だけなら、わりと簡単なことだと思う。

 剣道の合宿の話しの続きになる。
 どう見たって有段者で経験ありという感じの男性が、一人遅刻してやって来て、体育館の隅で時間を掛けて一人ぼっちの準備体操をしていたものだから、わたしは近づいていって「おはようございます」と言った。
30センチの距離にいるのに、完全に無視された。
 普段路上では、ガイジンであるために無視されることが多いので、こんな完全無視には慣れているが、剣道の道場では日本人好きって人にしか会ったことがないので、彼が返事しなかった時に、これは何かの間違いだと思った。聴こえなかったんだろう。

「おはようございます」ともう一度言ったが、彼は頭を動かさずにわたしを見ただけで、口を開かなかった。
完全に無視されたのが決定的だったので、しつこいわたしは「おはようございます」ともう一度いい、遅刻して稽古に加わるタイミングを探っているのかと思った相手に、間髪をいれず「稽古、お願いします」と言った。
 彼は、首を左右に面倒くさく振っただけだった。「おまえとはやりたくない」と顔に書いてあった。
こういう時に、《親切心丸出しのおせっかい》は、どうやって去ったらいいのか、ちょっと困る。
別れの言葉は複雑なのだ。心のすみで「アデュ〜」(これは逝く人に言う永遠の別れの言葉)と言いながら、「あ、そうですか」だけ言って、背中は見せずに後ずさりをして去った。この退散方法が、剣道と居合道の道場での作法で、上の者に対する礼儀作法だと、彼にはわかったはずだ。それにこういう人に背中を見せるのも情けない。

 その日の練習の中で、4段以上が道場で試合稽古をして、それ以下の人たち(4分の3以上)が、見取り稽古することになった。そのとき、偶然例の彼と試合稽古をすることになってしまった。
みんな見てるのに、彼ったら、彼だけの稽古を見せびらかした。
 つまり、彼は、わたしが掛かって行けば、頭を振ったり、竹刀で打突部を防御したりして、打たせてはくれない。(これを逃げる、という)打って行けば、はじき飛ばしたり、体当たりをしたりして、わたしの身体を右へ左へとさんざんはね飛ばす。(これを乱暴、という)更にとんでもない所を打って来るし、強く痛く打つ。わたしには、彼がわざとそうやってることがよくわかった。

 ここでネクトゥーさんとドレイ先生だったら、「目を一個潰されたら、二個とも潰してやれ」とか「歯を一本折られたら、全部抜いてやれ」と言う。彼らなら実際にそうする。でも、わたしは、そういういじわるな剣道をする人にこそ、美しい面を一本お見舞いしてやれと思って、熱くなるほうだ。転んでも立ち上がるから、相手はますます《いじわるな役》を演じる羽目になってしまう。こっちの方が数倍いじわるなのだ。

 稽古のあとで、数人がわたしの周りに集まり、「いつもあいつには痛い目に遭ってるんだ」とか「みのりが気の毒」と言い、「身の安全のために、彼には近寄らない方がいい」とアドバイスしてくれた。
 わたしは、その気はないのに思わず乱暴な剣道をする人や、間違ってとんでもないところをぶん殴ってしまう人には慣れているから、痣もたんこぶもあまり怖くない。それに道場でどんなに転んでも、どんなに打たれても、基本的にはそれが相手のせいだとは言いたくないのだ。じっさいに打たれるのも転ぶのも自分の脚さばきが悪いせいだということが多い。打たれたのを相手のせいにするのは負け犬だ。だから、もし翌日の稽古で彼に当たっても、逃げないぞと心に誓いながら、アキレス腱切れたらやばいな、と思った。わたしが転びでもしたら、彼はまた悪口を言われるだろう。さあ、どうしよう。

 みんなが去ったあとで、ラブルさんがそっと近づいて来て言った。
「彼の剣道はちょっと乱暴だけど、本当はいいやつなんだ。いじわるをしないように言っておいたんだけど。それにしても、最後のあの一本は、彼にはよい反省材料になったと思うよ」

 翌日の稽古で、彼との稽古を待っているのは、ほんの一人か二人だった。明らかにみんなに避けられていた。順番待ちをしなくても、自分の番がすぐに回って来ると思ったので、彼のグループに並んだ。隣の列にいた人が「勇敢だね。気をつけてね」と言った。

 このようなタイプの人には多いのだ。ドレイ先生も最初はそうだった。
「一度鼻を折られて、それで離れて行くような人間とは、つきあわなくてもいい」
だから、どんなにぶん殴られても、またかかって行けば、少しだけ心の窓を開いてくれる。
二度目におはようと言ったら、わたしのことを見てくれたじゃないか。

 その二度目の稽古は楽しかった。彼の剣道もすばらしかった。いろいろなことをちゃんと説明してくれたし、試しに打ってごらんと打たせてもくれた。できたら多いに褒めてくれた。諦めなくてよかった。しつこい性格でよかった。

 ただ残念だったのは、彼は5日間の合宿の間、ほかの誰とも打ち解けなかった。せっかく高いお金を出して参加しているのに、グループで行なわれたものには、何も顔を出さなかった。みんなに挨拶をしないから、わたし以外の誰も彼に「おはよう」を言わなかった。彼が「すみません」と言わないせいで、誰も「ありがとう」と言わなかった。

 みんなが、彼は数年前から何度も五段の試験に挑戦しているけど、いつも落ちていて、だから、ストレスであんな風にひねくれているんだとウワサしていたけれども、わたしには全く検討外れだと思った。あんなにすばらしい技術を持っているのに何度も失敗しているのは、彼に「すみません」と「ありがとう」が言えないからだと思う。絶対にそうだ。
 剣道には《敵》ではなくて《相手》がいるのだから、そんな簡単なことがわからなければ、いくらやってもただただ難しいだけなのだ。《敵》を相手に一人で動き回っていて、なにがそんなに楽しいのだろう。《仲間》に囲まれて、ぶつかりあう方がずっと楽しいのに。

 ラブルさんが「心やさしい相手には、めちゃくちゃにかかっていけない。誠意を見せたいと思ってしまう。だから、みのりが心のある元立ちをやれば、道場の人たちはみんな誠意のある剣道ができるようになるよ」と言われた。
 道場の外でも、そんな夢のような関係を築けたらいいなと思う。
とりあえず、わりと簡単そうなことをマイペースでやれば良さそうだ。

 《我以外はみな師なり》ありがとう。ありがとう。

2009/08/05

とっても難しいこと

 合宿で習ったことは山のようにある。
中学や高校なんかで、ちょこちょこスポーツ剣道をやっていた時代は、先輩に怒鳴られ走らされ、顧問は剣道のことなど知らず、試合に勝つことよりも、まず試合に出してもらえることが目標だった。なので、フランスに来てから、うんちくが大好き、歴史も理論も大好きなフランス剣道家たちに、嵐のような質問を浴びせられてから、
「自分は日本文化や伝統・歴史のことも、剣道のことも、ろくにしらない」
ということに気づかされる。
フランスの道場の片隅で、日本人に出会うと、みんな同じ意見だ。

 《我以外みんな師なり》
と、春のトゥールーズでの講習会で、ボルドーに住んでいる聡子さんが言った。
わたしたちは、フランスで、フランス人から日本の剣道を習っている。

 こんどの合宿で、スイスのそばのアヌシーというところから来た、一家で剣道をやっている加代子さんに出逢った。ご主人のムタードさんは垂れに《夢多道》と書いている。お二人はうなるほどすばらしい剣道をされる。奥さんに指導をするご主人、子供さんがたと稽古するお母さんを見て、うちなんか、家族バラバラ生活の中、ひとりで合宿に参加していたわたしなので、うらやましかった〜。

 最後の日の稽古のテーマは《攻め》。
一足一刀の間合いから、気合いと身体の威圧で攻め入って、相手から先に一本取るという練習で、元立ちという打たれ役がいるので、その相手に向かって、ぐっと攻め入りぽんと打てばいい。
〜そう思い、気合を入れてぐっと攻め入り、パシンと面を打ってみた。
「なかなか上出来」と思った。
そうしたら、ラブルさんがいつの間にか横にいて、待てと合図する。
「攻める」というのは、ただ、相手の懐に入っていくことではないんだよ。さあ、攻めますよと気合を見せて、ただポンと打てばいいってわけじゃないんですよ。と教えてくれる。

 それで、何度かの挑戦の後、先生の求めているのが、こんなことかもしれないと体感できたのは。。。
ぐっと攻め入る。これは相手を試すため。そこで相手がこらえなくて出てくるなら、出てこようとするその出ばなを打つ。
「出ばな面」という技の名前の通り。
相手に自分の気合を見せ、相手はこらえなくなって出てくる。その数秒間の緊張感を作り上げる役目が稽古の時の元立ちで、そのタイミングを上手に取って、きれいに打たせることが元立ちにとっては難しいところだ。
「さあ、相手が出てきたから、こっちも出て行ってあげよう。ぽん。打たれました」ということになりがち。でも、それでは肝心の「こらえる」という稽古をさせてあげられないので、この元立ちは失格。

 ぐっと攻め入ろうとする時、気持ちはもうすでに前へ前へと進んでいる。だから、相手はびくともしないのに、つい、さっさと面を打ってしまう。これもまた打ちかかる方の「こらえる」稽古にならない。

 ぐっと攻め入る。そして、相手をこらえきれなくさせるほどの気合を、声を出さずして発する。こらえて、相手が出てくる瞬間をとらえる。それを「ため」という。出て行きたいのに出て行かずにもっといい機会を狙う。我慢できるかということ。

 気持ちが前に突っ走っているときに、状況を冷静に判断して、相手を気で押す。その「ため」が。。。わたしには足りないと言われた。実は、これは前にも言われた。
 見た目お人好しすぎて、何だか、気押されることがない。ぜ〜んぜん怖くない。気迫が足りない。攻めが足りないと、言われたことがたしかにある。

 なるほど、こらえ性がなく、自分の中にためることができず、相手の出方を冷静に見据えることができない。
なにごとにおいても、わたしの弱点だ。

稽古の後で、ラブルさんはわたしに《四戒》を知っているかと訊いた。
「四戒」とは《驚・懼・疑・惑》 で、この四つは、人の邪念の中の邪念で、これがあると心が乱れ、瞬時の判断ができなくなり、尻込みをしてしまうといわれているもの。
おどろく、おそれる、うたがう、とまどう ことは、まさに剣道の四つの戒めだ。
驚くことも、懼れることも、疑うことも、戸惑うこともしない人間になれる日は、いったいいつになったら来るんだろう。道は遠いなあ〜。恩師の佐藤先生は
「無心道極」と手ぬぐいに書いておられた。「無心こそ、道を極める」わたしは邪念ばかりだなあ。

 そんなもろもろの教えを胸に、わたしは南に向かった。
さあ、おうちに帰ろう。
そして、明日はキャンプの終わったノエミを空港に迎えに行き、明後日はナルボンヌにゾエを迎えに行き、その次の日から、家族四人水入らずで、楽しい夏休みにしよう。
 ホクホクな気持ちを抱いて、帰路に着いた。

 夜7時に高速道路の出口から家に電話したら、5時には帰っているはずのJPが電話に出ない。7時半に携帯に電話がかかってきた。
「さっきから、ちょいと入院してる」という。
「へ?」
わたしなどはさきほど高速道路で眠くて中央分離帯にぶつかりそうになり、高速を降りた直後だったので、疲れていて、もう「へ?」しか言えない。けれども一気に目が覚めた。
家までまっしぐら。

 2時間後、真っ暗な自宅に帰りついたが、寄って来るのは腹を空かせたボボとベベのみ。家人には丸2日会ってないのだから、最低4食分は腹を空かせてる。
 面会時間も過ぎてしまったので、病院には行けなかった。
JP翌日退院。原因不明につき、再検査必要ながらも、急にどうということはないので、帰ってもよく、仕事にも行けますよ、とのこと。仕事なんかどうでもいいのに。

 驚かない、恐れない、疑わない、戸惑わない
と誓ったせいか?それとも無神経で無責任なせいか? 全然、心配してない。
JPは大丈夫にきまってる。
JPはもとより、痛くない、かゆくない、暑くない、寒くないの人、だとは分かっていたけれども、具合悪いかどうかも、全く感じていないらしい。ここまで鈍感だと、腹が立つ。

あ、つい、心が乱れてしまった。。。。

 検査の結果は8月中旬。
大丈夫にきまってます。

2009/08/04

勉強会のテーマ

剣士、打たれちゃ困るカブト作成中


合宿に行こうと思ったのは、主催者の中にラブルさんの名前を見たからだ。
ラブルさんのことは、ずいぶん前から知っていた。
亡くなった佐藤先生が大好きだったフランス人のひとりだ。
20年ぐらい前に佐藤先生から何度も彼の名前を聞いていたので、どんな人かと思っていたら、結婚してフランスに来てから、田舎の道場でばったり会った。「なんでこんなところにいるの?」って感じだった。わたしはまだ剣道を再開しておらず、ラブルさんに個人レッスンを受けたのは、JPだけだった。

 そのときに、ラブルさんがフランスナショナルチームのキャプテンで、フランスのチャンピオンだということを知った。自分では言わない。人が教えてくれた。そんなチャンピオンが、田舎の友だちの道場に遊びに来て、JPに個人レッスンしたなんて。。。誰も信じないだろう。
 8年ぐらい前にパリで4段を受けたときに、会場でまた会った。でも、その時は合同練習がなかったので、またもやいっしょには稽古できなかった。
ずっとずっと、いつか彼といっしょに稽古したいと思っていたら、剣道合宿の主催者の中に名前があったので、もう、何も考えずに申し込みをした。
 合宿のあるブールジュっていうのは、電車で5時間、乗り換え5回の場所だった。
肩も脚も痛いのに、剣道具その他の大荷物を背負って5回も乗り換えなんてやってられないので、自動車で行くことに決めた。このところ故障続きだから、とっても不安。

申し込みをしたら、すぐにラブルさんからメールが来た。
「参加を決めてくれて、どうもありがとう。とっても楽しみにしています。ところで、日本文化について何かやって欲しいんだけど」という。70人近くの参加者の中で2段〜7段までの人の中から、希望する人は《指導者》として、いつも自分の道場でやってることをみんなに見せる。そして、それについてみんなで意見交換をする、というのが、この合宿のひとつのテーマとのこと。普通フランスで行なわれる剣道講習会は、7段以上の先生を日本から、あるいはフランス国内から招待して、先生方の指導で行なわれる。どちらかというとただただ受け身の講習会だ。質問はしていいが、反論したり、問題提起をしてはいけない。日本から来る先生方のほとんどは、フランス人が基本ができていないことを指摘され、毎回、どの講習会でも基本のやり直しをされる。なので、人によってはどれも同じ講習会のような気持ちになるのだ。いくらやっても基本ができていないんだからしょうがないのだけど。

 夏休みには全国数カ所で、一週間ぐらいの剣道合宿が行なわれている。その中でも、このブールジュの合宿は《勉強会》にしたいのだと、ラブルさんが言う。「ほかの人たちよりも経験があるから、自分には教えられることがあるかもしれないけど、みんなの思っていることも知りたいし、自分も学びたいから」やっぱりラブルさんだ。会いに行くことを決めてよかったなあ、と思った。大先生方の講習会は、また別の機会があるだろう。

 ラブルさんとの数回のメール交換で、日本人にしかできないことをやって欲しいということなので、私は3つのことを提案した。
 ひとつ目は書道とおりがみのお試し会。
武士は、武道のほかに諸芸道にもすぐれていなければならなかった。それで、書道の心得などが、武芸に通じるものがあるんだよと、まあ、そんなうんちくも述べられるんじゃあないかと思ったから。じつは、書道の時の姿勢や、呼吸、例えばやり直しの許されないひと筆一本勝負の精神が、本当に、剣道には大切で、わたしは、剣道のためにも書道を本気で習いたいと思っているのだ。書道は小学校で無理やり受けさせられた試験で、4級どまり〜
 筆が2本しかないので、手の空いてる人には、かぶとでも折らせようと思って、新聞紙も持って行った。ゾエの学校のお祭りで使った折り方のコピーもいっぱい残っていたので、おりがみといっしょに持って行った。
刀 に挑戦セバスチャン


ヤッシン。みんなに冷やかされて集中力なし。

      

 ふたつ目は袴について。
袴のお手入れ方法と、折り方。帯の出世だたみの実技。
袴のひだは前に五本ある。儒教を勉強していた日本人にとっては5というのはとっても大事な数字。
例えば世界を上手に動かすための大事な要素といったら、
火・水・木・金・土 
それから、社会生活でとっても重要な人と人との繋がりにも、5つある
長幼・父子(親子)・君臣・夫婦・朋友 
そして、五つの大切な徳といったら、
仁・義・礼・智・信
なんだそうだ。なので「袴を履くからには、そのようなことを身につけるんだぞ、それらを大切に心がけることを学ぶんですぞ」と、剣道の道場では教わるのだ。剣道やってるからには、はかまを大切にせにゃ〜あかんですよと。。。このようなうんちくが、フランス人は大好きだ。
 
 みっつ目は、数週間前から準備して、5ページにも及ぶ大演説にしたるつもりでいたのに、着いてから、このテーマは会議室での講義じゃなくて、体育館での実技だよと言われた。用意していたのは、
《日本人の伝統的な身体動作が影響を及ぼしている剣道の動作について。たとえばすり足・歩み足・蹲踞の理解は、日本文化を知ってこそなりうる》。。。というような、スゴイ講義内容だったのだ〜。
一番真剣に用意していたので、ちょっとがっかり。
 合宿2日目のお昼の稽古は、3つのグループに分けられた。そのどのグループも、足さばきについての実技。私は級者から初段までの約10人を受け持たされ、すり足と踏み込みについての指導となった。用意して行ったことは、とても役に立った。演台に立っての演説じゃない分、気持ちも楽だし、思ったとおりのことを状況に応じて伝えることができたし、やって見せる、そして実際にやってもらうことができたので、とってもよかった。

 とにかく、3つのどの時間も、みんなに大変喜ばれた。ほかの会議でも、たびたび「日本ではどうですか?日本人はどう考えるでしょうか?」と質問が投げかけられ、みんな真剣に聴いてくれた。

 もっとまじめに剣道勉強しよう。

来年はフランスの北のほうで行なわれるそうなので、行けるかどうかわからない。行けないだろう。でも、パリの各道場に知り合いができたので、パリの道場破り(?)を計画している。お楽しみ〜。

勉強会に来ていた若い子たちが、みんなやってるというので、Face Bookで、写真とビデオを交換することにした。ブログ右上の《ダニエウさんちのアルバム》をクリックしたら、登録なしでわたしの集めた写真が見れる筈なんですが。。。お試しください。
わたしの《わら束 真剣 試し切りビデオ》もあるよ〜。

2009/08/03

合宿


    最終日 最後まで残って試合をした人たちと。



朝6時から朝稽古(ひたすら地稽古)
9時半からお昼までグループに分かれての打ち込み稽古、回り稽古と地稽古
午後2時から講演やアトリエ
午後3時半から6時まで、まわり稽古と地稽古
まわり稽古というのは、先生がやんなさいと言った技を、説明のあと試しにやってみる稽古で、ぐるぐる交代で回りながら続ける。
地稽古というのは、試合のつもりで本気で、対等にぶつかる稽古で、有段者なので元立ちっていうのをやらねばならない。元立ちは交代できない。次から次にかかって来るので、そのつど本気で立ち会いをしなければならない。だから、とっても疲れる。ここで有段者は「疲れる」などといってはいってはならないノダ。

これが大まかなスケジュール

わたしは24日の朝8時に家を出て、できるだけ高速道路を使わずに、山道を抜け、合宿所のあるブールジュには夕方6時に着いた。何度も休みながら余裕を持って到着したので、まだセンター内に剣士たちの姿は見られなかった。

わたしのダニエルという名字のせいで、男性と勘違いされていて、男性の部屋に入れられていた。
で、急きょ女性の部屋に回してもらったら、二人部屋に一人で寝てくださいと言われ、ちょっとうれしかった。

 その日は、翌日とその次の日に予定されている講演会と稽古の指導のせいで、ドキドキして、2時間しか眠れなかった。合宿が催されたセンターは、本来はスポーツの専門家を養成する施設で、全国から集められた選手たちが、1日中専門競技の実技や理論、スポーツ科学やスポーツ心理などを学ぶ大学みたいなものだ。大きなプール、サッカー場、ラグビー場、陸上競技場のほか、室内競技の体育館、会議室、サウナなどのリラックス設備などがある。宿泊施設のほか、カフェテリア、食堂も設置され、インターネットを使ったり、ビデオ鑑賞のできる会議室もある。

 参加者は全部で70人。パリから来た人が多く、みんなお互いのことをよく知っているので、リラックスした雰囲気。その代わり、だれも知らない人は、わたしのようにはじめポツンとしていた。
日本文化についての講義をしてほしいと言われた時に、どうしようかと思ったが、わたしは、袴についての講義と、書道と折り紙のお試し会をやった。これについては詳しくのちほど。
合宿の最初の二日間に、みんなの前で話をする機会をもらえたおかげで、みんなに早く名前を覚えてもらえた。なので、すぐに打ち解けて、とても楽しい合宿ができた。

肩もアキレス腱も、大丈夫だった。その代わりマメだらけ。。。

2009/08/02

剣道合宿の写真


      審判揃い、試合開始。 
      ラブルさんの号令で、お互いに礼!



      そんきょ。 はじめ!



      わたしが負けた試合。パリのジュリアンに面を取られた〜。