2013/10/24

息をしている

 九月は、レストランでたくさん働いた。身体が仕事に慣れたせいか、要領良くなったからなのか、時間割がソフトになったおかげか。。。夏休み前よりも辛くなくった。

 けれども、じつは夏休み中から、どうも自分のやってることに疑問を持ち始めていた。九月は仕事しながら、いつも難しい顔をしていた。「作りたかったのはこんな料理じゃない」とか、「調理師には向いていないんじゃないか」とか、自立したいとか、「私の代わりにこの店で仕事したい人、私より仕事できる人がもっと近くにいるんじゃないか」とか。。。

 夏休みに、翻訳のお話を幾つかもらって帰ってきた。文集や文芸賞への執筆を進められたりもした。それと並行して、高校での「にほんクラブ」が、去年に引き続き今年も契約更新され、今年は、日本語だけではなく、体育の時間に剣道と、調理科では料理を教えることになった。

へー、私を求めてくれている場所があるんだ。。。

心地が良かった。
だって、レストランではいつも、私がいなくても。。。という気持ちが、どこかにあったりしたので。。。                                                                                              



 新学期。調理学校のクラスメートで、三年前から私の剣道の生徒でもあり、何でも相談のできるエリックが、八月から失業中だという。私の代わりに働かないかと言ったら、喜んで引きうけてくれた。

 早速社長のミーさんにやめたいとを伝えた。そのまま代わりのエリックを紹介し、あっけなく、週50時間労働をしなくて済むことになった。そのいっぽうでミーさんは、私を社員としてキープしたいと言ってくれた。

「話があるんですけど。。。」とミーさんの背中に言った時、笑顔で振り向きながら、「あなたの言いたいことはわかってる。ああ、日本に行かせなきゃよかった。」 と言った。ミーさんのレストランの料理が、私のやりたかったタイプではないことは、働き始めるときから知っていた。ミーさんは、私が日本でいろいろなことを考えるだろうと想像していたし、日本から戻ったら、私がやめたいと言うことを想定していたと言った。本人の私には予定外の展開だったのに。。。
 
 かれこれ25年ぐらい続けてきた、 日本語と、最近お気に入りの翻訳の世界に、戻ろうと思う。料理は、やりたい方向があるのだけれども、今はまだ具体的に形にできないので、ちょっと様子をみてみようと思う。そう説明し、理解したと言いつつも、ミーさんは縁を切ることに承知しない。

 わたしは、調理師の資格を持っている。クリスマスには毎年売り子をやっているので、お店のことも知っている。ミーさんのチョコレートのことなら、製造から販売まで、すべてよく把握している。ミーさんの日本での事業にも、少なからず関わっている。ミーさんの家族のことも、すべての店員さんたちのこともよく知っている。そして、ミーさんに好意をいただいている。
「そんなに、あっさり私と縁が切れると思ったら、大間違い。ははは。」
肩を揺さぶられ、そのあとその肩を抱かれながら、わたしに頭をこすりつけてくるミーさんに「ありがとう」しか言えなかった。こんな社長さんはほかにはいないだろう。

 (週に五十時間の)調理師ができないならば、月に二十時間の、穴埋め社員にするから、会社に席を置いたままにして「欲しい」と言われた。そんな便利な人を簡単には雇えないから。わたしとしては、翻訳と日本語だけでは食べていけるわけがないので、レストランをやめたら、日本語の仕事の合間にできる週に数時間のアルバイトを探すつもりでいた。よそのレストランの臨時かなにか。それを思うともったいないぐらいいいおはなし。自分のやりたい料理をやらないなら、売り子でいい。人と接することは好きだから。この会社で、ミーさんのために務め続けたいという気持ちは、たしかにあるのだから。

 九月はレストランでいっしょうけんめい働いた。エリックへの引き継ぎはあっという間だった。十月はミーさんの店に、チョコレートの販売員として二十時間だけ立った。レストランの準備をちょっとだけ手伝ったりしながら。
 一方、高校での「にほんクラブ」が再開し、水曜日の個人レッスンが始まり、十月の四回の週末は剣道の講習会に走り回っている。パリに行くのも今週が二度目。毎週二回の自分の道場の稽古も、気合いれてやっている。剣道連盟の仕事、翻訳の仕事、日本語通信教育の仕事。なによりも、子供達に関わることを、思っていた以上にちゃんとしている。本も読んでいる。手紙も少しずつ書き始めた。メールをためなくなった。友達と電話で話した。なぜか、料理はかなりいい加減になった。まるで情熱が薄れてしまったかのように。たまに厨房が恋しい。報酬も絶賛も、物音もしない我が家の食卓で、細々とした料理をするよりも、レストランの厨房で、プロみたいにさっそうと動き回る自分の姿の方が、かっこいい気がしたりも、する。

 十二月にはまた呼ばれるだろう。調理師だろうか、販売員だろうか。クリスマスの華やかな店内で、動き回る自分を想像する。

JPは、手を振ることでネジが巻かれる仕組みの腕時計を持っている。動かなければ時計が止まる。私はちょっとそれに似ていると思う。動くことでポンプが作動する。人力ポンプをえっちらおっちら動かしながら、息をしている。






2013/08/30

夏休み

がんばった人にはご褒美を!

。。。というわけで、7月19日から8月29日まで、今回の夏休みは日本に帰っていた。

ハードスケジュールだった。

7月19日 東京着(千葉、日光、鎌倉へも足を伸ばす)
7月26日 京都着(大阪で一日遊ぶ)
8月1日   奈良着(吉野郡川上村で朝稽古。小学生の合宿にも参加)
8月7日  広島着(宮島と広島原爆ドーム。お好み焼き三昧)
8月10日 指宿着(鹿児島県内巡り。ペンクラブでお話しの会に参加させていただく)
8月16日 宮崎着(青島と鵜戸神宮とお風呂や入り浸り。日仏協会のみなさんとの交流)
8月18日 再び指宿へ(指宿周辺、鹿児島市遊び歩き。図書館入り浸り、従兄弟たちと同級生たちとの、数々のうれしい再会を果たす)
8月29日 鹿児島から、名古屋とフランクフルトを経由してトゥールーズから自宅へ。

わたし一人ならば、こっちの自宅から指宿の実家に直行して、観光費用をあまりかけずに。。。と思うのだけど、今回は家族4人プラス、剣道の生徒を1人伴っていたのと、来年は高校を卒業するノエミのことを思うと、「もう来年からは家族旅行はなしかな〜』とも思ったりしたので、かなり気合いが入っていたのだ。

それに、わたし、死ぬほど働いてお金貯めてたし。。。ひひひ

家族旅行にはお金が掛かる。すごくお金がかかる。
それに、できれば自分で遊ぶ時分は、自分でお金払いたいヒトなので、自分で溜めたお金を持たずに旅立った二年前は、遠慮しちゃって、何も買わず、どこにも行かなかった。本当は無駄遣いが大好きな人間だから、つらかった。なので、今回はちょっとがんばってから帰った。

 ジャパンレールパスのおかげで、三週間JRにいくらでも乗り降りできて便利だった。東京は二年前に見つけてお気に入りになった、安くて和室で、家族ゴロ寝のできるビジネスホテル。京都はキッチンもお風呂の洗濯機もある町家。奈良では一泊4000円で、自炊のできる山小屋。宮崎は友達が無料で貸してくれたマンション住まい〜〜。運転手と食事も友人たちが一手に引き受けてくれた〜。

わたしは日本で運転もできる。
今回奈良の山奥での暮らしには、レンタカーがおおいに役立ってくれた。鹿児島でもレンタカーの高級車で、桜島周遊も実現した。指宿では母のケイのボンゴを乗り回した。

指宿では中学の同窓会にも参加できたし、同窓会で会えなかった友人たちとも、いろんな所で遊んだ。同窓生が飲食店業をやっているので、ほんとうに便利。東京では鹿児島から上京してがんばってる姪っ子に。京都では滋賀に住んでいる姉と姪っ子に。鹿児島でもこれまで会えなかった従兄弟たちに、指宿では毎回『定番』の従兄たちに、チラリ。

心残りは種子島と屋久島。次回だ、次回。
開聞岳と桜島には登れたからよかった。
ある日は、午前中に開聞岳に登って、午後から知林が島に歩いて渡った。同級生たちにはびっくりされるのでこのことは秘密。最後の週末は、同窓会から午前さまで帰宅したその4時に起き直して、高速に乗って6時45分から吉野で朝稽古をし、そのままお昼のバーベキューに参加のあと、午後からスラックラインをやりまくっていたことも、とりあえず秘密にしてたけど、ここで大公表。ははは。。。。

 鹿児島のペンシルクラブと、宮崎の日仏協会で、フランスでの生活と翻訳の仕事についてお話しさせていただき、翻訳本にサインなどもさせていただき、翻訳のお仕事ももらって来たりしたので、もう『死ぬほど』働かなくてもいいかも?と思ったのもつかの間。。。ゆうべ帰宅したら、携帯に「いつレストランに出て来れるの?」とメール来ていたので。。。今日はこれからシェフに電話しなければならない。

日本での超暑くてムシムシした夏休みが終わり。。。いきなり20℃でさわやかで快適なフランス。お日様の傾き方が全然違っていて、朝食はいきなりフランスパンのトーストに戻ってしまった。みそ汁と納豆メシが、早くも恋しい。。。

お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。少しずつ、お礼状を書かせていただきます。ちょっと待っていてください。

とりあえず、新学期の準備を。これから、子どもたちがお昼は肉を食べたいと申しているので、お肉を買いに!そして、九月から中学に上がるゾエの、かばんと学用品を買いに行きます(ああ、まだまだ働かねば〜〜〜デスデス)





7月

7月19日から休みをもらわないといけないので、同僚たちに夏休みを取っていただかなければならない。なので、わたしは『死ぬんじゃないか?」と想うぐらい、よく働きました。。。
朝5時から、テイクアウト用のサンドイッチやサラダを作るので、午前3時50分に起きて、暗いうちから一人でレストランへ。
8時に注文の品が出来上がって、そのころお店の店員さんたちも出勤してきます。
ちょっと休んで、15時ごろまでレストランの仕事です。

疲れすぎて、家のドアを開けた瞬間にドオーと涙出ることもありました。

出発のに3日まで、毎日このリズムだったので、スーツケースもお土産も、かなりいい加減でしたが、無事出発できました。

今後のことは日本に帰ってから考えよーと思いながら、出発した次第です。

2013/07/17

剣道三昧

毎年恒例の、「剣道と牡蠣」のパーティーに参加した。デタさんがやっているアーカションのクラブが午前と午後の稽古の合間に、屋外でのピクニックを催す。ピクニックでは生牡蠣食べ放題。

Arcachon クラブのデタさんに招待されました。

すぐそこの海から来た牡蠣。食べ放題。

 仕事を始めたばかりだったので休みがもらえず、土曜日の午後までちゃんと働いて、いったん家に戻ってから、夕方トゥールーズに向かった。(一時間半ぐらい)トゥールーズで剣道仲間に合流して、友人の運転する車でボルドーの側に向かった。友人のご両親が泊めてくださるというので、剣友の美恵子さんと一緒に甘えさせていただくことになった。運転せずに来て、よそのお宅でおいしいご飯をごちそうになり、夜はぐっすり眠ったので、日曜日は大変元気。剣道にも、生牡蠣にも集中できた。

 その次の週の木曜日は、福岡からお越しの角正武先生と、そのお仲間たち(伊藤先生、谷口先生、田中先生、木下先生、内海先生、小林先生)とベルジュラックでの再会を果たしました。同じ週の週末には、再びボルドーまで引き返して、大稽古会に参加させていただきました。

 さて、日本への出発を控え、今シーズン講習会や試合にもいっしょに参加している剣友の加代子さんと美恵子さんが、遊びに来てくれた。みんなで剣道をしたり、これまた剣友のミカエルがコンクで開いているサロン・ド・テにも遊びに行った。美恵子さんと加代子さんは、わたしが働いているお店に、子どもたちを連れてお昼を食べに来てくれた。


今シーズン最後の稽古会




 
みんなが食べに来てくれた
さあ、来シーズンも、みんなでがんばろうねと誓い合ったのだ〜〜。

2013/06/16

こんなことになっている

 とりあえず、借金するのをやめた。

 ネクトゥーさんも、ミーさんも、シェフ・リカーも、「やめなさい」と言った。
「キミはがんばり屋さんだから、いくら大変でもとことんやるだろうが、無理はよくないし、家族を犠牲にしちゃいけない」
と言うのが、全員一致の意見だった。尊敬している3人の人生の先輩たちに、そこまで言われたら、「そうか、そうだよなあ」と、まあ、考える。

 考えてみると、「反対されるだろうな〜」と想像できた人には、話しをしていなかったことに気付く。「けっきょく、こんなことになった」と事後報告したら、「それでよかった」とみんなが言った。

 これまで「勝手にやれば!いつも通り」と言って、無視され続けてきたJPにも、やっぱり意見を聴くことにした。
「今でさえ子どもたちを放ったらかしなのに、新しい事業を始めたら、もう子どもたちとはご飯も食べれなくなるじゃないか」
そうか、そうだったのか、そんなことを思っていたのか。
 子どもたちを放ったらかしにしてたの?わたしが??
 ちょっと心外。

「そんなに働きたいなら、うちで雇ってやる。せっかくもらった翻訳料は、貯金しておきなさい。」
と、いきなりミーさんに言われ、明日から仕事に来いと言うので出て行ったら、「もう正社員として登録したから」と言う。え?ちょっと待ってくださいよ。まだ心の準備が。。。わたしはミーさんちの正社員になった。

 ミーさんとは、ミーさんの日本でのお店のオープンのために、2007年から2009年の間に何度いっしょに日本に行かせていただいた。このごろは日本のお店も軌道に乗り、通訳も必要ないので、いっしょに日本に行くことはなくなったけれども、それでもずっとお付き合いしている。

 パティシエのミーさんに「調理師の学校に行きたい」と言った時に「主婦が片手間にできることじゃないんだから。甘い」と言って叱られた。けれども翌年「いま、調理師の学校に行っている」と言ったら、びっくりしつつも応援してくれた。パティスリーの宿題を手伝ってもらったこともある。
 学校で義務づけられている職場研修があったので、ミーさんのパティスリーのラボで、二週間研修させてもらった。そのあと「調理」なのでパティスリーに居座ることができなくなったときには、アルビでいちばんのレストランに「友達だから。まじめな日本人だから」と言って紹介していただいた。それがリカーさんのレストランだ。研修と臨時雇用を含め、3年前から出入りしている。7月にもお手伝いに行くことになっていたけれども、ミーさんちの正社員になって毎日働かなければならなくなり、リカーさんのレストランで働くことはできなくなった。ちょっと残念。

 ミーさんちでは、クリスマスを二回ぶん、売り子さんとして雇っていただいた。レストランでの仕事に比べたら、売り子さんのお仕事はらくちんだった。毎晩残り物のケーキをもらって帰る、おいしいお仕事であった。

こうやって、もうかれこれ10年近いおつきあいで、お店に出入りしているので、働いている人をみんな知っている。みんな大好き。みんなに好かれている。。。と思う。

 ミーさんはこの春アルビの一等地に、新しいコンセプトのブティックを開いた。その中に、お昼だけ軽食を出す喫茶スペースがあって、わたしはそこで「調理」を担当している。今はまだスタートしたばかりなので、ミーさんがコックコートを着て、わたしの横にぴったりくっついて、毎日いっしょに働いている。信じられない光景だ。わたし以外の誰も、思いもしなかった光景だ。

 わたしが調理師の学校に行きたいとミーさんに話して、叱られたあの日からずっと、ミーさんをぎゃふんと言わせたいと思っていた。そして今、ミーさんは、ぎゃふんと言っている。わたしがおいしいキッシュを作ると、Ma petite Minori, ma fleure du Japon, elle est la reine de Quicheと唄う。「わたしのかわいいみのり、二本のお花、みのりはキッシュの女王♬」ミーさんのレシピは、素晴らしいのだから、わたしのキッシュはおいしいのは当たり前。

 憧れていたガストロノミーの道は遠のいた。友達と開こうと思っていた日本料理店は、もうちょっと先になった。今はまだまだ修行と預金の時期らしい。ゾエは来年中学校に上がるし、ノエミは来年高校卒業資格試験を受ける。子どもたちにはお母さんが必要なので、最低来年までは、お母さんがかなり必要みたいなので。。。ミーさんのところでじっとしながら様子を見てみようと思う。元気だったら、冒険はいつでもできるんだから。
 肉体的に46歳からの転職と、生活リズムの変化はきついので、いつまで続くかはわからない。みんな「そのうち諦める」と思っているだろう。わたしは「なるようにしかならない」としか思っていない。

 ミーさんのおかげでまだたくさん残っている翻訳料の中から、中古の自動車を買った。キャッシュで買った。これで、わたしは遅刻することなく職場に行くことができるし、どんなに遠いところでも剣道の講習会に出て行ける。ミーさんのレストランは、テイクアウトのサンドイッチやサラダがあるので、わたしは毎朝3時50分に起きて、5時から仕事をしている。その代わり、13時には仕事を終えて、学校から戻って来るゾエを、おやつと笑顔で迎えることができるし、時にはアルビの寮に入っているノエミと、アルビで待ち合わせして、ミーさんちの喫茶店でいっしょにケーキをたべたり、買い物をしたりもする。とりあえず、愚痴を言わずにがんばるのが目標。
「愚痴を言わずにがんばるお母さん。。。」を覚えていてもらえたらいい。いつか投げ出したり諦めたりした時に、いちおう、わかってくれるだろう。

 さて、明日のために、早く寝よう。
汗水流し、借金せずに買いました。中古車ですが、うれしいです。


 





2013/05/10

さあ、借金でもするか。

チョコレート屋さんのミーさんは、今年の始めに、アルビの一等地に素晴らしいチョコレート屋さんを建てた。チョコレート・バーも、軽食コーナーもある。新作のケーキもいっぱい並ぶカッコいいケースがある。しばらくすると、上の階にチョコレートのラボも引っ越すし、間もなくチョコレート博物館や、お菓子の学校もできる予定。そのミーさんが、「商売人は借金をしたほうが、目標があって働きがいがあるのだ。」と、数年前に、彼の通訳をやった時に、報告書のゼロがいっぱいで、フランス語でなんというのかわからなくてパニクってるわたしに言った。

まったく同じことを、父も言っていた。

そして、商売人には絶対にならないと誓っていた。

商売人の血を受け継いでよかったのは、ニコニコ笑っていられることじゃないかと、いつも思う。同じ親の血を受け継いでるのに、姉たちはあんまりむやみやたらな愛想笑いはできない。その代わり、親から受け継いだ粘り強さと、ちゃんと計算のできる頭がある。

わたしは算数ができない。あるのはこの健康体だけ。まさに身体が資本。

そして、わたしはついている。ありとあらゆるものが、わたしには憑いている。

このまえ、うちでちょっとあった翌日に、母から「大丈夫ね〜?あんたの夢を見たんだけど〜。」とメールが来た。信じられん。電話をしたら、「あんたが襲われた夢だった。」と言う。襲われてはいないけど、まあ、それなりに、暗闇に揉まれておったのです。「歯を抜いたからじゃないの。ひどい目に遭って歯医者で泣いたもの。」とりあえず、それはうそじゃないし。ほかにもいろいろあったけど。

数日前には、車がエンストして、どーしてもどうしようもなく、そのまま乗り捨て、2キロは軽く歩いてネクトゥーさんのおうちへ。ネクトゥーさんとご飯を食べてから、般若心経を詠んだ。午後、乗り捨てた車のところに戻ったら、一発でエンジンがかかった。信じられん。ネクトゥーさんは、マイナス・エネルギーを祓ってくれる、不思議な力を持っている。

この一ヶ月間ぐらい、ウジウジしてたら、いろんな友達から「久しぶりに」メールが届いた。しかも、ひと昔前ぐらいに、なにやら怪しげにかなり関係の深かった友人たちから「おひさしぶり〜。どうしてる?」っていうようなメールが、気持ち悪いほどに続き、本当に気持ち悪かった。なんかみんなどこかでわたしが喚いていたのを聴いていたような。。。信じられない。どこかにカメラがあって、わたしのことを世界の果てや、地球の裏から監視してるんじゃないのと思うぐらい、なにかを感じる人は感じるらしい。人生いろいろあるんです。心配してくれて、ありがとう。
「ありがとう」という言葉にも、不思議な力が秘められている。

 借金の話しに戻る。

じつは、やりたいのはこんなことじゃなかったんだけど、どうも「そういう時期」らしいので、ある事業を始めることに、急に決めた。まだサインしてないので秘密。数年前から提案があり、お話しがあったのだけど、今度こそ機会とお金が揃ったらしいので、なんだかあっという間に、道がそちらに切り拓かれ始めた。

今週、翻訳のお金がもらえる。「お金もらったら将来のために投資しよう」と思ったんだけど、今回の課題図書でいただけるお金を、この秘密に包まれた新しい事業に、すべて投資する。それでもちょっと足りないので、ミーさんと亡父の言葉を真に受けて、ちょいと借金もすることにした。二年ぐらいで返せるんじゃないかと思って、タカをくくっている。石の上にも三年というので、とりあえず3年やってダメだったら。。。ということにする。母にも仕送りしたかったのだけど、まあ、今度帰った時に、とりあえずの親孝行をしよう。いつも「出世払いね〜」と迷惑かけて来たから、あと一回ぐらいは「出世払いね〜」と言っておこう。もうすぐ出世するに決まってるし。ははは。

青少年読書感想文コンクールの、今年の表彰式をビデオで見た。来年は、母を連れて、わたしも表彰式に行きたいなあと思っている。だから、がんばって働く。
チョコレート屋さんのミーさんも、剣道仲間でパリの星付きレストランのシェフ・マルクスさんも、わたしの尊敬しているシェフ・リカーも、そしてなによりプロの調理師でお友達のよしえさんも。。。みんなわたしの味方なので、大丈夫だと思う。

http://mainichi.jp/feature/news/20130209ddm012040037000c.html

ゾエと同い年のたっくんが、その堂々としたスピーチの中で「ぼくは、『ここがわたしのおうちです』を読んで、今を大切にしようと思った」と発表していて、わたしも、「ここがわたしのおうちです」と胸張って言えるように、今を大切にしようと思っている。

「あんた、いつも、今しか大切にしてないじゃないの、自分しか!」と、どこかでだれかが言ってるのも、じつは聴こえてはいる。。。いますってば!

2013/04/12

いい顔してるう〜

3月8〜9日、片道10時間ぐらい掛けて、ブロワという町で、日本剣道連盟から派遣された高田先生の講習会に行った。通訳と昇段審査の研修をさせていただいた。
3月22日から24日まで、ベルギーのブリュッセルで、ヨーロッパに住む日本人女性剣士だけの、講習会に参加した。
3月30〜31日、.ベルジュラックの五神の山道場で10周年記念の稽古会に参加した。
4月6〜7日、アルプス山脈に近いシャンベリーという町で毎年行われている「アルプス杯」というオープン戦に、日本人女性だけのチームを結成して、初参加した。
5週間で4656キロメートル走ったことになる。道に迷ったりもしたし、車が走らなかったこともあった。夜行とタリスも利用したし、運転手着きのドライブもあった。
5週間ずっと遠征してお稽古を続け、締めくくりが友人たちと作ったチームで参加したオープン戦。とおっても楽しかった。写真のわたしはいい顔をしているなあと思う。


五人の仲間の中でも、同じミディピレネー地方でよく会う、トゥールーズの美恵子さんとは、三週連続の週末を「寝食共にした」。車の中でも部屋でも、よくまあ、こんなに話すことがあるねえというぐらい、剣道の話が弾む。ベルギーでも、シャンベリーでも、毎晩二時ごろまで語り合っていた。もっと早く寝ていたら、もっといい結果が出ていたかも、しれない?
 
 「アルプス杯」のリーグ戦で二回の試合をした。リーグ戦の3チームでトップの成績をもらい、トーナメント出場権を真っ先に手にした。カッコいいっ。
 リヨンに住んでいる愛子さんとは、これまで話をしたことさえなかったけれども、彼女の切れ味のある出ばな小手と、信じられないぐらい鋭い逆胴に、ほれぼれ。あっという間にファンになってしまった。彼女に先鋒を押し付けて正解だった。

 ディジョンのまさよさんは、去年から何度も会っている。地方都市の道場で、指導側と習う側に挟まれて、けっこう苦労している彼女は、いろんな所に行って、いろんなことを勉強中。わたしもいろんな所に行っているので、このごろやけに会うのだ。9月の昇段審査の時にはそばにいてくれて、ずいぶん励ましてくれた。はっきりものの言える、けっこうな大ものさんだと信頼している。わたしよりも10歳若いので、後輩みたいに可愛がっているつもりだけど、よく電話してくれて、話し相手になってもらって、助けてもらっている。頼もしいので、まさよさんに大将を任せることには、大賛成だった。まさよさんはみんなに期待を一身に背負って、本当によくがんばってくれた。

 加代子さんは、すごい。今までも「すごい」と思って尊敬していた。この人は強い。怒ったら怖そう。。。の雰囲気がメラメラと浮かぶような立ち会いをする。「アルプス杯」に毎年参加している加代子さんが、このチームの言い出しっぺだし、やはり貫禄から言って、加代子さんが絶対に大将だと思っていたのだけれども、そのご本人が、「まさよさんにしよ」と言った。間違いなかった。その代わり、加代子さんは大事な中堅を引き受けてくれた。さすがだ。でもこの三週間ご一緒して、とても繊細で女らしい人であるとわかったので、ちょっと安心した。とことん鉄のような人だったら、わたしはどちらかというとお友達にしてもらえないだろう。。。。優柔不断なので。。。わたしは。

 美恵子さんとわたしは、「わたしに任せてください」と言えない。そこんとこが「風格が欠ける」と言われる点なのであるけれども、美恵子さんはまじめで、コツコツとやる人だし、おとなしそうに見えてじつは、わたしよりもずっとはっきりものを言える人なので、これからも指導者としてトゥールーズの大きな道場を支えていける人だと思う。そして、ぐんぐん上手になって、わたしを引っ張ってくれると思う。ので、この人に着いて参りますというのが、わたしの方針だ。刺激しあって、意見交換しあって、いっしょにお稽古して、2人揃って上達するというのが、わたしたちのお約束になっている。あと、2人揃って死ぬまで剣道しようね、というのも契約になっているので、去年お互いの故障が続いた時には、お互いに本当に心配した。これからは「疲れてるみたいだから、休みなさい」と叱りあうことも誓い合った。

 加代子さんのご主人は、今シーズンに日本で七段の審査に合格した。久しぶりにお会いできたので、稽古をつけていただいて、本当にうれしかった。
 シルヴァンさんに「懸待一致」という言葉をいただいた。待つばかりでなくて掛かっていく剣道を。むやみに掛かっていかずに、粘り溜める力を蓄える剣道を。リーグ戦が終わって、「下がっちゃいけないヨ」と叱られ、気合い入れて望んだつもりだったのに、トーナメント戦一回戦で、後ろに下がって、場外反則を三回も取られた。相手はほとんど初心者のような人だったのに、何もできないままに5分が過ぎ去り、わたしの場外反則が二回の時点で、相手に一本あげてしまったものだから、笛が鳴ったら「めちゃくちゃな試合」のまま、なだれ込みでわたしの負けになった。

 あああ〜、このまま帰宅なんてええ〜。4656キロメートルの果てが、場外反則なんて〜。試合が終わり、日曜日から月曜日にさしかかる真夜中に、そおっと玄関のドアを開け、負け犬のように自宅に入った。「負け犬のように」って、負け犬じゃん。ヘロヘロに疲れているのに、お昼の試合が頭を駆け巡り、眠れない。。。月曜日は中学でお習字の授業があり、夜は剣道のお稽古。お習字では「基本が大事です」とか「一番簡単そうに見える漢字が一番難しいんです」とか「失敗したら、新しい紙に書き直してください」とかなんとか、生徒にそんなことを言いながら、前日の試合の反省を。そして、夜のお稽古では、「アルプス杯」の前日に行われた講習会で習った動作を、いっしょうけんめい復習して、前日の試合の反省を。

 打って反省。打たれて感謝。打ってないけど反省。打たれて悔しいけど、とりあえず、良いお勉強になったので、感謝感謝。

 昨日、90歳になる千葉の高崎先生の立ち会いをビデオで観た。45歳のわたしの方がよっぽどトロい。「人生90年、やっとUターン地点」と思っていたのは昨日まで。今まさにスタート地点に来たところ。ますますやる気のわたしだ。気合い入れていこう!!

 剣道をやってない人も、このビデオを見てください。日本人の誇りです。
https://www.facebook.com/photo.php?v=434671969960002






2013/03/29

毎日なにかに気付いている。

 3月が終わろうとしている。なのに、フランスではいまだに雪が降っているところがある。イースターを前にフランス中にチョコレートが溢れているというのに、ミーさんは新しいお店をオープンさせたというのに、わたしはまだチョコレートを買いにいっていない。先週の週末は、ベルギーのブリュッセルで行われた、ヨーロッパの日本人女性剣士だけを集めた「春の剣道講習会」に出かけた。ヨーロッパでご活躍のかめ先生はもちろんのこと、千葉からきてくださる鈴木紀子先生にお会いできるのが、もう楽しみで楽しみでたまらず出かけた。女性で七段の先生をまじかで拝見できるのははじめてだったので、とても緊張した。期待通り、楽しくて、ためになる、目から鱗が落ちることばかりの3日間となった。剣友の美恵子さんと協力しあって、先生方にはフランスまでお越しいただくことが、今年の最優先目標となった。
剣友の美恵子さんと、講習会が終わってからちょっと観光


 けっきょく1月から働いたレストランに、3月15日ごろまで通った。その間に、怪我をして休んでいたダミアンが復帰して、前のようにわたしはダミアンの部下として、下ごしらえなどに精を出す日々が続いた。ただ、去年に比べると、少しはランク上の作業もさせてもらえるようになった。タマネギを50個ぐらい刻んでも、泣かなくなった。もっと定期的に働けるようになれば、ひとつの責任重大な部署も一人で任され、ダミアンに命令されていやなことをやらされることもないと思うのだけれど、わたしには中学と高校の授業や、剣道のお稽古や、週末も剣道のために遠征があったりするので、シェフが望むように週5日、昼と夜のサービスに出ることができない。臨時でおさまっているしかない。


 先週はブロワに行って、高田先生の講習会に参加した。朝の5時に出発して、お昼に到着。14時からの講習会には間に合ったけれども、観光はできなかった。帰りは16時ごろにブロワを出るつもりが18時出発になってしまい、途中もうどうしても眠くて車を停めたりもしたので、帰宅したのは午前2時だった。広大な畑の真ん中、暗闇の中で時折稲妻が駆け巡るのに追い立てながら、わたしのおんぼろ車を走らせた。「わたし、こんなところで一体なにやってんだろう?」とつぶやきながら、眠くなったら「気合いの稽古」と称して、雷に向かって叫んだ。車の中で気合いの稽古をするのは、ものすごくいいと、このとき気付いた。よそでは叫べないので。。。

 今週末は明日から、ボルドーの側のベルジュラックという所で行われる、五神の山道場の十周年稽古会に参加する。来週末は、日本人女性剣友仲間五人で作ったチームで、「アルプス杯」の団体戦に参加する。そのあとはちょっとおとなしくしようと。。。。思う。

 剣道が続くのと、日本語レッスンが忙しいので、レストランは5月を過ぎるまでいけないと言った。本当はちょっと悲しいのだけれども、その分家で、家族のために料理している。またパン作りの研究も再開。




 日本行きのチケットはもう買った。京都の町家も、東京のホテルも、奈良の山小屋も予約した。鈴木先生に会いに、千葉までいけたらどんなに素晴らしいかと思う。東京では、出版社の坂田さんや、翻訳を手伝ってくださった、市河紀子さんにも会いに行きたいと思っている。12月に出版された「ジャコのお菓子な学校」の本が、初版で5000冊印刷されたのだが、そのあと1000冊追加、そしてさらに59000冊が重版されることが決まり、昨日正式な連絡を受けた。本当におめでたいことだ。鹿児島で南日本文学賞の最優秀賞を獲得した、姉にあやかって。ノエミも、ヌガロ賞という青少年の文学賞に応募した。こちらは結果待ちだが、おばちゃんとママンに、かなり刺激されているらしい。ノエミも、鹿児島のおばちゃんの文学賞にあやかれたら、励ましになるんだがなあ〜と思っている。とりあえずは、「がんばったら報われる」と、それは、わかってくれているみたい。負けず嫌いのがんばり屋さんだ。




 いつも自信なさそ〜に生きているわたしには、素晴らしい先生方と、励ましてくれる仲間と、評価してくれるシェフと、ついて来てくれる生徒と、支えてくれる家族がいかに必要であるものかと、しみじみに感じる春。まずはいろいろと気付かなければ、直すべきところもわからない。直そうと思ったら直せるところは、きっといっぱいあるはず。そして、がんばったら必ず報われると、信じている。

 


2013/02/04

鬼は外


 二月に入ったけれども、まだレストランに通っている。毎日じゃないので、ちゃんと家のこともできるけれども、疲れているので、家にいる日はなんだかうだうだしていて、翻訳の方ははかどらない。

 十二月に出版された「ジャコのお菓子な学校」の印税が支払われたので、夏休みに日本に帰るためのチケットを買うことができた。間もなく京都の町家の予約もしなきゃならない。それから、レストランのアルバイト料であと三カ所、べつな旅行のお誘いにも「行きます」とお返事することができた。

 三月のはじめ、全日本剣道連盟の派遣で、今年は滋賀県警察から高田先生がいらっしゃるのだが、高田先生が、ブロワと、そしてボルドーにもいらっしゃる。ボルドーの講習会には、前からクラブのみんなを連れて行く予定になっていたのだが、今年はブロワの高田先生の講習会にも、参加させていただこうと思っている。ブロワの剣道仲間を訪ねたかったので。「ちょうど良かった、昇段試験をやるので、審査員をやってよ」と言われている。それはまた別問題で、だれかに許可をもらわなければならないし、第一自信がないので、返事を渋っているところ。

 三月の終わりには、ベルギーに行く。ヨーロッパ中の日本人女性だけを集めた剣道講習会があるので、スペインよりのトゥールーズとポーという町、それからスイスの国境近くアヌシーに住む友人も誘って、みんなで行くことになった。剣道部の合宿みたいで楽しみ。講師の亀元先生という方は、鹿児島出身の先生だそうなので、それもまた楽しみ。

 四月の終わりには、アルプスで行われるオープン戦に、いつもの剣道日本女性剣士仲間といっしょに五人でチームを組んで試合に出ようよと言っている。これまでずっと「試合なんか好きじゃない」と言って避けて来たものの、三年前に自分でクラブをはじめて、去年からは生徒たちを試合に出せるようになった。でも、人数が足りない。だから、わたしも生徒といっしょに出場するうちに、試合がおもしろくなって来た。しかも、このごろは地方戦などで審判をやらされる機会が増えて来たので、審判が上達するためには、自分でも試合をやらなきゃならなくなって来たのだ。
 アヌシーのお友達のご主人はフランス人ながらも、去年の暮れに、日本で試験を受けて七段に合格した。そのご主人にお稽古をお願いする良い機会でもあるので、試合の前に行って、お二人の道場にもお邪魔したいと思っている。

 わたしは何やかや言って、外に出てばかりいる。家の中はあまり片付かないけれども、わたしが家に居ても片付かないし。。。どうせ。。。それに、家でぐちぐち言ってるよりも、外でにこやかできるほうがよっぽどいい。たぶん家人にとっても。(「鬼は外」って言うしなあ〜。)

 

昨日、ゾエの小学校のロトくじ会が行われた。今年で小学校も終わりなので、PTAの役員もやっていて、準備にも参加した。最後の最後のくじで、あと一個!というところで、解散となった。今年の運勢も「あともう一歩というところでダメ」なのかな〜、と、チラリ思っている。

賞品がたくさん用意されていた

16.16.16.16.....

 

2013/01/13

決心が鈍ったわけじゃない

 お正月の抱負は、「今年は家のことをちゃんとする。翻訳をやり、文芸賞などなどに応募しまくり、書くことで一旗揚げる。だから、飲食業界で働くのはもうやめる。」と、新学期の月曜日には、言っていた。確かにそう宣言したのだ〜〜。

 月曜日、前から気になっていた日本語の絵本を、フランス語に翻訳する決心をし、作者の方に連絡を取った。これからフランスの児童書専門か、あるいはアジア系出版物専門の出版社を検索しなければならない。

 そこへ火曜日、レストランから電話があった。夏休みの前に働いていたL'Epicurienというガストロノミーのレストランだ。おととし調理師の学校に行っていた時にも、一年間ここで研修をしたので、場所にも同僚達にもすっかり慣れている。夏にいっしょに働かせてもらっていたダミアンが、フォンドヴォーをグツグツ煮込む大鍋をひっくり返して、大変な火傷を負った。ダミアンは10月から休んでいて、その間に辞めた人もいたので、レストランの雰囲気はちょっと変わっていた。ダミアンは今月復帰予定だったのに、いまだに傷口が出血しているとかで、休みが延長された。おそらく5週間ぐらいの臨時雇い。

 と、いうわけで、わたしはいつまでの臨時になるかわからない。

 9月と10月に、シェフに「今年雇ってもらえる予定がありますか?」と連絡していた時に、返事がなかったので、そのあと入れ替わりで依頼のあった、中学と高校での日本語の授業を優先した。「呼んでくれるところがわたしを必要としているところ」と考えたので、今年は前のようにとりあえず「日本語」関連に戻ろうと決心した。中学と高校とは契約書を交わし、時給でいくらぐらいもらえるかも決まっている。
 夜に働くことになったら剣道にも行けないので、レストランでの仕事はやっぱりね。。

 「日本語と剣道の授業があるので、火曜日の昼と木曜日はレストランで働けません」
と正直に言ったら、それでもいいから来てくれと言う。大好きなシェフにそう言われたら、そこまで言ってもらえるならと、、、出て行ってしまう。

 けっきょく、華やかなことは何もやってない。ただの臨時調理人だ。地下の静かなキッチンで、集中力と忍耐の必要な細かい仕込みや、みんなの嫌がる冷たくて汚い作業を、黙々と、一人でやっていることが多い。でも、上の調理場で怒鳴られたり、急がされて思うような仕事ができなかったり、ヘマをやって怪我をしたりするよりは、ずっとわたしに向いている作業ばかり。わたしが「終わりました。次はなにを?」と報告に行くと、みんなは「ええっ!もう終わったの?パーフェクト!」と喜んでいう。時にはびっくり。

 レストランで働く人たちの食事を用意したりもする。残り物を利用してすぐに食べられる食事を。お昼のサービスが15時ごろ終わったら、ダッシュでカーモーに帰って、16時ごろから家族のために夕飯の支度をする。18時から始まる夜のサービスのために、17時には家を出なければならない。往復する時間があったら昼寝すればいいんだけど、数分でもゾエの顔を見たいし、家族のための食事の支度をしたいので、できる限りは帰宅する。家でも料理をする調理師は、このレストランではわたしだけだ。みんなは忙しすぎるし、独身だったり、男性だったりするので、仕事から帰ってまで家でも料理をするのは、わたしだけだ。わたしは自分の家族のために作った日本食などを、レストランに持って行く。シェフは喜んで食べる。

 「レストランが休みの月曜日に、みのりはシェフといっしょにお料理教室をやればいいのに。。。」これはシェフの奥様のアイディア。じつは、日本語を教えている高校の、調理科の生徒といっしょに、日本料理を作る予定がある。二時間料理をして、二時間はメニュー作りを兼ねて、書道と折り紙をやる。

 クリスマスの売り子の仕事では、横柄でわがままなお客さんを前に、「中国人労働者」と思われているわたしは、冷たい扱いを受けた。お店の同僚達は、よくわたしに「あんなことを、あんな風に言われて、よくニコニコしていられるね」と、わたしの代わりに腹を立てていたけれども、「こういうこと、よくあるよ。ガイジンだから」と応えることがしばしばあった。
 このようないやな経験を含めて、今年は、居心地のよい日本語の生徒と、剣道の生徒の中で、のんびり過ごして行こうと決心したのだ。

 料理の世界で、日本人であることがアピールできるとは、考えてもいなかった。
おもしろくなりそうな一年が慌ただしく幕を開けた。おたのしみ、おたのしみ。
 

2013/01/06

クリスマス休暇、最後の日曜日

 明日から、新学期!!うれし〜〜。


 みんなが休みだと、なんだか落ち着かない。家の中に物音がしていると本を読んだりものを書いたりできない。時間になったらご飯を作らなければならない。好きなときに寝っころがったり、パソコンを遣ったりできない。なので、明日から学校が始まるかと思うと、うれしくって仕方ない。

 クリスマス休暇最後の日曜日、昨日から準備していたガレット・デ・ロワの製作が待っている。クリームはゆうべ作った。でも、バターが足りなかったので、日曜日の朝になるのを待って、バターを買いに行った。ついでに、卵と小麦粉も買い足す。

 パイ生地を作るのに、小麦粉と、バター少々と、塩味のついた冷水を混ぜて、パトンを作る。これだけで、朝できる支度は終わり。二時間、冷蔵庫で寝かせなきゃならないので。

 昼食のあとにいよいよパイ生地を作って、ガレット・デ・ロワを仕上げようと思っていたら、JPが「映画を観に行こう」と言い出した。ほお〜、これは見逃すわけには行かない。しかも、親子でのお出かけを嫌い続けていたノエミまでもが「いっしょに行く」と言って、大慌てで宿題をやっている。(そのせいで、休み中に宿題を終わらせていなかったことがバレて、叱られるという羽目になった)

 カーモーでも、いよいよ3Dの映像が観れるという。ほお〜、それは知らなかった。
ゾエの選択で、ディズニーの「クロシェット」はやめて、Les Cinq Légendes を観ることになった。3Dで。
 JPは、映画館の割引がある10回分の回数券を常時用意している。でも、いつも置いてあるところに、見当たらない。ノエミがすごすごと「わたしが持ってる」と言い出し、「なんでおまえが持ってるんや?」と言われている。しかも、7回分は残っていたはずの回数券が、3回分しか残ってないし。。。そのせいで、JPに「おまえは自分のこづかいで観ろ」などと言われている。まあまあ、ここは穏便に。お正月じゃあありませんか、お父さん。  3Dを観るのにおもしろい眼鏡を借りた。20年ぐらい前に東京ディズニーランドで、マイケル・ジャクソンの、ものすごいアニメーションを観たことを思い出した。マイケル・ジャクソンに手を差し出されて「ぎゃあ〜」と叫んだわたしであったなあ。いっしょにいった下宿先の息子さんのルイくんが、いまのゾエぐらいの歳だった。

 始まるのを待つ間、さっそく眼鏡をかけて「わ〜、ゾエが3Dで見える〜〜」などと言って、娘の鼻をくすぐるJPとじゃれるゾエ。その横で、ノエミが「恥ずかしい、来なきゃよかった」と言っている。

 映画が終わってから静かに家に帰り、わたしはガレット・デ・ロワ作り再開。パイ生地はすでに三回転して、冷蔵庫の中で眠っているので、あとはクリームを中に詰め込んで、フェーヴという陶製のフィギュアを入れて、焼くだけ。

 いびつだけど、おいしそうにこんがり焼けた。でも、ものすごく油っぽかった。いつものアーモンドクリームじゃ芸がないので、そこに、《ミッシェル・ブラン》の、梨とチョコレートの入ったガレットをマネして、わたしは、リンゴのカラメル煮を加えてみた。
なかなかのデキ。

 明日から、ノエミが寮に帰る。
 さあ、母も、明日から、ガンガン働きますぞ。

切り込みを入れすぎました

サクサクなパイ生地でした〜



2013/01/05

新年会 其の一

「其の一」って題打ったということは、続きを予定しているってことなんでしょ〜か?

ゆうべの初稽古に、ブライアンが来ていた。ブライアンは中学二年生の男の子で、とっても複雑な家庭で苦労をしている次男坊だ。カーモーにはお母さんとその新しい恋人と住んでいたのだけれども、去年は中学で、なんだか悪いことばかりをしていた。。。らしい。 夏休み前の6月。人づたえにブライアンが転校するときいてびっくりしたので、町で本屋さんをやっているお母さんを訪ねて行った。ブライアンは友達に誘われるままに、駐車場の自動車に石を投げたり、夜に家を抜け出して遊び歩いたり(夜遊びするような場所は、カーモーにはない。公園などに集まって騒ぐだけ)、飲んだくれて立ち上がれなくなった日もあり、母親の言うことを何も聴かず、このままでは手に負えないので、新学期からパリのそばのお父さんのところに行かせる。。。とお母さんに教えられた。

 ブライアンは静かで、無口で、いつも居心地悪そうにもぞもぞしている。でも、ちょっと似ているもう一人の中学生アランとともに、道場ではいつもにこやかだし、泣き言を言わないし、どんなに怒ってもついて来るし、稽古には休まず来る。。。だから、わたしは「骨のある少年だ」と、かなり期待していたので、なんの話しもなくいつの間にか消えようとしていた少年の、わたしたちの道場での「位置」みたいなものが、ぽっかり空いてしまうのがもったいなくてしょうがなかった。

 ブライアンに「あっちに行きたいの?剣道やめるの?」と訊いたら、「行きたくない。みのり先生と剣道を続けたい」とはっきり言う。まっすぐわたしの目を見て言った。剣道を始めたころは、わたしの目をまっすぐに見ることなんかできなかった少年が。

 わたしは道場のみんなに「ブライアンを救おう!」というメッセージを送り、もう一度お母さんに会いに行って、悪い友達とウロウロしないように、わたしたちも気をつけるし、勉強の遅れや、コミュニケーションを取れない性格に関して、クラブのみんなで協力するから、どうにか考えて欲しいとお願いした。でも、やっぱり家庭の問題なので、夏休みが明けたら、ブライアンはもういなくなっていた。

 ブライアンから連絡がなかった。メール書いても返事がなかったし、お母さんの本屋さんに行っても、「いつ帰って来るかわからない」と言われるのみ。けっきょく楽しみに待っていたのに、秋休みには帰って来なかった。
 そうしていたら、お正月の初稽古に、フラ〜と、まるで「いつものように」という感じで、わたしがプレゼントした竹刀と木刀を持ち、大きな防具袋を肩に掛けて、道場のドアが開いた。みんな「おお〜、おかえりっ」という雰囲気だったので、本人もちょっとびっくりしていた様子はあったけれども、まるで先週もいっしょに稽古をしたみたいに、「ほら、急いで支度しろ」とか背中を叩かれているので、すぐに時間が戻って来たような感じがあった。お父さんの家の側に道場を見つけて、そこに通っていると言う。そこの先生は、有名な剣道一家の一人で、わたしも名前だけは知っていた。ブライアンによると、その先生は九月にパリで行われた昇段試験に参加していて、わたしを見知っていると、ブライアンに話したそうだ。「その時の昇段審査の結果も、先生から教えてもらいました。先生がみのりさんのことを褒めていました。」と言われた。ほお、それはよかった。

 うれしかった。ブライアンもうれしかったと思う。

 初稽古の日は、よそのお客さんが来ていて、大人同士の話しに花が咲いたので、ブライアンには「明日うちにおいでよ」と誘っていた。あさってにはお父さんが迎えに来るというので、どうかなとは思ったけれども、お母さんは、門限なしでゆっくりしておいでと言って、ブライアンを貸してくれた。

 子どもたちのリクエストにより、カレーライスを作った。ブライアンはおかわりをした。デザート(?)の餅も食べた。いっしょに招待していたシリルが持って来たゲームで、うちの娘達も一緒に夜遅くまで大騒ぎだった。ゲームのことまでは考えていなかったので、無口なJPとブライアンを相手に、いったい間が持つかなあと心配していたけれども、シリルのおかげでなんだかものすごく楽しい新年会になった。

 シルヴァンが「餅を食べるのが夢」と言っていたのに、今日は来れなかったので、次回は「シルヴァンと餅を食べる会」をやらなきゃならない。「新年会 其の二」に期待がかかる。「新年会 其の二」は、たこ焼きパーティーかな〜〜。

2013/01/04

修行中です

指宿の母が送ってくれた鏡餅、道場に置いてみた。
初稽古の日。じつは、今日の午後まで尻は重かった。。。1月1日までムッチャクチャに働いて、本日はまだ三ケ日なのに〜い〜。などと、じつは言っていたのである。

 フォントネイ・ル・コントという、すごく有名なクラブの若者三人衆が、ヴァカンスのついでにうちの道場に遊びに来たいって言ってるし、それに、うちのクラブの若いもん達も、年末年始に食べ過ぎたので、そろそろ動きたいんですと言って来ていた。
 
たしかに、わたしも、そろそろ動かなければならないので、あるので、ある

楽しい稽古ができた。フォントネイのクラブの若者三人衆。約一名のムッシュー五段は、とても美しい剣道をされるので、「模範稽古」まで見せていただいたのである。お相手はいちおうクラブの責任者なので、わたし。申し訳ないけど。ムッシューの構えが低くて、にっちもさっちもいかない。困っていたところ、胴を取られてしまった。不覚。そして、あとのお食事会で、「みのりの胴、低すぎて、だれにも打てないのに。。。あれはカッコ良かった」と、JPよ、そんなに目をキラキラさせて褒めないで欲しい。ムッシュー五段は威張らない。どうして、胴を打てたのかを自己解析する。そして、わたしは、得意な胴を打てず、不覚にも、逆に、なにゆえに胴を取られてしまったのかを、解析する。

 我がクラブ恒例により、持ち寄りお食事会で初稽古をしめくくる。生徒達のリクエストにより、お好み焼きとちらし寿司、ピザとケーキも数種類あり、楽しいお食事会となった。ムッシュー五段から、「とてもよい稽古会でした。素晴らしいクラブですね」と褒められた。彼の先生から「あのクラブには新しい五段の日本人女性がいるから、楽しんでいらっしゃい」と言われて、かなり期待をして来てくださったらしい。その先生とは、十年以上前に、パリの大きな大会で立ち会いをさせていただいた。過去のナショナルチームのキャプテンだった女性で、五分戦って相手の一本勝ちで試合場を降りた。相手は一分で切り上げるつもりだったと思うので、まあ、わたしなりによくがんばった。試合後に向こうからご挨拶に駆け寄って来てくださり、「ありがとうございました。とても素晴らしい立ち会いでした」と、負けた相手にお礼を言われた。そのような素晴らしい先生の育てたムッシュー五段と、同じ段位になって稽古ができたことが、とても幸せだ。
パリに引っ越しちゃってたブライアンも、休暇で帰って来たのでお稽古に参加できた。


 剣道から帰って来て、パソコンを開くと、今ナショナルチームの監督をされているラバイユ先生からメールが来ていた。11月ごろから毎日のようにメール交換をしている。さて、今日のテーマは、「修行」について。フランス語で説明しろという。SHUGYO なので「修行」なのか「修業」なのか、考えなければならない。剣道のことだから「修業」だろう。でも、「ムシャシュギョウ」と言ったら、「武者修行」なので、「修行」なのかもしれない。

「修行」と書くと宗教的な意味が大きく、この行いの先に得られるのは、恨み、妬み、憎しみなどのない精神的な境地で、そのために、滝に打たれるとか、山に登るとかの苦行をするらしい。
「修業」のほうは、習い事などで内容をよく「修得」するというようなことで、かなり技術的な要素が深くなると思われる。

 ラバイユさんは「剣道のSHUGYOについて説明しろ」とのことなのだが、剣道というのは、まず技術の習得のほかに、驚かない、恐れない、疑わない、惑わないというような訓練を強いられたりもするので、この「SHUGYO」はまさに「修行」のほうに近いのかもしれない。厳しい稽古は、「苦行」に似ている。そして、今日のようによそから若い人を受け入れたりすると、「武者修行」という言葉が頭から離れない。いろんな所に出かけて行って、いろいろな人の教えを受けて、出逢った人といつもとは違う稽古をする。。。

 これからもずっと修行の道を歩み続ける。いつか悟りの境地に達するのだろうか。先はきっと長いのだろう。おたのしみ、おたのしみ。

2013/01/02

行った年、来た年

明けましておめでとうございます。
健康で、夢いっぱいで、にこやかな年になりますように。


 去年に引き続き、12月の第三週目から1月1日まで、ミーさんちのケーキ・チョコレート屋さんでアルバイトをしていた。フランスの12月のチョコレート屋さんというところは、一年でいちばん忙しい時期だ。19日はまだ暇だった。クリスマスようのケーキの予約は始まっていたものの、肝心な「クリスマスケーキリスト」のほうはまだ出来上がっていなかったので、やることがない。ときどき職人さん達がラボからやって来て、裏で冷凍する作業などをやっているのを見るのが楽しかった。わたしたちはチョコレートの箱にリボンをかけたり、ショーウィンドーに並べるパッケージを準備したり、嵐の前の静けさがそこにあった。この週はまだ子どもたちが学校に行っていたし、わたしも日本語クラブがあったりしたので、片道30分の家と店を行ったり来たりした。

 ノエミの音楽学校のオーケストラコンサートを聴きにいくという余裕もあった。
 
 ケーキリストができて、22日からの冬休みに突入すると、お店は急に慌ただしくなった。ケーキ予約の電話が殺到。プレゼントを求めて目を血走らせているお客さんが殺到。お昼休みに家に帰る元気もなくなった。

 23日から26日まで、JPの弟達とその家族達が、両親の家に行かずに我が家に来て泊まっていたので、わたしは料理も、選択も、お掃除も、買い物も。。。家のことは何もしなかった。料理は弟達がして、子どもたちの世話は義理の妹がしてくれた。クリスマスのプレゼントも用意していなかったけど、わたしたちは毎日種類の違う《ミッシェル・ブラン》のケーキを食べた。

 クリスマスが過ぎると、売れ残ったケーキを毎日持たされたので、6種類のケーキ全部を毎日日替わりで食べることになり、しかも、落として売り物にならなくなったチョコレートの箱や、クリスマスプレゼント用の、スペシャル・チョコレート・セット(かけた半端品)なども、お持ち帰りをゆるされ、我が家では「もうダメ。。。」と言うまで、チョコレート三昧という幸せな年末となった。

 このドタバタの中で、12月20日に出版された、四冊目の翻訳の本が手元に届き、日本からは、お餅の入った母からの小包も届いた。

 

 ミーさんのアルビのお店が拡張される。売り子さんの同僚達が、わたしにも履歴書を出しなさいよと言ってくれる。「みのりは商売に向いているよ」と言われる。そりゃあ、そうよ、商売人の娘だもの。いっしょに働く人たちに推薦されるというのは気持ちのよいもの。ミーさんにも、ミーさんの奥様にも、気に入っていただいていると自負している。とても居心地のよい職場だ。でも、1月1日に考えたのは、わたし、やっぱり、今年は翻訳と日本語と剣道を、徹底的にがんばろう!ということだったのだ。

 これまでずっと続けて来た、日本語を教えるという仕事を、辞めて新しいことを始めようと、この数年いろんなことに挑戦して来た。去年は、レストランでも働いて、厨房というところも、とても好きな職場だった。売り子の仕事もいろんな出会いがあって楽しい。でも、レストランもお店も45歳で新しく転職するには、体力的にじつに大変だし、そのせいで、一昨年から病んでいる足も、なかなかよくならない。

 剣道のほうも、運良く昇段試験に合格できたけれども、昇段試験に合格したせいで、責任が重くなって来た。もっと身を入れてやらなければ、期待されたように上達できない。アルバイトをやるために、自分の道場をお休みするというのは、とても辛いし無責任。アルバイトのせいで居合道のほうはぜんぜんできずにいる。

 とりあえず、やめようと思っていた日本語のほうに、今年の新学期から引き戻されたのは、これは何かの縁だぞと感じたし、こうやってはなしが来るのも、おそらく日本語教師の仕事にむいているという証の「一部」であるのだろう。翻訳の本も出たばかりなのに、また次が待っているから、これはこれで真剣に取り組まなければならない。今年はフランス語訳のほうもやりたいし。頼まれてるし。。。

 あれこれやり過ぎて、無理をしたり、何もかも半端で投げ出すのは避けよう。。。それが、今年の目標。


 さあ、秋に元気に日本に帰れるように、がんばるぞ〜〜。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。