2009/06/29

つかれている

 わたしの内臓と頭はすこぶる元気だ。
疲れているのはパソコンだ。
いきなり漢字が書けなくなる。
なので、仕事に差し支える。

 仕事といっても、翻訳の方はまあまあ進んでいる。

 内臓と頭は元気だけど、肉体はがたがた。
この前ちょっと剣道やったら、そりゃも〜大変だった。
なので、いまだに指圧に通っている。
 指圧でもよくならない部分が約二カ所あるもので、指圧師のJMG氏を裏切って、スポーツDr.なる医者のところに行く決心をした。
柔道でぼろぼろに怪我をした知り合いのヤンさんが、めでたく畳に復帰したときいたので、ヤンさんを奇跡的に治した医者の名前を教えてもらって、紹介状もないくせに「今日行ってもいいですか」と割り込み、その日のうちに診てもらった。レントゲンとエコグラフィーを撮って出直すように言われたので、あさって出直す。7年前と2年前に怪我をした時のレントゲン持参で。

 ノエミは夏休みに入った。中学では今週、4年生の卒業試験があるので、卒業試験を受けないこどもたちは、先週の木曜日から休みに入った。小学校はなぜか7月2日、木曜日の夕方から夏休みとなる。金曜日でもない。30日でもない。なんかよくわからないけど7月2日木曜日から夏休み。なんかわからない日付なので、わかりやすい30日頃から、自主的に夏休みに突入する家庭も多いに決まっている。とにもかくにも、新学期は、これまたわかりにくい9月3日木曜日から。どうして?しかも、なにゆえに、こんなに長いんだろう。

 ゾエの成績表はすばらしかった。進級決定。仲良しのアリアンとマリも同じクラスに上がる。新しいクラスはすでにはり出されていて、教師に「XXちゃんと同じクラスにしないでください」などと申し出る親が続出している。ゾエの新しい先生は、(たぶん)中国人なので、またまた「何かアジアティックなことをやりましょう」と言われるに決まっている。でもじつは、今年PTAにはほとんど参加しなかった。わたしが参加しなくっても、ちゃんと運営されていたので、来年もわたしなんぞが参加しなくてもちゃんとやっていけるさと、ちらり思っている。

 来年度は、もっとちゃんと剣道やりたいな〜、調理師の勉強したいな〜、指圧の研修受けたいな〜、仕事バリバリやりたいな〜、と。。。自己中心な目標がいっぱいなのだ。このごろ子どもたちはとおっても成長してしまって、こんな母なんぞがバックでうろちょろしなくても、なんでも上手にできるので、わたしはわたしの好きなことをやろうかな。。。など思ってしまう。そうしたら、ストレスもたまらず、平和で明るい家庭が保証されるんではないだろうか。子どもたちにぎゃーぎゃー言うのをどうにかしてやめたいと思っているのだけど、ど〜も、子離れができない。

 今だってけっこう好きなことをやり放題では、ある。
夏休みには、ノエミがキャンプ、ゾエがナルボンヌに行き、JPは仕事というので、わたしはひとりでうちから5時間もかかるBOURGESという所に、四泊五日の剣道合宿に行く。身体はがたがたなんだけど、やる気はいっぱいなので、いちおう行ってみる。朝から晩まで剣道づくしとは!筋肉モリモリになるのは確実。最後に夏に剣道やったのはいつのこと?体力、大丈夫だろうか。
 いちおう有段者なので。。。授業を3時間ほど行うことになった。わたしなんかが講師とは、これはろくな合宿にならないだろう。テーマはすでに決まっているものの、原稿を書かねばならないので、パソコンが疲れて動きたがらないのは、非常に困る。

 と、ここまでこんなにうだうだ書いたのに、パソコンが最後まで壊れなかった。不思議だ。「仕事しろ」ってことだろうか?

 JPがパリに出張なので、つい夜更かしになってしまった。JPは、組合の会議のためと言って、しょっちゅうパリに行っている。しかも、お昼は持ち寄りということになっているので、「何か作って」と言いつつ、本当は「巻きずし作って」と言っていると同じなので、ちゃんとまきずしをつくってもたせた。

 あ、ほら、かんじがかけなくなった。
わたし、もう、ねる。

2009/06/23

学年末のお祭り


大好評だったいれずみ。。。
    ゾエのは従姉の名前。 

 もうすぐ夏休み。
学年末のお祭りが行われた。
今年は、PTAの役員会をさぼってばかりいたので、折り紙のスタンドを外された。
暑かったせいか、集まった人の数が例年よりも少なかった。

夜は、校庭にテーブルを出して、食事会となった。
ノエミが大きな顔をした小さな子にキレて、さんざん追っかけ回した上に泣かせた。
困ったもんだ。

翌日、その大きな顔をした小さな子のお母さんに電話したら、自分ちの子はじぶんのいうことをきかないので、よその人が叱ってくれたら、助かる「ありがとう」と言われた。
いまどきめずらしいなあ。

 

にほんごクラブ展示発表会






 6月2日から8日まで、中学校の図書館内一角で、にほんごクラブ部員による発表展示会が行われた。
外部からのお客様、教師陣、全校生徒の注目を集め、大好評のうちに幕を閉じた。
校長先生からの電話で、「わたしも日本語を習いたくなった」との感想をいただいたが、クラブの子供たちからはブーイングが出ていた。中学校は4年生の卒業試験の期間に入るため、1年生から3年生までは、6月26日の夜からいよいよ長い夏休みに突入する。
にほんごクラブも、6月22日のおやつ会を最後に終了した。全員が、来年度もクラブ参加を希望している。楽しみ。

2009/06/08

週末は農家で





 週末は農家で


          草原の羊の群と子どもたち


          屋内の羊、屋内だけど広々とした放し飼い


          谷を越えて、丘の向こうから見た農家
          「これからの生産、これからの消費」について討論中 

 毎週1回、無農薬野菜を買っている農家は、アマップという全国ネットの組合みたいなものに入っている。日本のいわゆる≪提携生産者≫と≪共同購入会≫の関係が、リッシャーとわたしたちの関係ではないかと思う。この組合の見本は日本の仕組みをもとにしていると言われたから、そうなんだろう。
 今年の冬は野菜が少なく、一番寒い数週間には野菜をもらえないこともあった。それでも共同購入者は年間費を払っているので、収穫のないときにリッシャーの仕事と生活を経済的に助けることができた。よい季節がやってきて、この頃では毎週毎週、山盛りの野菜を運んでもらっている。

 金曜日は月例の夕食会の日だった。持ち寄って、リッシャーの農場で晩餐会となった。リッシャーが手作りしている飲み物がふるまわれ、みんなは農場で作ってもらった新種の野菜などをつかった、自慢料理を持ち寄った。
とても寒く、おまけに夕方には2時間に30センチもの雨が降ったような日だったので、にんじんの葉っぱで作った即席スープが美味しかった。

 土曜日は、草刈りの手伝いをすることになっていたので、少々の雨なら大歓迎なのだが、こんなどしゃ降りだったらどうする?とみんなで顔を見あわせた。

 土曜日。お天気は良くはなかったけれども、前日のような大雨ではなかったので、JPとゾエは草むしりの手伝いに出て行った。
 雨が降ったりやんだりしたので、外の畑と、ビニールハウスとを交互に、二十人ぐらい集まっての草むしりとなったらしい。ゾエは、ラディッシュをひと束もらってきていた。ゾエが自分で抜き取ったらしい。土がたくさんくっついていた。

 日曜日。県内のアマップメンバーが集まっての、大ピクニックの日。会場はわたしたちの知らない農場だった。県内にある10ぐらいのアマップが集まったのは、野菜の農家ではなくて、お肉の提携生産をしている農場だった。羊のお肉を卸している農家だ。ほかにも、リンゴの生産をしている人、ニワトリの生産をしている人たちも集まっていた。

 リッシャーが完ペキ・ベジタリアンのせいか?リッシャーの農家に集まっている人たちのほとんどはベジタリアンかそれに近い暮らしを目指している人たちが多いので、わたしたちのグループではお肉は購入していない。秋から冬にかけての数ヵ月間、ひと月に5キロのリンゴを購入した。冬にはリンゴしか食べないと言っても過言でない我が家では、一カ月に5キロのおいしいリンゴはとても助かった。

 ピクニックには、副菜とデザートを持参することになっていた。持って行ったコップに飲み物を注いだら、自分で飲まずに知らない誰かにプレゼントし、自己紹介をし合うことになっていた。みんな胸には名前を書いたシールを貼った。
 わたしに飲み物をプレゼントしてくれたピエールさんは、イスラエルのキブツで、昔、日本人のシンゴさんという人と友達になったんだよと教えてくれた。イスラエルにまだ壁も大きな建物もなく、大自然の中で人々が豊かな食物を生産していた時代だったよとさびしそうに語っていた。シンゴさんは、今でも日本で農業をやっているかなあと空を見上げた。ピエールさんは、羊のお肉のバーベキューを受け持っていた。白ワインとバニラと、炭酸水とレモンをミックスした自家製カクテルで乾杯した。子どもたちのコップには、ぶどうとリンゴのミックスジュースに、イチゴが浮かんでいた。

 大人たちが「これからの生産。これからの消費」について討論会をするというので、子供たちにはトラクターでのドライブが提案された。子どもたちはトラクターに乗って、谷を越え、丘を登って、農家の向こうに見えていた牧場に向かった。そこには羊が群れをなしていて、大きなロバが無限に広がる草原で、のんびり草を食べ続けていた。

 ノエミが、隣で羊が寝てるのに、食べることなんかできないと言ってバーベキューに手を出さなかったことと、ロバに近づきすぎて、手を噛まれた以外は。。。。。。
 とっても良い一日だった。

2009/06/06

すごい知らせ

 五月に『わたしは忘れない」の第二刷ができることは、前に知らせをもらっていた。
さらに、第三刷もできるという知らせが届き、思わず目を疑った。
なにかの間違いじゃないかと思った。

 母に、まさかこの世の中に、仕事もしないでお金が入って来るなんてことがあるとは信じられないよ。。。というようなことを話していたら、母が、
「それは仕事しないで入って来るお金じゃない。本が出るまでに沢山仕事して。よい仕事をした結果なのだから」
と言われた。とっても嬉しかった。

 第二刷目には、一カ所だけ訂正した部分がある。
さあ!第二刷目か三刷目を買って、間違い探しをしよう!!(商売してるなあ〜)

 子どもたちが、夏休みの読書感想文に、この本のことを書いてくれたらいいな、と思っている。


 

2009/06/04

ここのところ

 忙しかった。疲れている。夏になった。暑い。

 一ヶ月ぐらい前には、自分が本来一番にやるべき新しい子供の本の翻訳を、ガリガリやっていた。

 そこへ、剣道仲間から、明治時代の短歌の翻訳を頼まれて、2足のわらじになった。
学生のころはいちおう文系だったので、万葉集や伊勢物語、漢文も古文も、古典も近代文学もやった。1年生のころはとおってもまじめで、万葉集がけっこう好きだった。一番好きだったのは漢文だったけど、今はもうすっかり漢字が読めなくなった。

 《和歌》というと、万葉集のあれか?と思ってビビっていたら、5-7-5-7-7の短歌は短歌でも、明治時代のものなので、言葉はそれほど難しくなく、読むうちにおもしろくなった。一時期自分の本来の仕事も忘れて、どっぷり浸かってしまった。友だちへの葉書に「お元気でせふか」と思わず書いてしまったときには、我ながらにんまりしてしまった。

 そうこうしているうちに、いちおうこっちも《本来のシゴト》である、特許翻訳の仕事が入った。最初に原稿をもらった時には、10ページぐらいで、期限も二週間くれるというので、へいへいOKの返事をしたら、なんと,ほかにもわんさか資料がくっついて来て、合計100ページを越える仕事となった。入って来る金額も変わって来るので、つい、「ま、いいか」と思って仕事を始めたら、「ま、いいか」どころじゃなかった。しかも、最初の三日で進めた17ページを、四日目に寝ぼけてやった操作が運のつき、全部、ことごとく、見事に削除してしまい、「信じられん、信じられん」と泣きながら、朝から晩まで、夜中から明け方まで、パソコンに向かった。

 二週間もらえるはずだった期限の中に、三連休が含まれていて、わたしは「この三連休があるから、カンペキ終われるぜ」と思っていたら、「三連休の前に出して」と言われ、書式を整えたりなども、全部やれというので、ホトケのわたしには珍しく、「わたしの仕事は翻訳だけなので、それは勝手にやってくれ」と冷たい返事で突き放しヒンシュクをかった。
 
 「あと1回、週末が残ってるし」と思っていたら、「コランの誕生日だからお祝いをするよ」とナルボンヌから電話があり、仕方なくパソコン持参で出掛けたら、パソコンのコンセントを忘れてしまって、バッテリが切れる前の二時間しか仕事できなかった。お義父さんのパソコンを借りて部屋にこもる。「みんな、プールで遊んでいるわよ。あら、仕事?」とお義母さんに嫌味を言われ、お義父さんのパソコンは日本語が書けないので、インターネットに行って、日本語が書けるように調整して(人のパソコンなのに)。。。とにかく、あわただしく提出したら、提出の日になって、「本文中の記号が図の記号と違っていたので、日本語のも書き直してください」と言われた。
 
 じつは、もとのフランス語の方に、沢山間違いがあった。わたしが図とつきあわせて訳しながら、何カ所も間違いを指摘して、訂正がきて、書き直しをさせられた。よくこんなのでフランスでは特許もらえたね、と思った。プラスティックの容器を作る機械操作に関する申請書類なのだ。おかげで、プラスティック容器のことにずいぶん詳しくなった。
 それにしても、世の発明家たちというのは、とんでもないことを研究しているんだなあ、とつくづく感じる。2000ミリ毎秒の世界や、60度から14度の間で行なわれる微調整の世界で、毎日よりよい社会(?)がやって来ることを願いながら、研究に研究を重ねているんだなあと思う。フランスでは取れた特許が日本で取れなかったら責任重大だ。翻訳のせいで特許が取れなくて、訴えられたらどうしようと、じつは、思っている。

 さて、この間に、中学校でのにほんごクラブ、展示会が開幕した。

それから、もうひとつ、すごいニュースがある。これは次回。