2006/01/05

でき そこない (本当はやれるのに、うまく見せられなかった)

 専門家による3歳児検診。問診のほか知能テストや健康診断が行なわれた。
 昨日家で特訓した、飛ぶ・ボールを投げる・片足で立つ、あたりはおもしろがっていたが、だんだんゾエの元気がなくなって来た。
 色の質問や、影絵から物を判断するテストで、口ごもり始めた。「この色なに?」と言われて、当然「赤」と元気に応えると思っていたら「わかりません」というのでびっくりした。

 続いて「プティ・ボノムを描け」と言われた。丸と四角と棒線を使って、人の絵を描けたら合格となる。 実はノエミもこれでつまづいた過去がある。二人とも絵を描くのは好きな方だ。3歳のころ、すでにノエミは、ドレスにアクセサリーをつけたお姫様を描くことができた。それなのにテストの日「プティ・ボノムを描け」と言われて呆然としていた。私に「だれ、それ?」と訊いた。「誰でもいいから好きな人を描いて」とか「ママを描いて」と言ってくれればよかったのに。

 さて、ゾエは普段から動物や乗り物の絵を描くのは得意なのに、丸と四角と棒線でなにやら知らないものを描けと言われて呆然としている。文字を書くための導入で、幼稚園でも「丸と四角と棒線を描く」練習をしているが、それを検査するなら「丸」とか「四角」と言ってくれればわかるのに。検査用のマニュアルがあるので、言葉を言い換えたり「好きなものを描け」と言ってもらえないのがしゃくに障った。検査の人とゾエの関係がぎくしゃくし始めた。

 次に絵見て、物の名前や動作をいうテスト。「この犬、何してる?」との質問に、ゾエよりも呆然としたのは私の方。「座っている」と応えるべきなのかな?と考えていたら、ゾエが黙っているので検査の人が怒ったように「犬小屋の前にいるのよね!」と言った。「前」と「後ろ」を判断するテストだったのなら「どこにいる?」と訊いてくれたらよいのに。

 イルカが頭を上にして描かれている絵でも「何をしている?」と訊かれ、これは大人の常識で私も検査の人同様「ジャンプしている」という応えだったのだが、ゾエは「イルカは浮かんでいる」と言った。水面を泳いでいる、ということ。でも、浮かんでいるか、泳いでいるか、ジャンプしているのか誰にもわからない。そこにはイルカが描かれているだけで、背景は描かれていないので「いまイルカが何をしているのか」は誰にも言えない。
「イルカはどんなことをする動物か」と解釈したら「イルカは水の上をぷかぷか浮かぶことのできる動物」とも言えるかもしれない。

 そして、その検査の最後の絵を見て、ゾエが「わからない」と言った時には、もう連れて帰ろうかと思った。その絵はゾエの大好きな「オートバイ」だったのだから。完璧にやる気をなくしているらしい。

 聴診器で心音を聴いてもらうことも、聴力・視力検査も、体重測定や身長測定も、全部拒絶し、泣きわめいて暴れまくり、不機嫌そうな顔の検査官に、続けられないと言われた。
 ノートに「検査拒絶」「三部構成の簡単な人物画さえ描けず」という表記。
 わたしは、検査の人に自分の子供が「できそこない」と評価された気がして辛くなった。このままだと進級できないんじゃないかと心配になった。

 でも、問題はそんなことではなかった。そんな1日のテストで評価できるはずがないのだ。そして、親が「この子はこれができる」「こういう言い方をしたらわかる」「こんな風に言えば自信を持つ」というようなことがわかっていたら、それでいいのだと思った。検査の人の態度や、子供との接し方をみていて、「これじゃだめだ」というのがわかっただけでも得をした。あんな人たちからの評価に惑わされることはないのだ、と思えるようになった。

 教室に戻り、担任の先生にゾエの様子や評価を見せ、親として憤慨していることを伝えたら、身体検査などは、明日またやり直してもらえるように頼んでくれるとのこと。先生は自らクラスでの様子やいつものゾエのことを、検査の人に話してくれるとのこと。
 「知らない人がいきなり来て、いろいろ命令したのが悪い」と先生は言う。クラスにも、泣いて検査に応じなかった子がほかにもいっぱいいたらしい。
 「いつも接して、子供と行動をともにして、毎日話して、たまには個人的にじっくり話し合ったりしなければ、子供のことはわからない。ゾエは今日調子悪かっただけ。成長に関しては心配しないように」と元気づけられた。

 母親が側にいたから、甘えていたのかもしれない。「わがまま言ってないで、早く服を脱ぎなさーい」といつも通り怒鳴っていたら、服ぐらい自分で脱いだかもしれないが「泣くので、中断して帰って来た」という状況は、ただの甘やかしとどう違うのだろうか。

 強制することと自由にさせることの境界がつかめない。不安だ 

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