2010/04/30

むしゃくしゃしながら武者修行

 母に電話したら、自宅の電話が携帯に転送され、
「グランドゴルフの最中で、友達が待っているから、あとで掛け直してよ」
と言われた。こういうときわたしはうれしくなる。
 健康食品を買った、旅行に行った、グランドゴルフのあとの打ち上げにも参加してカラオケもやったとか、また友達と旅行を計画している、中学校の同窓会の役員ではまっている。。。そういうのを聞くと、とってもうれしい。

 母が今のわたしの年齢のころ、子どもたちの学校のことにも熱心に参加しているのを見ていたし、家族であちこち出かけたり、人がちょくちょくやってくるような家だったので、毎日慌ただしい姿を見てはいたけれども、自分の楽しみだけのために、時間も気にせずに出かけたり、自分一人のために好きなものを買ったりする母は見たことはなかった。一人暮らしになってようやく一人の楽しい時間の見つけ方も覚えたらしいのを見ると、とってもうれしい。
 そして、四・五十代には付き合いの薄かった小学校や中学校の友人たちと集まって、こんどはいっしょに歳をとって行こうねと誓い合って仲良くしている姿も、うらやましいというか、頼もしいというか、すごいことだなあと思う。

 母にフラレタあと、「いっしょに歳をとって行こうね」と誓い合っている、フランスの貴重な友《とし》に電話した。彼女も誕生日だったので。毎年必ず電話で「おめでとう」を忘れない友達で、毎年必ず直接「おめでとう」と言ってくれる友達だ。《とし》は、うちの母とは違って「掛け直すから」と言ったらがちゃんと電話を切り、その言葉通りすぐに掛け直してくれる。そして、わたしたちは二時間近くもおしゃべりをした。

 としの電話を置いたら、入れ替わりでアルビの友達からの電話も鳴って、彼女とは仕事の話やインターネットのことや、夢や健康の話を一時間ばかりした。彼女がちょっとした病欠で仕事を休んでいたおかげで、きのうは長話をすることができたけど、普段は働いている人なのでなかなか会うことも話をすることもない。一番近くに住んでいる友達なのに。病欠は困るので早く元気になってもらいたいけれども、もっとおしゃべりをする時間もほしいなと思った。

 お昼過ぎに母に電話をして、1時間ぐらいおしゃべりをした。そのあとノエミから電話が来て、ノートを忘れたと言うのでキレた。ノエミのノートを届けるついでに、事務所に行って、特別にロッカーをもらえないかと相談した。
 じつは春休み中に背中が痛いと言うので、もともと脚が曲がってるせいと姿勢が悪いせいだろうと思い、ジェネラリストでキネに行くための手紙を書いてもらおうと思って連れて行ったのだ。そうしたら、側わん症という背骨が曲がっている病気が見つかったのだ。もうこれからは重いかばんを一日中背負って過ごすのを黙って見ていることはできない。

 中学生はアメリカ映画で見かけるようなロッカーを持たされて、一日に使う道具をそこに片付けることができるのだが、ノエミの学校ではロッカーが足りないので、三年目と四年目の子どもたちは今年からロッカーを与えられなかった。ロッカーのない子どもたちは朝持って出かけた道具一式約12-3キロを一日中背負って過ごすことになる。ノエミは行き帰りも徒歩通学なので、朝七時半に家を出る時から夕方五時に戻ってくる時まで、そのかばんとつきあっている。

 骨が曲がってしまうのがかばんのせいではなくても、曲がっている骨のレントゲン写真を見てしまった親だったら、だれだって黙っていることはできないだろう。それで自動車を廃車にすると言っていたJPを説得し、送り迎えにも自動車を使うことをわたしが決めた。だって、わたしにはそのかばんを持ってあげて、歩いて学校までいっしょに行ってあげることは到底無理なので。じつはこれまでもJPには内緒で、かばんの重い日に限りノエミを送ってあげていた。



 さて、今週はずっと友達の子どもまで預かっていた。朝ごはんと昼ごはんを食べさせて、送り迎えをしてあげなければならなかった。うちの子たちよりも小さいし、小さいのと自分の子供じゃないせいで、習慣の違いとか理解できない心のタイミングが見え隠れし、困らせられることもあった。よく考えたら小さいからしょうがないのに「ああ、なんでこんなこともわからないんだろう」とか「なんでこの子たちはわがままなんだろう」と思うことなどもあり、うちの子たちみたいに厳しく言ってしまうこともあった。うちで言ったことやあったことを自宅で親に話すのはもちろんいいのだけど、親にちゃんと伝わっていなかったり、間違って伝わっていたりして、あとで弁解したり言い訳する羽目になり、すごく不愉快になることもしばしば。この数週間子どもたちを預かったせいで、大の仲良しだったモーガンとの人間関係が、ぎくしゃくし始めている。

 以前から、いくら説明してもモーガンには、わたしは家にいるから仕事をしていないと思われている節があって、たとえば電話をとるたびに「寝てた〜?」と言われることや、「いま邪魔じゃないかな?」って訊くこともなく、相手はテレビ見ながらなにか食べている様子で、だらだらと世間話をするようなこともある。たまには「今シゴトしてたんだ」とか言ってみるのだけど、わたしの仕事っていうのはあまりよく理解されていない。だから、子どもを預けるのはお金が掛かるとか、だれでも信用できないからとか、うちの子は小さいからとか(ゾエと同じ年なのに)言って、子どもをうちに連れて来られると、なんか、むしゃくしゃしてしまう。はじめはこんなに長く続くとは思ていなかったので、はっきり困るとは言えなかったし、どうせ家にいるんだからとお思って軽く請け負ってしまった自分も馬鹿だった。

 わたしにはそういう便利な人がいなかった。子どもたちを10ヶ月のころから預けて、泣かれても、泣きたくても、お金掛かっても、ちゃんと自分だけでやっていた。大変だった。だから友達が困っているなら協力してあげようと思ったけど、そうなのだ、こんなに長く続くとは思わなかった。自分は自分だけでやってきたという思いが強いせいか、困っている友達にも自分のことは自分でどうにかしてよと思うあたり、わたしは厳しいんだろう。友達甲斐がない。ああ、情けない。

 それで、いろいろ考えたら、友達に対して腹を立てているとか、友達のしつけが悪いと思っているとか。。。そういうことじゃなくて、わたし、小さな子供があまり好きじゃないのだと思う。優しいことも言えないし、甘やかせないし、わがままは許せないみたいだ。自分の子どもたちも、さっさと大きくなって、さっさと出て行ってくれと思ったりしている。その点わたしなんか二十歳まで親に飯を作らせ、二十歳過ぎても親にお金を借りていたので、ホントーにどうしようもない娘だなと思う。

 21歳で日本を出たわたしも43歳になった。これからどんどんフランスでの人生の方が長くなってしまう。

 

 

2010/04/28

成長したかな〜

 4月29日の話題にしようと思って、ネタをいろいろ考えていたら、
「あれ?これって、数年前にも書いた?」っていうような思いが走った。

 2006年のお誕生日にも、JPは、だれよりも先に28日の朝に『おめでとう』と言ってしまい、「プレゼントはなにがいい?」と訊かれれば、「なべ欲しい。高級鍋!」とわたしは言うのである。そのまんま2006年。
2006年の日記に書いてあることで、大きく変わった点は、台所の壁はがしが終わったことだ。

 わたしの暮らしをよく知っている友達だったら、みんなが「台所の工事、やっと終わったの?おめでとう」と言ってくれるだろう。
引っ越してから4年も掛かって、台所の壁が美しく塗り替えられた。
はあ〜〜幸せ。
 なので、今年のお誕生日には、ちゃんと、きれいになった台所で写真を撮ることができるのでお楽しみに。

 『今日はみどりの日だ』と2006年には書いているけれども、今年の日本のカレンダーを見たら『昭和の日』になっていた。一体どうなっているのだ?成り行きは想像できるけれども。43年前からずっと《みのりの日》と思っている友人たちが、前日からたくさんのメールを送り続けてくれている。嬉しいことだ。みんな《天皇誕生日》に玄関に旗を揚げた覚えがあるのか、あるいはゴールデンウィークがはじまったので、わたしのために時間を作ってもらえたんだろうか。

 29日には、同じお誕生日でフランスで一番仲良くしている鹿児島県民《とし》に、まず電話をしてお祝いを言い合う。何年かして子どもたちがいなくなったら、《とし》と二人でどこかパリ辺りにでも行くか、フランス高地の温泉にでも行くか、ピレネーかアルプスの山小屋で過ごすか、海を渡って日本で花見をするか。。。とにかく二人で、二人のお誕生会をやるのがわたしの夢だ。

 家族とは、平日なので普通に過ごす。ゾエが、土曜日にチョコレートケーキを作ってくれるんだそうだ。ノエミには肩でも揉んでもらおうか。43歳ねえ〜〜。シブいねえ〜。

2010/04/26

ごぶさた

 3月から、ずうっと、忙しかった。
冬休みにパリからリリーが来て帰ったと思ったら、もう春休みが来ていた。
フランスの小・中学校は、五週間勉強したら二週間の休みがある。
つまり、九月に新学期が始まったら、五週間後には秋休み(トゥッサン)が二週間あり、そのあと五週間勉強したら、二週間のクリスマス休暇があり、冬休みはそのまた五週間後で、春休みも二週間ちゃんとあって、五月には連休が続き、それでも足りずに夏休みは二ヶ月もある。

 二月からずっと週末は。。。
義弟の結婚式の準備、
結婚式本番、
リリーが来て、
財布を盗まれ、(ここまではブログに書いた)
秋からやってる指圧の講習会に行き、
剣道の泊まりがけ講習が続いて、(四週間のうち週末三回分)
指圧と剣道で必要な応急処置講座に通わねばならず、
そのあと家の中の人間関係が、一時冷戦凍結状態になり、
さらに次の指圧講習会を迎え、
いきなり子どもたちの春休みが訪れ、
毎日子どもたちは家でゴロゴロするし、
人の子どもまで来るし、
《エコロジーな春休みにしよう》の決断で車なしの生活がスタート、
そのために、一日に三回も買い物かごを下げて出かけ、
だから2キロ減ったが時間も減ってしまい、
時間は減ったが体重が減ったのでうれしい。
そうやってる間に春休み最後の週末。
また指圧の研修で家を開けた。

 ロデツの剣道クラブが祭りで客寄せをやるというので参加させられ、
翻訳の納期に襲撃され、
ミーさんの用事でおシゴトに呼び出しを食らい、(ミーさんの名古屋のお店は大繁盛)
ラボでマシュマロ食べ放題の拷問に遭い、
お店でイースターのチョコレートをいただいた。
減った体重もすぐに戻る。

 来年度に自分の剣道クラブを作ろうと、せっせと活動中、
指圧のお勉強は大変ややっこしく、
JPが台所にペンキを塗り始めたので、家中はホコリまみれで、
屋根裏部屋の工事も再開したので、家中ホコリまみれで、
子どもたちが家でゴロゴロしているので、家中はホコリまみれで、
わたしは出かけてばっかりなので、家中はホコリまみれだ。

 と、いってる間に、今日で春休みが終わったので、明日から平和なひとり暮らしがはじまる。(昼間だけ。せめて昼だけでも)

日記を書かないでいた間に、コメントを書いて下さった方が新しく加わり、「一体どうしちゃったんだろう」と思いながら、読んでくれる人もいるのかと思えば、やる気がまた出てくる。よし、がんばろう。
 《メッセージ》メールをありがとうございました。ウサギのお人形がとってもかわいらしいので、剣道の友だちに宣伝しました。メールを書こうと思ってFaceBookを訪ねてみたのですが、メールが送れなかったんです。わたしは Daniel Minori で出ております。子どもたちの絵も載せてます。どうぞよろしく。

 フランス剣道協会のサイトで、《剣道の日本語》っていう日本語レッスンのコーナーを始めたら、なかなかうけている。いま第八回まで来ていて、弟九回のネタはもう温まっている。
「自分で本を出して売ったら?」と言ってくれる剣道仲間がけっこういて、ここのところの前代未聞の大赤字で泣きを見た我が身には、おいしいお話。第二十回ぐらいまで続いたら、出版も考えられるかもしれない。ま、そのうちに。

 わたしの三冊目の翻訳は、この前やああああっと最後の原稿を送った。なんかやけに時間を掛けてしまった。31日までに出してと言われれば、31日まで粘るので、編集さんはドキドキしていることだろう。挿絵の画家さんも決定したので(二冊目とは全然違うタイプのお話なので、挿絵も全然違うタイプ)今年の終わりには、日本の本屋さんに並ぶのではないかと期待している。フフフ、お楽しみ。

 さて、あしたは朝七時から、またしても友達の子どもを預かる。といっても、ゾエと同時に幼稚園に連れて行ったら、わたしはボボと二人暮らしになる。み〜〜んなの春休みが終わった。あしたから、指圧のお勉強を徹底的にがんばる。五月にはパリの診療所での研修があり、試験は六月。フランス語で15ページの論文も書かねばならない。日本人の動作とヨーロッパ人の動作にについての比較。武道と両国の文化に関連づけた論文にするつもり。もうアイディアはあるのでどうにかなる、と思う。
あとはマックが爆発しないことを祈るのみ。
もうキレかけている。マックにも休みが必要か?

 五月に今やってる日本語レッスンが全部終わったら、来年度からは日本語教師を辞めるつもり。
やりたいことが山のよう。春だもの〜。(この辺りは日本人だから?)
そして来週にはまた一つ歳をとるので〜。


ここで一句
体力が
あるうちやらんで
なんとする
ゴロゴロしてても
肥えるだけなり。。。。
   43歳、決断の時!じゃじゃ〜〜ん。