2009/05/14

あたらしいパスポート



          青いのは5年前に作った、今までのパスポート。
          赤いのはこれから10年のパスポート。

 9月にパスポートが切れる。
 5年前に父が病気になって、大慌てで帰ることになった時、子どもたちと3人分のパスポートを作った。
子供たちは日本のパスポートをちゃんと一通ずつ持っているが、それも5年経ったので切れる。ただし、フランス人の父親(JP)のパスポートにいっしょに載せることができることが分かったので、今回はもう日本のは作らなかった。
 
 5年前にパスポートを作った時には、まさか、またすぐに続けて帰れることになるとは思っていなかったので、どちらにしますかと言われた時に10年用のパスポートは選ばなかった。9年ぶりにやっと帰国したんだから、どうせこのあとは10年ぐらいは帰ることなんかできないだろうしと思っていたから。
 
 フランスは出国の時にも、入国の際にも、パスポートに判子を押さない不思議な国なので、《日本帰国》と《日本出国》の判子は並んでいるのに、どこから帰って来て、どこに出て行ったのかはナゾ。
 結婚する時に、書類に《フランスに入国した日》を証明する欄があったので、市役所にパスポートを持参したら、フランスに入国した日付がどこにも記入されておらず、いくら「日本を出国した同じ日に、フランスに入国したに決まってる」と言っても、聞き入れてもらえなかった。確か、航空会社に証明してもらったのではなかったかと思う。昔のことなので、忘れた。

 結婚してもうすぐ丸13年。へ〜早いなあ。

パスポートはこれで4冊目になる。
1冊目は真っ赤で大きなパスポートだった。東京で作った。さっきその古いパスポートを見ていたら、21歳のわたしが膨れっ面で写った写真があって、髪の長い自分が、このごろのノエミにそっくりなので、おもわずびっくりした。このごろノエミが電話に出るびに、わたしの名前で呼ばれているらしい。

2冊目と3冊目のは紺で、手に載るほど小さいフランスと同じサイズのに変わった。朱色の方が日本らしいのにとフランス人に言われた。中国と間違ってたんだろう。
フランスには、運転免許証みたいなプラスティック製の身分証明証というのがあって、それは、いつも携帯していなければならない。行く先々で、身分証明証を見せるように言われるから。ヨーロッパの国々には、パスポートがなくても、それさえ持っていれば出入国できる。この前思いつきでスペインに行った時にも、パスポートは持って行かなかった。ホテルに泊まるような時には、やはりパスポートを見せるように言われるのかもしれない。
 JPとノエミがフランスで作った身分証明証を持っているし、わたしの運転免許証はフランス領土のニューカレドニアで発行されたものなので、それがあれば、まあ、身分証明ができる。でも、「身分証明証を出して」と言われて、運転免許証を出す人はあまり見かけない。

 フランスの運転免許証は、一度もらったら一生物だ。切り替えなんぞない。よぼよぼのおばあさんだって、平気で運転している。
余談だが、自動車学校というところは、特別な敷地内で運転の稽古をさせる広場など持っていないので、自動車学校に入ったその日から、若葉マーク(こちらではAのマーク)のカタツムリたちが、平気な顔して公道でお稽古している。切り替えがないので、たいていの人が10代の終わりとか20代の頃に撮った写真がくっついている、ボロボロの免許証を携帯している。わたしのだって、22歳のまま。ぴちぴちしちゃって、頭にはカチューシャだってはめて。
 先日パトカーに停められて、免許証を出したら、「なんだこれは?」と言われた。こんな田舎のおまわりさんは、ニューカレドニアの免許証が、フランスのよりも三倍大きくて、桃色だってことを知らないし、なんたって、写真のわたしはぴちぴちだし、しかも、肝心な場所には、ゾエの落書きがあってぜんぜん読み取れない。ちょっと叱られた。

 わたしは《身分証明証》という物は持っていない。わたしのは《滞在許可証》という。いちおう、結婚相手がフランス人なので、彼サマのおかげで滞在を許されている、ただのガイジンだ。その許可証をもらいたいために、偽の結婚をする人もいるらしいので、結婚してからちゃんと一年以上離婚しなかった人に限って、いろんな審査と、なぜか血液検査と肺辺りのレントゲン撮影のあと(検査料が一万円ぐらいした)、滞在許可証をもらえる。結婚したからと言って、自動的にフランス国籍をもらえるわけではない。

 子どもたちは、数年後に自分の意志でどちらかの国籍を選ばなければならない。フランスは二重国籍を認めているけれども、日本は認めていないので、いつかは選ばなければならない。そのうち二重国籍を認められる日が来るんじゃないかと思って、待つ気持ちもあるし、子供たちに選ばせたいと思っている。とりあえず今のところは、日本人でもあるので、日本から義務教育期間中の教科書も配布してもらえるし、豚インフルエンザが流行れば、日本大使館からも心配してもらえるので、まあ、日本国籍でも充分満足している。たとえ、フランスではガイジン扱いのままでも。

 今回は、パスポートの申請手続きを申し出た時に、5年用にするか10年用にするか、訊かれることなく、10年用パスポート申請の書類が届いた。あと10年ぐらい毎年定期的に日本に帰れることができるように、祈願の気持ちもあって、そのまま10年用パスポートの申請書類を黙って受け取った。112ユーロも掛かった。ICチップ内臓の、優れものらしい。領事さんが「ねじったり重い物を載せたりしないように」と注意しつつも、「そう神経質にならなくても、1回ぐらいだったら、電子レンジに入れても壊れませんから」などと言っていた。でも、洗濯機に入れるのは危ないだろう。パスポートを洗濯機に入れてしまったり、海に落とす可能性はあるだろうが、まあ、電子レンジに入れることはないだろう。だったら、電子レンジに強いパスポートよりも、耐水効果抜群のを作る方がいいのに。実際には、携帯用の電子製品と同じように取り扱うようにと注意書きがあって、なにやらとっても繊細なパスポートらしい。「高温と湿気を避けて」ともあるので、アマゾンの奥地やミャンマーの山の中などには、持っては行けないような感じだ。(わたしは行かないけど)

 発行年月日が2009年9月11日で、有効期間満了日が2019年9月11日。
大使館でパスポート受け取りのサインをした時、書類に《平成21年》とあったので、またまたびっくりした。じつは今年が平成何年なのか、わからず訊かねばならず。
平成元年になりたての2月に、日本を発ったのだった。21歳だった。
あれから21年かあ〜。
 1999年に世界は破滅すると思っていたわたしには、今年が2009年というのも信じられないが、パスポートの有効期限が2019年というのを見て、そんな年が本当に来るんだろうかと思う。パスポートなんぞはもういらず、地球人として世界中の人が一枚のおなじ身分証明証を持って、宇宙船で行き来してるんじゃないだろうか?ぶぶぶ。。。1980年頃も、2000年について、そんなことを思っていたなあ〜。

 
 

2009/05/07

大変なことになった!!

 トゥールーズの剣道講習会で、すぐに疲れる人や、迫力のある打ちのできる人が少ないという話しから、呼吸の仕方にも問題があるということになった。相手が出て来ようとするまさにその時、その先(せん)を狙って、相手より先に打ち込むのが剣道だと、確かに故・佐藤先生に教わった。相手が出て来ようとする瞬間というのは、相手の気迫、息、呼吸からも読み取ることができるというのだ。
 とにかく、何時間も走り回るには、呼吸をコントロールできることは重要なので、まずは呼吸を整える練習をしましょうということになり、先生が個人的に「臍下丹田(せいかたんでん)呼吸法」なるものを伝授してくださった。

1)二秒で鼻から大きく息を吸い込む
2)二秒間息を止める
3)十五秒掛けてゆっくりと、薄く開いた口から息を吐く
4)吐き切ったところで二秒間息を止める。
5)二秒で鼻から息を吸う

1)から 4)がワンセットだ。
一番《力》が出るところは、4)と 5)の間だとおもう。息を吐ききって、もう吐けないというところで息を止める。そこで身体は酸素を欲していて、苦しい、苦しい、でも二秒間も息を止めとかなきゃならない。4)の最後あたりでエネルギーが爆発する。そこで打った面は、強く速いはずなのだ。

 この呼吸法は、研修会の合間の食事の時間に先生が個人的に教えてくれたので、ぜひみんなにも紹介しようと思って、剣道連盟のサイトでやっているディスカッションに、報告した。
 そうしたら、反響がものすごかった。
 
 呼吸について、呼吸と「切り返し」(という練習)の関係について。速さについて。瞬間について。呼吸と身体のぶれの関係について。呼吸と座禅の関係について。呼吸と武道の関係について。武道と気合いについて。気合いと精神について。精神と哲学と歴史と短歌と、禅と一休と孔子と。。。。。。。出る出る、ありとあらゆることが出る。

1)空気を吐いている瞬間(たとえば「ヤー」と叫んでいる瞬間)に打っているのか?
2)緊張して肩が上がるとき、どうすれば良いのか?
3)呼吸のことを考えながら稽古ができるのか?

こたえ
1)打つ、まさにその瞬間には、呼吸を一切していない。最も力を入れる瞬間息は止まっている。(高く遠くに飛ぶ瞬間、重いものを持ちあげる瞬間、出産の瞬間)
2)呼吸を整えればよい。大きく息を吸うと肩が下がり緊張がほぐれる。
3)あれこれ考えながら動けない。だから、普段から呼吸を自由にコントロールできるようにしておけば、自然にできるようになるのでは?

 そのようなもろもろのことが話し合われた。
ディスカッションを開いたわたしの所にも、どんどんメールがやって来る。
例えば「気合いはなんですか?」など。。。
剣道で「気合いを出せ」と言われる時は、声を張り上げて叫ばなければならない。気剣体一致といって、気合いと打ちと身体の動きがいっしょになった時に一本を認められるので、声も大切。それにはさらに「気合いを入れて」いる様子も表現しなくてはならない。 
 フランス人の中にはただ声を張り上げてるのが《気合い》と思っている人が多いので、恥ずかしげもなく「声の出し過ぎで疲れた」などという人もいる。そういう人には「気合い入れてやれよ」と言わなければならない。中には「気合い入れて集中してやってるんだから声を出さなくてもよいだろう」と思っている人もいる。確かに八段同士の立ち会いなどを見ると、もう気迫満々で見てるだけで疲れるほどで、八段の人はぎゃーぎゃー叫び回ったり、走り回ったりもしないから、「自分は先生の真似して声を出さない」などという人もいて、そういう人は「気合いを出せ」と叱られるのだ。つまり「声も出せ」ということで。八段じゃない人は(つまり経験がまだ30年ぐらいしかない人は)、やる気を出して、さらに叫び声もあげなきゃならないのが剣道なのだと思う。

 で、「気合いはどうやって出すか」と誰かが質問すれば、理屈っぽいフランス人は、精神を集中したら出るとか、やる気があれば出るもんだとか、答えのような答えじゃないようなことを言い始める。人によっては「おなかの下の方から思いっきり出すんだよ」と言ってもらいたがっているのに。
 うちのクラブのモニクさんはこう言った。
 「相手に向かっている時、緊張してるのか、興奮しているのか、なにかこうわき起こる怒りのような熱っぽいものが、おなかの下の方に集まって来て、それを吐き出したくなるんです。声を出したら、それが形になって外に出るみたい。声を出しながらこのエネルギーを爆発させるその瞬間に、わたしは打っていると思う。そのエネルギーーの塊と声が、いっしょになったのが、剣道の気合いだと思う」 

 いやあ、すごいなあ。初心者でそんなことがわかるなんて。まだ教えてなかったのに。

 そういうことなどを考えながら、もっと熱心に呼吸のことにも注意しながらまじめに剣道をやろうと思って稽古に臨んだが、結局稽古が終わってから、いつも通り、何も考えないで稽古をやってしまったことに気づくのだった。
 「いつもとは違う姿勢でやろうと思っていたのに、いつも通りだった」
とディスカッションに報告したら、
 「みのりさん、いつも通りはやめようと考えるのが、いつも通りっていうじゃないですか」
と言われた。確かに《いつも》「いつもと違う自分になろう」と思うのだが、《毎回》いつも通りで終わってしまって、また次の日には「いつも通りの自分じゃない自分になろう」と新しい決心をするのに、またいつもの自分で終わってしまう。なかなか《進化》しない。そういうことに気づくのこそ、大切かもしれないと思うのだが、進化していない自分に気づいてちょっとは進化しようと努力しなければ、結局《気づいた》だけで終わって、《進化》しなくてもったいない。

 フランス人と剣道をやると、とっても哲学な人間(?)になる。日本人ならみんな禅の心があって、平常心でいられると思われているので、とってもやりにくい。禅のぜの字も知らないんだってば。

 今日は、ネクトゥーさんと般若心経を唱え、食事して、剣道のつばぜり合いについて討論し、9年前のパリ大会での、佐藤彦四郎先生の居合いデモンストレーションと、八段同士の立ち会いのカセットを見た。
 五分ほどの長い攻め合いで、二人の身体が動いたのが見えたのはたった1回だった。動いていないようでも、ほんのちょっとずつじりじりと詰め寄って行っていたのだ。見ていて手に汗が出た。気迫が画面からでも感じられた。会場は静まり返っていた。たった1回、攻めにこらえられなくなって面に打ち出した佐藤先生に、胴に切り返されて、立ち会い終了となった。審判の楢崎先生が、「やめ」とおっしゃったあとに、天を仰いで立ち会いのすばらしさを噛み締めていらしたのが、とても印象的だった。楢崎先生のように九段ともなると、対等に立ち会いの相手の務まるひとに出会うことも難しいだろう。胴を取られた八段範師の佐藤先生が、立ち会いあとのインタビューで、「攻めが甘かった。まだまだ修行が足りない」とおっしゃった時、あの頃の佐藤先生を懐かしく思い出した。70年ちかくも、毎日毎日剣道の修行をした方が「修行が足りない。自分は未熟である」とおっしゃるのを聞くと、口ばかりで動かないのは最低だなあ〜と思うのだった。

 ネクトゥーさんが、「毎日みのりの幸せと健康と成功を祈りながらお経を唱えているよ」というので、ネクトゥーさんはいつまでもいつまでもキープしておかねばと思った。わたしのお守りだ。
 

2009/05/03

今年はじめてのピクニック

  先週の剣道講習会で、ロデツのクラブの若い人に、JPの防具を貸してあげていたら、土曜日に仲間のフレデリックが、家まで返しに来てくれた。彼はロデツに住んでいるのだが、週末はアルビのお母さんの家でいっしょに食事をするのが習慣になっていて、カーモーを通るのだ。お母さんの家のテラスが広いので、そこに、《打ち込み台》を作ったと言って自慢していた。《打ち込み台》というのは、その名の通り、例えば《面》などをひたすらに打ちまくる相手として作られた、マネキン人形だ。鉄で支柱を作って、古い面をかぶせ、それに向かってせっせと打つ練習をするのだ。

 日本ではそういうものを見る機会はあるし、想像もできるだろうし、マネキンじゃなくても、タイヤなどを使って、剣道の打ち込みをする人はどこにでもいるが、そんなことをフランスの田舎でやれば、《変な人》のレッテルは間違いなしだ。素振りは奇妙だし、気合い入れて叫んだりしたら、「あそこの奥さんは狂ってる」と言われるに違いない。だからわたしは、家の中の廊下で、しかも声を出さずに、静かに素振りなどをやっている。すごくやりにくい。
 
 フレデリックが、今月はロデツの街の《日本月間》になっており、町中で、日本にまつわる展示会や講演会、映画会や物産販売会が行われると教えてくれた。なぜ?ロデツなんかで??
 その催しの一環として、日本刀の展示会と、日本刀作りのデモンストレーションが行なわれるというので、日曜日に行くことにした。
日本刀を作るのは、ドミニク・ベージェスさんといって、前にもアルビでデモンストレーションがあった時に見に行った。
 アルビでジュエリーショップをしている万里さんという日本人の友だちは、彼が刀を作る時に、刀の柄がしらの龍を彫るお手伝いをしている。《柄がしら》というのは、刀の柄のいちばん先っぽについている硬い部分で、刀を鞘に納めて腰に差している時には、刀の一番上に来る、美しい模様を見せびらかせる(?)部分だ。ただし、刀を抜いている時、つまり柄を握っている時には、その姿は見えない。でも、ただの飾りではなくて、刀を抜く瞬間に、その柄がしらで、相手のみぞおちを打ったりもできる(柄あてという技)、とっても優れた武器なのだ。丈夫でなくてはならず、また、美しくなくてもならない。
 数年前にドミニクさんのデモンストレーションを見るまで、「刃紋」というものがどういう風に入れられるのか知らなかった。
 刀が一通り出来上がったとき、刀に泥を塗る。そこに、例えば波型の模様を入れて焼く。刀を泥ごと焼いて、あとで泥を落とすと、刃紋が入っている。彫刻のように打ったそのものが形にはならないので、泥を割って浮き上がった刃紋が、その刀の価値を決める。緊張の一瞬だ。ドミニクさんが、その泥に日本の火山の灰を混ぜたらどうだろうかというので、いつか桜島の灰を持って行ってあげようと思っていたのに、この前帰った時には、灰を持って帰って来るのを忘れてしまった。

 今日は、とっても良い天気だったので、ロデツにたどり着く手前でピクニックをした。一週間雨が続いたので、川の水位は上がり、敷物の下は湿っぽかったが、今年はじめてのピクニックだった。
 
 ロデツに着き、目指す博物館を探し当てると、玄関先で、刀に《焼きを入れ》始めていた。三人の男性が《鉄は熱いうちに打て》でやっていた。鋼の塊がだんだん細く薄くなって行く間、時間がかかりそうだったので、わたしたちはロデツの博物館の中に入った。ここには8000年前の壷や石像や、宝石などが展示されている。とても近代的で、調和のとれた博物館だった。地下の特別会場に、万里さんの彫った柄がしらや、ドミニクさんの打った刀が並べられていた。すばらしかった。去年の秋に揖宿神社で見せていただいた、日本刀にちょっと似ていると思った。短く、そしていかにも手作りのまだらの広がる、重そうな刀だった。

 月の第一日曜日だったので、博物館の入場料は無料だった。そんなことはすっかり忘れていて行ったので、玄関で「本日は無料です」と言われて大喜びだった。

 外に出ると、ロデツの剣道の仲間たちがみんなで刀作りを見学に来ていた。JPはわたしがどんな人たちと剣道をしているのか知らなかったし、みんなはJPに会いたがっていたので、思いがけずに紹介できてよかった。
 刀の方は、ほぼ出来上がっていたが、刃紋を付ける泥を塗っているところだった。そこからがまた時間の掛かることをわたしたちは知っていたので、帰宅する時間を考えて、みんなと別れることにした。

 ロデツの公園でおやつを食べて、来る途中でお祭りをやっていた町があって通行が難しかったので、そこを避けるために、ずいぶん遠回りをして、夕方6時頃戻って来た。

 とってもとっても良い日曜日だった。