2008/08/29

夏休みの終わり

 
 

 
 
 三軒先に住んでいたメリオッサンがトゥールーズに引っ越してしまってから、はや一年が過ぎようとしている。たまに電話が来るが、今回はいよいよトゥールーズにご招待となった。マリンに招待されているゾエをカーモーに置いて、わたしとノエミはトゥールーズへ。

 ノエミをトゥールーズに送ったついでに、ネクトゥーさんの顔を見に行った。
いっしょに般若心経を読み、仏様に関する本を借りた。
このまえ来た時忘れていた、お数珠のブレスレットを腕にはめたら、心なしか元気出てきた。
ネクトゥーさんとたくさんお喋りして、家のお掃除をしてから帰宅した。ネクトゥーさんがゴミ出しや、郵便受けや、鳥の世話や。。。たまっていたあれこれを言うので、後回しにしたトイレのお掃除を結局忘れて戻って来てしまって、それだけが心残り。

 次回はちゃんと朝から行って、ネクトゥーさん自慢のシーフードカレーを食べるのだ〜。
ネクトゥーさんが飼っているネズミ(じつはねずみ取りを避けて走り回るネズミに情が移って、エサまであげてる人)にも会えるかもしれない。台所でネズミを飼わないで欲しいと思ったが、ネクトゥーさんのやることには、もう、わたしはびくともしないのだ。


 8月は義弟一家のあと、今度はJPの親友一家が来ていて、とってもにぎやかに、あっという間に過ぎ去った。JPには世界に2人しか友だちがおらず、その2人ともが信頼できる大親友だが、JPは電話も苦手、このごろは筆無精と来ているので、長いこと音信が途絶えていた。ダーバス一家の2人の少年も、12歳と13歳になっている。ちょっと怖い、五年ぶりの再会となり、わたしは前日にちゃんとノエミの同級生宅を訪ね、中学生男子がどんなものをどれくらい食べるかについての調査をし、また、中学生男子が好きそうなビデオを借り、中学生男子に受けそうなギャグを練習した。どきどき。我が家に中学生男子が二名もやって来るのだ。

 心配していた通り雨も降ったが、自慢のカーモー朝市も見せることができたし、なにより、1年に1回の盛大なサンプリヴァ祭りに重なったので、移動遊園地や外食も体験できた。キャップデクベートのスポーツ施設で、人工芝スキーとゴーカートと、ミニ・ゴルフとアスレチックも体験できたし、湖でのピクニックも楽しめた。

 みんなが帰ってしまい、ひさしぶりに本日は、メリオッサン宅に泊まったノエミを外して、残り三人で朝市に出掛けた。心なしか朝市の人口も減っている。田舎に里帰りしていた都会人たちが、夏休み終了を前に帰ってしまったのだろう。朝市には年寄りしか居なかった。売る側も、夏休みを取りはじめているのか、トラックの数が減っていた。JPはチーズと果物を買った。夜には農場に野菜取りにいく。

 

2008/08/17

甥を追いかける

 8月13日の午後から、パリに住んでいるJPの弟の家族が来ていた。
弟とソフィーは結婚はしていないけれども、子供がひとりいて、わたしの甥は金髪に青い目をしている。
ソフィーは、ダニエル一族における、わたしの強い味方だ。
JPの2人の弟は2人ともパリに住んでいて、よくお互いのアパートを行き来し、一緒に食事をしたり、下の弟が甥っ子のお守りをしたり、とても仲良くつきあっている。JPがパリに出張するときも、時間が許せば弟たちといっしょに食事をする。6つずつ歳の離れた兄弟は、大人になってずいぶん仲良くなった。
下の弟も30歳を越えて、義母はお嫁さんのことを気にしはじめているが、ソフィーみたいな素敵な義妹が増えるのを楽しみにしている。

 ソフィーは、8月2日にお父さんを亡くした。私たちは夏休みでみんなナルボンヌの実家にいて、ソフィーと義弟はお葬式に出て行った。帰って来たソフィーはお父さんのこの一ヶ月の凄まじい最期が、こんな風にあっけなく終わってしまって、夏休みにみんな揃っている時にお葬式もすませ、片付けも終わらせることができて、ホッとしていると言った。
 わたしにお父さんとの思い出を笑って語るソフィーを見て、彼女はまだ、お父さんの死を、現実のこととして実感していないんだな、と思う。きっとそうだろう。わたしは父のことを語れない。家族の誰にも父のことを語らない。義父母などは、(その前もあとも父のことを語らない)わたしのことを、冷たい人間だと思っているだろうし、《そんなこと》がなかったように、《あれ》はうそだったかのように、前以上に、父のことには触れない。

 この数日間、私たちは弟の家族と本当に楽しく過ごした。いろんなところに行った。時間を気にせずに昼寝をした。いっぱい食べた。ピクニックもしたし、レストランにも行った。

 金曜日の夕方、毎週の恒例通り農場に野菜を取りに行くことになり、甥たちも連れて行くことにした。ソフィーは、夕暮れ時の農場で、煙草を吹かしながら、「今日は一日中胸が苦しくて、胃がギリギリした」と言った。どうしてそうだったのか、私にはよくわかる。
 その朝、25年前に再婚した、ソフィーのお母さんではないほうの、お父さんの25年来の奥さんニコルと電話で話してから元気がなかったのだ。ニコルは、家の留守番電話に、お父さんの声が入っているから、声を聴きたければ電話を掛け直すようにと言い、ソフィーは電話を掛け直した。よくそんな勇気があったものだと思う。
 でも、電話の調子が悪くて、留守番電話に入っているお父さんの声を聴くことができなかった。
 「電話はまたかけ直してみる。今日は、ニコルに留守番メッセージがお父さんの声だと聞いて、勢いで電話を掛けてしまったけど、もしお父さん(の声)が電話に出たら、わたしは一体なにを言っただろう?今日はずっとそのことを考えていて、胃が痛かったの。わたしはお父さんに謝りたい。」
ソフィーがそう言った時に、わたしはもう耐えられなくなってしまった。
 「ソフィーごめんね。わたしには何もできない。あなたを助けることができない。救ってあげられない。だって、わたし自信、まだまだ後悔しているから。」
 ソフィーは泣かない。泣いているのはわたしだった。じつは、ソフィーのお父さんが危篤になってからずっと泣いていたのだけど。
ソフィーは静かにわたしの背中を撫でて、
 「みのり、ずっと泣きたかったんだねえ。泣かなきゃいけなかったんだねえ。」と言った。

 泣かなきゃいけなかったかどうかはわからないが、ときどき思い出したり、後悔したり、懐かしんだりしてもいいんだなあと思う。
留守番電話にお父さんの声が残っているなんて、うらやましい。でも、わたしの父は、娘に向かって「現在留守にしております」などと言うような人ではなかったので、わたしの場合、怒られたり怒鳴られたりする父の声でなければ、気分が出ないだろうなあ。

 ソフィーが泣く日が来たら、今度こそわたしの方がなぐさめてあげられたらいいなと思う。
 
にぎやかな甥が去り、家の中が急に静かになった。
夏が終わったような気分だ。
ひまわりはもう下を向いている。

2008/08/13

続・流星群の夜。

 ペルセウス流星群というのは、毎年見れるそうだってことを、今日知った。
「小さなオペラグラス覗いたけど、柿の木見えただだけ〜〜」とユーミンが唄ったのは《ジャコビニ流星群》だったのだが、あれを聴くと、わたしのペルセウス流星群の夜が懐かしくなり、それで、いつか、あの作文を手に入れなければ、と思っていた。去る2月に帰国した時に、いぶすき図書館に行って《文集 いぶすき》をさがしてコピーをもらった。

 中学の時に書いた作文を手に入れなきゃと思っていたころは、ただ単に《ペルセウス流星群の夜》などというロマンチックな題がついている作文に、長年心惹かれていたからだ。そして、なんといっても《文集いぶすき》に載ったという、過去の栄光が、夢ではなかったのだという確信が欲しかったのかもしれない。

 でも、この作文を読み直して、自分が考えていたよりももっともっと大きな感動と衝撃を覚えた。

 わたしが中学生の時に書いたこの作文には、《あのころのわたしたち》がいたから。

 母屋と離れた場所にあって、お化け屋敷みたいに恐ろしかったあの勉強部屋(家)は、もうない。《母屋》とわたしが呼んでた、小学や中学の友だちだったらみんな知ってた《エンドー帽子店》も、もうない。あの辺は区画整理で姿を変えてしまって、《かどや》も、もうあの角にはない。あの通りにあった《今村おもちゃ屋》も、《池元仏壇》も、散髪屋さんの《つばめ》もない。だから、父が夜中に釣りから戻って車を停めた駐車場(そこではよくゴム跳びをした)も、父がパンツ一丁になって水浴びをした井戸水の流れる洗い場もない。そうして、父さえも、もういない。

 昔の作文のおかげで《釣りから帰る父》に再会した。
 上の姉はなにやら難しくて怪しげな《研究会》が好きな人で、彼女の本棚には本がいっぱい詰まっていた。姉の居ぬ間に本棚を荒らし、勝手にラジオをつけるのが、妹の趣味で、今ノエミがゾエに迷惑かけられてイラつく姿を見るたびに、自分が姉にとってどんなに迷惑な妹であったか、今さらながら申し訳なく思う。
 下の姉は、中学卒業後看護学校に入って、15歳から近所の病院で働きはじめて、定時制の高校を出た。自宅から白衣のまま通っていたから、いつもいつも白衣を着ている姿しか思い出せない。父が病気になったとき、毎日注射しに来てくれる看護婦さんたちのことを、自分の娘じゃないかと思って、じろじろ目で追いかけていたが、わたしも、黒いカーディガンの下に白衣を来ている看護婦さんを見ると、姉じゃないかと思ってしまう。
 家族で一番わたしに近いのは、母だったかもしれない。まず、目線からしてだいたい同じくらいだ。ちょこまかとよく動き、よくしゃべり、好奇心旺盛で、けっこう前向き。夜中に家の外で星を見ている娘がいれば、自分も出て来て並んで星を見るような人。昔からいろんなことを、できるだけ一緒にやってくれる人であったと思う。《参加》という言葉はけっこう好きなはずだ。お人好しでいろいろ抱え込んで苦労するタイプ。

 ある時父に、「わたしはかーちゃんみたいなおかあさんになる」と言ったら、「おまえには絶対に、なれない」と言われた。ひどい親父だと思ったが、たしかにその通りだ。

 作文に再会できて本当に良かった。みんながここに居てくれたような気がする。

 ペルセウス流星群は、今晩見れるそうだ。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20080811/index.html
先ほどニュースで見て、びっくりした。いい天気になるだろうか。今日は一日中雨で、午後の2時に20度しかなく寒かった。

  

ペルセウス流星群の夜

 ペルセウス流星群の夜。空には、何千、何万、何億もの星が、キラキラと輝いていた。
北極にカシオペア座、さそり座。。。。。。他にもまだまだたくさんの星が輝いていた。
 その夜、高三の姉は、高校の物理・科学部天文班とかいうクラブのみんなと、宮ケ浜まで、ペルセウス流星群の、観察に出かけた。高一の姉は、看護婦の勉強をしているのだが、その夜は、病院の当直日で、とまりこんでいた。−−というわけで、わたしは、広い勉強部屋にたった一人で寝ることになった。
 さて、この勉強部屋、みてくれは小さいようだが、奥はすごく広いのだ。そのうえ、ボロなので、不気味さを、ただよわせている。
 おねえさんの本で、いくらたのんでも見せてもらえない本がある。今ぞとばかりに、その本を引っぱりだして読んだ。最初は、その分厚い本のおかげでこわくなかったのだが、ありったけ読んでしまうと、この世にわたしだけしか存在しないように思えて、背すじがぞーっとして来た。マンガを読み直していると、おばけの出て来る話などがあったり、ラジオをかけると、ボソボソと知らない歌が流れてくる。わたしは、よけい、こわくなってしまった。
 わたしの家は母屋が狭いので勉強部屋ーーつまり、わたしの今いる部屋は、母屋とは別の棟にあるのだ。だから、この家にわたし一人。不安だ。
 そこで私は、家に持ち込んでおいた竹刀を、左手でしっかりとにぎりしめている。こわさのあまり、体も自然に、ブルブルと震える。
「はやく寝てしまいたい。でも、流星は見たい。」
私の頭の中は混乱している。一時ぐらいまで起きていないと、生まれてから一度も見たことのない流星というものを見ることはできない。
 一時まであと三十分程度だ。今、外に出たとしても、見ることはできるはずだ。
でもやっぱりこわい。
さて、一時。早く見て早く寝よう。−−そう思うのだが、体が言うことをきかない。そうこうしているうちに、父が魚つりから帰って来たらしい。車の音だ。
「お父さんは、外の洗い場で水浴びをする。その間に星を見よう。」
車の音を合図に、私は竹刀を持って外へ出た。
 父は、外にいる私に気付いたらしく、家に入っていって、母になにやら言っている。
母はすぐに出て来て、私といっしょに、空を見上げてくれた。
「なかなか出ないねェ。」
などという会話を交わしながら、空から目をはなすことなく見ている。
その時突然、
「あっ。」
母の叫び声。
「今、向こうの方にサーッと光ったでしょ。」
母はどうやら、みつけたらしい。
「わからなかったな。」
「どこみてるのよ。」
別に、空から目をはなしたわけでもないのだが、流れる瞬間を見ていなかったらしい。
二、三度、こんな会話を交わしたが、一時半、
「もう、そろそろ寝たら。」
と、母の声。
「二時ごろが一番たくさん流れるって言ってたから、そのころ、また見たらいいよ。」
でも、あきらめて寝ることにした。
 次に目が覚めたのは、朝だった。結局、ゆうべの三十分しか、見るチャンスはなかったということになるが、母は五個もみつけたのに、私は0個。
百年に一度のペルセウス流星群を見逃してしまったのだ。
これで、私は一生、流星を見ることは、ないかもしれない。
 ペルセウス流星群の夜、スリルとこわさをたっぷり味わい、百年に一度ーーいや、一生に一度かもしれない流星を見逃した。くやしくて、おかしな、記念すべき日になった。

                南指宿中学校 一年一組 遠藤みのり (文集《いぶすき》第28号)