2010/10/20

剣道講習会

 指導者資格をもらわなければならない。

 フランス剣道連盟から指導許可っていうのをもらったので、教えることに関してはあまり問題はない。三十年もやっているし、いちおう有段者なので、剣道に関する履歴書と、剣道に関するレポートを出して、フランス剣道連盟から許可証をもらっている。

 許可証をもらう時に、去年まで通っていた道場の先生の承認をもらわなければならなかったのだが、このごろはドレイ先生はすっかり道場に顔を見せないので、サインがもらえずちょっと困っていた。そうしたら、同じクラブのフレッドが、
 「みのりの先生は佐藤先生じゃないか。佐藤先生の名前を書いて出せば、フランス剣道連盟では簡単に許可が下りるはず」
と言ってくれたので、レポートに佐藤先生の名前を書いて許可をもらった。サインはなくても佐藤先生の名前だけで大丈夫だった。

 指導者資格は、十年前にもらおうと思って研修に出かけたものの、三回のうちの一回目の講習会に参加した直後に妊娠していることがわかり、けっきょく続いての二回の講習会に参加できなかったため、指導者資格免許ももらえなかった。

 研修はパリで行われるので、夜行の切符をずいぶん前に購入していたのだが、当日ストの影響で、予定していた電車が運行されなかった。しかも、そのストは延期されることが予想されたので、無理して電車でパリに出向いても、今度は帰って来れるのがいつになるかわからないという状況だったため、仕方なくベルナーに頼んで彼の車に乗せてもらうことにした。

 仕方なかったのだ。
ベルナーは、去年まで在籍していた剣道クラブのリーダー的存在。優しい顔をした商売人なれど、剣道の方は乱暴で何度も痛い目にあった。新しいクラブを起こそうと決心した一つの大きな原因でもある。彼は指導者資格試験にはこれまで関心がなかったし、誰かの教えを請うというつもりはまったくないようだったのに、わたしが申し込みをしたらベルナーもあわてて申し込んだ。ちなみに、この指導者資格免許は、『ボランティア教師』を育てるものなので、この免許をもらったからといって、お金を取って剣道を教える人はいない。でもベルナーは、指導者資格試験もないのに、剣道を教えている上に、私立の道場の先生なので、報酬をもらっている。うるさいことをいえば「違反」だ。

 ベルナーとの道中はさんざんだった。ただでは何もやらないという商売人。会社を二つやっているというエバッタ社長さん。美しい金髪女だけが好きな女ったらし。自分のことしか考えないエゴイスト。ブラックとアラブが大きらいな差別主義者。運転の仕方にも、会話にも、論議にも、わたしとは噛み合わないものがいっぱいあって、道中ずっとむかついていた。
 講習会では頼みもしないのに、先生たちの話に割り込んで自分の意見を言うし、自分の意見は述べても人の話は聞いてないし、乱暴なくせに「乱暴な剣道をする人が許せない」とか言うし、隣に居るのがものすごく恥ずかしかった。

 講習会では、剣道をする上で必要な解剖学的な知識と、授業をする上での方法についての授業があり、大変興味深かった。読むものがたくさんある。書くものも。二年前にこの試験に合格した友人たちが手伝ってくれるので、よいレポートを書けるのではないかと思う。

 木曜日の午後6時にアルビを出発し、ほとんどわたしが運転して、午前2時頃疲れてどうしようもなかったので、高速道路のパーキングに駐車した。車の中で寝て、7時に起き、9時からの講習会に出席した。金、土、日は朝9時から夕方6時までの講習会をうけ、日曜日の16時に切り上げて帰途についた。ベルナーはアルビまでしか送ってくれなかったので、夜中にJPを呼び出し、来てもらって、カーモーに帰り着いたのは1時頃だった。

 翌朝は8時からの授業だったけれども、家の中のことをやりたかったので学校は休み、午後から栄養学の講義に出た。

さすがにへとへとだ〜〜。

2010/10/11

学生に戻る

 10月4日から、学校に通っている。
ことの始まりは、『料理教室』を探していたある夏の日で、新学期の9月からどこかの料理教室に通えないかと思って、インターネットを見ていた。そして、料理の授業を見つけたのだが、その教室に入るためには、『職安』に登録されていなければならなかった。

 「職安」が、転職・免許取得を希望している人たち(失業者)を対象に、報酬つきの研修を企画していたのだ。つまり、授業料一切は職安が面倒を見てくれる。そして、わたしたちは、週に35時間学校で勉強しながら、最低賃金(時給8ユーロ)をもらうことができる。研修は10月から5月の終わりまでで、全部で14週間の職場研修がある。

 ことしは去年に引き続き指圧の授業も受けるし、剣道の指導者資格試験準備講座にも行かなければならないので、お金が掛かる。日本語レッスンはあるかないかわからないので、もっと定収に繋がる仕事を探していた折でもあった。なので、『学校に行って勉強する』ことのほかに、『ただで行って、そのかわりお金がもらえる』ということに惹かれた。しかも、習いたい習いたいと思っていたフランス料理を学校で習えるなんて、うれしい。

 しかし、ただの有閑マダムが通うようなただ料理をするだけの料理教室ではないので、調理学や栄養学や、数学(カロリー計算とか、はかりの使い方など)や英語(インターナショナルなレストランを目指し。。。?)もある。地理(フランス各地の料理について知らねばならない。特産品なども)や歴史(料理は文化、文化は歴史に繋がっているのだ)もある。そして、週に35時間の労働と言うと、たいてい朝8時から始まって、夕方6時とか8時とかに終わる。宿題もある。とにかく読むものが山のようにある。

 調理の時間に作ったものを1ユーロで買って持ち帰ることが許されているので、家に帰って料理をする手間が省ける。それは助かる。一日目などはタルト生地の作り方を学ぶ授業だった。キッシュとリンゴのタルトで、塩辛いか甘いかの違いで、使われている材料はほとんど同じだったから、試食する側にとってはおもしろくなかった。キッシュは、自分で作る方がずっとおいしかった。翌日は子牛のシチューでご飯がついていた。ご飯は見た目でわたしの作るご飯よりまずそうだったので、そんなものに1ユーロ払うのはばかばかしいから、シチューだけ持ち帰った。家人は「夜に肉なんか食べたくない」というので、ほかのものを作らなければならなかった。いちおう主婦なので、独身男性の参加者よりは、料理に関しては知っているようなのだが、でも、細かいことでこれまでミスをしていたんだと気づかされたことがいくつもあった。プロの先生に隠し技やコツを教えてもらえるのがうれしい。

 職場研修では、ミーさんが雇ってくれることになっている。ミーさんちのケーキを直伝していただくのだっ!!ずっと前に「調理師の学校に入りたい」と言ったら、ミーさんから、「バカなことを言うもんじゃない。甘くないんだぞ。主婦の片手間にできる仕事じゃないんだから」とこっぴどく叱られた。でも先日「料理学校の入学試験に合格しました」と連絡したら、「おめでとう!うちで雇ってやるぞ」と返事が来た。ほほお〜。雇って欲しくはないけど、ミーさんの技の直伝があるならば、行きますとも!

 とにかく、一日をどのようにやりくりするかが大きな課題。ほんとうに続けられるのかな〜。
今週は、木曜日に8時まで料理をして、ダッシュで家に帰り、9時の電車でトゥールーズへ行って、そこから夜行に乗る。パリに翌朝の七時に着いたら、ダッシュで会場に向かい、9時から剣道の講習を受ける。日曜日まで泊まりがけで剣道をやって、日曜日の夜夜行でパリを発ち、月曜日はまたダッシュで学校に行く。。。。いくらわたしでも、体力が保つのか。。。ちょっと心配。

さあ、寝よう。。。

2010/10/02

白悠会のお披露目

 いよいよ待ちになったお披露目の日。
この週は、ひどい天気だったので、土曜日にも雨が降ったらどうしようかと、そればかり考えていた。当日は、秋晴れの空の高い一日となった。手作りの旗が風になびいて、とってもかっこ良かった。

 白悠会の道場は45平方メートルしかない。幅が5メートル弱掛ける9メートルぐらいだ。剣道の試合場は9メートル掛ける9メートルが試合をする場所で、その周囲には畳などを置いてすわれる場所、歩き回れる場所があるのが普通なので、我が道場はほんとうにほんとうに小さい。
 「小さい道場だから、思うように稽古できるかな」と心配していたら、トゥールーズの友だちが「あとに下がらない剣道が学べるからいいじゃない」と言った。その直後に『道場』の床について調べものをしていたら、野間道場も細長い道場で、『後ろに下がらない稽古ができた』という記事を読んだ。なるほど、野間道場と同じか。。。野間道場はたしか長さが30メートルぐらいだったらしいのだけれども、年間三千人もの人が訪れて、稽古をしたというのだから、一人当たりの面積にしたら、わが道場の方が広々したものかもしれない。

 さて、お披露目の会には、はるばる遠方から、たくさんの友人剣士たちが来てくれた。泊まりがけで来た友人もいた。家族づれや恋人連れもいた。カーモーのママさん仲間や、通りすがりの人や、新聞を見て駆けつけた人もいた。なんともうれしいこと。一体どれくらいの人たちが、外から見物してくれたものかわからないが、道場で防具をつけていた有段者は、全部で25人だった。そして、わが道場の初心者たちも10人ぐらい来てくれた。有段者に混ざって、よく動いてくれた。

 駆け抜ける稽古をするために、道場の一番隅の隅に35人が固まりを作り、チュヴィ先生がかざす打ち込み棒に向かって道場を斜めに、すり足で駆け回った。こんな小さな道場で、35人ものツワモノたちをを走らせるとは。。。すごいなあ〜。

 うちの初心者たちは、わたしが防具一式を身につけたところを一回しか見ていない。防具一式をつけたものの、相手になって打ち込んでくるものがいないのだから、『打ち合い』というのも見たことがない。わたしが走り回るのも見たことがない。『剣道の普通の稽古』というものを、いままで一度も見ていなかった。だから、この日、有段者たちの掛け声や、走り回る姿や、汗を流す表情や、わたしがみんなを相手に打ちまくっている姿や(歓迎だから、みんなを打ちまくったのだ)、2メートルの相手に飛びかかっていく姿や、転んでも立ち上がる姿を見て、目を丸くしていた。

 お昼は道場の脇の庭で、テーブルを出して、みんなで持ち寄ったものを分け合って食べた。足りなかったらどうしようかと思って、前の晩に暗くなってから「やっぱりあと一品作ろうかな」とか「ちょっとビールとコーラを買い足した方がいいんじゃないの?」とか言っていたわたしだったのだが、JPに冷たい目で見られて、ものすごく不安な夜を過ごした。でも、みんながたくさん持ち寄ってくれたおかげで、食べ物はあふれるぐらいあって、残り物が出たぐらいだった。

 午後は場所を変えて、カーモーの柔道場で。畳の上での稽古となったが、形を中心にやった。模範稽古も行われた。ノエミが三歳の時に、わたしが剣道をしている間、道場の隅で子守りをしてくれた人の娘さんエロディーが、2歳の息子さんを連れて来てくれていたので、今度はわたしが子守りをした。エロディーは妊娠・出産・育児で三年間も剣道をしていなかったと言って、うれしそうに稽古に参加していた。

 夕方早めに切り上げて、夜は近所の中華レストランに繰り出した。剣道仲間と楽しいお食事となった。