2009/10/25

クビ突っ込み過ぎ

 小学生の頃から、あの子とその子の仲を取り持つ(ことになってしまう)のが、わたしの運命だったかもしれない。あの子とその子の間に入って走り回り、取り持った仲がうまくいったことばかりではなかったが、それでもまあ,恨まれたことはなかった。(と、思う)
 大人になってからもしまだ日本にいたら、明らかに《お見合いおばさん》になっていただろう。そして、うまくいかなくなって、みんなに恨まれたかもしれない。
 日本人とフランス人の間にいて、あれこれと仲を取り持つというか。。。どちらにも満足の行く方法を見つけて差し上げましょう!と、いきり立ち、けっきょく自分の《お見合いおばさん能力》がないことに気づき、けっきょくかき回しただけに終わって、けっきょく「恨んでません」と言われながらも、明らかに恨まれている雰囲気を感じなければならないという。。。「ああクビ突っ込みすぎ」と思うこと、多々ある今日この頃。「放っておいてちょーだい」と言いつつも、巻き込んでくれる人も人じゃあないんデスカ?と思うことだって、まあ、ないことはない。
 自分を含めて、人間というのは「自分は悪くない、あなたのせいでこうなった」というのが得意なんだろう。

 JPが歩き始めた。三食も寝室ではなくキッチンで、家族揃ってとれるようになった。台所からいちいち食事セットを二階に運んでは降ろすという作業がなくなっただけでも、ずいぶん楽になった。マスリ先生によると痛み止めで痛みが治まったら、今度はマッサージなどに通ってくださいとのこと。ただし、病欠の延長はなかったので、JPは予定通り11月4日から仕事に行く気でいる。7日には片道2時間半の両親の家に、一人で行って、その日のうちに帰ってくる予定まで立てているので、身の程を知れと言ってわたしに怒鳴られている。おひげが生えてまた一段とハンサムになった。(一応フォローも)
 内分泌科の方の、ちょっと心配していた検査入院の結果は、医者によると「大丈夫だと思うけどよくわかんない」とのことで、今週その先生が参加する専門医のシンポジウムで発表して、フランス国内から集まる同僚内分泌科医の意見を仰ぐんだそうだ。だから、まだ、とったスキャナーも見せてもらってないし、フランス語でいろいろ言われても、わたしにはよくわからないので、あまり心配しないことにして、ただただ、腰が痛いJPの介護をやっている。寝たきりというのはほんとうにいやみたいなので、JPも「絶対に病気で入院するのはいや」と決意も新たに燃えている。よしよし。「信じるものは救われるよ」といちいち言ってあげているが、友達が言った「鍼がよく効くよ」には耳を貸さない。信じないなら効かないだろう。

 クビ突っ込みの件に再び戻るのだが、この前の火曜日にPTAと学校職員、市役所職員との年3回の会議の一回目があった。それで、学校の校内にあるCentre des loisirs という、日本でいうと《学童》みたいな施設について、再び問題になった。この建物はプレハブの築30年の老朽化しすぎた建物で、何年も前からどうにかしてくれと、毎回会議で話題になる。市役所は「まだ使えるでしょ」とか「修理すれば」とか、「検査に通ったから」と言って耳を貸さない。
まず、検査に通ったのが、10年前なのかどうか定かでないが、見た目、素人でも検査に通るはずがない!というのが、全員一致の意見だ。建物のあちこちに穴が空き、植物まで芽を吹いている。窓やドアの立て付けが悪いので、やっとのことで動いている電気の暖房も、確かに「まだ使えてる」とはいえ、いつ火を吹くかわからない。しかもすでに臭い。ガンガン掛けても効かない。なので、修理するということはつまり、あいた穴からお金を捨てるようなものだ。

 それで、わたし、火曜日の会議のあとからずっとそのことが頭から離れない。水曜日にPTAの一斉メールに宛てて、こんなメッセージを送ってしまった。
 「お金がないということなので、お金のかからない案を提案してみたらどうだろう。」
以前からわたしが《わらの家》に関心を持ていること、情報を集めていて、お金がかからないことを証明できることを説明した上で、「衛生的で、環境保護にも優れ、経費とエネルギーの節約にもとってもよい建物なので、わらの家の建築について、ちょっとレポートを書いてみようと思う。」と書いた。

 メールを読んですぐに賛同してくれた人が何人かいて、そのような建物に個人的に興味を持っている人や、実際にわらの家に住んでいる人を知っている人たちだった。そのほかメールに返事は書いてくれなかったけれども、学校の前で会って、「すばらしいアイディアだ!わたしも仲間に入れて」と言って声をかけてくれた人もいた。この三日間でぜんぶで11人集まった。その中には、大工さんや電気工事士などプロで建築に関わっているご主人のいる人が三人もいる。フランス語だがブログも作った。

 フランスの私が住んでいる地域では、台風も地震もない。しかも、今ある崩れそうなプレハブで認可されていた学校の建物だったら、人も住めるような頑丈なわらの家が、認可されないはずがない。わらの家と言っても、わらは断熱材に使われるだけで、実際には木造建築に、わらを固めるための漆喰などの素材がわらを守るので、防火効果は抜群である。火災に関するテストのレポートも見つけので、公開した。わたしたちは、まず、次回のPTAの会議で大まかなラインを説明できるように、この秋休み中に集まって、可能ならば、プロのわら家造り職人さんを囲んで、会議の前のミニ会議をしようか。。。というところまで話が進んでいる。

プロジェクトの名前はTrois Petits Cochons《三匹の子ぶた》
 http://tpc-nozomi.blogspot.com/
情報と意見を集めている。
Maison en paille pour le CLAE de Carmaux, nous avons besoin de votre conseil et de votre soutien, merci !!
信じるものは強いのだ〜。

2009/10/19

病欠

 JPは、10月11日に腰を痛め、這い回ってのたうち回った一週間だった。16日にマスリ先生のところに、ど〜しても一人で行くと言ってきかず、そのためには玄関先から50メートルは歩かねばならなかったので、まずはベッドから降りることから始めなければならない。
 15日の朝、ベッドから降りて歩き始めた。その午後、時間をかけて階段を降りて来た。そして廊下を行ったり来たり始めた。それでも、じっと座っていられないので、食事はやっぱりベッドでと言って、食べかけのみそ汁の茶碗を持って、夕食の途中から二階に上っていった。
 わたしが使っていた松葉杖を貸してあげたが、この人ったらリズム感ってものがないので、危なっかしくってしょうがない。転んでもらったら困るので、松葉杖は取り上げた。

 「1メートル85センチのところから転んで頭を打ったら、痛いよ」と言ったら、ニッと笑って、「転んだことあるから、わかってる」と答える。1メートル85センチのところからいきなり落ちた頭は、バスケットボールみたいに跳ねた。それを見ていたのはわたし。本人は記憶ないくせに。

 マスリ先生のところには、強引に車で連れて行った。50メートルの距離だけど。帰るのはどうしても自分の足でと言って聞かないので、じゃあ勝手にしろと言っておいて来た。そのかわり、薬を買いに行くのはわたし。フランスの診療所では、薬をくれない。処方箋を書いてもらって、それを薬局にいちいち買いに行く。予防注射も買って持って行って打ってもらう。急な注射の時には、「あ、一本残ってた」などという場合に限り、手持ちの注射を打ってくれるけれども、後日患者が薬局まで買いに行って、医者に戻さなければならない。

 「それで?月曜日にはまだ仕事には行けないんでしょ?」
行けるわけがない。歩く姿が《玉手箱オープン後》の浦島太郎だもの。
「先生が、病欠の届けを出すための紙を書いてくれた。それが、11月4日までなんだけど。。。間違ったのかな?長過ぎない?」
12日に看てもらった時には、一歩も歩くことができず、ベッドで寝返りも打てない状態だったので、先生は試しに一週間の休みをくれた。それが、あと二週間と言うのだ。
 その前の週から検査入院のための休みをもらっていたので、合計一ヶ月近くもの病欠!
ラッキーじゃないの〜〜。

「ほら、天の声が『休みなさい』って言ってんのよ」
とは、わたしの意見。JPは不機嫌。

 急に寒くなって来た。毎朝子どもが学校に出て行く8時半には5度ぐらい。真っ白だ。
ゾエが、学校に行きたくないと言いだした。寒いからじゃない。
パパと一緒に家に居たいのだ。
「毎日ベッドの上でゴロゴロしている暮らしも悪くない」と思っているのかもしれない。わたしはだからいつも
「パパは痛くて痛くて泣きたいのを我慢してるんだよ。仕事にも行きたいのに行けないんだよ。お気の毒」
と言い続けている。

 そんな折、ゾエがお腹が痛いと言った。むりやり学校に連れて行くと校門で泣いた。午後学校から電話があり、頭が痛いらしいので迎えにこいと言われた。家に帰って来たゾエは、お腹が痛いと言いつつも、おやつを喜んで食べる。元気すぎるぐらい元気。
 9月の新学期から、学校がつまらないと言いだした。学校で習うことは全部知っているから、教室で退屈しているらしい。でも、学校というところは、いろんな子どもが居て、書くのが速い子も遅い子も、みんな同じことをやらなきゃならないんだから、先生がしなさいって言うことをやんなきゃいけないんだよ。。。などと言いつつ、ちょっと気の毒。本人がもっと難しいことを勉強したがっているのに、どうしたものか。
 仮病を使ってまで休みたがるので、やはり先生と話した方がいいネと言うことになり、父親が家で寝ている事情や、姉が「学校はひどいところだ」と盛んに言い含めていることなんかを説明して、同時にゾエが授業中に退屈してるみたいなんですけど。。。と言ってみた。

 先生にはよくわかっていた。ちょうど一級上の子ども達と混合のクラスなので、自分の作業が早く終わったら、一級上の子たちのかけ算などを見てもよいと、先生は許可してくれた。難しい本でも、読みたければいくらでも貸すからと言ってくれた。そして、希望するなら、ほかの子ども達よりも多く宿題を出してくれるそうだ。飛び級できるかどうか、検討してくれるそうだ。

 JPはなぜか(?)仕事に行きたがり、ゾエはもっと勉強したがっている。
わたしなんか、JPが家に居ながらなにもできないので雑用が増え、ゾエが宿題をいっぱい持ってくるのでお勉強につきあい、剣道にも行けない。なので、剣道クラブのサイトで、『剣道の日本語』というレッスンを毎週二回行っている。剣道で使われる日本語の解説を、日本文化も含めながら行っている。頭で剣道している。
 
 今週の終わりから秋休み。去年の秋休みは家族揃って日本で過ごした。
一年はあっという間だなあ〜。
元気に年が越せるかな〜。

みんな、がんばれ。 

 

2009/10/12

やっとの週末

 JPが水曜日に退院した。検査の結果は三週間後というので、それまでに何かよくわからないものが悪化するんじゃないかと、ちょっと不安。水曜日の夜はまき寿司パーティ〜♪
木曜日にもう一度検査をしなければならないというのでお休みにし、金曜日はついでに休みを取った。
ちょうどよかった。わたしは木曜日の夜から、ミーさんちでおシゴトの予定だったので。

 木曜日の夜に、日本からのお客様二手に分かれてのご到着ゆえ、ミーさんと念入りな予定を立てる。第一陣が無事ご到着(なんと時間通り)。第二陣が22時50分のご到着予定なので、申し訳ないけどわたしたちだけでお食事することになった。第一陣の到着を確認してから、ミーさんはお友達に電話する。
 「ちょっと日本人にいいものを食べさせたいから、おまえんとこの席をよろしく頼むよ」
と、勝手なことを言っている。お友達はトーキョーで電話を受けており、「なんだおまえも日本人とビジネスか」と、バカ受けしている。トゥールーズのレストランの席を、トーキョーから取ってもらう。ミーさんがバカ話をやめないので、横っ腹を突っついて「あの、トーキョーって今三時ですよ」と教えると、「いーの、いーの。どんちゃん騒ぎしてるみたいだから」
 オトコは出張で息抜きしてるのね。

 お友達のレストランは星がずらっと並んだすごいレストランであった。満席。「行くから頼むよ」と行く10分前に電話して取れるようなレストランとも思えない。肝心のシェフはトーキョーでどんちゃん騒ぎという事実を知っているのは、わたしとミーさんだけだったが、周りの人々は、おいしそうにお食事している。サロンのど真ん中にどーんとよいお席がご用意されていた。日本人の皆様が料理出るたび写真を撮り、ほかのお客さんの注目を浴びるので、ミーさんは恥ずかしそう。いちいちレストランで写真を撮るのは日本人の得意技だ。空港でも、教会でも、町中でも、お店でも、ゴミ箱でも、トイレのふたでも、なんでも写真を撮ってる人、そしてピースでポーズをとる人を見ると「あれは、日本人だね」とよくわかる。

 この前の接待では、ミーさんとトーキョーからお越しの《あー》さんの毒気にやられ、しかもエビなんか食べちゃったせいで、今世紀最大の下痢症状を起こし、さんざんな目にあったので、今回は何ごとも用心した。しかし、ミーさんちでのおシゴトと言えば、やっぱり食べずにはいられない。食べるのがシゴトだなんて、生きていたかいがあった。。。と思っていたら、「いや、アンタは別に食べなくていいんだよ。アンタはしゃべってんのがシゴトなんだから」と、ミーさんに痛いところを突かれる。しゅんとして食べずにいると、ミーさんが「冗談だってばあ〜食べなさい、食べなさい。わたしも黙っててやるから」と言って、急に静かになる。通訳に遠慮してしゃべらないでいてくれる人も、珍しいだろう。ありがたや。

 ミーさんのところのおシゴトは、朝が早くて夜が遅い。子どもたちにはずっと会えない。なので、「アンタじゃないよ。子どもたちにだよ」と言って、マカロンやらチョコレートをお土産にいただく。

 最後の朝、目が覚めたらもう10時頃で、約束の8時半に大遅刻となった。
「げー。どーしよー」
と一瞬お先真っ暗になりながらも、どうせ空港にはミーさんと二人で行く予定だったから、ミーさんが一人で行ってくれただろうと思い直して、再びベッドに潜った。爆睡して、お昼ごろに日だまりの中で目覚めたが、ミーさんは途中から合流する予定で、日本のお客様はわたしがホテルにお迎えに行くんだった!ということに気づく。
「げー、どーしよ〜〜〜〜。日本人が集団で怒ってるう。みんな飛行機に乗り遅れた〜。クビだ〜〜。マカロンともお別れだああ〜〜。」
泣きながら、飛び起きた。
 すると、お部屋は真っ暗。自分が一瞬どこにいるのかわからない。ぼっとしてたら、目覚ましが鳴った。
 すごくリアルな夢だった。
肉屋でバイトした時に、裸の地鶏に追いかけられる夢にうなされ、あれが人生最大の悪夢だったと思っていたが、マカロンとの別れと、怒り狂ったミーさんの顔を見るのはなんともつらかった。最後までしっかりお役目を〜と心新たに、約束通り8時15分にはホテルに着くように自宅を出た。子ども達はまだ起きていなかった。

 お役目を果たし、みんなに褒められ、自宅に帰る。台所には山のような洗い物があり、お昼ご飯を待ち構えている小鳥たちが、口だけ開けて待っている。食後のマカロンにみんなで飛びつき、コーヒーには新鮮なチョコレート。みんなしあわせ。

 週末はゆっくりしようと思っていたのに、JPが腰を痛めて歩けなくなった。テーブルについて、座っていっしょに食べるのも無理。一週間の検査入院つき休暇のあと、月曜日から二日間はトゥールーズでの研修、その直後の三日間はパリへ出張予定ということになっていたので、「どういうつもりっ?」という戒めだろう。
「ほらね、シゴトはどーでもいいから、家にいなさいって、神様のお告げだよ」
と言うと、いつもなら出てくる「ふむ」がなく、「そうだなあ、来週も休もうかな〜」と言っている。よっぽど痛いんだろう。それでも一応月曜日には職場に出て行く気ではいた。日曜日の夜は、起き上がれないパパを挟んで、寝室でサンドイッチパーティーをした。久しぶりの水入らずだったもの。

 そして月曜日、いつも通りに目覚ましを掛けて起きたはいいが、トイレに行ったJPは、今度は廊下を這って寝室にUターンして来た。
医者にも行けないので、マスリ先生に自宅に来てもらうことにした。困ったもんだ。大掃除の予定にしてたのにい〜〜。
「大掃除などやめて、休みなさい、休みなさい」
というお告げだろう。よかった。JPの腰のおかげで、大掃除しなくてすんだ。

 土曜日に届いた翻訳の第一稿の添削を見るとしよう。
こっちこそちゃんとやらないと、年を越せない。

2009/10/05

わたしは試されている

 ゾエがパパに会いたいと一日中言っていたようなので、学校が終わってからダッシュでアルビに連れて行った。JPが入院している病院は、アルビにある。ずいぶん新しくなったような気がするが、じつは入院病棟まで来たことはないので、よくわからない。

 最後に来たのはたしか10年ぐらい前。
牛の糞がいっぱい転がってるヌルヌルした田舎道で、JPがカーブで滑ってスピンして、木にぶつかり、ごろんごろんと車ごと三回転ぐらいし、天井もドアもぐちゃぐちゃにつぶれた車の中で宙ぶらりんになってるところを引っ張りだされ、ミイラのようにぐるぐる巻きに固定されて救急車に乗った、あの事故以来だ。
 結婚を機に、バイクを売って買った新車のルノーだった。小さな車だが、今時の新車というものはよくできているらしく、背の高いJPは頭を打つこともなく、脚の長いJPは膝をけがすることもなく、上手にひと型部分に残った小さな卵形の空間にJPはシートベルトのおかげで宙ぶらりんになっていた。電気のこぎりで切り取られたドアから、「やあ」と言いながら出て来た。じつに恥ずかしそうな顔をして。たしかに、一張羅を着たミイラが「やあ」なんて、じつにとんまな姿だった。
 いつもの水曜日ならばノエミとわたしと三人で買い出し日となっていたのに、その水曜日に限って、就職のための面接があったので、一張羅を着て一人でアルビに出かけた。面接を受けて、一週間分の買い物をしてその帰り道に事故った。
 車のトランクを開けたら、様々な瓶が割れており、コーンフレークやパスタやお米が、ミキサーに掛けたみたいにぐっちゃぐちゃになっていたため、その週の食料品はすべてお預けとなった。草むらから、放り出されて壊れた眼鏡と携帯が出て来た。もしいつもの水曜日と同じように、わたしとノエミも乗っていたら、わたしたちも見事とろ〜りなピュレになっていただろう。
 形を残してあの車からよみがえったのは、JPだけだった。

 思い出の病院である。

 今回は《内分泌科》なる場所に検査のために入院している。きのう入院したとき、「尿検査だけ。らくちんらくちん」と余裕を見せていたJPだが、ゆうべ八時から、四時間ごとに尿と血液をとられ、血圧が測られたらしい。今日は一日中、レントゲン検査とスキャナーと、内診と問診を受けた。ずいぶんお疲れのようだ。わたしはきのう「ザマミロ」などと思っていたので、管をつけてげっそりしているダ〜リンを見て、急にお気の毒になった。

 廊下を歩けば、身動きできない人や、意識不明の人や、不安そうな家族や、泣いてる人や、走っている医者や、怒鳴り合ってる看護師たちや、まずそうな食事をのせたキャリーや、なかなか来ないエレベーターや、車いすで通り過ぎる人々の姿や、廊下は静かに歩きましょうと呼びかけるポスターなどがある。病院でなにが切ないかというと、それは、遠くで鳴ってる救急車のサイレンと、廊下でいろんな病原菌を吸い上げている空調の、ブーンとうなる低い音。ノエミは病院に入ったとたんに「臭い」と言い、(ぜんぜん臭わないのに)「奥歯がガリガリ気持ち悪い」と盛んに言っていた。
 子ども達まで声を潜める。
 
 外の温度をまったく感じない、ゆうべと同じ温度の部屋で、白い壁と向かいの病棟を走る医者の姿を眺め、いつドアが開くかとびくびくし、今日はどんなものが夕食に出るのかとドキドキする。こんな部屋でJPは丸一日過ごしたのか。ああ、気の毒に。
こんな所から帰って来れなくなったら、いやだなあと思う。

 満月が一日分だけ欠けた、大きくて黄色い月を見ながら、カーモーに戻って来た。車の中でゾエは一言もしゃべらなかった。
月を仰ぎながら、「わたしは試されている」と思った。

 じつはJPの顔を見るまで、一日中腹を立てていた。あさ玄関先で、怒鳴り怒鳴られたせいで、一日中不愉快だった。なぜ、あのような人のために貴重な一日を台無しにしてしまったのだろう。わたしにはやることと考えることが山のようにあったのに。優先順位と、なにが自分にとって一番大切であるのかを見直さなければならない。こういう時にこそ。あかの他人に喰って掛かるのは、わたしらしくない。どうしちゃったんだろう。これではいけない。

 さあ、早く寝て、あしたに備えよう。あしたは朝日を拝んで、おいしい空気を吸って、できるだけにこやかに過ごそう。弱気を捨てて、前向きな強気で行こう!キレないように、キレないように。

燃えるわたしも、たまには弱気。。。

 JPが外を歩く時には、気をつけていなければ、交通違反の人に喰って掛かったりするので注意が必要。たまに、喰って掛かった相手から逆恨みの上、「今度道路で会ったら轢いてやる」などの遠吠えも背中越しにもらったりする。だから、パリに出張したりする時にはいつも、「どーか、お願いだから、チンピラには声をかけないように」とお願いしている。
正義のオトコがナイフで刺されることは、昨今たびたびあることなので。

 先週、二回ほど、自宅前で轢かれそうになったわたしは、もう、いちいち、自宅前の《歩道》にだーっと乗り上げた上に、そのまま歩道上を走って来て、玄関ドア10センチに停まるフトドキモノがいると、キ〜〜〜〜〜〜となる。ここまでくればかなり病的。この前そういう人を一人怒鳴りつけてしまい(殴りつけてはいないヨ)、そのあとわたしは「ああ、わたしは仏のみのりではなかったか」と嘆いてばかりいる。反省している、一応。うちの親父みたいに、あかの他人を路上で怒鳴った日には、東の母に頭が上がらない?母はいつも、そんな父の後ろでおろおろしていた。
 今朝、我が家玄関ドア10センチの所に停まった車がいて、ちょうど家を出る時だったもので、またも轢かれそうになり、わたしは、もうどうしてもヒトコト言ってやらねばならないと、燃えた!!

 「すみませんけど、歩道を車で走るのは違反ですよ。歩道にほんのちょっと乗り上げるだけならまだしも、歩く隙間もなく玄関先に停めてもらっちゃこまる。」
と、一応丁寧に言った。丁寧だった、はず。丁寧だったに決まってる。反省したのだから。
そうしたら、「ごめんなさい」も言わずに、ほかに停める所がなかったとか、アンタを轢いた訳じゃないからとか、反論するので、わたしはまたキレた。
ああ、これはもうわたしではない。オンナは黙って後ろ三歩って、母がいつも言ってたじゃないの。
笑っていれば世の中がすいすい渡れると。。。
深呼吸をして、一応ナンバーだけメモった。あの人にいつか殺されるかもしれないので。

 それで、実行のオンナ・わたしは、警察に行ってみた。事情を説明して、いちいち注意できないし、いちいち逮捕もできないだろうから、ちょっと通行者の気を引くために、たとえば歩道に色を塗るとか、玄関前に看板立てるとか、できないものかというのが質問。
警察では、歩道に色をつけるなどの許可は無理。市役所に行ってくれ、とのこと。
警察では電話してくれたらすぐに来て、罰金をとるので、いちいち電話しなさいという。
一日二十回も、三十回も、電話なんかできないヨ。
でも、試しに何秒で駆けつけてくれるのか、ちょっとやってみたいなという気になったことは確か。
「二十回でも三十回でも、呼ばれたら駆けつけるから」とにっこり笑ったおまわりさんだから、一応来てはくれるんだろう。そして、玄関前にはもう誰もいないんだろう。
 市役所には、いちおう話を聞いてくれる人がいる。でも、歩道に色を塗ったりなどは、無理というのである。いろいろ難しいのだ。わかる。そんなことをいちいち町中の人が申し出ていたら、町は町ではなくなってしまうのだろう。でも、我が家近辺は無法地帯と化していて、誰も逮捕されず、誰も善処しない。自分の子どもを守るために勝手に歩道にペンキを塗ったら、わたしが逮捕されるんだろうな。いや、まだ塗ってない。うちの子ども達が轢かれてからみんなが後悔し、うちの子ども達が轢かれてから法律を作り替えてくれても、どうしようもないんだがな〜と思う。つらいのだなあ〜。死人が出るまで話題にもならないっていうのは、どういうこと?

 とりあえず、市役所では「上の人に相談します」と言ってわたしの名前と電話番号をメモした。警察では、「上の人に手紙を書いてくれ」と言われた。「上の人」から連絡はこないだろう。そういうもんだ。選挙権がないから、サービスしてっていうのも気が引ける。
 とにかく、脱力。。。。もう今日は腹も立たない。一応警察の《上の人》に手紙だけは書くつもり。

なにもやらなければ、なにも変わらない。
やっても変わらないことはあるけど、一応気が済むかも。
自己満足だけでは、なにも変わらない。
さあ、書くぞ〜〜。
わたしはいったいなにと闘っているんだろう?
忍耐力だろうか?我慢の限界だろうか?
ここで笑って轢かれてるのが、社会を乱さない良い人間ということだろうか。

JP 入院 !

 そろそろ、夢について語ろうと思っていたのだけれども、あまりそれどころじゃなかった。
JPが、入院することになったために、入院する前にやることがいっぱいあるJPに、パソコンを独占されてしまったため。
JPが入院するからと言って、わたしはこれといってすることはない。このおひとは一人旅には慣れており、荷物をコンパクトにしつらえることが上手で、余分なものと不要なものを切り捨てる決断力があるので、わたしは彼の旅行の準備などしたことがない。
 わたしのロジックは、彼には意味不明で、彼の便利はわたしの不便なので、JPの持ち物を片付けたこともない。

 JPは《こんな顔》してるのだが、顔色はいいのである。
我が家で一番、ちゃんとしたものを食べ、早寝早起きで、程よい運動をしており、20年前とほとんど体型は変わらずスマ〜ト、髪も抜けず、視力も変わらず(悪いまま)、歯医者などにもお世話になっていない。
我が家で一番健康的な人間だ。

パパが《出張》というと、子ども達は
「バンザ〜イ。マクドに連れて行って〜」とか
「やった〜。今夜はピザ屋のピザだ」とか
「ピザにコーラとフライドポテトをつけよう」とか
「今日は夜更かしできる〜」とか
「あしたの朝は寝坊ができる」とか
わたしだったら
「洗い物は、食器がなくなるまでやんないぞ」とか
「料理しなくてすむ」とか
ノエミだったら
「ママを泣き落として、車で学校に送ってもらおう」とか
「ヴァイオリンをさぼろう」とか
まあ、うきうき気分で言ってしまうことが、山のようにある。

が、《パリ出張》と《入院》では、やはり、テンションに差が出る。

 ゾエは、パパがいなくて寂しい寂しいと言って涙ぐんでいる。(ちょっと芝居がかってるけど)
ノエミは、「一番健康に気をつけてる人が病気になるんだから、わたしはこれから思う存分不健康に生きる」などと言いつつも、いつもになく辛口の台詞が少なくなっている。
そして、「ピザは、健康的に、お母さんの手作りにしようね」と言うと、ハイと素直に返事する。
《入院》と言っても、じつは《検査入院》なんだけど、子どもには心配をかける。うちの子たちは普段から父親をないがしろにしているところがあるので、心配ないことがわかっているので、とりあえず、さんざん心配してもらった方がいいのである。《心配色》が濃くなったら教えてあげよう。

 木曜日にいきなり、「日曜日から検査入院するから」と言われ、金曜日にいきなり病院からいきなり電話があって、入院までの食事についての注意があった。4時間ごとの尿検査なので、食べるものに注意しなければならないのだ。普段通りに食べてないと、異常かどうかわからないと思うんだけど。

 そう、ただの検査入院。
夏から何度もおこなった様々な種類の検査で、身体からなにも出てこないので、今度はホルモンとか神経とかそっちの方を調べるらしい。
鈍感無頓着無関心無感動なので、確かにそっちを調べた方がいいかもしれないとわたしは勘ぐっていた。

ノエミが、「一番健康に気をつけてる人が病気になるんだから、わたしはこれから思う存分不健康に生きる!」など宣言するものだから、「パパは病気じゃない。身体はどこも悪くない」と、わたしが教えてあげる。

 JPはどこも悪くない。
JPによくないのは、ストレスだ。
JPを毒しているのはこの社会、この世界、そして、この家族だ。この三つの菌から、ストレスを被っているのが、病の原因であると、わたしは確信している!そんなの、医者に治せるだろうかねえ。
 ただ、病院に感謝しているのは、病因嫌いのJPを数日間縛り付けて、頭のてっぺんから足の先まで検査してくれるってこと。ずっと前から健康診断をしろといってもしなかった、アイツが悪い。はっはっは。ザマ〜ミロ。

 JPが検査入院をすると言った時に、わたしは「よかったね。ゆっくり休んでおいで」と言った。
反抗する娘や、ぐずる娘や、愚痴る妻のいないところで、上げ膳下げ膳(は、うちでも同じだ旦那様)、仕事もお休みっていうのは、彼には必要だったのだ。
シミのない真っ白な天井を眺めながら、まだ草の生えていない新しい病院の中庭を見ながら、新しい未来を描き直す時間を、無理矢理もうけさせることができて、わたしはうれしい。
 将来のことを、もっと自分のことを考えろといくら言っても、「ふむ」しか言わないからこうなったのだ。はっはっは。ザマミロ。

 リュックサックの中に本をたくさん詰め込んでいたので、わたしはこっそり《エコロジカルな家》の特集が出ている雑誌をしのばせた。ふふふ。わたしは、田舎にわらの家を建てるという野望を持っているのだ〜。屋根には太陽熱電池のパネルを貼って、庭には大きな風車が回る。。。。JPには、自給自足生活が似合っていると思う。
 「お金はわたしが稼ぐ!」と言ってあげられたら、一番いいんだがなあ〜と思う。
寝てなんかいられない、一家の主というのも、お気の毒。
 とにかく今は、いつまでもごろごろ寝てられるのは困るので、早く帰って来て、ゾエに金曜日に買ってあげたばかりの自転車につきあって欲しい。

 土曜日と、日曜日の朝入院する前に、家族で自転車に乗って自然の中を20キロ走った。20キロはゾエの初体験だった。
栗拾いに行けなかった。来週行けたらいいな〜。

2009/10/02

ホトケのわたしも、たまにはキレる

 前の日、反抗期まっただ中のノエミと大げんかをした。
わたしとノエミをよく知っている人は、みんな、「この母にしてこの子あり」とか、「カエルの子はカエル」とかいう。わたしはどっちかというと、ノエミの性格はJPじゃないかと思う。
《JP+わたし》っていうのは、明らかに不幸だ。でも、たまに《JP×わたし》かもしれないと深く感じることもあるし、
《JP×わたし×じーちゃん×ばあちゃん×おとーさん×おかあさん×おじちゃんたち×おばちゃんたち》
だな〜と感じる時には、そりゃもう絶望的になる。
《足して8で割って、平均どんな》
にはなり得ない。ひたすら、かける・かける・かける。。。
しかも、悪いところぜんぶ凝縮。
そんなヤツと大げんかをすると、キ〜〜〜〜〜〜〜となるしかない。

 それで、その夕方のけんかで、彼女は自分一人でも生きていけるから放っておいて欲しいというようなことを言い、なんでも自分でやるっていうので、あらそうですか、じゃあ掃除も洗濯も、買い物もよろしくねと思ったのだが、次の朝には目覚ましが予定の時間に鳴らず、起こすまで寝ており、しかも、先週につづいて「遅れるから車で送って〜」などと甘い声で頼むので、
「じょおっだんじゃないっ。プライドはどうしたんだ。プライドは!」
普段はプライドで立ってるようなオンナなのに、肝心な時にプライドは簡単に捨てることができる、ああ、プライドのないヤツだ〜〜。いらいら。
と、母に怒鳴りまくられる、新しい朝の始まり。。。。

 自分はどうだったかねえ〜。確かにしょっちゅう遅刻してたよなあ〜。でも、自分でパンツ洗ってたし、食事の後は洗い物をさせられてたし(冷たい水で)、学校に車で行ったことなんかなかったよな〜。だから、あれくらい言っても大丈夫だったよなあ〜。

 などとぶつぶつ言いながら、日課のお散歩へ。ボボと。
下向いてぶつぶつ言ってたもので気づかなかったが、公園のはるか彼方に、大きな犬が一頭プラプラ歩き回ってる。
「ああ、どうか、ボボとアイツが目を合わせませんように」
と祈りながら、足早にアイツの視界から逃げようと小走りになった瞬間。アイツが、わたしたちを見た。
目が合った。確かに。
と、思ったら、一目散にこっちに向かって突進してくる。
熊と犬が追っかけてくる時は、走っちゃいけないのだ。でも、熊と違って犬には、死んだふりが通じない。
 このごろ目がよく見えないボボは、わたしが大慌てで石ころを拾ってるのにも気づかず。突進して来た犬に飛びつかれてしまった。
ロドバイラーといって、獰猛な犬ナンバーワン、公共の場所ではつなぐこと、人をかんだ場合は即刻死刑が定番になっている犬だ。それも そのはず、全国各地でロドバイラーに《食べられて》亡くなった人や、頭などの身体の一部をかみちぎられて、重体になった人続出している。まさかカーモーでコイツを見るとは。ご近所のなじみじゃあない。通りすがりのヤツにわたしたちの公園をわがもの顔にされるとは〜〜許せん〜〜。その辺の石ころを拾っても、ぜんぜん効果ない。
 ああ〜。ボボに噛み付いてる。コイツ〜〜。
 遠くで近所の保育園の先生たちが、ベビーカーを押しながらこっちを見てるけど、ベビーカーを投げ出して助けに来てくれるはずもなく。わたし真っ青。ボボは闘っている。こんなに真っ青になったことは、そうはない。殺されるかと思った、うちのボボを。でも、殺すまでもなく、あっちに行ってしまった。そのあとむこうで女の人の声がしてたので、飼い主がいたのだろう。隠れてたね、アンタ。

 真っ青な顔でうちに戻って来たら、今度はうちの前の歩道に車が乗り上げて、そのまま玄関のドアの前に駐車した。わたしのことをちらっと見て、そのまま横のパン屋さんに入っていったので、わたしは、そのまま、腕組みをしてそこに待機。つい一週間前にも、歩道に乗り上げて来てうちの前に駐車した車に、子ども達をひかれそうになったので、もうわたしはうんざりしている。
 待てど暮らせどパン屋さんからは誰も出てこない。そうしてるところへ、杖をついた老女が一人、歩道の向こうを歩いて来た。歩道に停まっている車のせいで、通行止め。こっちからも一人、足の不自由なおばあさんがやって来て、わたしに「こんな風に車を停めてもらっちゃ困る」と言った。わたしじゃありませんってば。おばさんが歩道をおりて道路を歩こうとしたら、道路を突っ走ってきた車に轢かれそうになった。

 も〜〜〜〜許せないのだっ。

 パン屋さんから出て来た女性は、わたしたち三人をちらっと見て、「行きま〜す」とは言ったけど、「すみません」は言わなかった。
わたしは「信じられないっ!いつかうちの子たちは、あなたみたいな人に殺されるんだ。人を殺してから後悔したって遅いんだよ。」というようなことを怒鳴りまくった。あの人にも、子どもとたぶん孫ぐらいはいると思う。
あかの他人を、最後に道路で怒鳴ったのはいつのことだっただろう。

 こういう時に、わたしは「だから、田舎に引っ越そうよ。」という。
JPは「厳しく叱って、そういう人を正しい道に導くべき。」という。
確かにわたしに怒鳴られたおばさんは、うちの前では二度と同じことはやらないと思う。でも、駐車する歩道を100メートル先にかえるだけなんだ。絶対そうだ。
 ああ、やりきれない。

2009/10/01

Nadine ROSSELLO

 数年前に骨折した足首が、ときどきうずき、それがどうもアキレス腱に響いているようだったので、夏の剣道合宿の前から整骨の専門の医者で治療を受けている。
そこで、電気ショックの治療を受けたりしながら、事故あとのリハビリなどに来ている人ともすれ違う。
先生は、毎回5人ぐらいを同時に治療室に入れて、それぞれにやるべきことを与えて、自分は歌を歌っている。

先生の歌の先生がナディンヌさんだ。
ナディンヌ・ロッセロさんとは、何回かすれ違い、ある時には、奥の部屋で先生とデュエットをしているのを聴いた。
先生は、毎回みんなが体操をしている間、80年代の音楽が掛かるラジオをガンガンに掛けて、たまに歌いながらわたしたちの身体をもんだり、骨をガリガリならして修理してくれたりする。

先週ナディンヌさんが新しいCDを持って来たので、先生はラジオを消してそれを掛けた。
ナディンヌさんが歌う、コルシカ島、イタリア、スペイン、ギリシャ語の歌は、心に響く。
今週ナディンヌさんに頼んでわたしの分も2枚持って来てもらった。
一枚は、義弟の奥さんにプレゼントするつもり。

http://www.myspace.com/nadinerossello

ぜひ、聴いてください。