2010/12/26

今年もありがとうございました

 先ほどナルボンヌから帰った。
冬休みに入ってからずっと子ども達を預けていて、クリスマスをJPの両親で過ごすために、24日にJPの仕事が終わってから、ナルボンヌに向かった。

 わたしは今レストランでの実習中だ。
アルビでは一番か二番という、とてもよいレストランで仕事している。
クラスメートの実習模様を聞くと、噂のレストランでも、冷凍食品を使ったり、数日前に作ったものを温めて使ったり、野菜や果物を機械で切ったりするところがほとんどのようで、あるクラスメートなどは「毎日缶詰を開けるのに時間を費やしている」と言っていた。

 わたしの働いているレストランは、缶詰を開けることも、冷凍食品を使うこともない。見習いだからといって、洗い物をさせられることもない。専門で洗い物だけをする人がいるし、レストラン内のお掃除や食器の片付けなどなどは、ウィエイターの人たちがする。小さなキッチンで、お客から見えるガラス張りになっている。調理場はとても機能的で、作り置きなどせず毎日料理の下準備を使い切り分だけ用意して、実に機能的にセッティングされている。小さな調理場に、温かい料理を作る部署と、冷たい料理を作る部署が離れて用意されていて、その真ん中に、アペリティフ(前菜)やデザートを作る部署が置かれている。わたしはよくそのデザート部署に配置されている。野菜や果物を指示通りに切ったり、お皿に載せたりするのが主な仕事で、お昼のお客さんが多いときなどは19ユーロのメニューを80人分用意することがある。お昼に80人分というのは、小さなレストランにしては「へ〜結構はやっているんだね」というのが、聞く人みんなの意見だ。
ちなみに、お昼のメニューの相場は9ユーロぐらいで、中華やアラブのレストランに行けば6ユーロぐらいで食べられるので、真っ昼間から19ユーロのメニューを食べにくる人というのは、社会的にかなり上層階級だろう。ちなみにお昼のお客さんの多くは、スーツにネクタイの男性組とか、働くおしゃれな女性のグループが多い。これまで二週間いて、子供の声を聞いたのは一回だけだった。10代の若者の姿もない。夜の一番安いメニューで39ユーロとか56ユーロなので、若い人には無理だろう。

 調理場は、9時に出勤して、一応15時半で上がることになっている。夜は18時から再スタートして23時がオーダーストップなので、わたしはいつも23時には上がっていいと言われるが、プロの調理師さんたちはお客が帰る午前1時や2時までいることも多いらしい。コーヒーを飲んで、食前酒のバーに移ったのに、つまみや甘いものをほしがるお客さんもいるので、調理師たちは客がいなくなるまで帰れない。

 今度の火曜日にはパンの作り方を習う予定。フィナンシェとコンポートはもう《専門家》と言われている。ひひひ。料理学校の課題では肉や魚の調理も習わなければならないのだが、わたしの関心は前菜とデザートに集中しているので、シェフがそこに置いてくれている。今度の火曜日に先生が視察に来るので、うんとほめてやると言ってもらっている。

 来週は一週間学校の休みで、実習中の人たちも休みをもらえることになっているのだが、わたしは再来週に二日間、剣道の合宿のためパリに行かねばならず、休みをもらわなければならないので、来週もちゃんと3日間だけ仕事に出る。先週は指圧の追試験のためパリに行っていた。金曜日の寄る夜行でパリに行き、土曜日に試験をやって、土曜日の夜行で帰ってきた。パリでは雪が降って大変だった。


 さて、あちこちからわたしのメールが帰ってくるという連絡をもらった。
「メール届いてますか?」
とメールをもらうので
「届いてますよ。これは届いてますか?」
と返事をすると、
「みのりさんのも届いてますよ」とは返事がないので、どうやら、届いたり届かなかったりしているらしい。
毎日数通のメールが届いているので、誰のが届かず、誰には読んでもらっているのかいないのか、さっぱりわからない。

原因が全く分からないので、とりあえず、連絡をもらえる人を優先に連絡を取ろうと思う。
これからしばらくのメールはこちらへ。

hakuyukai8@gmail.com

HAKUYUKAI はくゆうかいというのは《白悠会》と書く。この9月にJPと二人で始めた剣道のクラブ。
http://hakuyukai.blogspot.com/

facebook もやっている。daniel minori で検索してみてね。



今年は家族みんな元気で、病院通いも入院もなく、よい年でした。
来年もどうぞよろしくおねがいいたします。

2010/11/23

ジジのエジプト旅行



 3冊目の翻訳の本が出来上がりました。
11月下旬には書店に並ぶ予定です。
よろしくお願いいたします。

 あらすじ

 予定のない夏休み。なのに、クラスのみんなに「エジプトに行きます」と嘘をついてしまったジジ。
それを信じたクラスメートからは、スター扱いをされるし、質問をされるし、おまけに先生からは「新学期にレポートを出してね」と言われてしまう。困っていたら、同じく「中国に行く」と嘘をついたライバルのモーからの、ものすごいアイディアが!
 ジジとモーのエジプト旅行が、いよいよパリからスタートする。どんなエジプト旅行が待っているのか!?

前2作に比べると、ユーモアたっぷり元気なお話です。楽しいエジプト旅行になりますように。

2010/11/21

おねがい

 親戚、友人、知人のみなさん

こんにちは。お久しぶりです。

パソコンの故障により、いろいろな情報や、メールアドレスが消えてしまいました。
みなさんのメールアドレスは、プリントアウトして記録に残っているものもありますが、最近アドレス変更のお知らせをくださった方や、最近になって連絡をくださった方のメールアドレスの一部が残っていません。メールをください。ついでにみなさんの近況もお知らせください。

わたしたちは夏に帰国する予定です。お会いできたらいいですね〜〜。

        みのり

2010/11/01

ケーキ屋さんでの職場実習

 調理師の資格をもらうための学校に通っている。10月4日から通っているので、もうすぐ丸一ヶ月続いたということになる。我ながらがんばっている。3週間目からは、栄養学や調理実習や経理などなどのほかに、フランス語と英語と数学と地理歴史まで加わった。調理実習だけやりたいのに、余計なものまでいっぱいやらなきゃならず、ちょっと学校が嫌になっていたところ、4週目と5週目は、職場研修になっているので救われた〜。

 クラス10人のうち、学校のあるアルビ市から通っているのはわずか2人、みんな30分以上掛けて登校している。カーモーからはわたしのほかにトルコ人のアナンが来ているので、わたしたちは仲良くいっしょに登校する。アナンは、22歳で前にも別な調理師の学校で別な免許をもらっている。職場研修もしたことがあるので、調理実習の時間はあっという間に仕事を終わらせ、わたしのことを手伝ってくれる。ほかに仲良しはエリックというわたしと同年代の男性で、彼はサッカーのほかに柔術をやっているので、話が合う。エリックは携帯電話のモトロラの会社で重役をやっていた人なのに、調理師に転職しようとしている。調理実習のために来ている調理の先生2人も、柔道と柔術をやっている人たちなので、わたしたち4人は『若くないもの同士』話が合う。ほかの人たちも若いながらも各地で苦労した人たちで、若いのにけっこうしっかりしている。みんなあっという間に研修先を見つけた。アナンはアルビの中心街にある小さなレストランで、エリックはピザ屋さんだそうだ。エリックが目標にしているのは老人ホームの食堂なので、次回の研修先は老人ホームをあたる予定らしい。ケーキ屋さんで実習するのはわたしだけだ。

 ずっと前ミーさんに、「製菓学校に通いたい。お菓子づくりに興味があるので、アルバイトでいいからミーさんのお店で働かせてください」と言ったら、「主婦の片手間にできることじゃないんだぞ。甘くみるな」と叱られた。わたしはとっても本気だったのだけれども、ミーさんは、わたしが主婦の片手まであれこれやってると思っているので困る。どちらかというと主婦業はほとんどやってない。いろんなことの片手間に主婦業をやっているといっても過言ではなかろう。主婦業にたどり着くまでにやることがいっぱいある。ただ働きで成果を認められにくい主婦業をちゃんとやっている主婦たちのことを、わたしはとても立派だと思うし、深く尊敬している。

 ところで、ほんとうに調理師の学校に入学してしまったので、ミーさんは最初はびっくりしていたが、やる気を買って喜んで遣ってくれるという。(どうせ、お給料はあげなくてもいいんだしねえ〜)
 けれども、学校の方はいちおう『製菓』ではなく『調理』なので、ケーキ屋さんでの研修と言ったら学校の方で嫌な顔をされた。生ものの仕込みや、保存の方法、もちろん調理をやらなきゃダメなのだ。でもどうしてもミーさんのラボで働きたかったので、5回の研修のうち1回目は「デザートを学ぶ」という建前で、ケーキ屋さんのほうで働かせてもらうことになり(じつはチョコレートのラボに行きたいんだよなあ〜)、そのほかの研修は、ミーさんのお友だちの高級レストランで研修させてもらうことになった。ミーさんが直接電話を掛けて、「今から行かせる。わたしの友達なので、親切にしてやってくれ」と言ってくれたので、お昼の忙しい時間に押し掛けたにもかかわらず、大変親切に受け入れてもらえた。クリスマス前後の三週間は、このレストランで働くことになっている。シェフはオランダ人。斬新なヌーベルキュイズイーヌという分野のレストランで、お金持ちとスノッブしか入らない高級なレストランだ。わたしは日本からのお客さんを接待するために、何度もこのレストランにミーさんのお供をさせていただいた。このようなクリエイティブなレストランで野菜の切り方などを習いたいと思っていたので、次回の研修をとても楽しみにしている。

 さて、ミーさんのケーキ屋さんの工房は、5時からスタートする。でも、「あんたは家庭があるんだから、好きな時間に出てきなさい」と言ってくれ、職場の人もわたしのことを『社長の個人的なお友だち』と思っているらしいので、なにも言わない。シェフのフィリップさんも、わたしには怒鳴らない。いいのかな〜と思う。フィリップさんに「5時に出てきましょうか」と言ったのに、「7時でいいですよ」と言われ、わたしは特別に7時から出勤している。フィリップさんはわたしと話す時には声のトーンが落ち、ていねいな言葉遣いで話す。いいのかな〜と思う。今朝などは、社長が自分よりも先に出てきていたので、いいのかな〜と思った。ミーさんがまさか7時前に仕事に出てくるとは思いもしなかったもので、油断をしてしまった。今日お店に出たサントノーレはミーさんの作品だ。すごいなあ。世界一のサントノーレだぞ。食べたかったなあ。

 5時からスタートした工房では、前日に仕込みの終わっている注文品を、9時頃までに仕上げて、4.5カ所のミーさんが経営している商店に配達される。だから結構な数になる。きょう働いていたのは7人だった。全部で10人で作っている。パンは別な工房から配達される。このごろにはクリスマスのケーキの元になるものをできるだけ作って冷凍できるものは冷凍室へ。。。という動きになっているので、なにやらとっても忙しそうだ。わたしが出勤する7時頃から納品の終わる9時頃までは戦場と化していて、フィリップさんが怒鳴りまくっているので、わたしはできるだけフィリップさんを避けて、見習いさんや仲良しのステファンなどに「何かできることない?」とささやきながら、あっち行ったりこっち行ったり、多くの場合洗い場で洗い物をしたりなどして逃げている。いいのかな〜、お菓子づくりを習わなくて?
 
 10時の納品が終わると一度しーんとなる。コーヒーの香りが漂い、冷蔵庫からいろんな物が出されて、みんなの朝食の時間となる。みんなだいたいケーキの失敗作や、パンにバターを塗ったサンドイッチなどを食べている。わたしは出勤前に朝食を取る時間があるし、しかも遅れて出勤しているので、いちおう遠慮して隅っこでコーヒーをちびちび飲む。たまにでき損ないだけど世界一の味のケーキをつまむ。たまに、製作中のケーキのクリームをなめさせてもらっている。幸せな職場だ。みんなすでに5時間ぐらい働いたあとなので、疲れて無口になっている。

 朝食が終わると、いよいよケーキやお菓子の作成に入る。翌日の注文品の仕込みであったり、クリスマス用のものであったり、作り置き品の冷凍準備であったり。。。一週間の間に、タルトやケーキの作成にも参加させてもらった。果物を切り刻んだりする作業もあったので、実習のノートにある『包丁を遣いました』などの項目にチェックすることができてよかった。クリームの絞り袋がうまく使えず、グッチャグチャになって、しかも何時間も掛かったので、シェフのフィリップさんがわたしの後ろでうろうろしているのを感じてはいたのだが、とりあえず急ぎの作業ではなかったらしいので怒鳴られなかった。たぶん、ほかの職人さんだったら3分の1の時間で無駄なくやったのだろうと思う。急ぎじゃない仕事を与えられているのだと思う。 
 
 週末はトゥッサンといって、フランス式のお盆みたいな週末だったので、ケーキ屋さんは忙しかったのだが、わたしはミーさんから「主婦は週末には子どもの面倒を見ろ」と言われていたので、土日はお休みをもらっていた。子どもたちはナルボンヌのJPの両親のところに行っており、子どもの世話の必要はなかったのに、しっかり休みをいただいた。そこでわたしとJPは、ベルジュラックという、うちから4時間近く掛かる場所で行われた剣道の講習会に出かけた。
 泊まりがけの2日間剣道三昧で、月曜日にはちゃんと5時半に起きてケーキ屋さんで働いた。手足にマメだらけ、筋肉痛もひどいのに、大掃除の日だったので、大掃除をして12時には終わった。いつもは午後2時とか3時までやる。

 子どもたちもJPもいない家に帰って、指圧の追試が近づいているので、解剖学の復習をした。ケーキ屋さんでの職場研修が終わったら、栄養学の学科試験と調理の実技試験が待っているので、今晩は栄養学もやる。調理の実技練習は家族が戻り次第始まる。家人はすでに何度も何度も、学校で習ったシチューやタルトを食べさせられている。繰り返して覚えないと上手にならないので。材料の分量や調理の時間、タイミングなどを丸暗記しなければならない。楽しくやってないけど、調理の手際は良くなるかもしれない。なにからなにまで大変興味深い一日が、あっという間に過ぎて行く。

 フランスは冬時間になり、日本との時差が8時間になった。ベルジュラックに行く道すがら紅葉を楽しんだ。すっかり秋が深まっている。あと8週間で今年も終わり。学校は来年の4月まで続く。

2010/10/20

剣道講習会

 指導者資格をもらわなければならない。

 フランス剣道連盟から指導許可っていうのをもらったので、教えることに関してはあまり問題はない。三十年もやっているし、いちおう有段者なので、剣道に関する履歴書と、剣道に関するレポートを出して、フランス剣道連盟から許可証をもらっている。

 許可証をもらう時に、去年まで通っていた道場の先生の承認をもらわなければならなかったのだが、このごろはドレイ先生はすっかり道場に顔を見せないので、サインがもらえずちょっと困っていた。そうしたら、同じクラブのフレッドが、
 「みのりの先生は佐藤先生じゃないか。佐藤先生の名前を書いて出せば、フランス剣道連盟では簡単に許可が下りるはず」
と言ってくれたので、レポートに佐藤先生の名前を書いて許可をもらった。サインはなくても佐藤先生の名前だけで大丈夫だった。

 指導者資格は、十年前にもらおうと思って研修に出かけたものの、三回のうちの一回目の講習会に参加した直後に妊娠していることがわかり、けっきょく続いての二回の講習会に参加できなかったため、指導者資格免許ももらえなかった。

 研修はパリで行われるので、夜行の切符をずいぶん前に購入していたのだが、当日ストの影響で、予定していた電車が運行されなかった。しかも、そのストは延期されることが予想されたので、無理して電車でパリに出向いても、今度は帰って来れるのがいつになるかわからないという状況だったため、仕方なくベルナーに頼んで彼の車に乗せてもらうことにした。

 仕方なかったのだ。
ベルナーは、去年まで在籍していた剣道クラブのリーダー的存在。優しい顔をした商売人なれど、剣道の方は乱暴で何度も痛い目にあった。新しいクラブを起こそうと決心した一つの大きな原因でもある。彼は指導者資格試験にはこれまで関心がなかったし、誰かの教えを請うというつもりはまったくないようだったのに、わたしが申し込みをしたらベルナーもあわてて申し込んだ。ちなみに、この指導者資格免許は、『ボランティア教師』を育てるものなので、この免許をもらったからといって、お金を取って剣道を教える人はいない。でもベルナーは、指導者資格試験もないのに、剣道を教えている上に、私立の道場の先生なので、報酬をもらっている。うるさいことをいえば「違反」だ。

 ベルナーとの道中はさんざんだった。ただでは何もやらないという商売人。会社を二つやっているというエバッタ社長さん。美しい金髪女だけが好きな女ったらし。自分のことしか考えないエゴイスト。ブラックとアラブが大きらいな差別主義者。運転の仕方にも、会話にも、論議にも、わたしとは噛み合わないものがいっぱいあって、道中ずっとむかついていた。
 講習会では頼みもしないのに、先生たちの話に割り込んで自分の意見を言うし、自分の意見は述べても人の話は聞いてないし、乱暴なくせに「乱暴な剣道をする人が許せない」とか言うし、隣に居るのがものすごく恥ずかしかった。

 講習会では、剣道をする上で必要な解剖学的な知識と、授業をする上での方法についての授業があり、大変興味深かった。読むものがたくさんある。書くものも。二年前にこの試験に合格した友人たちが手伝ってくれるので、よいレポートを書けるのではないかと思う。

 木曜日の午後6時にアルビを出発し、ほとんどわたしが運転して、午前2時頃疲れてどうしようもなかったので、高速道路のパーキングに駐車した。車の中で寝て、7時に起き、9時からの講習会に出席した。金、土、日は朝9時から夕方6時までの講習会をうけ、日曜日の16時に切り上げて帰途についた。ベルナーはアルビまでしか送ってくれなかったので、夜中にJPを呼び出し、来てもらって、カーモーに帰り着いたのは1時頃だった。

 翌朝は8時からの授業だったけれども、家の中のことをやりたかったので学校は休み、午後から栄養学の講義に出た。

さすがにへとへとだ〜〜。

2010/10/11

学生に戻る

 10月4日から、学校に通っている。
ことの始まりは、『料理教室』を探していたある夏の日で、新学期の9月からどこかの料理教室に通えないかと思って、インターネットを見ていた。そして、料理の授業を見つけたのだが、その教室に入るためには、『職安』に登録されていなければならなかった。

 「職安」が、転職・免許取得を希望している人たち(失業者)を対象に、報酬つきの研修を企画していたのだ。つまり、授業料一切は職安が面倒を見てくれる。そして、わたしたちは、週に35時間学校で勉強しながら、最低賃金(時給8ユーロ)をもらうことができる。研修は10月から5月の終わりまでで、全部で14週間の職場研修がある。

 ことしは去年に引き続き指圧の授業も受けるし、剣道の指導者資格試験準備講座にも行かなければならないので、お金が掛かる。日本語レッスンはあるかないかわからないので、もっと定収に繋がる仕事を探していた折でもあった。なので、『学校に行って勉強する』ことのほかに、『ただで行って、そのかわりお金がもらえる』ということに惹かれた。しかも、習いたい習いたいと思っていたフランス料理を学校で習えるなんて、うれしい。

 しかし、ただの有閑マダムが通うようなただ料理をするだけの料理教室ではないので、調理学や栄養学や、数学(カロリー計算とか、はかりの使い方など)や英語(インターナショナルなレストランを目指し。。。?)もある。地理(フランス各地の料理について知らねばならない。特産品なども)や歴史(料理は文化、文化は歴史に繋がっているのだ)もある。そして、週に35時間の労働と言うと、たいてい朝8時から始まって、夕方6時とか8時とかに終わる。宿題もある。とにかく読むものが山のようにある。

 調理の時間に作ったものを1ユーロで買って持ち帰ることが許されているので、家に帰って料理をする手間が省ける。それは助かる。一日目などはタルト生地の作り方を学ぶ授業だった。キッシュとリンゴのタルトで、塩辛いか甘いかの違いで、使われている材料はほとんど同じだったから、試食する側にとってはおもしろくなかった。キッシュは、自分で作る方がずっとおいしかった。翌日は子牛のシチューでご飯がついていた。ご飯は見た目でわたしの作るご飯よりまずそうだったので、そんなものに1ユーロ払うのはばかばかしいから、シチューだけ持ち帰った。家人は「夜に肉なんか食べたくない」というので、ほかのものを作らなければならなかった。いちおう主婦なので、独身男性の参加者よりは、料理に関しては知っているようなのだが、でも、細かいことでこれまでミスをしていたんだと気づかされたことがいくつもあった。プロの先生に隠し技やコツを教えてもらえるのがうれしい。

 職場研修では、ミーさんが雇ってくれることになっている。ミーさんちのケーキを直伝していただくのだっ!!ずっと前に「調理師の学校に入りたい」と言ったら、ミーさんから、「バカなことを言うもんじゃない。甘くないんだぞ。主婦の片手間にできる仕事じゃないんだから」とこっぴどく叱られた。でも先日「料理学校の入学試験に合格しました」と連絡したら、「おめでとう!うちで雇ってやるぞ」と返事が来た。ほほお〜。雇って欲しくはないけど、ミーさんの技の直伝があるならば、行きますとも!

 とにかく、一日をどのようにやりくりするかが大きな課題。ほんとうに続けられるのかな〜。
今週は、木曜日に8時まで料理をして、ダッシュで家に帰り、9時の電車でトゥールーズへ行って、そこから夜行に乗る。パリに翌朝の七時に着いたら、ダッシュで会場に向かい、9時から剣道の講習を受ける。日曜日まで泊まりがけで剣道をやって、日曜日の夜夜行でパリを発ち、月曜日はまたダッシュで学校に行く。。。。いくらわたしでも、体力が保つのか。。。ちょっと心配。

さあ、寝よう。。。

2010/10/02

白悠会のお披露目

 いよいよ待ちになったお披露目の日。
この週は、ひどい天気だったので、土曜日にも雨が降ったらどうしようかと、そればかり考えていた。当日は、秋晴れの空の高い一日となった。手作りの旗が風になびいて、とってもかっこ良かった。

 白悠会の道場は45平方メートルしかない。幅が5メートル弱掛ける9メートルぐらいだ。剣道の試合場は9メートル掛ける9メートルが試合をする場所で、その周囲には畳などを置いてすわれる場所、歩き回れる場所があるのが普通なので、我が道場はほんとうにほんとうに小さい。
 「小さい道場だから、思うように稽古できるかな」と心配していたら、トゥールーズの友だちが「あとに下がらない剣道が学べるからいいじゃない」と言った。その直後に『道場』の床について調べものをしていたら、野間道場も細長い道場で、『後ろに下がらない稽古ができた』という記事を読んだ。なるほど、野間道場と同じか。。。野間道場はたしか長さが30メートルぐらいだったらしいのだけれども、年間三千人もの人が訪れて、稽古をしたというのだから、一人当たりの面積にしたら、わが道場の方が広々したものかもしれない。

 さて、お披露目の会には、はるばる遠方から、たくさんの友人剣士たちが来てくれた。泊まりがけで来た友人もいた。家族づれや恋人連れもいた。カーモーのママさん仲間や、通りすがりの人や、新聞を見て駆けつけた人もいた。なんともうれしいこと。一体どれくらいの人たちが、外から見物してくれたものかわからないが、道場で防具をつけていた有段者は、全部で25人だった。そして、わが道場の初心者たちも10人ぐらい来てくれた。有段者に混ざって、よく動いてくれた。

 駆け抜ける稽古をするために、道場の一番隅の隅に35人が固まりを作り、チュヴィ先生がかざす打ち込み棒に向かって道場を斜めに、すり足で駆け回った。こんな小さな道場で、35人ものツワモノたちをを走らせるとは。。。すごいなあ〜。

 うちの初心者たちは、わたしが防具一式を身につけたところを一回しか見ていない。防具一式をつけたものの、相手になって打ち込んでくるものがいないのだから、『打ち合い』というのも見たことがない。わたしが走り回るのも見たことがない。『剣道の普通の稽古』というものを、いままで一度も見ていなかった。だから、この日、有段者たちの掛け声や、走り回る姿や、汗を流す表情や、わたしがみんなを相手に打ちまくっている姿や(歓迎だから、みんなを打ちまくったのだ)、2メートルの相手に飛びかかっていく姿や、転んでも立ち上がる姿を見て、目を丸くしていた。

 お昼は道場の脇の庭で、テーブルを出して、みんなで持ち寄ったものを分け合って食べた。足りなかったらどうしようかと思って、前の晩に暗くなってから「やっぱりあと一品作ろうかな」とか「ちょっとビールとコーラを買い足した方がいいんじゃないの?」とか言っていたわたしだったのだが、JPに冷たい目で見られて、ものすごく不安な夜を過ごした。でも、みんながたくさん持ち寄ってくれたおかげで、食べ物はあふれるぐらいあって、残り物が出たぐらいだった。

 午後は場所を変えて、カーモーの柔道場で。畳の上での稽古となったが、形を中心にやった。模範稽古も行われた。ノエミが三歳の時に、わたしが剣道をしている間、道場の隅で子守りをしてくれた人の娘さんエロディーが、2歳の息子さんを連れて来てくれていたので、今度はわたしが子守りをした。エロディーは妊娠・出産・育児で三年間も剣道をしていなかったと言って、うれしそうに稽古に参加していた。

 夕方早めに切り上げて、夜は近所の中華レストランに繰り出した。剣道仲間と楽しいお食事となった。
 

2010/09/29

あふれるようなエネルギー

 たしかに、まだエネルギーはある。
なので、今日から居合道のお稽古にも行って来た。
じつは、剣道よりも居合道の方がずっと好きなのだ。でも、剣道よりももっともっと難しいし、よい先生につきたかったので、これまでもう15年以上も居合刀を振っていなかったのだ。わたしの居合刀は佐藤先生からのプレゼントで、先生が測って買ってくださった短い刀。身体にとっても合っている。そして、フランスじゃあ、あんまり見かけない、赤い鞘で、鶴が羽を広げた素敵な鍔がついている。

 剣道のお稽古が始まった時に、居合刀も持って行った。刀の仕組みと使い方がわかれば、竹刀の握り方や礼法に関する様々な事が、言わなくてもわかるようになるから。そうして、若い人たちは、《バンブーブレード》などのマンガのファンでいきなり刀を振り回せると思って剣道クラブに入ってくるので、刀をちらつかせると目が輝く。まるで一週間のお試しレッスンのあとには刀を振り回されるかのように洗脳。。。しないけれども、うんちくには役立つ。

 剣道と居合道は全然違う。でも、剣道をやった事もない人が、刀を振り回したいためだけに居合道をやっているのを見ると、《全然わかってない》と思う。剣道をやっている人は、居合道や抜刀道をやった方が絶対にいいと思う。目付や刃筋の理解に役立つので。

 剣道は一週間に二回の稽古で、わたしとJP以外はみんな初心者だ。だから、この四回の稽古で、わたしは一度も防具をつけていない。五回目の明日は防具を持って行って、面を打たせてあげるつもり。四回でやっと正面うちができるようになったので。

 パリで何十人という生徒を相手に教えている女友達が、そのクラブに代々伝わっているという、ある日本人の先生が書いて残された『年間指導計画表』というのをコピーして送ってくれた。そんな立派なものがあるのに、彼女は日本語がわからないので、役に立てていないという。もったいない。頼みもしないのにコピーして送ってくれた。だから、頼まれてないけど翻訳して送った。情報交換をできる相手がいるというのはとてもありがたい。これからも指導について助けてもらったり、応援しあったりしたい。

 ミクシーを通じて、剣道部の後輩二人からメールが来た。びっくりしたけれどもうれしかった〜。うちひとりのマコちゃんの方はお嬢ちゃんといっしょに剣道を再開したらしいので、なんともうれしく思った。出産して、歳もとり、何年ものブランクがあって、忙しい仕事と育児の合間に稽古に出ていっているとはなんとも頼もしい。学生時代とはすっかり身体の働きが変わっているはずなのに、学生の時に動き回った人は、どんな風に学生剣道を抜け出たらいいのか、はじめわからない。学生時代のように動けなくてイライラしたり、学生みたいに走り回って体力がもたなかったりもする。わたしもまったく同じだ。だからこんな感じでやったらいいよと、意見交換をする。

 トゥールーズに美恵子さんという剣道の友だちがいて、彼女も学生剣道をどうやって抜け出したらいいのかと苦戦している。歳もほとんど同じで、経験も、実績も同じようなものだ。なので意見を交換し合う。
 滋賀県に住んでいる姉も、おばさんになってから剣道を再開して、ハマりにハマっている。今度ゾエも剣道を始めたと言ったら、姪っ子たちのお古をいっぱい送ってくれたそうだ。姉とも意見交換をする。

 フランス人と結婚している日本人の友達の中には、二十代で日本を離れて四十代で茶道を始めた友達や、通信教育で書道を習い始めた友だちがいる。みんなに感想を聞くのが楽しい。みんな自分の中の日本を探しているような気がするし、自分の中の意外な日本を発見しておもしろがっているような気がする。剣道や居合道は、おそらく身体を使って汗をかくから、この歳になってもやってると言うと『すごいね、えらいね、体力あるね』と言われるのだが、わたしは茶道や書道のほうがずっと、精神力や集中力を使い身体を動かす事でごまかしたりしないので、剣道よりも身体は動かなくても、終わったあとふっと心地よい疲れのようなものがあるんじゃないかと思う。あの張りつめた緊張感の中に何時間も座ってジッとして修行をするのは、わたしにはできない、とってもすごいことだと思う。

 剣道と居合道のおかげで、夜テレビやパソコンの前にぼーっとしている暇がなくなった。

 さて、試験に合格したので、料理の専門学校に入学が決まった。来週の月曜日から来年の五月までの研修。来週からわたしは専門学校の学生になる。昼間も暇がなくなったので、来週からは買い物はJPがやってくれるそうだ。アイロン掛けもやってくれないかな〜〜と思う。剣道に行く体力はあるけど、アイロンの山を片付ける元気はちっともない。学校のはなしはまた今度。

2010/09/19

白悠会の初稽古

 いよいよ、JPとわたしの剣道クラブがスタートした。
前もって予定していた人たちは全員出席で、いきなり来てくれた人を加えて、全部で14人の稽古となった。田舎の道場で、初日からいきなり十人を超えるのは珍しいと、多くの友達に褒めてもらった。
 寒い冬が来て、年末年始が来て、中学生がみんな卒業試験で忙しくなる頃。。。一体どれだけ残ってくれるか、楽しみだ。

 一番うれしいのは十年間やめていたJPと、ゾエが、わたしといっしょに剣道をしてくれると言ってくれたことだ。
14人みんなが来なくなっても、わたし一人取り残されることはない。
 わたしたちが三人で夜出かけるので、ノエミは家で一人。。。「自由でうれしい〜〜」のだそうだ。簡単な夕食を用意して出かける。

 10月2日には、遠くからもたくさんの友達を招待して、お披露目の会を行う。パリやモンペリエからも、わざわざ来てくれる。
クラブを創立するにあたって協力してくれた、たくさんの剣友たちに、感謝の気持ちでいっぱい。恥ずかしくないようにちゃんとやろう。

 さあ、これからますます楽しみだ〜。

 ネクトゥーさんの家に行って、いっしょにお経を読み、ネクトゥーさんの家をお掃除しして来た。あそこに行くと、おトイレと仏壇のお掃除が待っていて、ネクトゥーさんが作ってくれた天ぷらを食べ終わり、ホッと一息つくと、とても気持ちが洗われる。ネクトゥーさんは、お披露目の会には出て来れないようなので、とっても残念。誘ったのは申し訳なかったかもしれない。


 ネクトゥーさんと佐藤先生が見守ってくださっているので、がんばれる。


道場の写真はこちら。
http://hakuyukai.blogspot.com/

2010/09/09

秋そろそろ

 夏休みの話題はほかにもあるのだけれども、いろいろ書いている暇が、ない。あちこちでいろんなブログをやっているので忙しいという言い訳もあるし、夏の剣道合宿で知り合った剣道の友だちとfacebookなどで写真のやり取りや剣道に関する意見交換をするのが楽しいということもあった。書いたらすぐに返事が来るので、またすぐに返事を書いてしまい、そうするとその場でまた新しい返事が届くので。。。もう、やめられないとまらない。

 8月の終わりから今週に掛けて、ずっと剣道のことで忙しくしていた。7月に設立した剣道のためのアソシエーション『白悠会』が、いよいよ9月16日からスタートする。JPとわたしの二人しかいないので不便があったのだけれども、いきなりもう一人が加わることになって、進みが早くなった。夏の剣道合宿で寝食を共にした、もとフランス・ナショナルチーム・キャプテンのチュヴィ先生が、『白悠会』の専任指導者として名前を貸してくださったので、予定通り9月16日からクラブを始めることができることになった。

『白悠会』のブログはこちら。とりあえず、生徒がみんなフランス人なので、フランス語のサイト。剣道の写真をたまに載せている。

http://hakuyukai.blogspot.com/


 今のところ高校生女子一名、中学生男子四名、四十代男女が一人ずつの申し込みがあって、これにゾエとJPが加わるので、とりあえず稽古もどきが始められそう。剣道協会から『指導者資格の許可』を出してもらえたので、普段はわたしが教える。剣道は最初の半年から一年、防具をつけるに至るまでがとても長いので、一年続けられるかどうかがミソだ。最初の一年で楽しみがわかる人は少ない。防具をつけていなければ、剣道らしい剣道もできないので、わたし一人が防具をつけて見せても、ちっともおもしろくないだろう。特に若い人たちはマンガの主人公みたいに、刀を振り回すことを期待してやってくるのだから。そういうわけで、チュヴィ先生の提案で『一日お試し会』というのを催すことになった。10月2日に道場を開放する。

 チュヴィ先生は全国各地で講習会などをされる。そのような先生がうちに来てくださって、おまけに少数のわたしたちに特別レッスンをしてくださるというのだから、これはありがたい。『道場開放』の日には、地元の人たちが見学したり、剣道をやってみたり、防具に触ったりするのが目的なのだが、まあ、カーモーでこれをやっても見に来る一般人はほとんどいないと思う。それで、全国の剣道仲間たちにメールを書いて「チュヴィ先生の講習会がタダで受けられますよ」と誘ったところ、全国から剣道仲間が集まってくれることになった。
これで、防具をつけていない人たちの基本の稽古の、稽古台(元立ち、とても難しい役目)になってくれる有段者たちと、防具をつけてやる普段の剣道の稽古を、我がクラブの初心者たちに見せてあげることができる。見取り稽古はとっても大切。

 といっても、わたしたちの道場は45平方メートルしかないので、あまりたくさん来られても困るんだけど。。。

 チュヴィ先生の名前のおかげと、「日本人女性が道場を始めるんだって〜?」という好奇心で、メールのやり取りでしか知らなかった剣道の友だちに、カーモーで会えることになった。こんなにうれしいことはない。みんなにJPも紹介できる。いつも、一人で出歩いて、一人で勝手なことをやっているので、結婚してないんじゃないかと言われることもある。JPもいっしょに剣道を再開したいというので、とってもうれしい。

 今年は剣道の指導者資格試験の準備講座を受ける。指圧は理論で点数が足りなくて12月に再試があるのだが、もし12月に合格しても2年目の受講は来年の9月からなので、それまでちょっと時間がある。それと、わたし、9月の終わりから高校に入学する。だから、今年は商工会議所でのレッスンを断った。この話はまたいつか。

 昨日は歯を抜かれて、ちょっとがっかり。ずっと痛かった。でも、歯痛のせいで悩み悩んでいた頭痛がなくなり頭はすっきり。新学期なので、いろんな新しいことに挑戦しようと思って、わくわくしている。

 まあ、このようないろいろなことのせいで、今朝は運命とか人生について考えていた。今朝、友達がやっている美容院に行ってきた。新学期なので。数年前に生徒にプレゼントされ、数年間使っていなかった香水を振りかけて出かけた。そうしたら美容院で、その香水をわたしにプレゼントしてくれた、古い日本語の生徒クリスティンさんに、数年ぶりにば〜ったり会った。その香水の瓶にはもう1-2年も触れておらず、ホコリをかぶっていたので、「クリスティンさんごめんなさいね。どうしてますか?」とつぶやきながら、香水を振りかけて出かけたところだった。

 クリスティンさんは商工会議所のレッスンが終わってからも、コツコツ一人で日本語を勉強したらしく、とても上手になっているようだった。びっくりした。クリスティンさんは占い師なので、わたしがここに来ることがわかったのかしらと思った。再会もあるのが、新学期のおもしろいところ。そういえば、おとといは久しぶりに懐かしい幼なじみからメールが来て、昨日はミクシーでもすごく懐かしい人を発見した。振り返りながら少しずつ前に進んでいる。つもり。

2010/09/06

パリでの夏休み 五日目 最終日

 天気が悪いまま、最終日。
パリで着ようと思っていたワンピースも、寒くて全然着れなかった。靴も湿っぽい。サンダルはも荷物になっただけだった。ゾエなんか長ズボンを持っていっていなかったので、二日目からずっと、ノエミのズボンを履いている。

 さて、最終日、お部屋をきれいに片付けて、この日はじめて朝食を用意してくれた奥さまが、朝の元気な会話に加わる。これまでずっと朝はご主人にしか会えなかったのだけれども、最終日なのでがんばって起きてくれたんだろう。銀の食器でいただく朝食もこれで最後。

 荷物を持って駅に向かう。駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、オステーリッツ駅のすぐそばのミューゼアム・ヒストワー・ナチュレルに行くことになっている。(歴史自然博物館?)ここの骨の博物館と、生きた動物の動物園にも行きたかったのだけど、今回は時間が足りなくて無理。剥製の動物の博物館にあまり並ばずに入った。夏休み中に恐竜展もやっているので子どもが多い。



 中に入るとまずクジラの骨がぶら下がっていて、圧倒される。まずは海の生き物の展示を見て、中二階に上がると、そこには動物たちの行列。ノエミは気に入った動物を一頭ずつデッサンしている。すべての動物が剥製なのだが、じつに表情が豊か。こんなそばでハイエナやライオンを見ることができるなんて。。。子どもたちは感動している。動物たちは動かないし、たとえばトラと子鹿が並んで歩いている姿を写真に撮ることなんて普通じゃできないから、思わず写真を撮ってしまう。



 とても暗い博物館だ。そして、フラッシュは絶対に禁止。ベルサイユ宮殿でも、ルーブル博物館でも、「フラッシュはダメ」と言われながらも、あちこちで光っていた。人が多すぎていちいち注意もしてられないという感じだった。でも、この博物館ではフラッシュが光るとガードマンがだだーっと走ってやって来て注意をされる。光る辺りをチェックして、少しずつ光らせている人に近づき、三回目ぐらいになると注意されるという感じだった。わたしたちはフラッシュには十分注意していたので、あまりいい写真は撮れなかった。その代わり、ノエミがたくさんのデッサンをした。

 ノエミは今回の旅行ではほんとうに、行く先々でいろんなことに興味を示し、じっくり見学し、文句を言わずによく歩き、進んで写真を撮ったり絵を描いたりしていた。博物館ではあまりにも熱心で、みんなからどんどん遅れ、迷子になってこっぴどく叱られるシーンもあったが、それは単に親が心配しすぎてキレただけで、本人は迷ったという意識も、親が心配してるという気持ちも、一人で心細いとか、どうしたらいいんだろうという不安も、はっきり言ってなかったんじゃないかと思う。ノエミはパリに来る直前、ローマにも行って来た。今年は学校の旅行でスペインにも行って来た。スペインで I ♥ Spain, ローマでは I ♥ Roma のTシャツを買って来て、喜んで着ている。ミーハーだ。ローマではROMA ROMA ROMA ROMAとびっしり書かれたトートバッグを買って来ていて、それに絵の道具をいっぱい入れて持ち歩いている。パリでは PARIS PARIS PARIS PARIS と書かれたバッグを持って歩く若いアメリカ人やイギリス人をたくさん見た。若者はどこも同じか?

 日本人だけが違う。夏休みにパリなんぞに来ている子連れの日本人一家と言ったら、お金持ちに決まっている!お嬢様みたいな日本人の子どもを行く先々で見た。みんな自分だけのデジカメを持ち、お母さんのまねしてルイ・ヴィトンのバッグなんか下げてる。お母さんは夏の靴に靴下はいてるし、お父さんは日本の会社には絶対に着ていけないようなラフな麻のスーツを着ている。パリでは韓国人と中国人の団体さんもたくさん見かけた。わたしが東京で日本語を教えていた中国人と韓国人は、その地方のど田舎から出てきた労働者のおじさんばっかりだったので、中国人と韓国人と言ったら《そういう》イメージをずっと持っていたのだけど、このごろの韓国人は、まるで日本人そっくりだ。髪を染めてるし、ブランドものを下げてるし、ファッションも日本人みたいだ。一度だけ、セーヌの河畔を浴衣で歩いている女性二人組を見た。あれはなんかやっぱり変だった。本人たちも恥ずかしそうで。。。パリの教会で白いスーツを来た男性と、白いウエディングドレスを着たカップルが、結婚式の写真を撮っていた。ただ写真を撮ってるだけで、教会でお式をやっていたのではなさそうだった。いかにも日本人顔でヨーロッパのハンサムな男性のふりしてポーズ撮ってる姿が、ちょっとかわいそうだった。

 みんな、旅先ですれ違った人と、二度と会うことはないと思っているに違いない。

 最後の日なので、ノエミの希望を聞いて、《中古マンガ屋》に行った。わたしはそこでブラック・ジャックを買った。ほんとうはもっと大きなブックオフにでも行きたかったのだけど、もう元気がなかったので、五日目にしてもうすっかりなじみの出てきたこの界隈で、最後の食事をすることにした。Ecole Polytechnique のすぐそば。

 その前に、フィリップさんが教えてくれた、パリの人も知る人ぞ知る《闘牛場》を見に行くことにした。今では屋外演劇場として使われているそうだ。1860年頃、街の工事中に発見されたらしいのだが、じつは紀元一世紀の屋外競技場だったというわけ。パリの建物の真ん中にポッツリ残っている。《インターネットゾーン》という看板があって、石段でパソコンをやっている若い人が何人もいた。大学のそばのカルチエラタンと呼ばれる地域だ。



 JPが出張に行く時に乗る《夜行》に乗ってみたいというので、子どもたちを夜行に乗せた。興奮して眠りにつくまでが大変だったけれども、思っていたよりもよく眠れたらしい。夜の11時頃出発して、次の朝の7時にはトゥールーズに着いた。

2010/09/01

パリでの夏休み 四日目

 四日目は、地下鉄でルーブル美術館に出かけた。
ここでも、前もってチケットを先取り購入してあったおかげで、土砂降りの中、ガラスのピラミッド前の行列に並ばずに済んだ。わたしたちは地下鉄の通路から出るとすぐの屋根のある場所から、濡れる暇もなく時間通り入場できた。
 ルーブル美術館に朝一番に入る人たちの目的は何かと言うと、モナリザと正面から向かい合うこと。

 わたしたちははや足で。でも、たくさんの人たちが走って、まっしぐらにモナリザが展示されている部屋に向かう。モナリザが飾られている所のすぐそばに、まずは、サモトラケのニケの像があるので、つい、人びとの足が鈍る。写真も撮ってしまう。サモトラケのニケの像は、入り口を入って角を曲がった所に突然あらわれる大階段の上に、羽を広げている。ルーブル美術館で朝一番に、《目標》であるはずのモナリザに向かう通路に立ちはだかっていて、かなり衝撃的だ。

 朝一番に来たおかげで、モナリザをじっくり鑑賞することができた。真っ正面で見た。モナリザは今、レオナルド・ダビンチの《最後の晩餐》と向かい合っている。前に来た時には《最後の晩餐の謎に迫る!》と題された展示をやっていて、最後の晩餐に関する絵だけを集めた大広間に、《最後の晩餐》と、《最後の晩餐の実物大レントゲン写真》が向かい合って展示されていた。どうやら、ルーブル美術館は、日々変化を遂げているらしい。モナリザの絵も前よりいっそう頑丈な箱みたいな額に入っていて、薄暗くてよく見えない。
 「観光客の後ろ姿が写っていない、真っ正面のモナリザの写真撮っておいてね」ってJPに頼んでおいたのに、「そんなミーハーなことができるか!」と言って、写真を撮ってもらえなかった。くやし〜。

 今回わたしたちは、ルーブル時術館でモナリザ以外の絵を無視した。ルーブル美術館は、丸一日掛けても、ほんの一部しか見ることができない。1995年に従姉妹たちが来た時、そして2006年に従兄の家族が来た時、「ルーブルの有名な作品を三時間で見尽くそう!」とかいうような、すごいガイドブックを持っていて、従兄たちはやり遂げたらしいのだが、今回のわたしの目標は、《古代エジプト展をじっくり見る》だったので、どこから見たらいいのかわからないと迷っている家族をひっぱって、《古代エジプト展》をやっている棟に連れ込んだ。

 じつは、《ジジのエジプト旅行》という楽しい本を訳した。今年の年末までには出版される予定。そのせいで、《古代エジプト展》に深い思い入れがあったのだ。ミイラやマスタバや、そして《四匹のヒヒ》などを、この目で見てみたかった。

 ノエミがあまりにも熱心で、なかなか前に進まず苦労した。また連れて行くしかないな〜。
JPがいたために、ルーブル美術館の、楽しいお土産屋さんにも入れなかった。JPと迷ったふりをしてちょっとのぞいたら、絵画の有名人がつけていたのとそっくりな真珠のネックレスとか、古代エジプトの品のニセモノとか、そのようなおもしろいものがいっぱい並んでいて、おねだりしようと思っていたら、JPに見つかり「行くぞ」とあっさり言われてしまった。ちぇっ!

また行くぞー!今度はオルセー美術館にも行くぞー!(と、ノエミが言っている)

    地下の逆ピラミッド



2010/08/31

パリでの夏休み 三日目

 すでにヘトヘトで、朝がつらい。
けれども、子どもたちは、JPがヴェルサイユ市生まれなので、ど〜〜してもヴェルサイユ宮殿に行きたいという。JPが生まれたのはヴェルサイユ市の病院なのになあ〜。宮殿じゃないんだけど〜。

 ここでもまた、準備万端な父JPのおかげで、並ばずに入場できる特別ご優待チケットを、あらかじめインターネットにて購入済みだった。今度こそ、ヴェルサイユ宮殿の角から角まで見られる、本物のご優待券だぞ〜。



 一番目の宮殿で、鏡の回廊とか、マリーアントワネットの寝室とか、代々の偉い人の彫刻など眺めた。わたしは特に天井画にほれぼれし、ついイヤホンから流れるガイドの解説も聞かずに、写真を撮りまくっていた。天井画だったら観光客の背中と頭が写らないので、「これはなかなかいい写真になるぞ」と思ったのだが、フラッシュ禁止なのでけっこう難しい。


 宮殿を出て、庭園を散策中にJPの弟フロランから電話が入り、「合流する」とのこと。フロランはいつも三つ揃いの高価なスーツーを着ている義母の自慢の息子だ。それにしても、運動靴にリュックサックの観光客しかいないヴェルサイユ宮殿に、まさか《いつもの格好》では来るまいと思っていたが、やはり、高価な三つ揃いのスーツで来た。ちょっと場違い?庭園をまっすぐにこちらに向かってくる義弟を見ながらも、《ヴェルサイユ宮殿にお勤めのガイドさん》かと思って、まさか義弟とは気づかなかった。案の定、わたしたちの所にたどり着く前に、観光客に道を訊かれている。困っている様子で義弟だとわかった。


 庭園奥で道に迷ってしまったような人たちも、何だか、わたしたちのあとを着いて来ていたみたい。この背広のお方のことを、リュックサックに運動靴だけど優待券を持っているわたくしたちの、専用ガイドと思ったのかもしれない。明らかに観光客にしか見えないわたしたちの前を、革靴で颯爽とを歩く背広のおじさんは、ガイドと思われても仕方ない。が、じつは、わたしたちも庭園内で迷ってうろうろしていたのだった〜〜。





 庭園の一番奥の、マリーアントワネットの農場には、ぜひ、子どもたちを連れて行きたいと思っていた。
ここには、93年のクリスマスにJPと一緒に来た。真冬で、庭園の一番奥まで来るような果敢な人(物好きな人)はあまりいなくて、ひっそりしていたものだ。たしかに歯がガチガチなるほど寒かった。ヴェルサイユ宮殿じゅうの池は凍り付いていて、すべての彫刻に霜よけのカバーがかかっていた。マリーアントワネットの農場の、小さな農家の凍った池の前でJPと撮った写真を両親に送った。その時はじめて「この人とおつきあいしております」と手紙に書いた。

 今回は夏なので、ここまで来る人もとても多かった。そして、冬の閑散期にはなかったボートで宮殿の川下りとか、馬車やバス、それから電気自動車や自転車で、宮殿内を自由に走り回る人たちもいて、ロマンチックなマリーアントワネットの農場にも、人がたくさんいた。





 この日は一日中弟と過ごして、JPも子どもたちもとっても楽しんでいた。昼は宮殿の講演でサンドイッチを食べ、農場を廻ったあとに、ヴェルサイユ宮殿内のカフェでお茶した。夜はいっしょにごはんを食べて、JPがパリに来るたびに弟と一緒に通っているビストロに、わたしと子どもたちも連れて行ってもらった。ビストロの仲間たちは、「いつ会えるかと心待ちにしていた」と言ってわたしたちを歓迎してくれ、男どもはビールを飲み、わたしはモヒートを飲んだ。

 ものすごーく長い一日だった。

2010/08/30

パリでの夏休み 二日目

 「パリと言えばエッフェル塔」
もう、旅行前から子どもたちは何かの宣伝カーみたいに、そればっかり言っていたもので、親バカなJPは、いつの間にかちゃんとインターネットでエッフェル塔のチケットを買っていた。わたしは「あ〜ア」と思った。じつは。
 エッフェル塔は、夜、遠くから見るのが美しい。金色に輝くエッフェル塔が、パリのエッフェル塔のイメージなのだ。子どもたちにとっては。




 真っ白い歯のハンサムな紳士フィリップさんが、朝食を出してくれながら、パリにはバトー・ムーシュと呼ばれる観光船のほかに、ガイドアナウンスもなく、一方通行だけど安価なバト−・ビュス(船のバス)っていうのが運航されていると教えてくれた。地元の人はこのような安いルートや、観光客を避ける技や、近道や穴場を知っているものだ。それで、わたしたちは、バトー・ビュスの一日ファミリーチケット、乗り降り自由券を買って、船でエッフェル塔に行くことにした。

 エッフェル塔に着くのが10時を過ぎていたので、すでにものすごい数の人たちが並んでいた。トイレに行きたくなって、トイレに並んでいる間に、ずいぶん時間が過ぎた。JPはインターネットで買ったチケットを持っていたので、あまり長い時間並ぶことなく、思ったよりもずっと早くエレベーターに乗ることができた。前売り券を持っている人だけの優先通路があって、そこを歩きながら、《特別ご優待客》みたいな気分を味わえた。エレベーターでまず二階に上がる。とりあえず上がる。ただ高いだけ。別に感動もなく。とりあえず、エッフェル塔の360度の風景を写真に撮る。
     ナポレオンが眠るアンバリッド

    



三階に上がるために、エレベーターを待たなければならない。並ぶ、並ぶ、ぞろぞろ進む。そして、三階に上がるエレベーターの所にたどり着いたとき、
「このチケットでは三階まで上がれません」
と言われてしまったJP。わたしは「だったらもういいじゃん」と内心思ったのだけど、子どもたちが夢見たエッフェル塔の最上階だったので、プライドが許さない。わたしたちはエレベーターの脇で待ちに待った。もうこのままこの人ごみの中で、JPには再会できないんじゃないだろうかと思うぐらい人が多かった。外国語が飛びかっていて、風は吹き荒れていて、人は叫び合っていて、みんな疲れていて、みんなよそ者でどこか心細そうだ。
 JPが新しいチケットを買い直して、エレベーターの入り口にたどりつく。三階に上がる。ただ高いだけ。建物が見えるだけ。道路が並んでるだけ。山も谷もない。わたし、完璧にシラケております。熱心なのはノエミ。

       オルセー美術館やルーブル美術館が見えてる。



        凱旋門(がいせんもん)


 ところで、ゾエはうちの母に似ている。どこかに行くと、まずトイレを探し求める。エッフェル塔の最上階でトイレを探す、ゾエ。あるわけないじゃんと思ったら、あった、あった。公衆電話のボックスみたいな、痩せてないと窮屈というようなトイレがあった。みんな「あるわけないじゃん」と思うらしく、ここのトイレには、行列というものがなかった。地上で何十分もかけてトイレに並んだわたしは、馬鹿みたい。ゾエのおかげで、エッフェル塔の最上階でも、トイレに入ってしまったダニエル家のみんな。エレベーターを下りるとき、ノエミが、鉄骨の間を走るパイプを指さしながら、「ふふふ、このパイプを、急速度で流れ行くのは。。。?」とほくそ微笑んでいた。



 エッフェル塔の真下で写真を撮っていたら、ノエミが、「そこだったら三十センチぐらい真ん中から外れてる」とか言ってうるさい。ちょっと離れた所から写真を撮っていたら、ノエミが脇に来て、「最上階って言っても、最上階じゃないよね、てっぺんにはアンテナがあって、アンテナの所までは行けないんだからさ。」と。。。「娘たちに《最上階》の夢を叶えさせてやるんだ」と命を張った父JPを、真っ向からがっかりさせるノエミ。エッフェル塔の周りで売られているお土産物にもケチを付けている。そのかわり、どこに行っても何を見てもかなり熱心。楽しんでないようで、じつはものすごく楽しんでいるらしい。






 バトー・ビュスでノートルダム寺院に行こうと思ったら、一方通行なので、グルうっと廻らなければならなかった。バトー・ビュスはけっこう時間が掛かった。しかもノートルダム寺院でも、トイレに並んでいるものすごい行列にあった。もうほんとうにどうしようかと思った。みんなイライラしてて怖かった。これが食べ物をもらう配給の行列だったら、凄まじい争いになるんだろうか。。。など想像した。トイレ行列のあと、ノエミはどうしてもノートルダム寺院に入るのだと言い、一人で並んで、一人で寺院を一周して出口にあるシャールマーニュの馬のしっぽの所で、本を読みながら待っていた。
 わたしたちは、セーヌ川のほとりに出ている本屋さんをのぞき、ゾエが希望していたので、お土産屋さんで金色のエッフェル塔を買った。自分のおこづかいだったので、机に飾る金のエッフェル塔のほかに、かばんにぶら下げる銀色のエッフェル塔と、学校で見せびらかすための、文字盤にエッフェル塔の絵が描かれた腕時計を買っていた。ずいぶん奮発。JPはmade in china 商品に反発している人間なので、ゾエのために気持ちを抑えているらしい。ゾエのエッフェル塔の夢がまだまだ続くように、命かけてる父JP。

      ノートルダム寺院



   セーヌ川河畔の本屋さん、絵画も売ってる

      

 夕方はモンパルナスのサクレクール寺院に行った。ゾエは寺院の前で踊るカスタネット・ナポレオンに一目惚れし、そこを動こうとしないので、ノエミとJPのみ、サクレクール寺院の最上階に上っていった。普段エネルギー消費、とくに体内エネルギー消費には断固反対しているノエミが、一体どうしちゃったんでしょーというような快気。JPによると、「パパよりわたしの方が若くて元気」と言って、駆け上がったらしい。いつもパパと張り合ってるノエミ。


         カスタネットで踊るナポレオン(まさか〜?)



         サクレクール寺院。高い丘の上にある。



 帰りはバスでフィリップさんちまで。ノエミとJPの足の裏に指圧を施してあげたわたしであった。

長い一日だったなあ〜。

2010/08/24

パリでの夏休み

 去年からJPがよくパリに出張している。
そして、わたしも2009年の十月から受けていた指圧の研修や試験のために、何度かパリを訪れた。
そのせいで、子どもたちが「いつになったら、わたしたちも連れて行ってもらえるの?」と言い続けるので、この夏休みは、パリ観光をすることになった。
決心するのがちょっと遅かったので、都内の安いホテルを見つけるのはただならぬことだったし、安いホテルのふわふわなベッドでは寝ることのできないJPの希望で、一泊、一人150ユーロもするシャンブルドットに泊まることになった。

http://www.uncielaparis.fr/presentation.html

 シャンブルドットChambre d'hôte というのは、他人を泊めるための特別な部屋と、風呂場などが取り付けてある、見た目は一般家庭と変わらない普通の人に普通の家。でも有料宿泊施設として認められた家で、民宿協会みたいなところにちゃんと登録されていて、施設に応じた料金表もある。毎日新しいタオルが出してもらえて、部屋の掃除もしてもらえるし、豪勢な朝食に、頼めば夕食も作ってもらえる。そこの家族のお客さんではなくて、お金を払って泊まる宿泊客なので、いっしょに食べるのではない。
 わたしたちはこれまでにも、各地を観光する際に、地元の風土料理や、訪れる地方の特徴のある民家での、自分たちの地方とは違う暮らしを体験したいので、シャンブルドットに泊まることが多かったのだが、パリの市街地では、狭いアパートが多いので、まさかパリでもそんなシステムを利用できるとは、思ってもいなかった。

 かなり高級なアパート。セキュリティー・システムも頑丈なアパルトマンのドアを押した。玄関に六つも錠がついていた。
 真っ白な歯が輝くハンサムな紳士が、ドアを開けて、いそいそとわたしたちのリュックサックを部屋に運び入れてくれた。すばらしい真珠のネックレスに、手入れの行き届いた髪型。指の先まで美しい、自分ちでもハイヒールとワンピースを着ている優雅な奥さまに出迎えられた。もうかなり緊張してしまって、自分の運動靴しか目に入らない。
 ルイ何世だかの調度品に囲まれた、パリの普通のお宅のサロンに通された時には、はっきり言って緊張した。「パリだと《普通》なの?これ?」と心の中で叫ぶ。ゾエは「この人たち、誰?」と言っていた。「大声出すんじゃないよ」と母に小突かれる。パパの知り合いをちょっと訪ねただけと思ったらしい。
「このお宅に泊まるんだよ」と言うと、一気に緊張の色が顔にあらわれたのは、ノエミ。
「ママン、ドレス来て、ハイヒール履いて来るべきだったんじゃ?」
リュックサックに運動靴で、こんなお宅にお邪魔するのは、わたしぐらいでしょうか。。。。
JPなんて、Tシャツだし。ゾエの頭はヤマアラシだし。。。

 ご主人の定年退職を機に、独立した子どもたちの部屋を改造して、ふた部屋だけを観光客に提供している。部屋の入り口にホテルみたいな値段表や約束事が書いてあって、その部分だけが「わたしたちはこの人たちの友達じゃないんだ〜」と思わせる。アパルトマンのほかの部分は、ルイ何世のサロンも、中世からあるみたいなピアノも、勝手に使ってよいらしい。滞在中、自分たちの部屋以外はわたしたちは手を振れることもしなかったのだけど。。。子どもたちが割ったらいけないと思って、洗面所の割れ物は全部棚の一番上に載せた。
「アンタたち、口をゆすぐ時にはコップは使わずに、手で水をすくってうがいやンなさいよ。」
と言ってる自分が悲しい。ああ、もっと子どもを優雅に育てていれば。。。
 
 朝早くから出かけて、一日中遊び歩き、夜遅くに戻って来て寝るだけだったので、二人部屋が一つで150ユーロなんて。。。ちょっと、高価すぎたんじゃないかと思った。わたしは、ヴァカンスから戻ったら、雑炊グラシを強いられるんじゃないかとヒヤヒヤした。
 「パリでは費用節約のために、毎日昼はサンドイッチだ〜」と心に誓っていたわたしだったのに、JPは、昼も夜もちゃんとしたレストランに連れて行ってくれ、午後はサロン・ド・テやカフェでケーキとお茶をごちそうしてくれ、夕方になるとパリのビストロにまで案内してくれた。パリで入ったレストランは、イラン料理、ポーランド料理、中央高地のフランス料理、イタリア料理、韓国料理、ロシア料理。わたしは日本料理を食べようと思っていたのに、JPは「我が家以外の日本料理は全部ニセモノだ」と言って、日本料理店には絶対に入らない主義。困ったヤツだ。韓国料理の鍋はおいしかった。日本人のくせにはじめて韓国料理を食べた。

 パリでの写真はこちらから。たくさんありすぎるので、これからも少しずつアップしていく予定。
とりあえず、初日に宿泊したパンテオン近辺と、二日目に訪ねたヴェルサイユ宮殿。宮殿奥の、マリーアントワネットのお庭が大好き。
パリの夏や、どこもものすごい観光客の群れで、ゾエにはちょっときつかった。でも、ノエミは、宮殿も美術館も、興味を持って歩き回っていた。
 
 http://www.facebook.com/album.php?aid=31497&id=100000112720171&l=15303e9d1a

2010/08/08

マリオネット・フェスティバル

 数年前に家族で訪れて、とってもよい思い出になっていた、Mirepoixという町のマリオネット・フェスティバルに、今回はゾエの従兄のコランといっしょに行った。ノエミはローマへ旅行中。

 去年から運営の方針が変わったとかで、五年前には四日間の間、一日中町のあちこちで繰り広げられていた路上の大道芸は、今年はずいぶん数が少なかった。それがお目当てだったのに。
 路上に突然あらわれる人形劇や、マジックや、サーカスは、予告なしでおこなわれる『オフOFF』というもので、地面にポンと置かれた帽子に、好きなだけお金を投げ込むという仕組みになっている。安くで、しかも一日中飽きることなく、いろんな芸を楽しむことができた。もちろん気に入った芸には、帽子に投げ込むお金も弾んであげたし、出演者と談話することもできた。路上で行われるから、おもしろくなければお客はどんどんいなくなる。でも、たいていの芸には、人が集まって来て、大喝采のあと、隣近所に座り込んでいる見ず知らずの人たちと、木立の下などでビールなど飲みながら芸についての意見を交わしたものだ。それが気に入ったので、今年はJPの弟一家を誘ったのだが、残念ながらその路上でのオフがとても少なく、どの劇場も並んでかなり高額の前売り券を買わなければならなかった。初日の早朝を外したら、もう手に入らないチケットが多かったし、劇から劇の待ち時間に何もすることがなくて、ぶらぶら歩き回ったり、カフェに座り込んだりしなければならなかった。

 残念な面があったとはいえ、チケットを手に入れることのできた屋内での人形劇などは、とても質のよいものだったし、週末には路上でのオフもいくつか現れたので、土曜日の夜はずいぶんにぎやかだった。初日の閑散とした様子に呆れて、週末には戻って来なかった観光客も多かったと思うが、わたしたちは泊まっていたホテルもよかったし、四日間滞在したおかげで、初日のがっかりのあとは、最終日にかけてけっこう満足して帰ってきた。

 JPの弟の奥さんと、お母さんが冷戦状態なので、今年は両親の家で過ごさないというのが、弟一家の今年の夏休みの目標だったのに、マリオネット・フェスティバルの最中に、義父母が、ホテルのレストランで朝食をとっている最中にいきなり現れたために、お義母さんとソフィーの火花が飛び、わたしたちの週末が台無しになりかけた。このような迷惑なオフも、あちこちで行われるのが、夏のフェスティバルの習わしなのかもしれない。

 夏休みの予定はまだまだあるぞ〜〜。





 
 

2010/08/05

夏休み後半、いよいよ

 七月は、革命記念日の連休もとらずに仕事をしていたJPだったが、八月にはいよいよ休みを取った。わたしが剣道合宿に行っている間に大工さんが来て、屋根裏部屋の工事もずいぶん進んだので、自分でやれることは自分でやるんだと言って、屋根裏でトンカチを使っている。
おかげさまで、腰は何ごともなく、健康に日曜大工もこなす、今日この頃のJPである。

 明日からちょっと四泊いつかの旅行をするので、冷蔵庫にあるものを食べ尽くした。ゴミも出した。ボボのお散歩をして、餌もあげてくれるヘルパーさんにも、すでに前金を払った。ノエミの金魚(サビーヌという名前)は夏休みに入ってすぐの猛暑のある日、急に死んだので、魚の餌やりと水換えを心配しないですむのは、ちょっと助かる。水着とピクニック用品も準備したが、この数日の予報は雨らしい。

 久しぶりの家族旅行なので(ノエミはいないけど)ドキドキしていて、眠れない。じつは、日本から翻訳の仕事も来ていたので、さっきまでやっていたところ。眠れないからちょうどよかった。

 フランスのラジオで日本の話題が語られることは滅多にないが、先日日本は猛暑で死者続発なる報道を耳にしたので、今日は母に電話した。

 マンゴーを売るアルバイトをしているらしい。うちの母は、仕事の話をするときは、とても元気だ。猛暑なんだったら身体にこたえるんじゃないかと思って、心配もするのだが、人と関わったり、売り上げアップの策を練ったり、友達と出かけたり、、、まあ元気そう。
「ミイラで発見されたら、娘のわたしたちが後ろ指を指されるんだから、黙って一人でミイラになったらダメだよ」などと言って二人大笑いする。

 隣のお兄ちゃんやシュンイチにーちゃんが薮の草を刈ってくれただの、ヨシミおじちゃんたちがそうめんのセットやらいろんな食べ物を置いて行ってくれただの、美恵子ねーちゃんやその他大勢が、珍しい食べ物を持ってきてくれただの、「アンタが家庭を犠牲にして剣道の合宿に行ってたことぐらい知っているよ」というような対応を聞くと(言わないけど)、それはサダユキにーちゃんがわたしのブログコピーをせっせと運んでくれているからなんだなあとわかる。小学校や中学校の友達とスポーツをしたり、旅行に行ったりもしているらしい。みなさんのおかげで、「ひとり淋しくミイラになってる母」は想像に難い。それに、この人が家から一歩も出なくなったら、とりあえず誰かが気づいてくれるはず。それはわたしではないだろう。
 みなさんよろしくお願いいたします。


 「今日はマンゴーを5万円分も売ったよ」と自慢していたので、
「それで、日当はどのくらいもらえるの?」と訊けば、
「へ〜、そんなの訊いてないよ。もらえるんでしょうね?」
などとわたしに訊かれても困る。大丈夫かな〜。
「でも、帰りにマンゴーもらえるし。」って、アンタ。。。マンゴーとそうめんで生きていけるのか。

 じつは、この前ミーさんに呼ばれて、仕事しに行った。そして、「今日書いてもらう手紙に、いくら払えばいいですか?」とミーさんに訊かれて、「マカロンください」と言ったわたしは、じつに母そっくり。

 お盆には中学の同窓会もある。父の法要もある。でも、今年の夏も帰れなかった。暑い夏に一日中働いている母には申し訳ないけれども、さて、わたしは家族旅行に出かけるのだ。お土産と絵はがき待っててね〜〜。
母にいつかフランスの涼しい夏も体験してもらいたいもの。

 ノエミはローマ旅行中。出発以来、連絡途絶える。大丈夫かな〜。
かわいい子なので旅をさせてる。わたしはいつも旅をさせてもらっていた。(今でも旅をし続けている〜〜)

2010/07/29

剣道のチーム

このブログの右上『ダニエルさんちのアルバム』というところをクリックすると、写真がもっとたくさん見られます。


一回戦でいっしょになったチームメート。大将はわたくし!


ギリシャから来たアキラとアンチゴンヌ、そして植原先生

2010/07/28

剣道合宿







 フランス中央高地にあるブールジュという街でおこなわれた、第四回目の剣道夏合宿に、去年に引き続き参加した。

五泊六日で、とても楽しい合宿となった。
ゾエはまだキャンプに行ったまま。
ノエミはわたしの留守中、友達と遊び歩く予定だったのに、友達がみんな旅行に出てしまっていて捕まらず、仕方ないのでうちでひとり退屈していたらしい。ちょうど大工さんが来ていたので、留守番役がいて助かった。

2010/07/27

剣道合宿の写真


          ブールジュの大聖堂


  合宿最終日におこなわれた試合で、わたしのチームメートと

2010/07/26

夏休み前半終了


暑い日のボボ。近づいても起きないんだ。。。コイツ



7月14日。革命の記念日の花火。自宅寝室から見えた



農場でのお祭りで見た、白ブタ(珍しい!)



同じ祭りで見たロバの親子。ショコラ(父/黒いから)とバニラ(母/白いから)と息子はバンビ(なぜか)

夏休み前半終了


農場での持ちよりガーデン・パーティー。わたしは生春巻きを作っていった。



          湖で

本のお祭りで。昔使われていた移動図書館が来ていた。



         森でピクニック