2007/04/29

よい一日でした

とし、貴子さん、麻美ちゃん、みなさんお誕生日おめでとう。そしてわたしも40歳になりました。
《ミ》さんのチョコレートケーキ。。。おいしかったです。

 青空の広がる日曜日の朝、ホテル一階のカフェで、ヤエル・ハッサンさんにお会いした。どんなサイズで何ページぐらいになるか、原作本の挿絵は使われないこと。わたしたちの本が入るシリーズが一体どんなものかをはなした。訊きたいことはたくさんあったのだが、時間がどんどん過ぎて行く。

 原作本からさし引く恐れのある部分、付け足したいこと、入れたい写真(挿絵)について了解を得た。そして、日本の子どもたちへ伝えたいことを一通の手紙にしたためて欲しいということも。

 原文から差し引いたり、加えたりすると、それはもう翻訳ではなくなってしまうと思われるかもしれないが、フランスの子たちに向けて書かれた本には、フランスの子だったら当然知っていることなどもあるので、難しい単語なのに詳しい説明がない場合がある。表現の違いによって、フランス語の小さな単語を日本語の長い文章にしなければならないこともある。いっぽう、フランス語には「わたしが思うには。。。」とか「これは当然なことだが。。。」とか、日本語にすると「。。。に決まってる」「。。。だよ」ですべて言えてしまうこともある。

 ハッサンさんとお話ししていて、彼女にびっくりされたことがいくつかあった。これは、わたしも翻訳するにあたって、とっても困っていること。

 フランス語では、英語のYOUにあたる単語が二つある。(VOUSとTU)日本語の一人称や二人称は一体いくつあるか分からないという話から、男性と女性の使う単語が違うこと。小さな女の子が自分のおじいちゃんと話すときと、よそのおじいちゃんと話すときでは文章が変わってしまうこと。おじいちゃんが孫娘に話しかける言葉は、お父さんが娘に使う言葉とは変わってしまうことなどなどを話したら、ハッサンさんは目を丸くしていた。
 
 レアがおじいちゃんの友だちのティポラさんというおばあちゃんと、大の仲良しになる。フランス語では、会ったその日には丁寧に話しているけれども、数ヶ月後にはこのおばちゃんとの会話は同級生との会話に近くなる。その違いを出したくて、翻訳では「マダム・ティポラ」と「ティポラさん」と呼び捨ての「ティポラ」と3つを使っていたら、編集者に「ねえ、ティポラ。そうでしょ?」なんて言い方は、よくないと言われた。曲がりなりにも70歳以上も歳の離れたおじいちゃんの友人に、そんなふうになれなれしく話したら、行儀の悪い子みたいだと。そうだなあ。。。わたしの本を読む日本の子たちが、行儀悪い表現を覚えたらまずいのだ。ふううん

 編集さんが戻してくれた原稿には「わかりにくい」「工夫して」という書き込みがいっぱいあった。これから一ヶ月ぐらい掛けて、もっといろんなことを調べたり、書き換えたりしなければならない。ハッサンさんが書いている『いまユダヤ人として生きること』『第二次世界大戦の暮らし』という参考書も、ずいぶん助けてくれそうだ。

 ハッサンさんに、日本人はおじいちゃんにむかって「愛しているよ」とか「抱きしめてキスをしたい」なんて言わないと思うと言ったら、びっくりされた。いつもフランス人に「ジュテームは日本ではなんて言うの?」と訊かれるたびに、困ってしまう。日本語ではなんというか知っているけど、「日本ではどんなふうに『言う』の?」と訊かれてもちょっと困らないか?テレビドラマ以外の場所で「愛してます」と路上で彼氏に抱きつくオンナはそうそう見かけない。見かけなかった、すくなくとも数年前は。。。わたしは40のおばさんだから、そういうことはデキマセン。
 
 父との別れのとき、父が最後の息をしていた時に、わたしはフランス人のように抱きしめてキスをしてあげたかった。でも、人前でそんなことをしたら「みのりはフランスかぶれしちゃったね」とネガティブに言われてしまうことがわかっていたので、みんなが部屋から出るのを待って、だれもいなくなってから、父を抱きしめておでこにキスをしてあげた。髪の毛に息を吹きかけて、「ほら、錦江湾の風だよー」と言ったら、すごくうれしそうにしていた。でも、「愛してるよ」までは言えなかったので、じつはとっても後悔している。

 自分の子らには好きな人に好きと言える子に育ってもらいたい。
(いまでも嫌いな人にははっきり嫌いと言える子たちだから大丈夫だろう)
 

2007/04/28

スカイプに登録しました。

 基本的には自分が電話を受けられる時以外はオフになっています。
メールで訊いてくれたら、スカイプ名を教えさせていただきまっす。
Je me suis inscrite à Skype, mais il est souvent déconnecté. HAHA

 忙しくしていた。

23日に大阪の出版社の方をトゥールーズまで迎えに行って、24日は午前中仕事のはなし、午後はアルビ市内巡りプラス、図書館と本屋さんを案内させていただいた。夜は自宅でムール貝。日本から持って来てくださったお土産の絵本を読み聴かせて、フランスの子たちの反応をみた。(うちの子らは一応フランスの子)
そしてもう25日には、大阪の出版社の方をイタリアのボローニャへ送り出した。
よい本を作ることを誓い合って!!

24日に、出版社の方とアルビの図書館を見学に行った。広いスペースに、床に置かれた本棚の配置が面白い。大きなクッションや、かわいい装飾。子どもが楽しみながら本を読む空間が作られていると、ずいぶん感心していらした。
 さて、わたしたちが作成中の翻訳本が、フランス本国ではどのくらい貸し出されているのか、人気があるのかを調べるために、本を探し始めた。けれども書棚に一冊もないので、わたしはショックを受けた。
 図書館員の女性にヤエル・ハッサンさんの本を探していることを伝えた。その人は迷わず「ハイこちらですよ」とわたしたちを導いてくれた。なんと、一つのテーブルにまとめられて、特別展示されていた。びっくりしていると、ハッサンさんが、週末に行われる子どもの本の展示販売会に参加するため、アルビにいらっしゃるのだと言う。わたしも出版社の方もびっくり!!原作者に会って話を訊いたり、写真を撮ったりするために、パリまで出張した方がいいねと話していたところだった。
 
 図書館の女性は、頼みもしないのに金曜日の夜に行われる《招待作家を囲む会》の招待券を持って来て、わたしにプレゼントしてくれた。うれしー!!

 出版社の方を送り出してしまって、本当に残念。でも、わたしは金曜日の晩、一人で《招待作家を囲む会》に参加した。
 高校生数名、県内各地から招待された図書館員、新聞記者、雑誌記者などなど。。。ちょっと場違い。読書会のあと、カクテルパーティー。
 メールと留守番電話でわたしが来ることを知っていてくださったハッサンさんは、うろうろしているわたしを捕まえて、「みのりさんでしょうか?」と声をかけてくださった。自己紹介を済ませ、土曜日の朝ゆっくり話し合う時間を下さるというので、わたしはカクテルパーティーを抜け出して、家に戻って来た。もうずううっと夜は出歩いてばかり。食事も家事もいい加減なので、子どもたちも疲れている。農場の野菜が減らずに腐って行く。

 土曜日の朝、ナルボンヌから来る義父母を待たず、大急ぎでアルビに行った。ヴァイオリンのレッスンに出かけなくてはならないノエミの時間に間に合うように帰って来なければならない。
 一時間でハッサンさんとの話し合いを済ませ、今後は、メールや電話でやり取りをしてもらう約束をつけ、個人的なことをいっぱい訊いた。ユダヤ人の歴史やユダヤ教について、もっとよく知るための推薦図書をいくつか教えてもらった。

 日曜日の午前中に、子供たちをJPといっしょに本の見本市に出かける。

 ハッサンさんは思っていたよりもずっと身体の小さい人で、大作家なのに気取っておらず、有名人なのにとっても普通のおばさんだった。チョコレート職人の《ミ》さんに続いて、手の届かないと思っていた人が、近くに来て手を差し伸べてくれた。

 いい仕事をするつもり。決心も新たに推敲を続ける。

2007/04/24

JPも電気屋

 土曜日に日本からのお客様をトゥールーズにお送りして、地下鉄で駅に向かった。アルビ行きの電車は出たばかりだったので、1時間ぐらい待たなければならなかった。やっと来た電車は遅れて出発し、途中の駅数カ所でも発車が遅れて、アルビには7時過ぎに帰って来た。一日中暑くて、へとへとだったので、途中でピザを買って帰った。いつもなら冷凍も、お惣菜も嫌いな家人が、ピザなら許してくれるという新発見をした。そうか、これからも手を抜きたい時にはピザを買おう。ほほ〜。

 二日間バリバリに行動して見ると、普段の運動不足が身にしみてしまった。チョコレートとおやつと、レストラン三昧でま〜たダイエットが遠のいてしまったことであるし、明日からまた洗濯に励もうと思っていたら、JP。

 「洗濯機、修理しといたよ。」
オオ マイ・ダーリン、シュー、みぬー。ビズ・ビズ〜〜。
アルビからカーモーまで運転しながら、そしてピザに大枚はたきながら、「ああ〜二日の稼ぎは洗濯機い〜」と唄っていたところだったので、まさかこおんなビッグニュースが待っていてくれようとは。。。

 洗濯機買わなくてもよくなりました〜〜。忘れてたけど、JPは海軍にいた時、電気工事の免許も大型トラックの免許も取らされていたのでした。めでたし、めでたし。やっぱ国民の血税で取得した免許資格は、活かさなきゃあ。
  子供の頃には毎朝学校に行く前に、パンツと靴下を洗わされていた。いくらビンボーな我が家でも洗濯機はあったのに。自分の汚した物は自分で洗えというのが、うちの親の方針だったらしい。井戸水だったから冷たくて、当時は嫌だったけど。そういうわけで、じつは、手で洗濯するのはそおんなに負担ではなかった。お湯が出るし、ここ。でも、そうだねえ。シーツと冬物は手で洗うの大変。
でも、今度はJPにスキャナーを修理してもらわないと、写真が貼れない。
 洗濯機買わなかったけど、デジカメはなくても生きていけるので、もったいないから買わない。


 さて、大阪の編集さんに会ってきた。夕飯もごちそうになった。本の話をいっぱいして、日本の子供たちの読書について、現状を訊いたりした。未来は明るそう。前向き。少なくても世界でただ一人、わたしの編集さんは前向き。だから、この人のためにも、わたしも責任もってがんばろうと思った。手直ししたものは、明日見せていただけるそう。怖い。怖すぎる。。。日本からわざわざ来て下さって、本当にうれしい。お土産もいっぱい持って来ていただいた。さあ、明日もがんばろう。

 フランス大統領選挙は、テレビのニュース通り。移民(わたし)と貧乏人(わたし)には、もっと厳しい世の中がやってきそうだ。カーモー人が応援しているセゴレンヌ・ロワイヤルは二位だったので、町はしんとしていた。義母からも電話が掛かって来なかった。
でも、おかあさん、今度の週末にやってくる。子供たちを相手に選挙運動をやるので、うちの子らまでがセゴレンヌ応援歌を歌う。ああ、恥ずかしい。。。うちの子らまで洗脳されてしまっているとは、許せん。

2007/04/23

通訳 終了

 どきどきだった通訳の仕事が終わった。

 二日間、みっちり。JPが大好きでお金があったら買ってくる、地元では大変名の知れたチョコレート職人さんのお店での通訳だった。日本人の方が三人。試食とこの職人さんがどんなお人柄なのか、それを知るための出張だった。日本の会社員には《普通》のこととはいえ、20時間ほども掛けて、2泊3日の会合のために、首都から遥か彼方のこおんな所まで来ていただくとは、驚きだ。でも、今回のこの商談は、とても良い雰囲気の中行われた。

 チョコレート職人さんの《ミ》さんは、とてもシャイな方だった。よくテレビや雑誌に出ているから、もっと気取った方かと思っていたのだが、温かい心と、繊細なこだわりでチョコレートに命張ってるんだなあ、とわかった。何軒ものお店や、責任のある仕事をいろいろしているので、ひっきりなしに電話が掛かってくる。そして、よく従業員にも指示の電話をかけていた。9歳の娘さんにも。聴くとはなしに聞いていたが、同業者の友だち、従業員、家族への電話で交わされる言葉に、人間性というものが現れていた。お店の人たちがどんなにこの社長さんを愛していて、尊敬していて、言われたことをしっかり守り、言われたことは充分にこなせるか、チームワークの抜群さに目を見張る思いだった。

 いつも食べていたこの高いチョコレートが、どうしてこんなに高いのか、よくわかった。何から何まで本当に手作りだった。これからはもう絶対に値段のことで《高い》とは言えなくなってしまった。キッチンを見学して、その清潔さと、管理のよさも知った。材料の素晴らしさと、取り扱いのきめ細やかさも知ることができた。これからは少々高くても、この人のチョコレートだけを買おうと思っている。

 商談はうまくいきそうな方向に向かっている。日本からいらした方たちにも、大変喜んでいただけた。お金も予定よりたくさんいただいた。これで洗濯機が買える。。。うれしいわあ。。。あまりにもうれしかったので、今度の日曜日の自分の誕生日用に、ケーキを注文してしまった。自分の誕生日に自分でケーキを注文したのはじめて。JPにとりに行かせるから、JPが払ってくれるでしょ。へへへ。

 チョコレート職人の《ミ》さんは、レストランも経営されていて、夜はそこでもごちそうになった。チョコレート食べ放題で、レストランでも食べ放題で、おまけにお土産にチョコレートもいただいて、とってもおいしいお仕事だった。

 さあ、今晩は大阪から、出版社の方が到着される。どきどき

2007/04/22

Un jour de repos

Merci, de m'avoir propose tes phasmes, mais j'en ai eu 5 oeufs de la part d'un de mes eleves. Au fait, j'ai un peu peur d'avoir beaucoup trop de phasmes...On verra si ça eclore chez nous... ( et apres ? ? )

Oui, c'est vrai, ca fait un moment que je n'ecris plus en francais... desolee...

J'ai eu un rendez-vous avec les gens du club des partenaires du musee Toulouse-Lautrec, pour un projet tres interessant.
Ils font tous les ans, les fetes thematiques, cette annee sera " couleur du Japon " . La ville d'Albi y participe pleinement, Vous voyez deja les etendards japonais sur la place Vigan. ( Nishiki-goi ) Jusqu'en Juin-juillet, vous aurez des ronds-points et des parcs japonisants, et aussi il y aura des manifestations, des conferences, des fetes et des spectacles de la couleur japonaise.
Je ferai sans doute un atlier d'Origami que je suis devenue " experte " ??

Le 20 et 21 avril, j'ai fait guide-interprete pour un Albigeois et un groupe des Japonais. C'etais tres nourrissant.
J'ai eu beaucoup de compliments et d'encouragements, aussi de remerciements... La confience en moi qui me manque souvent, a ete recompence par les mots et par la rénumeration.
Et surtout , j'etais ravie d'avoir connu tous ces gens que j'ai vus en deux jours.

Demain, j'aurai un autre Japonais qui arrive, expres pour me voir.
C'est mon editeur d'Osaka, qui paricipera pour une exposition internationale des livres pour jeunesses en Bologne (Italie), il passe me voir pour parler de notre livre.
Je lui ai donne ma traduction le 19 avril pour qu'il puisse lire avant notre rancontre.

Comme la date limite pour l'envoi avait ete fixe en Juillet, j'ai un peu traine au demarrage. Quand il m'a dit qu'il viendra en France avant d'aller en Italie j'etais fort paniquee.
J'ai travaille difficilement ces temps-ci, je les ai envoye finalement le 19 avril.
Il m'a donne son premier impression apres une lecture rapide, il etait vraiment content. Il est satisfait !
Mais pas moi en effet... J'ai envie d'ameliorer un peu, refaire et corriger les phrases. Je pourrai sans doute faire un peu mieux. En tout cas j'espere.


Bon, il faut que j'y aille au lit, puisque demain la journee sera un peu longue avec l'arrivee de mon editeur, je vais a Toulouse et Il va dormir a Albi.

2007/04/17

寿司屋で寿司なんて、ん年ぶりっ!

 新学期始めての日本語レッスンの日。
春休みに宿題をいっぱい出してあったので、その応え合わせを一時間ぐらいやった。
 エレン(の)さんは、仕事が忙しくて、日本語のレッスンがあることさえ忘れていたため、レッスンの小道具一式を自宅に忘れたまま、仕事場から直行していた。
 フランソワくんは、高校に行くよりも日本語レッスンに来る方が好きっ!という男子学生なので、宿題は全部やったうえに、遅刻もせずに登校。彼はいま《月光仮面》に走っていて、わたしにYOUTUbeで月光仮面を見ろ見ろとしつこく言っている。ちょっとそんな暇がない。それはこれこれ http://www.youtube.com/watch?v=nJr2aQb35_Y
カワイイ男子である。2メートルを超えているけど、わたしよりも軽そう。ヘアースタイルはレゲエの人みたい。

 それからフランソワくんは、ヴァカンス前のレッスンのとき「小さい子供は絶対に好きですから!先生の子どもさんにプレゼント」と言って、ファーズムを持って来た。詳しくはファーズムの卵。ファーズムというのは、棒っきれの形と色をした、カマキリみたいな虫で、卵5個をもらったはいいけど、1個につき10匹ぐらいが生まれるらしいので、ちょっと怖い。害虫ではないらしいので、生まれたら森に捨てにいくつもり。でも、5個の卵から500匹生まれるシーンを想像して、ちょっと怖い。
ファーズムの写真 http://lemondedesphasmes.free.fr/spip.php?article162

 もう1人のエレン(ぎ)さんが、今日が43歳の誕生日だというので、「授業を早く終わって、レストランで勉強しましょう」と提案した。いっしょに勉強している娘さんのフォスティンさんが「レストランに電話しました」と元気に言っている。予約のこと。

 レストランと言っても、どんなレストランでもよろしいというわけではないのだ。日本語のレッスンをやってて、日本人の先生を伴って行くなら、寿司屋に決まっている。というのがエレンさんの主張。寿司屋なんて、アルビにはないよ。
「アラー、わたしの車ですっ飛ばせば、45分でトゥールーズよ」 
エレンさんは、元気だなあ。。。わたしだったらトゥールーズの入り口まで1時間半も掛かる。街に入ってから目的地まで必ず3時間以上は巡る、わたし。

 暴風雨の中、エレンさんの巨大な四輪駆動のBMWは、160キロですっ飛んだ。ちょっと怖かった。
途中で改造車に乗った、いかにもヤクザなお兄さんが横に並んだ。窓ガラスを開けてニンマリと笑ったので、「ああ〜これはまずい」と思ったら、案の定エレンさん、ビューンと追いぬいてしまった。ヤクザなお兄さんが、腹を立てて後ろから追っかけて来たらどうしようかと思って心配していたけど、お兄さんの車はみるみる小さくなってしまった。

 や、わたしも飛ばすけどさ、わたしの車じゃ140キロ出したらハンドルがぶるぶるしてくるけど、エレンさんのBMWは、やっぱー速いねえ。行きは嫌な予感がしていたから「わたしは身体が小さいから後ろでけっこうです」と遠慮して、フランソワさんをむりやり前に乗せたが、帰りは、若者同士で積もる話もあるというフランソワさんとフォスティンさんに、後部座席を譲らねばならなかった。

 ところで、エレンさんの連れて行ってくれた寿司屋は、満員御礼だった。鉄板焼きのテーブルとか、活き作り用の魚を泳がせておく大きな水槽もあって、何やら日本レストランっぽい。天ぷらの上がり具合と刺身の切り方は、うちのお父さんの方が上手だなあと思った。
 
 板前氏は「万歳」という鉢巻きをきりりと締めた、インドネシア人かベトナム人か、台湾人か。。。日本人じゃないアジア系だった。働いている人もみんなハッピを着て鉢巻きを締めていたけど、みんな日本じゃないどこかのアジア系移民だった。まあ、フランス人じゃないのにフランス料理を作る日本人だっているし。。。
 にぎり寿司と巻き寿司はおいしかった〜〜〜。あ、しまった。いなり寿司を注文するのを忘れてしまった。
マッシュルームの入ったみそ汁が面白い味だった。でも、味噌の味だったから許す。
しょうゆも、わさびも、大根おろしも、ピンクのガリもあった。

 エレンさんのお誕生日だから「招待」と言われてもやっぱりちゃんと自分たちで払おうねと話していたのに、エレンさんは「ちょっとお手洗いへ行きます」と言って席を立ち、お勘定まで払って来てしまっていた。かっこいいオンナであるなあ。。。

 トゥールーズの街は12時を過ぎても大にぎわいだった。こんな夜中にダンナも子どもも抜きでほっつき歩いたのは本当に久しぶりだった。エレンさんは何カ所も信号無視をしつつ、ああっという間に中心街を離れて高速に乗り、何十台も追い越したけど、誰にも追い抜かれず(そういえば料金所で並んだ改造車の兄ちゃんだけだったなあ)、ああっという間にアルビに帰って来た。

 台所で洗濯物を洗う、しがない主婦の日常を脱した、面白い夜だった。

 わたしのお誕生日の時には、自分で巻きずしとみそ汁を持って、レッスンに出かける、つもり。

2007/04/16

新学期

 春休みが終わった。四月も残りわずか。五月は連休がいっぱい。そして、六月は行事がいっぱい。七月に入ったらすぐ夏休み。

 新学期そうそう、洗濯機が壊れた。
今年に入って、食器洗い器(前に住んでいた人の置きみやげ)も、コーヒーメーカも、ビデオデッキも壊れた。
コーヒーメーカーは、いいやつ買ったばかりだからまだ保証期間中だろうと思ったら、保証は一年間で、壊れた時には使用13か月ぐらいを過ぎていたので、保証がきかない。
食器洗い器とビデオデッキは、なくても暮らして行けるので、処分した。
もしいつか余裕ができたら、食器洗い器は買いたいなあ、と、じつは思っている。
最近の食器洗い器は、水の節約についてもよく考えられた製品が多いし、なんといっても時間の節約になるからこれは、いわゆる《神器》ではないかと思ってしまう。しかも、食器洗い器というものは、男性が大好きで、男性が食器の後片付けをしてくれるようになる。上手に並べていれないといけないから、いい加減なわたしよりも、JPの方が管理力に優れている。

 エコロジカルな生活を目指すわたしたちとは言えども、なぜか、電子レンジを持っている。そしていつもこのあたりを指摘される。
「なんだ、おたく、電子レンジあるじゃん」と言われる。
電子レンジはご飯を炊く道具として活躍している。わたし、鍋でご飯を炊けない。

 洗濯機は、なければ生きていけないものだろうか?

 冷蔵庫はあった方がいいに決まってる。でも、うちの冷蔵庫はいつも空っぽ。入れるのは肉と魚とボボのご飯ぐらいだから、壊れるなら冬に壊れてもらえれば、半年ぐらいはなくても生きていけると思う。東京に住んでいた時、冷蔵庫がなかった。もちろん洗濯機もなかった。でも、洗濯機がない人はコインランドリーというものがあるので便利。カーモーにはそんなものがないので、車でアルビまで行かなければならない。

 確かに最近きれいに洗濯されていないような気がしていた。JPが買って来るエコロジカル洗剤のせいだろうなあ、と思ったので、ちょっと前からスーパーの洗剤に変えた。でもきれいにならない。しかも洗剤が残るようになってしまって、JPから《スーパーの洗剤》を使っていることがばれてしまった。そして、スーパーの洗剤でも、エコロな洗剤でも、衣類が全然きれいになってないこともわかってしまった。

 結論。水の温度が40度まで上がらない。しかも、回ってない。
あ〜あ、ついに壊れてしまった。
普段、夜のうちに洗濯機に投げ込んで、朝になってから干しているので、何時間かかるのか計ったこともなかったけれども、洗濯機に放り投げた分を手で洗ったら、3回に分けなければならなかった。
シャツのお腹の部分がびしょぬれになってしまった。しかも、1時間以上も掛かった上に、手まで荒れてしまった。
 洗濯機がなくても生きていけるかもしれないけど、とっても不便な毎日になってしまいそうだ。

今度余裕があったら、デジカメを買うぞと思っていたのに、デジカメが4台ぐらい買えそうな、洗濯機を、どーしても、買わなければならなくなりそうだ。ううう、嫌だなあ。。。
 真冬に壊れなくてよかった。お天気いいから、せっせと手で洗えるものは洗って、お日様に干せる。洗濯したらとってもよい運動になった。腕が痛い。

 さて、早く洗濯機が買えるように、仕事に行って来よう。。。
ううう,、、行きたくない。。。

2007/04/11

チョコレート屋さんのすみちゃん



 友だちに撮ってもらった、復活祭のチョコレートの写真です。
写真をくれた《と》さんとはつい最近「いっしょに ダイエットをしようね!!」と堅い決意を交わしあったのに。。。復活祭が終わったら、家にはチョコレートがいっぱいだ。あーあ
《と》さんのお宅には子供が3人いるから、復活祭当日な大変にぎやかなことだったろう。

ゾエから電話が来て、ゾエも、庭でニワトリ形のチョコレートを見つけたらしい。
「卵形のチョコレートは食べてしまったけど、ニワトリのチョコレートは、ママンのために残してあるよ」と言っていた。
この写真のようなニワトリが、もうじき我が家にもやって来ることだろう。


 チョコレート屋さんで通訳をすることが決まった。地元の一粒ショコラを日本のデパートに出すとか。。。そういう取引だ、と思う。まだわからない。ここのチョコレートはとってもおいしい。日本に帰った時にも、ノエミが通わせてもらった魚見小学校の三年生のクラスに、チョコレートを配った。大好評だった。

 このチョコレート屋さんでは、毎年交代で、日本人の研修生が働いている。そのことは数年前から知っていたけれども、今度通訳の件でお店の裏にある事務所に通してもらったので、チョコレートを作っている人たちにも会うことができた。
そこで、日本からやって来てまだ三日ぐらいという、とっても若い《すみちゃん》に出会った。

《すみちゃん》は、日本でもお菓子屋さんで働いたり、学校に行ったり、フランスにも何度も来て研修したり、食べ歩きをしたり。。。若いのに、もうすっかりフランスパティシエのプロだ。来たばかりで不安もあろうか、日本食も食べたかろうと思って、うちに招待したけど、日本にモノを恋しがったり、無い物ねだりをしたり、こだわりすぎたりしている様子もないので、安心した。日本人に会わなくても、逞しくやっていたと思う。「いっしょに食べて行ったら?」と言いつつも、何を食べさせたらいいのかわからず、彼女が「料理は得意」と言うので、「しまった、呼ばなきゃよかった」と内心思った。大したおもてなしができずに申し訳なかった。。。台所は工事中だし。。。

 毎日6時から14時までノンストップで働いている人を捕まえて、夜遅くまで申し訳なかった。でも、とっても楽しい午後だった。
ちょっと放っておいて、勝手にやらせようと。。。おばちゃんみたいなことを思った。目標を持っている人というのは強い。まさかこんなところで日本人に会えるとも思っていなかったようだから、そのつもりで、これからも苦労しながらやってもらいたいなあ。と思っている。でも、たまに来てもらって、お菓子のことや料理のことを教えてもらえたらいいなあ。。。

 今度チョコレート屋さんのキッチンで、壊れたりして売り物にならなかったチョコレートをもらって来てくれるというので、こりゃあおいしいお友だちができたヨンと思っている。むフフ。

2007/04/08

PAQUES et Les Anniversaires 花祭り


 

 とてもよいお天気。JPが屋根の修理をしている。
秋にJPが取り付けた天窓から、屋根の上に上ってみた。
この辺の町家は高い塀に囲まれていて、お隣近所の裏庭なんて見たこともない。お隣のピエロさんのお宅には広大なお庭がある。南西向きのとっても良いお庭だ。
 我が家は昔、ピエロさんのご両親が住んでいた家だそうだ。売買契約の時に、始めてこの家が売りに出された日の記述があって、そこには102年前の日付が出ていた。だから、建てられたのはもっとずっと前だ。
 ピエロさんの庭には、立派な、たいへん立派な桜の木がある。しかも、この桜の木にはサクランボウがたわわに実る。うちの二階からは上の方しか見えないけれども、屋根にのぼったらピエロさんちの大きな庭が見えた。
 今年は誰も、あの桜の木に登ってサクランボウをちぎる人がいない。ピエロさんは桜の花さえ見ることができなかった。

 2年前の4月8日に、父も逝ってしまった。
お釈迦様のお誕生日で、岡山後楽園では花祭りをやっていると、岡山でおぼうさまをしているメル友が、教えてくれた。
フランスではキリスト様の復活祭だそうだ。
 子供たちがいないので、今年はチョコレート探しも、豪勢な料理もしなかった。カレーライスにした。これで二日は料理しなくて済む。JPは屋根裏で働き、たまに屋根の上ですごい物音を立てている。静かな町にJPの金づちの音が響き渡る。

 私は、20日までに提出しなければならない翻訳にかかりっきりだ。
なんでこんなお話を選んでしまったんだろうと思い、泣きながら訳している。
仕事が辛くて泣いているんじゃない。物語があまりにも悲しいので、仕事にならないほど泣いている。

J'ai peur de ne pas t'avoir dit assez souvent combien je t'aimais.
Je crois qu'on ne pense jamais a le dire assez a ceux qu'on aime.

という一文が、この本の2ページ目にあって、この部分が、この本の一番のポイントで、私を泣かせる大切な言葉だ。
ここがうまく訳せないものだから、あとに続く113ページも、行き詰まっている。。。
 さっきの文章をてっとり早くいうと、
 書いた本人は、亡くなった人に対して、愛していると言い足りなかったのではないかと思っていること。それから、人というのは、愛しているという気持ちを伝えることなど、別れが来る前には考えもしないんだ、ということ。

 おじいちゃんが亡くなる前に初めて彼の存在を知り、やっと彼に会って、ほんの少しの間だけおじいちゃんと過ごすことのできた少女のおはなしだ。ノエミとゾエに通じるのだ。

 子供たちがいたら「おぼうさま いただきます」と言ってくれただろうが、今日は一人でお線香を上げた。

             合掌

2007/04/05

夢見るキリン La girafe




 ゾエちゃんのキリンです。

Les enfants de Madagascar




Rosin m'a ecrit : Ils ont enfin recu mon paquet.
Pour Noel, j'avais prepare un petit colis pour un ami de Madagascar.
Rosin, donne des cours de Aiki-do, mais comme les materiaux sont tres precieux et surtout ccouteux, il consacre beaucoup de temps et de l'argents personnels pour les enfants. On a difuse une proposition de recolte des kimonos de judo sur internet ( Puisque le kimono de judo est solide ) j'ai eu quelques reponses , avec une aide d'un collegue de JP, on a pu envoye quelques kimonos chez eux.

Mais a cause de ma paresse, le paquet n'est pas arrive a temps, il est arrive seulement aujourd'hui grace a la gentilesse d'une autre personne que je ne connais pas.

Rosin m'a ecrit et envoye une photo des enfants . J'espere que notre relation et l'amitie durera longtemps.

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Bonjour Minori,

Je sais pas si je t'ai deja envoye cette photo, si c'est pas le cas, ben voici une partie des eleves qui frequentent mon ecole d'Aikido pour enfants en ce moment. En tout ils sont une vingtaine, et seulement 1/4 arrivent a payer leurs cotisations pour la location de la salle et je complete. Mais ce qui m'anime dedans c'est vraiment ma passion de vouloir partager mes connaissances, et surtout quand il s'agit d'enfants, car je suis persuade que chez les enfants, ils ont le coeur sincere et c'est plus facile de leur inculquer les valeurs morales de l'Aikido.
Ce que j'ai pu comprendre dans les arts martiaux japonais, du moins du Karatedo, Judo, Aikido et Iaido, c'est que la pratique doit etre sincere pour pouvoir avancer, sinon, ca n'aboutira pas, et c'est cette valeur qu'on essaie tout en pratiquant, de partager a nos eleves.
Et je suis optimiste en te disant que tot ou tard, je mettrai les pieds au Japon pour pratiquer l'Aikido ou d'autres disciplines, seulement, ce jour viendra bientot.
A bientot et bon week end
Mes saluttions aussi aux filles
Rosin S.

ロザンはマダガスカルという所で合気道を教えている。子供たちの稽古着などが足りないというので、フランスで柔道着を集めて送った。娘たちの読み古しの本や洋服も送った。鉛筆や消しゴムや、フランスの絵はがきも詰めた。クリスマスに間に合うかと思ったら、今頃になってしまった。今日お礼のメールが来た。

ワシントンDCの桜 



ああ〜〜、四月の声を聴くと、挨拶は「そちらの桜はもう咲きましたか?」だ。やはり日本人だから?
アメリカに住んでいる中学時代の先輩から、ワシントンDCの桜の写真を頂いたので、快くご了解を頂いて、ここに掲載させてもらう。アメリカ人が日本から持ち帰った桜が発端で、その後東京都から送られた3000本もの桜が、こうしてアメリカで花咲いているらしい。ああ、すばらしい。アメリカ人も木の下で宴会をやるのかな?
 中学の英語の教科書で習ったけど、こんなに美しいとは知らなかった。

 日本人は今度新しい国旗を作る時には、どこかにピンクの桜をあしらったらすてきだとおもう。
フランスでは日本のことをPays de Soleil Levant 《日出る処》と呼ぶ。
でも、アメリカ人は《日の沈む所》といって笑った。。。というはなしもある。

 きのう、義父母と選挙について2時間以上も話をした。義父母はセゴレンヌ・ロワイヤルという女性を応援している。JPは、あの人はメディアティックな人物は嫌いなので、もっとマイナーな人を応援している。二選まで絶対に残らない人だ。
 義母が、セゴレンヌが当選したら、玄関に国旗を立てると言ったのでびっくりした。フランスで国旗をふり回すのは、サッカーの試合の時か右翼だけだ。セゴレンヌ・ロワイヤルがミーティングでラ・マルセイエーズという革命を詠った国歌を合唱させたことは、大変な論議を呼んだ。普段はナショナリストしかやらないからだ。

 義母は、普段から自分の国旗には誇りを持っていて、いつもなにか国に関連した感動的なことがあると国旗を出したくなる。でも、そんなことをやったら右翼だと思われるしサッカーの応援はやらないから、国旗を出す機会がない。今度自分が応援している女性が大統領になったら、こんなうれしいことはないから国旗を出すと言う。
 じゃあ、そういうとき自分は何を出そうかなあと考える。
日の丸の旗を持っている。日本から持って来た。ずっと長い間、日の丸は自分たちの旗だと教えられてきた。入学式でも、卒業式でも、いつも《きみがよ》を唄った。

 長くなって来たこの外国での生活の中で《きみがよ》が《君が代》だと自覚させられた。《日の丸》が、太平洋や大陸でどんな風を受けていたのかをはっきり知った時、日の丸は自分にとって《誇り》という単語とは切り離されてしまった。意味をなくしたのとはちょっと違う。《君が代》を大声で歌うことなんかなくなってしまった。《日本の国の旗であり、歌である》と、それは確かにそうなのだけれども、誇りとともに振りかざすことなんて、ここではできなくなってしまった。自分がお国のために闘っている人間ではないからなのかもしれない。日本人であるということも、日本の数限りないものにも大きな誇りに思っているけれども、そのリストから《日の丸》と《君が代》は遠のいてしまった。

 日本の政治家の名前はもうどうでもよくなった。日本の外交の話題は、フランスではほとんど耳にしない。
今の大問題は、今度の選挙でフランスの大統領が誰になり、町の人たちが誰に一票を入れたかということ。
前の選挙で極右翼のルペンが残った時には、人間不信になった。ご近所の人が信用できなくなった。
市長の方針が、すぐに学校や、わたしたちの生活の関わってくる。
 選挙権はないけれども、誰がどんな案を出しているのかは非常に興味がある。でも誰を応援していいのかわからないし、有力候補の三人はみんな似たり寄ったりの提案を出していて、わたしたちの生活がすぐによくなりそうな気配はない。移民としての暮らしは急激に悪くなりそうだ。有力候補の中に応援したいと思う人はだれもいないので、誰が勝っても勝利の旗を掲げて、クラクションを鳴らし、町をパレードすることはないと思う。
 
 義母は、自分が応援している人が大統領になったらうれしいので、誇りと喜びの象徴として国旗を掲げると言った。
《誇りと喜びの象徴》だったら、やはり桜だろうか。桜はぱっと咲いて、惜しみなく散るという《特攻隊》の精神だったという人もいるけれど。それでもやっぱり、春に桜の花吹雪を見れないことが悲しいのは、きっと日本人だからにちがいない。

 今度なにかうれしいことがあった時のために、桜の模様を描いた旗を用意しておこうかな。
桜はやっぱり日本人の心、だと思う。

 入学式のシーズンだなあ〜〜。そっち〜〜入学おめでとう〜〜!!
軍服みたいな学生服って、今でもあるんだろうか。
 
 
 

2007/04/03

Matin brun 茶色の朝



Franck Pavloff  フランク・パブロフ

大統領選挙がもうすぐそこまで来ている。
私は今回も選挙権がないから、私にできる運動はこれぐらいしかない。
A l'approche de l'election presidentielle, je voudrais vous faire entendre ma petite voix, et celle de Monsieur Pavloff.
Vous pouvez acheter un euro ( plus disponible aujourd'hui ), et vous pouvez en lire totalite en ligne.

Je compte sur vous ! Faites bon usage votre droit de vote que je n'en ai pas.

「茶色の朝」は、日本語にも翻訳されいていて、ヤフーでやっていた「ダニエルさんちのフランス田舎だより」でも紹介したことがある。あの時には自分なりに翻訳し直してみようと試みたが、藤本一勇さんのようにはうまく訳せなかった。

フランス語版はインターネット上で全文を読むことができる。紙に書いたらたったの三ページ足らずだ。
1ユーロで売られていたが、本日探したら絶版だった。

----------------------- Matin Brun :

Les jambes allongees au soleil, on ne parlait pas vraiment avec Charlie, on echangeait des pensees qui nous couraient dans la tete, sans bien faire attention a ce que l'autre racontait de son cote. Des moments agreables où on laissait filer le temps en sirotant un cafe. Lorsqu'il m'a dit qu'il avait du faire piquer son chien, ça m'a surpris, mais sans plus. C'est toujours triste un clebs qui vieillit mal, mais passe quinze ans, il faut se faire a l'idee qu'un jour ou l'autre il va mourir.

- Tu comprends, je pouvais pas le faire passer pour un brun.

- Ben, un labrador, c'est pas trop sa couleur, mais il avait quoi comme maladie ?

- C'est pas la question, c'etait pas un chien brun, c'est tout.

- Mince alors, comme pour les chats, maintenant ?

- Oui, pareil.

Pour les chats, j'etais au courant. Le mois dernier, j'avais du me debarrasser du mien, un de gouttiere qui avait eu la mauvaise idee de naitre blanc, tache de noir. C'est vrai que la surpopulation des chats devenait insupportable, et que d'apres ce que les scientifiques de l'Etat national disaient, il valait mieux garder les bruns. Que des bruns. Tous les tests de selection prouvaient qu'ils s'adaptaient mieux a notre vie citadine, qu'ils avaient des portees peu nombreuses et qu'ils mangeaient beaucoup moins. Ma fois un chat c'est un chat, et comme il fallait bien resoudre le probleme d'une façon ou d'une autre, va pour le decret qui instaurait la suppression des chats qui n'etaient pas bruns. Les milices de la ville distribuaient gratuitement des boulettes d'arsenic. Melangees a la pate, elles expediaient les matous en moins de deux. Mon cour s'etait serre, puis on oublie vite.

Les chiens, ça m'avait surpris un peu plus, je ne sais pas trop pourquoi, peut-etre parce que c'est plus gros, ou que c'est le compagnon de l'homme comme on dit. En tout cas Charlie venait d'en parler aussi naturellement que je l'avais fait pour mon chat, et il avait sans doute raison. Trop de sensiblerie ne mene pas a grand-chose, et pour les chiens, c'est sans doute vrai que les bruns sont plus resistants.

On n'avait plus grand-chose a se dire, on s'etait quittes mais avec une drole d'impression. Comme si on ne s'etait pas tout dit. Pas trop a l'aise. Quelque temps apres, c'est moi qui avais appris a Charlie que le Quotidien de la ville ne paraitrait plus. Il en etait reste sur le cul : le journal qu'il ouvrait tous les matins en prenant son cafe creme !

- Ils ont coule ? Des greves, une faillite ?

- Non, non, c'est a la suite de l'affaire des chiens.

- Des bruns ?

- Oui, toujours. Pas un jour sans s'attaquer a cette mesure nationale. Ils allaient jusqu'a remettre en cause les resultats des scientifiques. Les lecteurs ne savaient plus ce qu'il fallait penser, certains meme commençaient a cacher leur clebard !

- · trop jouer avec le feu...

- Comme tu dis, le journal a fini par se faire interdire.

- Mince alors, et pour le tierce ?

- Ben mon vieux, faudra chercher tes tuyaux dans les Nouvelles Brunes, il n'y a plus que celui-la. Il parait que cote courses et sports, il tient la route. Puisque les autres avaient passe les bornes, il fallait bien qu'il reste un journal dans la ville, on ne pouvait pas se passer d'informations tout de meme.


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続きはこちらで、PDFファイルをダウンロードできます。
La suite, sur le net : http://www.google.fr/search?hl=fr&q=matin+brun&btnG=Recherche+Google&meta=

茶色の朝 日本語版



日本語版は、外も中もフランス語版とはずいぶん変わってしまいました。
ヴィンセント・ギャロの絵が面白いです。
それから、哲学者・高橋哲哉氏によって書かれた、コーヒーの平和、内側にいる安心、慣れていく怖さ、たくさんのいいわけ、日本の茶色、普通の人々、批判と悪口、茶色の眼鏡、色つきの自由、考え続けること、というテーマをふまえての本書の解説もついています。
難しいテーマがいっぱい詰まった本です。

Ginko Biloba 銀杏の若芽



JPが撮ってWikipediaの辞書に公開しているイチョウの若芽。
問題のインターネットで公開されている百科事典は、こちら。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Image:GingkoBiloba.jpg

C'est JP qui a pris cette photo de Ginko Biloba. L'arbre a ete plante dans un pot il y a cinq ans, je l'ai trouve au parc de Montauban. C'etait la premiere plante de ginko que j'ai vu en France.

すっかり忘れていたけれども、JPの趣味は自然の写真を撮ることだった!!
撮っても一人で見て、さっさと片付けてしまうので、わたしたちの知らない写真がいっぱいある。
このごろインターネットの百科事典に公開しているらしきことがわかったので、了解をもらって、うちでも少しずつ公開させてもらおうと思っている。なかなかきれいな写真を撮る。

 フランスでは数年前まで、銀杏のことはほとんど耳にしたことがなかった。最近では「原爆でも生き残った木だ」と知っている人もいるようだ。五年ぐらい前に遊びに行った公園で、始めて銀杏の木を見た。ちょうどゾエを妊娠中で、落ちていた種から芽が出かけていたので、これは育てられるかも、と思った。種を持って帰り植木鉢に突っ込んでおいたら、ちゃんと芽が出た。
 一年目の春に何枚か葉が出て、冬には真っ裸になり、植木鉢にはただのマッチ棒が立っているような状態だったのに、それを捨ててしまわずによかった。春にはまたたくさんの葉をつけたから。
 この写真は、そうやって年々大きくなった五年目の銀杏。
どんどん大きくなる。(どうしよう。。。)

2007/04/01

四月のさかな Poisson d'Avril




 ゾエちゃんのさかなです。

 なぜに、なぜゆえに、かは存じませぬが、4月1日には、子供たちはみんな紙で作ったさかなを、大人たちの背中に貼って、後ろでぎゃあぎゃあ笑い転げる。幼稚園でもちゃんとさかなを作って持ち帰った。

 ニュースでも、ちゃんとウソの報道を流す。
例えば「エッフェル塔が風に吹かれて横倒しになりました」などなど。。
そして、ニュースの最後で「嘘でしたよ〜〜ん」と言ってニュースキャスターが笑ったり、などなどなど。。。

 春休みに入ったので、ちょっと、二年前に日本に帰った時の写真を、アルバムに片付けようかなーと思っている。
それから、台所の古いペンキを剥がす。

子供たちに「台所のペンキを剥がす」と宣言したら、「ぷわっそんだぶり〜る」(四月バカ、だからそれは嘘でしょう、ということ)
と言われてしまった。そんなつもりじゃなかったけど、
「ウソだよ〜ん。今日は昼寝の日とする」
新しい宣言に変更。日曜日だもの、お掃除はナシよ。

 実家に電話したら父の三回忌のために人が集まっていた。
電話の向こうでは奈良から里帰りした従妹が台所で洗い物をしてくれていた。
父の娘たちは誰も帰郷しなかったので。
にぎやかそうで、なにより。
 やはりアルバム整理をして、その中の一枚を、やっと、二年ぶりに、飾ろうかなあと思う。
今日はご飯を炊いて、《おぼうさま》にお供えしよう。冗談抜きで。