2010/01/30

二月になった

 二月になったらバタバタと忙しくなり、そろそろバレンタインセールの準備が始まる。。。というのが、ここ数年のわたしだった。バレンタインセールというのは、日本でのバレンタインセールだ。フランスではバレンタインデーというのはチョコレートを配る日でも、女の子だけが告白する日でもなく、恋人たちが愛を確かめ合う日だ。男性から女性に花束を贈ったり、二人っきりでお食事したり。。。そういう日だ。
 2008年と、2009年の二月の大半を日本で過ごした。ミーさんのチョコレートを日本で売るために、ミーさんといっしょに出かけた。その仕事が終わってから、里帰りもさせてもらった。

 「今年はみのりさんをおいて、一人で日本に行かなきゃならないから、淋しいよ」と、ミーさんから電話が来た。かわいいヤツだにゃ。
 ミーさんにはタクシーのドアには触れてはいけないことや、日本人がニコニコしながら「はいはい」と言ってる時こそ、用心した方がよいことを教こんだ。名古屋の巨大ホテルにもすっかり慣れた。そして、日本のバレンタインセールのごった返しも、もうよくわかったはず。今年は四人も通訳がいる。わたしがいなくても大丈夫なことは、ミーさんも承知の上だ。

 ミーさんは、わたしを信じてくれている。なので、たまに「わたしは疲れた。お天気のはなしでも料理のはなしでも勝手にやるから、商談はアンタが適当に通訳してるふりをしておくれ」と言って、いきなりわがままになる。
 「今日は日本料理は食べたくないって、言ってくれ」と、困らせられたこともある。高級日本料理店などは、数週間前から予約を入れてくれているので、接待する方にはいい迷惑だろう。
 そういうわがままを言えるような通訳をつけてもらえるんだろうかと、ちょっと不安はあるだろうか。でも、ちゃんとした普通の通訳さんには、ミーさんはわがままを言わないと思う。ミーさんはとっても親切な人だ。

 わたしは台所の壁と、毎日の忙しさにまぎれて、ミーさんがまもなく日本へ出発することをすっかり忘れていた。こんなことならわざわざ訪ねて行って、お土産リストを渡せばよかった。。。おせんべい買って来てもらいたかったのに〜〜。ミーさんにはスーパーに行く暇なんかないだろう。百貨店でチョコレートを売りながらも、食品売り場でおせんべいを求めてうろうろする時間などはないだろう。
 今年は夜中にミーさんと連れ立って、いっしょに名古屋駅前のコンビニエンスストアを体験しようと約束していたのに、残念だ。フランスにはコンビニエンスストアなんてない。ミーさんは昼間ハードスケジュールのために、お買い物をする時間がないので、夜中にスーパーが開いてたらいいのになあと言っていたのだ。それで、わたしが夜中にホテルを抜け出して、スーパーでおせんべいを買った話をしたら、びっくりして、今度行く時は自分も呼んでくれと言った。

 三月にミーさんのお店もできるので、ぜひ近いうちに名古屋のお店を見に行きたい。
ミーさんのインターネットサイト、準備中。
アルビにも日本人観光客が増えるかなあ?

工事中

 家を買った時に、内装のやり直しや、古い部分の修理や、気に入らないところの改修を、完璧に終えてから引っ越すべきだったのだ。《住めば都》とか《生活しながら少しずつやればよし》と思っていたので、すでに五年以上もうだうだと汚い工事現場みたいな家で、暮らし続けた。修理にはお金がかかる。時間も必要。なまじ普通に暮らせているので、改修工事を急がせる切迫感もなく暮らし続ける。
 JPの優先は屋根裏部屋を住める部屋にすることだ。かなりお金と時間をかけたわりに、進んでいないのだ。
わたしの優先は日々の大半で過ごす台所だ。しかも食べるものを扱う場所だから、清潔第一なのだ。ホコリまみれの暮らしはうんざりなのだ。
 と、いうわけで、今ごろになって突貫工事をやっている。

 築百年を超えた家だから、ここで暮らした家族もずいぶんな数になっているはずだ。台所の壁のペンキは、四重か五重塗り。わたしはせっせと壁をこすり続けた。でも、ペンキはなかなかはがれない。健康的な家を目指して、不衛生なペンキをはがすために、強力パワーの化学薬品も導入した。諦めて、ペンキはがしを取りやめてはや数年。。。ついに、最後の手段発見。電動カンナで、壁のペンキを削ってしまえというわけだ。信じられなかったけど、ものすごい効き目!手作業で一時間に三十センチ四方もはがれなかったペンキが、電動カンナを使えばあ〜ら不思議。5分で三メートル四方!らくちんらくちん。問題は巻き上がるホコリ。マスクをしているけれども、ものすごいホコリでお先真っ暗になることしばしば。

 月曜日にはヴァイオリンの先生が自宅でレッスンをするし、水曜日には日本語レッスンもある、人が来るとなると、家を片付け、台所を元に戻す。この間、わたしが風邪でノックダウンし、ノエミも風邪で学校を休んだので中断。できる時には一日に一時間でもホコリにまみれる。ホコリを立てる碑には、テーブルを台所から出して廊下で食べる。10日ほどで満足な裸の壁になった。

 これから色を塗る。フフフ。


一月の行事

、、、といえば、ガレット・デ・ロワでしょう。
《ガレット・デ・ロワ》というのは行事の名前ではなくて、お菓子の名前。
毎年クリスマスケーキが店からなくなると、ガレット・デ・ロワが並ぶ。
パイ生地の中に、アーモンドのフランジパンというクリームが入っている。
フランジパンは、カスタードクリームにアーモンドの粉を混ぜて作ったもので、このクリームにリンゴのコンポートを混ぜる人もいるし、ミーさんのケーキ屋さんでは、北アフリカの小麦の粒クスクスが入っていておもしろい舌座触りが楽しめる。

 パイ生地を閉じる前に、フランジパンの中にフェーヴを入れる。フェーブというのはもともとはソラマメなのだけれども、子どもたちを喜ばせるために、陶器で作った小さなフィギュアみたいなのを使うのが現代版。

 お店で買うと、そのころはやっているアニメのキャラクターだとか、メダルみたいなものが入っているが、自宅で使っているのは、いろんなところで集めたありとあらゆるフィギュアで、作った人が選んで、パイ生地の中に隠してからオーブンに入れる。

 今年はJPが作った。既成のお店のパイ生地を使わずに、自分で、小麦粉を練って作った。わたしだって、パイ生地を手作りしたことが一回だけあるが、とおっても難しく、時間が掛かるわりにパリパリの生地にならず、それ以来わたしはお店で買うことにしている。セーターと同じだ。何年も掛けて作ったセーターなのに、何年も掛かったせいで流行に遅れた上に、身体に合ってなくて、《あ〜あ》の結果に終わるので、メイドインチャイナあたりの、今年はやりのセーターをお手軽に買ってしまった方が、安上がりの上に美しい。と、いうわけで、今年からわたしはセーターを編むのはやめた。
 機械織りの安物セーターを買うぐらいなら、三十年前に母が編んでくれた、ほころびかけた重いセーターが好きと言うようなJPなので、既成のパイ生地など買わないのである。

 さて、できた。輝くようなできばえ。



ゾエがテーブルの下に潜る。
ゾエが「ママンーパパーノエミ」と、テーブルの下で叫ぶので、その順番で切り分けられたガレットが配られる。
どきどき。
ゾエは、パイ生地を開いて、クリームの中に指を突っ込む。





大きな口でかじりついたノエミ。
歯の下で、フェーヴががちっと音を立てる。


「わたしのところに入ってた!」
「おめでとう!ノエミが王様、女様だね!王様は誰に?」
ノエミは王様を指名して、キスをしなければならない。
男子はJPしかいないのだが、ノエミ13歳を過ぎて、「パパは、くさい、うるさい、面倒くさい」のお年頃に突入。パパにはキスしたくない。しかもさっきけんかしたばかり。プライドが許さない。迷っている。
「わたし。。。ボボを王様に指名する」
と、犬小屋のところに走っていく。秋からお風呂に入っていない、臭くてうるさくて、かなり面倒くさいボボになら、キスができる。プライド高いオンナでいるのも大変だなあ。

 ところでガレット・デ・ロワを食べるこの行事は、一体何かと言うと、キリスト教のお祭りで、1月6日の公現祭っていうんだそうだ。「公現祭」っていうのは、キリストが世に紹介された日(?)で、誕生を祝うために東方(ってどこ?)から三人の博士(フランスでは王様ってことになってる)がお祝いに駆けつけたことに由来して、「ガレット・デ・ロワ(=王様たちのお菓子)」を食べるようになったとか。
 詳しくはこちら。http://ja.wikipedia.org/wiki/ガレット・デ・ロワ

JPのガレット・デ・ロワ。。。すごーーーくおいしかった。
来年も作らせるので、食べたい人は遊びに来てね。

2010/01/17

成人の日



 昔は《成人の日》と言ったら、毎年1月15日で《父の誕生日》だった。
新年から壁に貼っている《日本の犬のカレンダー》では、1月11日が赤になっていたので、姪っ子たちにあわてて《おめでとう》のメールを書いた。

 わたしには姉が二人いて、新年早々、二人とも長女の成人式を迎えた。
そのうちのひとり、滋賀の姪から写真が届いた。
姪っ子は姉の着物を着ている。懐かしくて涙が出そうだ。
朝五時に起きて成人式の支度をしたとあって、かなり疲れた顔をしているものの、見違えるほど美しくなってくれたものよのお〜。おばちゃんは感激なのである。うるうるうる。
(後ろで散らばってるスリッパが、いかにも姉のうちって感じだヨな〜)

 姪っ子たちが生まれる前の年に日本を経ったので、お誕生の感激の渦に参加できなかった。
フランス革命200年記念の、トリコロールの哺乳瓶を日本に送った記憶がある。
お年玉はあげたことがない。
抱っこしたこともない。

 写真の方じゃない、もうひとりの姪が、ゾエの誕生の時に姉と二人でフランスに来てくれた時、スーパーで見失いそうになったので、思わず手を取ったら、姪っ子が叫んだ。彼女はそのとき中学生で、わたしよりも背が高いぐらいだったのだが、それでもかわいい中学生だった。その姪っ子が、わたしに手を取られて、叫んだ。
 「おばちゃんと手をつないだの、生まれてはじめて!うれしいっ!」
わたしとっても恥ずかしかったけど、いや〜おばちゃんも嬉しかったヨ。
 姪が中学生になるまで、手を取ってあげたことがなかったなんて、恥ずかしいおばちゃんである。
この姪にもまた、お年玉をあげたためしがない。彼女は春から社会人になる。
写真の方の姪は、母親と同じ看護師さんになるべく、勉強している。

 姪っ子たちが二十歳なんて、びっくりだ〜。
社会人になるまで育て上げたなんて、姉たちにも頭が下がる。
わたし、あと七年もある。不安だ。
(フランスは成人は十八歳だから、あと五年なんだけど。。。)


 成人式の時の同窓会が、懐かしいなあ〜。うるうるうる。

2010/01/05

Histoire de 4 bougies 四本のロウソク


 フランソワーズが四本のロウソクに火を灯し、語りはじめた。


Les 4 bougies brulaient lentement. L'ambiance été telment silencieuse qu'on pouvait entendre leur conversation :

La 1ere dit : Je suis la PAIX, cependant personne narrive à me maintenir allumée, je crois que je vais m'éteindre.

Sa flamme diminua et elle séteignit complétement.

La 2nde dit : Je suis la FOI, dorénavant je ne suis plus indispensable, cela n'a pa de sens que je reste allumée plus longtemp.

Quand elle eut fini de parler, une brise souffla et l'éteignit.

Triste la 3eme se manifeste à son tour : Je suis l' AMOUR, je nai pas de force pour rester allumée les personnes me laissent de coté é ne comprennent pas mon importance, elles oublient meme daimer ceux qui sont proches deux.

Et sans plus attendre, elle séteignit.

Soudain ! ! !

Un enfant entre et voit les 3 bougies éteintes : Pourquoi etes vous éteintes ? vous devez etre allumées juskà la fin.
En disant cela, lenfant commenca à pleurer.

Alor la 4eme parla : n'aie pas peur, tant que ma flamme est là, nous pourron allumer les autres. Je suis l' ESPERANCE.

Avec les yeux brillant lenfan prit la bougie de lespérance et alluma les autres.

Que la flamme de l'espérance ne s'éteigne jamais à l'intérieur et autour de nous.

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四本のロウソクがゆっくり燃えていた。
静かに燃える光に揺れるように、ロウソクたちの会話が聞こえる。

一本目のロウソクが言う
わたしは《平和》です。
でも、誰もわたしの消えそうなともしびを守ってはくれない。もうこのまま消えてしまった方がいいでしょう。
《平和》の炎は少しずつ力をなくし、やがて消えてしまった。

二本目のロウソクが言う
わたしは《信じる心》です。でも、だれにもわたしなど見えなくなってしまった。
もうこれ以上、光を放ち続ける必要などないでしょう。
そう言い終わったとき、風が吹き《信じる心》のともしびも消えてしまった

悲しみに包まれた三本目のロウソクが言う
わたしは《愛》です。
もうわたしには輝く力など残っていない。誰もがわたしのことを見放し、《愛》の大切さなどには見向きもしない。人びとはごく身近な人たちさえ愛せなくなってしまった。
そう言うと、スッと消えてしまった。

とつぜん!

ひとりの子どもが現れ、消えてしまった三つのロウソクを見つめた。
どうして、消えてしまったの?最後まで燃え続けてほしかったのに。
子どもは泣き出してしまった。

そして、四本目のロウソクが語り始める。
こわがっちゃだめよ。
わたしの光が残っている限り、消えたロウソクに輝きを取り戻せることができるわ。
わたしは《希望》です。
子どもの瞳は《希望》の光に輝いた。そうして《希望》のロウソクを手に取り、消えてしまった《平和》と《信頼》と《愛》のロウソクにふたたび光を捧げた。

みなさんの心の中に、そして、みなさんの周りに、《希望》のともしびが輝き続けますように。

              (全訳/ダニエル遠藤みのり)

2010/01/02

メゾン・ド・ヴィックにて

 Maison de VicはVicという村の、人里離れた杉林の向こうにあった。

 荒れ果てた農家を遺産として受け継いだある女性が、その建物の老朽化に悩みつつも、使い道はないかと模索していた時に、フランソワーズとステファンに出会った。
 フランソワーズとステファンには大きな夢があった。それは、行くところのない人に、屋根を提供すること。そこでは文化交流や、精神的・経済的な助け合いが行われ、行くところのなかった人たちに行く先が決まるまでのお手伝いをする。行く先をいっしょに探してあげること。帰る場所を作ってあげること。立ち寄り、持ち寄る場所を提供すること。。。などなど。
人が集まる場所を作るというのが彼らの夢だった。

 大きな夢がある。確かなプロジェクトに自信がある。
でも、お金はない。場所がない。
そういうときに、フランソワーズとステファンに六ヶ月の間家賃は要らないから、とりあえず場所を整えてみてはどうだろうかと《メゾンドヴィック》が提供された。メゾン・ド・ヴィックの生活用品一切は、貰い物や借り物だ。でも、なんでも揃っている。フランソワーズとステファンの貯金で修理され、きれいな宿泊所もできた。

 オープンしてからずっと人が絶えない。心、そして身体、その両方。。。行く場所を求めている人たち、温かい場所を探している人たちが、なんて多いんだろうとフランソワーズは言う。

 ダニエル家は家族四人健康で、雨漏りのしない家に住み、食べるものにも着るものにも困らない。だけど、「歌いながらいっしょに年を越そうよ?」と言われれば、「そういえば、ここのところ、歌いながら、明るい気持ちで年を越したことは、あんまりなかったなあ〜」というのが、JPとわたしの本音だった。
 わたしたちはとっても偏屈なので、知らない人たちといきなり大騒ぎなんてできない。おつきあいが下手なので、年末に誘われたり、パーティーに呼ばれたりしない。呼ばれてもほとんど出て行くことはない。社交的じゃないし、ひっそりしているのが性に合っていると思うのだ。じつは、こう見えても。
 気難しいJPでさえ、知らない人たちなのに「じゃあ行ってみようか」と思える、なにか、とっても惹き付けるものが、メゾン・ド・ヴィックにはあったのだ。

 フォランソワーズがロウソクを灯す。悲しみや絶望とともに消えてしまった《平和》と《信頼》と《愛》の灯火が、消えかけていた《希望》の炎に救われて、《平和》と《信頼》と《愛》のロウソクに、新しい灯を灯すというお話だった。


 生まれた国の異なる、五人の若者たちが、ホストファミリーで兄弟のように暮らしている。彼らは大人たちが食事している間に屋根裏部屋で考えだした即興のコメディーを披露する。ダンスも歌も、即興。身体の中からわき出しあふれるエネルギーを、恥ずかしがらずに、大人の前で披露する。見つめられること、褒められること、名前を呼ばれることが嬉しくてたまらないらしい。



 ステファンとジャックのギターのメロディーに合わせて、グループが四つに分かれる。フランソワーズの指導で、まずベースのコーラス。。。。音痴でも歌える軽いメロディーの繰り返し。ノエミもわたしも声を張り上げた。そして、テノール。アルト、ソプラノ。。。。ぜんぶフランソワーズが即興で考えたメロディー。JPもソプラノグループで声を張り上げてる。途中サンフランシスコ生まれのキムがソロでソウル風の歌を歌い、やがてフランソワーズの合図で四つのコーラスが一斉にキムに加わる。ギターのすばらしい演奏がソロを決め、大合唱と大喝采の中、全員参加の大コーラスが出来上がった。感動的な年末大合唱だった。




 フランソワーズが立ち上がり、イヴォンをダンスに誘う。曲はズック。マルティニークの音楽。1分ぐらいの二人の踊りに続き、フランソワーズがギヨムを誘い、イヴォンがノエミを誘う。そのあと、四人はそれぞれのパートナーを捜しに出かける。八人がまた別な八人を誘う。わたしはJPに誘われた。JPと踊ったのは結婚式以来。ゾエが写真を撮る。


 そうしているうちに12時の鐘が鳴り、ダンスのパートナーと、ほっぺたにキスをし合いながら、いっせいに「おめでとう」と叫んだ。

とっても楽しい夜だった。

2010/01/01

あけましておめでとう


 
 今年もよろしくお願いいたします。

健康で、こころ穏やかな年になりますように。

びっくりどきどきイベント盛りだくさんな、燃える一年になりますように。

寅のような猛々しい前向き精神と、猫のようにのんびりBe Zen 精神で参りましょう。


 そろそろ質素なお食事に、Uタ〜ン