2006/01/01

年越したソバ

 クリスマスにはJPの実家で、お店で買ったアイスクリームの《ビュッシュ・ド・ノエル》が出た。しかも、カスタードクリームではなく、アプリコット・ジャムのクリーム。アプリコットの季節ではないから、あれはインチキな代物だッ!ゆるせん!と思いながら帰って来た。

 クリスマスが近づくといつも《ビュッシュ・ド・ノエル》という、薪を形どったロールケーキを作りたくなる。季節ものだから。カスタード・クリームが入ったロール・ケーキで、チョコレートをドローリとかけ、フォークで木の肌模様を描く。

 クリスマスは自宅で過ごせなかったので、敗者復活戦だーと思って、せっせとデザート用の《ビュッシュ・ド・ノエル》を作っていたら、肝心のソバを打つのをすっかり忘れてしまった。

 夜は除夜の鐘もないし、イベントなしの予定だったから、軽く魚のアルミホイル焼きと、トマトのご飯ファルシにした。ご飯の上にカビチーズの《ロックフォー》がのっている。一応フランスだからー。ご飯は残り物だったので、夜には《お坊さま》にご飯を差し上げられなかった。

 除夜の鐘も、パリのような車が燃える騒ぎもないので、しーんと静かに食べ、シャンペンの代わりにレモネードを飲んで、JPが仕上げたチョコレートまみれの《ビュッシュ・ド・ノエル》を食べた。気がついたら23時57分になっていたので、世間の盛り上がったカウントダウンでも聞こう、と思ってラジオをつけた。

 台所の電子レンジのタイマーは、3分も遅れていたらしくて、ラジオをつけたら、カウントダウンどころか「イギリス人が《ハッピーニューイヤー》と言いながら抱き合っていますッ!」
というシャンゼリゼからの生中継をやっていた。

 あーあ、すでに年が明けていた。
まーた、出遅れちゃったよ。

 仕方ないから、家族で「ボンナンネ」(よいお年を)と言い合って、キスをして、抱きしめ合った。子どもたちは眠くてふらふら。
 あんなに盛り上がっていたのに「ボンナンネ」と言ったとたんに「だから?どうする?」ということになってしまった。

 日本の母に電話したら、8時なのにまだ寝ていた。孫たちが来ていて、夕べはにぎやかだったよ、というので安心した。去年の今ごろなんて毎日寝不足だった人。

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 で、ついたちは、午前中に煮豆やまき寿司やみそ汁を作って、午後は昨日食べそこなったソバを打った。レシピには「そば粉を1キロ用意する」と書いてあったけれども、失敗した場合に1キロもどうしたらいいのかわからないので、333グラムだけにした。見た目はなかなかだった。夜が楽しみ。

 そのあと、煮豆をして残った大豆で豆腐を作ろうと、すり鉢で必死に大豆を潰していたら、ラジオで「世界のお正月」というのをやっていて、ちょうど日本からの中継。フランス人の記者の報告。

 「日本人の大晦日は、男性軍と女性軍に分かれた歌合戦のテレビの前で暮れ、初日の出を見なければならないので、みんなけっこう早く寝た。三ヶ日は奥さんが料理をしないので、男性が台所でスープを作る」などと言っている。おいおい。

 《三ヶ日は寝て暮らす日本式》というのをすっかり忘れ、食べるもののことばかり考えていた私。。。働きすぎ。すり鉢を片付けて、大豆はミキサーで潰して、温度調整とか全く無視した、木綿豆腐を作った。これは明日食べる。

 豆腐でインチキして、余裕ができたので、ピアノの練習をしていたら、夜になってしまった。
 夕食は、手打ちソバと、昼に食べ残したまき寿司。なんて豪華。お肉ものがないので、ハムを出した。ちょっと淋しいから、この前日本から届いた《するめ》も出した。来年の大晦日あたりに食べようと思っていたのに。なんて太っ腹。

 手打ちソバは、歯ごたえがあっておいしかった。ソバ職人になれるかもしれない。次回は手打ちうどんもスパゲティーも夢ではないかもしれない。(この食い意地って一体。。。)

 餅の代わりにだんごでも作ろうと思って、あずきを探していたら、この前使い果たしたとばかり思っていた、サトウの切り餅が1個だけ出て来た。去年従兄が送ってくれた切り餅の生き残り。お兄さんの切り餅には、2年がかりでお世話になってしまった。東を向いて手を合わせる。

 木綿豆腐の入ったみそ汁と、おからを使ったお惣菜と、ソバの残りと、サトウの切り餅を四つに割って焼いて食べるのだー。お正月っぽくなった。

 12月31日が過ぎ去った瞬間から、たまった洗濯物も、ホコリもぜーんぜん気にならなくなったので、心穏やか。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
健康で、穏やかで、平和な1年になりますように。
いろんな夢が見られますように。
そして夢に近づくことができますように。

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