2007/11/29

ぽろりん

 数ヶ月前に、ある友だちが教えてくれたCDのバックで、「びよよ〜〜ん」と鳴る弦楽器に心を惹かれた。
その「びよよ〜〜ん」という音は、コマーシャルなどでは、よく、ババクールな人がヨガか座禅をやっているようなシーンで、登場するような音。聴いたら「その音、わかる」という人もいるに違いないけれども、わたしは数ヶ月の調査でなお、その楽器の名前を見つけられずにいる。

 アフリカの《べんべん楽器》なるものを持っている。これは確かにアフリカで見たことがあるので、アフリカのものだと思うが、わたしのはJPがフランスのどこかの「エコロジー市」で手に入れた。アフリカでは、ひょうたんみたいな植物の固い実を二つに割って使っていた。わたしが個人的に《べんべん楽器》と呼んでいるソレは、イワシの缶詰の空き缶と、そこら辺で拾った板きれと、ヘアピンみたいな金属の棒でできていて、その金属の棒を「べんべん」と指で弾いて鳴らし、歌のバックに参加させる。「音階はテキトーだから、主役にはなれないけどごめんね」と言われてプレゼントされたが、わたしはその金属の棒の長さを調節して、テキトーな音階を作ることに成功した。だから、「アフリカのものとおぼしき、缶詰で作られたべんべん楽器」で、「サクラサクラ」と「キラキラ星」辺りは演奏できるようになった。

 オーストラリアの原住民・作と思われる、キッチンペーパーの芯で作ったらしき、《ぐわんぐわん筒》もある。《ぐわんぐわん筒》は、その名の通り(わたしだけがこう呼んでいるのだけど)内側にくっついているぐるぐる巻きの針金を床に向けて垂らし、筒を縦に持って、南半球でお風呂の水が地球の真ん中に吸い込まれていく方向に《ぐるんぐるん》とゆっくり回すと、びろびろの針金が筒の中で《ぐわんぐわん》と音を立てる。これは、「嵐の前触れを表現したい時」や、「家族が恐怖映画の前で息を呑んでいる時」などのBGMに最適。

 JPは、なにかっていうと、わたしに楽器をプレゼントしてくれる。

 イタリア製のオカリナだって持っている。この前トトロの映画会のあと、子どもたちがさつきとめいの演奏している楽器のことを知らなかったので、オカリナを持って行って「こんなんだよ」と見せてあげた。穴を全部指で塞いで、一番低いところで「ホーホホー」と吹いてあげたら、わたしはフクロウの物真似のつもりだったのに、みんなは「ハト」と言った。ううう〜ん。
フクロウはHoHOooで 、ハトはRourouou だと思うんですけど。。。

 そういえば、子どものころは小さな大正琴と、漆のはがれかけた木琴が遊び道具だった。狸の皮(?)を貼った和太鼓も持っていた。その和太鼓の皮には「遠藤清二郎のむすめ、みのり」と墨でサインまで残してあって、今でも手元にある。

 クリスマスが近づくと鉄琴を引っ張りだしてきて、「きよし この夜」や「ジングルベル」などを演奏すると、気分が出て来る。ゾエのために鉄琴を買ったその年のクリスマスに、わたしとJPは、JPの下の弟に「海」をプレゼントした。大きめのタンバリンみたいな、太鼓みたいな、木の輪っかの両面に動物の皮が張られた物体。その中に砂あるいは豆状の物が入っていて、木の輪っかをゆっくりと左右に振ると、「ザザーン。ザザーン」と波が打ち寄せては引いていくような音が出る。目を閉じてそれをやると、海岸に座っているような気分になる「癒し」の楽器だった。弟にプレゼントしてしまってから、自分のために確保しなかったことを後悔した。あの弟のことだから、今ごろはインターネット・オークションにて高く売りさばいてしまっていることだろう。しまったなあ。

 わたしのヤマハのキーボードは子どもたちに人気がある。ヘリコプターのプロペラ音がドレミを奏でたり、「小鳥のぴよぴよ」声とか「波のさわさわ」音で、演奏することもできる優れものだ。ピアノの中にはアメリカ人のDJも住んでいて、子どもたちが鍵盤を押すとYes! Comme on ! Let's Go !などと叫んだり、あるいは、レコードをキュッキュと鳴らす音まで出る。


 きのう図書館でSTING ・ SONGS FROM THE LABYINTH というCDを借りてきた。《スティング》だったのでつい借りてしまった。

 ある友人が、二月に東京ドームの《ポリス》のコンサートに行くというので、わたしはとおってもクヤシイー。
東京ドームの《スティング》のコンサートならば、行ったことがある!メシを抜いて大変な思いをして買った7000円のチケットで、豆つぶスティングを見た。ふんっ。
 それをいうと、周囲には「やっぱり《スティング》じゃなくて《ポリス》じゃなきゃあ」というような、センモンカみたいな友だちばかりなので、自慢にもならない。

 《スティング》だった から 借りてしまったCDだったのだけど、これは全然スティングじゃなかった。けっこうな拾い物をした。
1500年代に生まれた作曲家の音楽を、EDIN KARAMAZOVといっしょにアレンジしたもので、弦楽器《アーチ・リュット》なるものが奏でられる。《リュット》というのは、ヨーロッパの琵琶みたいなものかな?《ぽろりん》と泣けるのだなあ。。。うれしいなあ。
 つい先日、クラシックを取り入れたジャズというのを体験したけれども、中世の《ぽろりん》はポップのハシリだったんだなあと思った。中世はヨーロッパ史でも日本史でも大好きな時代。石のお城でスティングが《ぽろりん》やってる図を想像すると血が騒いでしまうのだあ〜。Fine knacks for ladies(訳/ご婦人用の見事な細工物)は踊りたくなった。じつはフランスではKnacksというソーセージがあるので、「女性のためのおいしいソーセージ」かと思ってしまった。わたしって一体。

 詳しくは、視聴もできるこのサイトで。
http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/sting/index.html

 
《食欲の秋》と《読書の秋》に押されて《音楽の秋》を忘れていたので、本日は音楽に浸っている。
《みのりの秋》も明らかに終わり。こんばん雪が降るかも〜〜。
さて、電気節約のため、そろそろ就寝。

ああ〜、明日の朝にはJPが帰ってくるう〜〜。あっという間の2日間だった。
 ダンナは元気でたまには留守 がいいなあ〜〜。ぶぶぶ

2007/11/28

ツキを呼ぶことのは

 おもしろいブログに出逢った。言葉と、出会いと、シンプルなこと、健康に関して、食べること、暮らすこと、そして読書のことなどなど。。。わたしの興味あることがいっぱい詰まったブログだ。教えてもらってから、食いつくように読んでいる。わたしの日記もけっこう文字が多いのだけど、この人のブログも文章が長い。そして、文章が美しい。たまに涙が出そうになる。

http://kansya385.blogspot.com/

 このブログ、やってるのは、昔いっしょに学校に通ったお友だち。当時は彼にこんな文才があるとは知らなかった。同級生男子にしては珍しく、ほっぺたが赤くなるぐらい、優しい励ましをくれたりもする。彼のブログは、ためになるちょっとしたおまじないのほかに、物の味方を変える方針、違う角度からものを見る方法、気分を変える術、報道されない真実などなど、興味深い内容が盛りだくさんで、本日のわたしは、おトイレを掃除するときに唱えるべき言葉を習った。
 昔から「便所を掃除する子は美人になるよ」と言われて、「美人、美人」と唱えながら、お掃除していたが、この頃は美人であることにもうほとほとあきらめがついた。美人でなくてもいいから幸福でありたいと。。まあ、そっちの方に関心が移行してしまった。
 さて、友だちのブログで、「トイレの神様うすしま明王様を大事にしたら、つまりトイレ掃除をしたらいいことが起こる」と書いてあったので、わたしゃあ〜、なびいてしまった。すっかりその気だ。
 さあ、明日の朝は、これを唱えながらトイレをお掃除するのだ!
 「うすしま明王様ありがとう。おんくろだろう、うんじゃくそわか」
 

 そのブログの彼が、「NPO法人きれない空気プロジェクト」っていうのを運営しようとしているらしい。いろいろ話を聞くと、我がダニエル家が目指す《地球に優しい暮らし》にとっても身近な精神がいっぱいつまったグループとお見受けした。
 わたしは有名人じゃないので、PRにはあまり協力できそうにないけど、いちおううちの公開日記でもご紹介させていただく。個人無料会員としては、とりあえず、「パーフェクトノースモーキング」のステッカーを貼って、フランスからの禁煙事情などなどの情報を提供するってことで、小さな協力を惜しまないことを決意した。興味のある方は、わたくしまでご連絡ください。

 さらに、同級生にしてアーティストの、朝隈としお氏によるイメージキャラクターも近々創作されるとのこと。これは楽しい。
彼のいつもの作品はこちら。
http://clayanimals.net/gallery.html

 そのほかにイメージ・ソング、イメージ・ポスター、イメージ・紙芝居、イメージ・人形劇、イメージ漫才、イメージ交響楽団などなど。。。頼まれていないけれども、わたしが勝手に募集する。どうぞよろしく。

 さて、電気節約のため、このわたくしメも、ついに夜更かしをやめるという。。。ヘビースモーカーが禁煙を決意するような、とっても大変な決意をしてみた。縄跳びと腹筋も続いているから、こちらも続けられるだろう。これも資源節約と、電気代削減のため。なにより早寝早起きをして、普通の人間と同じ時間帯に人間らしく暮らしてみましょうか、との気持ち。なんて前向き。
ニンゲン、日々成長しなくちゃあね〜。

 JPは、職場の労働組合役員となり、賃金交渉と定年退職後の保証制度改善に関する会議のため、先ほど夜行列車で首都パリに出発した。明日の昼間会議、夜はまた夜行で帰ってくる。おとといは中学校の役員会で教師陣を前に、4時間以上の食事抜き会議にも参加して、帰りが遅かったというのに。
 お父さん、がんばってる。

 さて、電気を消す。0時半に寝るとは、記録的な早寝である。まずまずの出だし。
おやすみなさい。

2007/11/27

ふぅ〜



ノエミによる20点満点のうちの19点をもらった、記念すべき《抽象画》の宿題。
テーマはREGARD (日本語にすると見ること、視線、まなざし、注視 だろうか?)


 火曜日は買い出し日。
 自然食料雑貨の店に行かなければならなかったので、ちょっと遠出する。自然にも身体にも優しいものを購入するために、などと偉そーなことを言って、わざわざ自動車でそこまで行くのは、この頃ちょっと億劫になってきている。
でも「豆腐」があったから幸せ。

  さて、場所を変えて、普通のスーパーへ。先ほどの店ではあまりにも高いものや、揃わないものが多いので、空しい気持ちではしごする。スーパーではクリスマスの飾りが華やかで、「3つでいくら」とか「ひとつ買うともうひとつはプレゼント」などのセールで、消費を煽っている。煽られて、バカさ加減に腹を立てながらスーパーを出ると、交差点に《あのお兄さん》がいた。
 
 《このお兄さん》は、夏にも同じ格好でここにいた。黒いコートに、背中には重そうなリュックサック。
《このような人たち》は、冬に凍死しないために、夏でも冬ものを持ち歩かなくてはならないのだ。おそらくSDFと呼ばれる人たち。サン・ドミシル・フィクス(住所不定の人々)ということ。夏にどんなに暑くても、持っているすべての服を身につけている。ボロボロのリュックに全財産を詰めて背負っている。夏に汗だくで身にまとっていたそのコートは、夏には「分厚いコート」に見えたのに、寒空の下で見ると、なんと薄いコートだったのだろう。交差点の信号が青に代わった。お兄さんがわたしの二台前の車窓を叩いている最中に、わたしの後ろの人がクラクションを鳴らした。

 過大消費を煽る巨大スーパーを出て、滅入っているところに、高級車のクラクションに後ろから煽られ、寒そうな「あのお兄さん」をバックミラーで見ながら、「来るぞ、来るぞ」とつぶやいていたらやっぱり来た。
ドドーッと涙がやってきた。
 月末が来て、年末も来る。そして反省や後悔や、いろんなものもやってくる。この時期が大嫌いだ。クリスマスのイルミネーションを見ると悲しくなる。

 買い物に出掛けた午前9時に1リットル1.39ユーロだったガソリンが、1時間半の間に1.59ユーロになっていた。

 来る時にはまだ通れた高速道路が、たくさんのパトカーと青バイに封鎖されていて、物々しい雰囲気だった。ラジオで「大型トラックと観光バス正面衝突を想定した、救急演習です」と報道しているので、ちょっとだけホッとした。

 お昼のニュース。パリ郊外で、2日前に警察のパトカーとの交通事故で亡くなった二人の少年の件をやっていた。交通事故で亡くなったと発表されたものの、捜査結果に納得できない少年たちの友人知人や、《その他大勢》が警察を相手に「暴動」を起こしている。このような郊外の事件にありがちな、《関連者》よりも《便乗組》の数がどんどん増えているというような状況。なぜか、なにゆえか、図書館や幼稚園が燃やされ、市民の自動車が焼かれ、商店街は壊され、盗まれ、市民はおびえて外に出れず、警察署も襲撃された。


 さて、気分転換にフルートの練習でもしようっと。優雅だなあ。。。

2007/11/22

エスカルゴ



Le soleil est parti et la neige arrive
おひさまは行っちゃって、雪さんがやって来る

 ゾエのクラスでは、エスカルゴ(カタツムリ)を育てている。
秋に子どもたちが集めたカタツムリを、水槽の中で飼っている。苔や木の皮、レタスの葉っぱや果物など、「食べるかな?喜んでくれるかな?」と思ったものを持参して、水槽に入れてあげる。。。という観察から始まった。
 それが「カタツムリに捧げるポエム」「カタツムリの歌」の練習。「カタツムリの身体」「カタツムリの活動」の観察に続いて、「カタツムリと書く練習」「カタツムリの表情をとらえて描く」「カタツムリの色を見る」「カタツムリの種類について調べる」さらに、「カタツムリの愛とは?」などなどなどのお勉強の対象になっている。
 「気持ち悪いけどお友だちになったら案外かわいいヤツ」など、友情のお勉強にも役立っている。さらに「ゆっくりながらも、確かに生きる」の人生勉強、「こんなつまらなそうなヤツも、必死に生きてるのさ」の哲学などなどなど。先生も、なかなかおもしろい題材を見つけたものだなあ〜。

 この前トトロの映画会に呼んでもらった。
 映画のあとで、また幼稚園に呼ばれて、映画の中で見た「お弁当箱」「ランドセル」「お茶碗」「おはし」「うちわ」「浴衣」などを見せ、日本の暮らしについてちょっとお話しさせてもらった。
 明日もまたほかのクラスのために呼ばれている。

ランドセルは従姉のみっちゃんにもらったお下がり。みっちゃんは物を大事にする子なので、とってもちゃんとしたランドセルだ。ノエミも、ものは大事にする子なので、きれいなまま残っている。
 持っているものは直ちに使うという方針のゾエは、ノエミが大事に隠してあったランドセルを引っ張りだしてきて、幼稚園のみんなに見せびらかしたあとは、ちゃんと毎日ランドセルで行っている。ご近所の人には変な目で見られるけど、トトロの映画で見た日本のカバンだから、幼稚園の子どもたちはみんなうれしそうにゾエを見守っている。

 今週は、ダンスの鑑賞会があり、月が変わると、クリスマス・パーティーがいくつも待っている。幼稚園には去年と同じサンタさんがやって来て、プレゼントをくれるそうだ。

 フランスの11月は、例年通り、全国でいろんなストをやっている。
鉄道はすでに一週間以上停止したまま。あるいは数を大幅に減らして運行。新幹線などは700便のうち300便は走っているらしいけど。
火曜日は公務員がストだったので、我が家はまたも、平日にして家人がゴロゴロしていた。JPは午後になってからデモ行進に出掛けていった。アルビでは8000人のデモ行進だったらしい。ノエミの学校の先生方も参加していたそうだ。

 年末が近づいている〜〜という雰囲気。
わたしは日本語レッスンが始まって、お出かけも多くなった。
ガソリンが1ヶ月前は1リットル1.26ユーロぐらいだったのに、今週は1.39ユーロになった。剣道に行くのもちょっと気が引ける今日この頃。でも、練習のある火曜日と木曜日は、音楽学校とレッスンの日なので、入会金払ったのに行けなくなってしまった。しかたないから、木刀で素振りをやっている。

 この年末はエスカルゴの人生訓でのんびりやる。ついでに冬眠も。

2007/11/20

きらきら輝く星

 ミシュランというガイドブックがある。それはレストランの評価ガイドブックとでもいうようなもので、フランスでも買っている人はいっぱいいる。たぶん、旅行のときのガイドブックと同じようなもので、「ちょっとぜいたくして、おめかしして、レストランでも行こうかね、という時に役立つ、ホシ早見表付き」ということになっている。

 今年三ツ星、二ツ星(星が多いほど良いという評価)に昇格したレストランの発表を見たら、この前帰国した時に入ったお店の名前があった。
 銀座の資生堂が経営している、ブルーノ・メナー シェフの 《ロオジェ》というレストラン。9月のこの日記で「40席の室内に、45人のサービス係が居る」と書いたレストランだ。奇遇にもブルーノさんは、9月に日本まで同行したチョコレート屋・ミーさんの、古いお友だちだった。
 もう一カ所、ミーさんのお友だちのレストランで《ジョエル・ロビュション》という名前のレストランもあるのだが、こちらはちょっと堅苦しいからと言って行かなかった。その代わりにミーさんのおごりで、同じロビュションさんの経営する《アトリエ》という店に行った。六本木ヒルズの、お金持っていそうな、若くて美しい人がカウンターでおしゃれにワインを飲むお店だった。わたしたちは当日の朝、ミーさんがフランスのロビュションさんに電話して、ロビュションさんから日本に電話してもらって、きゅうきょ用意してもらったテーブルを5人で囲み、どんちゃん騒いだ。
《ジョエル・ロビュション》は3ツ星で、《アトリエ》は2ツ星だったらしい。

 それから、12貫で3万円もするお寿司《神の手》と呼ばれる次郎さんのお店は、《すきや橋 次郎》というお店だが、そこはわたしは外されて、ミーさんとアーさんだけイイ思いをしたところ。(わたしは自由時間がもらえてユッピーだった)
 次郎さんは、ふだんはお店の隅にちょこんと座っていて、握りたい時にすっと立ち上がって、さらっと握って去っていくようなお人とお聞きした。ミーさんが「素材が新鮮で、お米の握り具合が抜群で、素晴らしいお寿司だった」と言っていたので、間違いないだろう。でも、あの80歳を過ぎた職人さんの次郎さんも、星に関心あるとはちょっと思えないような。

 あとで聞いたところによると、ミーさんと過ごしたレストラン三昧の日々、4-5人で入ると、一カ所で15万円から20万円の支払いだったらしい。実は毎昼、毎晩、《そんな》店で食べさせていただいていた。
 まあ、そんなことを前もって聞いていたからと言って、遠慮するわたしじゃないけど、確かに「通訳の方は食べる暇なんかないでしょうから、みんなと同じように注文するのはちょっと勿体ないかも」などと言われてはいたのだが、ところがどっこい、わたしはきれいに食べていた。どこに行っても。無駄にしてはいけないのだ。もとはしっかり取った。ふふふ

 「有名なレストランだから、話のネタに行ってみたい」ってことは、まあ〜、ない。そんなお金ないしイ〜。でも、連れて行ってくれるっていうなら、どこにでも行く。なんでも食べる。試食は怖くない。
 わたしはアフリカでだって、今そこで殺したばかりの羊を、住民と同じ鍋で、手づかみで食べてた女デス。食べる人間はどこででも生き延びていける。中国人をみよ。中華料理店はどんな田舎にでもあるでしょう。あれぞ、中国人が世界中に根を広げるテクに違いない。

 ちょっと、話がそれた。

 連れて行ってもらえる。しかも、お代はそちら持ちということで、わたしはまあ、本当によく食べた。ただ食べるのではなく、行く先々で、よそとの違いを教えられ、素材の見分け方や、調理の方法を習った。どのワインがどの料理に合うか。いま口に含んだワインは、どんな形容詞で表現されなければならないのかを教えてもらった。

 メナーさんも、《アトリエ》のシェフも、雇われシェフだから、星争いにはほかからのプレッシャーの方が大きかったと思う。でも、白衣で現れ、長いこと我々のテーブルの横でおしゃべりをしていったメナーさんの、繊細さと優しさと、まじめさと食に対する情熱と、美的感覚とインスピレーションは料理に現れていて、彼の料理が、もっともっと多くの人に味わってもらえたら、どんなに素晴らしいだろうと思った。でも、もう一度一人で行こうと思っても、ちょおっと手がでないのが残念だ。星が3つになって、来年はもっと料理の値段が上がってしまうのだろうか。ミーさんをそそのかして、《お友だち》の顔でテーブルを取ってもらえたとしても、《割引》は許されないだろうなあ〜。
 
 ガイドブックを見て、「話の種」にやって来る日本人で溢れかえるであろう、40席の小さなレストランのことを思った。
9月に行った時、宝石と高価な衣服に身を包み、お肌にもヘアースタイルにもお金と時間を掛けた美しい女性が、優雅にワインを飲んでいた。わたしみたいに一日中走り回ったせいで、ヨレヨレになってる服を着て、疲れた顔には隈ができており、髪は乱れて化粧の落ちた、変なオンナはいなかった。
 ただし、わたしは食の専門家たちと《食べに》行ったので、マナーを知らない割にかなりリラックス。「使いたいフォークを使えばいいし、嫌いなら残してもいい、好きならばわたしの分もわけてあげよう、チーズのお代わりはいくらでもどうぞ。それを食べた感想は、どうだね?」
実に貴重なひとときを過ごせたと思っている。

 3ツ星だから、2ツ星だから、あそこに行けよと奨めたりはしない。けれども、わたし自身はいつか機会があったら、ぜひまたメナーさんのお料理を食べてみたいなあ。もう一人《アトリエ》のシェフは、名前を忘れたけれども、あの《フォアグラのリゾット》は長く忘れられない味だ。日本であんな素晴らしいフランス料理が食べられるなら、わざわざフランスまで《美食の旅》なんて言って来て、パリのオペラ座近辺の日本料理店に入るとか、マクドに寄るとか、シノワで我慢するとか。。。そういう必要もなくなるというもの。日本人にとっては《フランス高級料理》を知る大きなチャンスだと思う。
 ただし、《フランス庶民料理》とか《フランス田舎料理》《家庭料理》《斬新な研究中料理》などと、自分にとっての《良いレストラン》だったら、20万円も払わなくたって開拓できる。お皿の中に季節があって、自然の素材が生きていて、雰囲気と味が自分にぴったりで、好みについてのわがままを言わせてもらえて、楽しく笑ったりお喋りすることが許されていて、子どもがいても迷惑がられないレストラン。それがわたしにとってのよいレストラン基準かな?そんな所だったら、予算オーバーでも、たまにはいいかと後悔しないかも。見つけられなければ、自分ちでいいよね〜。

 とりあえず公の場で《評価》されたことに対して、メナーさんたちに心からおめでとうを。

2007/11/15

少数派




ゾエが描いた、ユニコーンです。翼を広げて、空を飛んでます。
なんだか、夢がいっぱいでしょ?

 先日の個人面談のときに、廊下で並んで順番を待つ間、子どもたちは廊下や校庭を走り回っていた。
ノエミの小学校からは99%が《ビクトル・ユーゴー中学校》に入学したが、ほかに5つの小学校からも合流しているので、中学に入ってから仲良くなった友だちが何人もいる。

 「この前から話してた、プリシラを紹介するよ。」ノエミが張り切っている。
うわさのプリシラかア、どれどれ。

「プリシラ」という名前が怖い。昔、少女コミックで連載していた恐怖漫画で、プリシラというかわいい女の子が、大人をたぶらかして、切り刻むというのを読んでから、「プリシラ」という名前にはトラウマがある。
 
 ちなみに操り人形も怖い。
小学生の頃に、5歳上の姉が、毎晩「ツルコウ」っていうお笑いスター(?)のラジオ放送を聴いていて、《恐怖特集》で、操り人形が人間を滅多切りにするというお話があって、それを狭い子供部屋(というよりも子供用の離れ。親とは違う棟)のコタツでじっと聞き入ったシチュエーションを、今でも忘れない。そして、物語も忘れない。そのうえ《操り人形》の恐ろしさも、忘れない。

 子どもにそんなの読ませたり聴かせたら、いけないのだ。でも、うちの親はそんなの「読ませたり、聴かせたり」したのでない。「やめろっていわれても読みたい聴きたい」のが、子供ゴゴロってヤツなのだ。

 ノエミがプリシラを連れてくる。ノエミと身長は同じぐらいなので「小さい」方だろう。
「だからね、ほら、この子がうわさのプリシラ。この子は生まれたときから6本指だったんだよ」
はいはい、うわさには聞いておりましたが、ノエミの「たわごと」と思っておりましたんです。それにしても、本人の前でそんな紹介しちゃって、どんなことを言えばいいやらわからない。
 「ゴホン(咳き込む)ハハ。。。(ひきつる)まあ、ほかの人が5本ってところを6本もらえたんなら、なんてラッキー!神様も気前がいいってもんだよね」(ノエミを突っつきながら、目をそらす)
 言ったあとで「バカバカバカバカバカバカ」と心の中で唱えつつ、表現力の乏しさに深く反省。

「コンチハ。そうなの、うちはおばあちゃんも、お母さんも6本指で、従兄にもそういう人がいるよ」
いやあ〜明るいなあ。この子は。
「ほら」
おいおい、見せなくってもいいよ。

 思わず目を疑ってしまった。
「指が6本あったけど、赤ちゃんの時に、ここのところ切っちゃったんだよ。触ってみて」
なんか、信じられないぐらい明るいな、この子は。
ノエミが、プリシラの手の甲をなでなでしながら「ほらママンも触って」と言って、友だちの手を引っ張ってくる。
ノエミ〜、遠慮しろよ〜〜。目で合図してんのがわからんのか。

 プリシラの手の甲には、ブラックジャックのような切り傷がいっぱいいっぱいついていた。
一本分ぐらいの距離を残して、中指と薬指の間にちょっと隙間があるものの、顔を引きつらせつつも「なんだ、5本指じゃん」と、いちおうは言える。でも、じつに奇妙。
触ると、そこのところにちょん切られた6本目の指の骨があって、ちょっと恐怖だ。
 「ほらこっちも。それに両足の指も六本あったのを切ったんだよ」
いばるか?いやあ〜、それにしても明るいなあ。

 家に帰ってから、ノエミとプリシラについて話した。先祖に何人もそんな人がいるから、プリシラの親戚はけっこう平気らしい。だったら、生まれた子の指を数えた時の、親のショックも小さかったんだろうか?いや、ショックなどなく「あら、わたしと同じっ」て、嬉しかったんだろうか。
 JPが「おまえ、クラスのみんなにお尻の蒙古斑(もうこはん)見せたの?プリシラみたいに自慢できるのに」
蒙古斑は、白人には現れない。だからJPは、子どもたちが赤ちゃんのころは、お客さんが来るたびに、「お宅の子にはこんなのないだろう」と言って、ノエミのスカートをめくり見せびらかしていたものだ。
 産院でノエミのお尻の上に広がる大きな青あざ見て、看護士に厳しい目で見つめられた。彼はそのあざをみた瞬間に息を呑み、冷たくわたしを見て、走って医者を呼びに行った。そして「あの母親は生まれたばかりの赤ちゃんに体罰を与えている」とチクった。
 でもさすが小児科医。笑い飛ばして「アジア人だからしょうがない」と言ってくれた。

 ゾエは産院で「黄疸がひどい」と言われ、なんだか特別な部屋の、紫外線オーブンみたいなのに突っ込まれた。日本から来ていた姉は「日本人なんだから黄色いのは当たり前でしょう。うちの子たちはもっとまっ黄っ黄だったよ」と言ってくれたので、わたしにはプレッシャーはなかったけれども、産院では「黄疸。黄疸」としつこく言われた。

 いや、でも、それにしても、プリシラの場合はちょっと違うじゃないか。
ノエミたちの蒙古斑のような現象でもないし、ほかの人並に、手が器用に折り曲げられないのはハンディじゃないんだろうか。手術が必要だし、手術しても大きな跡が残る。新しい環境に入ると、必ずしばらくは陰口を言われたり、いじめられたりするそうだ。
 うちの子が6本指で生まれたら、そりゃあ、、、これまでそんな子どもを見たことも聞いたこともないし、、、やっぱりショックだと思う。心の準備はどうしたってできないだろうし、生まれた瞬間から子どもの人生を憂えて、誕生が暗い事実になってしまうかもしれない。見えないハンディだったらまだいい?そんな問題でもないよ。
 歩けない子だったら、泣かない子だったら、病気ばかりしてる子だったら、わたしはどんな母親でいられたんだろう。

 なのに、なに?この、プリシラの明るさと素直さは?
「ちゃんと字も書けるし、体育もできるし、指が6本のままだったら、ピアノも人より上手に弾けたかもしれない。でも、既製品の手袋買えないなあ〜ハハハ。」
 ちょっと動転していたので、忘れてしまったけれども、お母さんを紹介してもらえばよかった。どんな教育をしているのか、親の顔が見たいっ!

 従兄には、6本目の指を切らずに成長した人もいるそうだ。でも、その真ん中の指には骨がなく、ノエミの表現によると
「中指と薬指の間に、ソーセージみたいなお肉がぶらぶら下がってる」
あまり、想像したくないけど、それだったら、むかし近所にそういう少年が居たのを覚えている。指は5本で、小指がウインナみたいだった。とても元気で陽気な少年で、ご両親もとっても明るい商売人だった。少年が大きくなって、そのソーセージ部分を『処分』したとしても、日本で小指のない男性だったら、みんな道をあけてくれるだろう。いじめたりしないさ。わたしがその子の親だったら、ソーセージのような小指を維持して、堂々と生きていけというのか、自分もその一因となっているソーセージの存在を嫌って、いじめられる前に小指を処分して、道をあけてもらえと言うか。。。わからない。

 両足がないのに剣道をやってるアメリカ人を見たことがある。
「なんでわざわざ剣道を選んだんだろう。切手収集とか、写真や絵画。スポーツなら弓道とかオートマチック自動車のレースとか、そんなんでもよかったのでは?」
と思ってしまった。でも、彼は両足で立っている人に勇敢に向かって行くし、相手を近づけなかった。すごい試合だった。

 逆境をものともしない人は、いるんだなあ。。。
少数派だから《逆境》だと思ってしまうけれども、世界の中で恵まれているわたしのような人間の方が、《少数派》であることを考えさせられるビデオを観た。世界では、大多数の人々が、少数派の恵まれた人に『逆境』を強いられている。

 
 友だちから紹介された、このサイト、ぜひ見てください。
http://event.yahoo.co.jp/voluntarylife/moshimo/index.html
この内容は、《本》としても出版されています。
フランスでは子どもの本の書棚に並んでいます。

2007/11/14

会議 La reunion avec un S

J'ai ete convoquee au college. Noemie a fait sa belle rentree, le resultat d'examen au debut de 6 eme n'a aucun problemes. Comme d'habitude, quoi. Le professeur de matemathique m'a fait attendre derriere grande file d'attente pendant 2 heures et il m'a recu finalement 2 minutes a peine, " Bien... j'ai rien a dire..." a-t-il dit.
Le professeur de francais, avait un grand sourir , " je pourrai avoir 150 Noemie dans ma classe avec plaisir." Elle a ajoute que Noemie est tres ordonnee, reflechie, sage et calme, meme les garcons les plus agitees de l'ecole, ils l'ecoutent quand Noemie fait " Chut, les gars "
Tien ! c'est bizarre, ma fille a peut-etre deux visages? Je fais que lui crier et gronder... Suis-je trop exigeante?
En tout cas elle a l'air d'etre adoree au moins par ce professeur, tant mieux. Noémie est la deleguee de classe pour 4 eme fois dans sa vie, le conseil d'enfant la represantante a la mairie.... Elle pense tout le temps a ameliorer la vie des enfants. c'est bien.

En rentrant du college, je suis retourner a l'ecole pour une autre reunion de parents d'eleve. Nous avons parle encore et encore de probleme a la cantine, une autre comission se fera invitee surprise.

Un autre theme c'etait celui pour la fete du Houx le 23 decembre a Carmaux. Quant a moi, j'ai propose a faire du Maki-zushi pour les vendre. Je les ai fait gouter avec les rouleaux de printems crus, ils ont l'air d'aimer. On va en refaire avec les autres mamans, on va les vendre au marche pour la benefice de l'ecole.


 中学校で成績に関する個人面談が行われた。
時間も決められておらず、椅子もない廊下に行列を作って、わたしなどは家を出てから帰り着くまで、2時間半も掛かってしまった。
 フランス語の先生は、わたしの顔を見ると、素晴らしい笑顔で握手を求め、「お会いしたいとずっと思っていました」と、まるで映画スターのように丁寧な扱いを受けた。
 「ノエミみたいな子どもだったら、クラスに150人ぐらいいても平気。ノエミほど冷静で、物事を深く考え、クラスの問題が丸くおさまることを常に思い、クラスのまとめ役で、みんなに信頼されている子どもは珍しい。机の上はいつも片付けられ、ノートは美しく整理されている。素晴らしい集中力で、よく授業を聴き、質問には華やかな文章力でよくまとめたわかりやすい応えを提示できる。なんと豊富な語彙力!遅れてついてくるクラスメートを助け、何ごとにも熱心で諦めず、いつも笑顔で礼儀正しい子どもですね。親御さんはお幸せなこと。」

 じつは、毎年、個人面談では、ほとんど同じことを言われている。ノエミのことはもちろん褒める。本人はいつも口では「自分はだめだ」と言っているから、やれることをやれば充分と褒めてあげる。手伝ってあげたらもっと伸びるのかもしれないとも思いつつ。ここでよその優しいお母さんだったら「成績が良かったお祝いに」と何か買ってあげるらしい。でもうちはノエミの方がリッチだから、そういうのはナシ。そこで先生が「親御さんの教育がしっかりしてらっしゃる」とか言ってくれたら、まあ、素直に喜ぶけれども、はっきりいって、娘には申し訳ないけど、わたしは(たぶんJPも)けっこう不機嫌になる。そしてJPとわたしは
 「あいつは二重人格じゃないだろうか?」と見つめあう。

 学校で良い子にしているストレスを、自宅で発散しているか、自宅でのストレスは学校に行けば解放されていると見える。学校というところが居心地の良い所で、のびのびやれる所なんだったら、それでいいけど。確かにノエミの家は、父親は厳しく、母親は小言しか言わないんだから、おもしろくないだろうなあ〜。

 面談の前日にも「ノエミは諦めが早く、小言しかいわず、集中力はゼロで、考えは浅く、泣いて謝ればすむと思っている。ノートを上手にまとめることを知らず、メモ帳には書き漏れが多く、机の上は日々台風一過状態で、片付けるという単語を知らない。妹への思いやりはみじんもなく、父親には横柄で、母親のことを女中と思っており、『わたしはなんでも知っている』と考える傲慢なヤツで、信用するたびに親を裏切り、うそつきで、のろまでグズでおっちょこちょいで、字も超汚い!」
と言っていたところ。ノエミのことを叱りながら、「なんだ。まるで自分」と思い、「ああ、先行きが思いやられる」と嘆いていたところだった。

 宿題はほとんど手伝わない。復習もやってるのかどうかあやしい。数学の先生からは「復習をやらずにあれだけできれば、すごいけど、ノエミだったらあり得ます。学校でよく聴いているから。」復習はやっていないと思う。でも、本を読むのは好きだから、教科書を読むのも好きだ。目の前にあればなんでも読むんだから、来年度分のや再来年度分の教科書だって、置いておけば半日で読んでしまうだろう。でもそのせいで学校で退屈されたり、先生に偉そうなことを言っては困る。どうせろくな返事のできない母に「手伝って」と言うのは、彼女のプライドが許さないから、勝手にやっている。

 手がかからない子、なんだとは思う。

 ゾエは、ノエミの同年代のころよりかなり進んでいる。身体もきっとノエミより大きくなるだろう。プライドの強い二人のオンナの先行き(と、わたしの存在)が、ちょっと心配。あっという間に手に負えなくなるだろう。

2007/11/10

食べるのを減らせって言われてもお〜。

 わたしのこれまでの人生で、いま、一番、からだが重い。
確かに2度ほど妊婦だったこともあるので、もっと重かった時期もあった。

 ゾエを妊娠中、身長が148センチしかないのに、おへその周りが130センチもあったことがある。体重計の文字はお腹に妨害されて見えなかったので、発表できず。。。あまりのショックで、それ以降はメジャーをしまい込んだので、130センチプラスいくらまで記録を更新したのかは、なぞ。

 日本に帰った時に、同級生女子のほっそり若々しい身体に、うっとり。
「しじゅう」にもなって、あの少女みたいな体型は、一体、なに?じつは2月にまた日本に帰れそうなので、この前帰った時のように実家に到着した瞬間に「肥えたね」と言われないように、と、思っている今日この頃
「痩せてる」と言われたこともないけど、「肥えてる」もなかった。昔は

 毎朝のボボのお散歩。行って帰って来るばかりではなく、15分掛かる所まで歩くということにしてみた。帰り15分だから、30分歩いてしまうことになるではないか。よしよし。
 秋の枯れ葉が舞い散る公園。紅葉を眺めながら、さわやかなお散歩ができた。これからはどんどん寒くなるので、長続きできるかなあ。ボボの散歩は義務なんだから、ちょっと遠くまで行くのみ。

 「今晩は剣道に行くぞ」と決心してみる。
夜出掛けるには、昼間に家事を張り切らねばならぬ。パソコンの前に座っていてはいけない。掃除機を出す。二階にも持って行く。雑巾も掛ける。家事もテキパキ。あ、冷蔵庫が空っぽ。自転車を出す。自転車でお買い物。
シュシューっ。スーパーまではひたすら下り坂。らくちんらくちん。だが、帰りが怖い。ひたすら上りで、一気に疲れる。

 「剣道、今日は、休もうかな〜」
午後にはもうこんなことだ。あ〜あ。
本日剣道に行くには、剣道連盟の年間登録のために、健康診断書を出さねばならない。マスリ先生の診療所はきっと人がいっぱいで、今日診てもらえるかどうかわからない。たぶん無理。
「よし、見てもらえなくて、診断書を書いてもらえなければ、剣道は休み」
この段階では、ほぼ確実「剣道は休むことになるな」と思っていた。
診療所に電話。
「4時が空いてます。今日来てください」
おお〜なんてこと。子どもたちの急を要する診察の時には、いつも待たされるというのに!

時間通りにマスリ先生に診てもらえた。
「捻挫以来ですね。剣道やっても、危なくないのかな?とりあえず内診を。ちょっと動いてみて、息切れするかどうか。ほお〜なかなかスポーティーだねえ。心拍も上がらないなあ。血圧も正常。」
「あの〜。痩せたいんですけどお〜。栄養士とか、鍼師に会うには、紹介書が必要ですか?針で25キロ痩せたって人、知ってるんですよお。」
先生は、いきなり眼鏡をはずして、チロっとわたしを見る。
「25キロも痩せたら、あんた、どうなるね?」
「いや、25キロは痩せなくていいんです。でもあと5キロぐらいはねえ。」
先生はわたしの身長と体重を量り、なにか表みたいなものを見比べて、「太り過ぎラインには到達してないよ」と言う。
「これまでに痩せてたことあるの?あんたの体重、一気に増えたの?」
そんなにじろじろ見なくてもいいでしょう。ありませんよ。痩せてたことなんて
「おやつ食べるでしょ? 毎日の食事の量も多いんじゃ?」
確かに、食べます。食べるのがわたしの趣味ともいえます。そうですとも、食べる量が減らせないんですよお
「あとは、2.3キロ減らすぞ!という強い意識を持って、運動をすれば、ノーマルラインの真ん中ぐらいには来れますよ」
「健康でいられれば、痩せなくても大丈夫です。痩せてたことないんでしょ?」
確かに痩せてたことはありませんってば。そんなに何度も言わなくたって。

 というわけで、健康診断書を書いてやるからちゃんと登録して、剣道に行きなさいと言われた。

野菜たっぷりのスープを食べて、元気に剣道へ。
車で1時間ぐらい掛かる。道は混んでおらず、霧も出ていなかった。
けれども、ロデツの町で近道をしようと思ったら道に迷ってしまい、稽古に1時間も遅れてしまった。
でも、みんなに「たどり着かないよりも、遅れてでも来る方がマシ」と言われ、1時間みっちりお稽古に励んだ。

気持ちよかったのだあ〜。
帰りの車の中、鼻歌を歌いながら、かんろアメを食べてしまった。
ガリガリかじってる途中で「ア、しまった。せっかく減らしたカロリーを。。。」と気づいたときには、もう遅かりし。
ポケットにアメを忍ばせておくという癖をどうにかしなければ。ダイエットの前に戸棚とポケットの大掃除だあ〜〜。

日本に帰った時の《食いだめ》のために、がんばるぞお〜〜。

2007/11/05

ちょっとナルボンヌまで

 JPの両親が、7年前まで住んでいて、数年前から物置のようになってしまっていた、ウヴェイヤンの大きな家を処分するらしい。ナルボンヌとベジエの間にある小さな村だ。初めてフランスに来た時にもこの大きな家に泊まったし、ノエミが生まれた頃JPは船乗りだったから、JPが居ない時にはこの家で過ごしていた。

 わたしたちはこの村の小さな役場で結婚した。その結婚式の時には、奈良の従姉妹たちや指宿の友人たちが、わざわざフランスまで来てくれて、みんなこの家に泊まってもらった。家の裏庭にはミラベルとイチジクがたわわに実り、玄関には藤の花が咲き乱れる。冬はなかなか暖まらない天井の高い石の家だったので、大きな暖炉に火を入れて、きしむ革のソファーに並んで座り、8時50分からテレビで映画を見るのが、毎晩のお義母さんとの習慣だった。
 客室の脇についている浴槽は、昔の人サイズのまま、小さいバスタブで、シャワーのお湯はいつもぬるかった。台所の脇の食料庫には、夏の間にお義母さんが作るトマトソースの瓶が山と積み上げられていて、それをもらって帰るのが楽しみだった。石のらせん階段を下から見上げると、天井にはまん丸いガラス窓がついていて、暗い家の中心に光を注いでいた。階段の一番下には、ガラスでできた大きな玉がついていて、その玉のなかには色とりどりの泡が浮かんでいた。壁紙やカーテンは、お義母さんの大好きなブルーが基調になっていて、家のあちらこちらには、目を見張るようなブルーで塗られた椅子がぽつん、ぽつんと置かれていた。ノエミが初めての自転車で走り回った広い廊下の奥に、大きな木製の柱時計があって、クリスマスには柱時計の横に、天井に届くほどの大きなモミの木が置かれ、毎年みんなで飾り付けをした。柱時計は1年に2回、クリスマスの晩と大みそかの晩に、お義父さんがねじを巻いて、鐘が12回鳴るとみんなで抱き合って、ほっぺたにキスをしあった。
 台所は昔の人サイズの、低いシンクがあり、黄色っぽい電気がついていた。電球の脇にはニンニクが入ったカゴがぶら下がっていた。シンクの左にガス台と、そのまた左に冷蔵庫があった。大きな物入れの、どこに何が入っているか、わたしは知り尽くしていた。二段目の引き出しにはお義母さんが婦人雑誌から集めたレシピの山があって、たまにわたしはそこからレシピを拝借した。

 この家は、わたしにとっても思い出が詰まった家だ。真っ暗でホコリだらけで、ほとんどの家具はすでに移動していて、あんなにいっぱいいた猫も犬も居ない。台所は冷たく、ベッドにシーツは掛かっていない。イチジクの木もミラベルの木も枯れた裏庭から、だれの笑い声もしないこの家に入るのは、とっても辛かった。その家をあとにするのはもっと辛かった。

 わたしたちは、残っている家具や、JPと弟たちの思い出の品の中から、カーモーの家に持って帰れそうな物をリストアップして、一室に集めた。大きな家具やテーブル、椅子などを《予約》したので、近いうちにJPがレンタカー屋さんでトラックを借りて、家具を取りに戻るそうだ。ほとんどが組み立て式なので、お義父さんと二人で大丈夫だと言っている。
 本当はもらっても仕方のない物もいっぱいあった。でも、このまま置いて行くと、捨てるか売るか、次に入る人にあげるかだというので、じつは《物を捨てられない》お義父さんは、ガラクタでもなんでも、とにかく子どもと孫たちに持って帰ってもらいたいようだった。JPが冷たく「要らない」という物を、ノエミとわたしはJPの目を盗んで、手分けして箱詰めした。

 ずっと前から欲しいからちょうだいと言っていたのに、「亡くなったお父さん(JPのおじいさん)の物だから」と言って絶対にくれなかったアコーデオンとまな板も、「持って行ってくれ」と言われた。ついでに、古〜〜〜い、ピアノとヴァイオリンとフルートの楽譜が山のように出てきたので、それももらってきた。アコーデオンはちょっと修理をすれば元気になると思う。いつか、お義父さんの前でアコーデオンを弾いてあげようと思う。

2007/11/03

ジャズのコンサート

Nous sommes alles au concert de Jazz a Monestiers.
C'est le professeur de Violon de Noemie Monsieur Clavere et Le professeur de flute Monsieur Cazals qui organisent des concerts dans la chapelle Saint-Jacques, tous les premiers vendredi du mois. Ce soir un pianiste et une contravassiste ont ete invites de Toulouse. A la fin, une dame a chante All for you, c'etait manifique !


ノエミのヴァイオリンの先生とわたしのフルートの先生は、まだ30代前半ぐらいだと思う。二人でよくコンビを組んで、県内各地の小さなホールで、チャリティーコンサートを行っている。一昨年から何回か聴きに行ったが、とってもおもしろいコンビだ。たまに有料のコンサートもあるが、だいたい5ユーロから10ユーロぐらいで、子どもはいつもタダ。そして、子どもはほとんどの場合、うちの子たちぐらいしか来ていない。

 毎月第一金曜日には、我が家から車で15分ぐらいのモネスティエという村のチャペル(礼拝堂)で、有料のコンサートを行っている。フルートとヴァイオリンに、いつもプラスで、毎回違う楽器を招待しているらしい。先月はバラライカだった。聴きに行きたかったけど、行けなかった。あちこちで好評を耳にしたので、とっても悔しかった。

 ところで、このモネスティエという小さな村、《フランスで最も美しい村のひとつ》に選ばれている。前に《ロバ祭り》の日記で紹介したことがある。 シャペル・サン・ジャック には、世界でもとっても有名なお宝がある。
それは、キリストが張り付けになり、息耐えたあとに、お墓に納める儀式を描いた、15世紀に造られた等身大の像が、今もきれいに残っている。繊細な巻き毛や、服のシワも見事、色も鮮やかな、とても15世紀の彫刻作品とは思えないお宝だ。

 きれいな写真のサイトがあったのでご紹介
http://www.flickr.com/photos/9320052@N05/
Mise au tombeau というのが、モネスティエのチャペル内正面に置かれた、悲しみにくれるマリアやマドレーヌたちに囲まれるキリストの埋葬シーン。
Musee de Carmaux ミュゼ・ドゥ・カーモー は、カーモー(わたしたちが住んでいる町)のガラス博物館の写真

 この小さはチャペルで、本日は、フルートとヴァイオリンに加えて、コンタラバスとピアノのジャズコンサートが開かれた。ちょうど秋休みだから、行こうと思っていたら、フルートの先生から無料チケットをいただいたので、ラッキーだった。
 
 暖房のない小さな礼拝堂では、40人ぐらいの人たちが集まっていた。ときおりバッハや、シューベルトが乱入するジャズ。ピアニストは、ときどきピアニカを吹く。フルートの先生は、自分で改造した様々なフルートを持ち出す。フルートなのにオーボエみたいな低い音が出るのやら、ピッコロみたいでピッコロじゃない笛吹き童子の笛みたいなフルートもあった。金色に輝く、長ーーーいフルートは、前にも見たことがあった。いつも使っている銀のフルートも出て来るが、じつは、このフルート、市販のフルートと違う穴が閉じたり閉じなかったりする仕掛けで、この先生にしか吹けないのを、わたしは知っている。

 先生に挨拶をした時JPを紹介したが、約束通り、わたしがフルートを習っていることは黙っていてくれた。びっくりさせるのは、もうちょっと練習してから。でも、ヴァカンスの間は、JPがずっと家にいるのでちっとも練習ができない。この前は、JPがボボの散歩に行ってる隙に、おお急ぎでフルートの練習をしたが、いつ帰ってくるか窓から見ながら、落ち着かないお稽古をした。

 うちの娘たちは、代わる代わるおトイレに行きたがるので、わたしは2曲終わるごとに席を立ち、1曲は外で聴き。。。の繰り返しだった。教会の中は寒かったから、こういうこともあろうかと、ちゃんと通路側に陣取っていてよかった。

 後半は知っている曲のオンパレードだった。一番前の席に座っていた黒人の女性が、いきなり立ち上がって、生の演奏で『 All for you』 (すべてはあなたのために)を歌った。素晴らしい声だった。
『枯れ葉』も『サマータイム』もあった。(この寒いのに。。。)どれもアレンジされていて、クラッシックのような不思議なジャズだった。

 ゾエは大好きなジャズを生で聴けて、大喜び。ノエミとわたしはお互いのレッスン中には見せてもらえない、先生方の素晴らしいテクニックに感動して帰ってきた。やっぱりこの先生たち、すごい。ノエミと二人で、「こんな人たちに教えてもらえるなんて幸せだね」と言っている。

 来月はギターと、別な楽器だそうなので、また出掛けようと思う。

2007/11/01

ハロウィン



 うちの子どもたちは、テレビをほとんど見ないし、雑誌も買わないし、町を歩くこともないので、ハロウィンが近づいていたことを知らなかった。フランスは、イギリスやアメリカのようなハロウィンのお祭りの「本場」ではない。この単語を知らないお年寄りも多いし、玄関やテラスに飾り付けをしている家はとっても少ない。田舎だから、だろうか??

 11月1日はトゥッサン(万聖節)という祝日で、明日は「万霊節」つまり「死人のためのお祭り」だそうだ。フランスではお墓参りの習慣がある。学生は10月27日から11月8日まで秋休み。このヴァカンス期間中は、一年で一番交通事故の死亡者が多い休みだそうだ。死人に呼ばれるんだろうか?
 ダニエル家では、何もやらない。ダニエル家のお墓はないし、親戚付き合いもないので、楽だ。ハロウィンも、やらない。クリスマスだって大したことをやらないほど。ハロウィンのようなアメリカナイズな商戦?が、JPは大嫌い。

 でも、子どもたちは、ハロウィンの仮装行列が好きだ。

 うちには数年前にわたしが作ったフクロウの仮装用品一式と、お店でおばあちゃんが買ってくれたとおぼしき、魔女用品一式がある。
午後、シネグテ(映画のお金を払って子供用のアニメを見たあと、無料でおやつを振る舞ってもらえる水曜日の行事)に出掛け、映画館を出てから町を歩いていたら、魔女や吸血鬼や、悪魔や怪物にすれ違った。
それを見て、ノエミが「今日はハロウィンだ!仮装しなくちゃ」と叫び、いきなりゾエも目覚めて、自宅に到着そうそう、娘たちはフクロウと魔女に変身した。

 魔女はいきなりカエルやコウモリやキツネを鍋で煮はじめ、呪文を唱える声が家に響き渡る。フクロウは、ホコリや羽を飛ばしながら、あっちチョロチョロ、こっちチョロチョロ飛び跳ねる。吸血鬼がやって来て、我が家のドアベルを鳴らした時のために、玄関にニンニクをぶら下げる母。。。魔女は「ホウキはどこ?」などと言っている。フクロウは「アメを用意したの?」と叫んでいる。そして、吸血鬼や、悪魔や、怪物が、我が家のベルを鳴らすのを待った。来たら、アメの1個でもあげようと思って待っていたのに、誰も来なかった。子どもが少ない区域の、道路沿いの家だからねえ。。。日本人の家ではハロウィンなんて知らないだろう、とでも思ったか?

 化粧を落とし、パジャマに着替え、ベッドに入る9時頃、いきなりドアベルが鳴った。一瞬、なにが起こったのかわからず、わたしたちは身体を硬くして、ベルが鳴ったのは夢じゃなかったのかと、顔を見合わせた。
 「ハロウィンの続きだー!!」
ノエミが気づいて、いきなりパジャマの上から魔女の服をかぶり、階段を駆け下りて行く。
わたしはノエミを追いかけながら、「いくらなんでも子どもがこんな時間に出歩かないでしょ。どっかそこらのチンピラに違いないから、ドアを開けたらだめよ!」と叫んだ。でも、やっぱり、吸血鬼が来てるのかどうか、気になる。

 誰がドアを開けるかでもめているうちに、ドアの向こうから人の気配が消えた。
ドアを開けて、通りに顔を出したが、だれもいなかった。道路はしんとしていた。
 「なんだ、もうお隣に行っちゃったんだね」
ノエミが寂しそうな顔をしている。

 「おばけだったんじゃないの?」
ゾエの言葉を合図に、わたしたちは顔を見合わせた。
「ぎゃああああ〜〜〜〜〜〜」
急いでドアにカギを掛けて、廊下を走り回る。
 
 暗い階段の上で、JPが、冷たくわたしたちを見下ろしていた。
「ぎゃあ〜〜、ドラキュラ〜〜〜」