2007/12/23

年末の香り

 水曜日ーヴァイオリンの発表会。ノエミ、先週行われた最後の先生とのレッスンで、さんざん叱られた。「練習しなかったのか?」と先生が腹を立てたように言ったので、わたしが横から「練習したけど、悪いところを指摘しても直そうとはせず、悪いままで何度も繰り返し続けた」と、チクってやった。悪いけど、チクった。
 「お母さんはヴァイオリンについてはよく知らないかもしれないけれども、ピアノやフルートをやって、悪い音ぐらいはわかるんだから、指摘されたら聞かないとだめだよ。おうちの人が一番の観客なんだよ。聴かれてることを意識したら、コンサートでも上がらないよ」「聴いて、指摘してくれるおうちの人には感謝しなきゃだめだよ」と、先生が言ってくれたので、わたしは思わず拝んでしまった。

 当日。かなり緊張している。まず、なにを着て行くかで悩んでいる。大したものは持ってない。「かわいくして目立つなら、ちゃんと演奏できないと恥ずかしいよ」と言ったら、いきなり復習を始めた。

 ノエミの番の15分前まで、先生の姿が見えず、リハーサルもできなかった。トイレにこもって練習するノエミ。かなり上がってるなあ。恥ずかしさというのは、年とともに強烈になるものだろうか?

 先生からは、「素晴らしいできだった。よく勉強した成果が出たね。」と、褒められた。先生から「ありがとう」と言われて、「ノエミ、先生にお礼言いなさい」と言ってしまった。

 コンサートに行くといつも、演奏する子どもたちが観客にも、伴奏してくれる先生にも、お辞儀や挨拶をしないことに、いらつく。素晴らしい演奏ができた時に、支えてくれた家族や、教えてくれた先生に、感謝の言葉さえ言えないことに、腹が立つ。そういう気持ち、音に出てるな〜と思う子どももいっぱいいる。つまらなそうに演奏する子どもをみると、「親に無理やりやらされてるのかなあ」と心配になる。

 とりあえず、ノエミは不満足ながらも、先生には褒められるような、力の出た演奏ができたらしい。よかったよかった。

2007/12/18

成績についての話し合い

 1学期が終わったので、成績や学校生活について、個人面談が行われた。

17時ーSVT Sciences Vie et Terre 生物学。。。みたいなもん。「ノエミおしゃべりを控えて」という注意。tres bon

17時5分ー地理。学級担任。学校の建物も知らないのに、1番目の先生と2番目の間に5分しかないというのは、なんてことだ。。。先生との約束を取り付けたノエミを恨みつつ、校内を走る。Excellente

17時15分ーフランス語・オキシタン。えこひいきをする先生。が、ノエミは好かれているらしい。「こんな子だったらクラスに50人居ても平気」と褒められる。「ところで木曜日の引率頼みますよ」と頼まれる。わたしも好かれているらしいが、褒められすぎて気持ち悪い。

17時25分ー数学。先生の前に座った途端に「何も言うことない」と言われる。が、構内走り回ってるわたしはちょっと座り込みたい。字が汚くても、まあ、読めれば許すそうだ。TB(トレビアン=とても良いという意味)ノエミの大好きな先生。わたしは数学が苦手だから、数学の宿題は全然見てあげられない、と言ったら、「ノエミは一人で大丈夫」と言われてしまった。だろうな。数学は「血」には関係ないんですね、と先生に言われた。

17時35分ー体育。「ノエミ、いい子だけど、バレーボールがどうもねえ」ほら来たね。ノエミの平均点を下げている教科。体育は「血」に関係あるのだ。「転びませんか?脚がひん曲がってるので」と訊いたが、先生はノエミの脚に気づいていなかった。どこに目を付けてるんだろう?

18時5分ー美術。暗くて一番ぼろい校舎に人影はなく、先生はだれも待っていない様子で暗がりに座っていた。じつはこの先生に会いたいと思っていた。ノエミが書いた大きな瞳に、最高点をつけてくれた先生だ。いろんな世間話をして、ノエミの内面や、わたしの心の奥深くにあるものを、いろいろと読まれていた。さすがは芸術家だ。フランス語や数学の先生にどんなに褒められても、ちっともうれしくなかったのだが、美術の先生に「この子はまだまだ魅力を隠している。まだまだこれから花咲きますよ。」と言われたからには、安心だ。バランスの取れた、素直でいい子なんだそうだ。お母さんも、今まで通りでいいと言われた。

18時10分ースペイン語。ちょいミスが多い。熱心で、情熱を持って勉強しているのに、テストになると読み忘れや、書き漏れが多い。本当に実力が点数に現れていない、とのこと。

18時35分ーテクノロジー。パソコンとか科学みたいなことをやっているらしい。ほめちぎり。トレビアン

 どの先生も、ノエミを褒める。どこに行っても、他人には褒められる子だ。昔から。「何も言うことない」と言われるのには、すっかり慣れた。「お母さんはもっとこうした方がいいですよ」と言ってもらいたいんだけど、みんな「今のままでよろしい」と言う。
 
 今のままーーーガミガミ怒鳴る。しつこく愚痴る。うるさく言って無理やりやらせる。口答えをすると容赦しない。ナイガシロにされてるぞと思うと、つい攻撃してしまう。エラそーなことを言われたなと思うと、あげ脚を取る。鼻をくじくチャンスを狙っている。宿題などは勝手にやっていただく。わたしは恐ろしい母だなあ。

 来年の目標ーーー穏やかな人間になる。娘に優しくしてあげる。

 さて、クリスマス休暇目前。24時間態勢で家人と接するかーと思うと、ちょっと恐ろしい。感謝の心を忘れずにやろうっと。
なんで身内にはこんなにたやすくキレるんだろう。あ〜ア

2007/12/17

ニューカレドニア情報、草間美香さん




 フランス海外領土、ニューカレドニアのヌメア市で、89年から94年まで、日本語を教えていた。
わたしが学生の時に、人気女優主演の映画の舞台になったから、森村桂さんの『天国に一番近い島』の同名文庫本よりも、映画の映像の方が有名で、「ニューカレドニアに住んでた」というと、「ああ、きれいなところですよねえ。映画で観ました。」と言われることが多い。

 あんな美しい所では生活はのんびりとしていて、人はみんな優しく、みんなお友だちで、食べるものにも困らず、時間に負われることもなく、お金の問題なども起こらず、交通事故もなく、みんな長生きできて。。。そんなことを想像してしまうかもしれないけれども、そんな『楽園』は、ソーソーない、と思う。

 わたしはイルデパンという島のホテルに泊まり込んで、従業員に一ヶ月日本語を教えたことがある。1993年の年末だったと思う。当時のニューカレドニアはハワイ、オーストラリアに継いで、新婚旅行者の多いところだった。だから、ホテル、空港、船会社、ダイビングクラブ、お土産屋、免税店、銀行、病院の人までもが、日本語を習ってくれていて、日本人は大した苦労もなく観光を楽しめる島だったと思う。
 93年のクリスマスとお正月を挟む一ヶ月、わたしはよく海岸に座って夕日を見ていた。フィリピンの火山が噴火したあとで、太平洋には広い範囲で雲が掛かっていた時期だ。空は時間とともにオレンジから紫のグラデーションをなし、夕日は溶けて行くパッションフルーツ味のアイスクリームみたいにおいしそうだった。あれほどおいしそうなものを生み出せるのは、自然の力ぐらいしかないと思う。

 2002年にはもうフランスに来ていたけれども、友人や親戚が「あなたの住んでいたニューカレドニアで、すごい事件があったよ」と教えられた。「夢みたいな島だと思っていたけど、危ないところだったのねえ」と言われ、なんだなんだ?とびっくりした。

 その事件の裁判がこのほど現地で行われ、容疑者には15年の禁固刑が言い渡された。
けれども、まだまだナゾが残っている事件のようだ。

 ナゾのひとつ、2002年5月2日に、美香さんとイルデパンにいた、日本人観光客の行方を、関係者は必死に追っている。このほど、その行方探しの目的も含めて、もっと美香さんの事件を知ってもらうために、考えてもらうために、呼びかける報道番組が、日本で放送されることになった。

 21日の16h55〜17h20、テレビ放送(東京テレビ)の「速ホゥ!」という番組だそうだ。

日本の人、ぜひ見てください。そして、2005年5月2日にイルデパンに居た観光客は、ぜひ連絡してあげてください。美香さんの事件には目撃者や、証拠物件が少なく、わからないことが多いので、ほんの少しでも美香さんとすれ違った人は、連絡して欲しいのです。


「草間美香さん」で検索すると、このような記事が出てくる。

【シドニー13日時事】南太平洋のフランス領ニューカレドニアで2002年に旅行中だった千葉県出身の草間美香さん=当時(28)=が殺害された事件の判決公判が12日、ヌーメアの重罪裁判所であり、アントワーヌ・コニュ被告(42)に禁固15年(求刑禁固20年)が言い渡された。現地メディアは、同被告が上訴するとの見通しを伝えている。
 事件は02年5月6日、リゾート地イルデパン(パン島)の岩場で草間さんの遺体が発見され、警察はコニュ被告とその兄を逮捕した。しかし、物的証拠が乏しく、2人とも事件への関与を否定したため、裁判は開始が遅れ、今年11月下旬にようやく始まった。判決では、兄は殺害に関与していないとして無罪となった。

現地で行われた裁判の模様について、証言の内容などなどについて、現地新聞の翻訳はこちらのサイトから。
http://newcaledonia.x10hosting.com/index_jp.html

 日本のみなさん、よろしくお願いします。

カモ

 先週、JPは二週間連続でパリに行った。
「パリの弟たちのところに泊まってくれば?(そうすれば、わたしたちはルーズでクールな暮らしができるから)」と提案したのに、パリが大嫌いなJPは、一週目は夜行で行って、昼間の研修が終わったら、そのまま夜行に飛び乗って帰ってきた。
 二週目は、朝4時に家を出て、パリでお昼ごろに試験を受け、夕方ちょっと弟の家に寄って、夜行で次の朝早く帰ってきた。
 JPが留守の日にわたしは丸1日運転手の仕事をして疲れていたので、それを言い訳にして、わたしたちはピザ屋でピザを買った。もう少しで「テレビの前で、ピザ食べようか」と言ってしまいそうになったけど、母の理性と嫌な予感のために、その提案は口に出さなかった。
 ゾエは自ら「パパには内緒にしなきゃ」と言ったくせに、パパが帰ってきた途端に「ねえ、聞いて聞いて、ゆうべはお店で買ったピザを食べたんだよ〜。」と自慢してしまった。いつもは生地から手作りのピザだから、お店のピザというのはビッグニュースなのだ。

 遊びに来た友人に、「この前JPは、パリに行っていたんだよオー」と自慢していたら(上京というのはすごいことなのだ、田舎もんにとっては)JPが、「ア、そういえば、この前の試験に合格しちゃったよ」と思い出したように言った。3日前には結果をもらっていたそうだ。いきなり思い出すもの?
 「で?その試験に合格したら、どうなるの?パリ転勤?」
家人はいっせいに目を輝かせるのである。
 「どうって。。。どうも。。。1月から給料上がる、かも?」
「かも?」って。。。アンタ。。。カモ食べながら。。。。
試験受ける前に、試験に受かったらどうなるかぐらい、問い合わせたら?

とっちめようと思ったら、いきなりノエミがクイズを出した。
 「緑で、丸くて、上に行ったり、下に行ったりするもの、な〜んだ?」
答え「エレベーターに乗ったグリンピース」

 やっと食卓が静かになった。

冷たい空気をものともせず、ノエミが続ける。
「サンタクロースは、どうして赤と白の服を着ているのでしょうかあ?」
答え「コカ・コーラの回し者だから。いいおじさんのふりをして、赤と白のコンビネーションを、消費者の脳裏に刻み付けようとしているんだよ」
 中学のクラスメートの中に、こんなオンナが居たら、絶対に好きになれなかっただろう。

 「ああ、このグラトンおいしいねえ〜。なんでグラトンはグラトンっていうの?」
ゾエが話をそらす。
「グラトンはグラ。。。つまり、カモの脂身だよ。ゲゲ〜。そんなもんがよく食べれるね、アンタ」
ノエミは言いながら吐きそう。
その割には、豚肉のパテなんぞをパンに塗りまくっている。
「豚のパテはちょっとフォアグラに似てるから大好き」
似てませんってば。ぜんぜん。

 「コーラの好きなアメリカ人は、フォアグラっていうのは動物愛護に反するから、そんなものを食べるフランス人に抗議しているんだよ。」
 「おばあちゃんは、ウサギや子鹿やカエルやカタツムリを食べるのには反対だけど、フォアグラには賛成だから、きっとクリスマスにはフォアグラを出してくれるよ。」
 この前義父母が来た時に、5食分、わざとベジタリアン・メニューで責めたら、「お肉も出さないなんて、食費までケチっちゃって、生活苦しいのかしら?」と言われたらしい。

 クリスマスには、ナルボンヌのJPの実家に行くカモしれない。カモじゃなくって、きっと絶対に、なんとしてでも行くだろう。

 あそこには食器洗い器があるし、コーラも飲めるし、フォアグラも食べられるので、行くのがとってもうれしいー。(と念仏を唱える)

 年末で楽しいのは、食べ物のことを考える時だけだにゃあ〜。

2007/12/11

呪われていた。

  わたしは水に呪われている。

ので、どうにかしなければと、常日頃思っていたら、友人《か》が、《水》にありがとうと言ったらいいよと教えてくれた。
「人間の身体は水で出来ているんだから、水を飲まなきゃだめだよ。飲む時に感謝の言葉をささやいたらいいよ」
ふむふむ。わたしはこのような怪し気なシューキョーに弱い。

 わたしは、じつは1日のうちに《水》をほとんど飲まない人間だ。
1リットルの瓶をテーブルの上に出しておいても、水面が腐るまでに底に到達できない。
《水》を飲んだら、トイレに行きたくなる。
《トイレ》というところが、あまり好きじゃない。

先の友人《か》はまた、こんなことも言う。
「願い事を唱え、感謝の気持ちでおトイレのお掃除したら、ツキが回ってくる」と。

それで、この頃のわたしは夕食のとき「お水の神様、今日も元気に過ごさせてくれてありがとう」と言いながら、コップの水を一気飲みしている。JPがびっくりしている。子どもたちもまたあまり水を飲まないので、興味を引くためにはちょっと儀式っぽくしようと思い、コップに入れた水を、頭の上に掲げて、台所の電気がコップの底できらきら光るのを見ながら、「お水様ありがとう」と大きな声で唱えてから、一気飲みしている。
 ノエミが「お水、ありがとう」と言いながら飲む。
 ゾエもまた、「ありがと」と言いながら、半分飲む。
よしよし。

 そして、わたしたちは、ふだんよりもトイレに行く回数が増えた。トイレと縁が深くなったので、「おんくろだろう、うんじゃくそわか」と唱えながら、おトイレのお掃除もまじめにやっている。

 9歳までおねしょをしていたので、「水を飲むな」と言われて大きくなった。どこに行ってもまず非常口の前にトイレを探す。おねしょをしていたのには、わけがあると思っている。幼い頃に住んでいた家は外に便所があって、夜にそこに行くのは本当に怖かった。

 あの頃住んでいた家は、本当にぼろくて、雨漏りもした。だから、大きくなったら、わたしは、ぜったいに、水洗トイレのある、雨漏りのしない家に住むぞと硬く心に決めていた。

 先週の週末、カーモーで暴風雨だった。風の向きのせいだろうか、屋根裏に雨が吹き込んだらしい。
夜中に暗い部屋で、「ポタッ・ポタッ」と悲しい音がした。
最初なんだかよくわからなかった。
 耳を済ますと、やっぱり何やら部屋の隅に「動く」ものがある。
JPが起き上がる。水滴は、キーボードの上に落ちていた。キーボードを持ち上げたら《ちゃぷちゃぷ》音を立てた。

 水滴の拷問というのがある。それは拘束された人の頭に1時間に1滴ずつの水を垂らすというもので、何時間でも何日でもそれをやると、捕らえられている人は、その水滴のことしか考えられなくなって、いつか気が狂ってしまうのだそうだ。。。。とっても恐ろしい拷問。でも、《雨漏りの刑》はもっと怖い。《一時間に一滴》どころではないんだから。1分に5滴ぐらい?疲れ果てて爆睡するまで、ずっと《ポタッ・ポタッ》と悲しげに響き渡る水滴の音。

 落ちて来る水滴を見ながら、最初は惨めな気持ちになって、自分がこんなみすぼらしい家に住んでいることを情けなく思った。風が強かったので、吹き込んだのだと数人に言われたし、その週末にわたしのような目に遭った人がご近所に何人もいた。

 恨めしかったけど、いちおう《お水の神様ありがとう》と唱えてみた。ちっともありがたくなかったのだが、お礼を口に出して言うと気分は軽くなる。そして「雨漏りのおかげで気分が良くなった」となる。
 きらきら輝く雨の粒がどんどん大きくなって、ついには重力に勝てなくなり、地球の真ん中に向かって降りて行く瞬間。粒が一本の線になってまっすぐ目的地にたどり着く瞬間。粒が床に落ちて割れて弾ける瞬間。大きな粒が割れて、小さな粒を四方八方に飛ばす瞬間。を、わたしは見た。
 家の中に居ながらにして、雨の観察ができるとは、感謝感激だ。
呪いは自分で解くものなのかな。
「感謝の大地に花が咲き、不平の嵐に花が散る」と、うちの美香ばあちゃんが言っていた。
《みのり》の《み》は美香ばあちゃんの《み》なので、わたしは家訓も受け継いで行かねばなのであるのである。



 「便所ののろい」 について描かれた、おもしろいアニメーションを見つけた。20分ぐらい。
とっても懐かしい思いになった。

http://www.dailymotion.com/video/x3k9u1_hanada-shounen-shi-episode-01_fun

2007/12/07

あっ!がんばれ。それっ、そうそう、えらいえらい。

 数週間前から、ちょっと緊張した気持ちで、この日を待っていた。
東京からパリに出張中のある百貨店の某氏が、夏に日本に同行させていただいた、チョコレート職人のミーさんに会いにいらっしゃるとのこと。その日ミーさんはパリに出張。チョコレート屋さんの人たちは総出で大忙し。1年の25%の売り上げを掛けたクリスマス商戦を前に、みんな休みなしで働いているため、空港までのお出迎えとお見送りはわたしにやってもらえないか、と指名された。(わたしだって別にヒマってわけじゃないんですけどお)
 
 「うちのレストランでお昼。みのりさんも、もちろんご招待」
ミーさんはお友だちのコックさんと、ひとつ星のレストランを共同経営している。
「ええ〜、わたしもデスかあ。ミーさんって優しいっ!」と叫ぶわたしに、
「わたしはおまえさんには、いっつも優しいじゃあないか?」
えーえー、そうでしょうとも。

 当日はJPが、パリ出張につき留守のため、子どもたちを朝8時20分から16時30分まで丸1日学校に預け、夕方はいつ帰って来れるかわからないので、モーガンに迎えに行ったあと、夜まで預かってくれるように頼んだ。助かるよ。

 アルビのレンタカー屋さんを9時には出なければ、空港に10時に着くことはできない。
でも、子ども二人を別々な学校に送り、犬の散歩をして餌をやり、そのうえ、家を出る時に乗った自家用車の調子が悪いとあっては焦るしかない。

 車は走り出したものの、大雨の中、ついにワイパーが壊れた。高速道路でいきなり前方が見えなくなってしまった。こんなことでレンタカー屋さんまでたどり着けるんだろーか。ワイパーは2、3回左右に動いた後、いきなり動かなくなる。何度も車を降りて、ワイパーをいじった。
「何キロ先にバス停留所があるからいったん駐車できる」とか、「あそこまで行けたら、だれかに頼めるかも?」などなど頭を働かせようとするものの、焦っているので集中力なし。
 ああ、せっかく化粧までしたのに、雨に濡れてすでにドロドロ。

9時過ぎにやっとレンタカー屋さんに到着。借りたのはルノーの《セニック》
 マニュアル車なんだけど、車内のいろんな仕掛けが自動化されていて、わけわからん。ミラーも窓もいちいち《ジー》という音を立てて勝手に動く。ミラーをちょうどいい角度に調節するのに、5分も費やしてしまった。焦る。
 なんと《カギ》なんてものはなくてカード。スタートボタンひとつで発進。サイドブレーキはナシ。「勝手にブレーキが掛かるから」と言われて安心したものの、ブレーキを解除する方法がナゾで、車が動かず。メーター類は全部デジタルで緑の光が目に痛い。ディーゼル車特有の《ゴロゴロー》という低い音も気にくわん!
 ワイパーを見てると眠くなるわたしは、ワイパーを止めたいんだけど、雨が強くて止めるわけにはいかず。
デジタル電光計と、雨と、ワイパーのせいで、目が痛くなってきた。が、しかし、老眼鏡をコートのポケットに入れてたら、さっき座った瞬間にまっ二つに壊れた。しまったあ〜。
 
 10時5分に空港到着。パリからの便は遅れていて、24分に到着との表示なので、ほっと一息お手洗いへ。
《お掃除中につき、立ち入り禁止》
もうひとつのお手洗いを求めて、空港内を横断した。
なんでトイレが空港の端と端にしかないんだ?
気づいたらもう時間が来ていたので、空港内を走る。
ゆっくり入ってる暇なんてなかったぞ。ぶーぶー

 お客様ご到着。ラフな格好。しかもほぼ手ぶら。
なんだ〜。緊張して化粧してソンした。(でも、もう化粧のけの字も残ってない)
ひとりは夏にも日本でお会いした方だった。なのに、相手にはすっかり忘れられていた。その代わり、会ったこともないもう一人の方には「東京でお会いしましたよね」などと言ってしまい、「いえ、わたしはずっとパリ駐在で」のお返事。どっちもどっち。
 
 アルビには11時半ごろ着いた。パリから帰って来るミーさんを待つ間、チョコレート屋さんの店内と、アトリエ見学。クリスマス準備真っ盛りの、華やかな忙しさの中、もうわたしにはここへ来ると恒例の、お楽しみ《試食会》
「これは、みのりさんは食べたことがないよ」
といって出されたものがあった。今週はまだ非売品なので、秘密。
   はああ〜〜おいしかったあ〜〜〜
チョコレートは精神安定剤。たちまち疲労回復。

 いよいよレストランでお食事の時間。お店からレストランへの移動で、道路と、駐車場の出入り口も間違ってしまい、アルビの町をお客さんづれでうろうろしてしまった。なのに《お客様は神様》お優しい

 お料理はゆっくり出て来るので、デザートまで食べている時間がなくなってしまった。みなさんはワイン通だから、ワインが飲めさえすれば幸せそう。でもわたしはデザートだけが生き甲斐だからショック。
しかもミーさんから「みのりさんは飲んだらだめだよ、運転するんだから」と言われた。
みなさんワインを飲むのが楽しそう。飲み方も、さすが、様になっていた。こんなに上手にかっこ良くワインを飲む日本人はそうはいない。ワインについてのお話も弾んだ。無念だ。仕事のお話は一切ナシ。
 パリ駐在員の方は、空港駐車場での第一声が「マニュアル車を運転できるなんてすごいですね〜」で、こんなわたしにいたく感心してくださっていた。実際には乗り馴れないレンタカーで、わたしが窓の開け閉めに戸惑ったり、たまにエンストしたり、キューブレーキを掛けたり、サイドブレーキの扱いがわからなかったり、料金所で手が届かなかったり、地下駐車場で隣の車すれすれだったり、パーキングで自分の車がどこにあるのか忘れたりするたびに、「大丈夫ですよ」などと励ましてくださった。
 地下駐車場などでは、
「あっ。がんばれえ〜。それ、そこだ。よいしょ。そうそう。。。」
などの遠慮がちなかけ声で、後ろの席からわたしを応援してくださっていた。

 パリの百貨店は、日本人観光客の駆け込み寺となっているそうだ。デパートの受付嬢に「パスポートなくなったんですけどお〜」とか「お金貸してください」とか「医者に連れて行ってください」などと申し出る観光客に、優しい笑顔で応対しているそうだ。偉いなあ。
 ミーさんが「みのりさんの運転は怖くないか」と訊いた時に「目を閉じてます」と正直に応えていらした。怖かったのねえ〜やっぱり。いつもはもっと速く走るんだよお。

 さて、帰り。引き続き大雨。しかも暗くなってしまった。自分の車のワイパーが壊れていることを考えて、自宅にはレンタカーで帰ることにした。
 子どもたちは「ママンが新しい車を買った」と言って、大喜び。
カードをピッと押すと、ライトがきらきらっと光って全部のドアにカギがかかる。ピッと押すと車が「ぴっ」と鳴くのも面白がっている。
 JPがいないので、今日は宴会。なななんと、夕食代わりにピザと、ケチャップたっぷりのフライドポテトと、コーラを買った。こんな夕食は、はじめてだ。「パパには内緒だよ」とゾエが言っている。「空き缶を隠さなきゃ」とノエミが言っている。ついでにノエミは「コーラは科学者が実験を間違ってできた、危ない飲み物」などと言って母の神経を逆撫ですることに成功し、自分は成分表を読みながら、缶入りの甘いお茶を飲んでいた。(ああ苛つく)

 ほとほと疲れた。「今日も1日事故らず帰宅できました。感謝します」と唱えながら、水を飲んで寝る。

2007/12/05

Sans clope je suis au top !

ノエミが学校から帰るなり、
「1年に3000人ぐらいの人が亡くなっている、ひとつの大きな原因はなんでしょう?」
とクイズを始めた。
「なんだろう?お風呂での水死事故?」
応えは
「他人が吸っている煙草の煙のせいで亡くなる人の数だよ」
そりゃあ大変だ。

 全国で「タバコを吸わない、吸わせない運動」熱が高まる中、ノエミの通うヴィクトル・ユーゴー中学校でも《煙草撲滅》宣言を行うことになったそうだ。先日高校の前を通った時に、《学校から煙草を追放しましょう》というのぼりが上がっているのを見て、「なんだ、ここでもか」と思ったけれども、まさか中学校でも《撲滅運動》だなんて。。。

 ノエミがもらってきたチラシによると、
中学校に上がる11歳というのは「新しい冒険をやってみたいお年頃」なのだそうだ。恋愛、海外旅行、一人旅、飲酒のほかに、危険なこと。。。つまり運転、麻薬、喫煙などなど。。。「ちょっと試してみたい」お年頃なのだそうだ。
 そういう時期に、家庭でどのようにバックアップしたら良いのか。アルコールや喫煙の依存症になってしまう前に、「体験」が「習慣」に変わる恐れと防止について、大人の注意をあおぐ内容だった。

 注目すべき記事2点
1)14歳から15歳の女子中学生のうち10%、男子中学生のうち9%が、毎日タバコを吸っているとのアンケート結果。
2)この時期に煙草に手をつけなかった若者の多くは、20歳以降も煙草に触れることはないというアンケート結果。反対に、中学生で煙草に依存している人は、20歳以降もやめられない人が多い。やめられなくなってしまうことが多い、とのことだろうか。

「おうちの方へ」という欄にはこんなことが書いてある。
健康について、有害な煙のない環境について、家庭で話し合ってください。子どもに健康の大切さや、ニコチンの危険(吸う人だけではなく、吸わない周囲の人に対してのリスク)について、身体に有害な物質に依存することの危険について、など話し合ってください。それを教えてあげるためには、大人もそのことについてもっと真剣に考えて、実践してください。見本を見せてください。

 このキャンペーンの企画で、ノエミのクラスではヨーロッパ規模のコンクールに参加することになった。
「クラス全員が、タバコを吸わないように、また、吸っている人には協力してやめさせてあげること。煙草をやめられない人は、吸う本数を減らすように呼びかけ、協力すること。」
 6ヶ月後に報告書が提出される。規定を守って煙草撲滅、あるいは減少に貢献したクラスは、アソシエーション《喫煙者のいないクラス》主催のアムステルダム観光旅行が、クラス全員に贈呈される。

(そこまでやらなきゃだめなんだろうか?という気もするけどねえ)

 以前は煙草を吸わない人のほうが、小さくなって煙を避けていたけれども、この頃ではどこに行っても喫煙者のほうに厳しい社会になってきている。喫煙者の中には、タバコを吸うことを「依存症」だとは考えず、「たしなみ、楽しみ、精神安定」などというちゃんとした理由を掲げている人もいる。
 わたしがチョコレートをやめられずに「これは精神安定剤」といってるのと同じかな。隠れてチョコレートを食べなきゃならない時代が来たら悲しすぎる。

 夏休みに我が家に泊まったお客さんがヘビースモーカーだった。行く先々で喫煙者のためのテラスでお茶することになり、彼女は自分の子どもに煙が流れないことにはとても気を遣っていたけれども、わたしの子どもたちには煙が流れて来ていたから、腹がたった。うちの子たちは匂いを嗅いだだけで気分が悪くなる。
 食事の後は必ず「ちょっとタバコ吸ってくる」といって外に出るので、片付けや洗い物を手伝ってくれることなどなかったし、さあ出掛けようと言うと「タバコを吸い終わるまで待って」と言われて、駐車場で煙草が減っていくのを待たされたりもした。
「人に迷惑かけないでタバコ吸ってる」と言われても、あまり納得できなかった。わたしはタバコを吸ったことがないので、気持ちがわからず、偏見を持っているだけなのかもしれない。

 「きれいな空気プロジェクト」を実践しようとしている友人は、「タバコを吸える場所」をもっと詳しく案内できるように、自分の意志で煙草をたしなむことや、その行為に癒しを求めている人などにとっても、同じく優しい社会になるように、と心を砕いた企画を立てている。
 「ボクメツ・ボクメツ」と言ってるわたしとは違う視点があるんだな。「吸う人、吸わない人」のいる世界で、かたっぽだけの肩を持つのは釣り合い取れないのかな?と、わたしもちょっと反省してみた。

 「男女平等」とか、「世界はみなひとつ」とか、「弱いものを救おう」とか、まあ、いろいろ叫ぶ前に、足して2で割った対策も肝心なのだろう。フランスではこの1年、やめたいと思っている人のために、煙草の専門家に相談する費用や、治療に必要な薬の割引保証なども率先して行われていた。禁煙席を設けるという規定を守らないカフェやレストランへの罰金。禁煙席を設けるための工事費用援助なども。

 タバコを吸い続けようが個人の勝手だけど、きれいな空気には賛成。

 《喫煙者のいないクラス》運動 のオフィシャルページはこちら
http://www.classesnonfumeurs.org/concours_krea/concours_krea.asp

《煙草撲滅》を叫んでいる人の、肩の力を抜くゲームはこちら。フランス語がわからなくても遊べます。
http://www.classesnonfumeurs.org/jeux/smoke_invaders.asp

センセイもどきもやっぱり走る 師走



カランドリエ・ダヴァン を出した。クリスマスを待つカレンダー
我が家のカランドリエは、JPのお母さんが刺繍で作りはじめて、わたしが仕上げたもの。
1から24の数字があり、そこには小さな金の輪っかがぶら下がっている。赤と緑のビロードの袋には、キャンディーやチョコレートを詰めて、数字のところに引っ掛ける。子どもたちは毎日毎日日付の数字の袋を開く。
あっという間にクリスマスがやってくる。

 カランドリエ・ダヴァンは11月の間に用意しておかねばならなかったのに、すうっかり忘れていた。
12月5日の本日はノエミの11回目の誕生日で、この前の週末には義父母がお祝いに駆けつけていた。12月1日に義父母がやって来たが、11月の最後の週からずうっとわたしはドタバタしていたので、例年は12月1日から出すツリーの用意も、まだできていなかった。お掃除もしてないのにツリーを出すと、大掃除もできないままに年を越して、1月の終わりまでツリーが埃かぶってウロウロすることになる。
 ツリーは3日に出してみたものの、子どもたちもわたしも忙しくて、5日の今日までまだ出来上がっていない。親のクリスマスに対するテンションが低いせいか、子どもたちのノリもイマイチだ。
 隣のアラブ人家庭が、玄関の目立つところに派手なリースを下げて、ご近所で「アラブ人のくせに」と陰口を叩かれている。でも、クリスマスは子供がいる家庭ではどこも派手にやるんじゃないだろうか。我が家を除いて。

 ノエミが腰が痛いというので、わたしは数年前に矯正器具まで強制された、脚のゆがみのせいで、とうとう腰にやって来たのかな〜と考えた。医者に連れて行くと、腰はどうもないとのこと。けれども、左足外側のみに集中する靴底の消耗と、極端な内股歩きを見て、マスリ先生は「こりゃ〜変な脚だ」と言った。いろんな所に電話して、専門家だの、教授だのと敬称のついた人たちと話をした後、ノエミの腰から下のレントゲンとスキャナーを取り直すように言われた。2004年に撮った写真は、もと外科医のマスリ先生にも、専門過ぎてチンプンカンプンだというので、知ってる先生に取り直してもらって、自分で意見を聞きたいと言った。

 昨日、レントゲンに連れて行くと、マスリ先生が予約を取ってくれた骨の専門家は、予定変更で別な病院にいるという。また車に戻って、違う病院に移動した。16時45分の約束で、自宅に帰ってきたのは19時だった。JPがゾエにオムレツを用意しているところだった。
 結果をマスリ先生に持って行き、意見を聞く。 
 おそらく、モンペリエの大学病院にいる、有名な先生のもとへ送られるだろう。身体に異常はないのだそうだ。もしかしたら、将来的に腰の骨に影響を及ぼすかもしれないけれど。
 それにしても「脚のバランスの美しさがちょっと。。。」という理由で、手術やたいへんな治療や、ものものしい強制器具をつけろと言われたら、どんな返事をしたらいいのだろうかと、悩んでいる。
 「美しくなるには、苦しまなくてはならない」と義母などは言うけれども、子どもが苦しむくらいなら、べつに、特別美しくなくても良いのじゃないかと思ってしまう。いつも着物を着せて、ぽっくりで歩かせたらどうだろう。

 ノエミは11歳になった。今朝も子どもが犠牲となった事件のニュースを聴きながら、そして、20代後半まで元気に成長しておきながら、両親にさようならも言えないまま殺されてしまった美香さんの、ニューカレドニアでの裁判のことを思いながら、「ノエミ、よく11年も生き延びてくれた。」と胸をなでおろす。

 その割には今朝もはよからキレて、「おまえはもおー!」と怒鳴り散らしてしまった。わたしもよく脳内爆発などせず、11年も生き延びたなーと思う。

 さて、本日も走る。シュー