2013/10/24

息をしている

 九月は、レストランでたくさん働いた。身体が仕事に慣れたせいか、要領良くなったからなのか、時間割がソフトになったおかげか。。。夏休み前よりも辛くなくった。

 けれども、じつは夏休み中から、どうも自分のやってることに疑問を持ち始めていた。九月は仕事しながら、いつも難しい顔をしていた。「作りたかったのはこんな料理じゃない」とか、「調理師には向いていないんじゃないか」とか、自立したいとか、「私の代わりにこの店で仕事したい人、私より仕事できる人がもっと近くにいるんじゃないか」とか。。。

 夏休みに、翻訳のお話を幾つかもらって帰ってきた。文集や文芸賞への執筆を進められたりもした。それと並行して、高校での「にほんクラブ」が、去年に引き続き今年も契約更新され、今年は、日本語だけではなく、体育の時間に剣道と、調理科では料理を教えることになった。

へー、私を求めてくれている場所があるんだ。。。

心地が良かった。
だって、レストランではいつも、私がいなくても。。。という気持ちが、どこかにあったりしたので。。。                                                                                              



 新学期。調理学校のクラスメートで、三年前から私の剣道の生徒でもあり、何でも相談のできるエリックが、八月から失業中だという。私の代わりに働かないかと言ったら、喜んで引きうけてくれた。

 早速社長のミーさんにやめたいとを伝えた。そのまま代わりのエリックを紹介し、あっけなく、週50時間労働をしなくて済むことになった。そのいっぽうでミーさんは、私を社員としてキープしたいと言ってくれた。

「話があるんですけど。。。」とミーさんの背中に言った時、笑顔で振り向きながら、「あなたの言いたいことはわかってる。ああ、日本に行かせなきゃよかった。」 と言った。ミーさんのレストランの料理が、私のやりたかったタイプではないことは、働き始めるときから知っていた。ミーさんは、私が日本でいろいろなことを考えるだろうと想像していたし、日本から戻ったら、私がやめたいと言うことを想定していたと言った。本人の私には予定外の展開だったのに。。。
 
 かれこれ25年ぐらい続けてきた、 日本語と、最近お気に入りの翻訳の世界に、戻ろうと思う。料理は、やりたい方向があるのだけれども、今はまだ具体的に形にできないので、ちょっと様子をみてみようと思う。そう説明し、理解したと言いつつも、ミーさんは縁を切ることに承知しない。

 わたしは、調理師の資格を持っている。クリスマスには毎年売り子をやっているので、お店のことも知っている。ミーさんのチョコレートのことなら、製造から販売まで、すべてよく把握している。ミーさんの日本での事業にも、少なからず関わっている。ミーさんの家族のことも、すべての店員さんたちのこともよく知っている。そして、ミーさんに好意をいただいている。
「そんなに、あっさり私と縁が切れると思ったら、大間違い。ははは。」
肩を揺さぶられ、そのあとその肩を抱かれながら、わたしに頭をこすりつけてくるミーさんに「ありがとう」しか言えなかった。こんな社長さんはほかにはいないだろう。

 (週に五十時間の)調理師ができないならば、月に二十時間の、穴埋め社員にするから、会社に席を置いたままにして「欲しい」と言われた。そんな便利な人を簡単には雇えないから。わたしとしては、翻訳と日本語だけでは食べていけるわけがないので、レストランをやめたら、日本語の仕事の合間にできる週に数時間のアルバイトを探すつもりでいた。よそのレストランの臨時かなにか。それを思うともったいないぐらいいいおはなし。自分のやりたい料理をやらないなら、売り子でいい。人と接することは好きだから。この会社で、ミーさんのために務め続けたいという気持ちは、たしかにあるのだから。

 九月はレストランでいっしょうけんめい働いた。エリックへの引き継ぎはあっという間だった。十月はミーさんの店に、チョコレートの販売員として二十時間だけ立った。レストランの準備をちょっとだけ手伝ったりしながら。
 一方、高校での「にほんクラブ」が再開し、水曜日の個人レッスンが始まり、十月の四回の週末は剣道の講習会に走り回っている。パリに行くのも今週が二度目。毎週二回の自分の道場の稽古も、気合いれてやっている。剣道連盟の仕事、翻訳の仕事、日本語通信教育の仕事。なによりも、子供達に関わることを、思っていた以上にちゃんとしている。本も読んでいる。手紙も少しずつ書き始めた。メールをためなくなった。友達と電話で話した。なぜか、料理はかなりいい加減になった。まるで情熱が薄れてしまったかのように。たまに厨房が恋しい。報酬も絶賛も、物音もしない我が家の食卓で、細々とした料理をするよりも、レストランの厨房で、プロみたいにさっそうと動き回る自分の姿の方が、かっこいい気がしたりも、する。

 十二月にはまた呼ばれるだろう。調理師だろうか、販売員だろうか。クリスマスの華やかな店内で、動き回る自分を想像する。

JPは、手を振ることでネジが巻かれる仕組みの腕時計を持っている。動かなければ時計が止まる。私はちょっとそれに似ていると思う。動くことでポンプが作動する。人力ポンプをえっちらおっちら動かしながら、息をしている。