2007/08/25

待ちに待った

 飛行機に乗るのは大好き。
全然エコロジーじゃないけど、飛行機に乗らなければ帰郷もできないので、飛行機がなくなったら、困る。
アルビで知り合ったある男性は、電車でヨーロッパを北上し、シベリア鉄道に乗ったり、シルクロードを通過したりして、陸路、韓国まで行った。そこから船で日本に帰国した。帰るのに1ヶ月以上掛かったらしい。
でも、飛行機に乗らなくても帰ることはできる。

 地中海から大西洋や太平洋に出れば、海は日本に連れて行ってくれる。
「船でだったら行きたいけどナアー」
と、飛行機が大嫌いな父が言っていた。

 母に電話したら、「飛行機が落ちたよ」と、いま話題のニュースを教えてくれた。
「テレビで大騒ぎだよ」と言うけど、友人も知人も、だれ一人「みのりさん、飛行機が落ちたよ」とは言わない。地震や台風の時、あんなにたくさんのメールが届いていたのに。飛行機の話題になると、避けているらしい。みんな気を遣ってくれているんだよねえ。
 母だって一応「落ちても助かること、あるんだね」と言って笑ってるし。。。
本人は、あまり気にならない。

 チョコレートが飛行機の中で溶けないかなあ、とか、ワインの瓶が割れないかなあ。。。と気になる。荷造りはへたくそだ。
仕事用のお土産が多いし、報酬は日本滞在の最終日にしかもらえないので、申し訳ないけど、友人知人にはほぼ手ぶらで再会となる。悪いけど。そのかわり、成田でちょっとぐらいはショッピングができるかもしれない。それよりも、「食いだめ」だなあ、やっぱりなあ。

 8月27日から9月8日までメールは以下へ。

nozomidaniel@yahoo.co.jp

Je pars au Japon dans deux jours.
Je vais chez ma mere , chez mes soeurs et aussi, un travail m'attend la-bas.
Attendez avec impatience, je vous raconterai mes aventures.



 

2007/08/22

帰りました


ミディ運河に浮かぶ船と、プラタナスの並木


ワイン用のブドウ畑で働くトラック。

 再び実家で弟家族と合流し、2・3日をともに過ごした。その間、弟夫婦と、JPと4人で、子どもたちを義父母に預けて、夜の町に繰り出してみた。ものすごく強い風の吹く日で、町には人影もまばら。ナルボンヌの中心街から、30分ぐらいで地中海に出る。そっちの方がにぎやかなのだろう。みんなはビールを飲んで、オレンジジュースのわたしが運転して早々に帰宅した。

 弟たちの家族は、今度は奥さんの実家へと向かって、旅立って行った。
弟の奥さんはソフィーという名前。弟よりも年上で、わたしよりひとつ下。意思表示がはっきりできる強い女性ながら、わたしにはとっても優しく、いつも強く抱きしめてくれる。2人で仲良く力を合わせている。でも、彼女にはお姉さんと妹がいて、お母さんもお父さんもいるので、夏休みや冬休みは、ダニエル家ばかりで過ごしていられない。ダニエルの家にはちょっとだけ来て、すぐに、奥さんの家族の家に行ってしまうので、ダニエルの家にしか居場所のないわたしは、ちょっと寂しい。今度のクリスマスは、弟たちはソフィーの実家で祝う番なので、ダニエル家はずいぶん静かになってしまうだろう。

 義父母の家にはプールがある。家を建てた時に、プールを造れば孫が寄り付くに違いない、と言って、当時たったひとりの孫だったノエミは「お前のために造ったプール」などとちやほやされた。でも、海の近くなので、わたしたちはお天気のいい日はずっと海水浴に出かけた。

 真っ黒に日焼けして帰って来た。そろそろ新学期の準備を始めなければならない。
カーモーに戻る日から、全国的にお天気が崩れ始めた。
昨日も今日も一日中雨が降って、気温は17度以下となっている。寒い。
新学期のために、秋物の服を用意しておかなければならない。
結局、コートもセーターも、毛布も布団も、ずっと手の届くところに置いたままだ。

 夏の気分を味わえたのは、ナルボンヌで過ごした地中海での数日間だけだった。それでも、JPの両親が観光地に住んでいるおかげで、観光に来ている気分にもなれるので、よいなあ〜。
 15日から一週間、大西洋を観に行く予定だったけど、訪ねるはずだった友だちの都合が悪くなり、大西洋は冬にお預けとなった。
早く錦江湾が見たい。ふふふ

 

2007/08/12

静かな日曜日が、きた。

 義父母の家で、パリから帰郷中の義弟一家と合流した。2家族揃ってカーモーに戻って来て、甥っ子たちとの一週間があっという間に過ぎ去って行った。
 JPは夏休みではないので、わたしがお客様のお世話をしなければならなかった。でも、義父母たちの世話よりも、ラク。
義弟の所には2歳になったばかりのコランがいる。最後に会ったのはクリスマスで、去年来た時には赤ちゃんだったので、すっかり変わってしまった甥っ子に、ショーゲキをうけた。

 まず、家じゅうに散乱している危険物を、棚の上のほうに並べ直したり、引き出しや物入れにカギをかけた。いっしょに買い物に行って、甥っ子の年齢と、習慣に合った食べ物や、日用品を買いそろえた。

 うちの子(10歳と5歳)と楽しく過ごせることが第一だったので、2歳から10歳の子どもが一緒に遊べる場所を探さなければならなかった。暑いからプール行きたい。でも、いつも行ってるなじみの川や湖は、ママから反対意見が出た。もちろんわたしも反省。
 遊園地や公園も、遠くて時間が掛かる所だとかわいそう。昼寝の時間やご飯の時間も考えないといけないし、おむつ交換の場所も考えなければならない。(パンツ式のおむつだから横にならなくても交換はできた。最近はよいものがあるなあ。)おやつの時間だとか、休憩場所だとかを探し求めて、何度もカフェに入った。せっかくの夏休みなのに、弟もお金遣っていた。
 弟の奥さんは子どもを黙らせる手段と、歩かせる手段と、喜ばせる手段で、普段は買わない清涼飲料水や、ボンボンや、チョコレートパンなどなど。。。ありとあらゆるジャンクフードを買い与えていた。彼女自身、日常ではボンボンなんか買ったこともないし、わたしよりもナチュラル製品愛好家なのに《ヴァカンス》を楽しんでいるのだ。
 できるだけムダを省くように、わたしは早起きしてピクニックの支度をしたり、手作りのお菓子を作ったりもしたけど、ほかのこと(洗濯物を干したり、散らかっているものを片付けたり、食器を洗ったり)に追われていたので、間に合わなくて、油断してると弟夫婦が隣のパン屋や、ご近所の《何でも屋》に走っていっていた。(そういうのも、パリの人には楽しいみたい)

 子どもたちはけんかしたり、走り回ったり、とてもにぎやかだったけど、全体的には三人仲良くしていた。とってもステキな従弟といっしょの夏休みが過ごせたと思う。

 ふた家族で夕べは別な親戚の家を訪ねた。おやつと、アペリティフと、夕食をごちそうになって、夜遅くにカーモーに戻って来た。弟たちは親戚の家から、そのまま、学生時代の友だちの家に向かった。そこで2日間過ごす予定。

 来週の水曜日からJPが夏休みに入るので、来週また弟たちと、義父母の家で合流する。

 わたしはこのどさくさの中、翻訳の納期が迫り迫っていたので、午前3時とか4時とか5時までやって、金曜日の朝、ぎりぎりセーフで大阪の出版社に送った。終わった〜〜。でも、最後の調整は、まだまだこれから。まだまだ読み直しを続ける。これからも書き直したい所はいっぱい出て来る、のかな?あーあ。

2007/08/03

留守にします




 義父母の家に、パリからJPの弟一家が来ている。
来週には我が家にも来るはずだった。
義父母宅に預けっぱなしだった子どもたちを、お義弟たちが連れて戻る予定だった。
でも、車に乗り切れないので、こっちから迎えに行くことに。

 金曜日、JPが仕事から戻ったら、夕方の道を走ってナルボンヌに向かうことにした。
土曜日と日曜日、義父母の家で過ごし、日曜日の夜、お義弟たちも連れて、カーモーに帰って来る予定。

 問題なのはボボ
こいつは、車に乗せると5キロも行かない所で吐く。
いつも、誰が助手席に座るかで、JPと争うことになる。
先日、森に出かけた時、膝に乗せて、窓から顔を出してもよい、ということにしてあげたら、全然吐かなかった。
今朝、洗ってあげた。だから、膝に乗せても臭くない。。。かな?

 いつも「あっち行け」とか「そこどけ」とか言って邪険にしているボボに、「おいで〜」と優しく言ったら、ヒューと尻尾を巻いて小屋に入って行った。いくら知能指数が悪くても、声のトーンには敏感だねえ。
 仕方ないから、わたしが小屋に頭を突っ込んで、ボボを引きずり出した。歩かないので、抱っこして、二階の洗面所に連れて行き、シャワーで水をぶっかけてやった。シャンプーで二度洗い。こんなボボでもヨカニセになった。

 JPが「この頃ボボは目が悪くなったみたい」と言っている。歳をとったからねえ。。。
先ほど、棚を片付けていたら、若かりしボボの写真を発見した。
これは拾って2日目の写真。ボボはわたしたちが見つけたとき、前足を骨折していた。それで、「いたい」という意味の「ボボ」という名前になった。顔も傷だらけだったので。

 この前散歩中に、後ろからのろのろついて来るボボに、「こっちおいで」とロープを引っ張ったら、
びぃ〜〜〜〜ん
という音がした。
ふり向くと、電柱にぶつかったボボが、ふらふらしながらそこにいた。
かわいそうな奴だねえ。。。。


 さあ、きれいになったので、車に乗せてあげよう。吐くなよ。
先ほど、シャワー室で洗い終わったので、タオルにまいて、抱っこして、立ち上がったら、またもや
びぃ〜〜〜〜ん
という音がした。
ふと見ると、水道の蛇口にぶつけていた。ごめんね。
かわいそうな奴だねえ。。。。


では、いってきます。

2007/08/02

チョコレートの香り

 去年の今ごろ、わたしは製菓学校や料理教室のパンフレットを集めていた。9月が新学期なので、毎年、夏の間にあれこれと、新学期の策を練るのだ。

 春にチョコレート屋さんで、ちょっとした通訳のお仕事をした。
JPが『うう。。。切れた』と言っては買いに行くチョコレート屋さんだ。だから、そのお店からお仕事の話が来たとき、飛び上がるようにうれしかった。(じつは飛び上がった)
 お店やチョコレートのアトリエ(いわゆる工場)で働いている人たちは、みんな親切で、できる限り手作り、着色料や保存料を使わないチョコレートの製造法を知り、「やっぱり本物は違うと思った」とツウのふりまでしてみるのだった。

 本日、チョコレート屋さんにお願いして、アトリエを見学に行ってきた。春に通訳で行った時には、見ることのできなかったものや、訊くのを忘れたこと、知りたくなったことなどあって、わくわくしながら出かけた。

 6月以降の暑い季節、チョコレート屋さんの店舗用のチョコレートは製造がお休みで、今は、全国のケーキ屋さんなどから頼まれている、お菓子やケーキの飾り用のチョコレートなどを製作中。来週バスク地方に送られる2トンの箱が、ところ狭しと並んでいた。有名フォワグラの会社が、「高級品」としてのラベルをつけて売り出しているチョコレート、じつは、このチョコレート屋さんのものだったのかあ。じゃあスーパーでも売ってるのかな。社長さんの名前でも売れてるのに、名前なくても売れてるのかあ〜。

 チョコレート工場というのは、チョコレートを溶かして型に入れる場所と、型に入れて固まってから作業をする場所と、温度差が激しい。今日は、若い人が3人働いていた。わたしのお相手をしてくれたのは、社長さんの次に偉い《シェフ》で、社長さんにもたいへん信頼されている。この人がいないと、お店は成り立たない。

 行く先々で、チョコレートを味見した。道具や、作り方、型に流しているところや、どんな飾りに使われるか、など、見せてもらった。写真を撮っても良いと言われたけど、カメラを持っていないので。。。次回どうにかする。
 使っている道具が《ギター》という名前だったりして、大いに笑った。
飾り作りの実演を見ながら、「このヘラは大工さんのみたいだね」と言ったら、「大工さんのだよ」というので、冗談だと思ったら、本当にタイル張りの職人さんや、おとーさんたちが使う、日曜大工の道具だった。
 チョコレートの取り扱いや、溶かし方、温度調整なども教えてもらい、それから道具の使い方も見せてもらったので、今度やってみよう。今日使われていない機械や、今日は作らないチョコレートのタイプもあるので、また来週、今日と違うことをやる時に、電話して呼んでくれるそうだ。その辺を歩いていて、工場の前を通ったら、いつでも遊びにきていいと言われた。
うれしー

 ベルトコンベアーの前で、流れて来る板チョコを箱に詰めている少年がいた。彼は一日中その作業をやるんだそうだ。彼があまりにも若いので、「あの子はもう調理師の学校を出たんですか。研修生なのかな?工場内のいろんな道具は全部知ってるんですか。わたしのように、奥まで入ったりするんですか」「見習いさんですか?」と訊いてみた。
 そうしたら、その子はチョコレートのことは何もしらない、何も習わない、勉強したこともない、ただの、夏休みのバイト生だった。
「ええーこのアトリエ、バイト生を雇うんですか?料理学校の研修生だけだと思ってた。わたしも働きたい。」と思わず叫んでしまった。
「じゃあ、今度、バイトを探す時には、みのりさんに声かけてあげる。お給料も出るよ。社長にも頼んであげる。」と言われた。
 チョコレートとともに一日中過ごし、チョコレートまみれになり、チョコレートの味見三昧で、壊れたチョコレートはもらうことができ、しかも、お給料が出るなんて。。。そんな夢のようにおいしそうなバイトがあるなら、朝5時起きでもやりまっす!

 来年の夏のバイトは決まった。。。

そのお店で一番好きな、粉砂糖にまみれた、自家製焼きアーモンドのチョコレートぐるみ。。。。を、大量に、お土産としていただいてきた。
 うれしすぎる。。。