2008/09/29

過ぎた日の日記も どーぞ

 よそでやっていた公開日記の、2007年分と2006年分を、こっちに引っ越した。
気づいている人など居ないと思うが、一度書いた日記は、何度も読み返したり、削除・追加・修正もたびたびやっている。
2005年度の分は、一度手違いで消去されたのだが、従兄のおかげでプリントアウトされて母の手元に届けられていた束が、母の家に残っていたので、全部パソコンで打ち直しちゃんと復活した。こちらも近いうちに、この同じブログに引っ越すつもり。読み直しながら、いろんなことを反省している。

《のぞみの本》というタイトルで、自分の仕事について、別なブログにまとめてみた。《ちょっと寄り道》からリンク
せんでん、せんでん。
 

栗はまだ














 秋空が気持ちよかったので、日曜日は森に出掛けた。
栗がそろそろ?と思っていたのだが、栗はまだまだ!だった。
ひたすら歩き、ただひたすら歩き、カロリーを消化し、肺と脳みそを浄化し、子どもたちと植物観察や、動物のフン観測をし、ボボを走らせ、ノエミを走らせ、ゾエがぐずり始める前に、駐車場まで戻って来た。夕日は落ちていなかった。
 前からおしゃれなカップルがこちらに向かってくる。おしゃれな犬を、森の中でさえ歩かせず、大事そうに抱っこしている。
「チャペルまで遠いんでしょうか?」とわたしたちに訊いた。
「10分ぐらいですよ。いってらっしゃい」
とJPがカップルと犬を送り出してから、子どもたちはプププと笑って、「30分は掛かるよね〜」と小さな声で言い合った。
 「のぼりは30分。くだりは10分」
JPは、自分は嘘はついてない、と言い張っていたが、子どもたちは「パパはうそつき〜」と笑い合っていた。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 月曜日には、いつもの通りジョギングを。
考え事をしていたので、途中ボボが居なくなっていることに気づかなかった。おろしたての筆みたいなボボの白いしっぽが、草っ原の蔭に見え隠れしないか、じっと目を凝らし、耳を済ませる。
 朝日に向かってまぶしいので、ひさしの代わりにかざした左手の、腕にはめたスワッチの時計が、チッチッチッと規則正しい時を刻んでいて、とくとく波打つわたしの心臓に「落ち着け、落ち着け」と言っているようだ。
 朝ご飯を探して飛び回る鳥のにぎやかな声と、遠く、遠くを走り去る通勤の自動車の音が聴こえる。
何十メートルもの丘の、ずっと下のほうに、ウサギのようなものを追いかける、ボボに似た小動物が見えたような気がして、そちらをじっと見つめると、おろしたての筆のようなしっぽが、草の蔭を行ったり来たりしていた。
 困るなあ〜。
いま登って来たばかりの丘を、降りて行く間に、ボボはどこか違う所に行ってしまうかもしれない。
 叫ぶ。
が、無視。
反応、なし。
ど〜しよ〜。
 しばし、その場でじっとしていた。ジョギングを続けるべきか、いま来た道を帰るべきか。丘を土手から駆け下りるか?
決心して、道路のほうに戻ろうとしていたら、ボボが、草むらからにょっと出て来た。
叱ってやるべきか、はたまた、褒めてやるべきか。
 
 「帰るよ〜」
帰る途中でもまたボボが行方不明になってしまい。さっき叱っておかなかったことを後悔するのであった。。。

 こんなボボを、旅行中にいったい誰が面倒見てくれようか。悩むなあ〜。 

2008/09/24

開聞岳(かいもんだけ)



 ときどき、指宿以外のところに住んでいる友人たちと、自分たちが持っている古郷の写真を交換し合っている。
こんな写真、同級生ではわたしぐらいしか持ってない!と思う。ふんっ!
13年前にJPが撮ったもの。(わたしも登ったよ)
右手後方に、池田湖も見えてる。
ちなみに開聞岳には、タイガー・なんとかもやって来たゴルフ場がある。 

吊り橋計画



これは、錦江湾の指宿市海上に浮かぶ、1日に1度歩いて渡れる《知林ケ島/ちりんがしま》の裏にある《小島》




 13年前に、JPと彼の両親を連れて指宿に帰った。
その時には、指宿と鹿児島と大分と京都と大阪のホテルに泊まった。
日本にはじめて来た両親のために、いろんなところを観光した。
わたしはフランス人の隣に立っているだけで、「あの人、日本人なのかな?」と思われていたらしい。どこに行っても「外国の人かも?」と思われている様子で、わたしに向かって丁寧に説明してくれたり、優しく話をしてくれた。
 どこに行っても「日本の人は優しいなあ〜」としみじみ思った。それを一番強く感じたのは、生まれ古郷の指宿でだった。

 指宿の人間が、わざわざ指宿のホテルに泊まることは滅多にないのだろう。わたしは「よその人」と思われていた。みんながんばって「標準語」で話しかけてくる。「よそから来た人」のために、指宿のよいところをアピールし、行ったらいいよという所を教えてくれ、おいしいものを出し、せっせと世話を焼いてくれた。指宿の人たちは本当にこの土地を愛していて、大切に思ってくれているんだなあ、と思い、心が温かくなった。指宿に行ったことがないという人がいるといつも、行くようにアドバイスしている。こんな親切な人たちのもとには、また帰りたくなる。そこに、おいしいものも、いい温泉も、美しい自然も残っていてくれたら、きっとまた来たくなるに違いない。その四拍子が揃っているところは、どんどん少なくなっているのだから。

 そのあと9年帰れなかった。4年前に帰ることになった時、とっても怖かった。
そして心配した通り、いろんなものが変わっていた。
 住んでいた所も区画整理のためなくなっていたし、お隣さんも幼なじみもバラバラになっていた。
ノエミが入れてもらった小学校には、各学年にひとクラスずつしかなく、子供が14人しかいなかった。わたしが通っていた小学校も昔は6組あったのに、今では3組しかないらしい。学校開放で訪ねた高校も、学生が少なくてひっそりしていた。商店街やお店には高齢者が目立ち、ちまたで言われている少子高齢化がこんなにはっきりと確実に、地の果て指宿まで浸透しているとは、驚くばかりだった。

 友人からの知らせで、《指宿の池田湖に、吊り橋ができる》というニュースを知った。
歩いて渡る吊り橋で、観光名所にしようという計画らしい。

http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=2&storyid=12781

《総事業費は約25億円で、つり橋を含む1期分が約21億円。資金は個人投資家や投資会社からの調達を想定》とのことなのだが、「な〜んだ、お金持ってる人たちがやってくれるんなら、ラッキ〜」という問題じゃない。
 お年寄りがどんどん増えている町で、そして、その傾向は日本中で広がっているというのに、数年先、その橋を渡るのはいったい誰になるんだろう?近い将来、その橋が錆びて、池田湖の上を寂しく風に揺れている風景を想像する。想像できる。そんな場所、指宿にはいくらでもある。25億円ものお金をもっと未来のために使ったらいいのに。このような発想が生まれる現実が、とても空しく思えた。自然に触れ合ってもらいたければ、もっと自然に近づくべきなのに。いったいどうなっているんだろう。

 この数日間、このニュースのせいで悶々としていたら、揖宿神社の隣の土地で《てんちの杜》をやっている従兄から、こんなメールが届いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「てんちの杜」に、ステージと太陽光発電を建設中、9月末にどちらも完成の予定です。10月19日にこのステージで「かがり火コンサート」計画しています。太陽光発電は、子供達の環境の勉強になれば良いなーと思っています。
今、「なのはな館」の西側の池とアシ原を守ろうと、活動を始めました。(草刈りをする、看板を立てる、定期的に観察会をするなど)今日の夕方仲間の10人ぐらいで、とりあえず野鳥の観察に行きました。いろんな野鳥がいました。これから寒くなる冬が楽しみです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
数ヶ月前に、「太陽光発電の装置を設置するお金がもう少し足りない」と言っていたのに、よくがんばって実現できたんだっ!かがり火コンサートは外してしまったが、この秋、野鳥観察には参加できるかもしれない。
 ちゃんと守ってくれる人も、すぐそこにいてくれる。みんな、がんばってね。
わたしも、ポジティブに行くよ〜。冬を楽しみにした経験はないので、今年の冬は《野鳥観察》を趣味にしようかな、と思った。

2008/09/22

スピード違反

 車の運転が好きだ。
運転しろと言われれば、どんな遠くまでも運転する。
セネガルにいたころは、四輪駆動も運転していた。あのころはタイヤだって交換してたし、タイヤが砂にはまっても、へ一ちゃらだった。(もうできないだろうなあ)
 保険会社の安全運転講習会にも行ってる。スリップした車を2回転させたあと、進行方向に向かってまっすぐ停止させて、エンストせずに再発進させる技だっていちおう習った。(でも実際の事故ではエンストしちゃったけど)

 JPに言わせると、わたしはスピード狂なんだそうだ。そりゃあ、出血多量で貧血してるダンナや、テラスで滑って、お椀ぐらいのたんこぶを作る娘などがいると、どんなカーブも恐れずに、30分掛かる農道でも、15分以内で走れなければならなくなるノダ。

 市街は30km/hから50km/hぐらいで走らなければならない。当然だ。自宅は大通りに面しているが、学校のそばなので制限されている。そこを時速100kmでつっきるオートバイなどがあると、そりゃあ腹が立つ。
 高速道路は晴天時、最低110km/h、最高130km/h。
雨天時は90-110km/h。
しばらく前に空港までお客さんを迎えに行った際、ミーさんの車に便乗したら、6速で150km/h出していた。飛ぶように走る。(そして気持ちがよろしい)途中別れて自分の車で、待ち合わせをしたミーさん宅に行ったら、ミーさんが到着しておらず、5速しか出ないわたしのほうが早く着いてしまったので、ミーさんがびっくりしていた。わたしは近道だって知っているのだ。でも、道はよく間違う。道は、高速道路よりも、田舎道のほうが好き。だから本当はのんびり走るのだって好き。坂道発進だって上手なんだから。フランスでオートマチック車というのはとっても珍しい。レンタカー屋さんにも置いてないことが多い。知っている人でオートマチックに乗っているのはJPのお母さんぐらいだ。
 
 地図は読めない。方向音痴。だから、遠くに行く時にはJPが助手席で地図を開いて、わたしが運転する。こういう時には、わたしはちんたら走る。JPが横でうるさいので。家族の安全は大事。後ろに乗っている子供にも、必ずベルトを締めさせてきた。子供にベルトを強制できない親は、無責任だと思う。

 先日商工会議所で会議があった日、午前中ゾエを友人宅に預けていたのだが、迎えに行く約束の時間に遅れてしまった。会議室で一番奥に座っていて、抜けられなかったのだ。なのでわたしは、市道も県道もブッチギリで走ってしまった。我を忘れて走った。ただひたすらにまっしぐらに、ただただ走った。
 《我にかえる》という言葉が聴こえたとき、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。じつは、今でも、あの日の、約1km分の記憶がない。《我にかえったわたし》は先ほどスピードに注意せずにレーダーの前を通過してしまっていたのだということに、いきなり気づいた。70km/hに制限されている一直線道路で、この先そのまま走ってたらレーダーに引っかかるんだよ〜と親切に表示のある場所。レーダーの隠れている五本目のプラタナスの木には、ちゃんと誰かが描いてくれたマークまで入ってるのに〜〜。その100メートル前で車線変更もしたはず。いつも、その車線変更でスピードを落とすことになっている。
「レーダーの前を通過したとき、いったい何km/hぐらい出てたんだろう?」と思いながら帰って来た。

 さてさて、その二日後にはスピード違反の請求書が、こともあろうにJP宛に届いてしまった!
車はJPの名前なので。。。ちゃんと車のNo.などなども、読み取ることができるとは優れものだ。
 68ユーロ払ってください。
15日を過ぎると45ユーロ加算されます。
45日以上支払いがない場合は108ユーロ加算されます。
こんなことならもっと記録的な数字で違反になればよかった。。。と思うぐらい「こんだけ?」の違反だった。(アンタ、そんなこと言って)
「通過時のスピード 77km/h」
もっと飛ばしてしまったのだとばかり。。。50キロオーバーでも一律68ユーロなんだろうか?請求書は税務署からの直通だった。

 JPが黙って小切手を切った。彼が《黙って》いるというのは、とっても怒っているということだ。(うれしい時も黙ってる人だけど)

 ところで通知の紙の下のほうに「免許の点数が引かれるますヨ」と注意書きがあるのだが、免許の点数が引かれるのも、JPなんでしょ〜か。だったら助かるにゃ〜。JPはどうせ車には乗らないんだから。

 「ガソリンも、違反も、車を遣わないおれが払ってる。点数まで引かれた。売ってしまおう!」と言われる日が近い。そんな日はいきなり来るだろう。相談なしで。意見を言う間もなく。

 ノエミが横で「車の代わりに馬を飼おうよ」と父親を誘っている。
あぶない、あぶない。 

乗馬クラブ へ

 ゾエはもうクラブに入会したので、わざわざ行かなくてもよかったのだが、乗馬クラブの開放日では、無料でいろんな体験ができるというので、ノエミまで張り切っていた。
 去年1年間乗馬をやらなかったノエミは、ズボンもブーツも、もう身体に合わなくなってしまった。
友だちが「みのりさんも乗馬始めたら?」と言って強引に一式置いて行った乗馬用具の中から、ズボンはノエミにもぴったりだったので助かった。
 
 2時半から入場開始だったのに、3時に到着したらもう人がいっぱいいて、ポニーの広場には行列ができていた。でも、ヘルメットを持っていない子供たちや、はじめて馬のそばに来たので怖がる子供たちもいたため、ゾエをどんどん横入り(?)させた。
乗せられたはいいけど「降りる」と言って泣きはじめた子の後ろに並んでいたおかげで、あっという間に順番が回って来た。
 ポニーをクラブの外に出し、草原や一般道路を歩かせた。クラブのお姉さんたちが綱を持ってくれるので、道を外れていきなり道ばたの草を食べ始める馬も、文字通り手綱を取ってもらえた。 
 ゾエ、得意になっている。

 毎週水曜日にいっしょにクラブに通っているポールも、家族でやって来た。お母さんのロランスはPTAママ会の友だちで、ポールのお兄ちゃんたちは一人がノエミと同じクラス、もう一人は1級上で、《ようせいかんぶどう》っていうのをやっている《日本好き》少年だ。2人は金曜日の夜我が家でノエミといっしょに日本語の勉強をしている。
 「わたしは馬が恐いのだ」
と、ポールのお父さんのジョゼフに言ったら、
「なに!?みのり、サムライのくせに、馬が怖いのか?」
と言われた。
 こんな大きな動物。。。おとなしくて、噛んだり吠え掛かったりもしないとはわかっているけど、わたしは馬が怖いのだ。大きい動物なので。。。それに頭よさそうだし。馬に馬鹿にされたら?ちょっと怖い
 子どもたちはぜんぜん怖がらない。
ノエミは落馬して骨折したこともあるし、足をふんづけられて、蹄の型押しをされたこともあるのに、ぜんぜん怖くないんだそうだ。
 
 ノエミは、大きな《本物の馬》に乗るんだと、長い行列の後ろでしぶとく待った。
その間にゾエは、大きめのポニーにも乗ったし、ヴォルティージュという競技のまねごともした。ヴォルティージュという単語は、空中遊泳とか、サーカスのすご技を連想させるが、大きな馬の背中に乗って、手を離したり、馬の背に立ったり、しっぽをつかんだり、後ろ向きになったりするものだ。そのあとカレッシュという小さな3人乗り馬車も、ポールといっしょに体験した。
 ロランスが子どもたちに飲み物を買ってくれたので、すっかりお祭り気分。(ロランスはビールを飲んでたよ)

 ノエミが「わたしもまた乗馬をしたいなあ」と盛んに言っている。親としてはまず経済的な問題を乗り越えなければならない。それに音楽学校のふたつのレッスン(ヴァイオリンとソルフェージュ)もやめたくないと言うし、学校の宿題は多いし、日本語の勉強もさせたい。気の毒だけど、もうちょっと待ってね、と頼んでいる。もう少し「中学2年生」の生活に慣れて来て、宿題も自主的に、ヴァイオリンは言われなくてもするようになったら考えてやる。。。とは言っているが、自分の中学時代を振り返ると、すごく難しい注文だと思う。
 
 冬になったらクラブに出て来る子供が激減するので、途中からでも入れてもらえると思っている。ただ問題は、中学生のクラスは土曜日の朝ってこと。今年から小学校も水曜日に続いて土曜日も完全休校になり、土曜日は早く起きなくてもいい日なので、子供が朝から出掛けるとなると、わたしも朝から出掛けることになるんだよなあ〜などと思わずにはいられない。

2008/09/19

雨ニモマケズ














 予想されていた雨は、ぜんぜん降らなかった。
朝市には、やっぱりキノコは出ていなかった。
ブドウとリンゴが出始めた。リンゴはフランスのかな?
でも、いちばん大好きな「シャント・クレール」種のリンゴはどこにも見当たらなかった。
時間がなかったので、コーヒー豆屋とパスタ屋まで行けないまま自宅に戻って来た。
夜はリッシャーの野菜を取りに行く日なので、朝市では野菜はまったく買わなかった。

 月一回行なわれる「農場でのお食事」の日だ。アマップのみんなが持ち寄って、いっしょに食べる。
ポティロンとパティッソンが残っていたので、ふたつを茹でて、グラタンにした。チーズの代わりに、崩したお豆腐を入れた。
寒かったので、リッシャーが作った大根の実と葉っぱだけの素朴なスープが、とってもおいしかった。
わたしのグラタンはすっかり冷めてしまっている。
リッシャーの農場ではコージュとかポティロンと言われるいろんな種類のカボチャがある。
先々週届いた深緑色の硬い皮をした、中がほくほくのポティロンは、ひき肉といっしょにしょうゆ味で煮込んだら、とおっても日本風なおかずになった。
 わたしは家族に「このポティロン、なんだか日本の懐かしい味がするよ」と言いながら、ちびちびと4回ぐらいに分けて料理した。みそ汁にも入れた。

 リシャーに「あのポティロンはなんという名前なの?」と訊いたら、「カボチャ図鑑」を持って来てくれた。そこには「KABOCHA」という名前のポティロンの写真が出ていた。
なんだ、カボチャだったのか。。。



 カボチャの他に、今週は「韓国のトウガラシ」もあって、リシャーがわたしに、「キムチ」を作らないか?と訊いた。でも、わたしは本物の「キムチ」を食べたことがないし、ニンニクがあまり好きじゃないし、どうせ子どもたちは食べないし。。。あまり作る気がしないなあ〜と言ったら、「いずれにせよ、うちの畑では白菜ができないんだよなあ」とリシャー。土や気温のせいだろうか?何度も挑戦したが、白菜ができないんだそうだ。
 白菜があったら、お漬け物もできるよね、というはなしになったので、リシャーが、わたしのために白菜を作ると約束してくれた。
 もうひとつ「グリーン・ナントカという名前のカボチャ」をもって来て、わたしに見せながら、「このカボチャも大きくならないんだよ」と言っている。このカボチャ「Green Hokkaido グリーン・北海道」という名前なんだよというので、JPが「気温のせいなんじゃないの?北海道って、シベリアのそばなんだよ。寒いところのカボチャなんじゃないの?」などと言っていた。

 雨が降らなかったので、リシャーは残念そうにしていた。
わたしのほうは、雨が降らなかったので、挫折せずにちゃんと今週もジョギングが続けられた。

 アマップ会のブログを作ろうよということになったので、今日はたくさん写真を撮った。お楽しみに。
レシピも載せようと思っている。
リシャーが、豆腐と納豆をいっしょに作ろうよと言った。JPは、手作りビールの作り方を教えてと頼んでいた。

2008/09/18

暴風雨の予報

 昨日は一日中、商工会議所の新学期会議だった。
さて、今年は日本語学習者が集まるだろうか?
数年前は大学の第三外国語でも教えていたのに、近年は、中国パワーがニッポン力を圧倒している。オリンピックもあったことだし、今年もまた日本語レッスンには、生徒が集まらないだろうと、わたしは予想している。

 今年は、フランスと日本の交流150周年だそうで、パリや日本各地の大都市では、両国の交流を深める催しが盛んに行われている、らしい。今年の始めには、パリでも「薩摩焼」の展示会があった。招待状が来ていたものの、残念ながら行けなかった。パリは遠い。

 JPは、労働組合の会議のために、ゆうべからパリに行っている。
夜行列車で行き、お昼の今ごろは、わたしが作って持たせたピクニック一式を、労働組合仲間と円陣組んで、パリのどこかの芝生の上で食べているに違いない。
 JPがいない時には、わたしたちは手作りじゃないピザと決めているので、本日は夜まで気楽〜〜。
こんばんJPは、パリの弟たちと夕飯を食べてから、夜行列車に飛び乗り、明日はそのまま仕事に行くんだそうだ。タフだなあ。

 今日は朝から暴風雨の予報だったが、まだ降らない。指宿の母から情報では、向こうでも台風が勢力を振るっているらしい。フランスでは台風はないが、この夏、フランス北部では大きな竜巻に見舞われて、ものすごい被害だった。アメリカもそうだけど、年々、台風や竜巻の威力と、集中豪雨の集中力度が、アップし続けているように思う。

 商工会議所で隣り合ったアメリカ人英語教師のジェームスが、「ゆうべ、恋人のパトリックと日本映画を観た」と言って話しかけてくる。ジェームスは商工会議所で一番の仲良し。「とっても感動的な映画だった」「家の中では靴を脱ぐんだねえ〜」と、興奮して語ってくれたが、映画の日本名がわからなかった。ジェームスが、布の切れ目のまつり方について訊いてくるので、会議もそっちのけで、裁縫講座となった。ジェームスとは、金曜日の朝、カーモーの朝市でよくすれ違う。ジェームスとパトリックはカーモーから70キロも離れた、すごい田舎に住んでいて、畑では野菜も作っている。カーモーの朝市には、気晴らしと「恋人と揃ってお出かけムードを味わうため」と、お魚やチーズを買うためにわざわざやってくるのだ。

 「みのり、あした朝市に行く?」と言う。
「毎週行ってるよ。ジェームスは明日はなにを買うの?」
そろそろキノコを買いたいんだけど、大事な時に雨が降らなかったから、キノコがぜんぜん見当たらないそうだ。そういえば、朝市でまだキノコを見ていないなあ。そろそろキノコ狩りにも行かねば。
 「明日は、どうしようかな。ジャネットにトマトをこんなにもらったから、トマトソースを作ろうと思っているんだ」会議中の机の下から、トマトがどっさり出て来る。

 日記を書いている間に、空が暗くなって来た。
所狭しと出した洗濯物を、片付けるとしよう。

2008/09/15

あたしらしいあたしのあたらしいあしたのあさ






先週から、走っている。

 今朝は走りはじめた午前9時頃、10度ぐらいで、吐く息が白かった。
1枚目は霧に包まれるサン・ブノワの町。
2枚目は、走りながら右手に見える風景。コルドの方は曇っている。
3枚目は、南に向かって伸びるジョギングコース。はるか彼方まで道が続いてゆくのが見えるので、走る人間の心理状態にはあまりよろしくないような気もするが、毎日ちょっとずつ距離を伸ばしている。何キロ走ったのかはわからないけど、15分地点でUターンした。時間ないに、先週よりも遠くまで走れるようになった。

 油断するとボボがいなくなる。毛虫かウサギの糞を踏みそうになる。
危険はそれくらい。車もオートバイも入って来ない道なので。

 1月に剣道の試合に出ることになったので、体重を落とさなきゃ〜と思っている。
いつも走りはじめには、いろんなことを考えているが、途中で何も考えられなくなり、帰って来る頃には頭の中は真っ白になっている。走ることがこんなに気持ちがよいとは知らなかった。(持久走はいつも仮病でパスしてた)

 前にも紹介したことがある、大好きな詩。

   あした(石津ちひろ)
 あしたのあたしは
 あたらしいあたし
 あたしらしいあたし

 あたしのあしたは
 あたらしいあした
 あたしらしいあした

マイペース、マイペース。

2008/09/14

映画館へ〜




 映画で始まり映画で終わった一週間だった。

 我が家でテレビを見るのは、わたしだけだ。
好きなテレビ番組のシリーズは、刑事ものと検死ものと、科学警察ものと、オカルト映画と、病院で繰り広げられるドラマものと、それから宇宙人やら幽霊が出て来る。。。もの。21時以降に限られる。恋愛ものとフランスの連続ドラマは好きじゃない。

 この前友だちに「みのり、どんな映画が好きなの?」と訊かれて、こっちが応える前にJPが横入りをして応えた。
「みのりは、血みどろのとか、恐怖映画が好きなんだよ」
友だちはびっくりしていた。
だから、なに?
テレビでは、16歳以下は視聴禁止というようなマークがついているものが大好きだ。じつは。
だから、なに?
でも、うちには衛星放送のパラボラアンテナも、ケーブルもないので、まあ、テレビではろくなものをやっていない。

 子どもたちはJPのお母さんの家に行くと、衛星放送で一日中アニメをやってるチャンネルがあるので、テレビの前に座ることが多くなる。でも、衛星放送は番組が多すぎて、プログラムはあるのに、お義母さんはリモコンを一度手に持ったら、片っ端から切り替え続けるので、どの番組も途中からしか見れないし、最後まで見れない。子どもたちは移り変わり続ける画面をあとに、別な部屋に行っておもちゃで遊び始める。わたしとJPは、お母さんと子どもたちが寝てから、そっと居間に行ってテレビを点け、16歳以下はお断りの、例えばこの前の休暇で行った時にJPと2人で観た映画は『シャイニング』『フレディー』『羊たちの沈黙』再放送など。血みどろスプラッタ映画。わたしがぎゃーぎゃー叫びながら、顔に当てた手の平の隙間からこわごわ見るのを、JPはフレディーよりも冷たい視線で眺めている。たまに「怖いならもう寝たら?」と言う。「またうなされるよ」泣いたり笑ったり叫んだりするのはわたしだけ。JPが泣いたり笑ったり叫んだりすることは滅多にないんだけど。

 余談だが、『フレディー1』は短大の時にアルバイトをしていたグリーンピア指宿の社員寮で、女友達と観た懐かしい映画だったのだが、これに、今では有名人のJhonny Deppが脇役で出ていた。この前再放送を見てはじめて気づいた。ジョニー・デップのSweeney Toddという映画は、血みどろで恐ろしかった。JPと2人で映画館で観たのだが、テレビで観るのとはさすが迫力が違った。

 JPは、どちらかというと映画館に行くのが好きで、私たちはよく映画館に行く。こどもと行くのでアニメーションが多い。
カーモーの小さな映画館では、パリのように長〜〜いCMはなく、時間になるといきなり始まる。しかも、いつも貸し切り状態。

9月7日(日)クンフー・パンダ : 笑った。
 日本からのお客様をトゥールーズにお送りして、疲れ切って帰ってきてから映画館へ。居眠りするかと思いきや、笑いが止まらず寝る暇もなく。

9月14日(日)WALL-E : 途中で寝てしまった。
 土曜日の早朝午前2時と3時に国際電話で起こされ、眠れなくなって6時半まで起きてた。それが後を引いたか日曜日は疲れていて、居眠りしてしまった。こどもたちは楽しんだらしい。

 

2008/09/12

念願の乗馬クラブ




 1年生になったらね、と約束していたので、水曜日のあさ乗馬クラブに連れて行った。
同じクラスのポールもやりたいというので、いっしょに。

 一昨年までノエミが乗馬を習っていたクラブなので、ゾエもよく知っている。先生もノエミのことをよく覚えていて、「ノエミものみこみが早かったけど、ゾエもなかなか筋がいいぞ」と褒めてくださった。

 ノエミも乗馬をまたやりたいのだが、ヴァイオリンもソルフェージュも続けたい。
ヴァイオリンを習っている国立音楽学校は、入会金が272ユーロで、ヴァイオリンのレンタル料が年間70ユーロ。
1週間に1回ずつ、ソルフェージュとヴァイオリンの時間がある。
 9月はちょっと出費も激しく、大きい子のクラスはもういっぱいだというので乗馬は我慢してもらい、冬にクラブに出て来るこどもが激減する時期に、入れてあげられたらいいなと思う。
 乗馬して骨折しても、まったくめげていない。どうやら馬が大好きらしい。

フランスの子どもたちは、一般的に全国で乗馬を習っているこどもが多い。バレーボールとかバスケットボールよりもずうっとポピュラーなスポーツで、女の子に人気が高い。特に馬を人形みたいにかわいく飾り付ける(三つ編みしたり)のが好きらしい。

 乗馬クラブは、ちゃんと全国規模のスポーツ協会に登録されているので、登録費(保険込み)で年間36ユーロ、クラブ入会費用が年間86ユーロ、それプラス1時間に10ユーロのレッスン料。

 わたしは今年は音楽はやらない。剣道だけ。
剣道クラブの、全国スポーツ協会への登録費用(保険込み)で年間32ユーロ、剣道連盟に支払うお金が年間187ユーロ。遠い町まで行くので、ガソリン代も掛かる。1月には試合に出る予定。

 ものすごい出費だっ。

 JPは昔セスナ機の免許を持っていて、毎週クラブでセスナに乗っていたらしい。飛行機が大好きだ。でも、セスナ機のクラブはとおおっても高いので、本人諦めている。わたしは翻訳料が入ったらJPをセスナ機のクラブに登録してあげようと思っていたが、日本に帰るチケット代が3人分で3153ユーロと請求が来た。翻訳料じゃ全然足りな〜い。
ひゃ〜〜。

2008/09/09

ようこそ その3


トゥールーズ名物、カッスーレ
白インゲンと、ソーセージとカモのお肉を煮込んだもの。レストランで食べようと思ったら、20分以上待たされる。
アツアツで、表面はカリカリとしている。スプーンで表面をバリッと割ると、湯気が立ちこめた。
そんなあったかいものがおいしい、涼しい一日だった。
カメラを買っても、絶対に、レストランで自分のお皿の写真を撮ったりなんかしないと、心に決めていたのに。。。つい、日本人女性につられて、写真を撮ってしまった〜。クセになったらどうしよう〜。

 前日に、アルビ観光ができなかったので、午前中はアルビの市街を歩いた。朝市もやっていて、フォアグラやおやつにするパンや、夜のデザートにする果物を買った。ウサギが丸裸にされて、冷蔵庫に横たわっているのを見て、朝市で「ギャ〜」と叫ぶ日本人女性団体からは、ツツツと離れて、他人のようなふりをした。

 11時頃になってやっと決心して、トゥールーズへ。
ミーさんのトゥールーズ支店にご挨拶に行き、チョコレートを試食して、チョコレートを買った。お店の店員さんは「お金をいただいてもいいんでしょうか?」と言っていたが、前日に、アルビでミーさんの奥さまがたくさんくださったので、今日の分はどうぞお金をもらってあげてくださいと言った。みなさん遠慮しなくてもいいので、あれやこれや選んで、いっぱい買ってらした。わたしは、JPと子どもたち用に《薔薇の味のチョコレート》を買うつもりで、8個袋に入れてくださいと言ったら、マダム・エンドーにはいつもお世話になっているから、と、お金を受け取ってもらえなかった。なので、他に欲しいと思っていたチョコレートについては、「これも」と言えなくなってしまった。

 トゥールーズではちょっとショッピング。みんなで別々に行動することになったので、わたしもちょっとお買い物した。こどもも連れずに、一人でのんびりトゥールーズでショッピングするなんて、あり得ないので、うれしくって、うれしくって。でも、いざとなったら何をやればいいやら。。。こどもの服なんか買ってた。ああ〜待ち合わせの時間が〜〜。
 
 最後の夜は、《フォンデュ・ドゥ・フォマージュ》をご用意いたしました。
最後にかっこよく決まりだね、と思ったら、
「わたしも、うちでやります〜〜」
とか言われたりして、今どきの若い子は、みんな、いろいろ知っているのだなあ、と思った。
チーズにも詳しいし、ワインもじゃんじゃん飲んでるし、レアのお肉でも、カモの砂肝だって平気だし。。。世代が違いますね。「お米が恋しい」とか言わないし、スーツケースに《永谷園》も連れて来てないし。本当に食事がらくちんだった。こんな気軽な人たちだったら、いつでもお越し頂きたい。
 出すものなんでも試食してくれて、感動してくれて、嫌いなものは嫌いと言ってくれて、朝寝坊せずになんにでも好奇心を持って、歩くことにも文句を言わず。。。とってもよいお客様がただった。

また来てね〜。

ようこそ。その2

夏休みが終わってから、ついにカメラを買った。やっと出番が来た。
上から
1)トゥールーズ・ロートレック美術館の裏庭。イギリス風庭園
2)教会の回廊
3)カーモー駅(トゥールーズからロデツ行きに乗って一時間。アルビからはひと駅先)


ようこそ〜。その1


 サント・セシル大聖堂(アルビ)

 日本から3人の若いお客様。みなさん女性なので、「雑魚寝でいいよね」というわけで、わたしの寝室にソファーベッドを入れて、3人で一部屋に寝ていただくことに。JPに「サーディンの缶詰みたい」と言われたが、気にしない、気にしない。
 お土産は、キティーちゃんグッズでしょ。ふりかけ一式でしょ。串木野のさつま揚げでしょ。そして、角餅バリバリせんべいまで!
「泊めてやるから、土産をよろしく」と言っておいてよかったのである。しかも、お嬢様がたのボスからは「うちの娘たちをよろしく」と、お小遣いまで預かって来てくださってた。友だちを泊めるという感覚だったので、思わぬ報酬に胸がときめく。報酬に見合うようなおもてなしができるのか!?。。。いきなり緊張。。。(じつは軽く考えすぎていた)

 トゥールーズ空港からカーモーに向かう自動車。夕暮れ時で、もう暑くなかったので、クーラーはないけど涼しくてよかった。ひまわり畑ももうすっかり闇に包まれてしまった。残念。でももう枯れてるし。
ライトアップされたアルビ市内も一周して、夜の10時頃我が家に到着。

《ニース風サラダ》をご用意いたしました。
「きゃあ〜、すてき〜!!」
あらあら、こんなもんで感動してもらえたら、楽なもんです。これからの数日間がお楽しみ。

 彼女たちは遊びに来たのではない。
チョコレート屋さんのミーさん(去年の9月と今年の2月の日記を参照のこと)の所で、まじめな取材やら会議やらが待っている。親善大使なのである今晩は、お疲れのところ申しわけないが、夜のミーティングと明日の打ち合わせをしなければならない。
 オレンジのお花のエキスを垂らした、ベルベンヌ・ハーブティーを煎れた会議が終わるころは爆睡間違いなし。

 遊びに来たんじゃない人は、ちゃんと早起き。やはり爆睡だったらしい。フレンチな朝ご飯をご用意いたしました。
「きゃ〜、かっこいい〜!!」
あらあら、ゆうべ残ったパンのトーストと、コーヒーとオレンジジュースだけでこの騒ぎ。わたしだったら「フランスのお母さんは早起きして、みそ汁やお弁当を作らなくていいから、ラッキーですね」と言ってしまうだろう。

 さすが、日本の若い女性は、仕事となると服装も化粧も全然気合いの入れ方が違う。
ゆうべあんなに遅くて、今朝はこんなに早かったのに、バリバリに気合いの入ったお化粧をしている。日頃から、お手入れに対する姿勢も違うのだろう。わたしも一張羅を出してみた。が、夏休みに焼けすぎて、素肌も美人な若い人たちに並ぶと、わたしなんぞは「インドネシア辺りの朝市のおばさん」って感じだ。お願いだから、写真を撮らないでえ〜。(といくら言っても、なんでも写真に撮ってるし。。。)
 さて、ミーさんのアトリエへ。

 ミーさんったら「ええ?10時じゃなかったのお〜」と焦っていた。約束通り9時に行ったのに〜。
ラボは夏休みの間に改装されて、ピカピカになっていた。
この日、「ちらっと会議」だと思っていたら、9時からお昼を挟んで夕方の5じまで、みっちりお仕事だった。女の子たちは、くまなくメモを取り、写真を撮りまくり、ミーさんにたくさん質問し、チョコレートやケーキを山のように味見して、ミーさんご夫妻や、お店の人たち、そしてアルビの町に、すっかり惚れ込んでしまったようすだった。
店に入るときと出たときでは、目の輝きが違っていた。
アルビ観光をさせる時間がなかった。

 夜は《キッシュロレーヌ》をご用意いたしました。
「キャ〜うっそお〜?本場のキッシュ〜〜?」
いや。。。まあ、そうですけどお〜。。。そんなに期待されると。。。緊張しますです。
キッシュだけじゃ恥ずかしくなったので、サラダもご用意いたしますです(昨日と同じ野菜でごめんね)

 金曜日は、JPが農場に野菜を取りに行く日なので、3人のうち2人は、JPといっしょにリシャーの農場に出掛けて行った。1人は家に残って家事のお手伝いと、うちの子たちのゲームのお相手を。21歳でバリバリ働く一人暮らしのお嬢さんが、家事と子供の世話までやるなんてことは、ふだんはないでしょう。フランスで花嫁修業までさせてしまった。ごめんね。

                    つづく

2008/09/04

新学期 2

 昨日から中学もはじまった。
ノエミは「ゾエは喜んでるけど、わたしは学校に行きたくない。中学生のかばんは重い」と、ばあちゃん宛のメールに書いていた。
 朝は空っぽのかばんで出掛けたが、教科書が配布されて、かばんはパンパン、破裂寸前の13キロで帰って来た。
教科書は「貸し出し」制。年度の始めに配布され、おのおのでカバーをつけて使用し、2009年の6月に学校に返す。教科書によっては1997年度から使われているものもあったが、書き込みなどは一切ない。

 わたしは、本を読む時に、線を引いたり、折り曲げたり、途中で休む時には読んでいたページを開いたまま裏返しにする。何冊もの本を同時に読むので、家中の至るところに、裏返しになった本が転がっている。
 この前フランス人の友だちに頼まれて、本を貸してあげるよと言ったら、横からJPが、「みのりの本は、びっくりするくらい汚いよ。書き込みがいっぱいあるから読みにくいよ」と友達に言っていた。そんなところを見られていたとは思わなかったし、書き込むのが悪いことだとは思ってもいなかったので、ショックだった。
 JPは、本には絶対に書き込みをしないし、とても大切に扱うが、中学生のレンタル教科書を見ていて、こういうところで仕込まれたのかな〜、と思った。
 
 ノエミは、大親友のエステルとは同じクラスになれなかった。小学校からずっと同じクラスだったので、とても残念がっている。研究発表も、宿題も、連絡事項の忘れも、よく助け合っていた。
 エステルのお母さんは獣医さんで、わたしなどよりもはるかに物知り。子どもたちの研究発表に、わたしの分までアドバイスをしてくれるし、彼女との会話は難しい言葉に溢れていて、実に知的で、ノエミがエステルのうちに遊びに行くと、夕方うちに戻って来たとき、娘の頭が良くなってるような気がして、わたしはノエミがエステルと仲良くできるのを、とてもうれしく思っていた。
 同じクラスじゃなくて、わたしもちょっとがっかり。
 一夜明けて、学校前で交わしたママさん仲間からの情報によると、同級生で「仲良しの子と同じクラスになった」と喜んでいるこどもは誰もいなかった。先生たちが故意にバラバラにしたのだ、とのうわさだった。

 ノエミのクラス担任は、ゾエの仲良しの子のお父さんで、名字が ムッシュ・ロワ(ROI/王様)という、英語の先生だった。ムッシュ・ロワは、当然のごとく《ミスター・キング》と呼ばれている。耳にピアスをしていて、(耳以外の場所にもしてるかも、しれない)頭はツルツルだけど身なりは高校生みたいで、陽気でおしゃべりかなり演技派で、気安くできる雰囲気があって、明るくおもしろい人なので、子どもたちに人気がある。が、ママさんグループからは、ノリが軽すぎ、いい加減で休みが多いというウワサもある。
 ゾエの入学のとき、小学校の校庭で、わたしにわざわざ挨拶に訪れたミスター・キングは、ノエミの受け持ちになってとっても嬉しいと言っていた。

 ゾエは、新しい先生大好き。学校は広くて走るところがいっぱいあって大好き。友達いっぱいいて大好き。ポエムを習った、暗唱できるよ。先生が本を読んでくれた、とても面白い本だった。名前を書かされたけど、ちゃんと書けてほめられた。忘れ物をしてほかの子は泣いたけど、自分は泣かなかった。(今日じゃなくても良かったので)などなど、実にポジティブな新学期第一日目だったようだ。

 本日、日本から三人のお客様あり。若い女性三人なので、日曜日までとってもにぎやかになりそう。
こども達はお昼は学校の食堂で食べてもらい、ゾエは夕方授業が終わってからJPが迎えに行くまで学童に行かせる。ノエミは去年から家のカギを持っていて、自分で勝手に出入りしている。
 さて、掃除と片付けは終わった。これから、夕食の支度をして、午後空港までお出迎え。
 

2008/09/02

新学期


 
フランス人のこどもは「ピース」はしない。


 今日から新学期。
ゾエは今日から小学1年生になった。
入学式もないので、あまり感動がない。
親でも一張羅を着ていたのはわたしぐらいだった。
仕事を休んでこどもを送って来た親も多かった。はじめてのこどもが1年生に上がったという若い親たちは、かなり緊張しているようだった。
わたしはけっこう余裕〜♪
 制服も、お揃いのかばんもないので、かなり自由。夏のバーゲンで、秋の終わりまで着られる服を一通り買いそろえた。バーゲンでは来年の夏物を揃える人が多いが、子どもたちの体型がどうなるかわからないし、年によってこどもによって必要なものも異なるので、わたしはバーゲンでもそうじゃなくても、必要な時に必要なものしか買わない。靴も買えばよかったかな、と今朝になってから思った。夏の間、ずいぶん大きくなってしまったのだ。

 中学も小学も、6月の学年末に「学用品リスト」をもらう。今年の小学1年生のリストは以下の通り。
− 色鉛筆12色
− フェルトペン12色
− ノート一冊(連絡用)
− ティッシュペーパー1箱
− のり
− はさみ
− 鉛筆
− 定規
− バインダー

教科書はない場合が多く、教科書のコピーや練習問題を直接ノートに貼ったり、バインダーに挟んでいく。

ゾエは夏休み中に、JPの両親の家に行っていたので、リュックサックを買ってもらった。ここ数年の流行は、タイヤ付きのかばん。旅行かばんのように引っぱって歩く。流行に流されて、義母が一度買ってしまったが、歩道や階段など、ずいぶん不便なので、ゾエにはリュックを買ってあげた。クラスの半分ぐらいのこどもがタイヤ付きのバッグだった。「運転」に慣れておらず、ぶつかったり、立ち往生したりしているこどもが多かった。

 9月1日の朝は毎年肌寒い(15度前後)ので、夏休み中に、レインコートと軽い秋用のコートと、トレーナーとカーディガンも買った。お昼ごはんに帰って来た時に、30度近くあがっていたので、午後は夏服に着替えて出て行った。お昼に帰るこどもはいいが、食堂で食べるこどもは、午前と午後の気温がこんなに違うと大変だ。

 入学式もないし、教室を覗きに行くことも許されないので、クラス分けの名前を呼び出されたあと、校庭でお別れとなった。先生と話をする暇もなかったが、近いうちに会議があるとのこと。

 ノエミが小学校に入った年は、夏休みの間にゾエが生まれたので、ノエミは夏休みにずっと祖父母の家に行っていて、学用品も新しい服もすべて、義母が買いそろえた。
 去年の新学期は、ノエミが中学に上がったのに、わたしは仕事のために日本に行っていて、この大事な日を、こどもたちと一緒に過ごせなかった。JPは休みをとっていたけれども、ずいぶんパニック状態だったようだ。前日や当日に、揃っていないものや不都合なものが、出て来ることがある。

 中学の新学期は明日から。わたしも中学で日本語クラスをもつ予定なので、学校に出て行ってみるつもり。夏休み中には何も連絡が来なかったので、もしかしたら日本語クラブの話はなくなっているかもしれない。

 ゾエは校舎を替わっただけで、同じところにあるジャン・ジョレス小学校だ。家から歩いて3分。同じクラスに、仲良しのマリーン、マリー、ジュスティン、ポール、アントワヌ、マテオ、イネス、イッサム、ソレーヌ、マチルド。。。みんないる。

 お昼に帰って来た時には、「小学校なんて、全然難しくない」と言っていた。一日目だからね〜。