2008/02/23

わたくしの居場所

 世界の果て指宿まで行って、ゆうべ遅くに日本と同じ満月を見ながら、カーモーまでたどり着きました。
デパートまで会いに来てくださった方がた、名古屋・大阪・京都・東京・横浜の仕事場で、そして、東京・福岡・鹿児島・指宿・名古屋で再会したみなさん、初めて会ったのによくしてくださったみなさん、あいも変わらずな同級生のみんな、親族のみなさん、よくしてくださって、ほんとうにほんとうにありがとう。

 お仕事は順調。ミーさんや仕事関連の方々との息もばっちり(だと思う)。出逢う方々はみなさん親切で、おいしい物をたくさん食べさせていただきました。またいっしょにお仕事できたら、幸せです。

 わたしは最終日の彦根で風邪をこじらせてしまい、這うようにして戻ってきました。ちょいと休養も必要ですが、明日からは友だちのお嬢さんが泊まりに来るので、今日は一日中お掃除をします。そして、明日からしばらくはフランス国内観光ガイドです。

 子どもたちは、学校が冬休みなので、ナルボンヌの実家に行っており、先ほど元気な声で電話がありました。お土産を楽しみにしているので、早く迎えに行きたいところです。
 
 JPは、家のことをちゃんとやっており、ホコリ以外は変わったところなく。ただし、先週の週末に、実家から移動してきた古い家の家具一式が至る所に散乱しており、今日中にどうにかしなければ、友だちを泊めるどころじゃあありません。困ったなあ。

 重いスーツケースと空港で増えた包みにはあんなに苦労したのに、自分で買ったお土産のほとんどは空港便の小包で送ったため、手ぶらで帰ってしまったようなものです。JPにはちょっと申し訳ない。仕方ないから本日は、空港で友だちにもらった、煮込みうどんを食べさせよう。ゆうべは空港帰りに、JPと二人で、とっても素敵なレストランに行ってきました。(冷蔵庫は空っぽなので)

 東京で仕事が終わってから、ずっとずっと気になっていたタクちゃんのお父さんの身体の具合は、うちの父の仏壇や至る所の仏壇でよろしく頼むよとお願いし、最終日に「大丈夫そう」と聞けたので安心して戻れました。母も親戚も、みんな歳とっちゃって、親から遠く離れていると心配ですねえ。

 名古屋駅の最後の階段で、重いスーツケースを降ろすのに苦労していたら、同じように苦労している白人女性に英語で声を掛けられました。「英語わからないんだけど、フランス語じゃダメ?」とフランス語で言ったら、フランス語もわかるカナダ人でした。彼女は子どもの本の作家で、カンボジアでの公演に向かう途中。中部国際空港に行くというので、駅では力を合わせて切符を買い、協力して荷物をホームまで引っ張り、ホームでお互いの身の上話をし、似たような境遇であることを知り、共通の友人(ケベック人作家)がいることがわかり、父親が2004年の4月にガンで他界しているという共通項もあり、電車の中で、お互いに、これまで語れなかった、お互いの父親の死について、人目もはばからず涙を流して語り合いました。こういうのを、運命の出逢いというのだと思います。(わたしはよく運命の出逢いをするんだけど。大げさなだけ?)

 飛行機の中で、友人《そわか》に教えてもらった《絲山秋子》さんの『袋小路の男』と五日市さんの『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を最後まで読み、余韻に揺れながらトゥールーズまであっという間でした。絲山秋子さんの本にハマりそうです。映画も二本観ました。


 わたしはまたしても、よい出逢いをいっぱいして、とってもためになる人生勉強や社会勉強をし、おいしい物を一杯食べて、毎日幸せな気分になり、家に帰りたいと思う気持ちと、日本にまだ居たいなあという気持ちに気づき、それはまた、あっちとこっちに居るみんなが大好きだという気持ちに気づいたことであり、いろんなことに気づくというのは、頭を働かせて、少しは成長したということであるような気がし、そして、帰って来てよかったと思える幸せと、家を空けても大丈夫だったという信頼感への確信と自信とを身につけ、とっても清々しい気持ちで、時差ボケもなく目覚めました。

 家を片付け、買い物をし、料理をして、家族と食べ、本を読み、ものを書き、たまに仕事らしきことをやり、人に会い、こどもたちを急かし、JPに迷惑をかけ、ボボとちょっと春めいたカーモーの田舎を散歩をする日々が、また始まろうとしています。

 日本でめまぐるしく過ごした日々の報告は、少しずつ書いていくとします。

ではでは、また会う日まで。
みなさんお世話になりました。

              みのり