2006/03/30

ノエミ 入院

 朝から学校に行きたくなさそうにぐずっていた。それもそのはず、火曜日はストで、水曜日は通常どおり学校はお休み、木曜日はそりゃあさぼりたくもなりましょうぞ。気持ちはわかるが、私は忙しい。さっさと学校に送りつけてしまいたい。

 ノエミは学校のトイレに入るのが嫌いなので、家で済ませてから出掛けたいほう。でも、今朝はなかなか出ないと言ってうろうろしている。学校に着いてから行きたくなったら困るのだ。

 「時間がないでしょ、急いで急いで」いつもの調子で走らせた。今度はお腹痛いと言っているが、もう学校の前だから仕方ない。行かせた。
さあ、仕事、仕事。

 お昼迎えに行くと、不愉快そうな顔をしている。「盲腸かもしれない」と言っているが、先日友達が盲腸をしてからというもの、ノエミは『盲腸』に憧れていて、盲腸の本ばかり読んでいる。そして「私も盲腸かもしれない」とはこれまでに何度も何度も聞いたセリフだ。どこが痛いのというと、肋骨辺りを指したので無視した。

 午後の学校の時間が来たので、ぐずぐずしている娘を校門まで連れて行くと、はらはらと涙をこぼし始めた。困る。私は仕事もあるし。「こういう時に限ってのわがままは許せない!」と言って怒鳴り散らした。そんなに行きたくないなら、かばんをとって来い、というのだが、一人では行きたがらない。「だって仮病なんでしょ?だから先生に言えないんでしょ」といって、むりやり行かせた。私はもう完全に腹を立てていた。ノエミがかばんを取りに行って、先生とやり取りをして、戻って来ると校門が閉まっていたので、また先生にカギをもらいに行って、カギを開けてもらって、出て来るまで私はずっと校門の前で腕組みをし、イライラしながら待った。もう泣きたくなるぐらい腹が立っていた。この忙しい時に!!

 夕方JPが帰って来て、「またわがままを聞くのか?」と言われながらも、結局医者に連れて行った。そうしたら、昔は外科医だったというマスリ先生が「盲腸だ!すぐ救急病院へ運ばないと危険」と青い顔をして、手術設備のある病院の友人外科医の携帯に電話した。
 もっと早く連れてくればよかったのに。もうラボが閉まっているから、検査に時間が掛かる、と言われた。

 後悔先に立たず

JPが病院に連れて行き、検査をして、入れ替わりで私が病院に行き、検査結果が11時ごろ出るまでうろうろした。本人はレンタルしたテレビを見ている。夜遅い時間だから何も面白いものはやっていなかったが、中国のおかしな映画をやっていて、笑っている。お腹痛くなさそう。

 結局、強度(?)急性の便秘で、翌朝もう一度検査するというので一晩入院して、翌日は家に戻った。病院に入った時点で、痛みは盲腸のそれとは全然違ったようなので、本人は入院してテレビを見て、退屈しただけだった。盲腸になるのも面白くないということがわかったらしくて、あれ以来盲腸かも、という冗談は言わなくなった。

 そしてあれ以来、食べる物にはこれまで以上に注意している。バランスが悪いから便秘になると言われて、心外だったが、考えてみると3月は私があまりにも忙しすぎて、手間がかからず子どもたちの好きなものに集中していた。偏ってしまっていたのだろうか。野菜スープを毎日食べて、デザートは毎日毎回果物なのに。母の罪悪感。自信喪失。

 家族全員が健康のありがたみを知った。そして、あれ以来子どもたちが、私の出すものに文句を言わずに、無理をしてでも食べる努力を見せるようになった。

 「たまには痛い目にも遭わないと」と言える範囲でよかった。

2006/03/29

サーカス

 3月の最後の週
 3月はあちこちで春を呼ぶカーニバルが開かれている。
先日はアルビのカーニバルにも行った。移動遊園地が来ていて、子どもたちはジェットコースターも体験した。

 余談だがフランスでは『ジェットコースター』のことを『モンタ−ニュ・リュッス』と言う。モンターニュ』というのは『山』のことで、『リュッス』は『ロシア』のこと。『ジェットコースター』は『ロシアの山』というフランス語で、いつも不思議に思う。

 3月25日土曜日には、幼稚園でカーニバルが開かれた。子どもたちが変装をして、歌ったり踊ったりした。紙吹雪を投げあって、おやつが食べ放題だった。実に楽しいお祭りだった。

 3月の最後の一週間、学校の門のすぐ脇に、キャラバン隊が横づけした。サーカスの『ピコチーユ』一座だ。ピコチーユ一座のリーダーは『ゼ』という名前のお父さんで、この人はNHKの『できるかな?』の『のっぽさん』に似た面白い帽子を被っているピエロだ。
 踊りは10歳の『ユミ』、チェロは13歳の『ノエ』、空中ブランコはお姉ちゃんの『チェッツェ』、ヴァイオリンと歌はいちばん上のお姉ちゃんで『シュシュ』、ギターは『チェッツェ』の恋人の『ヨコ』でピエロも演じる。手回しのオルガンは『シュシュ』の恋人のX(名前を忘れた)、そしてお話上手なお母さんのYさん。

 家族揃ってテントのないサーカスを運営している。各地の幼稚園などの要望をうけて巡回する。一週間のプログラムで、歌や踊り、ゲーム、ピエロの曲芸、ピエロのお化粧などを教えるのだ。面白い楽器をたくさん持っているので、幼稚園では楽器についても勉強できたし、キャラバン隊の生活を覗かせてもらえた。私も『引率』と称して、積極的に催しに参加して、キャラバン隊にキャンピングカーにも乗せてもらった。
 ピコチーユ一座は幼稚園とキャンプを行ったり来たりして、毎日私たちと顔を合わせた。私も『シュシュ』に声を掛けられた。ゾエがヴァイオリンやチェロのことをよく知っているので、びっくりして訊ねたら、お姉ちゃんとお母さんが楽器を持っていると話したそうだ。『シュシュ』がヴァイオリンを習った先生は、またもやノエミの先生だった。お母さんが「あの先生はこの地方でいちばん面白い先生よ」と話していた。

 4月31日、いよいよサーカスの本番。昼間は子どもたちが招待されて、小さな音楽会に参加し、一緒に歌ったり踊ったりした。夜は有料で、大人もたくさん集まった。ピコチーユさんたちはみんなお化粧を施して、おもしろおかしい衣装を身に着けていた。音楽のほかにいよいよ空中ブランコも見ることができた。『シュシュ』は真っ赤なドレスに大きなリボンをつけて、へんなお化粧をしていた。甲高い声で、とんちんかんなことを言って、みんなを笑わせながら、時々ヴァイオリンを弾いた。最後には、今までの甲高い声から一転して、素晴らしいアルトでエディット・ピアフをお腹の底から歌った。大人たちの大喝采が巻き起こった。

 とても楽しい一週間だった。ピコチーユ一座はまた別な町に行ってしまったが、かわりに春を置いて行ってくれた。
 

2006/03/16

お友達

 子どもたちを学校に送ってから、靴を脱がないで今度はボボを公園に連れて行くのが、私の朝の定番だ。でもその時間帯は、まだ校門前でママ連がおしゃべりをしていることも多いので、ボボと一緒にママ連の前を通り過ぎるのは、ちょっと恥ずかしい。

 ボボは、一刻も早く用を足したい。でも、アスファルトが嫌いなので、家から公園までの200メートルを、まっしぐらに走る。そして私はよく「犬に散歩してもらっているの?」と冷やかされるほど、ボボに勢いよく引っぱられて、ぜーぜー喉を鳴らしながら走らされる。

 公園の入り口で「も」さんに会った。「今朝は仕事が11時からだから余裕なの。一緒に散歩してもいいかな?」と言ってついて来た。
 私はあの苦しい納品あとの、久々のさわやかな朝で、ちょっと遠くまで歩こうかしらと思っていた時だった。暖かく日差しが気持ちいいから、公園を一緒に歩きましょうよっと言われた。

 「も」さんとは、誘いあって図書館の読み聴かせに参加したことがあるし、朝市で一緒になって買い物かごを車に積んでもらったこともある。ゾエのクラスメート、アントワンくんのお母さん。見かけはカンボジア人(ほとんど中国人の顔)で、身長は155センチだから私よりも大きいながらも、私と目線がほぼ同じ、というこの辺ではかなり珍しい存在だ。

 公園を一周して、コーヒーを飲みに来ないかと誘ってみた。そうしたら喜んで遊びに来た。そのあと「も」さんの家にも来て欲しいというので、コーヒーを飲んだら今度は「も」さんの家に行った。わりと近くなので、歩いて行けないこともなさそうだ。「も」さんは車で子供の送り迎えをしているので、道路ではあまりすれ違うことがなかったのだ。

 「も」さんは、室内装飾や絵画、日曜大工や台所まわりの仕事(ジャムを作ったり、その他の保存食を作ること)が大好きだというだけあって、彼女の家は手作りのアイデア作品で溢れていた。彼女が自分で描いた絵や、彫刻などもいっぱいあって、どれも素晴らしく、その才能にほれぼれ、たちまち一目置く存在となった。今は臨時の仕事で、お年寄りの世話をしている。口は悪いけどきっと優しい人に違いない。

 この日以来、彼女とはしょっちゅう会っている。子供を預かりあったりもする。近いうちに秘密のレシピを交換しあうことや、一緒に日曜大工をすることも計画している。

 アントワンくんは今やゾエのダーリンとなり、とっても大事な親友となった。いつも他人とは居心地悪そうなJPも、「も」さんの口の悪さや、態度の大きさや、冗談のタイミングは、けっこう気に入ったようだ。「も」さんのご主人もJPに負けず劣らず控えめで、かなり無口な方だ。JPとは体つきも目つきも違う。頭は丸刈り。背が低くて、横にどーんと広い。でも太っているのではなくて筋肉もりもり。巨大スーパーの入り口に居そうなガードマン風の目つき。実は彼も元軍人、JPとは違う硬派な陸軍。今はトラック野郎。ディズニーランドや、幼児向けのコンサートなどに行くと、必ず数名のガードマンに取り囲まれて、身分証明を求められ、時には身体検査までされてしまう。見かけはそんなだが、「飛行機が恐い」と言いながら、汗をかいている辺りが、やけにかわいい。奥さんの「も」さんに「うちの人悪役みたいな顔してるし」と平気で言われて赤くなっている。JPとは軍人時代の話で盛り上がっていた。(二人ともアフリカ勤務経験あり)

 家族ぐるみでおつきあいできそうな友達ができたかもしれない。

新しいメル友 岩本綾さん

 指宿の従兄の一人から、久しぶりにメールが来た。

『先日鹿児島のNHKで、ニュースを見ていたら、霧島の岩元綾さんと、いう人が、「フランス語の童話を日本語に翻訳して、紹介したい。」と言っていたので、みのりに連絡します。』

 霧島屋久国立公園は鹿児島県と宮崎県にまたがっている。有名な高千穂峰(タカチホノミネ)や韓国岳(カラクニダケ)そして温泉の出るえびの高原のある霧島連山だ。綾さんはその鹿児島県でもいちばん寒い辺りに住んでいるらしい。

 翻訳仲間は沢山いるが、鹿児島出身の翻訳家にはまだ出逢ったことがなく、しかも、鹿児島県に住んでいるフランス語の翻訳者は、世界で私一人だけ!?と思っていたところだったので(冗談ですって)その人にとても興味を持った。

 彼女はすでに英語の本を訳されていて、ご両親と一緒に、たくさんの日本語の本を出版されている、出版界では大先輩であった。しかも、テレビ出演や、海外での講演会でスピーチなどもされている。なんだかとってもすごい人だったのだ。
私よりもずうっと若いのに。

 彼女のホームページをご紹介する
http://www.mct.ne.jp/users/ayaiwamo7/jpindex.htm
メールを書いたらすぐに返事をいただけた。
ゆっくり時間を掛けて、言葉を選んで書いてくださっている。

 彼女の元気なスピーチは世界中を駆け回っている。
彼女と同じ病気の人たちや、彼らを支える家族の、大きな夢と憧れに繋がっている。勇気を与えている。彼女と知り合ってはじめて『ダウン症』という病気の名前をかみしめた。『どんな病気なんだろう』と考えた。その病名にどんな意味があるのか知らなかった。
 ただ、知ったからといって、メールを交換するおつきあいに、何の不自由も、ほかの人との違いも、不便も、感じていない。書いたメールには真摯な態度で書かれた返事をくださる。
私の長ったらしいくだらないメールには、返事をくれない人の方が多いというのに。
 とてもいいメル友ができたと喜んでいる。

 何ごとも、まず知ろうとすることから、始まるのではないか。
輝くすてきなメル友ができた。うれしい

2006/03/15

忙しかった

 2月の終わりに、「ち」さんから一緒に仕事をしないかと誘われた。彼女はまだおっぱいをあげているような子供が居るのだが、《そろそろ何かしたい病》にかかっているらしい。
わかる、わかる。
 彼女も私と同じで、子供が生まれるまで結構バリバリやっていた人だから、家事や育児だけでこもっている生活に、不満足ではないまでも、ふと《何かしたい病》の発作に見回れるのだ。

 《何かしたい病》にはいろいろあるが、私たちの症状は。自分の力を試したい。能力を磨きたい。人に認められたい。何か誰か(家族以外の誰か)の役に立ちたい。誉められたい(イコール報酬あり)そんなところ。

 街に繰り出してショッピングで気晴らしする、お友達とお茶を飲みながらおしゃべりする、テレビの前に座って好きなビデオを見続ける、それでは気休め育児休暇にはなっても、自分個人のじっとしていられない性格が許さない。

 彼女が分担させてくれた仕事は、200ページの政令の誤訳探しと、文章をチェックする校正のような作業。すでに出来ている訳の1ページを修正するのに15分ぐらい掛けるとして、分担してチェックしたあと、それを交換しお互いの受け持ち部分をチェックし直すには、10日で充分だろうということだったので、私にもできるかもと思った。もらった訳文は難しくてよくわからない文章だったが、もっともらしく書かれている。政令など読んだこともないので、文体に慣れるのに時間が掛かりそうだ。

 15日の記録に「仕事が終わった」とある。13.14日はほとんど徹夜した。でもその数日後に、一度出した仕事を訂正することになって、結局三月いっぱいやった。15日に納品した時に、じつは不安がいっぱいあった。日本のクライアントから「何か修正したい所があったら言って」と言われて「それじゃあいちからやり直したい」と申し出ることになった。
 私たちの仕事はすでに訳された日本文を修正するだけだったはずなのに、いちいちフランス語と読み比べると、もとの訳文に誤訳がいっぱい見つかった。すべてのページをいちから訳し直した方が安全だということに気づいた。そして分担作業の危険(文体を揃えるなど)も出て来たので、後半私は「ち」さんから指示される調べものを中心に、全体は「ち」さんが訳しなおした。もとの文とははるかに異なる、大変読みやすくわかりやすい政令に生まれ変わった。
 最初に読んだ訳は政令だから難しかったのではなく、訳した人が理解していなかったせいで、正確に訳出できていなかった部分がとても多かったために読みにくかったのだ。

 子どもたちが学校に行く9時から、お昼ご飯に戻って来る11時半まで。子どもたちが出て行く1時半から帰って来る4時半まで。そのあとも夕食準備の6時まで。夜の部は9時か10時に始めて、夜中の2時から4時ごろまでやった。「ち」さんは赤ちゃんが夜泣きをしたり、もう一人の子供はうちよりも小さいのに、毎朝5時ごろまで仕事していた。

 結局、一ヶ月丸ごとつきっきりで、毎日ふらふらしていた。私は大したことができなかったので、「ち」さんはもっと大変だっただろう。彼女とこの仕事の件で交換したメールの数は870通にも上っている。
 夜中の仕事中、送ったメールにすぐに返事が来なければ「眠ってるの?」などというメッセージを送って起こしたこともある。「今イスから落ちそうになった」と書いたことも何度もあった。単発のおしゃべりメールを飛ばしながら、こんな夜中に働いているのは自分一人じゃないと思うと元気が出た。

 この一ヶ月の間にも、子どもたちと自分のために数週間前から予約して待っていた通院の約束や、人との約束、そしてノエミが入院するというハプニングもあった。家族はみんなイライラし始め、家は片付かず、アイロンがけを待つ洗濯ものは山積みになってしまった。しばらくこんなことはやりたくない気もするが、「ち」さんと二人、密かに「私たちもやればできるんだよね」と喜んでいる。

 もっと余裕を持って、家人に迷惑がかからないようにできたら面白い仕事だ。報酬は、15日に最初に出した仕事の時、100時間で5万円ぐらい?といっていたが、そのあと話し合っていない。結局一ヶ月で少なく見積もって250時間以上働いたとしても、10万円にも届かないだろう。200ページというページ数は、始めから終わりまで変わらない。それに費やした時間が増えたのは、翻訳者の腕の悪さと仕事のまずさということになるのだろう。

 「でも今回とっても勉強になったよね」
期待して我慢してくれた家族には申し訳ないが、この快感がわかるのは「ち」さんと私だけだ。

2006/03/09

なつかしー

 高校時代の同級生「み」ちぇんから、いきなりメールが来てびっくりしたけど、とってもうれしかった。「み」ちゃんは、なぜか私の近況をよく知っているようだ。なぜ私のサイトを知っているんだろう。いきなり来たそのメールは、内容からして「前編」があったようだ。「み」ちゃんの言っていることがよくわからなかったりする。

読んでいない。

 ふと考えたら、別な友達から来たメールの中にも「写真届いた?」とか、「その件については、すでに先日お応えいたしました」というメールが2、3通あった。
メールがどこかに消えてしまったのだろうか?

 近頃「みゆきです」などというタイトルのメールがよく入る。そういう女性の名前だけのタイトルで来るメールは、Hなデートのお誘いメッセージだったりして、きっと全世界に一斉配信されているのだろう。得体も知れない人間から、もし返事が来たら、この人どうするんだろうと心配してしまう。
 「み」ちゃんのメールもタイトルだけ見て、ゴミ箱に捨ててしまったのかもしれない。

 「み」ちゃんは使って安心長持ちで、気持ちまでよくなるお布団を売っている。眠りは生活の基本だとこの頃つくづく感じていたが、よく眠れないのは寝具のせいだったとは、あまり考えたことがなかった。

インターネットを紹介しますので、どうぞ「み」ちゃん」のところでお布団を買ってください。
http://www.rakuten.co.jp/gotofuton/

わたしは「テンピュール枕」なるものに、注目している。
JPの和室が出来上がったら、「み」ちゃんのところで布団も買ってもらおう。

2006/03/08

二大イベント

 3月8日は、カレンダーに大きな丸が二つ。
「JPの41歳のお誕生日」
「ノエミのギプスが取れる日」

 JPはお誕生日のプレゼントがもらえなくても、平気な男なので(だと思っている)、当日焦ったりしなくてもよい。仕事に持って行くリュックサックを先日買っておいたので、夜にあれを包めばよい。ついでに、ちらし寿司を作ったら、大喜びするに決まっている。昼間スーパーで、バレンタインデーの売れ残り、ハート形のケーキ型が埃を被っていたので、それを買って来た。夜はチョコレートケーキを作ろう。しかもハート形

 ノエミのギプスがどういう状況か、医者に行かねばならない。
今週は取れるはず。
夏の暑い時期に骨折をした私は、暑さとの闘いで大変な目にあったので、ノエミには「冬でよかったね」などと言っていたのだが、ところがどっこい、冬にギプスをしてもらってはならなかったのだ。
 
 セーターの脱ぎ着ができないし、既製服が合わないのに、素肌をさらすわけにもいかないし困った。風呂場では時間が掛かるが、ぐずぐずしていると風邪を引く。髪の毛も乾かしてやらないといけない。

 先生はレントゲン写真を見て、もう動き回ってもいいけれども、あと三週間は腕がまっすぐに伸びずに、痛いと感じることもあるかもしれない、とおっしゃった。
でももう治っているのだから、どんどん運動しなさいとも。
 今週から乗馬にもいこうかなーと言っているが、食事時もぐずっているような「重傷人」には無理に決まっている。食事の時間になったら痛みが走ってさっさと食べれないけれども、乗馬だったら痛みは忘れられるんでしょうけれども。

 それで「もう治っているんだから」というので健康診断書を書いて欲しいとお願いしてみた。
実は夏休みに県外で行なわれる、3週間の乗馬付きキャンプにノエミを参加するつもりでいた。三月にはすでに申し込みをすることになっていて、その時に「健康な子供だから乗馬をさせてもよい」という証明を提出しなければならないのだ。
 夏には完治しているに決まっているけれども、今の時点でスポーツはできない状況だから、健康診断書も出せないと言われた。申し込みができない。

ノエミは夏休みの乗馬キャンプがおじゃんになって、非常に気を落としている。

2006/03/05

カーニバル

 アルビで、春を呼ぶカーニバルが開かれたので、家族揃って出掛けた。
夕方はアルビに住んでいる友達に、おやつに招待されている。カーニバルのパレードをちょっと見てから遊びに行こうと思って出掛けたら、パレードを見ている時に友達にばったり会った。

 カーニバルではノエミの前の学校の先生にも出逢った。引っ越して一年だが、先生は今年も同じ学校で教えているそうだ。ノエミの前のクラスメートたちも皆元気で、たまに「ノエミはどうしているかなあ」と話しているのだそうだ。 
 そういえば先週も、昔のクラスメートからお便りが届いていたのだが、まだのえみのギプスが取れず上手に字が書けないから、まだ返事を書いていない。先生が証人となってくれたので、「手が使えるようになったら、きっと返事を書くから」と話した。(ギプスは3月8日に取れました)
 ゾエはプリンセス、ノエミはアルルカンに変装していたので、先生にかわいいと言われて、子どもたちも浮かれていた。

 アルビの町には移動遊園地が来ていて、街中にぎやかだった。ゾエはアヒル吊りや、ゴーカートをした。ノエミは大好きなゴーカードが怪我のせいでできないので、JPと一緒に「鏡の迷路」に入った。浮かれて鏡の迷路を走り回り、鏡に激突して、おでこにたんこぶを作った。
こりないやつだ。

 よく晴れた真っ青な空に、紙吹雪が美しかった。カーニバルの当日は冷え込んで、まだみんなコートを来ていたけれども、春がそこまで来ていることは、誰もが感じていたに違いない。
 風が強かったので、綿あめを買わなかった。無念。 

2006/03/04

サーカス

 3月4日、バカンス期間中最後の土曜日。

 宮崎駿監督企画、高畑功監督の「ぽんぽこ」というアニメを見に行った。
日本では「平成狸合戦」というタイトルらしい。
住宅地拡大のために林を追い出された狸たちが、人間に化けて人間の生活に溶け込もうとする、面白い映画だった。たくさん笑った。でも、やけにリアルな物語だった。
  
 フランスではジブリの映画が大人気だ。うちの子どもたちも『ちひろ』や『トトロ』が大好きでのえみは図書館で『ナウシカ』を借りて読んでいる。

 映画館を出て、町の広場まで来たら、広場に小さなテントが見えた。
「何があるんだろうねえ」と言いながら、テントのまわりを散歩していると、お隣のメリオッサンとアナエルがやって来た。メリオッサンとアナエルの両親は、カーモーで唯一の《私立劇場》を経営している。お父さんは曲芸師で、お母さんは照明係だが、それぞれよその舞台に出ていることが多く、子供はうちで預かることもしばしばだ。そこではジャズのライブや漫才などもあって、メリオッサンが遊びに来るついでに、招待券を持って来てくれる。

 そのテントでは、今晩限りのサーカスが催されることになっているらしい。子どもたちとしゃべっていたら、メリオッサンの両親がやって来て、テントの中に案内してくれた。
簡易のベンチが五・六段、真ん中に曲芸などが行なわれる小さなステージがある。
 夜のサーカスを観においで、というので、一旦帰って、食事してから出直すことになった。

 8時半からの予定だったが、あとからあとからやって来る観客の対応に追われて、始まったのは9時過ぎていた。三人組のピエロで、たくさんの小物を使っての楽しいサーカスだった。
ゾエがゲラゲラ大声で笑っていたので、人々は振り返って、ゾエの笑うのを観て笑っていた。
 
 サーカスのあとにはジャズ風な、ブルース風な、ロック風な、よくわからないバンドが来て、歌ったり踊ったりした。とても楽しい夜だった。

 親子で夜の催しに出掛けることは滅多にないので、なかなか興奮した。
冬休みもあっという間に終わってしまった。