2009/11/21

JP 退院

 土曜日を外したら、退院は月曜日になると言われていた。
できれば予定通り金曜日に帰って来て欲しかったのだが、ちょっと難しい手術で、予定よりも麻酔を多く使ったようなので、退院が一日延びた。土曜日に退院と言っても、11時以降だろうから、ああ、指圧の講習会に参加できないな〜と思った。

 指圧の講習会に、秋から申し込みをしていて、わたしは解剖学やら経路やら何やら。。。勉強に勉強を重ねて来たのだ。骨の名前と筋肉の使い方なども、ばっちり覚えたのだ。一年に三回の実習が、JPの退院の日に当たってしまったとは、残念無念。でも仕方ない。ダメな時はどんなにあがいてもダメなのだから。

 JPが病院から電話して来て、
「11時に退院できるから、午後から実習に行ったら?」
と言った。なので、わたしはすっかりその気になって、支度をして待ち構えた。午前中の実習に行けないことは電話して伝えてあった。
お昼にもう一度JPから電話がきて、
「11時に病室は出たけど、予約した救急タクシーが2時にならないと来てくれないらしい」
と言うことは、つまり、3時からの実習午後の部にも、完全に遅れるということだ。

 指圧の療院に電話して、午後の実習にも遅れるので、今回は実習を諦めた方がいいのではないか。日曜日の実習にも行かない方がいいのではないかと言ったら、先生が、
「土曜日の実習には遅れてもいいからおいで。もし土曜日の午後に来れなくても、諦めずに日曜日に出ておいで」
と言ってくださった。
それでも、二日間の実習の一日を失うのは、グループの人たちにも申し訳ないし、先生方にも申し訳ない。残念でならなかった。

 そこへ、JPがいきなり帰って来た。
救急タクシーが思ったより早く来てくれて、しかも土曜日なので道路が空いていたので、2時半には家に戻って来れたのだった。
ぎりぎりセーフで、3時からの午後の部に間に合った。
退院したばかりのJPを置いて、指圧の実習なんて。。。と人からは言われそうだが、わたしたち家族にとってはとても重要なことだったのだ。6時に終わって帰宅すると、廊下に薬屋の袋が置いてあった。JPが自分の脚で歩いて薬局まで薬を買いに行ったのだそうだ。ついでにゾエといっしょに公園を散歩して来たのだと言う。
 「気持ちよかった〜」
と、JPはすがすがしく言った。リハビリのために歩きなさいと言われたのだそうだ。それにしても退院して来たばかりの人をほっぽり出して、薬局にも行ってやらない妻なんて。。。
「パパに、いっしょにブランコに乗ろうと言ったら、乗れないと言うから、わたし一人でブランコに乗った」
とゾエが言った。わたしも公園でブランコに乗ればよかったなあと思った。近いうちに。。。。

 JPはすごく元気。

2009/11/20

爆睡

 どんな苦境でもよく食べる。ストレスが溜まると《気分転換》と言ってよくないものを食べる。なので、お腹がど〜もよくないことは、たしかに感じているのだけど、外をうろうろしていると、やはり、ちゃんとしたものが食べられない。
 どんな苦境でもよく寝る方だ。ひと晩中考え事をしていて、夢にうなされて、あるいは涙が止まらず。。。眠れなかった夜もあることはあるが、ストレスが溜まっても、けっこう寝てる方だ。睡眠時間は少ない。ほんとうは睡眠時間が人よりも必要なのだが、どちらかというと夜型で、自分以外の家人がみんな朝型なので、いつも睡眠時間が足りない。

 10月のはじめにJPが腰を痛めてから、彼は毎夜ベッドでのたうち回っていたので、自由自在に身体を動かせるようにわたしはのたうち回っているJPを放っておいて、ゾエのベッドで寝た。ゾエは、腰は痛くないけど自由自在にベッドを動き回る。たまにパンチを飛ばされたり、脚蹴りを食らったり、布団をはがされたりするので、だからわたしは、のたうち回っているみなさんのベッドを行ったり来たり。。。寝るところがなく、夜中に真っ暗闇の廊下で、「どこに寝ようかな」と考え込むような日もあった。だからずっと寝不足なのである。

 金曜日。ほんとうならば、午後マザメという町で日本語レッスンの予定だったのだが、マザメで午後1時半にレッスンを始めるには、トゥールーズの病院を11時には出なければならない。でも面会時間が11時からなので、11時以降にトゥールーズに居たい。その日の生徒は先週休んだリューシーさん一人だけの予定だったので、マザメの商工会議所に電話して、休ませてもらうことにした。リューシーさんのいつものクラスには、日本に2年間住んでいたニコラさんがいる。ニコラさんは日本語能力試験で二級も持っていて、初級のクラスで退屈している。先週リューシーさんは休んだので、わたしたちはあまり大したことができなかった。ニコラさんに連絡して、先週休んだリューシーさんに先週やったことを教えてあげてとお願いした。アシスタントがいると便利だなあ。

 カーモーを9時に出て、途中でノエミのための仮装行列に使う小物を買いに走り、高速道路を突っ走って11時5分前に病室に行くと、部屋は空っぽだった。廊下でうろうろしていたら、JPがキネといっしょにキネの部屋から出てくるところだった。筋肉増強用の道具だとか、ベーベルとか、そういう器具や道具が置いてある部屋だ。朝早くから、そこで身体の動かし方を習い、階段の上り下りをさせられ、廊下を行ったり来たりさせられ、ひと仕事して来たらしい。

 JPは痛くもかゆくもないらしいし、ちゃんと座ってご飯を食べられるし、トイレにも一人で行けるので、わたしはなんにもすることがない。だから、寝心地のよいソファーベッドで、雑誌をぺらぺらめくっているうちに、居眠りを始めたらしかった。
「ごー」と言ってる自分の寝息にはっとして目覚めた。
こんなにぐっすり寝たのはいつのこと。。。
JPも、「ゴー」といびきをかいていた。

 わたしは夕方のラッシュが始まる前にもうカーモーに帰って来た。ゾエを学校に迎えに行ったら、ゾエがとっても喜んでいた。
ノエミは金曜日の夜にお友達の家にお泊まりをして、土曜日の朝、友達と友達のお父さんと三人で、トゥールーズで開かれる《ジャパンエキスポ》の催しに行かせることになっていた。それはゲームとマンガのエクスポで、友達といっしょにコスプレをするのだという。
 「あんた、この忙しい時に。。。」
と言いつつ、そういうお出かけが必要なお年頃よと思い直し。。。コスプレの準備を手伝う。夕方2時間掛けて、プリーツスカートを縫ってあげた。だって、《日本の女学生の制服姿》に化けたいんだそうだ。
「日本の女学生はプリーツスカート履いてるもん」
と言う。すっかり忘れてたけど、このわたくしもプリーツスカートだった。フランスにはプリーツスカートのジャンバースカートなんて売ってないのだ。今朝病院に行く前に洋服屋さんを走り回ってけっきょく見つけられなかった。あるわけないので、縫ってあげた。

 ノエミはお泊まり、ゾエと二人っきりだった。寂しいなあ〜。
あした土曜日、予定通り退院できるかなあ〜。


 

2009/11/19

409



 JPが死ぬほど苦しんでる姿は滅多に見れるものじゃない。暑い、寒い、痛い、かゆいの単語は知らないんじゃないかとずっと思っていたぐらいだ。病院に入院してるんだから、「痛い」ぐらい言ってもいいと思っていたが、全然言わない。この人ほんとうに大丈夫だろうかっていってる間に、新しい旅立ちの朝が来た。

 409号室には、人が出入りする。
手術の翌日の朝一番に、キネが来た。キネというのはキネジテラプートKINESITHERAPEUTEという難しい単語で、辞書で日本語を探したがやっぱり難しい名前の職業(運動療法の施術者)だったので、キネと呼ぼう。
 キネが来て、手術前にあった右足の麻痺を確認した。麻痺はほとんどなくなっていてびっくりした。そして、いきなり立ってくださいと言った。きれいな助手がくっついて来ていたもので、
「あんた、そのパジャマでスッ転んだら、丸見えよ」
と胸の中で言いながら、JPを応援した。
キネはまず、どうやったら腰に負担をかけずに身体を動かすことができるかを説明した。そして、横向きの態勢からJPを起き上がらせてくれたのだが、ここでいきなりJPが
「頭がふらふらする」
と言った。目が回っている感じだったけど、キネは、それは当然だと言って静かにしてればよくなるからと、そのまま静かに待ってくれた。
 そのあとJPは、立ち上がり、部屋の中を歩かされた。シャワーを浴びてもいいと言われて、いきなりシャワー室に連れて行かれた。椅子のついているシャワーなので、JPは身体を拭いた。

 お昼にはちゃんと病院の食堂から普通の食事が来て、JPは起き上がってベッドの上でご飯を食べた。わたしは病院の隣にあるスーパーで、ありとあらゆる贅沢インスタント食品を買い集めてきていた。反インスタント食品派のJPにじろじろ見られながら元気に食べた。こんなことでもない限り、インスタント食品をJPの目の前で食べることなどできないので、見せびらかして食べる。わたしはいつでも食欲だけはあるのだ。病人を前にしても、ちゃんと遠慮できないのだ。そしていつも
「気持ちよいほど食欲旺盛だねえ〜」
と言われるのだ。そうですよ。ご飯がおいしいのは健康の証。
早くお家に帰って、おいしいものをがんがん食べよう!

 JPの両親が来た。会話ネタが乏しいので、早く帰ってくれるかと思っていたら、なかなか帰らないので、わたしも帰れない。そうこうしているうちに、手術をしてくれた先生が来たので、いろいろとお話を聞いて、安心して両親は帰った。
看護士さんたちが入れ替わり立ち替わり、痛み止めの点滴を取り替えにくる。傷の点検と血圧の検査にも来る。小さなパソコンを抱えた人が、明日のメニューを伝えにくる。デザートを二つの中から一つ選ばなければならず、JPは、「どうしてもその二つしか選べないんですか」などと言って、パソコンを抱えた女性を困らせる。
 JPもゆっくり寝た方がいいので、わたしもカーモーに帰ることにした。

 ノエミは学校から帰って来て、宿題もヴァイオリンの練習もちゃんとして待っていた。ゾエは友達のお母さんが学校まで迎えに行ってくれていたので、友達の家に迎えに行った。夕食の時間にずいぶん遅れてしまったので、ピザを買いに行くつもりだったのだけど、友達のお母さんがホットサンドイッチをくれた。サンドイッチでは足りなかったけど、ピザを買いに行く気がなくなったので、足りない分はカップラーメンでごまかした。

 サンドイッチとラーメンなんて。。。寂しいなあ〜。

2009/11/18

クリニック

 オピタル (HOPITAL) ではなくて、クリニックだというので、どんなちっぽけなところかと思っていたけど、リュニオンのクリニックは巨大だった。とっても広い駐車場では、駐車スペースを探して朝から晩までたくさんの自動車が回り続ける。バスもタクシーも、救急車も、パトカーも来る。
 特別な手術をする病院らしいので、見たこともない不思議な器具をつけた《すごい患者さん》がいっぱいいる。玄関には、手が使えなくても車いすでも便利な、自動の回転扉があって、一日中ぐるぐる回り続ける。回転扉の真正面にキヨスクがあって、お見舞いを買い忘れた人や、クロスワードパズルを選ぶ患者さんが、うろうろしている。専門医を探す人、入院場所を探す人が、案内パネルの前でじっとしている。受付には行列ができていて、不安な人が怒鳴ったりしている。

 JPの部屋は4階の北側の一番奥にあり、一日中太陽が射さない。風景っていえば巨大駐車場と、コの字型になってる病棟の向かいの部屋で苦しんでいる人たちの姿。北側の窓は床から天井までガラス張りなので、あっちからもこっちが丸見えなんだろう。左下の方に、カフェテリアの裏口があって、食べ物や飲み物を運ぶトラックや人の姿と、午前と午後に二回ずつゴミを取りにくる電気自動車が見える。
 
 真下の駐車場のちょっとしたスペースに、芝生が植えてある。JPが4時に運ばれて行った。静かな病室を借り切って、一人で解剖学の教科書で上皮細胞について勉強をしていた時に、いきなりものすごい音が始まった。この音は草刈り機だ。
 見ると、トラクターぐらいの大きな草刈り機だった。黄色い車体にkubotaって書いてある。日本にいた頃はクボタは田植機だけかと思っていたが、フランスではkubotaの草刈り機をよく見かける。kubotaの草刈り機を見るたびに、中学の時の同級生の《ピース・久保田》が懐かしくなる。病院の草刈りトラックを運転しているのは、チェックのシャツに、ホークスみたいな野球帽子をかぶった《ピース・久保田》みたいなお兄さん。大きなヘッドホンをして、優雅に芝生に模様を作っていた。ヘッドホンを耳につけてる姿まで、まるで《ピース・久保田》。そこでわたしは《ピース・久保田》にそっくりなムッシュ・ヘッドホンが描く地上絵に見入る。やがて、草刈り機の音が遠ざかる。

 駐車場の向こう側に、屋根の葺き替えをしている家があって、火曜日に入院した日には、屋根の一部の瓦をはがしているところだった。水曜日の午後にはガラスがはまった。テラスの天窓なのかもしれないし、あるいは今はやりの太陽熱電池のパネルなのかもしれない。に、しては、西を向いているから、パネルじゃない確率に賭ける。
 駐車場では相変わらず車が行ったり来たりしている。自動車の展示場みたい。さあ、車を買ってもらえるとしたら、どんなリクエストを出そうか。わたしは車選びを始める。

 一時間ですむと言ったのに、四時間もかかった。
暗くなってしまったので、雨戸シャッターを閉めた。翻訳の原稿を修正するのも、集中できなくなってしまった。解剖学は、細胞学を終えて骨学まで終わった。8時半が過ぎてから、担当の先生から部屋に電話があり、手術が難しかったこと、でも無事に終わったことなど教えてくれた。それで、今度こそあと一時間ぐらいで部屋に帰してくれるというので、わたしは一階に下りて、自動販売機でコーヒーやサンドイッチを買った。

 病院の簡易ベッドはずいぶん快適だった。疲れていたからぐっすり眠れると思ったのに、看護士さんたちが三時間おきに点検に来るので、寝ていられなかった。JPは、モルヒネのおかげで痛くはないらしい。11針縫ったという背中を下にして寝ている。
子ども達は友達の家に泊まったので安心だった。だいたい、子どもたちと一緒にいない時には、あまり子ども達のことを考えない。
薄情な親なのだ、わたしは。

2009/11/17

嵐の前の静けさ〜?

 JPが水曜日に手術をするので、火曜日から入院することになった。
1時間半ぐらい掛かるトゥールーズまでの道のりを、助手席に座って耐えることができないので、ベッドが装備されている救急タクシーを予約した。そういうのは車いすなどと同じで、保険が下りるのでじゃんじゃん利用しなければ。
 前の週に麻酔医師との約束があって、わたしが運転する自動車の助手席に座ってもらったが、わたしが運転するとJPはいらつく。いらついてる人間が横でイライラしていると、運転する方はドキドキして、ヘマをやるので、さらにいらつかせる。
 「そんなに我慢できないなら自分で運転したら?へへ〜。運転できないんだから、治るまで我慢してわたしの車に乗るしかないんだよ〜。へろへろべ〜」
 JPの神経を逆撫でするのは得意。
 「絶対に自分で運転したい。コイツに看病されるぐらいだったら、病気にはなるもんじゃない」
と、しみじみ思わせて差し上げなければ「いっだましいがいらん」というもの。

 13時に救急タクシーを予約しているので、12時ぴったりには食べたいらしく、11時半頃にはJPが廊下をうろうろし始める。
「早くしてくれ」とか「遅れたらどうするんだ」とか言えない人だ。
そんなことを言ったら「自分でやれ」と言われることがわかっているので、台所内のことには口を出さない主義らしい。(主義、ですって?)手を出さない人間には、口出しする資格はないのだ〜。

 12時5分。わたしがみそ汁用のネギを刻んでいると、窓の外で
   ぶん ! がっちゃん!
というものすごい音が聞こえた。二重ガラスなのに、はっきり聞こえた。最初は「あ、事故った」と思ったのだが、窓の外を見ると、ぶつけられたのは路上駐車してたうちの車らしきこと判明。あ〜、ついに、車も買い替えてもらえるか!?と一瞬にんまり。(にんまり、ですって?)

 汚れたエプロンと草履姿で、路上に飛び出る。
隣の家の人が、電話を片手に、走り去ろうとする車を指さす。
走ってるけど、停まろうかどうしようか迷っているようなスピード。追いついた。
 「あの、すみませんが(ほらまた謝る〜)、あなたがぶつかった車、わたしのなんですけど」
助手席の窓から運転手に向かって言った。すると、イブ・サン・ローランの《イブ・サン・ローラン》って文字をかたどったブローチをしている、イブ・サン・ローランの派手なオレンジ色の口紅はとうてい似合わない奥様が
 「そんなこと知ってるざます。だからこうして停止したんでザンショ」
と、聞きもしないのにムッシュの代わりにお答えくださった。お二人とも、公道をすっ飛ばすにはかなりイッテルご高齢だ。

 一応ムッシュだけ降りて来た。
が、「すみません」は言わない。当然だ。フランス人だもの。
ぶつかったのはわたしのせいだとおっしゃる。停まってる車にぶつかったら、ぶつけた方が悪いに決まってるじゃないの。しかも、路上駐車が認められている場所で、正しく停めてあった。引っ越してから6年ほど経つが、ぶつけられたのははじめて。
ーーなど言ってるところへ、JP登場。ほぼ一ヶ月世間に顔を出していなかったので、ご近所のオバサマたちが「あら、あなた居たの?」って顔で見ている。仕事に行ってるはずの12時5分に、一ヶ月分の無精髭とアフロヘアー。足を引きずって痛そうにしているJP。表情も硬く、この人こわそーってだれでも言いそう。ムッシュがわたしに向かって、がんがん言ってるものだから、JPが出て来て「すみません(謝るなって、日本人みたいに)もういちど言ってください。」って、まるで日本語初級のテキストで教えるフレーズ。
これは、JPがキレる直前の合図。

 「はいはい。おじさん、わたしは怒ってるんじゃありませんよ。書類にサインをしてもらったら保険屋に持って行って、車も修理してもらえますので、それだけやれば訴えたりしませんから。はい、我が家へお入りください」
と引っ張ったら、おじさんが
「わたしたちは昼食事に招待されていて、時間がないんだ」
と、言ってしまった。これはまずい。言ってしまったね、おじさん。
わたしが真っ青になっているところへ、アフロヘアーのJPが毛を逆立てて、おじさんに迫る。
 「わたしだって時間がないんだ。1時には救急車が来るんですよ。腰が痛くって痛くって、泣きたいんですよ。もう何週間も寝てて、やっと明日手術をするので、今日の一時に救急車が来て、運ばれるんですよ。遅刻したらどうするんですか。」
見た目いかにもそんな感じ。。。の病人タレているJPに、そんなことを嘆かれたらおじさんは黙るしかないのである。おじさんが免許証を取りに行っている間、わたしはJPに「落ち着いて、落ち着いて」と言い背中をさすってあげた。

 JPとおじさんは、わたしがみそ汁を作りながら魚を焼いている台所で、保険屋に出す書類を書いた。JPは椅子に腰掛けて座っているのが痛いらしくて、手がブルッてる。おじさんは、JPがエキサイトしてブルッてるのかと恐れているらしく、JPの手元をちらちら見ながら黙々と書類の穴を埋めている。

 入院前に。。。けっこう不吉な事故であった。
とりあえず救急タクシーがJPを病院に連れて行ってくれたので、わたしはアルビでの仕事に向かい、仕事が終わってからその足で病院に向かった。

 JPの部屋の前に来たとき、ドアの前で絶句した。。。。
部屋の番号が 409 だったもので。
 「落ち着いて。落ち着いて。ここはフランスなんだから。。。」
と自分に言い聞かせて、部屋に入ると、JPはすでに入院患者用のパジャマを着ていて、とってもかわいかった。
長く暗いトンネルの中で苦しみ続けたJPだったが、出口の明かりが見え始めたんだろう。にこやかな患者となっていた。

 背中が開いててお尻半分見えかくれ。危うくスーパー・ミニ・サイズのパジャマ。。。アフロと無精髭がなんとも不釣り合いでおかしすぎるので、写真を撮ろうと思ってカメラを構えたが、409号室で死ぬほど苦しんでる人のことを思うと、たしかにお気の毒であった。
(でも撮ったけどさ。これはブログ・ネタになると思った!へへ)

2009/11/16

JP いよいよ入院 !

 JPが今度の水曜日に椎間板ヘルニアの手術をするので、火曜日から入院することになった。
金曜日か土曜日には退院できる予定。
完全看護なので、来ても邪魔なだけと言われているが、いちおう、もとが日本人なので、入院中のダンナを放っておくわけにはいかないので、ある。なので、火曜日は日本語のプラーベートレッスンのあと、そのままトゥールーズに向かえるように、ゾエはモーガンが学校に迎えにいってくれるうえに、モーガンのうちに泊めてもらうことになった。
 ノエミは、自分で鍵を持っているし、携帯も持っているし、火曜日は宿題もいっぱいあるので、自宅に帰って来たら、一人でわたしの帰りを待つ。水曜日は、学校に送って行き、学校が終わってから友達の家に泊めてもらうことになった。
 木曜日と金曜日には、トゥールーズを往復して、夜には自宅に帰り子ども達と過ごす予定。

 友達がよくしてくれるので、大丈夫。
 JPの両親は、ぜんぜんあてにならない。
 
JPは、手術の日付が決まってから、ちょっと機嫌がよくなった。

 この数週間のあいだに、JPがあちこち調子悪いだけでなく、結婚した時に買った電化製品まで、ことごとく壊れ続けている。手術の日付が決まってからというもの、JPは、それらの電化製品を買い替えはじめた。自分ではテレビなんかほとんど見ないのに、いきなり液晶薄型画面の最新テレビまで買った。
 なんだか、死ぬ前に母に新しい洗濯機と新車を買ってあげて、「これで安心」と自己満足に浸っていた父に似ている。

 新しいテレビを買ってもらうよりも、「早く帰って来て、修理してやるから」と言ってくれる方がうれしいのに。。。と思う。でも内心、言っても言っても買い替えてもらえなかった電化製品が新しくなり、JP。。。というよりも、JPの入院に感謝する気持ち。
 この前、車の故障でプライベートレッスンをすっぽかすことになった時に、
「この車古いから。。。ダンナが頑固で。。。新しいのにかえなきゃならないんですけどねえ。」
と言っていたら、生徒のお父さんに
「車?それともダンナ?」
と返されて、二人で爆笑した。
 どっちも新しいのに変わらなくてもいい。修理して長持ちしてもらえればいい。

 

2009/11/15

カヌレ



子ども達の大好きなカヌレ。
友達がレシピをくれたので、二日がかりで作った。
おいしかった〜〜。

反省点/もうすこし焦がした方がおいしい。



 

ゾエのアルバム


難を転じるというナンテンの木(じゃないかと思う木)を発見!葉っぱが違う気もするが、「ナンテン」だと思って難を転じるお祈りをする。

この写真を載せた数日後、植木さんをやってる友達の地味〜からメールがあった。
「ブログにあった赤い実の木はナンテンではなくて『ピラカンサ』(pyracantha、仏語だったらピラカンタかな)もしくはその仲間。多分トゲがいっぱいあるでしょ。ナンテンと同じで赤い実がたわわに実ってとてもキレイだね。」

確かに、インターネットで《ナンテン》を調べたら、ぜんぜん違っていた。


          ジャン・ジョレス公園のイチョウの木




          ジャン・ジョレス小学校の、日時計。時間通り!


          ジャン・ジョレス公園の。。。庭師?

2009/11/14

JP 病欠のまま

 JPの病欠が一週間ごとに延長され続けている。
ぜんぜんよくならない。
やっと三週間前から予約していた、スキャナー検査の順番がまわってきたものの、「手術を」と言われたって、この辺りじゃ、誰もやる人のいない手術らしいので、トゥールーズまで行かされる。
 「急いで」と言われても、この地方でその手術をやれる病院が二カ所なので、なかなか予約も取れない。とりあえず、スキャナーを撮ってからさらに一週間後に、トゥールーズの腰の専門医との予約が取れたけれども、手術はいつになるやら知れない。右足は麻痺が始まっている。痛くて毎晩眠れないらしい。つくづくお気の毒なJP。

 《ザマミロ》なんていって検査入院させた内分泌系の方は、いまだに原因が分からないまま。検査入院したのももう一ヶ月以上前だって言うのに、特別な血液の検査をするラボが県内に一カ所だけだから、なかなか検査結果がもらえないなんて言う。検査入院の時に撮ったスキャナーも、その他のいろんな映像も、まだぜんぜん見せてもらっていない。医者が呼んでくれない。こんなことしてる間に、どんどん悪くなってるんじゃないかと思って、わたしはかなり不安だってのに〜。

 でも、JPが家にいてくれるおかげで、わたしはお外で心おきなく仕事ができる。家に主夫がいるっていうのはありがたいなあ。時間を気にせず外出できる。ただし、家事一切を任せられないし、犬の散歩もゴミ出しも、力仕事も、なにもかも一切お願いできないので、わたしはとっても疲れている。10月から片道1時間半もかかるところで日本語を教え始めてしまったし、プライベートレッスンもやっているし、今週などは日本からテレビの撮影も来たので、へろへろだ。家にいない時には、食べるものだとか、いろんなものを整えて出て行き、帰って来たら、ぜんぶ何もかもが散らばっているので、どっと疲れる。そのうえ、お父さんったらかなり鬱になっているので、家の雰囲気はかなり悪い。子ども達はこのごろあまりけんかをしないので、それだけは助かる。

 剣道に行くのはもちろんやめた。稽古の時間が食事の時間帯で、食事の時間帯に家を開けるのはただでさえ気まずいっていうのに、身体の不自由な夫にすべてを任せるわけにもいかない。自分の残されたエネルギーがもったいないのと、JPの病院通いが優先なのとで、自分のアキレス腱の治療は行くのをやめることにした。剣道も行かないから、アキレス腱も切れたりしないだろう。

 
 とにかく、ここで、負のエネルギーを吸いすぎちゃ〜いかんと思い、がんばって、周囲を励ましている。働きすぎてる友人に、小包おくったり、病気のともに手紙を書いたりなどしてみる。まるで自分が世界で一番幸せな人間のように、明るい太陽をふりまけられたらどんなにいいだろう。

 学校のお母さん仲間と持ち上げた、《学校にわらで作った教室を》の運動も、せっせと楽しくやっている。会議をうちで主催して、家にこもっていたJPにも、会議でわらの家について語ってもらった。みんなJPを頼りにしてくれると言ってくれているので、がんばって早く治って、わたしたちの大プロジェクトの核として活躍してもらわなければ。

 昨日テレビの人を送り出したあとで、レンタカー屋さんに車を返しに行ったら、「傷がついてますよ」と叱られてしまった。修理代を払えと言われて真っ青になった。ミーさんも掛け合ってくれて、レンタカーの保険が利くことがわかり、2000ユーロぐらいかと思ったら、修理代は82ユーロだそうだ。それでも、病気のJPにそんなことは言えないので、日本のわたしの雇い主さんに泣きついて、わたしの通訳の報酬のほかに、修理代も出してもらえることになった。救いの神はやっぱりいるのだな〜。涙出そうになった。ううう。申し訳なくって、やりきれない。

 でも傷だけですんでよかった。人身事故があったら怖いので、これからは通訳だけさせていただいて、運転手は別に雇ってもらおうかと思う。能力もないくせに《通訳》までやっていることだって、もともと不相応なのであるからして。いろいろクビ突っ込みすぎて、自分で自分の首を絞めている。
 見積もりを8時間労働で出していたっていうのに16時間も働き、家族を犠牲にした上に、見覚えのない《傷つき》事件にまで巻き込まれ。。。もう、いったいなにやってるんじゃっ?て感じ。

 とりあえず、明日は一日中寝て暮らすことに決めた。久しぶりに予定がなんにもない週末だ。
うれしい〜。しあわせ〜。ありがとう〜。ありがとう〜。ありがとう〜。