2006/07/30

いやらしいジェラシー

 昨日はJPの同僚で、仕事のパートナーであるシルビーの引っ越しだった。
シルビーは虫の博士で、うちの大黒柱(JP)と同額の給料をもらっているキャリアウーマンで、カッコいい。
しかも痩せてて、背が高くて、金髪だ。
(これはけっこうポイントが高い。)

 離婚することになったので、2人の子どもと一緒にアルビ近郊に引っ越して来ることになった。
 私は前からこの『できる女』には《できる》ということでかすかなジェラシーを抱いていたので、JPが引っ越しの加勢を頼まれて、ちょおっと不機嫌だった。JPには、『輝くように、よくできた女』などにはあまり近寄って欲しくないのだ。こっちの輝きのなさが浮き彫りになって、目移りしたら困るじゃあないの。ううう

 前にシルビーの一家と2回か3回食事したことがあって、そのたびに悪夢にうなされている。
しかも、実際にはシルビーはとっても控えめで優しい人なので、悪口にするネタがない。

 当日、ノエミが「ママン、私がパパについて行って、2人を見張っておくから」などと言ってついて行った。が、しかし、虫のことなら何でも知ってて、馬を持ってるシルビーが一番好きなのは、何を隠そうこのノエミだ。ノエミも『できる女』に弱い。シルビーの家には男の子が2人いて、ノエミはその子たちにも会いたいのだから、このスパイはあんまりあてにできない。

 前より近い所に引っ越してきて、そのうえ新しい家で男手がないとなると、JPはこれからたびたび「ちょっとうちに来て手伝ってえ」と言われるんじゃあないのかしらんと、不安に胸が震えていたら、引っ越しには前のご主人が、新しい彼女といっしょに加勢に来ていたらしい。棚を付けるのも、コンセントを繋ぐのも、前のご主人がやっていて、JPはただひたすらに冷蔵庫やら、洗濯機を運んで帰ってきたらしい。ちなみに、職場の人たちが大勢来ていて、JPだけが手伝いに行ったわけではなかった。ま、そうだろうね。

 私がまた悪夢を見たと暗い顔をしているので、JPが、励ますためにこんなことを言ってみる。
「でもね、シルビーはピュレはフレークで牛乳で膨らますやつだし、なんといってもクノールの粉スープなんだよ。」
だからなによ。クノールの粉スープなんか食べたことないくせに。
そりゃあ、私はピュレはジャガイモから、スープだって本物の野菜で作ってますよ。
でも、そーいうセリフはとっても危険な罠のような気がする。
「いい奥さんでいられるうちは、捨てないからさー」と言われているような気が、した。
そして
「家事に手間をかける妻こそ、いい妻である」と聞こえた。実は。
私だってキャリアウーマンをやって、バリバリ男性と同じように働いて、家事は手を抜きたいんです。はっきり言って。
 罠にはまって、家事しかできない主婦のまま歳をとり、『できない女』で一生を終わるのはとても悲しいなあ、と思ったりする。(家事が立派にできれば、それはそれで『できる女』なんだけど、何が悪いんだろ?)

 今日、モーガンに夕食に誘われて、そういう話をしたら、モーガンがバーベキューの肉をほお張りながら、
「みのりにもいいところがたくさんあるよ」と言ってくれたので、安心した。
持つべきは友である。友達を裏切らないように、期待に応えたいものだなあ。


 さて、ピッションさんから新しい本が届いた。
『嵐の中のアメランディアン』(日本語版 仮題)という本だ。
アメランディアンというのは、アメリカのインディアンのことで、ヨーロッパ人がアメリカ大陸荷足を踏み入れてから、どんどん迫害され、追われていった人々だ。
ずっと前に原作の原稿のコピーはもらっていたのだが、いよいよフランスで販売される本が出来上がった。ピションさんのおくさんが描いた表紙絵が美しい。早くこの本を翻訳できたらいいなあ、と思っている。私も、「仕事で忙しいからスープはクノールね」といちおう言えるように、がんばろう。

 でも、ブーイングは必至だから、スープは忙しくても野菜で作るだろう。
仕事ができて、そのうえ上手な野菜スープもできたら、例の『できる女』を越えられるかもしれない。
よし、とりあえず、がんばっていこー。

2006/07/29

レンタカーで悩む

 友達の娘さんは車に非常に弱くて、『快適な冷房付きを借りておいて』と頼まれたので、友達のためと、それから従兄たちが来たら10人家族になってしまうことも考えて、ミニバスの予約先を探している。

先日インターネットで予約して、『お客様番号』までもらって安心していたAVISのアルビの事務所が電話してきて、「インターネット予約されたようですが、ご予約のこの日、うちには車がないんですよねえ。どういうことなんでしょうかねえ」と言われた。

そんなことを言われても知らない。インターネット予約はあてにできないから電話しようと考えていた矢先で、「やっぱりそんなことか。。。」とがっかりしてしまった。

 雨のおかげで、数日前に比べると10度も低い。午前中は「寒い」なんて言っている。この調子だと、冷房のない車でも大丈夫かもしれない。わたしたちは冷房なんか使ったことがないので、なくてもいいんだけどなあ。。。でも車はボロだからねえ。。。

 レンタカーは受け取りの場所や、日付け、時間を買え、車種、値段を換え、電話や、実際に窓口を訊ねるなど、あらゆる手段を使ったのにもうぜんぜん取れない。

 友達からはスペインとアルルのホテルの予約も頼まれているけど、そっちは日本で友達にやってもらうことにした。運転とガイドは私で、ホテルと交通費は出すって言うことだったので、ホテルの予約もお願いした。でも一日中レンタカーのことで悩んでいて、電話やメールに振り回されていて、けっこう疲れてきた。

大丈夫なんだろうか。

2006/07/28

観光案内

 もうすぐ日本から友達とその娘さん、そして、従兄が家族五人でやって来るので、準備で忙しい。友達はあちこち行きたい場所があって、わたしは連れて行きたいところがまた別にあったりもして、「到着まであと数日」となってからの、ホテルやレンタカーの予約、観光案内所への問い合わせなどなど。。。なかなか忙しい。

 連絡くれた早い者勝ちで、従兄の家族ではなく友達を家に泊めることになり、従兄一家には民宿を予約した。お金も使わせるし、不便だし、申しわけない。

ヒントブックスさんから、あかね書房の『こんにちは アグネス先生』の紹介を受ける。
ついでだったので、前から読みたいと思っていた 文研出版の
『ロボママ』 エミリー・スミス 著
『嵐の中のシリウス』 J・H ハーロウ 著
『魔女になんかなりたくない』 マリー・デプルシャン 著
も取り寄せてもらうことにした。
そのほかに
『バイリンガル教育の方法』という本をお願いした。子どもたちの言語習得に関して、少々悩んでいる。従兄たちも来るのに、うちの子どもたちとコミュニケーションが取れないのは、もったいないので、いまちょっと日本語会話を特訓している。

2006/07/27

い草で ものぐさ

 一年以上掛けて、サロン(居間)にする部屋をきれいにして来た。
この家は築100年以上で、外壁は80センチの厚さのある石の家だ。
玄関を入って真っ正面に1.5メートル掛ける7メートルほどの長ーい廊下がある。
一階には台所と物置が二つと居間にするスペース。
木のらせん階段を上がって、二階は全部木の床。
寝室が二つと風呂場と、事務所というか書斎というか、パソコンのある部屋。

 居間は、中庭に面していて、入居当時この中庭は一面のセメントでおおわれていた。
セメントを半分はがして、地面がむき出しの庭をもうけた。花壇を作ってトマトも植えた。
セメントの下の地面は湿っぽくて、この湿気は全部居間の壁を這い上り、湿っぽい居間になっていたのだ。家の湿気のせいで、ペンキの状態も、壁の状態も非常に悪い。湿っぽい匂いもあって、大変だった。

 100年も住み継がれた家では、ペンキは4回ぐらいは塗り替えられている。
古いペンキを落とすのに、臭くて強い化学薬品を使ったが、臭さと危険度などから、1時間に30センチ四方ずつしかはがせなかった。冬は窓を開けられないので、中断した。
ペンキはがしと中庭のセメントはがしは同時進行で、気が向いた時に気が向いたほうをやった。
 
 今週新しいペンキを塗り直したが、科学的なペンキはやめて、しっくいに自然派の色素を混ぜたものを塗るだけにした。簡単で匂いもなく、お金は掛からず、なんといってもナチュラルだ。湿気予防対策でもある。

 床に敷き詰められていたプラスティック製の敷物は、全部取り除いた。かわりに、い草の敷物を買った。カーペットみたいに一枚の広ーい敷物で、部屋の角に合わせて、はさみでジョリジョリ切りそろえた。日本のござの匂いがする。
JPが過度を切りそろえている間、わたしたちは子どもたちと、い草のシートの上で寝っ転がった。

 ああ、やっと居間が出来上がった。。。

 子どもたちは早くテレビを箱から出してくれと言っている。さて、どうしようか。

2006/07/26

(一句) 雨が降り、地固まらず、ぐっちゃぐちゃ 

 昨日のこと、
 ケーキを食べ終わって、誕生日当日の朝に買ったばかりのプレゼントを、ゾエにあげたところで、雷が鳴り始めた。
「ああ、今度こそ降ってくれたらいいねえ」
 フランス中の願い。

 雷が近所に落ちた気配。
風が吹き始めてから、もうボボはびくとも動かない。
ゾエがぎゃあぎゃあ泣く。ノエミがきゃあきゃあ飛び跳ねる。
JPが家じゅうを走り回って、戸締まりや雨漏りを確かめる。
わたしはドアの郵便受けにタオルを突っ込む。この前の時には雨が吹き込んだ。
台所の窓を叩く激しい粒。
直径1センチぐらいのあられが激しく降り始めて、道路は見る見るうちに、大河のようになった。
下水道の水が噴水みたいに穴から吹き上がる。
家の前に止めてある車の窓が、明けっ放しだった。道路の人通りは完全に絶える。

 中庭のわたしの小さな花壇が、プールになっている。
あられはどんどん打ち振り、花壇のプールにガラス玉のようなあられが浮いている。
電灯が心細げに、ちらちらしはじめる。ラジオの音が途切れる。
雷はまだ頭の上にいる。ゾエがおへそを隠す。ノエミも、わたしもおへそを隠す。

 隣の家の桜が大きく揺れている。
道路を走る四輪駆動車は、台所の窓に水しぶきを飛ばして走る。
ゾエが泣きながら、おそるおそる台所のカーテンを持ち上げる。光る。
1、2、3。。。ノエミが数える。そして、
「ちょっと遠のいたよー」と叫びながら、ボボを見に行く。
ボボの小屋が、ノアの方舟みたいに浮きそうだった。
「パパー、どうにかしてよおー」
父親は何でもできると信じている。
裏口の扉とボボの家の間に、大きな池ができていて、下水が逆流している。
「大丈夫、奥のほうに隠れているみたいだから。」
父親だって濡れたくない。彼が造った小屋は大人四人掛かりでも持てない重さだから、そう簡単には水に浮かない。

 空が明るくなって来て、道路に車が行き交い始める。
気がつくと、途切れていたラジオが何ごともなかったかのようにニュースの続きをやっていた。アナウンサーはイスラエルの爆弾の話をして、保険省の大臣が《猛暑の日のご注意》を読み上げていた。

1)水をたくさん飲むこと。
2)顔や腕を濡らすこと。
3)日中は窓も雨戸も閉め切って、家に光を入れず、夕方から夜に掛けて家の中の換気を行なうこと。
4)暑い時間に労働やスポーツなどを行なわず、陰に入って休むこと。炎天の海水浴場には日中行かないこと。

「そして一番大切なことは」と大臣は言う。

「これらの注意を、ご近所や身体の悪い人に伝えてあげてください。そのような人たちのことを気遣ってあげてください。お隣の人に声を掛けてください。」
 
 2003年の猛暑では1万5千人が亡くなった。今年はまだ8月にもなっていないのに、この一週間で40人ぐらい亡くなっている。
 雨が降ったら気温が下がるかと思っていたのに、そうでもなかった。
降ったはよいが激しいあられとは。せっかく生え揃って来ていた、わたしの花壇や芝生が全滅した。トマトも傷だらけになり、2個地面に落ちた。

 このまま水浸しになって、街も何もかも流されるかもしれない、と一瞬思ったその時に、家族がみんな揃っていてよかった。子どもたちが祖父母に連れられて、うちに戻って来ていた。
みんなでいっしょに居たから、ちっとも恐くなかった。
 花壇ぐらいはまた造ればよい。

それにしても、このお天気って一体。。。

2006/07/25

生き延びること、はや4年、、、

 ゾエが4歳になった。
 お誕生日はやはり母と過ごしたいというので、ナルボンヌのJPの両親宅へ迎えに行くか、それともカーモーに連れて帰ってもらうか、ずうっと悩んでいた。でも、JPの休み中にサロンの改修を終わらせたかったし、うちのクーラーのない車では高速道路の移動はちょおっと辛かったので、渋っていたら、両親がクーラーのある車で、子どもたちを送ってくれた。2週間もうるさい孫たちの世話をして、疲れていて、早く送り返したかったのかもたのかもしれない。
 
 ナルボンヌから戻ると、いつものごとく、子どもたちの持ち物が増えている。ずいぶん楽しく過ごしたようだ。持ち物は増えているのに、肝心なものを忘れて来た、と言って、ゾエが泣いている。

 おもちゃ屋に一緒に行って、自分で選んだ誕生日のプレゼントを、祖父母のミスで玄関に忘れて来たのだった。ノエミはお小遣いで買ったプレゼントもいっしょに置き忘れたらしい。夏休み中に買ってもらったおもちゃも数点忘れた。
 「全部まとめてあったのに、出掛けに子どもたちが興奮してうるさくしていたので。」
わかります。わかります。
 夏休に入り子どもたちが消えると、わたしはさっそく《隔離病棟(=物置)》から古くなったおもちゃなどを出した。段ボール箱二箱分くらいになったので、早いとこ赤十字に持って行くつもり。小鬼の居ぬ間にと思って掃除した我が家に、これ以上物が増えたら困るので、忘れて来ていただいて、助かった。

 親からのゾエへのプレゼントはずっと決まらず、当日の午前中にJPと買いに行った。
 ノエミが4歳の時には自転車なんぞを買ってあげたものだったが、ゾエにはノエミのお下がりで我慢してもらっている。ゾエはほとんどお下がりだけで生きている。でも、ノエミはものを大事にするほうだから、あまり不自由はしていない、と思う。
 わたしだって三人娘の一番下だったから、お下がりが多かった。小さい頃には文句を言ったのかもしれないが、大人になってからはお下がりをもらって不自由をしたとか、恥をかいたとかいうようなことは思い出さない。
 はじめての子どもは、せっかく女の子だったから、きれいな服をたくさん買ってあげたり、手作りしてあげたこともあるが、お下がりをもらうのはいつでもとてもうれしいものだ。フランスにはお下がりをくれるような親戚もいないから、くれるという人がいたら真っ赤な他人でも喜んでもらう。経済的に助かるから、というだけではなくて、親しい人が、大切に使ったものを「これ好きだったけど、あげる」と言われると、とてもうれしくなる。

 自分で選んで買ってもらったプレゼントを、大人のミスでもらえず、ゾエはどんなに悔しかっただろうと思う。でも本人は「もう一度お祝いしてもらう」と言って泣くのをやめた。
よし、よし。

 前日の夜に作ったイチゴのケーキは、スポンジケーキがうまくできずに、薄っぺらのペラペラになってしまった。わたしのやることにはあまり文句を言わないJPが、ケーキをじっと見て考えている。
「もしかして、おいしそうじゃない?これ?」
「うむ。。。暑いし。。。アイスクリームケーキを買って来てあげよう」
作り直そうと思っていたところに、アイスクリームケーキを買ってくれるとは有り難い。
「パパがおいしいケーキを買ってくれるってー」と喜んでいたら、ゾエが、
「ママンのケーキじゃないといやだ」と言う。
うっ。暑いゾー
材料常備、いつでもOKのチョコレートケーキを作り直した。
オーブンに火を入れて、家の中の温度が上がってしまったが、主役は大喜び。
ろうそくを4本立てた。台所は熱気でムンムンだ。

 怪我もせず、大きな病気もせず、すくすくと育っている。
学年末の評価では、「この子は幼稚園で教えることは、すでに何でもできる」と言われた。それで来年度は大きいこのクラスに加えてもらう。小さい子がぐずぐずしていると腹を立てるらしく、気難しいとも言われた。機械的にみんなと同じことをやろうとはしないらしい。孤独を愛する女。父親に似たか?危ないぞ。
 2歳ぐらいの時に、幼稚園で撮ったビデオを見せてもらった。子どもたちがおもちゃの自動車を巡って喧嘩を始めたシーンがあった。沢山の中の《その》1台を争って喧嘩をしている。クラスみんながその渦中に呑まれている。泣いたり喚いたり、クラスメートの服を引っぱる子、殴る子もいる。そこに、ゾエがいなかった。カメラは渦中のクラスメートから離れて、ずっと後ろに突っ立ち、難しい顔をして腕組みするゾエにズームを当てる。
「バッカじゃないの」とでも言いたそうな、冷たい薄笑いをしている。

 こんな人間が家の中の人口の半分を占めるとなると、先が思いやられる。

2006/07/21

新学期の問い合わせ

 新学期は9月、フランスでは気分下り坂の秋に新しい年度が始まる。
夏休みが2ヶ月もあって、たるんでしまった根性を、すがすかしい秋にスパーっと切り替える、ことになっている。

 もう、5年以上ずっとお世話になっている商工会議所から、はがきが来た。
「9月の13日と14日に、例年どおりのただレッスンがありますので、参加してください」
毎年9月に商工会議所の語学センターでは、新聞などでも大きく報道して《お試し無料レッスン》が行なわれる。ここで募集の目安を立てて、10月から新しいクラスが始まるのが通例だ。
 来年度も雇ってもらうことにはなっている。生徒が集まれば、のはなし。

 生徒が3人以上集まらないと、モトが取れないからクラスが設けられないと、10月には始められなかった年度もあった。だが、この前生徒に支払いの小切手を預かって、判明した事実を考えると、個人で人を集めて《ブラック(闇屋?)》で働いたほうがよさそう?という気もして来る。
 ちょっとそんな気がしただけ。

 ちゃんとした教室や、視聴覚教室もあり、ホワイトボードも教壇もある場所で《センセイ》やるのと、お茶飲みながらだらだら《友達付き合い》でやるのとでは、内容にも結果にも大きく差が出るものだ。グループレッスン、しかもほぼプライベートとかわらない4ー5人のクラスで勉強するメリットはたくさんある。

 一度、個人レッスンを電話で申し込んで来た女性があって、その人の仕事が終わって、夜の時間に会う約束をして、アパートを訪ねて行ったことがある。約束の時間にドアを叩き、名前を呼んでいたら、隣の人が出て来て「そこに住んでいるのは、どちらも男性のカップルですよ」と言われてしまった。
 次の日に同じ女性から「どうして来てくれなかったの?待っていたのに」と言われて、「どうしてうそをついたの?あそこには住んでいないでしょう?」と言ったら、「絶対に住んでいる。ずっと待っていた」と怒ったように言われた。

 気持ち悪かったので、もう二度と夜のプライベートレッスンは引き受けないことにした。プライベートレッスンは、ちゃんと約束どおり毎週忘れずにお金をくれる親がバックに控えている、中・高校生だけにしている。

 個人レッスンでしばらく勉強して、高校卒業試験で日本語を受けたポリーヌさんから連絡があった。バカロレアの試験は20点満点の17.5点だった。なかなかの成績だった。8月に福岡に留学することになったので、その節はどうぞよろしく。

 アルビの商工会議所に続き、トゥールーズの商工会議所からも連絡があった。24日から宣伝を出し、人が集まれば来てくれとのこと。交通費も出すし、お給料もアルビに劣らない歓迎をするから、トゥールーズまで来て欲しいと言われた。(片道2時間ぐらいなので、週に2時間の授業程度だったら行きたくない)ロデーズの商工会議所からの紹介とのこと。いちおう形式的なことで、履歴書を出して欲しいと言われて、すぐに送った。返事待ち。

 本当は翻訳のほうをもっともっとやりたいのに。まあ、来るものは拒まず。仕事がもらえるんだったらやる。《初級日本語》ならもう18年ぐらいはやっている。嫌いじゃないからやれているんだろう。呼ばれるうちが、華。そろそろ新学期の準備もしなければならない。
地道にやっていれば実もなるでしょう。損得なしで今学期やって評判を得たら、次回からは特に繋がるかもしれないじゃあないの。でも夢が遠のくのは辛いので程々にしたい。人生はそーんなに甘くない。(って、このわたしが言うんだから、これはホントーです)

2006/07/19

ミストラル、吹く

 海軍 地中海基地のある、トゥーロンという軍港の町に住んでいたことがある。町は港と切り立つ山に挟まれたところで、《ミストラル》という地中海沿岸特有の突風が吹きはじめると数日は治まらない。フランスでは風速は時速で報道されるが、時速100キロとか120キロという風が吹く。

 昨日、トゥーロンから《ミストラル》という船がベイルートに向かって出て行った。ベイルートにはフランス国籍を持った人や、その家族、約4000人以上が居住あるいは、長期・短期の滞在をしているらしい。フランス資本の企業が何百も進出している。この軍艦は一度に2000人を乗せることができるらしい。人々はキプロスなどに運ばれて、そこからフランス本国へ飛行機で連れ戻されるのだ。今朝たくさんの人がパリに着いたと報道された。軍艦は現地に残り、まだまだその辺で難民を救助する。

 フランスにはイスラエル人やレバノン人が沢山住んでいる。夏休みは子連れで里帰りする人も多く、里帰りの間に戦争に巻き込まれた人たちが、ラジオのニュースで状況を語っていた。フランスから里帰りしている人は、結婚や政治的な亡命、移住の事情でフランス大使館の管轄下にある人たちでも、お里の家族はイスラエルやレバノンから一歩も出たことのない人だったりする。血縁関係はないが《大好きな隣のおじさん》を置き去りにして船に乗ることになった男性が、悲痛な声でインタヴューに応えている。あの人はフランスに戻って来て生き延びても、きっと一生後悔し続けるのだろう。

 朝日コムの新聞を読もうと思って開いたら、日本の新聞では、ヒスボラの悲惨な映像が報道され、イスラエルの激しい攻撃を批判するようなことが書かれていて、ちょっとびっくりした。フランスの大統領はエスボッラ(ヒスボラ)がイスラエルの兵士を人質にした事実を「プロヴォカシヨン(挑戦行為か?)」と言って激しく批判している。総理大臣は救助船で自ら出掛けて行き「フランスはイスラエルのお友達です」と言って援助を行なっているので、わたしは悪いのはすべてエスボラという、ひとにぎりのテロリストのせいかと思っていた。

 国境近くの人たちが、「わたしたちは国境の向こうの人たちと、仲良くやっていたんですよ。同じ人間ですよ。ひとにぎりの人が勝手に戦争してるだけなんですよ」と言っていた。そしてイスラエル人の男性は「イスラエルは自分の力ではもうどうにもできないから(助けはいらないと言ってるが)アメリカ人やフランス人に助けてもらった方がいいと思う」などと言っている。
 まーた、アメリカ人がやって来るんじゃあないかねえ。。。。
シャリシャリ、デシャバリ、バリバリ。。。と建物や町を壊しながら。

 せっかくの夏休みが台無しで、気の毒、どころじゃあない。
わたしは毎日ラジオを聴いて泣いているのである。
 大戦争が始まるなら、8月に従兄と友達が来て、去って、ノエミがキャンプから戻って、からにしてもらいたい。こういうとき、わたしはちゃあんとフランスの船にも、日本の船にも乗せてもらえる(と思う)ので、日本のみなさん心配しないでください。

 フランスの大地は平和。トゥールドフランスの自転車レースで湧いている。
でも、猛暑のせいで今日までに3人亡くなってしまった。自転車やってる人って、大丈夫なんだろうか?
戦争なんかやらなくても、地球はかなり煮えたぎっている。ましてやこのくそ暑い時に自転車なんて、こんなこと言ってるから、体重が減らないんだろうーかね。

2006/07/18

涼を求めて

  カルモーは最高気温が36度の予報。なのに、こんなに暑いのに。。。
食欲がありすぎる!過食症ではなかろうか。
ちょっと動いただけで、息切れがする。ビョーキだろうか?
体重計にのると、めまいがする。重症では!?
タンスの中に、着れる服がない。どこ?服はどこ?どこ、どこ。。。記憶喪失。

 ちょっと遠出してアルビの巨大スーパーまで出掛けた。
友達が泊まりに来るので、まずは枕を物色。いろいろありすぎて困る。
お客様用のスリッパを買おうと思ったが、友達のサイズがわからず断念。
彼女がコートダジュールに行こうよー、と言っているので、ガイドブックを立ち読み。
ついでに、ノエミがキャンプに持って行けそうな本も、スーパーで探してみる。ノエミは今、新聞より小さな文字で、1000ページ以上ある本に凝っている。図書館でぼろぼろのハリーポターを借りて来た。わたしは夏休み前に『ナルニア物語』全章が一冊になっている、1キロ以上ある本を買ってあげた。映画は見ていない。
 従兄が来たとき、料理の腕前も披露したいので、フライパン売り場に行った。よさそうなのは手の届かないところにあり、飛び跳ねて捕まえようとしていたら、売り場のフライパンが全部頭から降ってきそうになったので、後ろ歩きでそっとその場をはなれる。
どうせ、あの値段では手が届かない。。。
 魚売り場で水槽を観察。エビはマダガスカルから来ていた。魚を買いたかったのだが、クーラーを積んで来なかったので、帰り着くまでに腐ってしまうなあ。
 野菜売り場は素通り、明日農場の野菜が届くから。

 服売り場でバーゲンの売れ残りを見ていたら、新学期に着れそうなシャツが3ユーロだったので、さっさと腕に巻き付けた。JPの半ズボンをずっと探していたのだが、あった、あった。でも、洋服なんか買ってあげたことがなく、彼のサイズを知らないので、いちかばちかでそれを持ってレジへ向かった。レジの人が「それはバーゲン対象外だから、レシートがあれば交換できますよ」と教えてくれた。なんと、対象外であったか。。。
 遅かれし、すでにレジの外。。。

 涼しいスーパーでは、3時間ぐらいは時間が潰せる。が、しかし、お財布を連れて行ってはいけないのだった。ああ、わたしとしたことが。

 おひる時だったので、巨大スーパーの超大型駐車場に、車は少なかった。その殺伐とした駐車場で、わたしは「ああ、人間さまも、動物でありもうしたか」とつぶやく。
 吹き抜ける蒸し暑い風が、わたしをセネガルに運んだ。ひゅう

 ダカール郊外のステップで、ラクダやヤギの群れが、丈の低い木々の、わずかな木陰に寄り添って、涼を求めて休んでいたなあ。

 巨大スーパーの超大型駐車場では、いまや、スーパー入り口への距離だとか、キャリー置き場の脇で少々危ないってことなどは、もうこの際どうでもよい!と言っているような、クーラーを消された車たちが、白線も角度も完全無視状態で、建物や、ゴミ用のコンテナーや、キャリー置き場の屋根や、キャンピングカーの陰など、わずかな陰の下で、静かに待機している。

 アスファルト砂漠にできたミラージュ(かげろう)を前に、ぬちゃぬちゃとサンダルにくっつくアスファルトを踏みつけながら、暖房完備のルノーに乗り込んだ。
生きて自宅に戻れるのか?溶けそう。。。ふらあああ

 我が家は冷蔵庫だ。雨戸まで閉め切って出掛けたので、家の中はわりと涼しかった。なんといっても家の壁の厚さは80センチだということだし。外よりは涼しい。暑いところから帰って来たら、すうっと涼しい。ただし家の気温に慣れるのも時間の問題。

 路上駐車の車に容赦なく太陽が降り注ぐ、おひる時である。
やっぱりお腹が空く。わたしに夏バテという言葉はない!?

2006/07/17

点字の本

 ちょっと宣伝すると、2004年の夏に、はじめて『サトウキビ畑のカニア』という翻訳の本を出した。親戚や友人知人が、沢山買ってくれて第二版までできた。印刷されたのは全部で6200冊ぐらい。子供の本だ。まだ残ってますのでよろしく。
 
 インターネットで《売り切れ》という文字が見れないものかねえ。。。と思って、検索していたら、某《視覚障害者福祉センター》というところで、『サトウキビ畑のカニア、点訳本』というのを発見した!!

 点字に訳されているとは、それは知らなかった。ぜひ触れてみたいものだと思った。
挿絵はやっぱりないんだろうか?あの本は、ぜひ、内海さんの絵も見て欲しいのだけど。
目に見えない子どもたちって、どのぐらいいるんだろうか?本好きな子は多いのだろうか?ほかにもっとどんな本を読むんだろうか?興味津々、興奮気味で福祉センターにメールを書く。
 
 手に入れたいと思って、知り合いの本屋さん(ヒントブックス、トップページにリンクあります)に問い合わせた。
 点訳の本は取り扱っていないとのことだった。
ただ、ヒントさんがびっくりしていたのは、わたしがその点字の本の出版について、何も知らされていなかったことだ。何ごとにも《著作権》があって、法律に守られている。
 この件については、調べてみるつもり。でも、点字出版というのはボランティアでやっている人も多いし、わたしたちの本が目の見えない人にまで読んでもらえるなんて、こんなにうれしいことはない。とりあえず、原作者のピッションさんと、挿絵の内海さんに相談しなければならない。

 この頃DVDや音楽CDをインターネットでコピーする人が増えていて、罰金をたくさん払わされている人もいる。インターネットで漫画や小説も読めるから、出版業界も大変だ。点字を勉強して、海外書物の点字翻訳出版業界に進出しようかねえ、と、ふと思った。

 その前に、自分の新しい翻訳の本を出したいところなんだけどねえ。
《ま》くんにも買ってもらわないといけないし(売ってもらうほう?)
日々、何かと努力はしております。そのうちねー。

2006/07/15

同級生

 昨日母に電話したら、姉の家に行っていて電話が転送された。便利な世の中だ。
おかげで子どもたちとも話ができてラッキーだった。だけど、子どもたちが小さい時には交流を持たなかったもので、この頃ではすっかり大きくなった子が「進路で悩んでいる」などと言うと、ぎくっとしてしまう。おばちゃんは子どもたちの扱いというものを知らなくって、申しわけない。ただただ「もうそんな歳かー」とため息が出る。姉たちの子どもは5人とも、わたしが日本を離れてから生まれた。だれも抱っこしてあげていない。

 母によると、同級生の《ま》くんのお父上が亡くなった。別々の高校に進学してから一切付き合いがなかったので、彼が同級生だったことさえ、すうっかり忘れていたほどだが、一昨年の秋に帰った時に再会を果たした。高校の同窓会に、同じ高校でもないのに《ま》くんが来ていた。
「エンドーさんに会いに来たー」ほほお、よしよし。

 《ま》くんはわたしが幼稚園の時になりたいと思っていた、あこがれの《歯医者さん》になっていた。曲がりなりにも歯学部出身とは、一本とられた。《ま》くんでもなれるんだったら、わたしもそうそうに夢を捨てるべきではなかったねえーとバカを言った。

 そうこうしているうちに、ほかの同級生諸氏からも連絡メールが入る。同級生との会話で、《ま》くんは中学のとき、わたしと同じ剣道部であったことが判明した。
 えー忘れてたよー。

 更に母からの情報によると、彼は同じ地区内でただ一人の同級生で、七五三の時にもいっしょに写真を撮ったし、小学校の時には同じクラスになったこともあるし、遠足の前の晩などに「エンドーさん、明日何時に集まるんだったけ?」とか夕方遅くに「今日の宿題なんだったけ?」などとよく電話をかけて来ていたらしい。いっしょにソフトボールをやったり、温泉祭りでは地区の公民館に集まって、いっしょにお神輿をかついだりもした。それは覚えている。
 なんだ、幼なじみ?

《ま》くんのおばあちゃんは地主で、アンタたちの勉強部屋にしていた、裏の家を借りていて、よくいっしょにお家賃を払いに行っていたじゃあないの?
 えー、そうなのー?
 おまけに、アンタが本を出した時に沢山買ってくれたし、同級生の名前でお葬式に花輪を届けてくれたし、なんといっても、アンタの代わりにお父さんのお葬式にも出てくれたじゃないの。
 わたしの代わりに参列してくれた同級生はたくさんいました。。。。すみません

 まさかと思いきや、けっこう深い仲(?)だったらしい。

 お母さんがアンタの代わりにお葬式に行って挨拶して来たから、アンタは《ま》くんに電話して励ましてやりなさいよ。。。と言われた。
えー、別に昔のオトコってわけでもないのにー?
同級生諸氏に知られたら、なんと言われると思ってんのー?
 
 「アンタの代わりにお父さんの葬儀にも来てくれたんだよ」
そこまで言われるともうなにも言えないのであった。勢いに乗って電話してみた。
「きっとこの人は若くてかわいいに違いないっ」というような声の看護婦(歯科助手?)さんが、「喪中につきお休みさせていただきます」との留守電だった。
《ま》くんが出なくてちょっとほっとしたが、「喪中なんだ」と思ったらやけにしんみり実感が襲って来た。

 彼はもう立派なおじさんであることだし(この前見てわかりました)、昔のようにメソメソなんかしていないだろう。
 近年、親を失う同級生が急激に増えていて、子供会でお世話になったり、道路で挨拶していたころのことを懐かしく思い出す。わたしもそういう歳になったんだなあ。
 しんみり
 
ーーーーーーーー
 後日、おばちゃんの家に電話したら、なつかしの弟くんが出て「うわさの、エンドーさん!!」と感激され、自宅に電話がまわさた。《ま》くんはせっかくわたしが国際電話をかけてるっていうのに、飲ん方(飲み会)に出ており、《ま》くんの妻と世間話をして、彼のうわさをし、妻が「元気ですよー」というので、まあ安心した。

2006/07/14

どんぱち

 フランス人の宇宙飛行士は、地球の外で仕事をするなら、7月14日に働きたいそうである。
7月14日に、宇宙から地球を見ると、フランスの各地でどんぱちと花火があがって、きれいなんだそうだ。7月14日は革命の記念日で、日本語ではなぜか《パリ祭》と呼ばれている。
 7月14日には全国各地で、午前中はパレード、午後はガーデン・パーティー、夜は花火大会と決まっている。一年の予算の大半を、この日に捧げている市町村も多い。
 カルモーは8月の終わりに《サン・ブノワ》という聖人のお祭りがあって、その時に一年の予算の大半を掛けているので、14日に花火大会はない。

 従兄と友達がほぼ同時にフランスにやって来るので、8月の前半10人の大所帯になる。子どもが全部で5人になる。毎日泊まるところ、移動、見たいもの、連れて行きたいところ。。。頭を悩ませている。家は指宿の実家よりも大きいのだが、畳がないからベッドが必要。タイル張りのところにゴザなんか敷いて眠れない。友達はうちに、従兄の家族は民宿へ行ってもらうことにした。
 義父母が泊まった民宿は、うるさく、ちょっと見た目より不潔で、従兄を泊まらせない方がいいとアドバイスを受けたので、改めてインターネットと電話帳とガイドブックで探し直す。

 うちから車で10分の田舎に、民宿を見つけた。訪ねて行って部屋も見た。普通のおばさんがやっている、普通の家の一部屋だ。ちょっとせまッ苦しいかも。子どもたち大きくなりすぎていたら、どうしよう。

 家族でフランス旅行ができるなんて、うらやましいかぎり。いい所をいっぱい見て、お土産をたくさんもって帰って欲しい。この夏はどこにも行かないと思っていたけど、みんなのおかげで観光できるので、ラッキーだ。
10人家族っていうものを想像できないので、ちょっと恐い。

2006/07/11

強制てき矯正で嬌声をあげる

  ユッピー!
ノエミうれしそうだ。
うれしくもない歯の矯正の器具をつける日だから、と言って、アルビの病院内の歯科に連れて行った。変なところから一本剥き出していた歯を、先日抜いた。
「これがすんだら今度は器具のほうね」といわれていたので、本日《連行》した。
ちょっと恐かったので、親子四人で出向いた。

 ノエミは数日前から緊張していた。キャンプにも矯正器具でいくのかと思うと、ちょっと気の毒。少々歯並びが悪くても性格が良かったら。。。と言ってやりたいが、少々の性格では補えないような歯並びの危うさだし、その性格もいいとは言えないので、歯並びぐらいはよくしてあげないと、っというのが親心だといわれているのだが、わたしは《日本人だから》出っ歯でも構わないんだけど。でも自分は出っ歯じゃないから、出っ歯ちゃんの気持ちもわからないし、本当は本人は「ああ、出っ歯じゃなかったら幸せだったのに」と親を恨むかもしれない。恨まないかもしれないけど、やっぱり親のせいか?親族会議の多数決で、強制的に歯の矯正を行なってあげるのは、親の役目であるということになった。

 矯正の器具というのを間近で見たことがないので、わたしだって心配しているのだ。
膝にニセモノのお椀が入ってる人とか、心臓に機械を入れてる人というのは知っている。そういう人はやっぱり病院にも縁があって、痛い目にもあっていて、どうも不便そうで、ずいぶん気の毒だ。歯の矯正器具というのも、やっぱり《器具》を身体の一部にはめ込むんだから、やっぱり不快なこともあるに違いない。ううーん気の毒だ。

 「マドモワゼル ダニエル」と呼ばれて、マダム・ダニエルもムッシュ・ダニエルも立ち上がった。診察室にはちゃんと、患者用のほかに見学者のためのイスも用意されているので、ただの付き添いも入っていいことになっているのだ。日本みたいにひとつの部屋で、いっぺんに何人も見たりしない。(あれは指宿だけでしょうか?)

 「口を開けてー。この前抜いたところ、きれいに塞がってますねー。はい、三週間後にまた来てください。」
ユッピーなのである。
今日はこの前の治療状態を見るためだけで、器具は三週間後なのだった。
チャンチャン。
ノエミ喜んだのも束の間。
あと三週間のストレスが果てしなく続くのであった。。。。

お迎えを、お出迎え

 JPの両親がやって来た。
ノエミの歯医者も終わったので、いよいよナルボンヌに連れて行ってもらうのだ。すでに三日前から旅行かばんは準備が整っている。最後のかばんにおもちゃを積めていると、2人が現れた。
 いつも泊まっていただいているサロン(居間)は工事現場なので、キャップデクベートのホテルをとった。新しいホテルなので、興味も手伝い、ここに従兄を泊まらせようかと思っていた。両親がホテルに行くときついて行ってみた。

 なかなか良い眺め。
清潔そうで新しい。
でも、ちょっと合宿所みたいな雰囲気で、飾りも何もなく、殺風景だ。
実際、若い学生たちの合宿が行なわれているらしく、窓枠にバスタオルなどがブラさがっている。ろうかを若い人たちが通り過ぎて行く。
両親は学生たちから離れた棟の二階なので、大丈夫だろう。

 キャップデクベートを案内した。
ずっと前に学校の遠足で来た場所だ。炭坑あとの土地に、総合スポーツ施設が整っている。
炭坑の空中写真を見ているところに、JPとノエミが自転車で合流した。
ノエミは暑さのため真っ赤っ赤になっていた。自転車でここまで約30分。

 みんなでしばらくぶらぶらして、ホテルをあとにした。食事は自宅で。
暑くてみんなは食欲ないので、サラダ・ニソワーズ(ニース風サラダ?)にした。

 子どもたちは興奮している。ナルボンヌの両親の家にはプールもあるし、海岸まで車で30分ぐらいだ。海岸のそばだから、夏休みの間毎日移動遊園地が来ている。花火大会もある。おもちゃを全部かばんに積めたら、さっさとベッドに入った。うそみたいにオリコウさんである。

2006/07/09

やあっと、夏休みの予定が立つ。

 8月は大忙しになりそうだ。
 従兄と友達とJPの弟がほぼ同じ時期にやって来てしまう。
こりゃあ困ったぞ。いや、うれしいぞ。
連絡して来たのは友達が一番乗りだったので、うちに泊まっていただくのは友達、となった。
従兄には民宿かホテルに泊まってもらうしかない。
JP弟一家は従兄が帰ったあとだから、うちに泊められる。でも去年工事現場で寝てもらったので、今年はその工事現場をどうにかしておかねば恥ずかしい。
 JPが、せっせ、せっせと働いている。
 従兄と友達が揃って、JPが仕事に行かない週末は、10人の大所帯となってしまう。車がないから車も借りなければならないが、「貸してー」と言える親戚も親友もないので、レンタカーにする。
ミニバスも借りることにしたが、ミニバスには9人しか乗れないので、JPが仕事の日だけ借りることができる。

 フランスではクーラーのある家庭は少ないし、クーラーのない車に乗っている人も沢山いる。特に自然派を目指すJPは、今年の夏は自家用車を使わずにバスや電車を利用しようと考えていた。
でも東京生まれの東京育ちの友達に、クーラーのない小さい車で迎えに行くと言ったら「クーラーのあるレンタカー借りてください」と言われてしまった。やっぱり。
 従兄たちはへんぴな田舎の民宿だから、車がないと大変だ。エコロな田舎暮らしというのは、なかなか難しい。でもおいしいものを食べさせてあげようとはりきっている。

 私が行っている民宿というのは、普通の人が自分の家を解放して、旅行者を泊めてあげる、イギリス式でいうと、ベッドアンドブレックファーストなるもので、料金の中に朝食とベッドの代金が含まれている。でも今から予約できるかは腕の見せ所だ。そういう所にはクーラがあるわけがないし、大丈夫だろうか。

 従兄が後悔しないように、がんばろうと思っている。
ので、私の従兄と、その辺ですれ違った場合には、お餞別を弾んでやってください。
よろしくお願いいたします。

サッカーでフランスが負けたので、花火大会も、勝利記念セールもお預けとなった。ちっ。

2006/07/07

空から落ちて来るもの

 ドッカーンと大雨が降った。
 わたしたちの農場の人工湖が、溢れるぐらい降らないかなあ、と思いながら、空に向かって応援した。今年は折り紙の腕にも磨きをかけたことであるし、祭り気分も盛り上がっているので、いっちょ七夕祭りでもやったろうかねえ、と思って張り切っていたのだが、雨となってしまった。

 午前中に図書館で本を借り、ついでに図書館のパソコンでゲームをやった。図書館は来週夏休みとのこと。
 午後はいつものように乗馬。普段いっしょの子どもたちではなくて、キャンプつきで乗馬をやろうという子どもたちが、全国各地から集まっている。乗馬クラブで寝泊まりする。
あれえー?ここでもそんなことやってるんだあ。
 ノエミは高いお金を払って、ドルドーニュという山のほうで、同じことをやる。払うのは彼女の父だからいいけど。所かわれば品かわるっていうから。
なんといっても親の目の届かないところで三週間というのが、ものすごいあこがれであるらしい。
 
 フランスはまだまだサッカー熱。町行く人々もちょいと浮かれ気味。

その合間にテポドンの話題もちょっとだけ。
10発ぐらい落ちて、日本も反撃に出るとか言ってるので、恐いなあ。
(実際には7発だったみたいね)
「練習だから」ってあなた、空からそんなものがいきなり降って来たら、やっぱり恐ろしい。
日本海沿岸の人々は気が気ではなかろう。

 うちとこはミサイルじゃなくて、待ちに待った雨だから、幸せだ。

2006/07/06

麦って、パンの味

 5日に引き続き、雨。しとしと降っているが、もっと降ってもらわないと困る。
 雨だったので何もしなかった。4日の夜のことでも書こう。

 4日は今月最初の火曜日で、お約束の農家でのピクニックだった。
 メリオッサンのお母さんに紹介された農場だ。
 広大な農地をフランス政府や、ヨーロッパ基金の援助を受けて開拓している。そこでは、学校を出たばかりの若い人や、長期失業者などを雇って、できるだけ大型機械を使わずに、無農薬の野菜を作っている。
 経営者は30代ぐらいの若いカップルで、農場にはパンを焼く手作りの釜や、JPが憧れている《水を使わない便所》などがあった。建設中の自宅は、なんと、わらの束で作ったブロックを木枠にはめ込んで建てているという。
 人の援助と、農作物の見直し、新しい経営の形、流通と販売の方法など、説明を受け、紹介された時にいいと思った通りだったので、その日のうちにこの農場の会員になった。

 フランスの大都市では、市営の小さな農場を借りて、月々の土地代を払い、自分たちの手で好きなように野菜や花を育てることのできるミニ農場がはやっているが、わたしたちのこの農場は、自分たちでは畑を耕したりしない。長期失業者、犯罪やアルコール依存症などから更生中の人など、社会復帰を目指す人たちが、広大な畑でありとあらゆる野菜を育て、それを町の広場で売るのだ。

 農場で働いていない会員は、広場で市が開かれる時に、テーブルを出すのを手伝ったり、市が終わったあとのお掃除をしたりする。なによりもわたしたちがやらなければならないことは、このような活動が行われていることを宣伝することと、農場で働かない代わりに、農場でできた野菜を買って食べること。

 7月から、毎週水曜日に野菜がいっぱいつまったカゴが,自宅に届けられる。今回ははじめてだったので、説明を受けて、ピクニックに参加したあと、その場で野菜を渡された。

第一回目は、
 さやいんげん 500グラム
 クルジェット 大きいのが4本
 タマネギ(白いタマネギで、青い葉っぱがついてる)5個
 シュー・ラヴ(日本では英語から訳してコール・ラビというらしい)2個
 巨大なサラダ菜 1個

 農場を案内してもらった。3月に、自分たちだけで掘った人工湖があったが、乾いていた。湖を掘った3月から、まとまった雨は降っていないから仕方ない。
 見渡すかぎりの麦畑をかき分けながら歩いた。農場の子どもが麦の穂を引っこ抜いて口に入れている。麦の殻を割って、中に入っている固い麦をかじっている。
 「おいしいの?」ときいたら、「パンの味がするよ」って言われた。
麦をかじったら、本当にパンの味がして、びっくりした。

 ゾエとわたしは麦をかじりながら、時々立ち止まって、足元に転がっている野生動物の糞を観察したり、足を踏み出すたびに一斉に飛び跳ねるバッタを追っ払ったりして遊んだ。ノエミは農場の男の子たちと走り回っている。JPは農場の女の人に熱心に説明をきいていた。 

 わらの束でできたピクニックテーブルを囲んでピクニックが始まった。《地球を守ろう》とか《差別をなくそう》とか、《遺伝子組み換え反対》などのTシャツを着ている人たちが何人もいて、サッカー応援の青いシャツに見慣れた目に、とても新鮮だった。持ち寄りのサラダやピザもベジタリアンだった。不健康に太っているのはわたしぐらいで、ちょっと反省した。わらのベンチは夏の薄いワンピースにはちくちくして痛かったので、次回からは、普段着のTシャツとズボンにする。気どらなくていいなんてうれしい。

 JPは、いきいきしている。となりに座った《差別をなくそう》のTシャツの人と、会話が弾んでいる。この前のPTAのピクニックがいかに場違いだったのかわかった。

 帰る時に積まれたタマゴパックを指差して、JPが訊ねる。
「うちのカゴには、タマゴが入ってなかったようだけど?」会員の一人が応える。
「タマゴは《野菜カゴ》には含まれないんですよ。XXさんのところでニワトリを買って、農場においとけば、毎週1パックもらえるの。XXさんのところに行って、よさそうなのを自分たちで選んで、農場においておけば、養ってもらえるよ。」
 ゾエとノエミが歓声を上げる。
「わたしたちのニワトリ!!名前をつけよう」
自分ちのニワトリが生んだタマゴを食べられるなんて。。。夢みたいだ。

風が激しく吹いて、空が暗くなってきた。遠くで雷が鳴り始め、だんだん近づいて来る。遠くの畑で雨が降り始めた様子だ。
 「いよいよ雨が降りそうなので、お開きね」
たいへんエコロジカルなピクニックだった。たくさん降りますようにと願いながら帰ってきた。

 それから二日間降った。まだ足りない。

2006/07/05

いっ度、ソルドに行っど!

 「ソルド」というのは、フランス語でバーゲンセールのこと。
「いっど」というのは鹿児島弁で、「いっ度」だったら共通語の「一度」のことで、「行っど」だったら「行くよ」のこと。

 バーゲンセールなんかにはあまり行ったことがない。一度は本格的に行ってみたいと思っていたが、ついに下着やらTシャツやら、ベースのものがよれよれになってきているので、バーゲンセールだろうがなかろうが、『店』に出て行く決心をしなければならなくなった。バーゲンセールが終わる頃には、夏に必要なものは手に入らなくなるらしい。
 
 わたしは年中赤字人間だし、既製品の合わない体格だから『洋服屋さん』などには入らない。
JPは店の人にいろいろ訊かれるのと、鏡を見るのが嫌いだから『店』は一般的に嫌いで、「JPってアフロヘアーにしたの?」と言われるぐらいにならないと『散髪屋さん』にも行かない。
『ブティック』や『ヘアーサロン』などというカタカナが嫌いなので、ついこんな平和初期生まれみたいな単語を使ってしまう。

 商店街はバーゲンで混雑していると思いきや、思いのほかシンと静まり返っていた。
夏休に入って、みんな旅行に出掛けてしまったのだろうか。
数週間ぶりに雨も降った。
 わたしたちに必要な下着や、ベーシックなTシャツなんかは、バーゲンセールの対象外だということも、店に行ってからわかった。
 50%引きなどになっているのは、流行のお腹が見えるシャツとか、スケスケで下着が見えるシャツなど。子供服はたくさん安売り対象になっていて助かる。学校のクラスメートのお母さんたちにすれちがう。髪振り乱し、子どもを捜したり叫んだりしながら、苦労しているのはわたしだけではなかった。子どもと『わたしだけ』で来た。

 JPは、カードを貸してくれて「やっぱり行かない」と言った。こんなにいいダーリンは、滅多にいないだろう。「カードなんか貸しちゃって。。。恐くないの?」と言ったら、おびえた顔をしていた。

 けっきょく、サイズや好みの関係で、お店に行く前に作っていったリストは半分しか揃わなかったが、もうすぐ義父母も来る予定なので、そんなに焦らなくてもよいのだ。

 子どもたちを両親の家に預ける時には、汚いかっこうで送り出している。
「まー、こんなに汚い靴履いちゃって!」と義母は叫び声をあげて、すぐに靴屋に連れて行く。
靴と、コートと、流行の服はほとんど義母に買っていただいている。(買わせている?)
 男の子にしか恵まれなかったおばあちゃんというのは、女の子の服を買うのが夢だったなんてよく言っている。

 わたしは16歳用のシャツを2枚買った。何年ぶりだろう。。。JPのカードをお預かりいたしているのが恐ろしくて、居心地悪く、店に長居できなかった。
ちぇっ、せっかくのチャンスだったのに貧乏性が出てしまった。。。

2006/07/04

引率

 学校は本日まで。すでに子どもの数は急激に減っている。
フランスでは結婚した人の半分は離婚しているらしい。
多くの子どもは母親と暮らしていて、週末にお父さんと過ごしているので、金曜日や土曜日に遊ぶ約束を取り付けるのは、非常に難しい。
「週末はお父さんのところに行くから」と言われる。
父親が遠くに住んでいる場合は、長い休みの時に半分ずつ、ということになっている家庭も多い。
だから、2ヶ月の夏休みは1ヶ月父親の所に行ってしまう子どももいっぱいいる。

 学校の人口は減っているし、先生たちはすでに2週間前から授業らしきものをやっていないが、いちおう残っている行事は消化せねばならない。
ボート実習があと一回終わっていない。

 数日前「すみません、誰もいないので、マダム・ダニエル 引率お願いします」っと、校門の前で先生にとっ捕まってしまった。ご近所に住んでいる担任のミゲレーズ先生は、わたしのことをすでにわかっているので、まずお願いする前に「誰もいないので」と前置きしてから、ちゃんと頭を下げるあたりが、かわいらしい。
 そういえばこの先生だけだった。教師陣で、招待を受けて、律儀にピクニックにも参加したのは。ちゃんとサッカーに参加して、汗をかいてから、さっさと引き揚げて行くという常識も心得ておられた。

 「。。。ハイ いいですよ」
「じゃ、すみませんけど、大人はみんなで持ち寄りのピクニックにするので、デザートをお願いします」
 チーズやワインやソーセージは高くつくので、《デザート》係にしといてくれるあたりが、ご親切である。この前も持って行って好評だった、いまはまっている《リンゴのクランブル》に決めた。
 
 JPは週末から2週間ものバカンスをとっている。有給休暇を溜めておいたので、休みは8月にもある。こんなふうに公務員が長ーいこと休むから、7月と8月は、公共機関で事が進まないんだ。

 「ねえ、わたしはリンゴのクランブルで参加するから、JPは身体で参加してよ。」
休みのいっぱいある公務員に対して、夏休みとなったら一挙に忙しくなってしまう主婦は、多少の悪意を込めて言うのだ。
 JPが応える前にノエミが「わーい、パパが来てくれるー。お父さんが行事に参加してくれることってないから、みんなびっくりするよ」素直に喜んでいる。

 JPがわたしのクランブルを下げて、ボート研修の引率に行ってくれた。
いつも話している《ペストみたいなクロエちゃん》や《素直でかわいいクレモン》など、みんなの名前を覚えて帰ってきた。これで食卓の話題が増える。
 ノエミによると、きかない子どもを、まるで教師みたいに怒鳴り散らして、娘は恥をかいたが、担任には感謝されたらしい。ちゃんと指導員といっしょにモーターボートに乗って、子どもの小型ヨットを応援したそうだ。船乗りの血が騒いだ?

 ノエミが「更衣室で靴を間違えてきちゃったあー」と言って泣き叫んでいる。
「誰の靴と間違えたんだろう。持って帰ってきてしまたこのピンクの靴は、誰のだろう?覚えてる?覚えてないなんて役立たず!」
まるでわたしを叱るみたいに、恐れ多くもJPを怒鳴りつけて、いつもわたしに怒鳴り返されるのの倍ぐらい、JPに叱られている。ふとどきな娘である。

 リュックサックの底に、ちゃんと自分の靴はあったので、ゾエから「ノエミはドロボー」っとレッテルを貼られた。
学校は今日で終わりだから、担任は今日の午後以降には、もう絶対に学校には出て来ない。職員室の電話をとるような人はいない。クラスには名簿とか、連絡網なるものはない。

 これは誰の靴なんだろうねえー

 仕方ないから、捨てないで新学期までキープしておく。
夏の二ヶ月の間に、子どもの足はどんどん大きくなるから、新学期に持ち主がわかっても、もう履けないだろう。新しい靴なのに。。。
 ノエミのせいで親に叱られているクラスメートが居ると思うと、胸が痛いけど。。。明日からバーゲンセールだし。。。夏のサンダルでも買ってもらえることだろう。
運動靴とはおさらば。

    恐怖の夏休みに突入。。。

2006/07/01

サッカー

 フランスのチームが、サッカーの世界大会でがんばっているらしいので、日本からたくさんメールがやって来る。みんな『フランス』ときいて、私のことを思い出してくれるとは、うれしいかぎり。ついでに、私がフランスにいるから、フランスを応援してくれているとは、ありがたや。

 テレビがなくても、状況はわかる。
いちおうラジオで「今晩はサッカーの試合」と盛んに言うから、「今晩サッカーがある」と言うことはわかる。今年の世界大会はドイツだから、時差もなくラッキー。でも日本ではきっとものすごい早起きだろう。

 サッカーのある日は、サッカーチームと同じブルーのシャツを着た人たちが、町を練り歩いている。そういう人たちが出くわすと、知り合いでもないのに抱き合ったりしている。
 試合が始まる数時間前から、町をクラクションを鳴らした車が走り回る。
たまに、車よりも大きな国旗をはためかせ、叫びながら猛スピードで走り抜ける人たちも居る。
 町が静かになるので「あ、サッカーが始まったな」と知れる。
しばらく、静かにごはんを食べたり、片付けたりできる。

 試合終了のころ、ご近所から一斉に喝采が上がるので「あ、勝ったんだ」とわかる。
 数分後に昼よりもうるさいクラクションやら、歓声やらが路上を行き交う。更に数分後には、ご近所の庭で花火まで上がっている。こーんなに乾燥してるのに大丈夫なんだろうか、といきなり不安になる。

 7月1日は猛暑の熱帯夜で、窓を開け放って寝たかったのに、、クラクションと歓声がうるさくて、窓を閉めずにはいられなかった。

 そして翌朝には、路上でサッカー準決勝進出を祝う若者が、エキサイトして商店街で暴れ回って、商店や路上の車に被害が出たことや、喧嘩で100人近く警察に保護されたことや、川に飛び込んで死人が出たことなんかが報道されることとなったのである。
 
 世界中には戦争やテロで死んでる若者や、飢えや自然災害で死んでるも子どもたちも居るって言うのに、フランスは平和だ。普段はみんな「フランスなんて国は。。。」とフランスには希望がないようなことばかり言っているのに、サッカーの試合の一日は、急にみんなが『愛国者』になる。いつもはいじめられてる移民たちも、みんなフランスのために喜んでいて、興味深い。そして、政治家はだれもかれもがサッカー好きになり、大統領までもがドイツまで応援に行っちゃうんだから、おもしろい。

 でもサッカー選手たちは、きっと自分たちのためにゲームを楽しんでいるんだろうなあ、と思って、ちょっとうらやましい。フランスという国を背負っているとは思っていないんじゃないだろうか。応援してくれている人たちに応えたいというよりも、自分たちにとっていい試合をしたい、精一杯やりたいということではないのだろうか。そんな選手たちが素敵だから、応援するんだろう。きっとずっと練習して来たのだから、自分のベストを尽くしたいと思うに決まっている。闘志というのだろうか。闘志のある人は瞳に星や炎が輝いていてきらびやかなものだ。
 普段は相撲ファンの母も、いまごろきっとフランスを応援しているに違いない。

ピクニック

  PTA役員の年度末ピクニック当日。約40名参加の予定。
金曜日の午後には、会長のパトリシアといっしょに買い物をした。土曜日には教職員とのお別れ会もあったので、そのための買い物もした。

 私たちの行ったことのないセレナックという森のピクニック場で行なわれるので、数家族ずつ集まって車を連ねて出掛けた。市役所からテーブルとイスも借りていた。すぐそばにトイレとサッカー場とバーベキューセットもあったので、本格的な食事会が予想された。

 参加する人たちは皆、サラダかデザートを持参することになっており、私は前もって《まき寿司》を持って行くことに決まっていた。土曜日の午後から準備した。
PTAの会で、チーズ、飲み物、バーベキュー用のソーセージを買って、現地でお金を出し合った。
女性たちは母親の会で顔見知りだが、その連れ合いたちははじめて、という人も何人かいた。
 JPはロトにも、先日のお祭りにも参加したから、数人の顔見知りはできていたけれども、男性たちの中には、いっしょに仕事している人や、同級生、数年前から会に参加している人たちもいて、みんなけっこう知り合いみたいだ。それで、出だしからJPは孤立気味だった。
 たまに、母親の会の人たちが近寄って来て、当たり障りのない会話をして行ってくれるのだが、JPのノリが悪いので、なかなか盛り上がらない。
いつの間にかダニエル家は孤立していた。

 食事の時に、よく喋る3人のグループのそばに席を取ったので、そのひとたちがJPを盛り上げてくれるかなーと期待していたのだが、3人で、3人にしかわからない会話を始めたので、また孤立してしまった。話しかけられないから話さないでいると、話さない人間だと思われて、もっと話しかけづらくなるものだ。誰も話しかけて来なくなってしまった。

 食事の後、なんだか酔っぱらいかけてる男性が、その辺にいる人たちにボトルで水を掛けるというイタヅラをはじめて、キャーキャーうるさくなった。追いかけっこなどしている。エコロなJPは、そういう人たちを冷たいまなざしで見ている。だから誰も私たちには水を掛けない。

 その騒ぎで陽気になった人々は、みんな立ち上がってサッカー場に向かった。ほとんどの男性が出て行って、サッカーを始めた。「あと2人ー」と言われて、一人出て行った。「もう1人ー」と言われて、最後の1人が出て行った。そのあと残ったのはサッカー大嫌いなJPだけになった。
JPは子守りをしている。子どもたちに飛行機や鶴を折ってあげている。人気だ。

 子どもたちと遊んでいるところにサッカーボールが飛び込んで来て、ゾエがぎゃあぎゃあ泣いたものだから、JPはすごい剣幕でサッカーボールをとりに来た高校生のお兄ちゃんを叱った。
ちょっとその場がシンとなるぐらい叱ったので、私は「まあまあ」となだめた。

 こんなダンナを、こーんなピクニックに連れて行ったのは、大失敗であった。

 帰ろうとしていたら、一日中ゾエといっしょに遊んでいたバランティンのお母さんが「帰りにうちに来てプールに入りませんか」と誘ってくれた。こーんなやつでも誘いたいんだろうか、とちょっと疑わしい目で見たのだが、バランティンとよく遊んでくれた、優しいゾエちゃんのお父さんであるJPを見込んだらしい。
 プールを持っているような、スノッブな人はあまり好きではないJPだが、押しに押されて断れなくなった。でも私は、前からその人がとてもいい人で、JPとも話の通じるタイプだと思っていたので、バランティンのうちに行けることになってけっこう嬉しかったのだ。

 ちょっと大きめのゴムプールで子どもたちを遊ばせ、私たちはアペリチフと簡単な夕食をごちそうになって、楽しい会話に花を咲かせ、「年中工事中」であるバランティンのお宅の工事現場を見学し、改装工事について意見を交わし、夜遅くに帰って来た。

 終わりよければすべてよし。
来年も行けるかなー。
子どもたちと私は楽しんでいるんだから、オトーさんにもがんばってもらおー。