2007/07/31

オリーヴの香り


 

 朝から晩まで、夜中まで、そして朝まで。。。パソコンの前に座っている。
「仕上げ」が進まないので。でも、あと一章。
 昨日は、ユダヤ教会のことや、ユダヤ教徒の成人式のことなんかを調べているうちに、一日が終わってしまった。途中、友だちとおしゃべりに花が咲き、気分転換しながら。原作を読み直したり、書き直したりしているうちに、泣けて来るので、よくない。

 夜もベッドの中で推敲をするぞ、と思っていたけど、ちょっと気分転換。
友人に送ってもらった『オリーブの香り』(近代文藝社 金子到著)を読んだ。最近、フランスに住んでいる日本人の書いたエッセイを二冊読んだが、どちらもものすごい観察力で、ため息がでてしまう。夕べ読んだ『オリーヴの香り』は日本から南フランスというきれいなところに派遣された、日本の普通の会社員の、半分旅行記、半分生活の記録。ガイドブックで人気のお店に行って、ショックを受けたり、おかしい。生き生きした文体が楽しく、三時間以内で読んでしまった。(わたしは読むのが遅いんです)強いていうと、この本は誤植と誤字だらけだった。推敲が足りなかったんだろうか。(人のふり見て我が身は。。。焦るう〜)
 「生活に慣れて来たら、いろんなことに気づかなくなってしまった。感動も薄れて来た」とある。それで、日本から親戚を迎えたり、町で観光客を見ては、反省したり、新しい感動があったりと、たいへん共感できる本だった。今度、コートダジュールに住んでいる友だちに、この本を送ってあげよう。ペン画の挿絵も素晴らしい。
 
 フランスで暮らし始めて、言葉も少しはできるようになり、友だちもでき、仕事もちゃんとやって、生活にはすっかり慣れた彼が、「おフランスかぶれ」に気づかぬまま、一時帰国をした。やがて、彼は日本で浮いてる《いやな奴》としての自分に気づく。
。。。。。抜粋。。。。。
1)海外に住んでいるというだけで特別偉いわけではないのに、妙な優越感を抱いている。
2)オフィスで国際電話をかけ、聞こえよがしにフランス語をしゃべる。
3)なにかと言えば「フランスでは云々。。。」と講釈する。
4)人前ではやたらと女性を優先させる。(筆者は男性)
5)人とぶつかった時、真顔で「エクスキューゼ・モア」と言ってのける。
6)自動車を運転する時、ウィンカーとワイパーのレバーを間違え、「あ、ここは日本だったね」などと白々しく照れる。
ああ、いやな奴!
。。。。。。。。。。

次回、日本に帰国の際は、しかと心に刻み付けておかねば。そして、前回の自分の姿がよみがえる。
そうかあ〜、いやな奴と思われていたのかあ〜。

 さて、全然知らない人から、メールをいただくようになった。その人は自己紹介で「わたしは普通の人です」と言った。
わたしの日記をいろいろ読んでいただいた、そのあとで、「わたしは普通の人」と言われると、「あなたは普通じゃない人」と言われているような気がして、楽しく(?)なった。
 それで、ここ2.3日の間ずっと「普通」ってどういうことかをいろいろ考えていたら、夕べ『オリーブの香り』で、自分はけっこういやな奴だったと知り、ちょっとショックだった。で、知らない人なのに、メールの交換が始まってしまって、ちょっと怖い。宗教関係だったら、どうしようとか。
注》以前この日記でお話しした(そしてさっさと抹消した)キョーカイさんとは、縁が切れてますので、ご安心ください。

 その、「普通の人」から、また別な人をたどって、この「普通の人」について知ることができるかもしれないと、いろいろと探っていたら、こんなビデオに遭遇してしまった。
http://www.youtube.com/v/ervaMPt4Ha0&autoplay=1

 JPが海軍の船に乗っていた時、出発の港での模様や、夫がどこにいるとも知れない数週間、数ヶ月の《岸壁の妻》生活や、港に戻って来てノエミと再会した瞬間や(ノエミはパパの顔を覚えておらず、パパさんかわいそうだった)、「行った先で死んでたらどーしよー」の不安の日々のことを思い出して、今朝このビデオを観ながら、たっぷり泣いてしまった。
 JPはものすごく《普通の人》だから、きっと、このビデオの人たちも《普通の人》だと思う。その中に《いやな奴》とか《いやじゃない奴》とか《普通じゃないっぽい人》もいるのかもしれないけど、となり近所でわたしとほとんど同じ生活をしているような、人たちだと思う。
 みんな早く帰って来れたらいいねと思う。

2007/07/29

ポリーヌさん帰国

 去年フランスにやってきた従兄と入れ替わりで、福岡に旅立って行ったポリーヌさんが、約10ケ月の留学を終えてこの6月に帰国した。ポリーヌさんはアルビの商工会議所で3年間(といっても1年につき30時間から40時間のレッスン)わたしといっしょに日本語を勉強して、初級1の本が終わらないのに、無謀にも日本に留学した。でも、この子だったら絶対にやっていけると信じていた。
 福岡の女子校に行くことが決まったとき、制服が着られると言って大喜びだった。

 福岡に行ってからも、しばらくはメールでやり取りしていたのだが、「剣道を始めました」「茶道クラブに入りました」と言って来た辺りから、どうやら忙しくてそれどころじゃなくなって来た雰囲気があった。1回ポリーヌさんのフランスのおばあさんから電話が来ていっしょに話したあと、「おばあちゃんに葉書ぐらい書いてよ」と送ったメッセージが最後となっていたら、6月にいきなりペラペラな日本語で「帰って来ました〜」と電話があった。福岡名産《ひよこ》がお土産だった。

 福岡のホストファミリーから、ママさんとKちゃんが来ているというので、ポリーヌさん宅まで会いに行った。みんなで日本語をたくさん話して、またフランスに来ていただくことや、日本でいつか会えたらいいですね、など、わたしまで友だちみたいになって、嬉しい気持ちでお別れした。
 
 Kちゃんはひとりっ子だから、いいお姉ちゃんができてとっても喜んでいたし、ポリーヌさんはもちろん日本の新しい家族に大満足で、本当に良かった。ママさんのことを、今では本当のお母さんだと思っているようだ。ポリーヌさんの本当のお母さんは、ポリーヌさんがKちゃんぐらいの時に亡くなってしまった。いつまでもこの関係が長続きして、つきあっていただけたらいいね、と思う。


 わたしは、子どもたちが居なくなってから、毎日朝から晩まで、夜中まで、翻訳の推敲で忙しくしている。来年の夏に出る子どもの本のしあげ。キーポイントは「ユダヤ人」「ユダヤ教」「宗教」「第二次世界大戦の歴史」などと、ちょっと重いテーマだ。それで解説をつけずに、小学生がささっと読めるような、さわやかな本にしようと思っているのだけれども、なかなか大変だ。この本は、泣くぞ。
 Kちゃんのお父さんは画家さんで、大学で絵画を教えていらっしゃる。画集も出版されてる。ママさんも絵を描かれるとのこと。お二人に挿絵のアドバイスをいただこうかなーと思っている。
 ママさんとKちゃんは、トゥールーズ・ロートレック美術館(アルビ市)も見学し、本日はゴヤ美術館(カストル)予定とのこと。近くにはアングルの美術館もあるのだけど、もう時間がない。明日はドイツ。ママさんは植物の絵がお好きとのことだったので、ビストさんのモーリヤック城をお奨めした。

 以下は、ご紹介サイト 
トゥールーズ・ロートレック美術館
http://www.musee-toulouse-lautrec.com/

カストル市のオフィシャル・サイトから ゴヤ美術館
このサイトの一番上、オーケストラの写真が出ていますが、一番左で、巻き毛に眼鏡のヴァイオリン奏者は、ノエミの先生です。
http://www.ville-castres.fr/site.html

ベルナール・ビストさん(この画家はまだ生きてます)彼の住んでいる13-14世紀のお城。数年前に日本語サイトを担当しましたが、重いため、今はちょっとお休み。
http://www.louerunesalle.fr/extlink_frame.asp?VenueName=CHATEAU+DE+MAURIAC&URL=www.bistes.com%2Fchateau


Kちゃんのパパさんの絵画集は『歩く人』金藤櫂(かなとう かい)さん著 優しい絵に、ポエムもついて、癒されます!
 

2007/07/27

静かです

 子どもたちが居なくなったので、静か。

 朝市で、おいしい物をあれこれ買った。
田舎なので、《里帰り》している都会モンが、いかにも《ヴァカンスう〜》という格好で、物珍しそうになんにでも手を付け、立ち止まり、味見をし。。。歩道が詰まっていて、前に進まない。

 今週末は近辺の村や町で、夏祭りが催されるところが多いらしく、チラシ配りもたくさん来ていた。そのお祭りに参加する楽隊や、動物つかいの人も。

 JPが大好きな、生のパスタ屋さんに行ったら、もうほとんど売り切れ状態で、残っていたビーフ+ポーク味のラビオリを二人分買うことができた。JPが好きなのはセップ茸+カモ味(セップの季節じゃないから、作る量が少ない)

さて、午後はちょっと《仕事》をしていた。でも眠くなって来たので、スカイプで鹿児島の友だちと《チャット》である。(と、こんなことを書いても母にはわかるまい)インターネットで日本の同級生とも近くなったんです。ってこと。

 その友だちに「この前ツール・ド・フランスがうちの近所まで来た」と言ったら、
「ええーなんで教えなかったんだ。こっちでもテレビでやってるのにい。」と言われてしまった。
数日前にツ−ルドフランスが、JPとわたしが働いているアルビ市 ( ALBI ) を通過したとき、通過する前日ぐらいになってそのことを知ったので、日本の人に報告するのが遅れてしまった。

http://www.jsports.co.jp/style/tour2007/map_f.html

 彼の情報によると、《Jスポーツ》っていう衛星放送のスポーツ専門番組で、再放送が見られるそうなので、この前すっぽかした人で、衛星放送が見られる人は、アルビ市も見てもらえるかもしれない。母は衛星放送なんかない。友だちが録画しようかなと言っていたので、もし彼が忘れず録画してくれたら、借りて母にも見せようか。ア、母はビデオなんかはもっていないのだった。しかもDVD。。。
風景とか、見てもらえるかなあ〜。田舎度とか。。。思ったけど、無理か。ちぇっ。

問題の再放送情報はこちら。
http://www.jsports.co.jp/search/sys/kensaku.cgi?Genre2=120401

08月18日 (土) 11:00 - 15:30
第13ステージ【54 km】(個人TT)

雨で転んだ人もいっぱいいたそうだ。
ある選手がテレビで「ひどいところって聞いていたけど、こんなにひどいとは思わなかった」と言っていたので、もう二度と、ツール・ド・フランスの自転車レースがここを通ることはないんじゃないかと思う。

 この辺りは、スペインのほうに抜ける道にあたるので、数年前にはパリ=ダカールのラリーも通過した。自転車レースも、毎年そんなに遠くないところを通る。

今週の週末辺りはパリに到着するみたいなので、テレビでパリが見られるかもね。

2007/07/25

Anniversaire de Zoe ゾエの誕生日



Zoe a eu ses cinq ans. Elle a exprime sa joie en dessin. Il a ete offert a Papa. Elle etait Princesse ce jour-la.

ゾエからパパへ。今日の気分を表現した絵だそうで。。。

 ゾエは夏休みに入る前から、ずうっと義父母に預けたままだ。
 JPの両親は、地中海沿岸のナルボンヌという町のそばに住んでいる。ナルボンヌという町は日本でいったら奈良みたいなところで、掘ったらなにかが出て来る、遺跡の町だ。イタリアからスペインへ抜ける時に通過するフランスの南の町。そして中央山脈から下りてきて海に抜ける場所なので、十字軍の時代から、すでに要所を成していた。出来上がったらヨーロッパ・ナンバーワンになる予定だったはずの、巨大な大聖堂もある。だから、一年中観光客が多くたいへんきれいな街だ。夏は地中海に面した海岸の貸別荘は満員御礼、夏しか開かない海の家やお土産屋さん、レストランなどもあって、ヨーロッパ中から集まった観光客でにぎわう。(ナルボンヌの海岸の写真は、去年フランスに遊びにきてくれた従兄のホームページで http://imasami.mo-blog.jp/photos/france/index.html)
 そういう観光地なので、花火大会やら、いろいろなお祭りなども開かれ、夏休みに子どもたちはそこに行くのが大好きだ。「指宿だってまけないよ。来年は指宿ダー!」と毎年思ってるけど。まあ、そのうち。。。

 ノエミの二週間に渡る中学体験入学が終了したのと、25日がゾエの誕生日だったので、義父母はゾエを連れて我が家まで足を運んでくれた。ゾエもそろそろお姉ちゃんなしのお休みに退屈し始めていたし、誕生日ぐらいは両親にも会いたいし、プレゼントはもらいたいし。。。先日ノエミが「迎えにきてよー」と電話したので、ゾエの誕生日は我が家で行うことになった。

 ゾエに頼まれていたピザを用意した。ノエミは、ゾエが大好きなケーキを作ってくれた。子どもも飲めるアルコールの入っていないシャンペンも買った。お誕生日プレゼントのリクエストはいろいろもらっていた。でも第1希望のものは、高くてわたしには手が出せなかった。2、3あった第2希望の中から、こちらの予算に合わせて買った。大事なお誕生日なのに、《第1希望》を買ってあげられなくて、わたしはとっても悲しかったし、子どもに申し訳なかった。でも、そのおもちゃはだれが考えても《くだらないもの》だったし、表示によると5歳の子どもには適応しないので、そういうことを理由に、《親の威厳》とか言って、ゾエが欲しがっていたものは買ってやらなかった。でも、お金があったらくだらなくても買ってあげたかもしれない。ずいぶん前から欲しがっていたもの。。。

 《無理》はしないように心がけている。それから、一応役に立つとか、子どものためになるとか、長く手元に置いておけるとか、もらう子どもも、あげる大人もうれしくなれるとか、そういうことを考える。そうすると、すべての《おねだり》には答えてあげられないことも多いけれども、たいていの場合《おねだり》はひとつに限らず、第2希望、第3希望まであるので、第1希望を買ってやれない理由を説明できる時には、第2希望以下で許してもらっている。かわいそうだとか申し訳ないとか思っても、親にだってできないことはできないし、譲れないことは譲れない。

 みんなが持ってるからとか、流行っているからとか、そんなのを全部聞いていたらとんでもないことだ。でも、自分はそんな子どもだったんじゃないかと思う。子どもの時、うちはそんなに裕福ではなかったけど、友だちに遅れていると感じたり、なにかに不自由していると感じたことはあまりなかった。
 三人姉妹の末っ子だったから、よくお下がりを着ていて、あのころはたぶん文句を言ったのかもしれないけど、文句を言ったことはもうすっかり忘れてしまった。自分がお下がりを着て育ったから、友だちみたいなすごいものを持っていなかったから、それで大人になってから親を恨んだりしたこともない。いつも親が一生懸命なのは、わかっていたつもり。
 わたしは自分の子には喜んでお下がりを着せている。子どもたちは文句など言ったことがない。

 親は娘のわたしに不自由させないようにと、たぶんいろんなことを無理していたと思う。それで、子どものわたしはそんな大人の無理も知らずに、平和に大きくなってしまった。わたしの両親は、無理をしなかったらもっと楽ができただろうなあ、と思う。
 子どもを育てていると、よその子どもも見えるから、よその親に対する《見栄》とか《プライド》とか《協調》とかそういうものも起こるのかも、しれない。よそと同じでなかったら、恥ずかしいとか、子どもが気の毒とか、思ってしまうことはけっこうある。

 うちのJPは、そういうことに関しては、人は人、自分は自分という人なので、例えばここ数日のわたしのように「よその子は、誕生日には欲しいものをもらってる。なのにわたしはあげられない」と気にして過ごすようなことはない。JPは自分がプレゼントしたいものを選んだ。今回特別に子どもからリクエストが出たわけではないけれども、普段から大好きなものだから、長く大切にしてくれるはずだと。JPの予算では妥当な線だった。わたしにも、「子どもの欲しいものを買ってあげられないんだったら、無理して買わなくていい」と言った。でも、わたしは「かわいそうだから」と言って、無理な出費をして、第2希望のものを遠慮がちに、申しわけなさそうに、悲しい気持ちでプレゼントした。

 ゾエはパパがくれた中世のお城の本を、とっても嬉しそうに見ていた。パパに「5歳のお誕生日にはこれが欲しい」と注文したわけではなかった。でも、もともと中世の騎士やお城が好きだから、難しそうな本だったのに、そんなことは構わずに、とっても嬉しいようだった。おもちゃもそっちのけで本を開いていた。
 
 わたしが差し出した「第2希望」のプレゼント。渡したらゾエは、それが第1希望だったかのように大喜びしてくれた。「うれしい」とか「これが欲しかった」とか言っていた。10回ぐらいキスしてくれた。ノエミは自分が遊びたいおもちゃをお小遣いで買った。妹に胸を張ってプレゼントして、ついでにちゃっかり「貸してね」と言ってる。
 
 家族みんなで楽しいお祝いができた。みんな何かしら用意してあげられて、本当に幸せだった。
子どもは子どもで、お家に帰ってパパとママに会えたことや、約束通りのメニューだったことなどなどをとっても喜んでくれていた。
 よかった、よかった。

2007/07/23

A la ferme !! 続・ 草むしり

Nous achetons nos legumes a AMAP.
Il faut parfois aider pour le desherbage. Le 7 juillet nous etions que quatre. De plus il faisait vraiment chaud, la terre etait si dure que nous n'avons pas pu faire comme il faut. Le dimanche 22 juillet, nous etions tres nombreux. Cette fois, nous sommes arrives vers 17 heures et nous avons decide de travailler seulement une heure. Mais grace a la pluie de la veille et aussi grace aux mains fortes, nous avons beaucoup avance. Richard etait ravi. Katel nous a invite au repas indien, Que c'est boooon ! Nous avons discute de tout, comme l'energie propre, la toilette seche ( que JP envisage d'en faire chez nous ) , la fablication de bierre et de liqueur....
Nous avons passe de tres bon dimanche.


7月7日に農場でやった草むしりは、暑さのために仕事がはかどらなかった。なによりも人手が足りなかった。あの時に農場に来たのはダニエル家だけだったので、そのあとのアマップ(無農薬野菜を買っている人の会)の会議でその件を話し合い、7月22日にもう一度集まることになった。本当は21日の予定だったのを、アルビ市で自転車レースがあったせいで翌日に変更となった。レースのために道路が閉鎖されるので、またしても人が集まれないと予想できたからだ。

 「午後好きな時間に集まってください」の招集で失敗した前回を反省して、今回は「(涼しくなる)午後5時から1時間だけの作業。そのあと農場でインドカレーにご招待」ってことで連絡網を回した。

 前日に雨が降ったこと、風があったこと、夕方涼しい時間だったことなどの理由から、ニンジン畑の土は柔らかく、しかも、今回は6家族合計12名の参加となったので、1時間でニンジン畑80%分の草むしりが終わった。
(全部で40家族あるんだから、ちょっと腹立つ)
 「あと20分やったら全部終わる」と言って、みんな持ち場から動きたがらない。でも、農場のリッシャーによると、草むしりはニンジン畑だけじゃないらしいので、「きりがない」ってこと。あと、「もうちょっとやりたい」と思う辺りでやめとくのが一番だよというリッシャーのアドバイスで、本日の作業は取りやめとなりました。

 男性陣はリッシャーの自家製なまビールを、女性陣は天然リンゴジュースをいただいた。そのあと、リッシャーの奥さんカテルが用意してくれた、本場のインドカレー!ご飯と、野菜カレーと、ダールというインドのおかゆみたいなもの。見た目はちょっと。。。怖い。
同じメニューをこのまえ外で食べたら13ユーロぐらい取られた。カテルは「その辺の野菜を全部突っ込んだ」と言っていたが、「その辺の野菜」はすべて無農薬で、しかも、台所は畑の隣と思うと、うれしくって仕方ない。カエルと鳥の声を聴きながらのインドカレーは、とってもおいしかった。

 9時頃。まだ明るかったけれども、冷え込んで来たので、リッシャーがサラダ菜とトマトを植えてるビニールハウスを閉めはじめた。男性陣はそのお手伝いをして、女性陣は食事の後片付けをしてお開きとなった。

 水を使わないトイレについて。ビールの作り方について。使用済み油(揚げ物など食用の油)を利用して走らせる車について。リッシャーの農場に行くと、おもしろい話題がいっぱい。フランスでは菜種油で車を走らせる農家の人も増えているとのこと。たいていのディーゼル車はどんな油でも走らせられるらしい。おもしろいはなしだった。
 リッシャーは自分でリキュールやビールを造る人で、指宿の焼酎にはとても興味を持っていた。それから、JPは山川でわたしの同級生が、温泉を利用したハウスで胡蝶蘭を作っているはなしや、指宿ではメロンやパッションフルーツも一年中作れるという話を、《自慢げ》にしていた。

 こんど、JPが働いている農林水産省の地方事務所で、人を集めて、お役人さんたちに畑での草むしりを体験させようかというはなしが出た。JPはかなり乗り気だ。(わたしは、JPは機会があったら農家の人になりたいんじゃないかな?と感じている今日この頃。)

2007/07/22

いよいよ夏休み

 ノエミの中学体験入学が終わった。
小学校が8月4日で終了して、5日から中学に通い始めた。
毎朝9時から12時まで国語と数学の復習があり、お昼にはロリーのお母さんの車で帰宅。
午後2時から5時までは、音楽、体育などの活動。
遠行やキャンプ、映画試写会、バス遠足(博物館とテーマパーク)などもあった。

 お昼にご飯を食べたあと、「いつおばあちゃんちに連れて行ってくれるの?」
と言うけれども、JPの仕事の関係上、一週間後の週末にならないと連れて行けない。そういうと残念そうにしている。おばあちゃんの家はプールもあるし、衛星放送もあるし、海とマクドのそばだから、行きたくてしょうがないのだ。コーラも飲み放題だし、チップスも、チョコレートも食べ放題。朝は何時まででも寝ていられる。(といっても夏休みは早起き)
 自分で電話して、「来週迎えにきて。ゾエのお誕生日はこっちでやればいいじゃないの?」って言ってる。おばあちゃんはもちろんOKだった。来週からノエミも遊んで暮らせる。

 最終日となった20日。
午後から湖で水遊びの予定だったのに、お天気が悪く、中止。
ハリーポッタ−4のビデオをみたそうだ。(町では最新のをやってる)
夕方は帰って来なかった。みんなで食べたらしい。親たちは8時半に、市民文化ホールに来てくださいとの招待状をもらっていた。
 市民文化ホールでは、パソコンからの映像による、子どもたちの写真が公開されていた。しばらくすると、アフリカのタムタムのリズムに乗って、子どもたちのショーが始まった。
 ラップあり、ヒップホップあり、オリエンタルなダンスあり、ポエムの朗読あり。。。とても楽しいショーだった。それに子どもたちはちっとも恥ずかしがらず、みんな生き生きとして、かなり乗っていた。学校の発表会とはまったく違っていた。たぶんそれはこの期間中にお世話をしてくれたのが20代前後の若いモニターで、ショーでもいっしょになって唄ったり踊ったりしてくれたおかげだと思う。
 子どもたちが観客にお礼をして、拍手喝采。舞台を降りてみんなで抱き合っている。叱られたり、反抗したりもしたはずのモニターさんたちとも、電話番号の交換や、写真撮影などをやっていた。とてもよい《先輩》たちに出逢えたようだ。
 しばらくすると、4人のモニターたちが舞台に上がった。子どもたちには秘密で準備していたラップを唄うことになった。

 《コンシヤンス》conscience 自覚とか意識という意味。なにかに気づくという意味もある。
 歌の内容は、「これからの人生は、子どもの時の今から、もう道が開けていて、いろんな可能性は子どもの時にもう君のそばで、君がそのことに気づいてくれるのを待っている。人と人とのつながりは大切。友だちは大切。いろんなことに目を見開いて、可能性をつかんで欲しい。ぼくたちはここにいる。みんなを応援している。そのことにも気づいて欲しい。。。。」

 というような内容。子どもたちが自分のお兄さんともいえる若い先輩に、こんなふうに応援されていて、なんでも相談していいんだ、と思えるのはとっても大切なことだと思う。言葉遣いや服装は「真似されたらちょっと恥ずかしいかな?」と思ったりもするのだけれども、肝心なのはそんなことじゃないから。子どもたちが戸惑っている時に、声をかけてもらえたらいいな、と思う。

 お兄さんたちから名前を日本語で書いて欲しいと言われたので、片仮名で《フロリアン》と《ガエル》と書いてあげた。そのときちょっと話したが、とてもかわいいお兄さんたちだった。

2007/07/20

ツールドフランス

 今週の土曜日、 ツールド・フランスという自転車レースが、わたしとJPの働いているアルビの街に到着します!!
 
 日本のみなさ〜ん、テレビでアルビを見てくださ〜〜い。

2007/07/17

Le cyclone est arrive chez ma mere うわさをすれば。。。




Quand on entend le JAPON a la tele, on s'inquiete pour moi, plus exactement pour ma famille au Japon. Merci de m'avoir demande leur nouvelles.

Biensur que j'etais au courant pour l'arrivee du cyclone et aussi du tremblement de terre. Et je me suis immediatement informee ou exactement ca se passsait.

Le tremblement de terre a debaste au nord et ma mere habite au sud. ouf ! D'ailleurs, chez ma mere est une region ou le tremblement de terre arrivent rarement.
Ce cyclone est deja quatrieme de la saison.
Quand nous sommes rentres en famille en octobre 2004, le cycole numero 10 nous attendait la-bas. ( il y a eu egalement un grand tremblement de terre au nord)
Les Japonais ne donnent pas un nom au cyclone mais un numero. C'est comme ca on l'oublie peut-etre vite?
Pour les Japonais c'est impossible de nommer TSUNAMI a son enfant meme si celui-ci etait arrive juste le moment de catastrophe, les Etrangers sont etranges..... Comment peut-on donner un nom pareil pour son enfant !?

Les Japonais de mon epoque ( pas longtemps, d'ailleurs ) disait :

Les plus affreux dans notre vie sont : Le tremblement de terre, Le tonnerre et Papa.

Le premier fait toujours peur, le deuxieme donne toujours de gros frisson mais le troisieme ........ Papa Japonais perd peu a peu son autorite, c'est Maman qui decide tout. Les enfants n'ecoutent plus personne ..... (?)


A la tele, on a annonce l'arrivee du cyclone sur la terre viosine, de l'autre cote de la baie ou ma mere vie. Mais d'apres les temoinages, Ibusuki etait sous l'oeil du cyclone pendant un bon moment , le vent ne soufflait plus, le ciel etait bleu et le soleil brillait.
Et tout a coup, le vent a commence a souffler a nouveau mais dans l'autre sens, la maison de maman n'a pas eu de degats.


指宿に、台風が来た。
 ある従兄のメールによると。。。

 今回のは台風4号で、14日は一日中家にいました。
午後1時から1時半の頃指宿は、台風の目に入りました。風も雨もやみ、なんだか空は明るくなっていました。でも気象庁は、午後2時ごろ大隈半島に上陸したと発表しました。枕崎に上陸しそうに北東に進んでいたのが、なぜ大隈半島に上陸すのでしょうか。その前に指宿の上(私の考えは正確には、錦江湾に入ってきて、知林が島に上陸)を通過したので、鹿児島県の指宿市に上陸と(気象庁は、知林が島の存在を知らなかったのでは)発表して欲しかった。そうしたら指宿の名前が全国に売れたのにね。でも逆に指宿は、台風がくるので危ないと、敬遠されるかもね。15日お母さんの所に行きました。台風の被害は、無かったそうです。安心しました。

また別な従兄によると。。。
7月14日
正午過ぎ。指宿では突然、雨と風がやみました。
おそらく台風の目に入ったようです。青空は見えませんので、目の端っこが通過したのではないかと思います。
(中略)
しばらく外で過ごしていましたが、午後1時25分から、突然の激しい雨+強い風。
風向きも反対になってきましたので、台風の目を抜けたようです。
これからの吹き返しの風があなどれません。
<今の天気予報では、ちょうど指宿沖を大隈半島へ向けて台風が通過中らしい!!!>
photo :
http://imasami.mo-blog.jp/tadayoi/2007/07/post_2700.html


母の電話によると。。。
 すごい風と雨だったのが、ぴたりとやんで晴れ間まで出た。
あなた(わたし)が先日ブログに写真を載せていたでしょう、本当にあんな感じだったよ。
そういえば台風の目の中に入ったら風がやんで静かになると、お父さんに習ったこともあった。これだったんだねえ。。。

 そうそう、わたしも、習ったことがある。だから、ニューカレドニアですごい台風が来たとき、一時期風がやんでも、外には出なかったんだ。こんどは逆方向からの風に向きを変えて、後ろから押すように吹き荒れるからね。

 雨がたくさん降って、地震もあって、なんだか日本はとても大変そうだが、指宿は平和そうなのでまあ一安心した。いとこたちも母のことを気に掛けてくれていて、本当にありがとう。

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薩摩半島と大隅半島の間には鹿児島湾、別名「錦江湾」という湾がある。
錦江湾の指宿沖には《日本のモンサンミッシェル》と(わたしが)呼ぶ、知林ケ島という無人島がある。引き潮の時には歩いて渡れる島で、市民からとっても愛されている未開発の島だ。
 これが前出のいとこが《地図に乗ってないかも》と言っている《知林ケ島(ちりんがしま)》と歩いて渡れない付録の《小島》のこと。上の写真はJPが撮った《こじま》の写真。
知林ケ島の写真はこちらから。http://www.city.ibusuki.lg.jp/chirin/photo.htm

2007/07/16

華やかなパリ祭〜〜


 
 7月14日は革命の記念日で、この日にマリーアントワネットの首がはねられたことは、『ヴェルサイユのバラ』で成長した少女なら、みんな知ってる。いま、テレビで『ヴェルサイユのバラ』をやっている。『小公女』も『家なき子』も『フランダースの犬』もテレビでやっている。

 引っ越し前からテレビは段ボール箱に入れたままだったのだが、この前JPが屋根裏の掃除をしていたら、アンテナが出てきたので、テレビが段ボール箱から出された。家の中が一挙に『現代的な家庭』になったけれども、この数年でどこの家庭でも液晶テレビっていう奴を取り入れているらしいので、我が家を訪れる人はみな『へえ〜』と言う。

 家の片付けはだいぶ進んで、月曜日の朝にはゴミ袋を6個も出した。ゴミは自宅前に出すと、トラックが一軒、一軒の前で停車して拾ってくれる。我が家はT字形交差点の突き当たりなので、横に走る道路をトラックが通る時間にまだゴミ袋を出してない場合、しばらくして回収車が縦に走る道路を上ってきた時に、ゴミ袋を振りながら走って出て行くと、気持ちよく拾ってくれる。ゴミ回収のおじさんたちはみんなとてもさわやかだ。

 家のゴミをかき集めていたこの数日間で、アイロンをかけなければならない洗濯物が、山のように溜まってしまった。ちりも積もれば山となる。洗濯物も積もれば雪崩が起こる。洗濯物がカゴを飛び出して崩れていた。せっかくきれいに伸ばして干したのに、ぐちゃぐちゃで、アイロンにも時間が掛かりそう。

 アイロンを時間を気にせず気持ちよくじゃんじゃんやるには、テレビが活躍する。
テレビをつけたらちょうどニュースの時間で、前夜の《パリ祭》の報道だった。
 《フランス革命記念日》はなぜか日本では《パリ祭》と訳されているらしい。へん。どんな田舎でも市役所前で消防軍団や警察官などの公務員が行進し、記念像などに花束を捧げる。花火大会の行われる町もある。パリだけのお祭りじゃない。

http://www.tour-eiffel.fr/teiffel/fr/ludique/video/index.html

 テレビで見るパリ。。。ああ、パリ。。。なんと華やか。
エッフェル塔を舞台に繰り広げられる花火大会。シャンゼリゼでの数万人コンサート。数年前には坂本龍一がジャン・ミッシェル=
ジャールとライブをやった凱旋門の野外コンサート。ものすごい人が、踊り、唄い、シャンペンを頭からぶっかけ合っている。嗚呼、パリ。ものすごい人だかりを見ながら「トイレと迷子はどうしてんのかなあ」と、そんなことを考えた。

 カーモーは花火もなし。我が家の7月14日は静かに過ぎ、15日の日曜日は森を散歩した。ボボが森で行方不明となり、探し歩いてくたくたになった。セルー川に足を突っ込んだら、冷たくて20秒と水に触れてはいられなかった。
 JPの4連休が終わった。だいぶ屋根裏部屋がきれいになった。

2007/07/15

置き忘れ

 新ちゃんのお母さんみたいに、心優しく、子どものことをいつもいつも思ってあたたかな母になろーと思ったばかりだったのに。。。こともあろうに実の娘を置き忘れてしまったっ!!

 いや、忘れてたってわけではない。

 13日、午前中に算数と国語の授業があって、お昼にいったん帰って来たものの、午後ノエミはキャンプ用具一式を抱えて学校に出かけていった。午後キャップデクベートのプールに行ったあと、夜は希望者だけ残って、キャンプをすることになっていたのだ。キャンプ場までの4キロは、炎天下の徒歩。セルー川のほとりだったそうだ。我が家から約3キロの場所、校区内のそんなところに、キャンプもできて泳げる川があるなんて、知らなかった。田舎だったんだなあ。。。やっぱり。

 子どもたちはテントを張って、料理を作り、夜も遅くまで騒いで、蚊に刺されながらひと晩過ごし、朝は太陽とともには起きてしまって、12時には解散となった。

 夏休みの公開授業参加については、ご近所に住むロリーのお母さんとの話し合いで、お昼のお迎えはロリーのお母さん、夕方のお迎えはわたしと話がついていた。だから、わたしは解散の時に迎えに行かなかった。ロリーのお母さんの番だと思って。
 ところが、ロリーのお母さんはキャンプ解散が、いつもは授業のない《例外》の土曜日だったし、おひらきは学校ではなくバス停になっていたので、わたしがちゃんと迎えに来ると信じきっていて、ロリーを載せたらまっすぐ帰ってしまったそうだ。
 JPが11時45分に「迎に行こうか?」と言ったのを、わざわざ「ロリーのお母さんに任せてるからいいよ」と言って、迎えに行かせなかった。12時15分に電話が来て、「お宅の娘さんだけが、まだ残っているんですが?忘れたんですか?」と言われ、JPが、自宅から5分のバス停まで迎えに行った。そしてJPに恥をかかせた。

 自分の子を、他人任せにしてはいけないのだあああ。。。

 ノエミは全然気にしてないよと言っていた。ただ、暑いのと、蚊に刺されたのと、いつもけんかばっかりしているクラスメートのアマンディンが、ジャガイモを焦がしたはなしと、バナナ・フランベを失敗したことだけに腹を立てていて、親に置き忘れられたことも忘れたかのように、丸一日の出来事を機関銃のように話した。家の中が一気にうるさくなった。

 ゾエはと言うと、もう2週間以上もJPの実家に預けたまま。電話すると受話器をとるお義母さんのはるか後方で「遊んでるから手が離せない」とか、「話すことない」とか言ってる。けっこう冷たい。それでも「ところで誕生日のプレゼントはなんにする?」のはなしになると、電話に出て注文を出して来る。
 7月25日が誕生日で、その頃にはノエミの中学校も終わっているので、誕生祝いを(JPの実家で)するついでに、ノエミも置き去りにして来るつもり。本当は家族水入らずでどこか華やかな観光地に行って、毎日ホテルに泊まり、レストランで食事をしたいのだが、まあ、そうもいかない。。。

 友だち一家や弟家族が来る予定なので、とっても楽しみ。そして、ひたすらにゴミを捨てる毎日。。。まだある。まだある。赤十字にも段ボール箱二つを届けなければならない。

 ひさしぶりに 筒井康隆の『農協月に行く』を読んだ。若い時代の感動が薄れていた。『情状酌量』は最初の50ページを読んで挫折している。たいていのアメリカ推理小説の翻訳は、つまんない。(と言いつつ、自分には無理)

2007/07/14

新ちゃんがないた!



 天気がよかったので、倉庫の片付けをした。

 家庭用品やおもちゃ、着ない服などがわんさか出て来て、ゴミ袋に7つぐらい出した。なんでこんなにゴミを溜めるんだろう?
洋服や雑貨を整理して赤十字に出すように段ボールに詰めなおした。
 シーズンオフの服や、もらった服なども別な段ボールにきれいに整理しなおして、屋根裏部屋に上がる階段の下まで持って来た。
連休を利用してJPが屋根裏部屋の工事を進めている。「場所がないから早く工事終わらせて、棚を作って」という『切迫感』を与えないと、いつまで経っても終わらない。もう2年以上かかっている。

 よく働いた一日の終わりには、お楽しみの時間も待っている。
本棚もちょっと片付けたので、読みたい本が10冊ぐらい絞られた。寝るまでの2時間で終われそうな本を1冊に決めた。10冊も読めないんだから、本棚においてくればいいのに、候補は常にベッドの周りで雑然と順番が来るのを待つ。

 『新ちゃんが泣いた』(文研出版)は、小学校中学年以上で読める子どもの本だ。
子どもの本の翻訳をやるようになってからは、子どもの本も読むように心がけている。この本は4月に出版社の人が、お奨めの本としてフランスまで持って来てくださった本の中の1冊。

 写真は、表紙の絵と、それから新ちゃんが泣いている姿があまりにも切ないので、背表紙もコピーした。

語り手の『おれ』は剛で、《新ちゃん》というのは表紙の絵で杖をついているほうの子だ。新ちゃんは《四肢性マヒ》という病気で、両足ともふにゃふにゃして直立するのがとっても難しい。それで1年生から4年生までは、町の、特別な学校に通っていた。5年生になって、たくましく、大きく、強くなった新ちゃんが田舎の小学校に戻って来るところから物語は始まる。
 
 新ちゃんとは対象的。健康で、元気で、スポーツ万能で、友だちは多く、お母ちゃんが怖くて校長先生の苦手な剛は、幼なじみの新ちゃんのボディーガードとして活躍する。でも、病気でみんなに親切にされてる新ちゃんのこが《うらやましい》学校の友だちに、いじめられて、悔し涙を流すのは剛の方。新ちゃんはクール。
 新ちゃんはめったに泣かない。笑い泣きと、感動の涙は流す。
でも、その新ちゃんが物語の最後に流す涙は、優しい言葉をかけて見守る、温かい心のお母さんに触れた時に流れる涙だった。
こんなお母さんになれたらいいなあ、と思って、わたしも涙が出た。

 本の中では、子ども達が感動したいくつかの本が話題になる。本嫌いの剛に14ページもの感想文を書かせて、自然の中に新しい喜びを見いださせてくれた、椋鳩十全集もそのひとつ。『山の太郎ぐま』については剛も紹介している。わたしは『マヤの一生』を持っている。

 椋鳩十さんという人は、故郷の指宿には縁の深い人で、母校丹波小学校の校歌は、この人の作詞だ。『久保田彦穂』という本名で作詞をされているので、彼が椋鳩十さんだと知ったのはずいぶん大きくなってからだった、と思う。

 松の若芽のすくすくと
 伸びて元気に天をさく
 みんな仲良く肩組んで
 素直に伸びる丹波の子

という歌詞だった。今でも忘れない。
  
 http://www5.synapse.ne.jp/tanba-e/kouka.htm

2007/07/12

Il fait bon, pour lire...



Les enfants ne sont pas là, on dirait en automne, je lis beaucoup.

Il faut que je lise aussi un peu de livres en francais...

世にも美しい日本語入門
安野光雅 / 藤原正彦

涼しくて読書の秋。。。のようだ。


 
『博士の愛した数式』小川洋子
traduit en francais : La Formule preferee du professeur par Yoko Ogawa et Rose-Marie Makino-Fayolle (Broche 2005)
Une histoire emouvante. Un professeur de math. adorable.

この本を、いつかは読みたいと思っていた。主人公が数学者だというので。

 わたしは数学に嫌われている。
高校で習った《はず》の数式も公式も、すっかり忘れてしまった。
《はず》といったけれど、じつは《習った覚え》などない。
数学の授業に出た覚えも、数学の教科書を持っていた覚えもない。

 高校の1年と3年の担任はたしかに、統計と表作りの大好きな数学教師だった。そのカワナベから、数学を習った覚えはない。でも、牛乳ビンで頭を殴られ、頭が《ルート》のような形になったあと、翌日にはタンコブ化した覚えははっきりと残っているので、たしかに、彼にも嫌われていたんだろう。ってことは、カワナベの授業には一応出たものの、悪い点数を取っていたということだろう。

 カワナベはありとあらゆる統計(欠席率。宿題忘れ率。遅刻率。など)の付録つきというとんでもない成績表を親に送りつけるのが趣味だった。(義務?)それをわたしは、普段は何の共通項もないクラスメート、本当の姿を知らない上級生と下級生にだけはたしかにモテていたクラスの男子《アXタ》氏と見せ合って、「今回ビリに近いのは、どっち?」などと、下等競争をした覚えもたしかにある。

 数字には嫌われている。
ボールに、と同じぐらい嫌われている。
バレーボールでも、卓球でも、テニスでも、バスケットでも、ありとあらゆるボールに、わたしは嫌われていた。

 計算は苦手だけれども、数えることはけっこう好きだ。
車に乗っている時、電柱が風景に流れて行く様を見て、ここからあそこまで辿り着く間に、何本の電柱があったか。あるいは、タイルの上を歩く時に、足の二つの親指が、きちんと三個先のタイルに降りるように歩くとか。。。ショーもない決まりや、リズムや、公式を作るのが好きだった。だれにもわからないロジックを発見あるいは発明するのが大好きだ。とてもロマンチックだと思う。

 この前ラジオを聞いていたら、数学者がまったく同じことを言っていた。この人はいつもなにかを数えているらしかった。道を歩く時には歩道代わりの白線の上を落ちないようにまっすぐ歩く(だから曲がる時は直角に)とか、信号が青から黄色に変わるとき何台の車が走り抜けるか自分一人で賭けをやる、とか、前から来る人で赤い服を来ているのは何人か果てしなく数える、地下に降りる階段は何段か、エレベーターは何秒ごとに階をのぼっていくのか。。。そういうことを考えながら、町を歩くのがとっても楽しいと言っていた。
 わかる、わかる。

 ノエミを見ていると、彼女もまた、わたしのようなオンナだというのが見て取れる。自宅の廊下や台所に張られたタイルの上を考えながら歩く様子を見ていると、なにか彼女だけのロジックによって、踏んでいいタイルと踏んではいけないタイルがあるようだ。トイレットペーパーは、切れ目が4枚分のところでぴりぴりと切る、などもその類?階段の数や色別の自動車台数や、電柱や信号などを数えるのがうるさくて、よく運転中に「静かにしろ」と言われている。記号や暗号が大好きで、音楽をはじめた時にも、音痴だし、リズム感がないからだめだろうと思ったら、楽譜は記号と暗号の宝庫だった。だからすぐに楽譜を読めるようになった。同じ趣味があっても、わたしのように数学には結びつかない可能性は、きっとあるだろうが、今のところ、算数は大好きみたいだ。4でヨットだとか3はだれかの耳になるだとか、数字を利用したおもしろいだまし絵を描いているのを何度も見たことがあるし、地図や家の設計図みたいなものを描きながら、そこにちまちまと「窓の高さは何センチ」とか、「三角屋根の底辺は何センチで角度はいくら」とか、描いた設計士みたいな絵もある。もちろん本当に測って書いたわけでもないし、その数字を利用して模型など作れない。ただ、数字を書いたら頭よさそうに見えるからじゃないか。

 『博士の好きな数式』の解説を書いている数学者の『藤原正彦』さんという方が、とてもおもしろい日本語論を持っている人だと知ったのは、先日、この二冊の本の関わりも知らずに手にした『世にも美しい日本語入門』という本を読んだ時だった。
『日本語入門』と名のつく物は大嫌いで、あまり読みたくない方だけど、つい先日友だちにもらった本の中にこの本があり、そこに藤原さんの名前の横に、《安野光雅》さんの名前があったから、という理由で、この本を読み始めた。安野さんのだまし絵や、外国の風景画が大好きなので。
 安野さんは藤原さんの小学校時代の先生だったらしい。小学校の頃の先生との思い出とともに大きくなった少年だったんだなあ、と思う。そのころ感性が育てられたんだろうか?感性豊かな子だったら、数学も得意になれるんだろうか。

 夏休みに入って、この二冊を一気に読んだ。まだ読み終わってない本が家じゅうの至る所にあるのだが、この二冊はあっという間に読み終わった。

 美しい日本語について、いろんな発見があり、そしてまた、数字の奥深さを感じた感動の二冊だった。江夏豊の背番号が28というとても貴重な完全数(自分以外の約数を足すと28になる。1+2+4+7+14 =28 そして 1+2+3+4+5+6+7=28)であると知ってからは、つい家の中で28を探してしまう。前から8は好きだったけど、誕生日は29だ。惜しいなあ。
 

こんどは、台風の目



Un cyclone s'approche vers le Japon

和歌山県田辺市の田辺海保庁舎から撮影された、田辺湾上を通過する台風23号の目と思われる写真(夕方5時15分ごろ)(田辺海保提供)(時事通信社)

 鹿児島に台風が近づいているらしいので、「台風の目」について調べていたら、いろんな所でこの写真に出合いました。
それで、わたしもちょっと拝借。いいのかな?今日の写真ではありません。

台風の目に入ったら静かになるってことですが、そうかあ。。。こういう晴れ間になっているのか?

指宿は大丈夫かなあ?

2007/07/10

ある週末

La soiree bresilienne avec le feu d'artifice, etait maginifique.
J'adore écouter la musique exotique malheureusement je ne sais pas danser...
Nous pensons retourner à Cap D'ecouverte pour aller se baigner. Je ne savais pas qu'il y a une plage a Carmaux !!


週末、週に1回だけ無農薬野菜を届けてもらっている農場に、草むしりと種まきの手伝いに行ってきた。
 前日は涼しかったのに、午前中にがんがん晴れたので、地面はすっかり乾いていた。ダイコン畑の草むしりは、全部終われたけれども、ニンジン畑の地面は固すぎて作業にならず、草むしりは半分で中止。
 水分補給と、ベジタリアンケーキでおやつ。そのあと倉庫の中でキャベツの種を撒くことになった。
 JPが農家のリッシャーに習って、《モット》(種の床となる土の塊)を作る。ひとつのケースに120個のモットができるしかけだ。そこに、ノエミとわたしとで、一粒ずつ種を落としていく。ひとつの種類につき、240個ずつの種をまいた。3種類のキャベツと1種類はチンゲンサイみたいな緑の葉っぱのお野菜。食べ方はほうれん草と同じ。種の形が星砂みたいでおもしろい。
 
 リッシャーが言うように、種まきというのは終わったあとに「ああーとっても良い仕事をしたなあ」という気分になれる、癒される作業だと思う。
 小さな苗床に、神経を集中させて、一粒ずつ植えて行かなければならない。細かい作業なので、手の小さなノエミとわたしにはもってこい。大きな手をしたリッシャーにはとても根気のいる仕事で、一人きりではとても時間が掛かるそうだ。積み上げられるケースを数え、「これが30家族分の野菜になる」と計算したり、計画を立てたりできる。
 静かな風の吹き抜ける倉庫で、小鳥、ニワトリ、カエル、馬、犬、猫の声が耳をくすぐる。外ではトマト畑となっているビニールハウスの、大きく開かれたビニールカーテンが風にはためき、トマトの葉っぱを揺らしていた。
 ノエミが出す、農場で疑問に感じたありとあらゆる質問に、リッシャーがつたないフランス語で一生懸命応えていた。何とも楽しい会話。JPは太陽の照りつける倉庫の入り口で、苗床作りのため無心に汗を流す。普段はパソコンの前で白い顔をしている彼には、とてもよい作業になった。

 リッシャーはイギリス人だから馬や犬とは英語で話す。それを真似して、ノエミとわたしも「おすわり」は上手に英語で言えるようになった。最初はわたしたちの英語が通じなかったのに、何度かやってたら犬のメドラがちゃんとおすわりしてくれるようになって、うれしかった。 そうか、語学の練習は、犬とやればいいのかあ。通じるまで絶対に許してくれないから、上手になれるかも?

 わたしはアルコールは飲まないが、リッシャーのシュロというお花で作ったシャンペンは、すっきりさわやかで、とってもおいしかった。

無農薬野菜は、月極でお金を払っている。去年から何回かは天気のせいなどで野菜が取れず、野菜の届かない週や、カゴにいっぱいにならない週もあった。そのかわり、取れる時には山盛りでやってくる。
 農家でニワトリを飼ってもらって、卵ももらっていたけれども、毎日生まないから卵パックがいっぱいにならない週もある。卵を産めなくなった鶏をこの前義弟の誕生日に《プロポ》にして食べた。苦い思い出なので、もう金輪際ニワトリは飼わない。

 この農場ではカゴで30個から40個の出荷だけ、メンバーだけに野菜が配られるシステムで、大型農機なども使わず、若いご夫婦が二人っきりでやっている。今年赤ちゃんが生まれたので、いそがしい時には農業高校などから研修生に手伝ってもらっているようだが、基本的には家庭菜園みたいなもの。といっても数ヘクタールもある。
 「無理をしない」「儲からなくてもちょうど食べる分あればいい」という農家で、かわりに、メンバーがお金を払った分は一年を通して野菜を作ってくれる。しかも、スーパーでは売っていない《古代の野菜》とか、《珍種》とか、面白い物もある。キャベツの種類は10種類以上。

 自分が食べる分の野菜にはお金を払っているし、農家の人の仕事は農家の人の仕事なので、メンバーにとって草むしりなどは義務ではない。今週も参加したのは我が家だけ。うちは農家に行くって言うと子ども達が喜ぶから行くようにしている。
 それから、子どもたちが普段嫌いな野菜でも、自分たちで世話をしたのだとよく食べる。冷たい秋の雨の畑で、どろんこになって収穫したカボチャも、炎天下で草むしりをしたニンジンでも、《わたしたちの野菜》だって言って食べていた。そして、自分たちが世話をしなかった野菜でも、「リッシャーが雨に濡れて収穫した大根だよ」とか「カテルが大きなお腹を抱えて水まきをしたキャベツだよ」とかいうと、子ども達も農家のことを思い出して、残さない。パソコンの前で過ごす日曜日よりは、ずっと素晴らしいと思うので、お手伝いできることがある時には声をかけてもらうことにしている。

 慣れない人に手伝ってもらうと、細かいことを説明したり、なにかにつけて呼ばれたりして、農家の人もはかどらないと思う。でも、リッシャーは気持ちよく手伝わせてくれる。農家の人も、一人で黙々と炎天下で草むしりするよりは、ビール飲みながらやるのが楽しいそうだ。週末のお仕事だから、のんびりでいいのだ。

2007/07/07

ロデオのチャンピオン Championne de Rodeo



 四方に伸びるロープを、クラスのみんなが力を合わせて引っ張ると、ゴムでできた馬がめちゃくちゃな方向に揺れる。
ゾエちゃん、見事5分間の激しいロデオに耐えました。
クラスみんなが挑戦して、落ちたのは二人。
いつも幼稚園で威張っている子たちでした。
威張ってる割には根性ないのか?はたまた、いつもの恨みを晴らそうと、みんなが力を合わせてしまったのかな〜〜?
ふふふ

インディアン村の写真ができました。




Avec Le Chef indien, devant son Tipi.

インディアン村のシェフといっしょに。ティピテントの前で。
ビゾンの骸骨や、むかし動物や白人と闘った武器も展示されていました。

インディアン村



Chanter et danser pour faire pleuvoir .
Le soir-même, nous avons eu un gros orage avec du tonneur !!

ティピテントの中。
トーテムを囲んで、子ども達が踊る。
インディアンの女の子が教えてくれたうたを唄いながら。
雨よ降れ、風よ吹け。

その晩は、雷を伴う暴風雨だった。

2007/07/06

見られてるう〜



 従姉が送って来た、驚きの映像。
彼女のメールをそのまま転送。このメールも、彼女の友人から転送。
ま、いいか。。。
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 ナサのハブル望遠鏡撮影。「7つの願いをこめて」

この写真はナサの天体望遠鏡で撮影されたもので、3000年に一度と言われている大変珍しい現象です。これは「神の目」と呼ばれています。
この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわれており、見るものがこれを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。
とにかく試してみて、どのような変化があるか、見てみてください。
今日から七日までが最も強いパワーだそうです。
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見てるとちょっと怖いですねえ。
「見つめるものには多く奇跡が訪れる」とあるけど、「見つめるものすべてに」じゃあないので、そこのところは了承でしょうか。
奇跡かあ。
「七つの願い事」っていわれても、自分には大した願い事がありません。幸せな証拠でしょーか?

 今度の13日の金曜日ビック宝くじに一億ヨーロが当たりますようにって。。。やっぱり甘いかなあ。
宝くじを当てて、億万長者になったら、一体何をするだろうねえ。

2007/07/04

ノエミ、中学校へ

 ノエミは10歳。
フランスの学校では、基本的に1月1日生まれから12月31日生まれの子どもが同学年になる。
ノエミは12月生まれで、クラスで一番《若い》そして、小さい。
フランスの学校には飛び級と落第もあるので、同じクラスの中には。ノエミよりも頭が二つ分背の高い子どももいる。
2回落第をした子は、3回目には成績がよくても悪くても進級させられる。ノエミのクラスでは一人を除いて全員が同じ学校に進級した。その一人も、親と子どもに「落第を希望するか」が打診されて、希望によって落第させた。近所の仲良しなので、来年度もきっといっしょに遊んだりできるはず。中学校はこの地域にひとつしかない。5つぐらいの小学校からみんなひとつの中学校に集まってくる。音楽学校などで顔見知りだった、ほかの学校の子たちもいて、すぐに仲間になる。

 中学校では体験入学というものが開かれる。これはすべての中学校の義務ではなく、中学校の校長先生をもとに、学校ごとに施行決定される。ノエミの行く《ビクトル・ユーゴー中学校》では、7月5日から20日まで、あるいは、8月の最後の10日間に、体験入学の授業が行われることになった。こんな長い期間に、毎日毎日授業を行う学校は、県内でもたいへん珍しい。「そんなのない」というところが多い。
 
 ノエミは近所の仲良しの子たちといっしょに、7月5日、夏休みに入ったその日から中学に通い始めた。
9時から12時までフランス語、英語、数学の授業が行われる。お昼には自宅に戻り、14時から17時までは、音楽や美術、スポーツなどなど、まあ、夏休みのキャンプ場で行われるような楽しい活動が待っている。
 7月13日と14日には、テントを張ってのお泊まりもあるし、県外の水族館やスポーツ施設への一日遠足もある。
毎日の授業は小学校での復習とゲームなどで、「簡単すぎてたいくつ」などとみんな言っている。でも、体験入学に来ているみんなは《すべて》子どもの希望で参加している。たぶん嫌々来ている先生もいないと思う。だから学校の雰囲気はとても良い。

 7月の体験入学者は45名。5つのクラスに分かれた。校長先生や、数名の常勤教師、非常勤教師も毎日参加している。2ヶ月の長い夏休みには、夏休みとなるその午後から、ヴァカンスに出てしまう教師がほとんどなのに、この中学校の先生たちは熱心だなあと思う。校長先生とはもう何度もお話をする機会があったし、子どもたちもすっかり学校に慣れた。
《居心地のよい学校》《信頼できる先生》今のところはそういうイメージ。さて、新学期やいかに。

 卒業式はなかったし、入学式もない。夏休みに入ったらそのまま中学校に入った。けじめがつかないって気もしないでもないけど、子どもの緊張感と親のストレスも、あんまりない。国旗掲揚も国歌斉唱も、ないから気が楽。。。

 自分の子が中学生だなんて。。。あーあ。。。

2007/07/02

2007年6月の終わりに描いた牧場の絵



 ゾエは日曜日の午後、おじいちゃん・おばあちゃんとおじちゃんに連れられて、ナルボンヌに行ってしまった。
ノエミの頃には5歳頃まで、人に子どもを預けることなんかできなかった。はじめて2週間ぐらい預けた時には、わたしも子どもも泣いていた。夜になると電話を掛け合っていた。
 ゾエはけっこう平気だ。
去年も一昨年も、ずいぶん長い時間を、ナルボンヌで過ごしている。
去年も一昨年もノエミが乗馬キャンプに行ったので、ゾエは一人で過ごした。
今年はノエミは中学校の体験入学があるので、7月中にはお休みはなし。ゾエが出て行ってからは「退屈だ。ゾエがいなくて寂しい」と、そればかり言っている。毎日けんかしてるのに。

 ああ、それにしても、ひとりっ子の女の子の家庭というのは、こんなに平和なものなんだろうか。
キーキーいう女たちがいないので、父と母のストレスも溜まらない。少々のことでは腹も立たない。家の中に物音がない。

 学校もあと残すところ二日となり、しんとしている。教職員も、子どもたちと同時に夏休みに入り、翌日には一切学校には出て来ないので、教室の片付けなどを子どもたちにやらせて、残った時間はゲームなどをやっている。

 ゾエが急にバカンス入りしたので、幼稚園に出て行って、引き取るものをもらって来た。一年間に勉強したノートや、部屋履きなど。
ずいぶんいろんなことを勉強したものだ。来年度もまた同じ先生が受け持ってくださるというので、親も子もとても喜んでいる。
 ゾエの大好きなエリオットは、飛び級して来年度はいきなり小学校に行ってしまうので、ちょっと寂しがっているけれども。

6月に描いた絵と、去年の新学期に描いた絵を較べるだけで、成長したんだなあ。。。と思う。

 ほんとうにほんとうに夏休みだ。

2007/07/01

2006年9月の新学期に描いたキリンの絵


 
 去年の新学期にゾエが描いた、キリンと女の子とおサルの絵です。