2011/10/18

DENSHI



 免許を持っている指導者たちのグループであるDENSHIの、記念すべき第1回指導者講習会が、ここ、カーモーの、我が《白悠会》の道場にて開かれることになった。免許があって、すでに自分のクラブを開いている人と、そのアシスタントたちを集めることになり、20人限定での募集を行った。普段よく行われている都会の講習会は、市の体育館などを使って、剣の剣道連盟などの支援もあり、無料でしかも参加者のレベルなどは無関係で行われることが多い。今回カーモーで行われる講習会では、主催者側と、講習会を行ってくださるチュヴィ先生の要望で、参加者がかなり絞られてしまういくつかの条件が提示された。おかげで、同じ意志、価値観を持った、やる気のある人だけが、講習会の内容をちゃんと理解した上で、あらかじめ心身共に準備して来てくれたので、量より質の大変濃い講習会になったと思う。

 テーマは、昇段試験の前に、どのように準備したらよいか。あるいは、どのような準備をさせたらいいか。

 今回集まった各地の参加者は、参加資格の条件によって四段以下の人に絞られていた。参加者15人のうち四段は3人。みんな「そろそろ五段を目指した方がいいのでは?」と言われているメンバー。個人的には段はどうでもいいなんて思って来た。試合も。けれども、剣道には「戦闘心》みたいなものがあってこそ生まれるパワーというものがあって、しかも、「切るか切られるか」の臨場感や、数分の中で技を出し切って、捨て身で修練の成果を表現する、、、、試されるという「緊張感」がなくては上達できないと言う人もいるので、それはそうかもしれないと思う今日この頃。五段の道はかなり厳しい。そして、南西フランスのこの地方では、3段以上が不足しているので、こんなことではそれ以下の人たちも伸び悩むのだ。と、いうわけで、このような講習会が開かれることになった。

 三十年以上剣道をやっていて、自分のせいで怪我をしたということは、記憶にない。野蛮な人に突き飛ばされたり、変な所を打たれて痛い目に遭ったことはけっこうある。そういえば一度稽古中に肉離れしたこともあったけれども、あれはすぐに治って、怪我とも思えなかった。でも、いま、脚の裏の腱炎というのに悩まされている。土曜日の稽古で、脚の裏がミシッと音を立てたように、《プッチン》とぶっちぎれたように、痛みが走った。なので、本番の日曜日の講習会では、歩くこともままならないほどだった。どんなに痛くても、道場で痛いと言ったことはない。痛くても剣道やってる時には感じないから。わたしは面の中でいつもニヤニヤ笑っている。だから、いつものわたしだったら、せっかく自分の道場で行われている講習会を、棒に振ったりしない。最後まで脚ひきずってでも、やるところだ。でも、メンバーの中に脚を専門にしている医者がいたので、その場でドクターストップが掛かってしまった。見学。。。つまり、見取り稽古。

 正座してみんなの膝辺りの高さから見取り稽古するのは、大変勉強になる。みんなの悪い所が残さず見れる。写真を撮ることもできる。だから、何もしなかった、とは言えない。でも、ちょっと身体が温まらないのは、剣道じゃないから、やっぱりつまらない。

 道場に隣接している市の建物で、お食事会もやった。土曜日の夜はみんなでレストランにも行った。道場には4人の若者が、寝袋持参で寝た。我が家にも4人来て泊まった。工事中の屋根裏の大工道具と埃をあわてて片付けて、2人寝かせた。日曜日は狭い台所で《すきしゃぶ》をやった。《すき焼きのようなしゃぶしゃぶのようなもの》だ。どうせみんなにはわからないので、「今日はすきしゃぶだよ」と言った。

 次のあさは脚が痛かったので、屋根裏に泊まった若者たちがボボの散歩をやってくれた。一人、また一人と出て行くのがとっても寂しかったが、また来年も来てもらえるんじゃないかと思う。みんながとってもよい講習会だったと喜んでいた。我が道場で講習会を開いてくださったチュヴィ先生と、主催者に大感謝。

 「来てくれて、ありがとう」を、何度も何度も言った。
「うちにも来てね」と何度も言われた。そのうちフランス全国道場巡りツアーができるかもしれない。

2011/10/06

一本のきずな



 夏に、奈良の川上村というところにも行った。奈良県吉野郡川上村というところで、京都からずいぶん時間が掛かった。剣道の上垣先生には5時頃着きますと伝えてあったので、『これは遅れるな』と思った途中の乗換駅から電話すると、すでに到着駅で待っていてくださって、そのあと一時間後に着いてしまった。世界でも名高い先生を待たせるとは、最初から印象が悪い。その村で2泊3日を過ごした。スタートの予定では4泊5日だったのを、2回の予定変更で2泊になってしまい、今思うとほんとうにもったいなかった。
 「駅に着いたら電話します。駅から歩いて行きます」などと言っていたのに、先生のお迎えと、あちこちへ送っていただかなければどうしようもない。。。山奥だった。わたしは海のそばで育ち、大都会ではないけれども、歩いてなんでもできる程よい地方の町の、駅の近くの商店街で大きくなったので、こんな山奥の不便なところには、生まれて初めて行ったのではないかと思う。森や川が美しく、木枠の窓の向こうには雲海も見える素晴らしい道場があり、そこには奈良などから2時間以上も掛けて山を登って来ては、稽古に励む先輩たちの笑顔と汗の匂いがあった。朝稽古のあとのおいしいうどんやおそば。
 先生が歌うようにおっしゃる、「さあさ、寄せてもらってください」や、お礼を言うたびに「なにをおっしゃいますのや」の響きが、なんとも優雅に心を揺らす。鹿児島の「ほら、食べんね、食べんね」や「なん言っちょっとよ〜」とは、品がぜんぜん違うのよね〜。



 その川上村が台風12号に直撃された。ラジオのニュースで「日本で大きな台風の被害が」と報道されたので、鹿児島じゃなかろうかと思って、インターネットのニュースを見に行ってみたら、川上村の、上垣先生がお勤めになっている村役場から数メートルの場所で、土砂崩れがあった模様。びっくりしてメールを書いたがいつも折り返しで返事をくださる先生から、返事がない。数日前にメール交換をしていた、川上源流館の松本先生にメールを書いてみたら、「みな無事。人的被害はなし」とのことで、とりあえずひと安心した。

 このことを、今年川上村で剣道して来た数人の仲間に話すと、「なにかできることはないか」との質問が殺到。「募金なんかどう?」と言ってみたら、あっという間に有志が集まった。それで『一本のきずな募金』というのを始めることにした。個人的なアドレス帳に名前のある約100人の剣道仲間に一斉メールを書いた。そして、フェースブックでそのことを伝えた。数日後フランス剣道連盟から電話が来て、『勝手なことをして』と叱られるかと思ったら、逆に褒められた。フランス剣道連盟では、春の東北大震災の時に柔道連盟といっしょになって、大規模な募金を行い、たくさんのお金を集め、日本に送った。ただし、そのお金がどうなったのか、定かではない。なので、今回のように個人でやってもらって、そのお金がどういうものに使われたのかを明らかにしてくれるならば、剣道連盟は協力を惜しまないと言ってくれた。翌日には、剣道連盟の応援という形で、わたしが個人的に友人たちに配信したメールが、全国の道場に配られた。フランスの剣道人口は5000人から6000人というところ。

 お金は、個人の名前で集めるのではなく、わたしとJPが去年設立した、『白悠会』の公的な銀行口座で集金し、そこから川上村の役場に送られることになった。募金の際にはフランス各地のきれいな絵はがきを送ってもらうことを条件にした。それを訳して、川上村の小さな役場においてもらいたかった。

 川上村では、廃校になった小学校が村の手で改修され『川上源流館』という道場に変身している。そこでは、1年に1回、2000人もの子どもたちを集めた剣道大会が開かれる。人口が2000人足らず、60パーセントから70パーセント以上が65歳以上の村で、1年に1回、各地から集まる高名な高段者の先生方を審判にお迎えし、2000人の剣士と、その家族、応援者が集まって、盛大なお祭りが行われる。小学校の体育館には6コートか8コートもの試合場が設けられ、森の木々がふんだんに使われて改修された校舎あとの宿泊所では、300人を寄宿させることができる。村をあげて剣道発展に尽くしているという感じだ。





 上垣先生のお人柄で、遠く海を渡って、わざわざそこに出かけるフランス人剣士たちの数も、年々増えている。植林の盛んな、川上村の、崩れた山を見るのは胸が痛い。しかも、あんなへんぴなところで、国道が封鎖されて、いったいどれほどの不便を強いられているものかと思う。川上村をすでに訪れたことのある剣友たち、噂を聞いてあの村で稽古することを夢みている仲間たちは、みなわたしと同じ気持ちのようだ。たくさんの心配するメールをもらった。

『一本のきずな』募金は広がっている。毎日我が家に小切手が送られて来る。ありがたいこと。村では、山の植林のための苗木を買ってもらう費用、道路工事の復興などの費用にあてられるようにとお願いしたところ、道場の横に一本だけ、「フランスと日本の友情の植樹」として苗木を植えてくださると村役場からの伝言をいただいた。「一本のきずな」が川上村に根付く。

 川上村でいただいた手ぬぐいに『交剣知愛』と書されていた。《いっぽん》を追求して汗を流し、剣を交えながら仲間同士、老いも若きも剣を交えてお互いを磨く。一本の剣というかつて武器であったものが、現代においては友情のきずなになる。。。そんなことを夢に描きながら、毎日剣道をしている仲間たちが、いつまでも日本の自然を見守って行きたいという思いから、あの村に思いを寄せている。





 川上源流館のように、遠いところからも人の集まるよい道場にしたいと思う。今週末《第1回目の指導者講習会》が、ここ、カーモーで開かれる。遠いところから人が集まるので、わたしたちは忙しく準備に追われている。「よい講習会であった」と言われるようにがんばる。いよいよみんなに「来てくれてありがとう」と言うことができる。