2007/09/23

9月6日 嵐のような一日

 嵐になりそう。台風来てるんだから、当然だけど。
テレビでは小笠原諸島の被害がひっきりなしに報道されている。朝から雨がじゃんじゃん降っている。
「お願いですから」とお願いし、ホテル9時半出発のところ10時にしてもらっていた。
でも、疲れきっているミーさんがあまりにも気の毒だったので、9時まで起こさなかった。
荒れ狂う皇居の森を、びくともしない国会議事堂を眺めながら、だまーって朝食をとった。本日は電車で横浜に行かなければならない。
 10時10分にロビーに降りていくと、3秒おきに腕を持ち上げて、時計を見る貿易会社の社長さんが、靴を鳴らしていらついているのが見えた。10分の遅刻。

(中略)

横浜シェラトンまで鉄板焼を食べに行った。港の素晴らしい眺め。
「ほら、台風がそこまで」などと言って笑った。(まだ余裕)

 大急ぎで食事して、電車で都内にUターン、10分ぐらい某百貨店内を通過した。ミーさんのフランスのアトリエで修行をしていたパティシエがお店を出していて、ミーさんは大喜びだった。彼には修行中に、アルビでお会いしたことがある。まじめな方だったのをよく覚えている。その時に一緒に修行していた二人の日本人も、立派になっているのだろうか?

(中略)

 きゅうきょ予定を繰り上げて、16時に訪問予定だった京橋の《イデミ・スギノ》さんのお店に向かわせていただくことになった。
 スギノさんは世界チャンピオンにもなったことのあるケーキ屋さんで、数年前にテレビに「出てしまって」からというもの、午前中の開店と同時に、お店じゅうのケーキが売れてしまい、一日中「陳列棚に何もない」お店になってしまった。
 ケーキ屋さんの横にある喫茶室では、「店内写真お断り」などと張り紙もあるのに、若い女性がいっぱいの店内では、美しいケーキの姿を平気で写真に撮っている。おしゃれだから、トレンドだから、話の種に来ているという感じもある。滅多に姿を現さないスギノさんが、ミーさんのためにキープしておいてくれた、全種類のケーキがプレートに載せられて運ばれて来た時、店内は騒然となった。多分「全種類が並んでいるプレート」を見ることのできるお客さんというのは、開店前に並んで一番に入るお客さんぐらいなのだ。お店では一人のお客さんに売ることのできる数を制限をしていて、できるだけ多くの人に味わってもらいたいと考えているけれども、大量生産だけは避けたいのだというスギノさんの思いは一貫していて、一日に350個しか作られない。

 スギノさんは、わたしにも「どうぞ、食べてみてください」とプレートを差し出してくださった。
わたしは、シンプルなレモン・タルトと、チョコレートケーキを選んだ。
 スギノさんがにっこり笑って「そのチョコレートケーキで、わたしは世界チャンピオンになったんですよ」とおっしゃった。
 そのチョコレートの外見は、実は、わたしの誕生日に、ミーさんがプレゼントしてくださった、三種類のチョコレートのケーキとそっくりだった。この外見のケーキはほかのお店でも見かけたので、《モンブラン》とか《オペラ》とか特別な名前を持ったケーキの部類なのだろうと思う。誰でも作るケーキだからこそ、誰にもまねのできない味を出さなければならない、基本で素朴なケーキだ。
 レモン・タルトは、レモンクリームとタルトの間に、特殊な《加工》があって、タルト生地が湿っぽくなかった。わたしがそれをいうと、スギノさんは大満足だった。いままでにもレモンタルトは自分で作ったり、買って食べたりしたことが何度もあるが、クリームが乗っている面が、かりっとしているタルトに出会ったことは、いまだかつてなかったのではないかと思う。そんなこと考えたこともなかった。クリームが乗っているんだから、その面が湿っぽくて当然だと思っていた。でも、かりっとしたままだと、そのタルト生地の香ばしさが残って、クリームのすっぱい感じとぴったり波長が合う。
 わたしは、フランスに帰ってきてから、カリッとして湿っぽくならないタルトの面の作り方を、ミーさんに指導してもらった。

 チョコレートケーキは、もう、わたしの形容詞と表現力では、表すことのできないおいしさだった。種類の違ういくつかのチョコレートの、それぞれの味がはっきり表現されているのに、それが食べながら、お口の中で混ざり合って行く、そのタイミングと調和が素晴らしい。声が出ない。チョコレートがのどの奥にひっかったりしない。甘すぎたり苦すぎるチョコレートは、喉が渇く。のど元がいたくなることもある。数多く口に入れることができない。でも、スギノさんのチョコレートケーキは軽くて、いくつでも食べられそうだ。
 ミーさんは、グレープフルーツ味の軽いケーキだった。わたしはチョコレートを食べたあとだったので、フルーツ味のケーキは遠慮した。もう味が感じられないから。ミーさんは、ちゃっかりわたしのチョコレートケーキも横取りして食べた。
 スギノさんのアトリエも見学した。これまで日本で見たどんなアトリエよりも、広く清潔だった。これからもっともっとおいしいケーキが作られる、期待のアトリエだ。
 スギノさんのお店に行列を作る人たちが、雨の日も風の日もこんなにおいしいケーキのためなら、遠くからやって来る気持ちもわかる。でも、どうぞ、味わって、大切に食べてほしいなあと思った。

 ちょっと時間に余裕ができた。前を歩いていたアーさんがわたしとミーさんを振り返り、「さて、時速4キロぐらいに落としましょうか」と笑った。ミーさん待望の《浅草》にやって来た。ミーさんは26人の従業員さんと、娘さんと奥さんへのお土産を買いたい、買いたいと言い続けていたのだ。到着してから2日間、銀行にも連れて行ってもらうことができず、日本円を持っていなかったので、絵はがきや、キティーちゃんのTシャツや、切手を買う時に、
「マダム・エンドー。すまないがお金を借りてもいいかね?」と恥ずかしそうに言っていた。
 大金持ちのミーさんに、わたしが高利貸しできるとは、大歓迎だ。ここでいっちょ恩をきせておこう(?)とおもって、わたしは行く先々でミーさんのために小銭を出してあげていた。5000円のワインも代わりに買ってあげたんだから。
 「このご恩は一生分のチョコレートで」 ミーさん、そろそろわたしの喜ばせ方がわかってきたね。よしよし
 
 おとといお金を両替したミーさんは、わたしにたっぷり利子を付けて返済し、ついでに昨日行った料理の道具屋さんで、桜餅を作るための道明寺粉と、梅の形のゼリー形と、卵豆腐の型の支払いを代わってやってくれた。わたしにプレゼントするのがすごく得意そうだった。お金を借りるのが、そんなに恥ずかしいことだったのだろうか?太っ腹になったミーさんは、最終日になっていよいよお土産も買いたくなったのだ。

 浅草の雷門で、記念撮影でもするのかと思ったら、雨が降っていたので、走るしかなかった。
「ここには来たことがあるから、写真は要らない」と言っている。
エーでもお〜わたしは始めてなんですけどオ。。。
「マダム・エンドーは、仕事で来てるんだから。ほら、アーさんが行ってしまう」

 台風が近づいて、店じまいを始めている。看板やシートや、風鈴やいろんな物がバタバタ音を立て、ときどき何かが落ちたり壊れたりしている盛大な音もする。お土産なんか買ってる場合か??
 アーさんは《一番》とか《武士道》と書かれている、いかにもガイジンが好きそうなTシャツを大量に買い、浮世絵の版画と、七福神の中から《健康》と《成功》を司る2体だけ買った。(そんなことができるのは外人しか居ない)そのスキにわたしはネクトゥーさんに頼まれていた甚平と、子どもたちが大好きなコンペイ糖を買った。JPにはもっといいものをプレゼントしたいので、《いかにもガイジン》って感じのTシャツだけはごめんなのだ。

 台風接近の雰囲気に呑まれ、足取りも早くなる。いったんタクシーでホテルに戻り、荷物を置いて、百貨店代表お二人と会食する予定の丸の内ホテル内《てんぷら 大島》へと向かった。タクシーを降りるとホテルの入り口まで濡れながら走った。

 目の前で揚げられるてんぷら、時間を掛けて端正に彫られたニンジンやキュウリで作られた松竹梅と鶴と亀。実に感動的な夜だった。百貨店代表のお二人は、その夜電車で帰らなければならなかったので、ちょっと不安だった。

 ずいぶん遅くなってしまった。でも、《てんぷら》のあとに予定されていた、《バー》行きが中止になったので、予定よりも早く、ホテルに着いた。助かった。。。

 ミーさんは「最後の夜だから、乾杯をしよう」といい、ホテルのラウンジでわたしにシャンペンをごちそうしてくれた。ミーさんは、大好きな葉巻をふかす。そしてわたしたちは、仕事の反省と、これからいっしょに仕事をすることになる、日本人のビジネスマンたちについて話し合い、契約のことや書類の事について話した。わたしは意見や感想や、印象を求められ、ミーさんはすべてについて黙ってうなづいた。
 そして、仕事が終わる最後の夜に、やっと家族のことを質問された。ミーさんは娘さんや奥さまのことを話してくれて、わたしの子どもたちやJPのことを尋ねた。仕事は仕事、と分けている人だから、仕事中に個人的なことを訊いてはいけないと思ったのだそうだ。もちろんわたしも仕事中には家のことは話さず、忘れたふりをし、思い出さないようにし、感情的にならないようにがんばっていたのだが、ミーさんも同じだったのだろう。

 「これから荷造りだ」
 「でも、ミーさん。明日の朝、飛行機出ないかも」
 「またか、おまえさんのウソは信じないよ」

 台風は夜中の2時頃東京に上陸の予定だ。



 
 

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