2007/11/15

少数派




ゾエが描いた、ユニコーンです。翼を広げて、空を飛んでます。
なんだか、夢がいっぱいでしょ?

 先日の個人面談のときに、廊下で並んで順番を待つ間、子どもたちは廊下や校庭を走り回っていた。
ノエミの小学校からは99%が《ビクトル・ユーゴー中学校》に入学したが、ほかに5つの小学校からも合流しているので、中学に入ってから仲良くなった友だちが何人もいる。

 「この前から話してた、プリシラを紹介するよ。」ノエミが張り切っている。
うわさのプリシラかア、どれどれ。

「プリシラ」という名前が怖い。昔、少女コミックで連載していた恐怖漫画で、プリシラというかわいい女の子が、大人をたぶらかして、切り刻むというのを読んでから、「プリシラ」という名前にはトラウマがある。
 
 ちなみに操り人形も怖い。
小学生の頃に、5歳上の姉が、毎晩「ツルコウ」っていうお笑いスター(?)のラジオ放送を聴いていて、《恐怖特集》で、操り人形が人間を滅多切りにするというお話があって、それを狭い子供部屋(というよりも子供用の離れ。親とは違う棟)のコタツでじっと聞き入ったシチュエーションを、今でも忘れない。そして、物語も忘れない。そのうえ《操り人形》の恐ろしさも、忘れない。

 子どもにそんなの読ませたり聴かせたら、いけないのだ。でも、うちの親はそんなの「読ませたり、聴かせたり」したのでない。「やめろっていわれても読みたい聴きたい」のが、子供ゴゴロってヤツなのだ。

 ノエミがプリシラを連れてくる。ノエミと身長は同じぐらいなので「小さい」方だろう。
「だからね、ほら、この子がうわさのプリシラ。この子は生まれたときから6本指だったんだよ」
はいはい、うわさには聞いておりましたが、ノエミの「たわごと」と思っておりましたんです。それにしても、本人の前でそんな紹介しちゃって、どんなことを言えばいいやらわからない。
 「ゴホン(咳き込む)ハハ。。。(ひきつる)まあ、ほかの人が5本ってところを6本もらえたんなら、なんてラッキー!神様も気前がいいってもんだよね」(ノエミを突っつきながら、目をそらす)
 言ったあとで「バカバカバカバカバカバカ」と心の中で唱えつつ、表現力の乏しさに深く反省。

「コンチハ。そうなの、うちはおばあちゃんも、お母さんも6本指で、従兄にもそういう人がいるよ」
いやあ〜明るいなあ。この子は。
「ほら」
おいおい、見せなくってもいいよ。

 思わず目を疑ってしまった。
「指が6本あったけど、赤ちゃんの時に、ここのところ切っちゃったんだよ。触ってみて」
なんか、信じられないぐらい明るいな、この子は。
ノエミが、プリシラの手の甲をなでなでしながら「ほらママンも触って」と言って、友だちの手を引っ張ってくる。
ノエミ〜、遠慮しろよ〜〜。目で合図してんのがわからんのか。

 プリシラの手の甲には、ブラックジャックのような切り傷がいっぱいいっぱいついていた。
一本分ぐらいの距離を残して、中指と薬指の間にちょっと隙間があるものの、顔を引きつらせつつも「なんだ、5本指じゃん」と、いちおうは言える。でも、じつに奇妙。
触ると、そこのところにちょん切られた6本目の指の骨があって、ちょっと恐怖だ。
 「ほらこっちも。それに両足の指も六本あったのを切ったんだよ」
いばるか?いやあ〜、それにしても明るいなあ。

 家に帰ってから、ノエミとプリシラについて話した。先祖に何人もそんな人がいるから、プリシラの親戚はけっこう平気らしい。だったら、生まれた子の指を数えた時の、親のショックも小さかったんだろうか?いや、ショックなどなく「あら、わたしと同じっ」て、嬉しかったんだろうか。
 JPが「おまえ、クラスのみんなにお尻の蒙古斑(もうこはん)見せたの?プリシラみたいに自慢できるのに」
蒙古斑は、白人には現れない。だからJPは、子どもたちが赤ちゃんのころは、お客さんが来るたびに、「お宅の子にはこんなのないだろう」と言って、ノエミのスカートをめくり見せびらかしていたものだ。
 産院でノエミのお尻の上に広がる大きな青あざ見て、看護士に厳しい目で見つめられた。彼はそのあざをみた瞬間に息を呑み、冷たくわたしを見て、走って医者を呼びに行った。そして「あの母親は生まれたばかりの赤ちゃんに体罰を与えている」とチクった。
 でもさすが小児科医。笑い飛ばして「アジア人だからしょうがない」と言ってくれた。

 ゾエは産院で「黄疸がひどい」と言われ、なんだか特別な部屋の、紫外線オーブンみたいなのに突っ込まれた。日本から来ていた姉は「日本人なんだから黄色いのは当たり前でしょう。うちの子たちはもっとまっ黄っ黄だったよ」と言ってくれたので、わたしにはプレッシャーはなかったけれども、産院では「黄疸。黄疸」としつこく言われた。

 いや、でも、それにしても、プリシラの場合はちょっと違うじゃないか。
ノエミたちの蒙古斑のような現象でもないし、ほかの人並に、手が器用に折り曲げられないのはハンディじゃないんだろうか。手術が必要だし、手術しても大きな跡が残る。新しい環境に入ると、必ずしばらくは陰口を言われたり、いじめられたりするそうだ。
 うちの子が6本指で生まれたら、そりゃあ、、、これまでそんな子どもを見たことも聞いたこともないし、、、やっぱりショックだと思う。心の準備はどうしたってできないだろうし、生まれた瞬間から子どもの人生を憂えて、誕生が暗い事実になってしまうかもしれない。見えないハンディだったらまだいい?そんな問題でもないよ。
 歩けない子だったら、泣かない子だったら、病気ばかりしてる子だったら、わたしはどんな母親でいられたんだろう。

 なのに、なに?この、プリシラの明るさと素直さは?
「ちゃんと字も書けるし、体育もできるし、指が6本のままだったら、ピアノも人より上手に弾けたかもしれない。でも、既製品の手袋買えないなあ〜ハハハ。」
 ちょっと動転していたので、忘れてしまったけれども、お母さんを紹介してもらえばよかった。どんな教育をしているのか、親の顔が見たいっ!

 従兄には、6本目の指を切らずに成長した人もいるそうだ。でも、その真ん中の指には骨がなく、ノエミの表現によると
「中指と薬指の間に、ソーセージみたいなお肉がぶらぶら下がってる」
あまり、想像したくないけど、それだったら、むかし近所にそういう少年が居たのを覚えている。指は5本で、小指がウインナみたいだった。とても元気で陽気な少年で、ご両親もとっても明るい商売人だった。少年が大きくなって、そのソーセージ部分を『処分』したとしても、日本で小指のない男性だったら、みんな道をあけてくれるだろう。いじめたりしないさ。わたしがその子の親だったら、ソーセージのような小指を維持して、堂々と生きていけというのか、自分もその一因となっているソーセージの存在を嫌って、いじめられる前に小指を処分して、道をあけてもらえと言うか。。。わからない。

 両足がないのに剣道をやってるアメリカ人を見たことがある。
「なんでわざわざ剣道を選んだんだろう。切手収集とか、写真や絵画。スポーツなら弓道とかオートマチック自動車のレースとか、そんなんでもよかったのでは?」
と思ってしまった。でも、彼は両足で立っている人に勇敢に向かって行くし、相手を近づけなかった。すごい試合だった。

 逆境をものともしない人は、いるんだなあ。。。
少数派だから《逆境》だと思ってしまうけれども、世界の中で恵まれているわたしのような人間の方が、《少数派》であることを考えさせられるビデオを観た。世界では、大多数の人々が、少数派の恵まれた人に『逆境』を強いられている。

 
 友だちから紹介された、このサイト、ぜひ見てください。
http://event.yahoo.co.jp/voluntarylife/moshimo/index.html
この内容は、《本》としても出版されています。
フランスでは子どもの本の書棚に並んでいます。

Aucun commentaire: