2007/12/11

呪われていた。

  わたしは水に呪われている。

ので、どうにかしなければと、常日頃思っていたら、友人《か》が、《水》にありがとうと言ったらいいよと教えてくれた。
「人間の身体は水で出来ているんだから、水を飲まなきゃだめだよ。飲む時に感謝の言葉をささやいたらいいよ」
ふむふむ。わたしはこのような怪し気なシューキョーに弱い。

 わたしは、じつは1日のうちに《水》をほとんど飲まない人間だ。
1リットルの瓶をテーブルの上に出しておいても、水面が腐るまでに底に到達できない。
《水》を飲んだら、トイレに行きたくなる。
《トイレ》というところが、あまり好きじゃない。

先の友人《か》はまた、こんなことも言う。
「願い事を唱え、感謝の気持ちでおトイレのお掃除したら、ツキが回ってくる」と。

それで、この頃のわたしは夕食のとき「お水の神様、今日も元気に過ごさせてくれてありがとう」と言いながら、コップの水を一気飲みしている。JPがびっくりしている。子どもたちもまたあまり水を飲まないので、興味を引くためにはちょっと儀式っぽくしようと思い、コップに入れた水を、頭の上に掲げて、台所の電気がコップの底できらきら光るのを見ながら、「お水様ありがとう」と大きな声で唱えてから、一気飲みしている。
 ノエミが「お水、ありがとう」と言いながら飲む。
 ゾエもまた、「ありがと」と言いながら、半分飲む。
よしよし。

 そして、わたしたちは、ふだんよりもトイレに行く回数が増えた。トイレと縁が深くなったので、「おんくろだろう、うんじゃくそわか」と唱えながら、おトイレのお掃除もまじめにやっている。

 9歳までおねしょをしていたので、「水を飲むな」と言われて大きくなった。どこに行ってもまず非常口の前にトイレを探す。おねしょをしていたのには、わけがあると思っている。幼い頃に住んでいた家は外に便所があって、夜にそこに行くのは本当に怖かった。

 あの頃住んでいた家は、本当にぼろくて、雨漏りもした。だから、大きくなったら、わたしは、ぜったいに、水洗トイレのある、雨漏りのしない家に住むぞと硬く心に決めていた。

 先週の週末、カーモーで暴風雨だった。風の向きのせいだろうか、屋根裏に雨が吹き込んだらしい。
夜中に暗い部屋で、「ポタッ・ポタッ」と悲しい音がした。
最初なんだかよくわからなかった。
 耳を済ますと、やっぱり何やら部屋の隅に「動く」ものがある。
JPが起き上がる。水滴は、キーボードの上に落ちていた。キーボードを持ち上げたら《ちゃぷちゃぷ》音を立てた。

 水滴の拷問というのがある。それは拘束された人の頭に1時間に1滴ずつの水を垂らすというもので、何時間でも何日でもそれをやると、捕らえられている人は、その水滴のことしか考えられなくなって、いつか気が狂ってしまうのだそうだ。。。。とっても恐ろしい拷問。でも、《雨漏りの刑》はもっと怖い。《一時間に一滴》どころではないんだから。1分に5滴ぐらい?疲れ果てて爆睡するまで、ずっと《ポタッ・ポタッ》と悲しげに響き渡る水滴の音。

 落ちて来る水滴を見ながら、最初は惨めな気持ちになって、自分がこんなみすぼらしい家に住んでいることを情けなく思った。風が強かったので、吹き込んだのだと数人に言われたし、その週末にわたしのような目に遭った人がご近所に何人もいた。

 恨めしかったけど、いちおう《お水の神様ありがとう》と唱えてみた。ちっともありがたくなかったのだが、お礼を口に出して言うと気分は軽くなる。そして「雨漏りのおかげで気分が良くなった」となる。
 きらきら輝く雨の粒がどんどん大きくなって、ついには重力に勝てなくなり、地球の真ん中に向かって降りて行く瞬間。粒が一本の線になってまっすぐ目的地にたどり着く瞬間。粒が床に落ちて割れて弾ける瞬間。大きな粒が割れて、小さな粒を四方八方に飛ばす瞬間。を、わたしは見た。
 家の中に居ながらにして、雨の観察ができるとは、感謝感激だ。
呪いは自分で解くものなのかな。
「感謝の大地に花が咲き、不平の嵐に花が散る」と、うちの美香ばあちゃんが言っていた。
《みのり》の《み》は美香ばあちゃんの《み》なので、わたしは家訓も受け継いで行かねばなのであるのである。



 「便所ののろい」 について描かれた、おもしろいアニメーションを見つけた。20分ぐらい。
とっても懐かしい思いになった。

http://www.dailymotion.com/video/x3k9u1_hanada-shounen-shi-episode-01_fun

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