2007/11/05

ちょっとナルボンヌまで

 JPの両親が、7年前まで住んでいて、数年前から物置のようになってしまっていた、ウヴェイヤンの大きな家を処分するらしい。ナルボンヌとベジエの間にある小さな村だ。初めてフランスに来た時にもこの大きな家に泊まったし、ノエミが生まれた頃JPは船乗りだったから、JPが居ない時にはこの家で過ごしていた。

 わたしたちはこの村の小さな役場で結婚した。その結婚式の時には、奈良の従姉妹たちや指宿の友人たちが、わざわざフランスまで来てくれて、みんなこの家に泊まってもらった。家の裏庭にはミラベルとイチジクがたわわに実り、玄関には藤の花が咲き乱れる。冬はなかなか暖まらない天井の高い石の家だったので、大きな暖炉に火を入れて、きしむ革のソファーに並んで座り、8時50分からテレビで映画を見るのが、毎晩のお義母さんとの習慣だった。
 客室の脇についている浴槽は、昔の人サイズのまま、小さいバスタブで、シャワーのお湯はいつもぬるかった。台所の脇の食料庫には、夏の間にお義母さんが作るトマトソースの瓶が山と積み上げられていて、それをもらって帰るのが楽しみだった。石のらせん階段を下から見上げると、天井にはまん丸いガラス窓がついていて、暗い家の中心に光を注いでいた。階段の一番下には、ガラスでできた大きな玉がついていて、その玉のなかには色とりどりの泡が浮かんでいた。壁紙やカーテンは、お義母さんの大好きなブルーが基調になっていて、家のあちらこちらには、目を見張るようなブルーで塗られた椅子がぽつん、ぽつんと置かれていた。ノエミが初めての自転車で走り回った広い廊下の奥に、大きな木製の柱時計があって、クリスマスには柱時計の横に、天井に届くほどの大きなモミの木が置かれ、毎年みんなで飾り付けをした。柱時計は1年に2回、クリスマスの晩と大みそかの晩に、お義父さんがねじを巻いて、鐘が12回鳴るとみんなで抱き合って、ほっぺたにキスをしあった。
 台所は昔の人サイズの、低いシンクがあり、黄色っぽい電気がついていた。電球の脇にはニンニクが入ったカゴがぶら下がっていた。シンクの左にガス台と、そのまた左に冷蔵庫があった。大きな物入れの、どこに何が入っているか、わたしは知り尽くしていた。二段目の引き出しにはお義母さんが婦人雑誌から集めたレシピの山があって、たまにわたしはそこからレシピを拝借した。

 この家は、わたしにとっても思い出が詰まった家だ。真っ暗でホコリだらけで、ほとんどの家具はすでに移動していて、あんなにいっぱいいた猫も犬も居ない。台所は冷たく、ベッドにシーツは掛かっていない。イチジクの木もミラベルの木も枯れた裏庭から、だれの笑い声もしないこの家に入るのは、とっても辛かった。その家をあとにするのはもっと辛かった。

 わたしたちは、残っている家具や、JPと弟たちの思い出の品の中から、カーモーの家に持って帰れそうな物をリストアップして、一室に集めた。大きな家具やテーブル、椅子などを《予約》したので、近いうちにJPがレンタカー屋さんでトラックを借りて、家具を取りに戻るそうだ。ほとんどが組み立て式なので、お義父さんと二人で大丈夫だと言っている。
 本当はもらっても仕方のない物もいっぱいあった。でも、このまま置いて行くと、捨てるか売るか、次に入る人にあげるかだというので、じつは《物を捨てられない》お義父さんは、ガラクタでもなんでも、とにかく子どもと孫たちに持って帰ってもらいたいようだった。JPが冷たく「要らない」という物を、ノエミとわたしはJPの目を盗んで、手分けして箱詰めした。

 ずっと前から欲しいからちょうだいと言っていたのに、「亡くなったお父さん(JPのおじいさん)の物だから」と言って絶対にくれなかったアコーデオンとまな板も、「持って行ってくれ」と言われた。ついでに、古〜〜〜い、ピアノとヴァイオリンとフルートの楽譜が山のように出てきたので、それももらってきた。アコーデオンはちょっと修理をすれば元気になると思う。いつか、お義父さんの前でアコーデオンを弾いてあげようと思う。

2 commentaires:

Takako a dit…

こんにちは。ロンドン長く住んでいるものですが、相棒のイギリス人とベジエ近辺に小さなアパートメントを買い、よくイギリスからラングドック・ルシオン地方はよく行きます。まだこの地域に来られることがあるのですか?Tarnもとてもよいところだそうですね。フランス語を習いはじめて知り合いになった近所の人はAlbi出身です。イギリス人よりもとっても美味しいお付き合いができるのが嬉しいですね。

minori a dit…

takakoさん

友人以外で書き込みをする人が滅多に居ないので、あなたの11月26日のメッセージを本日(1月11日)に見ました。お返事を書かずに本当にごめんなさい。