2007/09/27

9月8日 フランスへ

 《やっさん》が、タクシーでホテルまで送ってくれた。
「7時に起きて、タクシーを呼んでもらって、成田エキスプレスの乗り場まで連れて行ってもらって。。。」
何からなにまで説明してくれた上に、紙にも書いてくれて、《やっさん》は朝帰りのまま、今度は接待ゴルフに出て行った。
 あとから、「コースで寝てた。あの日はスコアが。。。て、2時間で帰って来れるところを5時間かけて帰ってきたよ」とメールあり。ご苦労さんです。

 朝日が昇った。居眠りどころではない。荷造りをしなければ。。。でも、もうなにがなんだかわからない。クマさんにもらったカレ作のお人形は、絶対に忘れてはならない。ゴミがいっぱい出た。日本のかわいい包み紙、チラシ、新聞、箱、全部もって帰りたいけど、そんなことは言ってられない。荷物は20キロまでなんだから。

 タクシーを拾った。どんな時間でもタクシーが走り回っているのはとっても便利だ。フランスには流しのタクシーっていうはないと思う。
「午前中の飛行機ですか?ヨーロッパにでも行かれるのかな?」
タクシーの運転手さんが話しかけて来た。
「フランスに帰るんです」
「ほほ〜、フランスですかあ。憧れますねえ。お仕事ですか」
日本語のしゃべりおさめだと思って、運転手さんの質問にどんどん応えていたら、彼は、かつて料理人で、ホテル・オークラなどでも働いたことがあると言うではないか!?それで、わたしは、今回行ったレストランやお菓子屋さんの話をして、運転手さんも「知ってる」とか「そこはいいレストランだ」とか、話が弾んだ。
 駅に着いたら「もっと話したいですね」というので、一瞬「じゃあ、成田まで送って行ってよ」と言いたかったのだが、駅には友だちが待っていてくれることになっていたので、ちゃんと料金を払って降りた。

 フミとラルは、わたしの成田エキスプレスのチケットを買って、待っていてくれた。
二人も、疲れているはず。悪いねえ。
「いいの、いいの。あとで昼寝して、夕方から遊ぶから。。」
いいな〜。

 成田エキスプレスでは爆睡。
電車を降りて少し歩いたときに、たしか電車の中ではお財布を手に持っていた、ことを思い出す。
げ、ないっ!?
頭の中はぐちゃぐちゃだったが、よく考えたら、やっぱり手に持っていたはずのお財布がない。
駅員さんに訊くと、「ここは成田エキスプレスじゃないですよ」と言われて、別な駅員さんを捜す。
 自分のお財布の特徴をあれこれ言っていたら
「なんだ、じゃあ、これ?」
わたしのお財布だった。
「さっき降りたお客さんが、落ちていたと言って届けてくれましたよ」
さすが日本だなあ。お財布も持たずに海外まで行ってしまうところでした。

空港内は工事中とか、団体旅行客で、かなり混雑していた。
ホテルから送ってあった荷物を受け取りに行ったり、自分の搭乗手続きの場所を探したりしている間に、時間が過ぎて行く。おまけに搭乗手続きのときに、荷物が重すぎると言わた。でも係りの人ったら「超過料金の計算ができない」と頭を抱えていて、「少々お待ちください」などと言って電話したり、人を呼びに行ったり、なんだかあわてている。後ろに並んでいる人も、わたしに、ブーブー文句を言っている。結局20キロのところ29キロで、5キロはサービスできるけど4キロ分払ってくださいと言われ、3万5千円請求された。カードで払おうと思ったら、なんかコンピューターであれこれやって「少々お待ちください」ばかり言っちゃって、はかどってない。
「みのく〜〜ん、本当にもう時間ないよー」
と、フミが心配そうにしているので、フミのところに行って
「ちょっと、5千円貸して」
お財布には3万円しか入っていなかったので。
 カードを奪い取り、現金を叩き付けて、その場を離れ、走った、走った。
「お茶飲む時間、ないの?」「おまけに借金したまま?」
「い〜から、い〜から。どうせまた帰ってくるでしょ?」
友だちが「本当に遅れるよ」と言っているので、仕方なく出発ロビーに入ったけれども、実際には自分の飛行機が、何時何分に飛び立つのか思い出せないので、とりあえず走った。

 だから、免税店でのショッピングも夢と終わり、最後の日に「なにかすごいものを」と思っていたJPのお土産も買えなかった。

 飛行機の前まで来た時、出発時間を二分ほど過ぎていたけれども、わたしの後ろにあと二・三人走ってる人がいたので、「あんたのせいで飛行機が遅れた」とは言われなかった。もう、どろどろだ。ファーストクラスの優雅な座席を通過しながら、「わたしって、こんなところでなにをしてるんだろう」と思った。
 それにしても、友だち二人が居て、一緒に場所や通路を探してくれたり、荷物を見張ってくれたので、どうにかなった。しかもお金まで借りて。このご恩は次回返そう。ゆるしておくれ〜〜〜。

 飛行機内では爆睡。食事の時間を過ぎていて、目が覚めたら前の座席に「起きたら呼んで」の張り紙があった。お好みのメニューはもう当然残っていなかった。
 たまに目が覚めると、映画を見た。
『そのときは彼によろしく』と『眉山』を観て、ぼろぼろに泣いた。なんか、飛行機のなかで涙に暮れているのは自分だけのようだった。泣いたせいで、目がしばしば、トイレのかがみで見たら赤く晴れ上がっていて、みっともない。
 映画の合間にまた爆睡。飛行機はたまに大きく揺れて、叫び声もあがっていたが、「もう、ど〜なってもいい」と思った。
帰りの飛行機は、座席が高く、床に脚が届かなくてぶらぶらした。だから、とってもつらい旅だった。
 朝が来るころにまた爆睡。朝食を食いっぱぐれた。「目が覚めたら呼んで」の張り紙があって、スチュワーデスさんを呼んだら「ずいぶんお疲れですね」と言われた。そうですとも。

 日本に行くときには日付が変わったけど、フランスには同じ日に帰り着いた。7時間の時差をどんなふうに縮めてたどり着けたのか、脳みそが機能していいなくて、考えられなかった。

 パリで乗り換え。みんなきれいな格好をしているのに、わたしはぼろぼろ。飛行機の中で着替えるのも面倒くさかった。第一、飛行機の荷物入れはあまりにも高すぎて、いったん入れた荷物を降ろそうと思ったら人に頼むか、シートに上って目立たねばならず、
「もう、ど〜でもいい」と思ったら、どうでもよくなった。

 パリからトゥールーズの飛行機では、もう頭がガンガンして、目はしばしば、開けていられなくなった。スチュワートさんに薬をもらって、ちょっと寝た。

 トゥールーズの空港に到着。
JPはアイロンの掛かっていないTシャツを着て、リュックを背負っている。散髪にもずっと行ってないからアフロ。
子どもたちは上下の色がちぐはぐで、しわしわなスカートとシャツの組み合わせに、結んでる髪がチグハグ。
主婦が家を空けるというのは、こういうことか。。。ああ、帰って自宅のドアを開けるのが怖い。

 飛行機の到着が夕食の時間なので、さっと帰りたいママと、さっと食べたい子どもたちの希望を知っているJPは、リュックサックの中にピクニック用品を納めて来ていた。わたしたちは空港のそばの公園に行き、夜が来る前に最後のお出かけをしている小鳥たちの、忙しいさえずりを聴きながら、そして、犬や子どもたちを連れてのんびり歩くトゥールーズ郊外の人々を眺めながら、ペタンクをやってるおじさんたちや、たむろして笑い合ってる若者たちを眺めながら、バゲットパンのサンドイッチを食べた。農場の野菜で作ったサラダと、懐かしい朝市のチーズと果物もある。水筒にはカーモーのなま水も入ってる。そういえば、日本のレストランではしょっちゅうミネラルウォーターを飲んでいた。エヴィアンだとか。なま水を飲んだのは、指宿でだけだったような気がする。

 「ああ〜、帰ってきた〜」

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