2006/07/15

同級生

 昨日母に電話したら、姉の家に行っていて電話が転送された。便利な世の中だ。
おかげで子どもたちとも話ができてラッキーだった。だけど、子どもたちが小さい時には交流を持たなかったもので、この頃ではすっかり大きくなった子が「進路で悩んでいる」などと言うと、ぎくっとしてしまう。おばちゃんは子どもたちの扱いというものを知らなくって、申しわけない。ただただ「もうそんな歳かー」とため息が出る。姉たちの子どもは5人とも、わたしが日本を離れてから生まれた。だれも抱っこしてあげていない。

 母によると、同級生の《ま》くんのお父上が亡くなった。別々の高校に進学してから一切付き合いがなかったので、彼が同級生だったことさえ、すうっかり忘れていたほどだが、一昨年の秋に帰った時に再会を果たした。高校の同窓会に、同じ高校でもないのに《ま》くんが来ていた。
「エンドーさんに会いに来たー」ほほお、よしよし。

 《ま》くんはわたしが幼稚園の時になりたいと思っていた、あこがれの《歯医者さん》になっていた。曲がりなりにも歯学部出身とは、一本とられた。《ま》くんでもなれるんだったら、わたしもそうそうに夢を捨てるべきではなかったねえーとバカを言った。

 そうこうしているうちに、ほかの同級生諸氏からも連絡メールが入る。同級生との会話で、《ま》くんは中学のとき、わたしと同じ剣道部であったことが判明した。
 えー忘れてたよー。

 更に母からの情報によると、彼は同じ地区内でただ一人の同級生で、七五三の時にもいっしょに写真を撮ったし、小学校の時には同じクラスになったこともあるし、遠足の前の晩などに「エンドーさん、明日何時に集まるんだったけ?」とか夕方遅くに「今日の宿題なんだったけ?」などとよく電話をかけて来ていたらしい。いっしょにソフトボールをやったり、温泉祭りでは地区の公民館に集まって、いっしょにお神輿をかついだりもした。それは覚えている。
 なんだ、幼なじみ?

《ま》くんのおばあちゃんは地主で、アンタたちの勉強部屋にしていた、裏の家を借りていて、よくいっしょにお家賃を払いに行っていたじゃあないの?
 えー、そうなのー?
 おまけに、アンタが本を出した時に沢山買ってくれたし、同級生の名前でお葬式に花輪を届けてくれたし、なんといっても、アンタの代わりにお父さんのお葬式にも出てくれたじゃないの。
 わたしの代わりに参列してくれた同級生はたくさんいました。。。。すみません

 まさかと思いきや、けっこう深い仲(?)だったらしい。

 お母さんがアンタの代わりにお葬式に行って挨拶して来たから、アンタは《ま》くんに電話して励ましてやりなさいよ。。。と言われた。
えー、別に昔のオトコってわけでもないのにー?
同級生諸氏に知られたら、なんと言われると思ってんのー?
 
 「アンタの代わりにお父さんの葬儀にも来てくれたんだよ」
そこまで言われるともうなにも言えないのであった。勢いに乗って電話してみた。
「きっとこの人は若くてかわいいに違いないっ」というような声の看護婦(歯科助手?)さんが、「喪中につきお休みさせていただきます」との留守電だった。
《ま》くんが出なくてちょっとほっとしたが、「喪中なんだ」と思ったらやけにしんみり実感が襲って来た。

 彼はもう立派なおじさんであることだし(この前見てわかりました)、昔のようにメソメソなんかしていないだろう。
 近年、親を失う同級生が急激に増えていて、子供会でお世話になったり、道路で挨拶していたころのことを懐かしく思い出す。わたしもそういう歳になったんだなあ。
 しんみり
 
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 後日、おばちゃんの家に電話したら、なつかしの弟くんが出て「うわさの、エンドーさん!!」と感激され、自宅に電話がまわさた。《ま》くんはせっかくわたしが国際電話をかけてるっていうのに、飲ん方(飲み会)に出ており、《ま》くんの妻と世間話をして、彼のうわさをし、妻が「元気ですよー」というので、まあ安心した。

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