2007/03/21

ふるふる

 昨日の朝、雨戸を開けたら、白くてふわふわしたものが舞っていた。
桜の花びらかと思ったら、雪だった。
積もりはしない、ただ風に舞ってはあっという間に溶ける粉雪が、お昼まで降っていた。
 風が強い。

 この頃の自分のいろんな暗い近況を、あれこれ悩んでいたのだが、朝はいきなり滋賀の姉からの小包が届いてうれしくなった。
去年一年間コツコツ溜めた、思いやりのある品物が、大きな段ボールにきれいに詰め込まれていた。
 一月に日本を発った小包は、三月半ばにフランスに届いた。段ボール箱は「お疲れさま」と言いたくなるように、疲れていたけれども、中身は生き生きと輝いていた。

 鹿児島の友人からも一通。エアメールが届いていた。
彼女はインターネットだってやっているのに、この頃は長い手紙をくれる。私もメールを送らずに、長い手紙で返事している。私たちは、時間を掛けて辞書を引きながら、手を痛くしながら、考えたり、書き直したりする。わたしたちにとってとてもよい時間が過ぎて行く。返事が来る頃には、問題が解決していたり、そんなことどうでもよいと思えるようになったりしていることも多い。

 ニューカレドニアの友だちも久しぶりにメールをくれた。
彼女のハプニング続きの近況を知らされる。それを不幸とも思わず元気に立ち向かっている姿に励まされる。
人の問題と自分の問題を比べることはできないけれども、自分の抱えていることが大したことではないと感じられる瞬間というのは、きっと大きいと思う。自分が世界で一番不幸と思ったら、もうお先真っ暗だ。
いや、本当に、大したことじゃないんだから。

 今までもずっと「どうしよう」ということや「大変だ!」ということは何度もあった。
いつも誰かが、何かが助けてくれた。そして時間が来たらどうにかなっていた。
 今、ここで「どうしよう」とあたふたしている自分がいて、そのちょっと離れたところで「どうにかなるさ」と開き直っている自分もいる。焦っても仕方ない。目の前の毎日をやり過ごす。だれかなにかを充てにしない。まず自分のできることから。

 母に電話する。久しぶりだ。笑える話題もないからと、電話もできずにいたのだが、彼女は相変わらず活発で、そしてけっこうハイペースな彼女のマイペースで、それなりに生きているらしい。ひとりでよくやっている。子供たちや孫たちに助けてもらって、楽できる年齢だと思うのに。

 父の夢を見たと言う。二年前に最後に顔を見てから、はじめて、お父さんが夢枕に立った、と言って笑っている。私はドーッと涙が出る。「会えてよかったね」と思ったし、彼女の中で一つの壁みたいなのを越えたのかな?とも思う。私はまだ越えられない。

 いつもの汚い作業服を着て、いつもの調子で言う。
「お前は判断力がないから悩んじょったろが、行かんか。」
行こうかどうしようかと悩んでいた場所に、行きたいならば行けと言ったのだそうだ。
父は、母が行きたいという場所に「行くな」と言ったことはない。
母は私のように家を放ったらかしにしておいて、「あそこに行きたい、向こうも行きたい」とは言わない人であったから。

 夢枕に電話して来る父に、「小銭持ってたの?」などと訊いているあたりが、母らしい。
「小銭はここに入れてくれてたから」と父は言い、母は私に「お棺に小銭を入れてあげたんだよ。それを使ったんだろうね」と教えてくれた。
 いつもフイと出て行く父に、小銭さえ持たせておけばどうにかなると信じていた母。そしてこのコンビはいつもそうやってどうにかやってきた。無計画に動き回って、小銭でどうにかしのいでいる自分も、たしかにその血を受け継いでいるらしい。
 私は父の夢は見ない。父はまだ遠くに居る。父は私にはアドバイスなどしない。言っても仕方ないと諦めているのかもしれない。でも、生身の友人たちに、大いに助けられている。小銭も溜めているし、どうにかなるだろう。。。
 
 あまりにも疲れていたので、翻訳は1ページしかできなかった。寝不足で頭の回転も悪く、何事も悲観的でイケナイ。
夕べはいつもより早く寝て、今朝は起こされるまでベッドの中にいた。水曜日なので学校はお休み。

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