2008/11/28

日本語クラブ



 高校三年のとき、「自分は絶対に北海道に就職する」と決心していたのだが、もろもろの事情により、鹿児島の短大に行かせてもらえることになった。その短大の《教養科》っと言って、教養のないオンナが何百人もダラダラ通っているような、女子だけの短期大学だ。私立の短大まで出してもらうからには、絶対に国語教師の免許ぐらいはとろうと思って、一年の時には最前列で、とってもよく勉強した。その反動で、二年目はかなりいい加減だったのだが、いちおう卒業する時に、中学の国語の教師ぐらいにはなれる免許を頂いた。
 
 教員試験の勉強もいっぱいしたけど、全然ダメだったし、本当は中学の国語教師なんてまっぴらだったので、海外青年協力隊にでも入って、アフリカ辺りに行ってやれ〜いと思ったら、国語教師と日本語教師はぜんぜん違うので、勉強し直せということになった。

 東京のいんちきな日本語学校の教師養成講座に入って、わたしは1988年にその学校でも一番若い先生となった。わたしの髪はお尻まで長く、ボディコンのスーツだって着ていた、あのころは。そして中国人とか韓国人の、労働目的で来日している、父ぐらいの年齢のおじさんたちに、《先生》と呼ばれていた。そのあとは各地場所を変えながらも、必要に迫られて、いつもけっこう楽しく、小さな日本語クラスを持ち続けて今に至っている。今はプライベートレッスンを3つ持っている。

 この前の秋休みが明けてからというもの、なんども中学から連絡があり、いよいよ日本語クラブの企画が本格化に向かって動き出していたのだが、本日校長先生から、正式に「月曜日から日本語クラブを開始してください」と電話があった。

 お昼休みが12時から14時までなので、その間に子どもたちは家に帰ったり、学校で時間を潰したりする。その長いお昼休みに、スポーツや音楽のクラブがある。ノエミは昨年度は演劇をやっていた。ラップのダンスやアフリカのタムタムのレッスン、卓球やバスケなどもある。

 《日本語クラブ》というよりは、《日本クラブ》だ。中学生は英語、スペイン語、ラテン語、ドイツ語などをやっている。日本語は正規の授業とは違うので、もっとリラックスして、言語学よりも、文化紹介、歴史や地理のちょっとした情報。折り紙やお習字のアトリエなど、楽しい時間にして欲しいとのこと。
 申し込んだ約20人の中学生たちのほとんどが、「空手などの武道をやってる」か、「ゲーム、日本映画、漫画の大ファン」と言っているらしいので、その大多数の期待にも添わなければならない。剣道教えようかな。

 校長先生は、「私立じゃないので自分の思い通りにいかない。本当は報酬もお渡ししたいのだが、ただのクラブなのでボランティアです。(すでに了解済み)ただし、教材費やなにか必要なものがあったら、遠慮なく言ってください。なんでも揃えますから。」とおっしゃった。初級のレッスンに必要なものはすべて揃っているし、オーディオ・ビデオの教材もある。コピーを取らせてもらえれば、あと必要なものはなにもない。折り紙や墨汁を自腹で揃えなくてよいのは本当に助かる。

 第1回目のクラブは12月に入ってしまう。この前秋休みが終わったばかりだというのに、今度はクリスマス休暇が12月19日の夜から1月4日まで。年内にクラブ活動は3回しかできない。

 初回でみんなの心をキャッチして、グループ学習のためのグループ作りと、自己紹介をするつもり。文字に対する不安を取り除き、興味を持ってもらうために、いろんなゲームを考えている。

 ノエミがこの授業をとっても楽しみにしている。この前の俳句の授業で、「お母さんの授業はとっても楽しかった」と言ってくれたので、日本語クラブにも期待がかかっている。ノエミに恥をかかせちゃいけないし、ここで普段の《ろくでなしな母》の汚名挽回をっ!とちょっと意気込んでいる。ノエミももっと日本語の勉強をしてくれるかも。

 
 写真は種子島。鉄砲伝来の地、門倉岬の神社の鳥居。

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