2007/02/22

最後のサムライ

 午前中、アルビに住んでいる日本人の友だちの家に遊びに行った。彼女は彫刻を勉強した人で、ご主人とジュエリー・ショップを経営している。最近は、趣味で日本刀を作っているフランス人の男性と一緒に、日本刀の柄頭などにつける金具の細工や、鍔(つば)の彫刻にも関心を持っていて、たまに作っている。

 先日は染色法に関する本の中から、とても古い漢字の読みを訊ねられた。
 一つはインターネットで調べ、もう一つは、日本の常用漢字ではなかったので、手持ちの辞書では見つけることができず、日本で国語の先生をしている友人に、調べてもらった。インターネットで写真の出ているページを教えてもらえた。

 今日は、その友だちの家で、『座頭市』のDVDを借りた。最近やたらと、時代劇にハマっている。
この前はネクトゥーさんに借りた『ラストサムライ』という映画を、一週間の間に10回ばかりも繰り返してみてしまった。
アメリカ映画のサムライものだからと思ってバカにしていたのだが、映像は素晴らしかったし、サムライの武術も、日本のスタントマンがやっていて、とても鮮やか。アメリカ映画にしてはちゃんとした日本のサムライがいっぱい出ていた、きれいな映画だったと思う。

 そうしてまた『武士道』などという言葉が、頭をよぎってしまうのである。。。あらあら。。。

 映画は映画として、ただきれいねエーで見ていたのだけれども、どうしてこの映画をこんなに繰り返してみたかと言うと、主役の渡辺謙さんが演じていた『勝本』が、最後のサムライであった西郷隆盛をイメージしていたからだとわかってから、急激にこの映画への関心が高まってしまったのだ。

 わたしは南北朝時代の『武士』の世界にとても興味があって、数年来その辺の本ばかり読んで来た。特に北畠顕家のことが好きで好きでたまらない。でも、明治維新以降、刀狩りが出て、武士がなくなってしまい、戦争で剣を使わなくなってしまったこの時代から、戦国の世の中とは違う形の、新しい武士道が生まれたのではないかと思う。『武士』がなくなろうとしていたその時代に、最後のサムライたちがどんな生き方をしたのか、とても興味がわいて来て、『武士道の逆襲』とか『戦場の精神史』などをまーた引っ張りだして来ては読んでいる。そういう本には『生き残るためには闇討ちもやったのが武士だ』とか。。。まあ、そういうことも書いてある。

 『最後のサムライ』というタイトルの映画から、最後のサムライであった西郷隆盛、そして、鹿児島へと知らず知らずのうちに故郷に戻って来ていた。そこで暮らしていた時に、どうしてもっと勉強しておかなかったんだろう。どうして示現流を習わなかったんだろうと、ぎりぎりと歯ぎしりする。

 サムライのように誰かのために闘って、なにかのために死ぬとか。。。そういうことはけっこうどうでもよくて、わたしはやっぱり《さや引き》や《二刀流》の方法《脇構え》の位置とか、テクニックが気になって、何度もビデオを泊めたり繰り返したり、スローにしたりして、観察してしまった。ま、やっぱり映画は映画だ。でも、日本の俳優さんは、さすが《らしく》やってると思う。

 明日はネクトゥーさんのお宅で、日本刀の刀匠の作業風景を撮ったカセットを一緒に見る予定。
カレーも待ってる。はず。

  

Aucun commentaire: