2008/01/27

人のふり見て。。。

 わたしはいつも、不満を言っている。
JPのことだ。
JPは、超無口な人で、孤独を愛する一匹狼。世界中に友だちは二人しかいない。しかもその二人は遠くに住んでいるので、数年に一回会えればまだマシっていうような、とっても貴重な友だちだ。なので、普段「JPの友だちです」などというような人が、我が家に来たことはない。仕事の仲間は《同僚》でしかないらしい。今働いている場所は女性が多くて、あんまり仲良くなるといろいろとよくないっていうのもあるので、、、まあ、「友だちです」と女の人を紹介してくれるような甲斐性(?)もない。その代わりわたしにはボーイフレンドがいっぱいいるんだけど、それはどーでもいいみたいだ。

 長い休みに子どもたちがナルボンヌに行ってしまったりすると、JPは、居るのか居ないのか、わかんなくなってしまう。わたしが話しかけなければ、あっちから話しかけて来るということはなく、油断すると一日中物音を立てない。
 むかし軍人だったせいか?目覚ましを掛けなくても、時間が来たらガバっと起き上がる。日曜日などでもいつも仕事に行く時間にガバっと起きて、勝手に朝食をとり、ボボの散歩を済ませ、パン屋に行き、パソコンでメールチェックなどをやっているらしいが、わたしには何も聞こえない。わたしは起こされないので、いつも寝たいだけ寝ている。

 暑い、寒い、かゆい、痛い、腹が減った。。。の類いを、一切言わない。そういうことは言っても仕方がないそうなのである。「暑い」と愚痴って気温が下がるの?って言われたら、何も言えなくなる。
 腹が減らない人なので、メシを作らなくても文句を言わない。わたし自身は腹が減ると機嫌が悪くなり、頭の回転も鈍るので、メシを作れと言われなくても、作ってしまうのだが、JPに「メシを作れ」と言われたことはない。

 結婚したばかりのころは、下着を取り替えたの?だとか、ハンカチ持ったの?だとか、セーター着ないと風邪引くよとか言っていたものだが、いちど「きみは母親じゃないんだから。。。」って言われてから、JPのタンスには触れないようにしている。JPの服のサイズってものを知らない。コットンのシャツにアイロンをかけるのは、わたしよりも上手だ。JPはレシピ通りにぴしっと材料を計って作るので、ケーキなどはよく膨らむ。そのかわり、わたしのように鋭利なインスピレーションは働かないので、勘がモノをいう夕食のおかずなどはてんでだめだ。残り物を出すのが嫌いな人なので、残り物が出たらパニックになる。残り物の詰め合わせでひとつのおかずをテキトーに作るってことは、まあ、できないだろう。

 わたしが何やら機嫌悪い時、いくら鈍感なJPでも、できるだけわたしには近寄らないようにしているのがわかる。「どうしたの?」と言って優しい言葉をかけて来るような勇気はないとみた。その代わり、明らかに自分のせいで機嫌が悪いんだなって感じているらしい時には、チョコレートか花束を買って来て、黙って台所に置いて行く。そういう時に「なんで機嫌が悪いのか、わかってるの?」と訊くと、たいていの場合、返事は「わからない」

 たまに、JPはのれんか、ぬかみそか、壁のような人で、「まさに馬だぜコイツはよー」と思うことがある。ある時友人にそう話したら「のれんだって、黙って吊るしておけばたまには役に立つし」って言ってもらえたので、黙って吊るしておくことにした。ノエミが車よりも馬の方がお得でエコロだって言ってるし。

 そして、たまに、わたしは自分のことを、部屋のすみの植木鉢か、置物かなにかに見られてるんじゃないだろうか?わたしはJPの気を惹かないタダのおばさんで、「うちの子の母」ってだけの存在なんじゃあないだろうか。。。などと思うこともある。こんなに会話がなくっていいのかなって思っていたら、先日は日本から来た《なーさん》が、「でも、お互い心配かけたくないから、ちょっと何かあっても、溜めて、我慢して、どーしようもなくなってからやっと報告するって感じ。だから、いつも妻と話すことは、面白くもない問題ごとか、子どものことばっかりで。そういうもんじゃないの?結婚して10年以上も経てば?」と言われ、なんだか、目から鱗が落ちたような気がした。そうなんですよ、毎日毎日そーそー話すこともないんですよお。特に「暑い、寒い、痛い、かゆい、腹減った」などを言っても仕方ないって思ってるような人なので、お天気の話だとか、愚痴なんかは、夫婦の会話に成り立たんのです。ただ「おいしい」の時には、言わないけどわかる。JPは、おいしい物を食べる時には、普段よりさらに口数が減り、がつがつと一気に食べる。わたしがじーっと見ているのにも気づかずに一気に食べて、お箸を置いてから、見られていることにはっと気づき、《ニッ》と笑う。そういう時にわたしは「おいしいナーうれしいナー」とか言いながら、おいしそうに、時間掛けて食べなさいよっ、と叱るのだが、形容詞が苦手な人だから仕方ない。

 子どもたちのおかげで、食卓ではよく言葉遊びをする。学校の話題も出る。食堂でなに食べたかなどなどを話す。いつも食卓ではラジオか音楽を掛けているので、そこで生まれる単語について話す。子どもたちのつまらないギャグに、簡単に笑い声を上げることのできないJPには、食事の後に、ゾエが「ギリギリ」をする。ギリギリというのは「コチョコチョ」のこと。簡単なギリギリでは笑わないJPなので、わたしとノエミとゾエは時間とタイミングをずらし、隠れたり、いきなり暗がりから飛び出したりなどして、フェイント・ギリギリをやる。
 「つんまらないおとーさん」に、オンナどもはけっこう苦労している。

 「じきに、娘たちにお父さんは臭い、お父さんは汚い、お父さんはうっとうしいと、相手にされなくなる運命なんだから、今のうちに子どもたちとじゃれ合っていた方がいいよ」とよくJPには言っているのだが、どうもJPの育った家庭環境を振り返ると、お父さんが子どもにすり寄るのは、大変な努力と勇気とやる気と、プライドを捨てるというようなことが必要らしい。わたしはたまにJPのお父さんを見て、お父さんとしてのJPに絶望したくなることがないでもないが、「でも、母親の質が違うじゃあないの」と自分に言い聞かせている。

 この頃とっても仲良くしている女友達のダンナさんが、まことにのれんのような人だ。そして、彼女はいつも「わたしはじぶんが部屋のすみの植木鉢のように思えるし、わたしは彼にとって「子どもの母親」でしかないようだ」と言っていたので、「なんだ同じじゃん」と言って励ましあってきた。のに、その彼女が今週ついに家を出た。大変だ。
 「どこも同じだよ、うちだってそうだよ」と女友達連中に言われているそうだが、彼女にはもうひとつ理由がある。

 「みのりのJPも、壁みたいな人で、気の利いた優しいセリフは言えない人かもしれないけど、、、でも、ほら、みのりが長く家を空けた時でも、JPはなにもかもやってくれたでしょう?うちはだめなのよ。」

 そうなのだ。わたしは冷凍食品も買わなかったし、お惣菜の造り置きもしなかった。冷蔵庫に入っているものを一通り見せ、入っているもので、ピザ、キッシュ、スープ、ステーキ、パスタ、などなどが作れるよと提案した。パスタをゆでる時にいっしょにニンジンとかほうれん草を茹でたら、栄養も偏らなくて済むよと教えた。JPは台所のどこに何が入っているかを把握しているが、探しそうなものは目立つところに置いた。だから、子どもたちは餓えずに三食きちんと食べていた。洗い物は溜めずに洗い、台所は毎晩きれいに整理されていて、まるでダニエル家に新しい主婦が入ったかのようだった。子どもたちのシーツとパジャマは取り替えられ、洗濯物はこまめに洗われ、アイロンがかけられ、片付けられていた。玄関にあるのは埃だけで、靴や鞄はちゃんとしまわれていた。翌日の準備は夜のうちに終わっており、子どもたちの髪の毛も爪も清潔だった。夜はちゃんと読み聞かせをやって、母親がいるときよりも早い時間に、ぴしっと寝て、ぴしっと起きていた。「お母さんいない方がよくいうことを聞く」そうなので、わたしはいない方がいいのかもしれない。
 外に出て働いていいよって言う時には、それなりに協力してもらえる。

 と、いうわけで、のれんはのれんなりに、役立っていることや、人んちの旦那より、はるかにできるヤツだということがわかった。あとはギリギリでたまに笑わせて、わたくしめの巧みな話術で会話を引き出し、たまにわざと機嫌悪いふりをしてチョコレートと花束を貢がせ、あと10年ぐらいは辛抱してみようかと思っている。JPの方が辛抱強くなきゃダメだろう。「痛い」とか言えない人なので、バタンと倒れる前にドーにかしてあげられたらいいけど。。。(じつは、いきなり予告なしで倒れたことアリ。具合悪い時ぐらい頼って欲しいよなあ〜)

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