2010/09/06

パリでの夏休み 五日目 最終日

 天気が悪いまま、最終日。
パリで着ようと思っていたワンピースも、寒くて全然着れなかった。靴も湿っぽい。サンダルはも荷物になっただけだった。ゾエなんか長ズボンを持っていっていなかったので、二日目からずっと、ノエミのズボンを履いている。

 さて、最終日、お部屋をきれいに片付けて、この日はじめて朝食を用意してくれた奥さまが、朝の元気な会話に加わる。これまでずっと朝はご主人にしか会えなかったのだけれども、最終日なのでがんばって起きてくれたんだろう。銀の食器でいただく朝食もこれで最後。

 荷物を持って駅に向かう。駅のコインロッカーにスーツケースを預けて、オステーリッツ駅のすぐそばのミューゼアム・ヒストワー・ナチュレルに行くことになっている。(歴史自然博物館?)ここの骨の博物館と、生きた動物の動物園にも行きたかったのだけど、今回は時間が足りなくて無理。剥製の動物の博物館にあまり並ばずに入った。夏休み中に恐竜展もやっているので子どもが多い。



 中に入るとまずクジラの骨がぶら下がっていて、圧倒される。まずは海の生き物の展示を見て、中二階に上がると、そこには動物たちの行列。ノエミは気に入った動物を一頭ずつデッサンしている。すべての動物が剥製なのだが、じつに表情が豊か。こんなそばでハイエナやライオンを見ることができるなんて。。。子どもたちは感動している。動物たちは動かないし、たとえばトラと子鹿が並んで歩いている姿を写真に撮ることなんて普通じゃできないから、思わず写真を撮ってしまう。



 とても暗い博物館だ。そして、フラッシュは絶対に禁止。ベルサイユ宮殿でも、ルーブル博物館でも、「フラッシュはダメ」と言われながらも、あちこちで光っていた。人が多すぎていちいち注意もしてられないという感じだった。でも、この博物館ではフラッシュが光るとガードマンがだだーっと走ってやって来て注意をされる。光る辺りをチェックして、少しずつ光らせている人に近づき、三回目ぐらいになると注意されるという感じだった。わたしたちはフラッシュには十分注意していたので、あまりいい写真は撮れなかった。その代わり、ノエミがたくさんのデッサンをした。

 ノエミは今回の旅行ではほんとうに、行く先々でいろんなことに興味を示し、じっくり見学し、文句を言わずによく歩き、進んで写真を撮ったり絵を描いたりしていた。博物館ではあまりにも熱心で、みんなからどんどん遅れ、迷子になってこっぴどく叱られるシーンもあったが、それは単に親が心配しすぎてキレただけで、本人は迷ったという意識も、親が心配してるという気持ちも、一人で心細いとか、どうしたらいいんだろうという不安も、はっきり言ってなかったんじゃないかと思う。ノエミはパリに来る直前、ローマにも行って来た。今年は学校の旅行でスペインにも行って来た。スペインで I ♥ Spain, ローマでは I ♥ Roma のTシャツを買って来て、喜んで着ている。ミーハーだ。ローマではROMA ROMA ROMA ROMAとびっしり書かれたトートバッグを買って来ていて、それに絵の道具をいっぱい入れて持ち歩いている。パリでは PARIS PARIS PARIS PARIS と書かれたバッグを持って歩く若いアメリカ人やイギリス人をたくさん見た。若者はどこも同じか?

 日本人だけが違う。夏休みにパリなんぞに来ている子連れの日本人一家と言ったら、お金持ちに決まっている!お嬢様みたいな日本人の子どもを行く先々で見た。みんな自分だけのデジカメを持ち、お母さんのまねしてルイ・ヴィトンのバッグなんか下げてる。お母さんは夏の靴に靴下はいてるし、お父さんは日本の会社には絶対に着ていけないようなラフな麻のスーツを着ている。パリでは韓国人と中国人の団体さんもたくさん見かけた。わたしが東京で日本語を教えていた中国人と韓国人は、その地方のど田舎から出てきた労働者のおじさんばっかりだったので、中国人と韓国人と言ったら《そういう》イメージをずっと持っていたのだけど、このごろの韓国人は、まるで日本人そっくりだ。髪を染めてるし、ブランドものを下げてるし、ファッションも日本人みたいだ。一度だけ、セーヌの河畔を浴衣で歩いている女性二人組を見た。あれはなんかやっぱり変だった。本人たちも恥ずかしそうで。。。パリの教会で白いスーツを来た男性と、白いウエディングドレスを着たカップルが、結婚式の写真を撮っていた。ただ写真を撮ってるだけで、教会でお式をやっていたのではなさそうだった。いかにも日本人顔でヨーロッパのハンサムな男性のふりしてポーズ撮ってる姿が、ちょっとかわいそうだった。

 みんな、旅先ですれ違った人と、二度と会うことはないと思っているに違いない。

 最後の日なので、ノエミの希望を聞いて、《中古マンガ屋》に行った。わたしはそこでブラック・ジャックを買った。ほんとうはもっと大きなブックオフにでも行きたかったのだけど、もう元気がなかったので、五日目にしてもうすっかりなじみの出てきたこの界隈で、最後の食事をすることにした。Ecole Polytechnique のすぐそば。

 その前に、フィリップさんが教えてくれた、パリの人も知る人ぞ知る《闘牛場》を見に行くことにした。今では屋外演劇場として使われているそうだ。1860年頃、街の工事中に発見されたらしいのだが、じつは紀元一世紀の屋外競技場だったというわけ。パリの建物の真ん中にポッツリ残っている。《インターネットゾーン》という看板があって、石段でパソコンをやっている若い人が何人もいた。大学のそばのカルチエラタンと呼ばれる地域だ。



 JPが出張に行く時に乗る《夜行》に乗ってみたいというので、子どもたちを夜行に乗せた。興奮して眠りにつくまでが大変だったけれども、思っていたよりもよく眠れたらしい。夜の11時頃出発して、次の朝の7時にはトゥールーズに着いた。

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