2007/04/05

ワシントンDCの桜 



ああ〜〜、四月の声を聴くと、挨拶は「そちらの桜はもう咲きましたか?」だ。やはり日本人だから?
アメリカに住んでいる中学時代の先輩から、ワシントンDCの桜の写真を頂いたので、快くご了解を頂いて、ここに掲載させてもらう。アメリカ人が日本から持ち帰った桜が発端で、その後東京都から送られた3000本もの桜が、こうしてアメリカで花咲いているらしい。ああ、すばらしい。アメリカ人も木の下で宴会をやるのかな?
 中学の英語の教科書で習ったけど、こんなに美しいとは知らなかった。

 日本人は今度新しい国旗を作る時には、どこかにピンクの桜をあしらったらすてきだとおもう。
フランスでは日本のことをPays de Soleil Levant 《日出る処》と呼ぶ。
でも、アメリカ人は《日の沈む所》といって笑った。。。というはなしもある。

 きのう、義父母と選挙について2時間以上も話をした。義父母はセゴレンヌ・ロワイヤルという女性を応援している。JPは、あの人はメディアティックな人物は嫌いなので、もっとマイナーな人を応援している。二選まで絶対に残らない人だ。
 義母が、セゴレンヌが当選したら、玄関に国旗を立てると言ったのでびっくりした。フランスで国旗をふり回すのは、サッカーの試合の時か右翼だけだ。セゴレンヌ・ロワイヤルがミーティングでラ・マルセイエーズという革命を詠った国歌を合唱させたことは、大変な論議を呼んだ。普段はナショナリストしかやらないからだ。

 義母は、普段から自分の国旗には誇りを持っていて、いつもなにか国に関連した感動的なことがあると国旗を出したくなる。でも、そんなことをやったら右翼だと思われるしサッカーの応援はやらないから、国旗を出す機会がない。今度自分が応援している女性が大統領になったら、こんなうれしいことはないから国旗を出すと言う。
 じゃあ、そういうとき自分は何を出そうかなあと考える。
日の丸の旗を持っている。日本から持って来た。ずっと長い間、日の丸は自分たちの旗だと教えられてきた。入学式でも、卒業式でも、いつも《きみがよ》を唄った。

 長くなって来たこの外国での生活の中で《きみがよ》が《君が代》だと自覚させられた。《日の丸》が、太平洋や大陸でどんな風を受けていたのかをはっきり知った時、日の丸は自分にとって《誇り》という単語とは切り離されてしまった。意味をなくしたのとはちょっと違う。《君が代》を大声で歌うことなんかなくなってしまった。《日本の国の旗であり、歌である》と、それは確かにそうなのだけれども、誇りとともに振りかざすことなんて、ここではできなくなってしまった。自分がお国のために闘っている人間ではないからなのかもしれない。日本人であるということも、日本の数限りないものにも大きな誇りに思っているけれども、そのリストから《日の丸》と《君が代》は遠のいてしまった。

 日本の政治家の名前はもうどうでもよくなった。日本の外交の話題は、フランスではほとんど耳にしない。
今の大問題は、今度の選挙でフランスの大統領が誰になり、町の人たちが誰に一票を入れたかということ。
前の選挙で極右翼のルペンが残った時には、人間不信になった。ご近所の人が信用できなくなった。
市長の方針が、すぐに学校や、わたしたちの生活の関わってくる。
 選挙権はないけれども、誰がどんな案を出しているのかは非常に興味がある。でも誰を応援していいのかわからないし、有力候補の三人はみんな似たり寄ったりの提案を出していて、わたしたちの生活がすぐによくなりそうな気配はない。移民としての暮らしは急激に悪くなりそうだ。有力候補の中に応援したいと思う人はだれもいないので、誰が勝っても勝利の旗を掲げて、クラクションを鳴らし、町をパレードすることはないと思う。
 
 義母は、自分が応援している人が大統領になったらうれしいので、誇りと喜びの象徴として国旗を掲げると言った。
《誇りと喜びの象徴》だったら、やはり桜だろうか。桜はぱっと咲いて、惜しみなく散るという《特攻隊》の精神だったという人もいるけれど。それでもやっぱり、春に桜の花吹雪を見れないことが悲しいのは、きっと日本人だからにちがいない。

 今度なにかうれしいことがあった時のために、桜の模様を描いた旗を用意しておこうかな。
桜はやっぱり日本人の心、だと思う。

 入学式のシーズンだなあ〜〜。そっち〜〜入学おめでとう〜〜!!
軍服みたいな学生服って、今でもあるんだろうか。
 
 
 

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