2009/03/26

わたくし、お城むき ザマス


 何度かカルカソンヌのお城を訪ねた。2500年の歴史を持つ城塞都市。
写真は現在のカルカソンヌを南西から見た風景。

 数年前にパリの友人と訪ねた時、歴史に関するお話も聴ける、ガイド付き場内一周コースを選んだ。

 カルカソンヌの城内では長い戦いのため、食料も尽き人々は城内で次々に死んでいった。これが最後と覚悟しなければならなくなったシャールマーニュとの戦いで、ついに城を包囲された時、城主の妻カルカス夫人は、人形をこしらえて兵士の服を着せ、城塞の上に立たせ、城の中から外に向けて矢を放たせ続けた。それから、残っていたわら束を最後の豚に呑み込ませると、お腹のふっくら膨らんだその豚を、城塞の外に投げ捨てた。
 それを見たシャールマーニュは、敵にまだまだたくさんの兵士と、捨てるほどの食料が残っていると思い、撤退を決めた。カルカス夫人が勝利の鐘を鳴らした(ソンヌ)ことから、《カルカソンヌ》という名前が残っている。

 この石のお城には、おもしろい仕掛けが沢山詰まっている。
まず門を入る時、門の上から沸騰したお湯や石ころが降って来る仕掛けになっている。
高い石垣は忍者でも登れないだろう。
らせん階段のステップの幅は均一ではなく、しかもちぐはぐに傾いていて、高さもバラバラ。それは敵が城内に入った時に武具を着けた兵士の動きを鈍らせるため。廊下は迷路のように複雑で、防御(あるいは城からの攻撃)に最適な敵には見えない壁や隠れ穴がたくさんある。そして各部屋の出入り口は低く狭い。
 
 「ちょっと、そこのあなた。そこの中国人っ!あなた、身長148センチですね!?」
ガイドのおじさんが観光客の群の奥にいるわたしに、右手の人差し指を突きつけた。
「へ?そうですけど。。。」
観光客が一斉にわたしの方をふり向く。
 「みなさん、あの女性を見てください」
(だから、なに?)
「148センチですよ、小さいですね」
(ほっといてよ)
「当時の平均的な大人のサイズです」
みんなが感心してうなづく。
(うなづくなよ〜)
「なので、ここにいる誰よりも、この城むきの体格をしているのはあの女性です。あなただったら快適に暮らせますよ」
って、ガイド氏よ。。。
 たしかにJPは、日本の家でもよく頭をぶつけるから、カルカソンヌのお城も無理だろう。
そうか、わたしはお城むきだったのね。
「今あなたが立ってる、そこ。そこで槍を持ち、その廊下を走って来る敵を待ち構えているのです。」
148センチだったら頭が飛び出ない高さの壁がわたしの後ろにあった。その壁の前にただ立ち、頭の上にやって来る敵を、下から槍で突けばいいんだそうだ。

 そのお城めぐりをした年に、はじめて彦根城を見物した。そして、お城に隠された様々な知恵に感動し、わたしは建物の構造や、そこで生きたその時代の人々の、活動のパターンといったものと身体の動きの関係について興味を持った。時代や場所・そこで営まれる作業・運動によって、履物が変わり歩き方が変わった。また、それに伴って腕の動かし方や肩の揺れ方も、時代とともに少しずつ変わってしまったことを知った。そういうことを学ぶうちに、武士の動きとそれを武道という形で習おうとしている西洋人の動きについて、その違いにも関心を持つようになった。武士の動き・習慣・時代別な戦いの違いは、建物や道具に反映され、生活習慣によって人の動きや物の見方までも変わってくることについて、とても興味深く感じている。

 それで、こじつけのようだが、暮らす場所というところは、毎日の身体の動きや、日常の習慣などにマッチしていなければならないだろうから、住む人の必要に応じて暮らしやすく造り替えられたはずだ、と思う。その時代の人の暮らした場所を知るということはまた、人の歴史や生活を知る上でとても重要なポイントだと思う。この話しはまたいつかじっくり。

 数年前に東秀樹の『異形の城』という小説を読んだ。織田信長の幻の安土桃山城に関する物語で、明智光秀が主人公。
 そのころは織田信長について、よく知らなかった。本を読みながら、史実を知ってたらもっと楽しめるだろうと思いはじめた。
うわさや作り話よりは、ほんとうにあったことを知りたい方なので、専門家の文献を読むのは好きだ。専門家でそのうえ文章もうまい人はそうはいないので、専門書は挫折することも多いけれど、事実は小説よりも奇。



 この小説からお城の構造に大変興味を持った。もっとお城について知りたくなり、お城の造りに関する本や、近辺の地理や歴史について書かれた物をいくつか読んだ。
 なかでも気にいっているのは徹底復元『よみがえる真説安土城』というオールカラーの写真集みたいな見る本。コンピュータグラフィックスで再現されたお城の写真(?)と、設計図などが沢山でているきれいな本だ。


 今は山本兼一の小説『火天の城』を読んでいる。信長はどーでもいい。番匠(大工さん)親子の物語。城造りの過程と建築について、かなり詳しい表記が楽しめる、迫力のある小説だと思う。またもや『よみがえる真説安土城』の写真集を出して来て、自分なりにいろいろ想像しながら、乱破になって石垣を登ったり、御屋形様になって天守に立ったりしている。ルイスフロイスがヨーロッパの大聖堂のはなしをする時に、この辺のお城や教会を思い描く。

 時代モノを読んでいて楽しいのは、味のある表現を発見するとき。
 「口がまことの言の葉をつむぎますのや」など、その一例。
あと、こんな表記。
「上段に太刀をふりあげ、大きく踏み込んで左肩から袈裟懸けに斬りつけた。物打が頸動脈から頸骨をざっくり裂き、血しぶきが吹き出した。」
 これ、制定居合の形の中に《袈裟切り》という動作があるので、思わず身体が動いてしまった。このあと右手に持った太刀を《血振り》して《納刀》となるのだが、こうやって読むとリアルだ。。。《真剣勝負》《切っ先》《鯉口を切る》など、剣の道から出て今もよく使われる日本語がいっぱいあることに気づく。



 この冬名古屋城で、ちょいと人足もどきを体験した。(名古屋城にはエレベータもあった)
《石垣の石を引っぱってみよう!》というコーナーで、フンドシ姿のマネキンといっしょに石に繋がった綱を引っぱるゲーム。やはりナゴヤ人が再建したお城はひとあじ違う。石垣の石は、わたしには到底動かせるものじゃあなかったが、恋人を連れた青年が、顔を真っ赤にして動かしていた。
「キャア、すごおおーい」などとカノジョの喝采を浴びながら。。。
やはりナゴヤ人のカップルだ。
人を運ぶカゴがあったので乗ってみたが、やっぱり、わたくしサイズ。
それにしても、カゴを担ぐ人は力持ちだったんだろう。

 石を担ぐ表記なら『火天の城』にあった。
 『太い丸太ん棒に、麻綱で石がぶら下げてある。大人が手を広げた程度の大きさだが、それでも二百貫(750キロ)はある。石を下げた丸太と直角に六本の丸太を縛り付け、それぞれの両側に人足が肩を入れて担いでいる。総勢三十六人で運んでいるのだが、石は肩に食い込んで重い。』
 背の高い人は難儀したろうなあ。

ああ、久しぶりなので長くなった。。。

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