2009/03/04

再会

 2月13日。
 不景気のあおりか、国際便が大幅に減って人の少ないセントレア空港で、ミーさんをフランスへと見送った。
空港から名古屋市内まで、車で送ってもらい、苦労して名鉄駅に大きな荷物を預け、わたしは大阪へと向かった。
 ミーさんとの仕事で、東京・横浜・名古屋・京都・大阪と走り回り、名古屋の駅にもずいぶん慣れた。鶴橋へは新幹線を使わずに、特急で行くことにした。

 鶴橋で出版社の《さ》さんが、待っていてくれた。予定よりも遅くなったので、ごはんを食べる時間も過ぎてしまったが、鶴橋の駅を出ると、開いている焼き肉屋さんはいっぱいあった。大阪の友だちに「出版社の人と鶴橋でお昼を食べる」と言ったら、「じゃ、お昼は焼き肉だね」と言われていたのだが、やっぱり焼き肉だった。うれしい〜。
 
 ミーさんとのおシゴトの話をし、チョコレートの話をし、焼き肉の話をし、初体験ホルモン焼きの話をし、家族の話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎる。

 「さて、お仕事の話しもしましょうか」
と、いう訳で、文研出版にお邪魔した。出版社というところは、もっと煩雑で散らかっていて、煙草の煙はもくもくで、電話は鳴りっ放し、働いている人はスーツなど着ておらず、頭はボサボサで、職場で叫びあってるのかと思っていた。
 でも、ここはとっても静かで、廊下には人がおらず、玄関に受付も無く、編集部のみなさんにたいして珍しがられることもなく、小さな会議室で、甘そうなお菓子を出していただいた。

 わたしの3冊目の翻訳の本が決定した。今度大阪で出版社を訪ねる時に、第5章までは訳して持って行きますヨと言ったくせに、実際に提出できたのは3章までで、しかもひどいものだった。《さ》さんはどんなにがっかりしたと思うが、めげずにちゃんと加筆訂正を鉛筆で上書きしてくださっていた。これからどんな方針で仕事を進めるか、どんな本を作りたいのか、向かい合ってお話しできて、本当にうれしかった。

 提出した原稿がとても少なかったので、会議もあっという間に終わってしまった。フランスに帰ったらもっとまじめに仕事しますと心に誓い、小学3-4年生が読む本の参考になりそうな作品を数冊いただいて、おいとますることになった。

 《さ》さんは、2007年の9月に名古屋で再会した時にも、新幹線の切符を買ったり、ホームに上がったり、列に並んで、目指す車輛に乗り込むのを手伝ってくださった。自動改札口でわたしが手を呑み込まれそうになってビビっているのを、じつはじっと心配そうに見ていたのに、わたしが顔を上げるとニコッと笑って、見て見ぬふりをしてくださっていた。そして、いつもいつも「みのりさんは本当に荷物が多いですねえ」と言って心配してくださる。それで、今回は、荷物にならない商品券をプレゼントしてくださった。フランスを出る時から決心していた、ノートパソコンを買う費用に使わせていただいたので、パソコンの隅っこに《さ》さんより寄贈とシールを張って、バリバリ仕事に励むつもりだ。

 方向音痴のわたしを案じて、駅まで送ってくださり、次に会うことになっている従姉妹にも連絡してくださり、わたしは無事に鶴橋駅で奈良の従姉妹たちと再会することができた。従姉妹たちはずいぶん前からわたしを待っていてくれて、従妹の方がもう帰らなければならない時間に近づいていたので、ひさしぶりの再会であったにも関わらず、駅の構内にある小さな喫茶店でお茶した。
結婚式のためにフランスまで来てもらった時も、父の具合が悪くて家族で日本に帰った時にも、従姉妹たちとゆっくり話すことはなかった。奈良には40年行っていない。 親戚にしか言えないようなことをいっぱい言って、母のことを頼んだ。
従姉妹たちは「試練に耐えられるように」と言って、不思議なブレスレットをくれた。

 従姉にはこのあと会う同級生と連絡をとってもらい、場所を確認してもらって、そこまで連れて行かせた。駅から近いところにホテルを取ってくれたジミーが迎えに来るまで、ホテルの小さな部屋で、うろうろして過ごした。

 ドキドキ、本日最後の再会が待っている。大阪の夜も更ける。

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